2021年04月21日

Near by 3rd anniversary

もうすぐこの『ブログ?』なるものをはじめて、3年目が近づいてきています。

50歳はあたらしいことをはじめるのにいいとき。

とばかりに51歳の誕生日に意気込んで開始したブログ?ですが、この3年を区切りに中断しようかと思っています。このところ、なぜつづけているのかよくわからない。

けれどいつやめてもいいし、べつにやめなくてもいい。800文字とかこだわるな、毎日やるとか意地になるな。自然におわりだなというときが来るかもしれない。そのときまでつづければいいか。

単純に日記だと思えばもっと気楽にできるかもしれないと思ったり。

ブログ?の3周年とともに54歳の誕生日も近づいてきました。

54歳・・・

60歳という節目の年齢にはまだまだ届かず、50歳という大台からはだいぶん歳をかさねた中途半端な感じの年齢です。そろそろからだに、なにがあってもおかしくない頃合いに入りつつある。

いま娘が熱中して読んでいるマンガ『宇宙兄弟』に54歳の宇宙飛行士候補が出てきていたけれど、だいぶんくたびれた気の毒なおじいさんのようなおじさんとして描かれていた。

じぶんが27歳くらいで出会ったころの師匠、麿赤兒は計算したら51歳だったらしいけれど、そうとうな年上に感じたものだった。

年齢を重ねるごとにちからが抜けて味がでて魅力が増してくる舞踏の世界とおなじく経年良化といければいいのだけれど、からだだけはあちこちが痛んでくる経年劣化はいたしかたない。

脳や筋肉のおとろえはおどりにとっていいけれど、目に見えぬ内蔵の劣化からはじまって、血管の劣化、細胞レベルでのおとろえは・・・

からだがあればいいんだよ。

それもまたいい味へと転化していけるのか。もういい歳、あんまり意気込まずにのんびり気楽に参ろう。とか思うけれど大人しくなんてなるな。

51歳の麿さんは、病気をするまえで太っていてとんでもなく貫禄があって、いまはさすがに枯れた感じも出てきてらっしゃるけれどギラギラした不良の雰囲気がかっこよかった。

じぶんもまだまだギラギラしよう。

いつもうちがわをピカピカに磨いてドキドキを大切にして生きていかねば いきたい いくとき いけば いこう

そうして、生きてさえいればなんとかなるのです。

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『無題のような』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 11:43| ブログ?

2021年04月20日

いいブレーキ

4月22日に試演会をやろうと思っていたけれど延期です。

残念無念。

まずは湯山大一郎に相談、延期を決定。

アコーディオンを弾いていただく予定だった岡原真弓さんに延期の連絡をして音楽総監督の築山建一郎に連絡をし、招待していたひとたちにも連絡。

全国の都市部の感染者が増えてきて、観客を集めるということが田舎でもはばかれるようになってきた。「東京へ来ないでください。」とまるで意趣返し、仕返しのように都知事が発言、移動を自粛してくださいと言われていたり・・・

理由はさまざまにありますが、いちばんは経済的な理由。じょじょに移動するのもままならなくなってきた。

予算を使い切るのが助成の条件だが、文化庁からの補助金がいまだ支払われていないのです。野外舞台をつくるために必要だったいろいろな買いものが、さきもの取引のような状況になっている。関わってもらったかたたちにも報酬を払えていない申し訳ない状態。

文化庁のサイトにログインしてみると、ずーっと実績報告受付中。

まだまだ確認の作業をしてらっしゃるようなので、人手不足なのだろうなあ。と想像しています。パソナと電通のかたがたが下請けで作業をしているけれど、この騒動のほかの補助金作業も一手に請け負っていて仕事が山積み大混乱。

まったくひとが足らない状況なのでしょう。

都志の残りの工事もしかたなく中断です。あともう少しで細部まで、いよいよ完成だったけれど足踏み。山中材木店さんにも連絡しないといけない。

人生ってのはうまくいかないものだなあ。と思うのと同時に、いまはなにをやるにもむずかしい時代だなあ。と感じます。

しかし、もしかしたらいい“間”だったかもしれない。

3年前から都志にて公演をやりたくて合宿をやりたくて気持ちは走っていたけれど、この騒動でだんだんと出来ない雰囲気になっていった。

もしも順調にやれていたら周囲のかたがたが理解できず、こちらのスピードについてこれなかったかもしれない。

とてもいいブレーキの作用がはたらいているのです。

といいほうへと考えよう。

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街に倦んで夢は舞台をかけめぐる
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2021年04月19日

いのちをまもる交通社会に、2021

2019年4月19日、午後2時ごろ。

千葉県の会社で働いていた松永拓也さんの携帯電話に着信があった。それは見知らぬ番号だった。

不審に思いながら電話にでると相手は警察だと名乗った。

「落ち着いて聞いてください・・・奥さんと娘さんが事故にあいました。」相手は、いま喋っていることが大したことではないとでもいうように冷静だった。

妻の真菜さん(当時31歳)と娘の莉子ちゃん(当時3歳)とは、昼休みにテレビ電話で話したばかりだった。ふたりは自宅から池袋の公園へと遊びにいっていた。

真菜さんのそばを離れようとせず、母親にじゃれつく莉子ちゃんの愛らしい姿が目に焼き付いていた。

「命はあるんですか、生きてるんですか!」松永さんは必死でたずねたが電話の相手は「危ない状態です。とにかく来てください。」と詳しいことをいわず、ただ繰り返すばかりだった。

ただならぬ雰囲気を心配した上司につきそわれて会社を出て駅で電車を待った。電車に飛び乗りスマホをひらくと、ネットニュースの見出しが目に飛び込んできた。

“池袋にて車が暴走。12人が重軽傷”  “親子とみられる女性と女児が心肺停止”

ひざがガクガクとふるえて背筋に汗が吹き出てきた。立っていられずにその場に座り込んでしまった。

「嘘だろう・・・いやいやそんなわけはない、ひと違いだ。」

スマホを閉じると、なんどもなんども首を振りながら目をかたくつぶって祈りつづけた。「どうか無事であってくれ・・・」

病院へいくとふたりとも亡くなったと告げられた。

即死であったという。夢ではなかった。その場に崩れ落ちると号泣した・・・

落ち着いてから松永さんは、妻と娘が安置されている病院の一室へと向かった。そしてベッドの上に寝かされているふたりと対面した。

傷だらけの真菜さんと、顔に布をかぶせられた莉子ちゃんが横になっていた。莉子ちゃんの顔にかぶせられた布を取ろうとすると「見ないほうがいいです」と看護師に止められた。

真菜さんと出会ったのは2013年の6月、沖縄。一目惚れだった。

2016年1月11日、莉子ちゃんが誕生。幸せな生活のなかでの突然の暗転だった。

事故のあと1ヶ月ほど休職した松永さんはどうしていいかわからずに、気がついたら事故現場近くの公園のベンチに何時間も座っていた。「死んだほうがましだ」

生きる目的を失ったのだ。ふたりはすべてだった。いつも3人だった。

この先なにをして生きていけばいいのか。この先なにをすべきなのだろう、どうやって生きていけばいいのだろうか。

事故を起こした運転手を憎み恨み、考えは堂々巡りをつづけた。

しかし憎しみは被告を思うことに時間をつかっている。そんなことよりふたりへの愛と感謝で、こころを満たしたいとの考えに至ったという。

松永さんは2020年4月16日に実名を公表し、ふたりの死をむだにはしたくないとの思いから「誰にもこんな思いをさせたくない」と事故防止のための活動をつづけておられます。

今日で事故から2年、合掌。

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松永さんは写真と動画も公開されている。事故の半年ほど前に撮影された写真。「みんながいつもの自然な笑顔で、いちばん好きな写真」

参照・引用:2020年3月15日 毎日新聞『ストーリー』取材:山本有紀 / 2020年4月16日 朝日新聞デジタル
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 11:06| ブログ?

2021年04月18日

にんげんゆうせん

痛ましい大津の事故からもうすぐ2年、池袋暴走事故からも2年・・・

東京では人間よりも車が最優先です。

「車を運転しているときに横断歩道を渡ろうとしているひとがいますが、停車するべきか・・・」交通ルールでは「停車する」が正解。

しかし東京にいて横断歩道で車が止まるなんて、まずありえない。たまに止まってくれたりしたら挨拶してから、珍しいので「どんなかただろう」と顔が見たくなります。

これは地域によって違うみたいで、長野県では横断歩道にひとがいたら止まるのが常識で停車する運転手が68.6%。100年かけておこなっている教育の賜物だそうです。子どもの頃からそういう教育をしている。

東京で停車する運転手は5.8%で1割以下。

子どもたちに「車の往来がなくなるのを待ってから横断歩道を渡りましょう」と東京では教える。

そんな教育を受けていたら大人になって車を運転するときに、ひとがいたら向こうが止まるべきと思うのは当たり前です。

大人たちがつくり出してしまった車優先の社会。

ヨーロッパでも違っていて、運転中に横断歩道では歩行者を優先する傾向が強かったのはフランス、スウェーデン、ドイツ・・・

ドイツのハノーバー市の中心部には、車が入り込めない人間優先区域がつくられているとか。そこではみんなが安心して買い物や散歩を楽しめるという。

1990年代に車社会化が一気に進んだ。

郊外にアメリカ型の巨大モールができ、みんなが車でそこへと大挙して行くようになり地元の商店街は閉店が相次ぎとうとうシャッター街になってしまった。

歩いて買い物に行ける店はなくなり、高齢化社会になったいまはそのつけが回ってきている。いま淡路島の洲本も都志もおなじ状態です。

車優先は高度経済成長時代だったからこそ、低成長で人口が減少しているいまは違ってきていて速く早くと先を急いだ時代が終わりを告げて、人間を優先する時代が幕を開けている。

いま車優先の社会を見直す大きな転換期にきているのです。人間優先の社会とはひとが安心して歩くことができる社会・・・あまりにも車優先が当たり前になっていて想像できない。

けれども子どもは人類の未来、流通のスピードよりも掛けがえがない最優先で守るべきいのち。

それだけは確かなのです。

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『模写2021.4.18』

参照:2020年2月11日 朝日新聞 2020年2月12日 毎日新聞
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 12:37| ブログ?

2021年04月17日

ヒンハハホホハフイフフ

東京の街を歩いたらマスク100%。

みんなが揃ってマスクをしているというみごとな光景。

あー揃っているっていいな、くちもとがあたたかい、耳がしめつけられて心地いい。いちじきから楽しもうとがんばって努力をしているけれど、こころのそこからマスクというものが大好きになりましたよ。

なぜこんなへんてこなことになってしまったのだろうか。

発生源とされる中国は武漢のおかげです。まいにち大騒ぎしておもしろがってネタにしてくれているワイドショーのおかげです。どうしてマスクをしているのか?とか考えずに、ただおなじことをさせてくれる社会からの圧力のおかげです。

おなじことをすることが大好きな日本人特有の民族性さまさまです。都会というすてきな環境に住んでいるじぶんのおかげです。

いろんなことを守りたい、オリンピックを最優先にしよう。医療従事者を守ると言ってたけれど、みなさんワクチンを接種しているのだからもう大丈夫。

おもしろい政策つづきの日本政府のおかげです。病床不足というけれど、それは国がすすめていた政策のおかげです。いつも国の政策の恩恵をうける国民というもの。

ほんとうに必要なとき、もしも体調が悪くてせきが出ていたらマスクをするあたりまえ。誰かと会話をするときはするあたりまえ。大声をだしてつばが飛ぶ状況にあるときはするあたりまえ。

息をしているだけでうつるかもしれない?無症状というやっかいなことがあるからこんなすばらしいことになっている・・・

と自己啓発のように、すべてプラスに変換しようとしたけれど無理があった。

都会ではまた増えてきているとか騒ぎはじめました。増えてきたからどうだというのか。重症者が増えて亡くなるひとが出てくるかもしれないのですよ。

けれども死者数はほかの病気とくらべてどうなのか?インフルエンザでも重症化して亡くなるひとはいるのではないのですか。

なぜこの病気だけが特別扱いされて、大騒ぎされるのでしょうか。

移動を自粛しろと国民に呼びかけるいっぽう、この国のリーダーはアメリカへと移動している矛盾・・・

とか考えずにますくますくます。

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『いまのきぶん』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 18:19| ブログ?

2021年04月16日

黒い女神のクニ

「あめりかにー!あめりかにー!」

船の先頭にとまっているカラフルな鸚鵡が叫んだ。

巨大な真っ黒な女神のような像が、たいまつのようなものを掲げているのが見えてきた。

あの像は、むかしは赤かったとか緑やったとか白かったとかいろいろ言われてるわ。ホフムラがのんびりとした口調でつぶやいた。

船はゆっくりとゆっくりと轟音を響かせながら、その大きなおおきな像を見上げるように時計まわりに港へと入っていく。シンイチは船の上から陸地を眺めた。

見たこともないようなライトの数々があたりを照らす。まぶしくて目が痛いくらいだ。そのピカピカなライトの明かりのなかで、帽子をかぶったオニたちが陽気に忙しそうにはたらいていた。

はたらくようなオニは下等なんだ。ブダマツが目を座らせながらつぶやいた。

岸壁へと、雄大にズシンと接岸すると太いロープが投げられて結えつけられる。

汽笛が鋭く鳴って、大勢の黒いひとびとが船からのろのろと下りていく。ボロボロのまま下りていく。ほとんどのものは血で薄汚れた包帯をしている。片足で松葉杖のもの、腕のないもの、内臓がはみ出てそれを引きずっているものまでいる。

オニたちはニヤニヤしながら軽蔑のまなざしを投げかけてくる。シンイチは耐えられずにブダマツの陰にかくれた。

またグラグラのはしけを通って船から下り、長い列にならびノロノロと進んでいく。

まずはひとりひとりの身体検査があった。かかりのオニたちにからだのすみずみ、お尻の穴まで調べられる。とにかく疑われて徹底的に調べられた。這々のていでそこを通過すると、そのあとは厳しい取り調べがあるようだ。

5人はお白州へと通された。

真っ白な砂の上にむしろのようなものを敷いたところに座っていると、にょーやまのしゃいもんのほじょうしゃま、おにゃーあーにぃー。

間の抜けた声がどこからか聞こえて、へんてこで調子っ外れな拍子木の音が鳴った。

すると奥から、ちょんまげのかつらとカミシモをつけた赤いオニがおずおずとあらわれた。

シンイチは白州に座ってその滑稽な姿を見ながら、なんだか馬鹿にされているような気分になったのだった。

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『女神のような黒い像』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 15:25| 小説のようなもの

2021年04月15日

奇跡の人類2021

昨日は娘の誕生日。

17歳になりました。

あと3年で一緒にお酒が飲めるのか・・・あっという間です。

生まれたのは夜中、じぶんは病院で出産に立ち会いました。

立ち会ったけれど、この世に出てくる瞬間は反対側にいて見ることができなかった。少し残念だが回り込むのは、はばかられるような切迫した雰囲気があった。

産まれ出てきて持ち上げられたのは、紫色の物体だった。

産道を無呼吸で通って出てくるので酸欠状態なのです。子宮にいるときは、胎盤から直接に心臓と脳に酸素が送られてくるそうです。肺はまだ使っていなくて、水がひたひたに染み込んだスポンジみたいな状態。

陣痛のストレスで赤ん坊は肺呼吸の準備に入り、狭い産道を通ることで肺から水分が出ていく。

そうして産まれたら水を吐き出して息を吸う。その瞬間、紫色だった顔が一気に真っ赤になる。これは実際に見ましたが劇的だった。

2004年4月14日1時28分。

「おみゃーおみゃー」と子猫みたいな鳴き声をあげて無事に誕生。

下の階で待つ、義理のお父さんとお母さんに報告にいったのを覚えている。なんだかふわふわとして足が地についていないような不思議な感じだった。

妻から聞いたところによると、産まれてすぐ3時間おきに母乳を与えてたとか。

助産婦さんが赤ん坊を連れてくるのだけど「そんなにすぐ母乳なんか出るか?」と思っていたらすぐに乳が張りだして、かちかちになってめっちゃ痛くなったとか。

人間のからだってのは、ほんとうに不思議。

だいたい人類の何億年もかけておこなった進化を、胎児は十月十日でやってしまう。これまた不思議です。

さらに着床に至るまでも凄まじいドラマがある。

人類がひととして生まれてくる確率はほぼ奇跡、400兆分の1とか年末ジャンボで1等に当たるよりも200億倍難しいとかいろいろと言われています。

箱の中に壊れた時計をいれて振ったらもとに戻っている確率・・・

この世に生まれたというだけでたいへんなことなのです。そして何もしなくても、そのままで既にとんでもない作品。

舞踏ではそういいます。

そんな奇跡に遭遇した日なのでした。

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こんな時ですが、いやこんな時だからこそできる限りでお祝いをした。と、まさか去年とおなじような状況とは・・・
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 13:54| ブログ?

2021年04月14日

アコーディオンを弾いていただく

一昨日は今回の上京の目的のひとつ。

オペラシアターこんにゃく座の歌役者、岡原真弓さんとの打ち合わせです。

電車はまあまあの混み具合。

途中、新宿を通ったら人間が異常なぼどたくさん集まっていて、まるでお祭りのように混雑してて、ひととひととの距離がとんでもなく近かった。

聖火リレーで観衆が集まっているとか騒いでいるけれど、新宿、渋谷、六本木などでは毎日人間が集まっている。ほんとうに本気ならば、そちらをなんとかしたほうがいいのでしょう。

とか思ったりしながら、ひと混みのなかを歩きます。

最寄りの駅で降りたら住みやすそうないい感じの下町。歌役者さんのつつましい暮らしを想像していたら、まったくちがう豪華なマンションでおどろき。部屋も新しく広くてまたまたびっくり。

ピアノのある稽古場でアコーディオンを弾いてもらい、贅沢だった。

『春の海』という曲は、お正月にお琴と尺八で演奏される有名な曲。オープニングに演奏してもらったらおもしろそうだけど、どうだろう。

つづいて演奏してもらった『チャルダッシュ』がイメージに近かった。

ドレスを着て大野一雄さん風に踊ったら似合いそうなエキゾチックなアコーディオン曲。冨永美夏さんにブルーの衣裳を依頼しようと思いつく。頼まねば・・・

『カチューシャ』という曲はロシア民謡でコサックダンスのイメージ、途中なんちゃってロシア語で歌をうたっていたのがさすがだった。まずは岡原さんがソロでカチューシャを演奏して歌い、つぎにじぶんが出てきてチャルダッシュでおどるのがいいかもしれない。

『剣の舞』はエンディングで観客のみんなも輪になって踊ったら、映画のラストみたいになっておもしろそうなので、そんなことが可能になったあかつきに実現させましょう。

『チリビリビン』という曲は岡原さんが小学6年生でアコーディオンの日本一に輝いたときに演奏したそうで、年季が入っている感じだった。

林光さん作曲の『旗はうたう』は湯山が好きそうだったので、こちらもいつかやりたい。歌詞がだいぶん政治的なので今回は敬遠。

『結婚のうた』は喜劇を標榜する淡路舞踏社の舞台で、いつか是非演奏していただきたい。

とか、たいへん参考になって感動。

「ありがとうございました。」

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『そのときを待つ楽屋のれん』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 08:02| ブログ?

2021年04月13日

The anniversary of Tetsumori Yuyama's death

昨日、4月12日は湯山大一郎のお父さま、湯山哲守さんの命日でした。

じぶんは、自宅にて人間らしい最期を送ることができるか?

お母さまからいただいた手紙を読み、お父さんの最期のときのことをいろいろと知って考えさせられた。

京大の学者であった哲守さんは、もともと専門としていた物理学のことはもちろん、あと3つのことを生涯かけて追いかけて研究をされていた。根っからの研究者だったのだな。

病魔におかされてからは、持ちまえの楽観性と科学的な視点にささえられながら、明るさとユーモアとやさしさがある闘病生活を送られたそうです。

お母さまはそんな旦那さまを「根っからの明るいひと」と思っていたが、最期の日々をともに過ごされてじつは苦痛や不安はけっして誰にも見せず、ひとりで引き受けていると気づいた。

それはお父さまのプライドであり、まわりのひとへの思いやりでもあった。

急激に病状の悪化した12月8日の直後から、一番上のお姉さんが「お父さんの最期を、仕事の片手間に看取りたくない」と介護休暇をとって献身的にお世話をしてくれたとか。

4月9日に「いよいよ僕もご臨終です」と笑顔でみずからを診断。じぶんでそんなことがわかるものなのか・・・ひとというのは不思議です。

4月12日の午後、パリから帰国された二番目のお姉さんの「お父さん、ただいま!」という声にうなずき、ホッとした表情をうかべると同時に呼吸が荒くなった・・・

誕生日だったお姉さんのためにみんなでハッピバースデーを歌う。こんにゃく座のひとたちもよく病室で歌ったりしているけれど「歌っていいなあ」と思うのです。

3時間後、長男の大一郎に背中をささえられて起き上がり、眼鏡をかけ、眼を大きく見開き、無言で、ひとりひとりの顔をゆっくりとみつめ、そうして息を引き取られたそうです。

享年75歳。

お母さまが数日後、ベッドの下から遺書を発見。その最後にお父さまから、子どもたちへ向けたことばがあった。

「良き友人を作ること、そしてそのひとを尊敬すること。次の格言をかみしめてほしく思います」

『艱難は共にできるが、冨貴は共にできぬ』

合掌

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お父さまとお母さまが出会われた京大まえの銘菓『ときわ木』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 15:41| ブログ?

2021年04月12日

儀式からの移動

昨日は朝から近所のお寺へ。

本尊の11面観音をお招きしての密教儀式に参加です。

弘法大師、空海が中国で伝授されて持ちかえり、そこから1200年つづくほんものの真言密教の儀式が眼の前で展開された。

参加者全員で真言を唱えたあとは、松ちゃん好みのいい男さんな住職のありがたいお話し。観世音菩薩がいま衆生を救いつつ修行中で満了すると菩薩から如来になって、釈迦如来についでこの世にあらわれるそうです。

そのあとは完成した舞台にこころを残しつつ移動。首都の大騒動を約1週間観察しつつ、岡原さんと打ち合わせです。都志で必要なものもいろいろと買おう。

キラキラひかる播磨灘を眺めながら海沿いをバスでひた走る。天気がいいので、かぎりなく気持ちがいい。

明石大橋を渡ると灰色の大都会へとはいっていく。

いつもながらみどり豊かな淡路島との圧倒的なコントラストに、不気味なものを感じる。

自然を破壊し尽くしてアスファルトとコンクリートで覆い尽くし塗りかためて、おごり高ぶりいい気になっていると大自然に復讐されて無力さを痛感するのです。

新幹線に乗ってもごみごみゴミゴミしたつまらない街並みに呆れてうんざりする。こんなところにうごめいているからすぐに病気になってしまうのだろうなあ。

と田舎から来るとわかるのだけれど、いざこのごみごみに呑み込まれて紛れ込んでしまうと、それがすべてのように麻痺して誤解してしまう。

なぜこんなところに住んでいるのか、いや、まんまと誰かに住まされているのかもしれない。

京都から岐阜にかけての道中、何度か見渡す限りの田園地帯を通ってほっとする。まるでトトロの世界のような鎮守の森に鳥居が立っていたりして癒される。自然と共存している人間の姿を見ると素敵だなあと思う。

それがいいのだ、そのほうがいいのだと感じる。

人類はもっと謙虚にならないといけないのです。

静岡から名古屋にかけてもみどり豊かな山々の景色がたまにあって美しい。しかし人間というのはどんなところにも住んでいるので驚きです。

そういえば、飛行機に乗っているときにシベリアあたりで真っ白な世界にぽつりぽつりと窓から明かりが見えたときは、人間の逞しさを感じた。

とか思いだしていたら何度もトンネルを抜けて、あっという間に伊豆、横浜。

そして品川。

マスク100%の異常な世界を田舎者らしく、マスクもせずにのうのうと闊歩して帰宅したのでした。

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『湯山が置いていったTシャツのタンタンイラストを模写』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 09:19| ブログ?

2021年04月11日

レジデンス施設併設の稽古場完成

淡路島五色町都志の野外舞台が完成しました。

構想、3年・・・

去年の秋頃に文化庁が継続支援事業なるものを募集していると知って、なにで応募すべきか思案。

感染症で仕事がなくなった舞台人を支援するという事業なので、映像をつくるというのがほとんどのようだった。

しかし、映像は編集するひとの作品になるので、舞台作品とは似て非なるもの。舞台はなまで観ないと伝わらないとの信念ももっているので、どうするか考えつづけた。

都志にいて、ある日庭を見ていたらそういえば「ここに舞台をつくりたい」と、ずーっと考えていたことを思い出した。

いま都会の劇場や稽古場が苦心しているのは、閉鎖的な空間でのひとの密集や空気の換気。もしも野外ならば、開放的だし空気の換気も必要ないのではないか。

「庭に舞台をつくって野外稽古場にすれば、今後も活用できるのじゃあないか。」

ひらめいてすぐに湯山に連絡、予算内でつくれるかどうか相談。「なんとかやれるのではないか。」と、この企画で文化庁へと申請することに決定。

締め切りギリギリのタイミングだったけれど滑り込みセーフ。

採択されて、今年の1月から事業スタート。

本格的に地鎮祭をやり、プロの建築家に設計を依頼して指導を受けながら基礎を築いて、プロの職人さんに少ない報酬で申し訳ないが仕事をしてもらった。

じぶんも毎日労働したが、なんと事業の申請者は一銭も報酬をもらってはいけないと知って愕然。

そんな馬鹿な話しはないと、腹が立って文化庁に電話して理由を聞いたら「理由はわからない」と答えられた。しつこくたずねたら、本人だといろいろ不正が・・・というようなことを匂わされた。

それは「じぶんたちがやっていることだから、他人のことも信じられないだけでしょう。」しかし「あなたに言っても仕方がない。」電話を切ったがまったく納得がいかなかった。

不服です。

ですが仕方がないとあきらめて毎日まいにち、朝から晩まで働いてやっと舞台が完成。

「お金ではなく、何かが手に入ったのだからそれでいいだろう。」

そんな国の言い分からすれば、この野外舞台をつかってこれからじぶんで稼げとなるのだろうけれど、ここを有料で貸すことはしません。

じぶんだけで独占するなんてケチくさいこともしない。

これからパブリックなひらかれた場所に育てていき、合宿もできる創作の場にするぞ。

こうなったら意地なのです。

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完成した舞台で、からだをうごかす職人さん。
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2021年04月10日

41歳の春だから

一昨日、4月8日は仏教の日でした。

なぜ仏教の日なのかというとお釈迦さまの誕生日だからです。

キリストの生まれた日は大々的にイベント化しているけれど、ブッダが生まれた日はお寺で祝うだけです。せっかくだから商業と結びつけて盛り上げられたら・・・

不謹慎だと怒られるか。

精進料理を食べる日にするとかどうだろう。それだったら信者も怒らないかもしれない。動物性のものを口にしない日が、一年に一回ぐらいあってもいいかもしれません。

お釈迦さまは、いまから約2600年前にルンビニー、現在のネパールで生まれた。

1896年に考古学者のフューラーが、アショーカ王が建てた石柱を発見。その碑文には『ここが釈迦生誕の地である』と記されていたのです。

生まれてすぐに東西南北に7歩ずつ歩いて、右手で天を、左手で大地を指さして「天上天下唯我独尊」と言ったとか。

そんなわけはないけれど伝説だからいいのです。なぜ7歩かというと六道すなわち地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天上界、この六つの地獄からさらに一歩踏み出すということ。

人間に生まれた目的は、この六道から出て真のしあわせになることにある。

天上天下唯我独尊は「おれが一番だぜ」ということではなく“我”というのは、わたしたちということで「ただわたしたち人間にのみ成し得る、たったひとつの尊い目的がある」との教え。

わたしたちのいのちに差別はなく、皆、平等に尊いのです。

もともと釈迦族の王子さまだったその子どもは、成人して29歳で出家。さまざまな修行をし6年後、煩悩を断ち切り覚醒し悟りをえてブッダになった。

それから45年の長きにわたってインド中を歩き回って、人々に教えを説いてまわる。

最後はクシナガラの沙羅双樹の樹の下で涅槃のポーズにて入滅。享年80歳。

死因は毒キノコ、マジックマッシュルームを食べたことと伝わるから、最後は素敵な幻覚を見ながら亡くなったのかな。

その後、インドでは仏教はヒンズー教に吸収されたが、中国に伝わり日本へと渡った。さまざまな分派が進んでいろんな宗派があらわれたけれど、つまるところの教義はやはり釈迦の教えです。

真言宗徒であるじぶんは毎日、真言を唱えています。

真言には仏の誓願がのべられています。

仏教はもともと世界平和や人々の健康などを願うものではないですが、そんな気持ちも込めつつ祈ります。

「願わくはこの功徳をもってあまねくいっさいに及ぼし、われらと衆生とみなともに佛道を成せん。」

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そうして4月9日は湯山大一郎の誕生日だった。「おめでとう」
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 08:16| ブログ?

2021年04月09日

船着場から

シンイチが間一髪、なんとか切り抜けて黒幕のなかにはいるとカミソリとイナズマが待っていた。

危ないところやったな。

カミソリが言うと、まあまあまあ、とイナズマがチャラい感じでたしなめた。

そのあとはホフムラが悠々とあらわれて、ブダマツも余裕の感じであらわれた。

さあ、行くか。ブダマツが先導してすすんでいく。ここからはシンイチにとっては未知の世界だ。

相変わらずオニたちが銃をもって立っているが、先ほどまでの緊張感はなかった。しかしオニというのは、なぜあんなに敵意をむき出しにしているのだろう。こちらは無防備で無力だというのに。

たてものから外へとでると河のほとりに船着場があって、船が泊まっていた。けっこう大きな船で100人ぐらいは乗れるのだろうか。

グラグラのはしけを通って船へと乗り込む。

やがて凄まじい音をひびかせながら船がゆっくりとうごきはじめる。

岸壁をはなれていくときに、河原で石を積んでいる子どもたちのすがたが遠くに見えた。あいかわらずオニがうろうろして石を蹴り飛ばしていた。

その理不尽なおこないを眺めているうちにシンイチは腹の底から怒りが湧いてきて、我慢できずに河原に向かってちから一杯に怒鳴った。

なんだか一瞬、あたりが白く光った気がした。

船のなかの黒いひとびとはなにごとだとこちらを見たが、ブダマツとホフムラは平気な顔で目をつむっていた。

カミソリとイナズマが、まあまあとなぐさめてくれた。腹が減ってるから怒りっぽくなるんちゃうか。カミソリがじぶんの肛門から、昨日のつまみのスルメを取り出してシンイチに差し出した。

シンイチは、さすがに断ったがイナズマがすばやく横取りしてパクリと口に入れた。

スルメやのにクサヤのにおいがするぞ。と言いながらイナズマはうまそうにムシャムシャとスルメを食べている。

シンイチはそのたくましさに感心しながら、こころが不思議に落ち着いてくるのを感じた。

ずいぶんと広い河のようで、対岸は白く煙っていてなにも見えなかった。

これから行くのもオニのクニなのか。そう思っていたら、あめりかにだ、とホフムラが目をつぶったまま言った。

あめりかに?

そうや、あめりかいちとあめりかにがあって、これから行くのは、にのほうや。

カミソリがホフムラのことばをうけて喋った。

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『げんしげんしとつむげんし』
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2021年04月08日

聖火と復興

ああ春の向こうからどっと駆けてきてふくしまの子らがわれの手を引く 齋藤芳生

東京五輪の聖火リレーがなし崩し的にはじまった。

聖火は被災地も走ったようです。

けれども沿岸部にできた最新施設の近くをわずかに走るだけだった。復興した場所だけを見せて、置き去りの地域は見てみぬふりのような感じ。

「新しくつくったとこばっかり走って何がいい?悪いところも発信しろっていうの。自由に帰れない、除染もまだの場所だって多い。ひとの生活を戻すことが最優先でしょ、順番が逆。」

福島県大熊町の帰還困難区域に自宅がある元農家の男性は憤る。

あと1年で保管不能となる汚染処理水を処理しきれない放射性物質が残るのに、国は海に流すことをほぼ決定、地元のかたがたの反対を無視。

核燃料と比べるとはるかに扱いやすい使用済み燃料の取り出しは遅れつづけ、廃炉作業はスタートライン上か、まだスタートラインにも立てていないのが現状。

2021年だった目標は、10年遅れて2031年にずれ込んだ。ただこれもあくまで目標、溶け落ちた核燃料の状態は不明で廃炉の最難関の取り出し時期は未定。

廃炉完了予定は40年後、50年後?このままだと冗談ではなく、あと100年はかかるのかも・・・

困ったなあ。

人類は自分たちでは制御不能のたいへんな怪物を生み出してしまったのです。そしてその恩恵を受けていたじぶんたち。

「五輪の放送がはじまったら、テレビのプラグを抜くつもりだ。」という福島県飯館村のかたの言葉も新聞で読んだ。そこには福島の原発でつくられた電力を消費していた東京都民への怒りも語られていた。

前回の東京五輪ではこころから祝福しないひとは、ひとりもいなかったでしょう。

今回は残念だが最初からつまずいている。

「東日本大震災の被災地は、復興理念にある“日本のあるべき姿”になっていない。まちの基盤は整っても、新たななりわいを創出しなければ、ぴかぴかの過疎になるだけだ。」と東野真和、朝日新聞編集委員は語る。

1万8000人以上のひとが犠牲となった東日本大震災。

行方がわからないかたは宮城県で1217人、岩手県1112人、福島県196人。身元がわからない遺体が宮城県警に8体、岩手県警に49体、まだあるのだとか。

行方不明の身内がいる家族にとっては、オリンピックなんてほんとうにもう、どうでもいい他人ごとの大騒ぎでしょう。

津波や福島第一原発事故などで最大、11万人を超えるかたたちがふるさとを追われた。いまだにふるさとに帰れないかたが4万人以上いる。

ふくしまの花も実もある平凡なふるさとともう誰も笑えず 駒田晶子

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『アノトキウサギ』

参照、引用:2020年2月3日 3月7日 3月8日 3月9日 毎日新聞 2020年3月4日 3月6日 3月9日 2021年4月10日 朝日新聞 2021年4月8日 神戸新聞
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2021年04月07日

たいちょうとおさけ

ここ1ヶ月ぐらい体調がよくない。

そんで3日ぐらい前から喉が痛くて、からだの調子がいまいちで風邪をひいたか。

昨日は曇りのち雨だし、作業をしたり休んだりからだの様子を感じながら薬を飲んだりして養生をしつつ1日過ごした。

このまだ病気になっていない、未病の段階で養生して治すことが肝要。いちはやくからだの異変に気づいて手当てしたり対処をするのです。

今日も朝、起きたらやはり喉が痛くてからだがだるくてやる気が出ない。なので天気が良くて絶好の外仕事日和にも関わらず、湯山にすべて任せて休みます。

と、言ってる場合ではない。あと2日で彼は京都へと戻っていく。やらねば・・・しかし気持ちはうごくのだけどからだがうごかない。

腰が痛くて皮膚の色が変わってしまっている。そこから謎の発疹ができている。おそらく内臓からのもの。酒を抜いたりしているけれど足りないのだろうなあ。

直哉が「酒が百薬の長だというのは嘘だと科学的に修正された」とこのあいだ言ってたな。酔っ払うという最高の一理を得られるかわりに、からだへダメージが残る。

アルコールをパーセントと量で記すように表示が変わると新聞で読んだ。度数の強い人工甘味料入りの酎ハイでアルコール依存症になるかたが増えているそうです。

じぶんも若い頃にハマって飲んでいたら内臓を痛めてそれ以来、人工甘味料入り酎ハイは飲まないようにしている。そういった後遺症もいま出てきているのか。

父親が養命酒を送ってきてくれたが、飲む量はひと口。その量を厳守しろと説明書に書いてある。お酒というのは、ほんらいそれぐらいに気をつけてからだに入れないといけないものなのでしょう。

年に数回、お祭りのときだけ口にする神聖な飲みもの。

いまはそんなハレとケのメリハリがなくなって、ケジメもつかなくなっている。

いっぽうで朝からご飯がわりに日本酒を、1日に一升飲んでたにもかかわらず、89歳まで生きた日本画家の横山大観なんてかたもいる。落語家の古今亭志ん生も大酒飲みだったけど長生きした。

からだのもともと持っているポテンシャルの問題でもある。

そうやって考えると、病気になるならないは運不運もあるのか。

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『十川英二さんがお墓に供えてくれていた花』
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2021年04月06日

完成まじか

淡路島は五色町都志の家の庭に野外舞台をつくる。

文化庁の仕事で粛々とすすめていた作業が大詰めです。

「かしこみ、かしこみ」と地鎮祭をやり、本格的に仕事をスタート。

妹の旦那さん、一級建築士の貴久君に舞台の設計図を書いてもらい、縄張りと墨出しを素晴らしいプロのワザでやってもらい感謝感激。

そのあと土まみれになって大地と格闘しながら、慎重に丁寧に築いた基礎の上に“大引き”なる9センチもあるひのきの角材を張り巡らせる作業が昨日、すべて終了。

これから大引きの上に厚さ3センチの杉板をしいていきます。ここまでしっかりとレベルを測りながらやってきたのでここからは、あっという間です。

木材作業は大工職人の湯山大一郎に任せて、じぶんはひたすらに防腐剤を塗っています。

キシラデコールという最高級の防腐剤ですが、それでも木は呼吸をするので、どうしても腐ってくるそうです。腐ってくるとガスを発生して、そのガスにシロアリが集まってくるとか。なので定期的に防腐剤を塗らなければならない。

けれども基礎の部分に塗るのはもう出来ないので、時間とともに朽ち果てていくのは仕方がない。

次にひのきの部分を変えるのはいつか。10年後か20年後か・・・

その頃にはじぶんか湯山か、はたまたデュ社のメンバーの誰かが有名になっていて文化庁のちからを借りなくても作り直せるようになっているでしょう。

つぎは舞台面もひのきにするのです。

そうして4月22日に2回目の試演会を招待客だけで実施する。

東京からオペラシアターこんにゃく座のトップ歌役者、岡原真弓さんを招いてアコーディオンを弾いてもらう予定なので岡原さんの交通費と報酬をなんとかしてと。

築山建一郎に全体の音楽は依頼。建一郎は申し訳ないが前回の試演会と抱き合わせで、よろしくお願いします。

じぶんは相変わらずのノーギャラですが、申請者本人はあらゆる報酬をもらってはいけないのです。そんな理不尽なことはないのだけど、お国が決めたことなので仕方がない・・・

とか寝床でぬくぬくと『ブログ?』を記していたらゴミの収集車が行ってしまった。

都志のゴミ回収は7時半と早いのです。くそー、最近温かくなってきたのでコバエが発生してる。つぎは金曜日だからコバエと共存です。

しかし小さなことは気にするな、大きなこころで参ろう。

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『だんだんと出来上がりつつある庭の野外舞台』
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2021年04月05日

惨劇のはじまり

1945年4月23日

沖縄、伊江島の大城安信さんは親せき、家族とともに壕に避難していた。

壕の中にいると、上陸してきたアメリカ兵の外に出てくるように呼びかける声が聞こえてきた。

けれども「捕虜になればみんな殺される」と聞かされていた壕の中のひとたちは、なかなか出て行くことができなかった。真ん中に立っていた男性が「一緒に死のう」と皆んなに呼びかけ、壕の中の人々はゆっくりと集まった。

直後、男性が爆弾を爆発させ、22人が無惨に命を落とした。

母親が抱いてかばってくれた大城さんは、爆発で崩れた岩に首まで埋まったが一命を取り留め、助け出された。

4月25日・・・

県立第三中学校4年生だった津嘉山朝彦さんは、宮崎から来ていた特攻隊長を沖縄本島北部の国頭村にあった日本軍の無線通信基地へと案内していた。

特攻隊長は、特攻隊の戦況を軍へ報告するために宮崎から沖縄に来ていた。

案内役の津嘉山さんが隊長のあとにつづいて坂を登っていたとき、前方約20メートルの坂の上に米兵が銃を構えて立っているのが見えた。

隊長がとっさに坂を下ろうとした途端、米兵のなげた手榴弾が爆発、津嘉山さんは岩陰に隠れた。銃弾の途切れる合間をぬって山林を駆け抜けて無我夢中で逃げた。

隊長は津嘉山さんをかばって撃たれたようだった。

背中と右足に手榴弾の破片が食い込み血まみれになってうごけなくなっていたところを、津嘉山さんは同じ集落のひとに助けられた。

6月6日・・・

富名腰朝輝さんは家族、親せき10人あまりで南城市玉城の自宅近くの壕に避難していた。

ある日、日本軍の兵士に出て行くよう命じられ、1ヶ月間あちこちを逃げさまよったあと糸満市真栄平あたりで岩陰に隠れていた。

父親と叔父は今後の避難場所を話し合い、富名腰さんは少し離れたところで、いとことふたりで壕を掘っていた。

30分後、耳をつんざくような大きな音と爆風があがった。

駆けつけた富名腰さんは息をのんだ。岩陰にいた家族、親せきの大半が即死状態で、芋を洗っていた姉も亡くなっていた。

母親に抱かれていた2歳の弟はまだうごいていたが、富名腰さんが抱き上げるとしばらくけいれんしたあと、息を引き取った。

重傷を負った父親も数日後に亡くなった。

6月19日・・・

アメリカ軍の攻撃で逃げまどう避難民たちのなかに國吉昇さんはいた。

この時、すでに海、空、そして陸上から攻撃を受けて、避難民たちは袋のねずみとなり、逃げ場がなくなって大混乱となっていた。

付近一帯の道路のうえは爆撃によって負傷者や死体でいっぱいとなり、道の脇では腹を大けがした男性が「もう逃げ場がない!」と叫んでいた。

國吉さんは「阿鼻叫喚とはこんなものか」と感じたという。

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『模写による構図2021』

参照・引用:NHK戦争証言アーカイブス『沖縄戦の絵』NHK 沖縄放送局
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2021年04月04日

せんそうのあしおと

1945年4月、アメリカ軍が沖縄へ上陸。

沖縄戦のはじまりです。

沖縄県内の高校教諭らでつくる沖縄歴史教育研究会が、県内の高校2年生を対象に5年ごとにアンケートをおこなっている。

去年おこなったアンケートでは、沖縄戦を学ぶことについて「とても大切」と答えたのが68%で「大切」の27.5%とあわせると、95.5%をしめて過去最高となった。

いっぽうで「家族や親族で沖縄戦について話してくれるひとはいますか?」との問いに2010年が40.5%だったのに対して、2020年は30.3%に減っていた。いないと答えたひとは、52.2%にのぼった。

目をおおうようなむごたらしい惨劇を極めた戦争の体験を、語ってくれる身近なひとが急激に少なくなっている実態が明らかになっているのです・・・

「沖縄人は皆、スパイだ」

沖縄県宜野湾市の大城勇一さんは11歳だった、75年前に日本兵から吐き捨てるように言われたことばが忘れられないという。

「捕虜にいくときはうしろから手榴弾を投げて殺してやるから覚えておれ」日本兵はつづけてそう言った。

狭い島で軍人と民間人が入り混じっておこなわれた沖縄戦では、多くの住民が日本軍からスパイの疑いをかけられて犠牲者も多数でた。方言によってことばが通じにくいということも、原因としてあったようです。

那覇市天久の壕でのこと。

大城政英さんが、壕の入り口のひとつを開けると「誰だ!」と中から日本兵の声がした。

「避難民です」と言うと「何、避難民か。うごいたら撃つぞ」とおどされ、出てきた日本兵たちが大城さんを上半身裸にして電話線でうしろ手に縛った。

日本兵は「貴様、スパイだな」と繰りかえすばかりで「ちがう」と何度言っても信じてもらえなかった。

どうにもできずにいると、3日前に別の壕で話しをした日本兵がいて「このひとのことは私が保証する」と口添えしてくれて、ようやく解放された。

その直後、同じようにスパイの疑いをかけられた沖縄の青年が、日本兵に連れられ壕から出ていった。10メートルも行かないうちに銃声がし、振り向くと青年は撃たれて倒れ、死んでいたという。

「前も後ろも敵だったが、途中からは日本兵の方が怖かった。戦争になったら人間が人間じゃなくなる。」

そう大城さんは語るのでした。

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『The Rising Sun Flag and Skulls 2021』

参照・引用:2020年6月23日 毎日新聞 | NHK戦争証言アーカイブス『沖縄戦の絵』「スパイ容疑をかけられた私」NHK 沖縄放送局
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 13:05| ブログ?

2021年04月03日

凸凹2021

昨日、4月2日は『世界自閉症啓発デー』でした。

2007年の国連総会で決議されて、全世界でさまざまな取り組みがおこなわれているとか。

自閉症・・・発達障害のひとつで、先天的に脳のどこかが発達の標準から外れている。

最近仕事で発達障害といわれる方々と触れ合う機会があるけれど、ひとことであらわしてひとくくりにしてしまうのは無理があると感じるほど皆さん、個性的で魅力的です。

ひとりひとりに多様な性格があって、その内面は常識でははかり知れない。

いつもニコニコしているひと、真剣な表情で押し黙っているひと、面白い動作を続けるひと、まったく違うイメージの世界にいるようなひと、深い思考の世界に遊んでいるようなひと、etc...etc...

自閉症は脳の機能の問題なので、早い段階での療育支援と出会うことで可能性は広がっていくのだそうです。

自閉症のかたは他人の表情が読めなかったりコミュニケーションの取り方がひとと違っていたり、興味のあることが限られていてひとつのことに極端に強いこだわりを持ったりする。

ことばを適切につかうことが苦手で、感じたままに話したり行動してしまうことがある。だから仲間にいじめられたり先生に問題視されたりする。

少子化で学級は減っているけれど、逆に特別支援学級は増えている。それぞれのコミュニケーションのやり方がある、ひとくくりにできない凸凹な子どもたちの性格や個性にあわせて教育をおこなっていく、素敵な特別支援学級。

ひとつの教室に閉じ込めて同じことをやらせる。

そんな理不尽で全体主義的な教育方法に無理があるのです。子どもを面白くなくしてしまういままでの日本の教育、個性を殺す教育方法。画一化して均一化して流れ作業で社会の労働力をつくりだす。

管理する側からしたらすべて揃っていて個性なんてないほうがだんぜん便利、人間も動物も野菜もすべて揃っていて病気にもならずにお国の役に立ってくれればいいだけ。

そんな為政者たちの思惑がうまくいかなくなっている。

自閉症は正式には、自閉スペクトラム症というのだそうです。スペクトラムとは連続体という意味で境目がないということ。どんな人間にも大なり小なり、その萌芽があるのです。

じぶんは中学ぐらいから学校がまったく面白くなくなって、いくのが嫌で嫌で結局はいかなくなってしまった。

はぐれてしまったこの身を最終的にすくってくれたのは、舞踏なのでした。

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『坂本慎太郎氏のイラストを模写』

参照:2020年3月31日 東京新聞 “HEART&DESIGN FOR ALL” / コミックモーニング掲載、こどものこころ診療所『リエゾン』/ 2020年4月3日 朝日新聞
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 08:40| ブログ?

2021年04月02日

ふたたび船着場へ

市場を抜けると、あの巨大なたてものが威圧するようにまた見えてきた。

船着場につくとブダマツとホフムラが待っていた。

すみません!と大声でカミソリが言うと、おそい。とブダマツがどうでもよさそうに言った。ホフムラは笑っている。どうやらいつものことのようだった。ブダマツからソーセージをもらうと列にならぶ。

ニホン語に気をつけろ。ブダマツが言う。どういうことかわからないがみんなと一緒に、はいと答える。

真っ赤な顔をしたオニたちが銃をもってこちらを見つめている。シンイチはほんとうにだいじょうぶなのかと心配になった。

どんどん列はすすんで、また暗闇へ。

トンネルをぬけると、まばゆい明かりが目に飛び込んできた。老婆を見ると忘れていた手の傷がうずいた。

まずはカミソリが舞台にあがって、えいっと包丁で股間を切り落としてじじいにわたす。カタンと音をたてて天秤はイチモツのほうへと傾いた。

カミソリは、老婆からチケットをもらうと黒いカーテンの先へと消えた。

ネクスト!

イナズマが威勢よく、よー!と叫ぶと股間に包丁を当てるが、ほよよよと逃げ越しになる。すかさずジジイがバットで思いっきり殴ったが、昨日のホフムラのほうが強烈だった気がした。オニたちは笑っている。

切り直して、チケットをもらい泣きながらイナズマは奥に消えた。

ネクスト!

いよいよシンイチの番だ。舞台にあがるとばばあが鼻をふんふんと鳴らして、ポコないやつか。と白目を剥いた。

ニホン語なので無視する。

包丁を持つとがたがたと緊張で震えた。その震えを利用して股間に当てるとソーセージはみじん切りになった。オニたちが爆笑している。

じじいがうんざりしたようにじぶんでのせろとゼスチャーをする。ソーセージを集めて天秤に乗せるとカタンと傾いた。老婆は胡散臭そうにしながらもチケットをシンイチに渡した。

ほっとした瞬間に、まだ落ちてるぞ。とじじいが言った。うん、そうかいな。とシンイチが地面をキョロキョロと探していると、じじいが凄まじい形相でシンイチのほうを睨んでいるのに気づいた。

忘れるようなことは要らないことだ。エムのことばが閃いた瞬間にシンイチは渾身の大声で、あー!!と叫んでいた。

じじいは耳を塞いで、いけ。とゼスチャーする。

黒幕のなかに入ると、カミソリとイナズマが待っていて、危なかったなあ。とささやいた。

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『リターン・オブ・ザ・奪衣婆』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 09:40| 小説のようなもの