2019年03月24日

ブトウ

『舞踏』は、1959年に日本で生まれた舞台芸術です。

1959年は、土方巽と大野慶人の二人によって三島由紀夫原作の『禁色』が発表されてスキャンダルを巻き起こした年であります。

「これをもって舞踏元年とする。」と舞踏評論の大家、合田成男先生が仰っています。

生まれてから、まだ70年しか経っていない。

能が猿楽として歴史にあらわれてから約1000年、歌舞伎の出雲阿国が四条河原でおどりはじめてから約500年。

それらと比べるとまだまだ生まれたての赤ん坊のようなもの。認知度が皆無で、マイナーであっても仕方がない。

大野一雄という大天才と土方巽という大天才が出会って、まるで核融合のように誕生して一大ムーブメントをかたちづくった。

知的で不良の雰囲気をまとうそれは、格好がよく瞬く間に鋭敏な若もの達や知識人たちに熱狂的に受け容れられた。

速く速くとスピードをどんどん上げていく時代に、逆にゆっくりとうごくことを良しとした。ただそれだけのことで、肉体がよく見えるのだから不思議。

高く高くと上を目指しついには月までいった時代に、逆に低く低くと地を這うようにうごくことを良しとした。日本人には、西洋的な飛翔は似合わない。

舞踏は、その初期に暗黒舞踏と名乗っていた。

光ばかりを追い求めるのではなく、闇もこの世界にはあるのだと認めねばいけません。光あるところに闇はあるのです。光が生ならば闇、暗黒とは死。

死を忌み嫌うのではなく、自然の摂理として受け容れるのです。

日本国内ではマイナーな舞踏だが、世界へと目を向けるとメキシコでは大げさではなく「"BUTOH"にこそ舞台芸術の未来がある。」とばかりに若いアーティストがワークショップに殺到する。

なぜか?

やはり舞踏のその時代のアンチの気分というか、反逆性にアッピールされるようです。

まずは疑うという舞踏の魂。こんな時代でいいのか?オリンピックなんてやってる場合か?ほんとうか?それは本当か?

常に疑い、舞踏そのものも疑う。「舞踏を忘れろ。」は、室伏さんの口癖だった。

まだまだなんだかよくわからない、得体の知れない舞踏。

とかぶとうぶとう、うるさい。なんか古臭いのだよな。“舞踏”という言葉にまとわりついてしまった厄介なイメージ。

そこを何とかしないと、日の目を見ることは出来ないのかもしれない。

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10,000人、入ったという西武劇場の公演『静かな家』のポスター。舞踏公演で15日間もやるなんていまなら到底、考えられない。この頃、堤清二さんがパトロンだったと思うので、相当の優遇をしてもらったのだろうな。Design by Ikko Tanaka.
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 03:34| 日記

2019年03月23日

なりわい2

「舞踏というまだない職業で食べさせて頂こうとしているパイオニアみたいなものだから、貧乏なのは仕方ないよね。」と女房は言ってくれます。

「ありがとう。」

一生懸命に勉強をして泣きながら手に職をつけて子どもを産んで、そんで在宅で仕事をして。

己の糊口をしのぐので精一杯の旦那に代わって、一人で娘を育てているようなもの。大したもんです。

仕事がないときは、できる限りのことをします。主夫をします。主夫は副業ではないのか?ないか。報酬は一切いただかないので。

炊事、洗濯に片付け、布団干し風呂洗いゴミの分別ゴミ捨て買いもの、ぼろぼろになったシーツを裂いて雑巾にしたり。

掃除はアルバイトで長くやっていたし、得意なので徹底的にやります。トイレの掃除、風呂の排水溝の掃除、洗面所の排水溝の掃除、etc.etc..

主婦ってのは、ほんとうにたいへんだなあ。と思います。片親だったら一層忙しいからすべてが疎かになって心も荒れてしまったりして。

女のために副業をやるという選択もある。いさぎが良くてかっこいい。と世間ではされてる行為。

「僕は死にましぇん。」感動。そして結婚。

お金が稼げていいものを食べていい服を着ていい車に乗って、友だちともワイワイとやっているうちに、子どもが生まれて。

可愛くて可愛くて目に入れても痛くないほどにデレデレで、ベロベロ舐めまわしたりして。

子どもがだんだん大きくなってきて、学費なんていうものがかかるようになってきて。

働いても働いてもお金が足りない。そんな時に踊っている場合か?自問自答します。

食べられているならいいのです。食べられなくてたいへんで、だんだん歳をくってきて。。

「やめるか」

決断したら心がスッキリして、あとはもう何もかもが思い出になっていく。

女房には結婚するときに「俺は、にょうぼこどものために舞踏をやめることはしない。それでもいいのなら。」と承諾を得ています。

「すまない。」

こころで手を合わせながらもそんな自分勝手で穀潰しな自分を信じて、これからも頑張って頑張らないのだ。

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女房のために一応、結婚式はやりました。盛大にやるような身分ではないのでごくごく、近親者でこじんまりとやりました。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 06:28| 日記

2019年03月22日

なりわい

昨日は満月でした。

財布と通帳をひらひらとさせました。なんとか、お金が入って来るように念を込めてひらひらしました。

財布が空で、仕事がなくてひまでひまで仕方なくても副業は、決してしないように心に決めています。

そんなことをする時間があったら本業で食べさせて頂くために、奮闘努力して企業努力をするべきだからです。

ですが、アルバイトの募集が貼ってあったら凝視します。

安いです。860円とか。1000円いかない。

だけど売上は何億もあって、社長は何千万ももらっていたりしたらバカバカしくなります。世界で問題になっている格差です。

富の分配が公平におこなわれていない。

それゃ、腹いせにいろいろなことをやりたくなります。仕方ない。やり方が問題ですが。

古来から芸術家は、誰かに食べさせて頂いていた存在です。

ヨーロッパだと貴族、たとえばメディチ家とか、日本だと能の足利義満とか、世界だと宗教も大スポンサーでおかげで絵や彫刻で傑作がたくさん生まれてる。

相撲だとタニマチか。

ゴッホなんて弟のテオにお金の無心ばかりの手紙ばかりです。絵の具ってのは、ほんとうに高いからなあ。

芭蕉は弟子の酒屋に「お酒を二升ばかり送ってくれないか。」と手紙をしたためています。芭蕉の職業は俳諧師であり乞食です。

「食べさせてもらっている存在だから、恥ずかしいという常識を捨てなければならないのです。」

「はい。」

「お金は持っている人が払えばいいのです。それでいいのです。」

「はい。」

そんなことを考えるぐらいなら、もっともっと面白い存在になれるように頭を遊ばせるのです。

いま、日本にはセゾン文化財団ぐらいしか真のパトロネージュはありませんが、世界に視野を広げればフランスなんかはいまだに国がやっていたりします。

山海塾は、フランス政府からお金を頂いて活動を続けています。噂では何億だとか。

ドイツがいま、舞踏で唯一食べさせていただける国です。今年の8月に呼んでいただく、舞踏家の吉岡由美子さんもずーっとドイツで暮らしています。

旧友の古谷もドイツで暮らしています。今度会えるので楽しみ。

ダンサーの伊藤キムさんは、いまは日本で活動していますが何年かドイツで活動していました。

日本に於いて、舞踏で食べさせて頂ける日が来るのはいつなのか?いつのことになるのか?100年先か。

能なんて職業になるまで何百年もかかってる。落語は職業になったのは、意外に最近で明治ぐらいなのか。

この世にまだない職業、舞踏家。

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左、向雲太郎。真ん中、鈴木ユキオ。右、古谷充康。
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2019年03月21日

鎌倉へ

堤清二さんには、生前にお会いできませんでした。残念無念。

お会いして自己紹介して「ありがとうございます。」と言いたかった。

それは叶わなかったので助成金を頂きはじめてすぐに、鎌倉にお墓参りへといきました。

田無から電車に乗って鎌倉へと向かいます。いい天気で気持ちがよかった。

鎌倉に着いたらさすがは観光地。人が沢山います。鎌倉霊園行きのバスに乗って30分ぐらいだったか。

霊園前のバス停で降りて坂を登っていきます。広いので調べた番号を頼りに向かいます。

少し迷って霊園事務所で花を買うついでに場所も訪ねます。有名だからすぐに教えてくれます。ここ鎌倉霊園は、西武グループの運営なのです。

山の頂上の堤本家のお墓とは少し離れた場所にありました。

だいぶん前に堤さんの自伝『彷徨の季節の中で』を読みましたが、いわゆる“妾の子”というような境遇で若い頃は相当の苦しみがあったようです。

女好きで下品な父に反発するように東大で共産主義にはまり、恋もかさなって悩む主人公。

その悩み苦しむ主人公の挫折と成長の姿が詩人でもある堤さんの、考え抜かれた言葉と格調高い文章で綴られていました。

ちなみに東大時代に友達とたむろしていたのが、平田オリザさんのお父さんが経営する劇場のカフェだったとか。

真っ黒な格好のいいモノリスのような墓石でした。文字が彫ってあったのだが忘れてしまった。和歌の句だったような。

そして花をいけるところなどありませんでした。

それは、堤さんからの「そんな常識は捨てなさい。」という教えのように感じました。花はどうしたのかな。そうだ花は結局買わなかったのだ。

そのあと霊園内をしばらく散歩した。

ここ鎌倉霊園は鎌倉駅から車で15分という立地もさることながら環境が素晴らしく、人気の高い高級霊園なので有名人のお墓が沢山あります。

川端康成、山本周五郎、萬屋錦之介、鶴田浩二、人間国宝・二代目尾上松緑、そして西武グループの創始者で政治家でもあった堤康次郎。

お墓参りを終えて浮世離れした鎌倉霊園からバスで山を下って、下界へとおります。

鎌倉駅前にある友人、じゅんぺい君のとっても素敵なパン屋さん“パラダイスアレイ”へと寄ってから、東京へと帰りました。

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森下スタジオでやった『遊機体』の時にじゅんぺい君にもらった巨大なパン。“遊機体”となってるはずだけど読めないな。
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2019年03月20日

SAISON FOUNDATION

昨日は、セゾン文化財団の懇親会でした。

セゾン文化財団は、1987年に堤清二氏の私財によって設立された日本では唯一無二かもしれない本物のパトロネージュです。

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堤清二氏。2013年11月25日に亡くなられました。2013年から助成金を頂いたけれど、惜しくもお会いできなかった。残念。

1年間助成してもらえるジュニアフェローが数人、私が頂いていたシニアフェローは3年間のあいだ助成を受けられ、日本で二、三人しか選ばれない。

そんな栄誉あるセゾン文化財団のパーティーなので、いま日本でトップを走る若い劇作家やダンサーが勢ぞろいして華やかでした。

ただし商業ベースではなく、先鋭的なジャンルの先頭をひた走る人たちなのでまだまだ知る人ぞ知る存在の方々ではあるのですが。

プログラムディレクターから常務理事になられた、いつまでも若々しい久野敦子さんの司会で開幕。

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久野敦子さん。笑顔がチャーミング。写真:山本尚明

久野さんは、スタジオ200という小劇場のはしりだった場所で働いておられて、なま土方巽をご覧になっています。

舞踊担当だったので助成金を頂いているときに、大変おせわになりました。

新しく理事長になられた片山正夫さんのひょうひょうとして笑える挨拶に続いて、今年からフェローをもらう人たちが挨拶。

『ぴちがい裁判』で主題歌を作曲してくれた、糸井幸之介さんもフェローに選ばれました。「おめでとうございます。」

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糸井幸之介 by google.

糸井さんには、ぴちがいの初日にアフタートークをお願いしてたのに、それをすっかりと忘れてしまうという大失態を犯してしまいました。

あの時は、経費削減のために作・演出・振付・制作・舞台監督・雑用のすべてを自分でやるという無茶をしたので。「ごめんなさい。」

そしてまだ作品を観たことはないのですが、以前から面白いことをやってるなあ。と注目していたジュニアフェローの村川拓也氏が懇親会の前に交流会をひらくというお知らせをもらいました。

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村川拓也 by google.

自己紹介をしたり作品のプレゼンをしなければならないとかで、若ものに混じって気がひけるなあ。と思うけれど、村川君に個人的に興味があるので好奇心で参加を決断。

昨日、村川君が飼っている猫が亡くなってしまったという笑ってはいけないけれど笑える理由で、急遽参加することが出来なくなったと連絡があり。

こちらもそういうことなら。と遠慮をしました。

しかしこちらも面白いことをやってるなあ。と注目していた山下残君が参加していたとかで行けばよかったかとちょっと後悔。

こういうのも歳をとって、フットワークが悪くなってきているからかもしれません。

好奇心はあるけれど、からだがついていかないのだ。

けれども懇親会では、沢山の作家さんたちと話せて刺激をたくさん受けました。

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山下残君と。いまマレーシアの国会議員と作品を創っていて、無料にするためクラウドファウンディングをはじめたとか。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 08:05| 日記

2019年03月19日

ふじさん

大阪〜東京間は、東海道が多いのですが昨日は中央道でした。

よく晴れていてずーっと正面に富士山が見えていて絶景。素晴らしかったです。富士山は、山梨側から見るのがいちばん美しい。河口湖のところからとか。

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有名な千円札の風景。BRUTUSの表紙より。

いままでで、いちばん感動したのは飛行機の上から見た富士山でした。

遠くからだんだん見えてきて気分が盛り上がって、それがじょじょに近づいてきてわくわく。

巨大なクレーターを真上からながめたら、圧倒的な存在感でした。

『ぴちがい裁判』京都公演の帰りに、トンネルを抜けたら巨大な富士山があらわれたのにも感動した。運転している田村げんちゃんと一緒に叫びました。

トンネルといえば、いま吉村昭さんの『闇を裂く道』というトンネル工事に命をかける男たちの小説を読んでいるので、通るたびにいちいち感慨深いです。

長野で通った恵那山トンネルは全長八キロ、1975年の開通当初は日本一の長さだったとか。あれは掘るのはたいへんだぞ。

まず最初に手掘りで掘り進む。鳥居のかたちに組んだ丸太で補強しながら10メートルぐらいいったら、今度は最初の掘り口をだんだんと大きくしてレンガで固めるのだとか。

山にトンネルを掘ることは大自然への挑戦であり、山はしばしば無力な人間の姿を崩壊というかたちで見せつける。

小説では、いま大崩壊が起こったところで、生き埋めになった人々を救うために救助抗を掘るのだが、二十四時間でわずかに二メートルしか進まない。

もう三日閉じ込められているけれど丸太や鉄骨、巨大な岩石に行く手をはばまれて遅々として進まない。

たいへんな手間と労力と時間がかかる作業であるうえに、常に危険と隣りあわせの仕事。

トンネル屋といわれる人々で山に入る前は、一週間前から女を断ち身心潔斎してしずかにその時を待つ。

山は女神であるらしく、その女神の嫉妬をかわないように細心の注意を払うのである。もちろん女性は、山には入れなかった。

そこまでしても安心などできず、トンネルへと入ったら山のわずかなもの音も聞き逃さないように耳を研ぎ澄ます。崩壊の予兆や湧水の音を聞き逃さないためである。

そんなとてつもない先人の努力の末に出来上がったトンネルをわれわれは、感謝するでもなく何の気もなしに利用している。

そのいま通っている場所で、多くのトンネル屋たちが亡くなっているかもしれないのに。

とか考えながら、がたがた揺れる車内で助成金の申請書を作成します。集中していると雄大な富士山や感慨深いトンネルを危うく見過ごしそうになります。

パソコンやスマホを見ていると無防備になるし、のめり込みすぎるので気をつけます。

こころが小さくなってしまいますので、気をつけましょう。

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2019年03月18日

じょうきょう

「この世は舞台、人間は出演者。」by シェイクスピア

すべては芸のため。朝から晩まで修業です。死ぬまで続きます。俺が舞踏家である限り続きます。

さて淡路島、五色町都志に帰ってました。

すぐにはお金にむすびつかない雑事をやっていました。

まずはフライト助成の申請。間にあってよかった。そんでいまは、次の助成金の申請書のさくせいです。

売り込みをまったくやっていませんので、すぐにお金を頂ける仕事がないのは仕方ないのです。

独立して5年。強力なマネージャーがいればなあ。と思いますがそれも縁。

伸朗さんは、奥さまがマネージャー役をしているようでした。何千万とか稼ぐのだからあたりまえ。

ニューヨークでアトリエに遊びにいった杉本博司さんが日本人ではじめて一作、一億の値段がついた人。売ったのはこちらも奥さま。

現代美術というのは、錬金術みたいなものだと思います。

18世紀の骸骨にびっしりとほんもののダイヤモンドを33億円分埋め込んだダミアンハーストの作品は、120億で売れた。87億円の儲け。

それが何個も売れるってんだからなあ。

と夢のようなお話しはさておき。こちら毎日、仕事がなくて暇で暇でどうしようもなくても、創作の灯火は消えないようにいろいろなことを考えています。

まずは5月、五色町都志公演。自主公演でそれほど大掛かりではないので気が楽です。

山の上の巨大な野外劇場とか候補地はあるけれど、やはり庭でやるのが一番良さそう。

けっしてマイナー思考ではなくて、そのほうがいいのです。アイデアも沢山あります。面白いことができそう。わくわく。

しかしゴールデンウィークに公演をやるのは無理そうで。

人件費が払えないので5月、一回限りの公演になりそうです。それでも何十万もかかるのだから舞台ってのは割に合わない。

けれど、名刺がわりの公演なのでそれでいい。何をやっているのか?色々と口で説明したり写真を見てもらうよりも、じっさいに観てもらうのがいちばん。

とかとか考えながら、東京に用事があるので田無に戻ります。川西に寄って両親の様子をみてから、飛行機ならファーストクラスなバスに乗って一路、東京へ。

都会は、スピードが速くて忙しいし人は多いし、がちゃがちゃとしてて風情のかけらもありません。

人と人との距離がめちゃめちゃ近いので嫌だなあ。とにかく近すぎるのです。“間”がなさすぎる。

いまから憂鬱です。

ぶつかっても謝りもしない。どころか舌打ちをされたりして。誰も彼もが殺気だってしかめっつら。圏もアウラもクソもないです。

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瀬戸内の海ともしばしお別れ。一週間で帰ってきますが。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 09:05| 日記

2019年03月17日

タバコ

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「喫煙は文化だから、決してなくならない。」五木寛之

しばらく前に女房にかくれて喫煙してたら発見されまして。

川西でも、妹の由美子に見つかりました。由美子は、旦那さんの貴久君がまだ喫煙しているので寛大です。

しかし煙草ってのは、何故あんなに毛嫌いされるのか?やはり匂いなのだろうなあ。icosとかいうのも室内だと甘いようなへんな匂いがする。

マナーの悪さもあるのだろう。ニコチン中毒者のマナーの悪さはひどい。くわえ煙草で平気でうろうろしてる。

吸い殻をどこでも捨ててしまう。あちこちに捨てられてる。白いのとか黄色いのとかフィルターは目立ちます。

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昔しはくわえ煙草で仕事をしたりするのがかっこよくて、映画なんかでもくわえ煙草でいろいろやるのが絵になった。

テレビで煙草のコマーシャルをやってたけど、お金をかけてて映画みたいだった。いまじゃあ考えられない。

JTの戦略で自虐的になって生き残ろうとしてますが、異常だと思います。あそこまでやらなくていいのに。

「からだはよけたが、煙がぶつかった。」とかいうやつです。へんなの。だけど煙が当たらないように細心の注意を払います。

パッケージの能書きもひどい。生き残るためだろうけど。

たばこ税も高すぎる。そこまでヒステリックにやらなくてもいいのに。原価は100円しないだろうけど600円って。

うちは父親が長く吸ってましたが、副流煙なんて関係なくもくもくでした。けど皆んな肺がんにはなっていません。

自動車の排気ガスのほうが、からだにはよっぽど悪いのです。

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久しぶりに買ってみた。アメリカンスピリッツのバナナ味。高級品。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 06:04| 日記

2019年03月16日

うちの母親は無類の舞台好きです。ほんとうにとんでもない量の作品をご覧になってます。

俺なんかは、ひとつ舞台を観るだけでへとへとになりますが、聞いたらそんなことはまったくないようです。

しかし、最近歩くことがままならくなってきているので、俺が代わりにいくことが増えてきています。

唯一ぐらいの楽しみの観劇が思うようにならないので寂しそうです。

車椅子やからだが不自由な人に対する対応は劇場によってさまざまですが、そんな言い方しなくてもいいのに。と思ったりする。

その点、宝塚は懇切丁寧です。さすが。

今回は、西宮にある兵庫県立芸術文化センター。こちらはあまり言葉遣いがなってなかった。係のひとの性格にもよるのだろうけれど。

観にいったのは、『イーハトーボの劇列車』こまつ座第126回公演。

作:井上ひさし、演出:長塚圭史、主演:松田龍平。

龍平君は映像の人だから大丈夫かなと思っていたら、“間”が独特で面白かったです。脇の人たちとのお芝居の温度差も興味深かった。

しかし、紛れもない主役のオーラを発してました。持って生まれたものなんだな。この人は映像よりも舞台のほうが面白さが生きるのでは。とも思ったり。

映像だと監督と編集マンによって“間”がつくりだされる。彼の独特の間やテンポが必ずしも生かされているとは限らない。

大島渚監督の『御法度』がデビュー作ですが、じつは俺も出てました。彼は主役、まだ中学生だったので毎日泣いてた。

俺は門番という完全な端役でしたが、大島監督が「スキンヘッドを生かして、羽二重なしのかつらを特別にかぶろう。」と言ってくれて。

大島渚にアップを撮ってもらいました。ちょっと自慢。

監督の「よーい。。スタート!!」の渾身の叫び声は、いまでも耳に残っていていつでも真似できます。貴重な財産。

それはさておきイーハトーボ。作品的には、眠たかったです。井上ひさしさんの言葉はもっと強くて力があるはずなのに物足りなかった。

若者受けのような笑いも好きではなかった。井上さんは喜劇の人だから、へんなことをしなくても台本通りにやれば笑えるはずなのに。

もったいない。

終演後に原作が置いてあったので、読んでみたらけっこう言葉を削ってた。

血の吐くような思いをして、はらわたを絞り出した言葉の数々。そのどれもが作品にとって必要不可欠なのだと思います。

言葉を削ることによって抽象化されて現代的になることは認めます。しかしそのぶんお話しや内容がわかりにくくなるのは確実です。

最後まで内容がわかりにくかったのはそのためだったのかと。腑に落ちて、なぜそんなことをしたのか?演出として自分らしさを出したかったのか?

腑に落ちず、家路に着きました。

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鉄割に出たら面白いだろうなあ。立嗣の映画の主演をしてたりと意外に近くにいるので。
photo by Takashi Hirano
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2019年03月15日

美濃吉

あとで読みかえしてみたら、記事が長すぎたので二つに分けました。

こんなことができるのもWeblogならでは。一度読んだ人はごめんなさい。しかしちょいと変えたり追記したりしてますのでご勘弁。

さて以前、父親に「四流の料理屋。」と盛りつけを一刀両断されてから、いつか連れていってくれとリクエストしていた一流の料理屋へといって参りました。

これも芸のためです。一流を知るには実際にそこへといって、身をもって体験してみないとわかりませんので。

梅田駅前の最高級ホテルの25階へと伺います。

趣味の悪すぎるロビーにて時間まで待ちます。

大竹伸朗さんに任せたら、趣味が悪いのと良いのとのバランスが絶妙のとってもかっこいい場所になるのになあ。とか思ってたら時間です。

歩くことがままならなくなってきている母親の手を引いて入店。お店の人たちに出迎えられて、新婦入場の付き添いみたいでちょいと恥ずかしい。

店内は想像してた通りで、琴がながれてて正月ぽい。けれど25階から見える景色はおそろしく贅沢です。これも値打ちのひとつ。

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夕陽に燃える大阪。巨大地震が起こったら見えている淀川に津波がのぼってきて、大阪はすべて水浸しになるのだとか。

見たこともないお菓子が浮いてるお湯がでてきてスタート。あらゆる料理が上品で絶品でした。

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職人の「工夫にナキ、心遣いにシビレ、味に感動するのです。」小沢昭一『背中まるめて』より。

すべてが、ひとつの芸術作品、一流の職人が手間と時間と労力をかけるから値段が高くなるのは当たりまえ。と納得。

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すべては、やはり“間”なんだ。

今回は、懐石料理だからもともとはお茶からはじまったものですね。

千利休は、お箸をつくるとこからはじめたそうです。もうはじまっている一期一会。

宇和島でも感じたことですが大切なのは、やはり『心』なのだと思いました。そして大事なのは、そこに『愛』はあるのか。

「ごちそうさまでした。」
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 07:28| 日記

2019年03月14日

合掌

山田スミ子さんが亡くなってたんですね。

2月12日午前。結構前だな。

吉本新喜劇時代にファンでした。花紀京さん、岡八郎さんの全盛期で、博多淡海さんがまだ木村進で間寛平さんが売り出し中でめちゃめちゃやってた頃か。

赤井英和さんの舞台に友人の役者・浅野彰一君が出てて松竹座まで観に行ったときに、面白い女性がいるなあ。と思ってたら山田スミ子さんだった。

去年だからその頃はすでにご病気だったのか。73歳、まだお若い。

いまの朝ドラのお母さん役を山田さんがやればいいのになあ。山田さんがやればもっと自然で面白いのに。とずーっと思っていました。

カーネーションに出てたんですね。朝ドラのキャスティングは、ほぼ事務所の力だろうから吉本ではないいまは難しかったのか。

ご冥福をお祈りします。

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関西のスポーツ新聞では大きく扱われたのか。

デストロイヤーも亡くなりました。88歳。

8時だよ全員集合に出てたのか、お笑いのイメージしかないですが。

生涯で800試合だと。俺が800ステージに立つためにはあとどれぐらいなのか。

デビューしてから8年間は素顔でリングに立っていて、マスクをかぶって大ブレークだって。デビッド・ボウィがジギーに変身したように、別人格に変身したのだな。

素顔はまるで哲学者のようだったとか。

親友の和田アキ子さんがラスベガスでワンマンショーをやったときには、普通にチケットを買って花束をラストに渡して感激させたとか。

格好いい。

気を使わせない気遣いというのが本当に難しいのです。

3.11のときは神戸からきたボランティアの人たちが、人知れず机の上を拭いてくれたり「わかっているなあ。」という活躍だったようです。

昨今、流行りのボランティア。そこの人たちのためだ。という目的を分かった上での気遣い。

被災した人たちがなにを求めてるのか。経験しているからこそわかること。

そして井上ひさしさんがいうように恩を返すのではなくて『恩送り』がたいせつ。

次へ次へと恩を送っていく。恩を受けたら、困っている誰かへと送る気持ちがあるといいのだと思います。

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力道山と戦って、ジャイアント馬場と戦って、猪木と戦って。昭和のヒーローだな。合掌。
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2019年03月13日

直島から川西へ

大竹伸朗さんが直島でゼロからつくった銭湯『I青ハート湯』“あいらぶゆ”に感動して、余韻そのままにフェリーに乗って岡山の宇野港へと渡ります。

船の中でも余韻にひたります。

東京都現代美術館で、あの巨大な空間をものすごい量の作品で「これでもか。」と埋め尽くしてた大回顧・個展『全景』からもう10年たったのか。

美術館はじまって以来、初の全館三層まるごとつかった展覧会でした。凄かったなあ。

外にまで展示してあって、その宇和島駅のネオンの実物が見れると思って楽しみに駅に行ったらなかってがっかり。

伸朗さんに聞いたら駅を新しく建て直したときに、捨てるというので自分で撤去したんだとか。ひどいなJR。

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大竹さんの記事だけを残してあとはすべて切り捨てて装丁しなおした"STUDIO VOICE"。久しぶりに読んで刺激を受けてます。

それはさておき俺だったら、あそこが人生のクライマックスになるところ。

いま60歳らしいですが、このひとはまだまだこれから巨人になっていく。そんな予感がしました。

なにより気持ちが誰よりも若かった。初の著書『既にそこにあるもの』にも書いてたけれど、ずーっと変わらない“心”。たぶん死ぬまで変わらないのだろうな。

消えない不良の魂、永遠の反逆児。見習います。

「人と違うことをやってなんぼでしょ。」by 大竹伸朗。それは本当に自分のやりたいことか?嘘はないか?そこに嘘はないか?

自分を無理やり納得させていないか。大人しくなっていないか。色褪せていないか。

お金とか生活やらなにやらと、創作とは関係のないところで腐ってきたり疲れてきたりしがちです。

しかし、いつまでも変わらない芯の部分というか核の部分というか、魂の軸さえが揺れうごかなければ大丈夫なのだ。

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瀬戸内の夕陽をながめながら岡山へ。

宇野港から姫路へいき、電車をのりかえて神戸三ノ宮へ。車内でお弁当と日本酒で晩ご飯。うとうとしてたら川西へ到着です。

駆け足の旅でしたが、刺激に満ち満ち溢れていました。
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posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 07:11| 日記

2019年03月12日

直島銭湯『I♡湯』

「アーティスト・大竹伸朗による実際に入浴できる美術施設。直島島民の活力源になること、また訪れる人々と島民との交流の場として愛される銭湯となることを目指しています。」なおしまエリアマップより。

フェリーがでるまであと30分。伸朗さんがつくった銭湯へとGO!

途中にいい感じのたこ焼き屋があって、あとであわよくば一杯。とか思いながらインフォメーションセンターで聞いた道を曲がります。

紛れもない大竹伸朗ワールドなたてものが。しかしこころが急いているので細部を観察するところではありません。

と、まるで高円寺の古着屋ってな塩梅で入り口にTシャツが売っています。どれも素敵。タオルも素敵、日本手拭いも。

物色しているとダイダイ染のかっこいいTシャツが。旅の記念に即買いです。

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まずは鑑賞料金650円を払って、中へ。

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洗面所の鏡。

すべてが伸朗さんのコラージュワールド。と、銭湯の中を見て眼を疑う。「えっ。」

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photo by stranger.

象の像が。まじか(笑)

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発想が、ものすげーな。

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桶も椅子も売ってます。欲しかったが、かさばるので断念。

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からん。

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細部に神が宿るのだ。

The 大竹な湯船で旅の疲れを癒します。

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あらゆるところに。

「いい湯だなあ。」と見ると、

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初の試みとなる絵付けタイルだって。

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反対側にも。

風呂から出てトイレへ行ったら。

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スクラップブックがプリントしてある。かっこよすぎる。

いちいち驚きに満ちているのだ。いいなあ。

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「昨日まで大竹さんと一緒にいたんです。」と、ご主人と記念撮影。

いま流行りのリノベーションというやつか。こんなに見事にできるものなんだな。と思っていたらなんと。。

「I♡湯は、最初は風呂絵を描くくらいかと思っていたのが、実は島民のための銭湯をゼロからつくる依頼だった。」by 大竹伸朗。

まじか。施主の福武総一郎さんすげーな。まあでも地中美術館もゼロからつくってるのだから当たり前なのか。。当たり前か?

福武さんも納得の出来の銭湯でした。安藤忠雄さんは入ったのかな。喜びそう。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 10:51| 日記

2019年03月11日

直島2

今日は3.11ですが、続きます。

お昼は、なんとなくたどり着いた地中レストランで頂きました。まずはビールで喉を潤して、数量限定であと3食しかないというガーリックと牛肉の叩きのピラフを食べてご馳走さま。

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眼の前に広がる風景が素晴らしい。

そのあと、レストランにあったクロード・モネの自伝の絵本を見て感動。

売れない画家という絵に描いたような極貧の中で、家族をたくさん失って。それでも自然を愛し、その美をキャンバスになんとか写そうとする努力と創意がとてつもない。

ちなみにモネは眼がとても近くて、代表作の睡蓮たちはべつに工夫をしてぼかしているのではなく、ああいう風に見えていたのです。ぼんやりとした世界。

薄暗い別世界の地中美術館から外へ出たら、気持ちよく晴れていて大自然が出迎えてくれます。

別棟の受付へと戻ってバスの発車までしばしのんびり。“地中ハンドブック”があったので購入。「めちゃめちゃ洒落てるなあ。」と思ってたらデザインは、祖父江慎さんでした。

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祖父江さんは、大駱駝艦の宣伝美術をここ20年ちかく担当されています。「格好いいなあ。」と思ってたら地中美術館のロゴも祖父江さんでした。さすが。

そうこうしてるとバスが到着、途中ベネッセハウスミュージアムを通過。

そのまた山の上のベネッセハウス“オーバル”というホテルも気になるけれど、今日は帰るので宮ノ浦へとバスで戻ります。

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砂浜から見える瀬戸内の島島が素敵です。

あそこから見える景色はとんでもなさそう。海に沈んでいく夕陽をパートナーと眺めるロマンチックな時間。

途中、バス乗り継ぎで砂浜を散歩、晴れてきて絶景。ここでしばし、湯山と電話打ち合わせ。ドイツの航空チケットの件です。どう捻出するか助成の申請時期の確認。

バスがきたので乗って宮ノ浦で下車、インフォメーションセンターへといって船の時間を聞いたらあと30分で出るとのこと。

大竹伸朗さんのつくったお風呂屋さん直島銭湯『Iハート湯』へと急ぎます。間に合うのか?
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 09:10| 日記

2019年03月10日

コンクリート

芸術新潮の特集を読んでから、是非とも訪れてみたかった直島へと来ました。

高松から、草間彌生風な可愛いフェリーに乗って参ります。途中フェリーの後ろをカモメたちが追いかけてくるのが不思議で面白かった。


空気抵抗を受けないように、フェリーを風よけとして使ってるのか。風にうまく乗り飛ぶカモメたちは、まるでメーヴェに乗るナウシカのよう。

1時間足らずで到着、下船してバスに乗ります。半島の方々がたくさん観光できています。まじって一人バスに乗っていると変な感じ。

途中でバスを乗り換えます。満員で乗れなかったので待っていたら、半島のおばさんに流暢な日本語で「席が空いてますよ。」と言われて「カムサハムニダ!」とかえしたら爆笑されていい気分。

ベネッセアートサイト直島は、1980年代からはじまったとか。40年近いのか。ベネッセは、もと福武書店。だからなのか知性をビンビンと感じる。

まずは、李禹煥美術館へ。

禅的な世界で無駄なものを一切、排した空間は「きりり」としていて静逸。コンクリートなので音が響くのが楽しかった。

真っ白な空間に巨大な一筆だけの作品は、アップルショップのデザインを彷彿とさせる。どちらが先とかないだろうけれどやはり禅に影響をうけた世界観。

微に入り細に入り、気が利いていて感心。しかし創り手が客に合わせるのではなくて、客に合わせさせる。そんな気持ちも感じる。これはお茶の世界と似ている。

薄暗いコインロッカーとか。雰囲気は抜群、だけど不便。なんだけど「見えなければ自分で何とかしろ。」みたいな突き放した感じもお茶と似てる。足音が響くから静かに歩け。とか。

常識を捨てて、無心でただ空間と向き合う。

そこからのんびりと山道を歩いてメインイベントの地中美術館へ。

地中美術館は、その名の通りにほとんどが地中にあります。直島の景観を損ないたくない。という元プロボクサー、安藤忠雄さんの心意気を感じます。

直島の素晴らしい景観の中へとまさに溶け込む、その発想に感動。

階段を下りて中に足を踏み入れると、薄暗い闇と地下なのに外光が入り明るいところのコントラストがエッジが効いてて気持ちいい。天気によっても刻一刻と表情が変わっていく。それも魅力のひとつでした。

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まるで巨大なひとつのランドスケープアートのよう。

圧巻はモネの部屋。とにかくいって観てください。

戌井君は「コンクリートばっかりの、下品なおっさん。」と揶揄します。確かに冷たすぎて無機的すぎる感じはして、人が住むにはまったく向いていないと思います。

しかし今回、直島の建築物を見たらコンクリートというのは、大自然の中に人工物として置いたときに不思議に調和するのだ。と感じました。
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posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 10:19| 日記

2019年03月09日

高知のきゅーり

さてSWITCHの皆さんとお別れして、宇和島から高知へと汽車で向かいます。

2時間の旅ですが、一両編成のワンマンカーなのが面白い。

途中の駅まで大友透が迎えにきてくれて、そこから軽で夜道を走ります。道中いろいろな話しで盛り上がり。

こちら家で飲む気でしたが“The 高知”な居酒屋へと入って乾杯、旧交を温めます。釣ってきたという魚に舌鼓。

話しは尽きませんが、あまり遅くなっては迷惑なのでそこそこで終えてお会計。

お酒を飲んだ透を、オメデタだという長女のはなちゃんと旦那さんに迎えにきてもらいます。車中、親娘で話してるのを見てなんだか不思議な感じ。

21歳だというはなちゃん、はじめてあった頃はまだ赤ちゃんでした。20年ぶりだということか。

買ったという、いい感じの一軒家に泊めてもらいます。まずは、奥さんの美波里ちゃんに挨拶。

まったく変わってなくてびっくり。農業でからだをつかってるからだな。ちょっと焼酎、お湯割を飲んで「おやすみなさい。」

次の日は、早起きして透に高知駅まで送ってもらって、道中もいろいろな話しをして楽しかった。晴れてて気持ちもいい。

「へんな話し、高知にきて帰ってきたという感じがしたんだよね。」

透は茅ヶ崎出身で、高知はもともと美波里ちゃんの実家だけど縁があったんだろうな。

移住してキューリ栽培で家を買って、奥さんと娘三人と息子一人を育てて大したもの。

朝焼けの中を山があって海がある、雄大で豪快な高知の海岸沿いの道を走っていると、都会はなにもかも距離が近すぎるのだ。と思った。

距離は近いのだけど、関係は疎遠で。

関係のない遠くの国のことはよく知っているけれど、隣に住んでいる人のことは何も知らない。

高知駅で再会を誓って、透とお別れしてからバス乗り場へ。ちょうど高松行きがでるところで飛び乗って、一路高松駅へ。

そこから船に乗って直島へと渡ります。

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20年前の透と。透は渋さ知らズの不破大輔が一目おく、ブルーズマンでもあります。人生哲学は「いい加減」、口癖は「適当だよ。」またね。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 05:57| 日記

2019年03月08日

宇和島から高知へ

大竹伸朗さんアトリエ訪問の続きです。

戌井君のインタビューの合間にうろうろとアトリエを観察します。どの部分を切り取っても、作品になってしまう感じは想像通りで。

失礼にならないように見学しながら、アシスタントとしても気を遣って働きます。

けれど新井さんの気遣いには、とても及ばなかった。さすがは、プロの仕事。

大竹さんにサインしてもらおうとしてもってきたポスターを、遠慮して出しそびれてたら「あれ持ってきなよ。」と腕をぽんと叩かれたりとかして。それが自然で。

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新井さんも3部しか手許にないという貴重なFREE PAPER。

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サインが入ってさらにお宝になった。

新井さん「こんど“MONKEY"の表紙を書いてよ。」
大竹さん「MONKEYは難しいんだよなあ。」
新井さん「こんど黒田さんと旅に行くので大竹さんも行かない?」
大竹さん「いまうごいてるUAEのプロジェクトがなあ。」

自分の面白いと思う人と仕事をする。面白いと思うことを仕事にする。

ただそれだけ。

雑談みたいに仕事を決めていく、新井さんと大竹さんをみているとそんな風に感じた。

そのあと移動して、大竹さんが原画を描いた新しい劇場の緞帳を拝見。

まだ非公開だとかで写真を見せられないのが惜しいですが、素晴らしかったです。西陣織の職人が何人もで、原画を忠実に再現したのだとか。

色紙で創った原画の紙のズレとか破れとか重なりの影とか、織物でこんなことが出来るのか。とびっくりして感動。

北九州へといく旅にも誘われますが、初志貫徹して高知へいって大友透にあってそのあと直島へいくのです。

皆んなは、もう一度麺処へいって夕食を食べると言ってて誘われます。名残惜しいですが、こちらも辞退して一路、高知へと向かいます。

すっかり遅くなってしまって、途中まで透が迎えに来てくれる。ありがとう!

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インタビューを終えて、大竹伸朗さんからとっても貴重で嬉しいプレゼントをもらって喜ぶ、戌井君。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 08:09| 日記

2019年03月07日

ロック魂

さて朝6時にフェリーを降りたら、バスで松山市駅まで行ってそこから宇和島行きのバスに乗り換えます。

11時に宇和島駅にて新井さん、戌井君、カメラマンの浅田政志君と合流。

まずは腹ごしらえ。おすすめの宇和島の名店、麺処菊屋へ。タンメンのようなチャンポンに舌鼓。

写真集『浅田家』をもとにした映画の話しで盛り上がる。浅田君の役を二宮君がやるそう。お兄さんの役を妻夫木君がやるとか。へえ。映画『浅田家(仮)』

その後、時間調節のためコメダ珈琲店へ。このかん新井さんとも結構話して密かに感激。目があって「ドキッ。」としたり。

しかしあまりはしゃがないように自重。控えめにします。

新井さんが、いろんなことに子どものように感動してるのを見て感動した。「コメダ珈琲の豆がうまい。」といってたら、戌井君からお土産でもらってておかしかった。

いろんなぶっ飛んだ話しに「ロックだねえ。」と喜んでる姿を見るのも嬉しかった。

そして、いよいよ大竹さんのアトリエへ。少し迷ってその道中も「わいわい。」といろいろと話しをして。

そうこうするうちに真っ黒い巨大なアトリエが見えてきて。倉庫も含めて3つあって、そのうちの一つでインタビューが行われた。

大竹伸朗さん、面白かったなあ。

いく前は、「嫌な人だったらどうしよう。」とか、「幻滅してしまったらどうしよう。」とか考えてたけど取り越し苦労。

こういうへんな人だから、ああいう面白い作品が創れるのだ。と思った。

反骨精神、ロック魂もビンビン感じて。

「石膏像を上手に模写できるとかまったく意味がないし退屈だしつまらなかった。そんなことより街中の看板を模写したほうが楽しいし面白い。」

いまだに先端を走っている大竹さんの言葉だからこそ重みがある。

普通とか当たり前とかまったく興味がない。「それでいいのか?そんなんでいいのか?」と若い頃から疑問を持って生きている。

そのぶん悩むのだけど、突き抜けた時に作品が飛躍して。

芭蕉が旅を経るごとに作品が深化していったように、旅をするたびに作品が一皮向けていく感じが興味深かった。

別海、ロンドン、香港、モロッコ、etc.,etc..

どん詰まりの若い頃の話しを聞きながら、この巨大なアトリエを持って世界の大竹になっているいまを比べて感慨深かかった。

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浅田君のアシスタントとして照明をもつ向雲太郎。明かり一つで仕上がりが違うので重要です。photo by Toshinori Arai.
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2019年03月06日

SWITCH vol.2

そういえば、SWITCHの糸井さんの号は感動したなあ。

ほぼ糸井重里。

表紙からラストまでコンセプトアートのように一貫性があって、まるでビートルズ全盛期のアルバムのようだった。

ほんとうに感動した。

まさかの戌井君のインタビューも糸井さん。

この世にやっていけないことなどないのだ。それを自分で範囲を決めて思い込んで、いつのまにか当たり前のように生きてしまっている。

裏表紙見返しの写真が、娘さんと別れる瞬間の手を振る糸井さんで。

娘さんが撮った写真なんだな。とってもいい写真なので遺影にするとか。

「また会おう。」と「もう二度と会えないかもしれない。」という気持ち、「元気でな。」「頑張ろう!」と「寂しい。」「幸せになれよ。」とかいろいろな感情が混ざりあった、なんとも言えない表情で。

自分にも娘がいるので重ね合わせたりして、おこがましい。

そんで、ちょっと涙したりして恥ずかしい。

そんなSWICHのインタビューになんと私が。

インタビューの日はもう足が地に着いた感じがしなかった。ほどではないか。

途中、西麻布あたりの最高級宝石店に見たこともないようなスーパーカーが止まってて中をジロジロ見学。

そしたら美人の店員さんがあらわれて「お客さまのお車なので。」とかいわれて見てるだけなのにと気分を害して。

腹が立ってそのまま立ち去る気にならなくて、どんなやつの車なのか確かめてやろうと最高級宝石店に入った。今度は、お客なので美人の店員さんも何も言うことができず。

いちばん奥の商談室みたいなところに哀川翔さんもどきなおっさんが、偉そうに大声で喋ってて下品きわまりない。

「あー。」と納得して気分良く店をあとにしてインタビューへと向かいました。

すこし迷ったのか。ちょうど昼過ぎでいつもは出さないという特製のサンドウィッチを頂いて、和やかにスタート。

戌井君は聞き上手だから、少年時代から大駱駝艦時代の話しまで結構長時間にわたって笑い話をした。

文字にできないような話しも沢山したのに、まるで鉄割の演目のような語り口で編集されてた。さすが。

そのあと渡部真一の二本どりだった。

渡部もいて終わったら飲みたい気持を抱えつつ、たいへんそうだから遠慮して家路に着いた。

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戌井君の書いているとおり、ほぼ馬鹿話に終始した。けれどそれが私の人生。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 06:31| 日記

2019年03月05日

たこフェリー

さて明日は、宇和島へといって大竹伸朗さんのアトリエへ。

「俺の弟子ということでいきましょう。」そう言って、このあいだ戌井君から電話がかかってきました。

「了解です。」すべて心得ております。まるでマネージャーのごとくテキパキと働きます。次に現場が必要としていることを察して先回りしてうごくのです。

さてバスで大阪まで移動、飛行機でいったらビジネスクラス並みのゆったり車内で『ブログ?』を記したり本を読んだりしながら大阪へ。

まずは川西に寄って親孝行です。このまえ朝っぱらから電話で怒られて以来でしたがそのことには触れられず「ほっ。」とひと息。

今日の夜10時に、大阪南港からフェリーで出発です。

子どもの頃は、淡路島へといくのは船でした。明石から船に乗って岩屋港へと入る。どれぐらい乗ってたのか?1時間ぐらいか。

明石でたこ焼きを食べてから船着場へといきます。

親父と一緒の時は、車なのでフェリーでした。この船の中の夢はいまでもしょっちゅう見ます。

ゆっくりと雄大な感じで入船してきて岸壁に停泊、屈強で悪そうな陽に焼けた船乗りたちがロープを投げたり荷物を忙しく運んでいる姿が格好がよくて、てきぱきとしてて気持ちがいい。

そしてわくわくする。ちょっとした旅気分、非日常。

板の下は地獄。というぐらぐら揺れるはしけを渡って乗船。

船の中ではうろうろといろんな所を観察します。座ってなどいられません。見たことのないものや風景ばかりなので興味津々です。

イルカが隣を泳いでたり、巨大なエイが船の下を通ったり。

いちばん前にいると風をうけながら進んでいき、まるでタイタニックってな塩梅で気持ちがいい。

いちばん後ろでも巨大なスクリューからかき出されてくる白い波が、どこまでも尾を引いていく様を見ているといつまでも飽きません。

一番興味があるのは、運転しているところですが客は入れません。なんと呼ぶのだろう?航海室?

うちの父親は本当は船乗りになりたかった。

しかし視力が規定に足らずに夢を断念。航海室を飽きもせずにずーっと見ている父親の背中はいまでも覚えています。

船酔いしたことは一回もありません。三半規管が強いのだな。

しかし船に乗っている時のあのふわふわと浮いているような、落ち着かない感じはなんなんだろう。丹田のあたりがこそばゆいような。

はっきり言って好きです。楽しみ。

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いまもまだ運行しているのか。瀬戸大橋ができて便利になったが、そのぶん風情がなくなり淡路島は本州から四国へのただの通り道になってしまった。photo by chaka.
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 08:20| 日記