2019年07月21日

よくないね

今日は、参議院選挙の日です。

若い頃は全く興味がありませんでした。結婚してから女房の影響で投票するようになりました。

一般的には、参議院など要らないと選挙に行かない人が多いようです。

しかし参議院で否決されたら、衆議院で再可決するには3分の2の賛成が必要になるとか。

参議院には政権の働きぶりを評価する大切な役割があるのだそうです。裁判所でいうと最高裁みたいなものなのか。そこまでではないか。

前回、2016年の選挙は投票率が55%。そして与党への投票より棄権の方が多いのだとか。30代の投票率は44%、20代は36%か。

だいたいこの時代に実際に投票に行かねばならないなんて遅れてる。インターネット投票が出来るようにすれば若者も喜んで参加するでしょう。

それこそ“いいね”とぽちっとできるように投票できれば、もっと投票率も上がるのになあ。

もちろんシステム上の課題や正確さの問題、法規制など難しいところは沢山あるでしょうが官民合同で本気でやればできると思います。

200万人以上いるといわれる、家から出ることが出来ない引き篭もりの人たちにも投票の可能性が出てきます。

それはさておき、もう与党が過半数をとることが決定しているとか。

つまらないなあ。

やる前からそんなことがわかってしまっていたら、投票に行く気も薄れてきます。

そういえば安倍さんが改憲をしたい理由はいろいろと言われていますが、どうやらトランプさんに最近の会談で「晋三早くしろ。」と会うたびに催促をされているらしい。

らしいというのは、ゴルフのときなどの二人きりの時に話しているとか。

トランプさんは、日本の憲法を改正させて軍隊をつくらせて武器を売りたい。

安倍さんは、祖父の岸信介の「アメリカからのお仕着せの憲法を改正したい。」という遺志を引き継いでいる。

まったく正反対の思惑ながら利害が一致している二人。これはこの先どうなるか目が離せない。

いまの憲法は、アメリカの法学生が実験的につくった理想的な憲法だとか噂がありますが諸説あるようです。

世界的に見れば憲法が長く改正されないというのは珍しいとか。時代に合わせてどんどん直して良くしていくのが当たり前。

悪く直していては仕方がないけれど。

まあいいか。

候補者の皆さんは、美辞麗句ばかり並べるけれどどうやってそれを実行するのか?財源は確保されているのか?具体的に説明してくれないと信用ができない。

口ではなんとでも言えるのです。

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今回もまたこの光景ばかりがテレビで流れるのか・・・ photo by Google.
参照:読売新聞7月20日『拝啓 有権者の皆さんへ』特別編集委員 橋本五郎、朝日新聞7月20日『それぞれの「いいね」一票に』論説委員 青田秀樹 Google. Wikipedia.
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2019年07月20日

遠く離れて

8月の足音が聞こえ始めています。

それとともに曽祖父、戸籍上は祖父・木谷真一の命日が今年も近づいて来ています。

1945年7月、広島は大きな空襲もなく穏やかな日常が流れていました。

全国的に梅雨が長引き肌寒い日が続いていた。

広島市横町の丸佐呉服店では閉店の準備が続いていて真一は、残務整理や片付けを続けていた。

丸佐呉服店は、淡路島五色町都志出身の真一の兄・木谷實平が立ち上げた呉服屋で、往時は数十人の丁稚や番頭が働く大店だった。

實平は都志の本店と大阪、北海道、広島に店を出して大成功していた。全国を飛び回る實平に代わって広島の店は真一に任せられていた。

しかし戦争で規模がどんどん縮小し、とうとう広島の店も閉めることになったのだった。

物資が極度に不足し呉服など着る人は、軍部のお偉いさんの奥方などしかいなくなっていた。

広島の店も開店休業のような状態がずっと続いていた。

家族は先日、真一の故郷である淡路島へと疎開をしていた。広島駅で別れを惜しんだが店の片付けが終われば彼も家族の待つ淡路島へと帰るのだ。

鬱陶しい雨が降り続きやりきれない気持ちになるが、家族のことを思うと少し気分が晴れた。

ここ広島は川が豊かに流れる城下町で、いまは軍都として人が沢山働いている。

物がなく貧しい毎日だが空襲がない広島では、それ以外は戦前とあまり変わらない日常が流れていた。

ふと、戦時中だということを忘れてしまうような瞬間もあった。

しかし市内では労働力の不足を補うために全国から学徒の動員が続いていた。これによって約7200人の学徒が犠牲になるのだった。

日本軍は本土および本土近海にて制空権・制海権を失い、日本近海に迫るようになった連合軍艦艇に対して特攻機による攻撃が残された手段となっていた。

同じ頃、太平洋のテニアン島のハゴイ基地では科学者たちが原子力爆弾“リトルボーイ”が、サンフランシスコから船で到着するのをいまかいまかと待っていた。

いっぽうポツダムでは米英支三国共同宣言の用意が進み、日本への無条件降伏の勧告と天皇制を戦後利用できるかの議論が続いていた。

運命の歯車はゆっくりとうごき続けていた。

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都志の家から出て来た丸佐呉服店の伝票。伝票もなにもかもすべてが8月6日に燃え尽きた。
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2019年07月19日

自由の国

昨日は赤坂で打ち合わせでした。

来年の1月から3月のあいだに都内のどこかで、城崎国際アートセンターのレジデンスにてつくる作品を上演します。

舞踏についての作品になります。

乞うご期待。

今日のトップニュースは放火によって34人もの方が亡くなった事件です。

朝ドラの舞台がアニメーションスタジオだけに、観ていると一層悲しさがこころに響く。現実がつくりごとを凌駕していく、これは一体なんの皮肉なんだろう?

恨みや怒りや憎しみをどう解き放つか。狂気とどう向き合うか。人類の永遠の課題なのです。

ご冥福をお祈りします。

そして宮迫とロンブー亮が契約解消になりました。

仕方ないな大ごとになってしまったから。吉本も巨大な組織を守るために切ったのでしょう。

しかしあんな人気者、放火や殺人をしたわけではないのだから欲しい事務所は山ほどあるでしょう。大丈夫。

フェイスブックが通貨を独自に発行しようとして先進国からストップがかかりました。

これはたいへんデリケートなことで一歩間違えれば命を狙われます。

アメリカの歴史上、二人の大統領が独自に通貨を発行してその二人ともが暗殺されています。リンカーンとケネディです。

フェイスブックがいよいよ国家を超えた存在になろうとしている。しかし収益では他の3社に及ばないから焦っているのか。

いまの教育方法では、日本からGAFAのような先鋭的なグループが生まれえない。という話しもありますがどうなのかな。

今日読んだアエラに載ってた若者は、医学会の世界最先端の人物だったので一概には言えないかもしれない。

それはさておきアメリカっていう国は面白いなあ。

世界最先端の巨人、GAFAを生んだ国。

一方でドナルド・トランプのようなわかりやすい人も生み出す。

そして核兵器を最初に創った国。

『アメリカ合衆国』

目が離せない。

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Google, Apple, Facebook, Amazon、『GAFA』それぞれのトップたち。
参考文献:『みんなを幸せにするおカネの話』みんなの幸せプロジェクト著 近藤洋一監修 発行:(株)トータルヘルスデザイン この本は、ほんとうに目からうろこの為になる本です。
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2019年07月18日

日本への無警告無差別での原爆実戦投下決定

1945年7月16日、20億ドルをかけてアメリカ軍の威信をかけておこなわれていた原子爆弾の開発は成功した。

7月21日、実験大成功のニュースの全容をまとめたグローヴスの最終報告書がポツダムにいるトルーマン大統領に届けられた。

トルーマンは先ずは、同盟国イギリスのチャーチル首相にそのことを伝えた。それは戦後の世界の覇権交渉のカードとして非常に大きな意味を持つものだった。

思案の末、7月24日の本会議の後に「桁違いの破壊力を持つ新型兵器を手にした。」ことをスターリンに何気なく伝えた。

「それは素晴らしい。日本に対してそれを有効に使うことを希望する。」彼の反応は素っ気なかった。

スターリンは諜報員から既にアメリカの原子力爆弾の開発について報告を受けていた。

そしてソビエト連邦は2年前から核兵器の開発を独自に進めていたのだった。

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ポツダム会談。辞任したチャーチルの代わりに途中からアトラー首相が参加した。photo by Google.

いっぽう良識ある科学者、レオ・シラードは早々と原爆開発から離脱し独自に原爆の実戦使用に対する反対活動をしていたがことごとくグローヴスに揉み消されていた。

7月はじめにシカゴの科学者67人が署名した嘆願書が作成された。

日本にあらかじめ警告を発してそれでも降伏を拒否した場合以外は、原爆を使用しないようにトルーマンへと強く要請する内容だった。

しかしグローヴスの巧みな操作によってその嘆願書がトルーマンの目に止まることはなかった。

1.原爆は日本に対して使用すべし。
2.攻撃目標は民間の居住区域に囲まれた軍事施設とすべし。
3.原爆は予告なしに使用すべし。

以上、3点が暫定委員会にてすでに決定していた。

いまだに議論の余地がある、この無警告無差別での原爆実戦投下の瞬間が刻一刻と迫っていた。

日本帝国の穏健派の軍人が密かに和平工作をしていたがうまく進んでいなかった。やはり国体の保護という条件が問題だった。

穏健派が和平の仲介役として泣きついたソ連は、戦後の利権争いを見込んで太平洋戦争への参入を決めていたので要請を無視していた。

ニューメキシコ・ロスアラモスのアラモゴート砂漠での爆発実験成功のあと科学者たちは、新型爆弾の総仕上げをするべく太平洋のテニアン基地へと続々と出発した。

レオ・シラードとアインシュタインがヒットラーの核開発の脅威から連合国を守るために、ルーズベルトに提案して始まった米国の核兵器開発。

ナチスドイツが降伏をしたいま、紆余曲折を経て極東の島国日本に実戦投下することが動かさざることとなったのだった。

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爆発実験後、調査をする関係者たち。中央帽子の人物がオッペンハイマー、右隣がグローヴス。United States Army Signal Corps.
参照:Wikipedia. Google.『ヒロシマを壊滅させた男オッペンハイマー』ピーター・グッドチャイルド著 池澤夏樹訳 白水社. 
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2019年07月17日

千の太陽よりも明るく

1945年、7月初めに日本の敗北は決定的になっていた。

それでも、昭和天皇が日本の敗北を認めなかったのは、敗戦後の天皇制の保護が保証されていなかったからです。

日本の指導部が敗けを認めないあいだにニューメキシコの砂漠では、原爆開発計画がいよいよ佳境に入っていた。

最終実験は、7月16日に決まった。

同じ頃、陥落したベルリンにはポツダム会談に向かうトルーマンとチャーチルが到着していた。

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談笑するスターリン、トルーマン、チャーチル。日本の運命は三人が握っていた。photo by Google.

“ボロ実験室がオシャカを生むと 首に落ちるはトルーマンの斧 見よ、立って戦う学者の勇姿 聞け、世界に轟く不発弾”

一方の緊迫した実験場ではそんな歌が流行っていた。

20億ドルの原子力爆弾がウインチで慎重にゆっくりと引き上げられていく。

そして地上30メートルの高さにある塔の所定の小屋にセッティングされた。

実験予定時刻の7時間前、ニューメキシコ・ロスアラモスの天候は荒れていた。稲光が不気味に光り霧雨が降っていた。

原爆開発計画の最高責任者、ロバート・オッペンハイマーと軍の責任者、レスリー・グローヴスは話し合いを続けた。

オッペンハイマーはやせた先鋭的なインテリ知識人、グローヴスは太って保守的で粗野で知性のかけらもなかった。

このあらゆる面において対照的な二人は、不思議な相乗効果で原爆開発を推し進めていた。

決行か、延期か。夜明けまであと3時間、爆発実験を正確に観測するには暗いうちに実験を行わなければならない。

二人は嵐がおさまることを祈り、5時半まで待つことにした。

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グローヴスとオッペンハイマー。photo by Marie Hansen. Google.

午前4時半「雨が止み雲も切れ徐々に散りつつある。」報告書がオッペンハイマーに提出され実験は午前5時半に行うと決定が下された。

午前5時10分「予定時刻20分前。」砂漠の拡声器から声が鳴り響き、続いて秒読みが始まった。

秒読みが続き警報のサイレンが基地に鳴り響く。物理学者や軍人たちはそれぞれ近くの塹壕の中に身を伏せた。

「1分前・・・50秒前・・・」

45秒前、自動制御装置のスイッチが入れられた。

10秒前、最後のスイッチが入れられた。

「10、9、8、7・・・」

基地中の誰もが固唾を飲む中、秒読み係が声を限りに叫んだ。

「ゼロ!」

次の瞬間、千の太陽を集めたよう。と表現される核爆発が起こった。

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トリニティ実験の爆発直後の火の玉。爆発から0,016秒後、火球は200メートル幅に及んだ。地平線に沿った黒点は木々である。(撮影:Berlyn Brixner. photo by wikipedia.org)

「音もなく太陽が輝いた・・・電離した空気が発光して息を飲む光景だった。」by オットー・フリッシュ(物理学者)

「まだ夜中なのに・・・朝が来たようだった。」by フィル・モリソン(物理学者)

完全な静寂がずっと続いたあとに凄まじい爆発音がやってきた。残響は長いこと鳴り響き続けた。

あるものは泣き、ほとんどの者は無言だった。その時、オッペンハイマーの心にバガヴァード・ギーターの一節がよぎった。

「われは“死”なり。世界の破壊者なり。」

「あの時の気持ちは言葉ではとても言い表せない。いまでもそのショックが残っている。恐ろしくて不吉で、心の底まで凍りつくようだった。」by イザドア・ラビ(物理学者)

人類はとうとうパンドラの匣を開け、人為的にはコントロールが難しい未知のパワーを解き放つことに成功したのだった。

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Jack W. Aeby, July 16, 1945, Civilian worker at Los Alamos laboratory, working under the aegis of the Manhattan Project. - This image comes from the Google.

参考文献『ヒロシマを壊滅させた男オッペンハイマー』ピーター・グッドチャイルド著 池澤夏樹訳 白水社
池澤夏樹さんの訳が素晴らしくて読みものとして単純に面白いです。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 11:22| ブログ?

2019年07月16日

雑文が出てきたので

2001年9月11日、あの日は壺中天公演の稽古の日だった。

夕方事務所で晩飯を食べてたら「お前ら稽古なんてしてる場合じゃねえぞ、テレビを観ろ!」麿さんから電話があった。

そこに映っていたのは目を疑う信じられない映像だった。

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"From My Corner" photo by Larry Clark on 9/11/2001.

“ナイフひとつでジャンボがミサイル”

たったひとつのナイフで、ジャンボジェット機がミサイルに変わってしまう。あれは、ひとつの革命だった。

“舞台作品が現実の事件を凌駕しうるとしたら如何なる価値観の革命を、その空間に裁ち広げればいいのか・・・”

真剣に考えさせられる事件だった。

“さまざまな技術と体力と知力、性力を駆使しつつ、もっとオモシロク、もっとオソロシク、もっとカナシク、もっともっとオカシイ夢宇宙を。

現実の世界、事件などどうでもよくなるほど阿呆らしく、刺激的に創り上げ繰り広げる事が出来ればいいのだが。

真っ向から立ち向かうか、其処から高く跳び上がるか、低く低く潜航して行くか、隙間にスルリと入り込むか、回り込んで向こうに出るか。”

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あの頃、予言だとかいって流行っていた文字変換。

“なかなかの実行力と熱心なビジョン、良く出来た記憶力を持つあなたは、雑学知識の宝庫である。

狙いと計算で絵を描こうとしても上手く行かぬことは有るとしても、それらの力で斬り抜けてゆくのだろう。”

これは狸穴善五郎君のことを書いた文章。

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9月14日から16日まで狸穴:振付・演出作品『曙』に出演した。

“常識と非常識の境を良く知るそのひとは、ははのような眼つきでいつも判り易く注意してくれる。

自分を知り無理をせぬ生理を備えているあたまの良いそのひとだが、たまには実験や冒険たち、非のほうへ突っ込んでみるのも愉快なのではないだろうか。”

これは南条タマミさんのことを書いた文章。

10月5日から8日まで南条さん演出・振付『恋愛開拓志』という作品に出演した。この時は力及ばず、出番がどんどんなくなって悲しかった。

“初期、初発の面白さのひとたちである。

まだなにものでもない、やりたい思いが技術に追いつかない、混沌とした可笑しみのひとたちである。

考えることと考えないことを解っているのか解っていないのかわからないが、なかなか怜悧にたえないひとたちなのである。”

これは捩子ぴじんと魄のことを書いた文章。

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10月26日から28日まで捩子振付・演出の『青春星人』という作品に出演した。包丁を振り回して好き勝手やった。

“やりたいことなど無くやれることなどもう無いと嘯くかれも舞台でしか出来ぬこと、肉体でしか出来ぬことを知り、わかり見据えて迷い多くやるのである。

限られた空間の利用法を、二次元ではない三次元のパワーを。

エネルギーとその場、空間を共有しているという、特権的意識を秘密めいた儀式性と謎とその絵解き、性的エロスと笑い、設定のみたてで刺激する。”

これは村松君。

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11月15日から18日まで村松卓矢振付・演出作品『うしろのしょうめん』に出演した。

壺中の旅を創り、4本連続で壺中天の作品に出てノリに乗ってた時の大駱駝艦発刊紙『激しい季節』への寄稿文でした。

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2001年9月〜11月のメモより抜粋、加筆、改筆。photo by Koh Maizawa.
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2019年07月15日

死と不在

ドイツへの旅まであと1週間になりました。

今回のドイツツアーではノルウェーに足を伸ばしてみようか。

寛容政策の国、ノルウェー。一体全体待ちうけているのは、どんな国なのか。

寛容政策のパイオニア・オランダは、移民との溝が埋まらず国民不満の隙をついて新極右勢力が台頭して混乱してきているようです。

どこの国でも半分ぐらいは保守的な差別主義者がいるので、なかなか如何ともしがたいものがあったりして難しい。

ちなみに後輩の田村賢二がノルウェー人の女性と結婚してたな。確か寿司屋をやってた。

サーモンが豊富に獲れるので醤油とわさびがあればいいのか。持って行こう。

あとは『ノルウェーの森』。

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ノルウェーの森収録アルバム『ラバーソウル』

到着したら機内でビートルズのノルウェーの森を聞くのです。村上春樹さんの小説の主人公みたいに、到着してシートから立ち上がった瞬間にまるで機内放送のように音楽をスタート。

しかし調べたら宿泊料金が結構高い・・・安くて1泊10,000円以上。ベルリンは1泊2,000円とか検索すると出て来るのに。もちろんドミトリーですが。

こうなったらドイツを重点的に探険しよう。合宿がはじまる前にアウシュビッツには行ってこようと思っています。

しかし、調べてはじめて知りましたがドイツにあるのではないのですね。お隣ポーランドにあります。勉強不足でした。

ドイツからポーランドへと飛んでそこからめちゃめちゃわかりにくいようなので大丈夫か。だいたい現地では“Aushwitz・アウシュビッツ”とは言わないとか。

“Oswiecim・オシフィエンチム”

ヒロシマは都市一つを全滅させた大悲劇なので、土地が少なくてその少ない土地の中に密集して蠢く日本の都市部で、それをそのまま保存するなんて不可能だった。

いまは、清潔な資料館の中の白黒写真や残された遺品からあの瞬間を想像するしかない。

“アウシュビッツはもともとが上部シレジア地方の荒地であったし、ポーランド人の執念そのものの底深さもあって、当時の状況はことごとく保存された。”

作家・開高健さんがその著作『夜と陽炎』にそう書いてます。

噂ではとにかく、当時のそのまま保存された夥しい人骨やお化け屋敷のような雰囲気や感じもさることながら、匂いが強烈らしいです。

膨大な切り取られた髪の毛の匂い、奪い剥ぎ取られた無数の衣服や靴の匂い。

清潔で無味無臭のヒロシマやナガサキとは違う、もちろんVRのようなつくりごとでもない荒々しい全方位での歴史のタイムスリップを体験できる。

怖いなあ。数珠を持って行こう。

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“ARBEIT  MACHT  FREI”とは「働けば自由になれる。」というドイツ語だとか。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 06:45| ブログ?

2019年07月14日

虎ノ穴

2006年3月吉日、壺中天にて向雲太郎の第4作目『舞踏虎ノ穴』麿赤兒総見がおこなわれた。

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公演チラシ。村松君が見て「辛そうなチラシだねえ。」と言ってた。確かに韓国料理屋っぽい。design by Hidejiro Kimura.

4回目だから落ち着いていた。

前年の作品でたいへんな目にあっていたので油断はなかった。

何を言われるかはわからないけれどなんとなく自信はあった。

オープニングの群舞はダンスマスターが松田篤史。男の肉体鍛錬の場を見事に引っ張ってくれてよし。20分間集中して踊りきっていい感じ。

と、フランス武者修行から帰ってきた田村一行先輩がお気楽に登場。

軽い感じで舞台を盛り上げます。笑いが起こって小さくガッツポーズ。

『ベルヴィルランデブー』のサントラで楽しく踊ります。一番盛り上がって悪ふざけみたくなったところで伝説のダンスマスター若林淳がよれよれで登場。

男たちが見守る舞台で孤高に踊ります。

大劇場でひとりソロを踊る幻影の中で虚しく合図を出す。悲鳴のような合図が哀愁を帯びる。

けれど「くすくす」と笑いが起こってよし。滑稽な悲哀が出ればいいと思っていたので狙い通り。

ここまで来ればもう大丈夫。あとは戯作者が登場してソロを踊るだけ。確か麿さんがここでトイレに行ってしまった。もう大丈夫だと師匠も思ったのか。

ソロを踊り終えて終わり。礼はしなかった。だいたい総見ではフィナーレまではやらずに礼の前で終わる。

観終わったあとの感想でまずは褒められた。いい反応は、5年ぶりだったので嬉しかった。

『2001年壺中の旅』の時のように手放しで褒めるという感じではなかったけれど。

「むかいの肉体に対する考えが出ていて面白い。」そんな風に言われた。

そのあと色々と師匠からアイデアをもらって、持ち帰って次の日から連日稽古をしてゲネプロ。

若い頃に「ゲネプロは、本番通りにやるんじゃ。」いうて麿さんに出演者全員が怒られたことがある。

言うてる麿さんは客席にいたりするので「麿さんおらんのに本番通りにはならんやろ。」と心の中で突っ込んでた。

それはさておき。ゲネプロを観終えた麿さんが「白塗りなしでいこう。」と言い出して驚きとともに嬉しかった。

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オープニング:『或る日の虎ノ穴』

壺中天初の白塗りなし公演。「肉体の面白さが消える。」そう言ってた。白塗りをからだに纏うと非現実的に成りすぎるのです。

本番を観に来た後輩・捩子ぴじんが「とうとうやりましたね。」と言ってたのを覚えてる。壺中の旅を一緒に創ってそのあと早々と捩子は独立したけれど俺の苦闘している姿を端から観てたのだな。

大阪公演の時に先輩の鎌田牧子さんが「最初に明かりがついた時に、一斉に観客が身を前に乗り出すのを感じた。」と言っていた。

壺中天での公演を終えて大阪で再演して、そのあとニューヨークでも再演した。

初演のメンバーだった若林淳が大駱駝艦を退艦していたので、兄弟子・村松卓矢に若の役をやってもらった。

若のやっていたことをなぞるのではなく村松君らしさを前面に出した。

けれどあまりいい反応を得られずに、尻すぼみ的にその後やることはなくなった。再演の難しさだな。

淡路島でやるときは初演のバージョンに戻して若林さんに出てもらおう。

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夏合宿生募集チラシに使われたイメージ写真。合宿でもやったのだった。振付は長く金粉ショウでも使っている。
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2019年07月13日

それぞれの性格で

昨日は、奥村勲君の引き取った猫の顔を拝見しにお家にお邪魔しました。

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奥村家にやってきた猫ちゃん。

引越し以来、久しぶりなので忙しくて片付けが終わってなかったら手伝う気満々で伺います。

雨の中、カッパを着て自転車で走ります。「雨を厭わずに訪れてくれるのが真の友である。」という何処かの言葉があったような。

家から自転車で30分ぐらいか。のんびりと遊歩道を走ります。BGMはitunesのシャッフルです。

「自転車が撤去されるかもしれないので“訪問者”ステッカー貼るので下に着いたら電話ください。」いうてメールがあったので電話します。

「自転車で来ました。」告げたら「“来客”いうてステッカー作ってくれました?」言われてびっくり。いま見たらメールもらってました。

部屋へと入ったら綺麗でまたびっくり。いよいよ最終形になったようです。そして1週間に1回掃除機をかけるとか。素晴らしい。

猫が落ちているものを食べたりするので綺麗にしてるのだな。

さて、奥村君の同居する猫はオスで名前は“千太郎”です。3歳だというので人間だと30歳ぐらい。30歳のおっさんと50歳のおっさんの同居のはじまりです。

病気で片目がよく見えないそうです。そんな猫を選ぶところが奥村君らしい。茶と白のぶちです。

そんな千太郎は、最近お気に入りのベッドの下へと入ってお休み中で姿を見せてくれません。

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膝にのる千太郎君。photo by Isao Okumura.

目的の猫さんが姿を見せないので、譲渡会での話しをしてくれた。

「何故猫を飼いたいのか?」いうて質問をされたので、愛されなかった子どもの頃の生い立ちから話したようで、聴いていると真摯で熱意が伝わってくる。

しかしそこは役者さん、お芝居も入っているのかもしれない。しかし一流の役者さんだからこそ、そういうときは芝居をしないのか。

もう膝には乗ってくるようで羨ましい。

うちの飼い猫“もこにゃん”はいまだに誰の膝にも乗りません。娘のことが大好きで近寄るだけで「グルグル」いうてます。羨ましい。

俺にはいまだ警戒心があるようで心を許しません。近寄ると「さっ」と逃げます。

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玄関で大好きな人のことを待つもこにゃん。

淡路島の“鼻クロ”はカリカリをあげても5メートル以上離れないと食べません。警戒心が非常に強い。見習いたいものです。

新宿なんて歩くときは常に用心してないと、いつなにが起こるかわかりません。後ろから突然刺されるかもしれない。

それはさておき、猫にもそれぞれの個体差や性格の違いがあるのです。

普段とは違う声が聞こえるので、出るに出られなくなってじっとしていたのか。そんな千太郎に気を使ってあまり長居はせずにそこそこの時間で退出。

結局、帰るまで千太郎君は顔を出してくれませんでした。

それにしても環境といい猫といい、運勢が良い方向へと完全にシフトチェンジした感じがします。あとは役者で売れるだけ。

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2019年07月12日

スローなブギにしてくれ

いま日本国には、40歳から64歳の引き篭もり者が61万3千人いるそうです。by 内閣府 2019年3月。

「私の推定では、この二倍いるはずです。日本全国には二百万人以上の引き篭もりがいて、その半数が中高年だと確信しています。」

20年前に著書『社会的ひきこもり』がベストセラーとなった精神科医の斎藤環さんは言う。

一日に家から一歩も出ない状態が半年以上続いている人が、約9万人。

家の中で何をしているかにもよる。一日中、本を読んでいるのは良いような気がする。知的、引き篭もり。

一日中、ゲームをしている。

これはWHO認定の病気です。実際ゲームの依存症は世界中で問題になっています。他に一切、何もやれなくなるらしいです。怖ろしい。

一日中、部屋にこもってインターネットをしている。これはどうなのか。底暗い病んだ精神を感じる。

一日中、坐禅を組んでいる。これは達磨さんですが別になんの問題もない。足が痺れて腐ってくるので気をつけましょうましょう。

一日中、部屋でテレビを見ている。

これが一番多いのか。暗い部屋でテレビだけが明るく光って笑い声が部屋に響いているが、観ている人は能面のような表情というイメージ。

テレビに突っ込みを入れまくってれば大丈夫な気もするが・・・

男性というイメージが強い引き篭もり。お国のために一生懸命、額に汗して身を粉にして働いてお金は十分あるけれどやることがなくなって家に引き篭もる。というイメージ。

だけど実は女性も多くて内閣府の調査は、一概的でサンプルも少ないようです。

西洋的ないまの家の作りにも問題がある。昔の日本の家屋は簡単に戸が取り外せて、風通しが良くて引き篭もりなんてできようがなかった。

さて、何度も記していますが身近に閉じこもっている人がいたら、一緒に悩んだりなんかしたらいけません。

出て来たくなるようにすれば良いのです。放っておいて楽しくわいわいお酒でも飲みましょう。

とか記してるけれど100万人いたら100万通りの事情と状況があるだろうし、それこそ一概には言えない。

こころの問題の場合と、からだが理由の場合もある。出たくても出れない状況や状態だったり。

それにしても、何百万人をも置き去りにしてしまう日本という国家。そんな国は、なんのために存在しているのだろうか?

そして人間、何がトリガーになって凶行に及ぶかはわからないのです。

魔に飲み込まれてしまう前に何とかしよう。被害者になる前に、加害者になる前になんとかしよう・・・

この世界は、テンポが速すぎるのです。

スピードを落として、ゆっくりと生きろ人生。

そうすれば、何百万人も置き去りにしてしまうこともない。急ぐな慌てるなもう少しゆっくりと。テレビを消してローソクを灯してごらん。

気持ちも変わるってもんだぜ。

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未来もいいけど、今この瞬間も大切にしてください。photo by Google.
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2019年07月11日

巨星墜つ

ジャニー喜多川さんが亡くなられました。

87歳か、長生き。人生100年時代だからまだまだこれからだったとも言えるのか。

ジャニーズ帝国がこれからどうなっていくのか。当分、ワイドショーはこのニュース一色でしょうね。

それにしても一代で、あそこまでの大帝国を築いて偉大だと思います。

そして大好きな美少年に囲まれて、さぞかし素晴らしい良い人生だったと思います。

麿さんがジャニーズ事務所の忘年会に招待されて行った時。

ジャニーさんが何処にいるのか探してたら、下足番をしていたのがジャニーさんだったとか。

昔の劇場などではよくあることですが、いちばん偉い劇場主自らが下足番を務める。

そこで「この役者は礼儀正しくていいなあ。次はいい役をやるか。」とか「こんな靴の脱ぎ方をするようじゃあこの役者はダメだな。次は使わないでおこう。」とかじっと観察をしている。

相手が偉い人だからと媚びるように接して、下足番だからとぞんざいに接するような人。そんな人間の姿をしっかりと観ている。

あんな巨大なグループを率いていたカリスマです。

もちろん才能もあったのだろうけれど、そういう一歩引いて人間を観る眼があったからこそスターを沢山輩出することができたのだろうなあ。

しかし、キラ星の如くいたであろうアイドルの方々ではなくて、ジャニーさんを探すところが麿さんらしい。

とにかく目立たないように裏方に徹する人だったようです。

そして、なんでも自分でやってしまう人だったとか。

車の運転はもちろん自分、新幹線のチケットも自分でとる。皆んなのチケットも知らない間に手配して買ってあったり。

“プロデューサー”とタレント皆んなが敬意を込めて呼んでますが、生まれながらのマネージャー気質なんだな。

「ユー、やっちゃいなよ。」「ユー、最高だね。」「ユー、どうしたの?」所属タレントの全員を「ユー」と呼んでいた。

ジャニーズ事務所担当記者が理由を聞くと

「ウチは大勢いるでしょ。もし間違えたり、思い出せないでいたら相手はきっと悲しむ。だから平等に“ユー”って呼ぶことにしたんです。」

芸能界の大立者だけどいつも謙虚で腰が低かったとか。50歳も年の離れた記者にも丁寧語で話す人だった。

とにかくタレントの側に寄り添い、タレントのために生きた人生。

思いやりと気配りの巨星、ナチュラルボーンマネージャー・ジャニー喜多川さん。一度お会いしてみたかった。

ご冥福をお祈りします。

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1973年9月、テレビの収録中に頭部を負傷した郷ひろみを病院で看病するジャニー喜多川氏。photo by 日刊スポーツ。
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2019年07月10日

まだまだもっと

娘はいま中学3年生ですが、学業優秀でずーっと学年トップを独走しています。

朝から晩まで猛勉強をしています。「追われるよりも、追うほうが楽だ。」と言ってます。

完全に反面教師です。「お父さんのように成りたくないから勉強をしている。」

彼女は決められたことをきちんと守るタイプ。こちらは決められたことなんて守ったことがない。どころかやってはいけないこともやってた。

向こうは無遅刻ですが、こちらは毎日遅刻しててなんならサボってた。

そんなやることなすこと正反対の娘が最近、自分の父親を友だちに紹介するのに苦心しているようです。

舞踏家と紹介しても相手は「・・・ぽかーん」としているので、ダンサーと言い換えると「えー、やっぱり優秀な人のお父さんはすごいんだ!」となる。

それが嫌で「小さな小さな、ほんとに小さな会社の社長だよ。」と言うと「えー、社長なんだ、やっぱすごい!」となってしまうとか。

社員二人の弱小団体だとは言えない。なんせ相手の父親は社員何万人なんていう大会社の社員だったりするので。

どうでもいいですが、この肩書というのは本当に下らない。どうでもいいし面倒臭いので舞踏家と名乗っているところもあります。

このなんと呼ばれるかは、やっていることの本質とは関係がなくて大した意味もないのです。

実は舞踏家と呼ばれようがダンサーと呼ばれようが社長と呼ばれようが構いません。

決めつけずにこだわりを捨てて、もっとどうでもよく良い加減に適当に生きるのです。

面倒くさいし下らないのだけど、社会的には大きな違いでダンサーと名乗るほうが仕事が来たりする。

その社会に媚びているような態度が嫌でわざとわかりにくく、一般的ではない舞踏家を名乗っているところもあるのですが。

何度も記していますが、兄弟子の村松卓矢が言うように演出家と名乗ると社会の態度が豹変したりします。

先生扱いをしてもらえたりする。社会的信用度が舞踏家とは雲泥の差。

その兄弟子の言葉の影響で"演出家”と名乗っていたことがありますのでお恥ずかしい。

しかし舞踏の舞台は原則的に振付も演出も自分でやるので強ち間違いではないのですが。

演出が好きというのもありますが、好きとそれで食べているというのは別です。

舞踏の草創期から活躍し続けている笠井叡さんは、ダンサーと名乗っているようです。しかし、もしも亡くなったら新聞は舞踏家と書くのだろうな。

俺が亡くなったら・・・いま亡くなったら記事にもならない。

まだまだ死ねないゾ。

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師匠と笠井さん。撮影は笠井さんの長男坊、爾示君。photo by Chikashi Kasai.
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2019年07月09日

ダラー?

夢と現実、それをつなぐ装置としての脳。

その脳をめぐるお話。

影も影、ほとんど闇に近い世界に旅人がひとり彷徨っていた。

何かを探していたのか、何かを欲していたのか、何かを追っているのか、何かに追われているのか

もうながい間、ずっと前からわからなくなっていた。

頭は重く目はかすみもう歩けない。どこかで止まらないと。

はるか彼方にチラチラする光が見えた。光の中からは沢山の足音が響き、秒読みの声が聞こえてくる。

「ここは天国かそれとも地獄か。」思わず独り言が出た。

すると影がゆっくりとうごき爆音と煙の中からロケットが姿をあらわした。

どこからか声が響く「お急ぎください、時間です。」

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左から、塩谷智司、奥山ばらば、捩子ぴじん、渡邊達也。

夢へと旅立とうとするウサギは、その夢と現実をつなぐ装置を忘れてしまう。それを届けようとする遅刻した宇宙飛行士たち。

男たちはウサギを追って旅立つが、そこはすでにウサギの夢の中であった。

一方、忘れられた脳は、今や夢と現実の狭間をさまよい、また同じように夢と現実の狭間から永遠に出られなくなり彷徨っているハゲのアリスの手の中にある。

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奥が引き戸になっている舞台美術。上の写真は?

男たちは、脳を探していてアリスに出会い脳を手に入れるが脳を手にした男たちもまた、夢と現実の狭間にはまり込んでしまう。

男たちは、ウサギに追いつき時間機械によって現実へと戻ろうとするが、着いたところは南の島の女主人が支配するバナナ王国であった。

そこは一度入ると二度と出られない迷宮。

女主人に微生物に変えられてしまった男たちは、バナナを与えられ再び死への進化を始めるのだった。

旅人は自分から欲して異界へと旅に出た。

帰れるあてなどない旅だったが、帰還を果たせば旅人の人格を劇的に変化させる通過儀礼になるはずだった。

惰性で凝り固まった日常から非日常への指向、ありふれた生の中心部から生の辺境地への興味。

旅立つ理由は様々だが旅人は現実から非現実へ

日常から非日常へ 中心部から外側へ 此岸から彼岸へと旅立ち、ふたたび生還を果たさなければならない。

ばかばかしくも懐かしいこの現実へ。

面白きことなきこの世の中に面白く、面白きことなきこの世の中を面白く。

「そうして彼らは踊りながら家路についた。」

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時間が前後しますが、貴重な舞台写真が東京事務所で出てきたので二作目『ダラーの宇宙』について記しました。って俺は一体、誰に語りかけてるのだろう。photo by Kohji Fukunaga.
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2019年07月08日

上京

回想はさておき。

淡路島の五色町都志を離れました。

ドイツへと行くためですが、久しぶりに一ヶ月以上留守にします。雑草が心配ですが仕方がない。

そして家は人が住んでいないと途端に老いてしまいます。不思議ですが命あるものが脈動しないと死んでしまうのでしょう。

本来なら夏合宿を淡路島でやらなければならないのに、他人の尻馬に乗ってしまって猛省しています。けれども、やると決めた以上は楽しんでやります。

来年は必ず、都志にて合宿をやるぞ。

昨日は、川西に滞在して母親の付き添いで梅田芸術劇場へ。

玉野和紀さんという方の主宰するグループの公演でした。

玉野さんは日本を代表するタップダンサーだとかで、宝塚歌劇団へも指導をしているとか。そういうことも可能性としてあるのか。

舞踏の指導をタカラヅカでやれたらいいなあ。色々と面白いことができそう。そのためにはもっと知名度を上げないと。

途中休憩があったけれど三時間半に及ぶステージでたいへん。歌って踊って観ているだけで疲れた。若くないと出来ないことです。

玉野さんは俺と同世代なのかな。後半フラフラで「えらい疲れてるな。」と持っていたら全国ツアーの千秋楽なのでした。

フィナーレが打ち上げの挨拶みたいになって、感極まって泣く出演者がいたりしてちょいともらい泣き。

内容はザッツエンターテイメントで好き勝手やっていました。でもそれで良いのです。自主公演でスポンサーがいないからこそ気を使わず気楽にやれるのです。

客席は爆笑に次ぐ爆笑でしたが「そんなに面白いかあ。」とも思ったり。内輪受けが多くて心の底から笑えなかった。

タカラヅカのOGが二人出ていて芸達者で、歌も踊りもお芝居も上手くて感心しました。玉野さんのコネクションだな。

2003年から作品発表をやっているとかで16年目。因みに、こちらは2001年から作品発表をしているので18年目。

いつもそうですが舞台は観ていると「何故客席で観ているんだろう。舞台でやる側なのになあ・・・」と悔しく思います。いい舞台だとより強くそう思うのも不思議。

心が刺激を受けるのだな。そして公演をやる大変さも嫌という程知っているので、そんなことも想像してより疲れたりするのでした。

そんなことを思いながら、機械仕掛けの人形のようにヨチヨチと歩く母にテンポを合わせながら劇場をあとにします。

今回、母親は杖ではなくて押して歩く歩行器を使って行き帰りをしましたが、なかなか良好であれなら倒れる心配はないでしょう。

しかし周りとの速度の差がもの凄かった。周りのスピードがあまりにも速すぎるのです。何故あんなに急いで歩く必要があるのだろう。心が急いでいる。

何故か?群衆の心理なのか?わからない。

今日の朝は川西から大阪駅へと行ったけれど、よりスピードがアップしていて皆さん殺気立って行進していました。

こちらは、大阪駅から高速バスで約八時間かけて東京へ。花の都、大東京はもっとスピードが速くてもっと人が多いから目が回るぞー。

嫌だなあ。

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右:吉野圭吾さん、左:玉野和紀さん。吉野さんが挨拶で泣いてた。大変だったのだな。撮影・柴仁人
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2019年07月07日

肉体と物語と試みと

四作目は男だけでやろうと決めた。

兄弟子、村松卓矢は文化庁の在外研修員としてアメリカへと行ってて不在。心の中で小さくガッツポーズをした。

これで村松に気を使わずに男だけでやれる。

一年というのは壺中天に於いては、新作を創るには十分な期間なのだと思う。

一般的には、企画・制作の準備期間としては足りないが場所は壺中天があるので大丈夫、制作体制も整っていて本当に恵まれているのです。

しかしそれに気付くのは独立してからですが。

タイトルは『舞踏虎ノ穴』と11月頃に決まった。だいたい本番の半年ぐらい前に決まれば上出来。宣伝にも余裕をもてる。

「タイトルが決まれば八割できたようなもの。」という言葉があるぐらいでそれぐらいにタイトルに引っ張られるので重要だし慎重になる。

しかしいいタイトルは「ぽんっ」と何の気なしに決まったりする。既にそこにある題名。

逆に難航したものは作品制作に入ってもぐずぐずと内容が固まらなかったりする。

虎ノ穴はその点、早い段階で決まって内容もそれに即して最終的にうまくハマった。

創りながらどういうことなのか?どういう世界観なのか?と突っ込んでいった。

企画段階でのアイデア、安宅や勧進帳よりも虎ノ穴という場所にフォーカスを絞ったのが功を奏した。

日々行われている舞踏の虎ノ穴での稽古風景を活写する。大駱駝艦“壺中天”という稽古場で、もしかしたら毎日行われているのかもしれない架空の激しいようなヘンテコな稽古風景。

ありそうでなさそうという絶妙な塩梅で創っていった。

それまでの壺中三部作とはまったく違う世界観に振れたのが良かった。「ガラッ」と変えるにはまったく違う切り口が必要です。

前年の新国立劇場での『2001年壺中の旅』の再演の時に師匠が「わしの作品もそうだが良くも悪くも物語に寄り過ぎているところがある。」と言っていた。

その言葉を踏まえた上で脱物語を標榜したところもあった。物語よりも肉体により重心を置く。

物語色が強いと肉体が物語に従事してしまうことがあるのです。

徹頭徹尾、からだに重きを置く。そんな一つの挑戦であり試みでもあった。それで果たして作品が創れるのか。それまでとは全然違うので勿論不安もありつつ・・・

毎度のことだが毎日、壺中天に泊まり込んで舞台美術を作ったりしてた。稽古場が既に現場であり本番の場であるというのは贅沢なことです。

寝ても覚めても作品のことだけを考えられる。

独立してから稽古場問題はずーっとつきまとっていました。公共の施設は何人以上とか何時間までとか色々と制約が多くて稽古にならない。

大声を出してはいけないとか演劇の方たちはもっと大変です。東京には公共劇場はもう要らないから公共の稽古場を作って欲しいのです。

容れものばかり作って、肝心の中身を創る場所がないのだものなあ。なんとかしないと。

さて、オープニングは20分間の群舞を試行錯誤しながら創りました。

『海印の馬』の中の“安産祈願”に憧れたものなら一度はやってみたい長回しの男の群舞に挑戦。

そのあと洋行帰りの田村一行という先輩と若林淳という伝説のダンスマスターが登場するシンプルな構成。

そのあとに戯作者としての向雲太郎が登場して終わる。ソロが一つというのも初めてだったのか。だいたい中盤にソロをやって締めにもう一つ踊るのだが。

今回も築山建一郎に音楽を依頼してほとんどを建一郎の曲で行った。それもまた一つの試みだったのか。

そうしてこの作品は、白塗りをしないという麿赤兒演出も加わってスマッシュヒットとなるのだった。

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音響だった我妻恵美子さんが稽古中に書いた虎ノ穴のイメージイラスト。スタッフは稽古中は暇なのです。
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2019年07月06日

3と2分の1

踊りってなんじゃい?何をこれからやっていくのか?何をこれからやりたいのか?

オープニング 号泣するネコ

2005年8月20日 ぴったりした布 布の変化 風呂上がり

ご存知、2パーセントの男の帰還 安宅 勧進帳 虎の尾を踏む男達 虎の穴の尾

やったらあかんことをどんどんやっていい仕事。

10月3日 地獄のロンパールーム

何をやるのか

下らないことをやるにしても、怖いことをやるにしても既成の価値のてんぷくトリオを図るお祭りである。

脱物語

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タイトルを書きつけたノートに娘が落書き。

2005年11月『舞踏虎ノ穴』〜壺穴に入らずんば舞踏を得ず

“虎ノ尾を踏む男達 虎ノ尾を踏み蛇の口から逃れたる心持にて 鹿が出るか、蛇が出るか、馬がでるか”

まずは舞台というものの宿命、逃れられない客との時間の共有、即ち“作品”ではなく“生・ライブ”であるという必然の事実をあらためて強く打ち出します。

自らの舞台を創るうえでの指針として存在する、ニューヨークのホテルで深夜退出際の麿さんの「所詮戯れ事じゃ、魂戯れじゃ。」”SOUL PLAYING GAME”であるという言葉とその考え。

“和して同せず”という日本最古といわれる能の個人主義、舞台上にて己の絶対的な間を持っている個が互いに主張し合いぶつかり合いながらつくり出す一体感。

この三つの事実と指針と構造を背骨に肉をつけイメージを膨らませて、4月新作公演の世界観を創り上げたいと考えています。

そして実験性という壺中天初期の自らのなかでの初発の気持ちを甦らせつつ「踊りとはいったい何なんじゃい。」という疑問に挑戦してみたいと思います。
〜虎ノ穴 企画書より

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鼻にボルトと頭におわんか・・・舞台の簡略図はそのまま活かされた。

オープニング『老松の前、修行する僧の前に現れる闇、あるいは漂着した猿』

2パーセントの男の可能性について

鳥だと信じ飛行訓練に励む羊と尻が三つにわかれた男たちと、鍵盤がねずみで出来たオルガンを叩きのめすミュージカルのパフォーマンス

キャミ一枚で椅子で踊る“ザ・舞踏地獄のロンパールーム”

どもるように踊る、群舞

富樫と弁慶〜演劇スノッブの父とそれを嫌って炭鉱夫になった息子のスケッチ群

“相撲の勝負を大司教が押し出しで制し神の存在が証明されたと宣言する”

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まだだいぶん能の影響が強い。

出演:向雲太郎、若林淳、田村一行、松田篤史、塩谷智司、奥山裕典、渡辺達也、湯山大一郎、谷口哲平、仲林勝司

最初の審判:麿赤兒 最初の舞台に対する価値を判定する絶対的審判者

自分は何を必死になっとるのか?

気楽に華麗に 物語そして作品至上傾向にある壺中天をいま一度見直し、重くなりつつある自分自身のモノ創りへの姿勢も見直す。

肩の力を抜いて愉しんで、もう一発軽く抜いて引いて見つめて新機軸を考え出す。

構造物語り:感じるくらいの簡単な筋。シーンシーンはなんとなく繋がる。

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アイデアの段階は、雑多で色々なイメージがあればあるほど世界が広がる。

肉体を個々が磨き研ぎ澄まし向上させ“創造そのものを学ぶ”場であり「作品を創るとは?舞台を創るとは?おどりを踊るとは何なのか、どういう事なのか?」を問う場。

この壺中天という"舞踏虎ノ穴"で日々行われる問いかけこそ、今回の舞台で問いかけられるものであり、その根幹を成すものである。

“虎の尾を踏む男達”と“虎ノ穴” 虎つながり 虎ノ穴そのものの原典、虎ノ穴の物語をやるのではなくその本質を。

舞踏の虎ノ穴。その虎ノ穴にて何が行われるのか?

舞踏とは何かと問われれば答えに窮してしまいややあって「よくわかりません。」と答え「そのわからないところが魅力であってわかってしまったらもうやめている。」とも答える。

機会があるたびそして常に自問自答するが、それは変わっていなくて変わっていないどころかますます何でもありの舞踏の魅惑的な面白さの虜。

この世界全ての要素を孕んでいて、答えなど無いものだからわからなくて当たり前の舞踏というもののやっぱりそこが魅力であるなあと確信。

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このスケッチは群舞で活かされた。

必死で遊び戯れるとはどんなんなんじゃい。

“能舞台の上のインド人と弁慶とモンティーパイソンと土方巽とタイガーマスクとマルセルデュシャンとドリフとの出会い”

そんな舞台を

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なんだろう?illustration by Kumotaro Mukai.
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2019年07月05日

2パーセントの男

2003年4月『ジャーオデッセイV』の麿赤兒総見。

アムステルダムから来た10人ぐらいの見学者がいて、異様な雰囲気だった。向雲太郎の新作を買いにきていたのか。

通しの前に栄養ドリンクを2、3本飲んだのを覚えている。それぐらいに背水の陣だった。何かの予感だったのか。

通しが終わったあと「コーヒーを苦くしてくれ。」師匠は、そう吐き捨ててトイレへ行った。

精魂尽き果ててやれるだけのことはやった感じだった。へとへとでもう一本栄養ドリンクを飲もうとして誰かに止められたような。

師匠の態度や雰囲気であんまり良くなかったことはわかったけれど、そこまで酷い出来ではなかったように思っていた。

「お前のやっていることは98パーセント間違っている。」

トイレから帰ってきてからの麿さんの第一声だった。

皮を一枚残して一刀両断にされた。

これは、厳しいとかいうような生易しいものではなかった。2ヶ月間の努力と労力の完全否定。

いや完全否定ではない、100パーセントの否定ではない。ここが味噌。

弟弟子の松田篤史が後ろにいて、その瞬間に俺の背中一面に油汗が吹き出てきて驚愕したとか。

俺はといえば、あまりのショックで周りが真っ暗になって視野が本当に直径10センチぐらいになってもう少しで気絶するところだった。

持ち堪えたとは我ながらあっぱれだと思う。そこは30歳の自分を褒めてやりたい。

「楽になりたい。早く横になって楽になりたい。公衆の面前だとか関係ない・・・」

人生であれほどの衝撃はもうないだろう。いや、それはわからないか。人生何があるかわからないから面白いのです。

「無茶苦茶言うたった。」師匠は、そうも言ってたな。

そのあと稽古をしながら色々と一緒に紐解いていくのだけど、とにかく自信がまったく無くなっていたのでほとんど何も答えられなかった。

麿総見が終わって夜の11時くらいだったのか出演者全員に頭を下げて謝った。

「申し訳ない。力不足でした。ごめんなさい。」

今井の敦っちゃんが何か文句を言ってたけれどそれにも答えられなかった。何を言われても仕方がなかった。

それから本番まで毎日毎日針のむしろだった。でも逃げなかった。娘の顔に助けられながら、必死のパッチで稽古場へと向かった。

結局、本番は98パーセントの間違いを残りの2パーセントで全力で救って評判は良かった。内容構成は、麿さんに初めて観せた時とほとんど変わっていなかった。

けれど出演者全員が背水の陣で臨んでいたし、皆んな鬼気迫るものがあったのだと思います。麿さんに見せた時とは別物だったのだろう。

そういう風にあらゆる手段でお膳立てして調整して持っていくのも作家の手腕なのだが、未熟だった。

本番を観にきてくれた辛口の音楽家、千野秀一さんも喜んでくれていた。

麿さんと千野さんと何故か三人でお酒を飲んで「今回ギリギリでもうダメかと思った。」的な話しをしてたら麿さんが豊玉伽藍の時の話しをしてくれた。

借金が3億だとわかってこれから債権者会議に行かなければならない時に、陸橋の上から衝動的に飛び降りようとフェンスを乗り越えた。

「さあ飛ぶぞ。」

その瞬間に会議にいつもくるヤクザたちの顔を思い出したとか。

全員が本当に見事にパンチパーマで、そのパンチパーマを思い出した瞬間に笑いが込み上げてきて爆笑してしまったのだとか。

笑ったら最後、死ぬのはやめて会議に向かったそう。

作品の一つや二つ酷評されたところで本気で死のうなんて思わなかったけれど、3億の借金に比べれば大したことないのです。

サブタイトル通りになんとか生還した2パーセントの男は、タダではこけずにめげずに次の年に新作を創るのでした。

やるな雲太郎。

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一枚しか残っていない貴重な舞台写真。エンディングシーン、寄せては返す波打ち際でステップを繰り返しながら暗転。
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2019年07月04日

三作目

二作目から三作目は3年間も開いている。

処女作から連続で作品を創ったけれど、二作目で辛い目にあってさすがに懲りたのか。

ノートは2003年からつけている。面白いアイデアがたくさん書きつけてあるのに、活かされていないのでもったいない。

数あるアイデアの中から結局は、なぞりの方向へと納まってしまう不思議。安易なんだな。

レクチャーパフォーマンスのアイデアも書いてあったけれど、実現できずに力不足。

さて、三作目ですが女性だけでやることに決めた。

雰囲気をガラリと変えたかった。兄弟子・村松卓矢と、二度と一緒にやりたくなかったのでそこをかわす意図もあった。

いま思えば二作目でそれをやるべきだった。後手後手に回っている感じ。惜しかった。非常に惜しい。しかし人生なんてそんなものか。

初の女性への振付・演出。

結構良い感じで進んで、稽古を妨害する存在もいなくて皆さん協力的でどんどん出来ていく。

オープニングは壺中と同じにしてそれを女性でやってみるという試み。まずこの時点で間違っていた。出発点が間違っていた。

二作目も踏襲しているところがあったのに、またなぞるという愚行。三匹目のドジョウを狙う愚行作戦。楽をしようと思っていたわけではないのだが・・・

軽く考えていたんだな。適当で良い加減だった。

出発点はなぞったけれど、そのあとは当たり前だがそのまま行けるはずはなくどんどん違う世界になっていく。

弟弟子、松田篤史のリップシンクもなぞってしまってこちら苦し紛れでアイデア不足だったか。壺中の旅では「バシッ」と決まったが。

そんで女性独自の肉体とその踊りをわかっていなかった。突っ込み不足と感性の不足。

男性のからだというのは、それだけで馬鹿っぽい。女性のからだは馬鹿にはなりにくい。存在が家を守るとか伝統とかという趣がある。

大駱駝艦女性ダンサーの華、ゴムまり娘・八重樫玲子さんと今はフランスにいる全身全霊ダンサー・小林裕子がサポートしてくれて心強かった。

当時、絶賛売り出し中の我妻恵美子がダンスマスターで絶大なる頼りになりまくった。

八重樫さんのコタツの踊り良かったなあ。コタツの天板を股に挟んで布団を引きずり揺れながら道ゆく。流石の舞踏。

女性の群舞でいままでやったことがなかったけれど、本公演の振付を少し拝借して創るということをやったり。

決して麿さんの振付を揶揄するなんていう意図はなかったけれど、何故かそう師匠に伝わって逆鱗に触れるのだけどまさかそんなことに成るとは思ってもみなかった。

ほんの少しのボタンのかけ違いで、修羅場になってしまうこともあるのです。

若羽幸平、その頃は谷口哲平ですが。も出ていた。何故か?

何か魂胆があったのだろうけれど、覚えていない。けれど確かにぴかりと光り効いていた。俺の分身だと言われたりして。

音楽は初めて依頼した築山建一郎。

それまでもライブペインティングは、一緒にやって気心が知れていたのでかっこいい音楽を何曲か創ってもらった。

建一郎の曲は、ダンサーを踊らせてくれるので踊りを創りやすいのです。

脳も登場させて壺中から続く、三部作的な面持ちになってきて。

さあ仕上げを御覧じろ。

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三作目『ジャーオデッセイV』公演チラシ。design by Hidejiro Kimura.
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2019年07月03日

前提について

今日は新月です。

新月は新しいことを始めるのにいい時、ということで色々と新しいことを始めます。

まずは、ドイツワークショップのカリキュラム作り。

最近は、綿密にカリキュラムを決めることをしませんが、一昔前は緻密に内容を決めてリハーサルまでやってました。

3時間なら3時間、リアルタイムで進行させて内容が行き詰まったら時計も止めてそこで推敲してまた始める。ゲネプロではないけれど一度は通しをやっていた。

そのあとは本番ギリギリまでイメージトレーニングする。最高に楽しく盛り上がるようにイメージをしていく。

そこまでやっても本番はつまるところ即興、臨機応変に対応して面子によっても変化してその瞬間瞬間が最も活き活きとなるように全細胞で全力を尽くす。

というかそこまでやるから、流れや構成を決めてしまって盛り上がりそうなのに終わってしまったり次へと行ってしまったりして勿体無いこともしばしば。

そういう時は反省しきり。

考えていったカリキュラムが「違うなあ。」と思ったら破棄してその場で考える。そこは思い切りよく判断する。

決めていったことにこだわって無理を通すとつまらないし、盛り上がらないのです。逸脱や寄り道上等、時には脱線しまくっても良い。

そういうことも経験なのですが。

一番強烈な経験は、車椅子の全身麻痺の方がきた時のワークショップでした。

考えていたことがすべて通用しなかった。歩けるということを前提にして考えてしまっていた。

立てるということを前提に考えてしまっていた。思慮不足で浅薄な自分に気づかせてくれたほんとうに貴重な体験。

ワークショップでよくやる“半眼”。

目を開けるのでもなく閉じるのでもなくその間、見るのではなく見ないのでもなくその間。

しかし、これもやはり目が見えるという前提でのお話。目が見えない人にとっては半眼もクソもない。

この社会は目が見えて耳が聞こえて立って歩けることを大前提にしていたりする。一歩街へ出ると当たり前のようにそういう世界が広がる。

しかし実はそんな人ばかりではないのに、普段の自分のからだの状況や状態でものごとを考えてしまう。

「障がいがあるというのはハンデではなく前提である。」by Oriza Hirata.

「それがどうした?」とそこから始まるワークショップ。「どうやったら一緒に遊べるだろう。」

ここで重要なのはからだがよくうごくほうが良い。という常識を捨てること。

早く走れるほうが良い、早くうごけるほうが良いというオリンピック的な価値観を捨てること。

もしもゆっくりとしかうごけない人がいたら全員でゆっくりとうごいてみる。早くうごくのが良いという常識を捨てる。

もしも立てない人がいたら全員で立たずに何かをやってみる。立って何かをやるのが当たり前という前提を捨てる。

目が見えない人がいたら、全員が目隠しをしてワークショップをやってみる。何ができるのか?そこからの閃きと創意と工夫とインスピレーションで一緒に遊ぶのです。

その場、その状況でしかできないことをやるのです。思い込みを忘れるのです。常識を疑うのです。

あたまを柔らかく、こころを柔らかくしてこだわりや決めつけを捨てる。

そして前提をなくして考えるという大切なこと。

そのためには、やはり常日頃から前提を疑って本当か?本当か?と疑い続けることが必要なのです。

いまある自分の立場や状況を常に疑う。

本当か?

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疑うことが難しいことほど覆った時に面白い。
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2019年07月02日

コチュウからウチュウへ

第二作目、『ダラーの宇宙』

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宣材用イメージ写真。

オープニング:『お急ぎ下さい、時間です』

暗転。と鳴り響くサイレン、明転すると走っている四人の男たちの姿が浮かび上がってくる。男たちは遅刻しそうな宇宙飛行士であります。

オープニングの男たちの走る群舞は、我ながらなかなかいい群舞だと思います。走る姿というのは見応えがあるもの。

そして踊ろうとするのではなくて、全力疾走している姿という嘘のない肉体は説得力を持つのです。

と、そこからフォーメーションを変えながらジェット噴射で飛んだり馬に乗ったり、車に乗ったり様々な手段で先を急ぎます。

ラストはスローで走る鬼の形相の四人。と暗転、ロケットの発射音からの音楽。スライド。スライドを使うほどの転換でもないのに前作を踏襲してまずは反省。

しかしここは、スライドを手持ちにして時間を長くして見せ場にするように改良します。スライドショーの如く色々なところに照射して見せよう。

と明転したらそこは月面、ウサギが寝ている。

これは田村一行の当たり役で再演も一行に頼まねば。大野慶人さんへのオマージュも込めたシーン。

ウサギの耳をつけた可愛い一行の独壇場です。

と、そこにスペースシャトルが飛んできて先ほどの宇宙飛行士たちがやってくる。

スペースシャトルから一人ずつ現れるのは麿さんの演出ですが、全員が汗だくなので「シャトルの中、どんだけ暑いねん。」音響の故・関克郎さんに笑われてました。

確かに全力疾走した後なので如何ともしがたい。それぞれが自作したヘルメットも白く曇って中が見えなかった。まあいいか。

一行ウサギと四人の儀式のような群舞から、餅つきになって盛り上がって四人はウサギを捕まえてシャトルに戻って去っていきます。

はじめて作曲してもらったミシガン大学音楽教授、エリック・サントスの音楽がシーンを盛り上げてくれます。

そこからクロスで向雲太郎のソロに入ります。

ハゲのアリスです。原爆で髪の毛が抜けてしまって気も狂ってしまった。

このソロでは、引越しの時に麿さんに頂いた脳みそのオブジェを使いました。総見では直接持っていたのを麿さんの演出で透明の板の上に乗せて踊った。

このソロもなかなか良かった。脳無しのソロ。

脳がないのにうごけるのか?とか面白い問題もありながらまだまだ突っ込める踊りかもしれない。

と時間機械男、村松卓矢登場。創作時にずーっとここで止まってた。この辺りから脱線して迷宮へと迷い込んでいきます。

村松の椅子と格闘する力技のソロがあって盛り上がって拍手が起こったり。

そこへ一行ウサギを連れて四人がやってきて、この時間機械男とウサギを合体させる。

そして皆んなで時間旅行の旅に出る。ここの群舞は俺が機能不全に陥っているあいだに勝手にできてました。

「すみません。」

村松曰く「こんなに間抜けな曲は初めて聞いた。」というオーディオアクティブの音楽に乗って踊ります。と到着。

そこは女主人、松田篤史と召使い、田村賢二がいる月光のきらめく庭園。四人は幻想の中をさまよいアリアにのって知恵の実“バナナ”を食べる。

それから女主人に連れられて、全員で何処かへと向かって行進するのだった。いったい何処へ?

行進を止めようとするハゲのアリス。気が完全に狂って取り乱している。右往左往して走り回って皆んなを必死で止めるが止まらない行進。

「行くなー!」

行進する人々。

エリックの音楽で暗転。

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エンディングシーン“マゴットブレイン” 
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 08:36| ブログ?