2018年11月14日

アディオス!

歯が痛いです。この『ブログ?』でまったく痛くないとか余計なことを記したからなのか、昨日の本番前からずーっと痛いです。とほほ。

このメキシコシティも嫌になるぐらい混乱してるし。へんに褒めたからかな。大都会とはどこでも人間の住むようなところではないのだ。

浮浪者や乞食やゴミがあちらこちらに散乱していて、薄汚い人間の欲望が渦巻いてとぐろを巻いて街に溢れている。自然がまったくないという街の人工的な不自然も、やっぱり嫌になります。

とか昨日の夜は思ってたけど、いま街に出たら陽気な活気に満ち溢れていて元気が出ました。その時の体調や気分でどんどん変わる身勝手。でもそれでいい。

もう帰るので、メキシコペソが底をついて来ています。お金がないと街を歩いても疲れるだけ。それはどこの大都会でも一緒。

お金があって鈍感でどこまでも無責任に生きられるような強い人々のための場所。いや、お金がなくてもタフに生きる人々。

大都会は、お金がないと生きられない。片足のない人も両足のない人も、両目の見えない弱いとされる人々もお金を稼ぐためにしたたかに生きます。皆んなそんなの当たり前。やわな同情や見え透いた偽善はありません。ここの空気と一緒でドライです。

さて今日は、休みなので壁画を観に行きました。メキシコ教育庁の庁舎の壁のいたるところに絵が描かれています。スペインに占領されて押し付けられた、お仕着せの文化を見直そうという気概を感じます。

人を支えるのは教育です。ここメキシコは日本よりも汚職や不正や横領や果ては強盗、誘拐、殺人が多い国ですが、それを変えていくためにも教育あるのみです。国を将来支える人材を育てる。社会の根底から変えていくために。

咲ちゃん、お世話になりました。しず、じげんともここでお別れ。二人は、次に会うときにどれぐらい成長しているのか楽しみ。明朝3:00にエスパルがホテルまで迎えに来てくれるとか。彼は、ほんとうにタフです。

帰りは、サンフランシスコ経由なのでいろいろたいへんだけど語学堪能な湯山がついているので安心。心強い。しかしあまり頼りすぎずにさまざま、自分でやるのだ。

そしていま空港。まもなく離陸です。乗り換えがあるから20時間ぐらいかかるのか。まあいいか。それでは。また会いましょう。

"Gracias! Adios hasta luego!"

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シケイロスの巨大壁画の前で。
posted by Mukai Kumotaro at 02:00| 日記

2018年11月13日

明日は

いまは、吉村昭さんの『破獄』を読んでいます。戦中、戦後に四度も厳重な刑務所から脱獄した死刑囚のお話です。

吉村さんと言えば酒乱で孤高の俳人、尾崎放哉の晩年を描いたまるで恐怖映画みたいな『海も暮れきる』。

村にあらわれる人食い熊と人との闘いを描いためちゃめちゃ怖い『羆嵐』。

難破して沖ノ鳥島へと漂着した一人の船乗りの凄まじい生存のための生き様を描いた、生きるとはどういうことなのか?と考えさせられる『漂流』。

などなど名作が沢山ありますが、まだまだまだまだ全部を読んでいないので、これから楽しみです。

周到な取材と緻密な構成に基づくお話は、たった数行の記述がものすごいドラマを含んでいて想像すると面白くてそこで止まってしまいます。

例えば、テニアン島で飛行場を作るために連れてこられた囚人二人が脱走するのだけど、二人は日本からテニアン島へと向かう船の中で”情交”を結び作業現場が別になったことを悲しみ脱走。最後はダイナマイト自殺をした。

とか、内地とは違う気候風土のために囚人四十五名、看守十名が死亡し、囚人五名が精神錯乱で自殺。
などなどそんな記述が淡々と続く。想像するとイメージがどんどんふくらむ。

一人一人の死には、ドラマがあるのだから。14万人の死には14万通りの物語りがあるように。

明日の帰りの飛行機で読破しよう。

さて昨日は、ツアーの集大成でした。乗り打ちという短い時間でよく仕上げたと思います。ほぼぶっつけ本番でしたがトラブルもなく、いいものをお届けできました。お客さんも大喜び。

だったと思います。反応も良かったので。しかしこのSNSとかブログって、自慢話になるとよくないのだと思います。世の中のSNSってほとんどが自分の自慢話ですが。

こんな楽しいところへ行った。こんな美味しいものを食べた。こんなに良い思いをした。こんな凄い公演だった。etc.etc...

この『ブログ?』は、そうならないように気をつけています。事実を誇張せず話しを極力盛らず。しかし実際は話しを盛った方が面白いのですが。

さて、今日は頑張ったご褒美のオフ日です。旅の本当の贅沢はホテルの部屋でのんびりとすることですが「人間の不幸は部屋でじっとしていられないこと。」by 開高健

なのでどうなるのか?明日は6:00のフライトなので3:00出発。今日は早く寝よう。ん?寝ないほうがいいのか。

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出演者紹介。舞踏家集団デュ社副代表、湯山大一郎。二馬力でこのツアーを見事に引っ張りました。
posted by Mukai Kumotaro at 00:26| 日記

2018年11月12日

今日は

おはようございます。

人間のからだって不思議だなあ。と思うのですが、こちらにくる前に奥歯が痛くて痛くて歯医者にいったら神経を抜くしかないと言われて。

歯の神経って「ピュー」って細い糸みたいなものを抜くという説と、歯医者で説明を受けたのはエナメル質をまず削り取ってそれから「ガリガリ。」と削り取るということで。

どちらにしても痛そう。ところが予約の取れない行列のできる歯医者なので、出発前に処置はできないとすげなく言われてしまいさあ困った。

痛み止めを買って、こわごわこちらに来たのですが「あら不思議。」痛くないのです。あれだけ痛くて七転八倒してたのにツアー中一度か二度、違和感を覚える程度で。

あと股間の猛烈な痒みに悩まされていたのですが、あら不思議。それもたまに痒いだけでそれほどではない。

そのかわりなのか、久しぶりに手のひらの荒れがあらわれています。手の皮がむけて特に指先の皮が剥けて真っ赤になっています。

水を触れなくなるので白塗りを落とす時にたいへんです。ひどい時は手袋をはめて洗います。

ひとのからだって不思議だなあ。微妙な空気の違いや水の違いで変わってくるのだな。

さて、今日はいまから搬入です。そのあと諸々、仕込んで荒通し出来るか?とにかく本番の成功のためだけに生きます。

人間同士の軋轢、感情のさまざま、遅刻とか、自分のことしか考えてない我儘な人とか、自分に都合のいい嘘とか、いろいろな人間のくだらないことや、些末なことに目をつむって、気にせずに大らかにどっしりと適当にいこう。すべては作品の成長のためを考えるのだ。
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出演者紹介。まだあらわれてないお姉さま、川口隆夫。
posted by Mukai Kumotaro at 00:04| 日記

2018年11月11日

これで

昨日は、先発隊を見送ってから休み休みパッキング開始。舞台美術や小道具、衣裳すべて手持ちなので移動がたいへんです。

皆んなで分担して持っていきます。一番大物は床に敷いていた、直径6メートルのターポリンという素材に描いた床の美術です。杉山至さんのデザインですが、なかなか忠実に再現できているので破棄するのがもったいない。

隆夫さんの使う椅子、エスパルのかぶる骸骨もかさばります。リトルボーイは俺が手持ちします。

とか記してたら、一晩共にしたピンチが部屋から出て行ってしまいました。ここ数日一緒に寝てました。近寄ってくるだけで「グルグル。」言っててとっても人なつっこかったです。シティへと連れていきたいけれど無理だな。

「アディオス。」

もう二度と会わないかもしれない。でもそんな感傷なんてまったくなく彼はただ生きていく。そして死んでいく。それでいい。それが自然。延命治療も呼吸器も関係なく死んでいく。

そういえば、わたくしもそろそろそんなことを考えないといけない歳です。「いかなる延命治療もしない。呼吸器は決してつけない。」遺言に書いておかないと。家族が迷惑します。

しかしいつも思うけれど、いま死んだらこの『ブログ?』が遺書みたいになる。ノートに日記もつけてるけれど最近はこちらほど熱心に記してない。

”悪魔のしるし”のリーダーで夭折してしまった、、、

「くそっ」名前が思い出せない。しかしググったんじゃあだめだ。。

人は二度死ぬと言われています。一度めは実際にこの世からオサラバするとき。二度目は皆んながその人のことを忘れてしまうとき。俺もすぐに忘れられてしまうのだろうなあ。まあいいか。

宇宙ができたとき人はいなかった。そして宇宙が滅びるとき人はいない。でもそれでいい。そんな大したことのない存在。あいつもそんなことわかってたから、俺が名前を忘れたところで笑って許してくれるだろう。

今日は、パツクアロでの最後の朝飯をドーニャ・ルルーのお店で頂きます。エスパルと咲ちゃんがとってきた協賛のレストランで食事を毎日、頂いていました。贅沢で有り難いことです。それも終わりです。

バスに乗って6時間かけて移動です。東京から名古屋ぐらいか。あしたはいよいよメキシコシティ市立劇場での本番。なんと乗り打ちです。けれどCEDRAMで周到に準備してきたので大丈夫だ。

「ジャメボーイ!!」

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悪魔のしるしのリーダー、”危口”くんだ。よかった!彼の亡くなる直前に記したブログです。写真は”ピンチ”。
posted by Mukai Kumotaro at 22:45| 日記

2018年11月10日

大いなる無駄

意味って何だろう?生きている意味?カゲロウは生きている意味がないか。蝉は生きている意味がないか。俺には生きている意味がなんてない。

土方さんは死ぬまで意味から逃れようとした人ですが、戌井君も意味とかいうとすごく嫌がります。意味って何だろう。

では、意味がないって何だろう。意味がないことって何だろう?戌井君は意味がないというと喜びそう。「それ意味がないからやめろ。」とかいう人間とは付き合いたくないな。何故だろう?

意味があるとか、意義があるとかって役に立つみたいなことを指してるように感じるから腹がたつのかな。役に立たなくてもいいじゃないか。社会の役に立たないから生きる意味がない?

何かのために生きている。という常識を疑う。生きている価値がある。とかいう常識を疑う。ただ生きているだけでいいのではないか。でも毎朝、小説を書いていてそれがベストセラーになっているから、生きている価値がある。とかすぐに定義したくなる人間という生き物。

意味って何だろう?

仕事がないと生きている意味がないように感んじる。この世界から必要とされていない哀しさ。これは日本だとよく感じます。

そういえば、最近ここパツクアロに本気で住んでもいいな。と思ったり。おおらかで野蛮で野生的で適当。色んなことがどうでもよくて不正も横領も汚職も犯罪も東京と同じぐらいかもっと多いところですが、人が東京より数倍生きるということを楽しんでいる感じがするのはなぜだろう?

東京には、もう1ミリも住みたいとは思わないですが、空気が綺麗でのんびりしてて瀬戸内の美しい海が広がる淡路島には住みたいという気持ちが100パーセントあるので帰ります。

「一人の頭がおかしいクレーマーに、一億人が合わせてる。」〜Dill。

そんな狂った状況の国に帰らなければならないと考えるとうんざりします。

「毎日、人の数だけ違うことが起こっている。同じ日なんてない。一瞬もない。自分に起こることを観察し、面白がったり考え込んだりすることこそ人生の醍醐味だ。」〜さくらももこ

意味とか意義とか本当にもうどうでもいいんだ。と思います。

さて、今日は移動です。メキシコシティという都会へと向かいます。怖いけどやっぱりデタラメで面白いところです。パツクアロみたいな大らかさはないですが、東京よりは人間が生きているという手応えがありますよ。たぶん。

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出演者紹介。”しず”。彼女には是非とも『ふたつの太陽』の全編をみてもらいたいと思っているので、プロローグでいなくならずにずーっと椅子に座って観ていてもらおうと思っています。最近は通訳もしてもらっています。
posted by Mukai Kumotaro at 03:13| 日記

2018年11月09日

嫌なこと

”デュ社”は、弱小カンパニーなので一人で何役もこなします。横尾咲子さんは、プロデューサーとツアーマネージャーと字幕出し係と客入れと司会と八面六臂の働きで。さらに三人の子どもの面倒も見ます。今日はシティに先乗りで紙芝居の師匠との舞台があるようです。

湯山大一郎は、ダンスマスターと通訳と舞台監督と諸々雑用にと大活躍しています。そしてわたくしもツアーリーダー・作・演出・振付・主演・舞監助手・雑用・掃除係と気を配ります。

ツアーでは、毎日色んなことが起こります。一昨日から音楽のDillがメキシコの通過儀礼”下痢”で絶食気味になっています。辛いものと水とでお腹を下す人は毎回出ます。

昨日は、初演で伊藤麻実子さんがやっていた役、客入れで”本を読む少女”を務めるしずが同じ学校の友達が観に来ていると出演を拒否。「恥ずかしいから、絶対に嫌だ!!」と泣きながら訴えるのでどうしようかと思いました。

お母さんの咲ちゃんとお父さんのエスパルの説得で何とか出てくれましたが、最後まで声は出しませんでした。

しかし、この恥ずかしいという感情は大切です。恥ずかしさのないものは、下品なだけになってしまう。どこぞの演出家は、最初に皆んなの前でおしっこをさせるとかどうとか伝説的に聞こえて来たりするけれど、嫌なことは嫌だ。それでいいのだと思います。

土方さんも「嫌なものは絶対に嫌だ。」という人だったみたいです。海外からの招聘にも「この部屋をごっそりと、このまま運んでいくならいいですよ。」と言ってたみたい。お金がかかりすぎるので皆んな断念。

ピナ・バウシュは「タバコが吸えるならいいですよ。」と言ってコンコルドを一機貸し切り。けどそれでいい。

大野さんは「今日は調子が悪いからやめます。」という人だし。室伏さんも気取ったハイソサエティな観客を前にして「こんな奴らの前でやりたくない。」と踊らなかったりする。

我が儘な舞踏家たち。でもそれがいいんだと思います。その点、師匠・麿赤兒は嫌でもやったりするので、わたくしも見習って嫌でもやるようにしています。

昨日は、SEDRAMでの本番最終日。決めつけずにできたと思わずによくしよう面白くしようと、皆んなで最後まで試行錯誤し続けました。そのおかげで更にパワーアップ。メキシコシティへと調整を続けます。

終演後にドーニャ・ルルーのお店へ。優しいスープと美味しいスパゲッティを頂いて旦那さんのワンマンショウを拝聴。皆んなで歌って踊って軽い打ち上げ。

わたくしは飲みすぎなのでノンアルコールでお酒を抜いてお休みなさい。酒を飲んで寝ると眠ってるのではなくて気絶みたくなってるらしいですね。アルコールってのは麻酔薬ですから。

酒を抜いてCEDRAMの猫”ピンチ”と一緒にぐっすりと眠って、今日は先発隊を見送って1日かけて荷物をパッキングします。

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デュエットで熱唱するルルーと旦那さんのタミレス。
posted by Mukai Kumotaro at 16:46| 日記

2018年11月08日

雑談

さて、何を記そうか。毎日大変なことが起こっているようでいて、別に生き死にに関わるようなことは起こっていない。

舞台の上では本気で泣いてはいけません。本当か?本当にそうか?舞台の上はフリースペース。何をやったっていいんですよ。本当か?実は何をやってもいい場所ではなかったりして。

観る、観られるってどういうことだろう。観られていると意識をしてつまらない踊りしかできなかったり。でも観客のいないところでの踊りは、独りよがりでだめだったり。

本番三日目、中学生が大挙して観に来て。「意味はまったくわからなかったけど、感動した。」とか言ってたと聞いて結構ショックを受け。意味?

”意味”って何だろう?作品の意味?踊りの意味?舞踏の始祖、土方巽は徹底的に意味から逃れようとした人だけど、中学生に意味がまったくわからない。と言い切られてしまうとやはり考え込んでしまう。

そして昨日は、舞台に出るということも考えさせられる日で客入れからオープニング、楽屋でもらい泣き。「恥ずかしい。」って何だろう?恥ずかしさのない舞台は、下品なだけなのかもしれない。存在のチラりずむ。そしてソロでやっと初日が出たか。

舞台上で色んなところを打って舞台の外で毎日飲みすぎてからだがボロボロですが、木谷真一70歳ですから多少ボロボロぐらいの方がリアリティが出るかもしれません。

そう言えば、本番中に赤ちゃんが泣きはじめ。ソロをやっている時だったので、1945年8月6日のあの日の夜、唯一の希望は赤ちゃんの鳴き声”生命の息吹”だったのではないのか?と舞台上で耳を澄まし微笑む。神の演出。からの原爆”リトルボーイ”前で猿になるという閃きも得て。

火を手にしてしまった猿、人類。プロメテウスから火を与えられた人類。

とりとめがない話になってしまいましたが、ここメキシコではこの20年間で14万人の人々が殺されているそうです。一発で14万人殺す。20年で14万人殺す。

人間というのは自分のことしか考えていない、自分がよければいい。自分の利益のために人を殺す。いつ本能が壊れてしまったのか?「猿は猿を殺さない。」でもわたくしのまわりにはそんな人は一人もいないので安心安心。

しかし、それも平和だからなのか。いざという時、全員がほんとうに大変なときにどう動くのか?常に考えておかないと、平気で親友を裏切ったりしてしまうのかもしれない。

恐ろしい。

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出演者紹介。エスパル家の長男、じげん。お母さんの言うことをまったく聞かない悪戯坊主ですが、妹と相撲をしてわざと負けてやったりする心優しいところも見え隠れ。初演で松原東洋がやっていた走る役を務めます。
posted by Mukai Kumotaro at 13:04| 日記

2018年11月07日

1997年2月、30歳

Don't act. More real. More simple. 演じるな。動くな。そこにいろ。

ヒトが一緒に見ることのできる夢とは結局、この現実。リアリティということ。頭の中で考えたリアリティではなく現実のうごきを、アクションを伴った現実の世界に、ほんものの変化のチャンスを与えるほどの力を持ったものでなければならない。のか。

しかし現実と立ち向かい、現実を凌駕するほどの夢もあるのだと思う。政治も科学も不可能だとわかりきっているいま、創造行為は可能なのか。常に自問自答して、でも柔らかく面白く。このクソつまらなき世の中を面白くしたい。

2月4日
キムさんより留守電。モノになる、モノが在る、そこにある身体。について「オレは身体をモノだと思っているので、やはり在る。というほうがあっていると思う。」

昨日、森下スタジオのワークショップのあとに飲み屋で話したことについて、電話をくれ留守電を入れてくれたキムという男の生真面目さに驚く。

2月17日
天鶏アメリカツアー中の、上田ユカリちゃんからエアメールが届く。

トリヰさんのヘナチョコパワー全開でアメリカ人もびっくり。スタンディングオベイションの嵐、Sold out 続出で追加公演決定だって。陸奥子さんは元気で、上田ちゃんは倒れて海老はホームシック。

そう言えば、この天鶏アメリカツアー中、照明の柿嵜清和がアメリカ人スタッフに10メートル超の脚立をわざと倒されて、脊椎損傷の大怪我をしたのだった。

アメリカはユニオンが強いので礼儀をわきまえて付き合わないと、そんな仕打ちを受ける。向こうにとっては死活問題。仕事を奪われてはやってられない。任せておくことが大切。郷に入っては郷に従えだ柿嵜。

さて2018年11月7日、昨日は初日よりもいい雰囲気で本番を終え、ほっと一息。12時からだったので14時には全てを終えて。

さて、あとは何をしたらいいのか?わからないような贅沢なような調子が狂うような。そんな感じでした。

今日は、ソロをもっとよくします。まだまだ考えることが一杯あります。

俺の仕事は考えることなので当たり前。そしてそれを実行してみて、また通しで観ている咲子とDillの意見を聞くのだ。

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ダンサー紹介。Aime Irasema Sanchez ”イラセマちゃん”と呼んだ方がいいようなヤングガールです。 
posted by Mukai Kumotaro at 07:09| 日記

2018年11月06日

いま

時差の関係で、メキシコはいま11月6日(火)の午前9時です。日本より15時間遅れています。ということはどういうことだろう?

このブログ?は日本についたら二日分書けばいいということなのか?まあいいか。

昨日は、CEDRAM公演初日。よく言えば緊張感のある舞台で、そうでなければやや硬かったかな。という感じで。全体的にはまあまあという手応え。

しかし自分のソロというのは最後の最後まで後回しになるのでほぼぶっつけ本番でになるのですが、やってて「なんだかただうろうろしてるだけだなあ。」とかやりながら思ったり。

作・演出・振付が出演していると、本番を自分の眼で客席に座って通しで観ることができない。という宿命を抱えます。このスタイルは世界中に沢山いると思いますが、皆さんどうしてるのかな。

信頼のおける人にかわりに観てもらう。これが一番多いのか。ビデオでチェックする。これはあまりよろしくないです。映像にはその場の雰囲気や大切なものが写っていなかったりするので。単なる間違い探しやあげ足とりになりかねない。

一番手っ取り早いのは出ずに作・演出・振付に徹してしまう。まことクラヴの遠田誠も最近このスタイルになっていますが、最近わたくしも自分が出てしまうことの無理を感じています。

伊藤キムさんも一時期、自分は出ないようにしていましたがはたから見てるとそれだとつまらない。

大駱駝艦の舞台を観ているとそんな問題は全く感じないので、やればできるのだと思ったり。まあしかし麿さんは麿さんで俺は俺なんだとも思ったり。

昨日の本番前の通しでは足がずーっとつっていました。劇場が寒いというのが原因だと思うけれど、思うようにいかない自分のからだに腹が立って頭にきました。もう寒い時期は踊れないからだになってきています。

そういう意味でも作・演出・振付に徹する時期に来ているのかなと思ったり。まあでも行けるところまでは頑張って行ってみるか。

今日は、二日目。昨日は晴れて久しぶりに太陽を拝むことができて、気分も晴れやかになって本番に臨むことができました。今日は朝から息が白くなるほど冷え込んでいます。なんとか晴れるといいなあ。

作品も晴れやかにもっと面白くなるように、咲子プロデューサーからダメ出しや感想をもらって皆んなで打ち合わせして二日目に挑むのだ。

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ダンサー紹介 Shila Rojas 通称”シーラ”。冷静で知的でエレガントなお姉さんです。 
posted by Mukai Kumotaro at 09:14| 日記

2018年11月05日

さて

昨日は、朝から明かりづくりでした。同時に音のチェックもするのでたいへんです。目が回ります。

ナレーションに合わせてうごきもチェック。しかしスペイン語なので、いまなんと言っているのかわからないからこれもたいへんです。

踊りのほうは長い時間をかけて創ってきているので安心。あと入りの隆夫さんの演出も同時につけていきます。遊び心に満ち溢れ、存在感抜群の肉体を持っているのですぐに決まります。よし。

初演の時に師匠の麿赤兒から頂いた、幾つかのアイデアを現実化させます。

客入れでカーテンの向こうで本を読む少女”しず”。そこに不気味に近づく黒い影”隆夫”。真っ白な太陽を横切ってカーテンの中にゆっくりと忍び込んでいく黒い影。

初演の時はここで暗転にしたのですが、麿さんに「あれは勿体ない。あそこからの展開が観たいんだよ。」との感想をもらったのでそのあとを創ります。

忍び寄る影に気づく少女。ゆっくりと椅子から立ち上がり後ろへと下がっていく。ゆっくりと近づく影。逃げる少女。でも興味もある。「なんなんだろう?」すこうし近ずいてみる。「逃げないと危ないぞ。」

あとは、エンディングです。

原爆”リトルボーイ”の模型を斎藤英治に作ってもらったのですが、初演ではマッドサイエンティストと木谷真一でラグビーみたくキャッチボールをしたりしていました。

後日、大駱駝艦の事務所に行って色々な感想やダメ出しを聞いたのですが麿さんに「あれ、お前観客に渡したらいいんじゃねえか。」と言われてなるほど!

原爆を渡された観客は、困ってしまいます。人類の未来を手渡されたようなものですから。模型ですが単純にそんなもの渡されても困ります。持ってるしかない。のか。誰かにまた手渡してしまえばいいのかもしれない。

本当か?本当にそうなのか?人類が創りだしてしまった怪物”核兵器”。それが爆発したら皆んな死んでしまうんですよ。

なのに「核の抑止力なんです。」とか言ってる馬鹿な宰相もいますが、矛盾に満ちた人間というものの姿の象徴だと言っても過言ではないと思います。

それはさておき。。ん?おいといていいのか?まあいいか。死ぬ時は死ぬんだし。仕方ない。

今日は、朝から新しく参加してもらうスタッフへの申し送りをして、オープニングとエンディングをあたったあと通し稽古です。

そして、18時から本番一発目。いかが相成りますか。乞うご期待。仕上げを御覧じろ。です。

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ダンサー紹介。エスパル・タカス・マルチネス・カルデナス。通称”タコ”。俳優で舞踏家。横尾咲子さんの旦那さんで3人の子どものパパです。
posted by Mukai Kumotaro at 06:06| 日記

2018年11月04日

スペイン語

『ふたつの太陽』は少し台詞やナレーションがあります。最初は、この場が1945年8月6日の広島なのだ。とわからせるために皆んな日本語を喋ります。

メキシコのダンサーが苦労して覚えていました。たどたどしく喋るのがいいなあ。なんて思っていたら自分がいざスペイン語を覚える段になるとさあ困った。あした本番だというのにまだ入っていません。

Soy Kumotaro Mukai. Pero mi nombre real es Kenji Kidani. Tengo 51 ahos... えーと。。

音楽家のDillに今回は音響もやってもらうので、ドーニャ・ルルーのナレーションを録音してもらいました。スペイン語です。

旦那さんも役者さんだというので、初演に江戸川萬時が担当していたナレーションを喋ってもらいそれも録音。楽しみです。

色んな人の協力を得ながら作品を創っています。人手不足なので一人何役もこなします。きついこともありますがそれも楽しんでいこう。

海外で作品を公演するというのは本当に大変なことです。やっぱり時間と労力とお金がかかります。これが大駱駝艦の本体を呼ぶなんてことになったら受け入れ側は一苦労だろうなあ。

独立して活動しているからこそわかる苦労。独立していないとわからない麿さんの偉大さ。です。

最近、ここパツクアロは雨が続いて寒いです。劇場が石造りなのでこれまた冷えます。裸になるのでからだが冷えるので、怪我だけは気をつけないと。

とか思うけれど肉離れするときはするし奈落に落ちるときは落ちてしまうのだ。思い切っていこう。

今日は、昨日できなかった止め通しです。音楽と明かりと踊りや字幕、ナレーションを合わせて調整して最高の状態に仕上げて行きます。スタッフもダンサーも優秀なので大丈夫だ。

あとは自分のソロとラストか。

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スペイン語のナレーションについて打ち合わせ中のDillと咲。
posted by Mukai Kumotaro at 09:28| 日記

2018年11月03日

1997年1月9日

チームSの稽古を見る。狙いはわかるし、好きな世界もよくわかるが、この人たちのやっていることに何か意味はあるのか?これをやることに意味はあるのか?

”やおい”という言葉がある。「山なしオチなし意味なし。」ということをあらわす言葉だが、やおいでもいいのか?問題意識や危機感は彼らにはないのだろうか?

だらだらとした格好だけの世界に誠意は感じられるのか?舞台を創ることの面白さ、作品を創る意味、踊りを創ることの必然性は?

「自分が知らないということをこそ知る。」だからこそ問いかけてみる。わかっているから問いかけるのではなく、わからないからこそ問いかけてみる。

「一つの問いかけは、千の答えよりも多くの起爆剤を含んでいる。」要するに疑うということ。「本当か?本当にそうなのか?」大切なのは問題意識。

シリアスな表現をしようとすると、もとになっている感情も同じだし結果もシリアス・悲劇になる。簡単で当たりまえだし想像のできる範疇でつまらない。

逆にこれを笑い飛ばして、アイロニカルやギャグやパロディーとして創る。その方がよっぽど強度を持ったものとして立ちあらわれて来るのだ。同じことをより強く表現できることもあるのです。悲劇も喜劇もどちらもあるのがこの世界だし。

死神が皆んなを踊らせようと それぞれの手をとらせ 長い列をつくらせて 先頭には大鎌と砂時計を持つ死神が立ち 竪琴を持った道化が最後尾

重々しく踊りつつ 夜明けの空から 踊りをつづけながら 暗闇の国へと向かう 雨が彼らの顔に降りそそぎ 彼らの頰から 苦難の涙を洗う

舞踏の日本的・民族的・土着的で具体的なディテールを取り払い、輪郭をはっきりさせることによってインターナショナリティ・普遍性を獲得しようと考えた。八紘一宇・アメノシタヒトツイエ作戦の成功?

舞踏にとっての絶対条件だった表層や細かなディテールを取り払った結果、からだはただの表層になってしまい身体性や物質性が薄く、どこにも存在しない単なる記号になってしまった。

何を言うとるねん?1997年1月9日の俺。

さて、今日はいつものように9時から朝食を食べて10時に劇場入り、アップをして頭からダンサー、照明、音を合わせて全体を創っていきます。16時まで6時間、集中していくぞ〜٩( ᐛ )و

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先頭は”カトリーナ”。死者をあの世へと導いていく。
posted by Mukai Kumotaro at 08:45| 日記

2018年11月02日

死者の日

昨日と今日は“死者の日”です。ここメキシコでは、“死さま”というような敬いかたをするそうです。お墓を掃除して死者を敬って盛大にお祭りする。日本でいうとお盆みたいな感じなのか。

しかしそこはラテン系、一晩中大騒ぎしてます。ここパツクアロは町の名前が”死者”というような意味で、死者の日の中心地なのでメキシコ中から人がどんどん集まってきています。

露店が沢山出てネオンが光り輝き盛り上がります。夜中に花火なんて当たり前。パトカーに救急車、消防車が一晩中走り回っています。

とにかく一番でかい音は電車の警笛です。踏切がないので車が横切ったら一巻の終わり。

そうならないように「近ずいてるぞー!!!!!」とものすごく遠くから、力一杯警笛を鳴らし続けます。だんだん近ずいて来てしまいには爆音になります。稽古も中断、話し声がまったく聞こえなくなります。

人生で二番目にでかい音かもしれません。一番はミシガンの踏切で聞いたこれも電車の警笛の音。

アメリカミシガン州に二ヶ月滞在しての作品制作中。最初、言葉が通じなくてちと落ち込んでいたのだけれど、あの耳をつんざく信じられないほどでかい音を聞いたら、思わず叫んでて励まされたような気持ちになって元気が出たのを覚えています。

それはさておき。死者の国の死者の町で、死者の日に死者のお話の制作をする。でも厳かとか静粛にとかとは違ういろいろな弔い方があっていいのです。とらわれず決めつけず柔らかく行こう。

今日から後乗りの二人も合流、出演者が揃って劇場に入ります。舞台美術を仕込んで照明を仕込んで、頭からシーンシーンで諸々の確認をしながら稽古を進めていきます。

よろしくお願いします。頑張ろう!!

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第二スタジオにて床にはる舞台美術、(by 杉山至)をみんなで制作中。
posted by Mukai Kumotaro at 09:22| 日記

2018年11月01日

CEDRAM

ここCENTRO DRAMATICO DE MICHOACAN、通称”CEDRAM”は、ラサロ・カルデナスというメキシコの歴史上、とても人気のある大統領の別荘だったそうです。

いまは文化芸術の施設です。日本でいえば大名のお屋敷が庭園として生まれかわるみたいなものか。

広大な敷地の中に劇場とどでかいスタジオがあります。CEDRAMのコンセプトはリサイクルらしくすべて一度舞台で使ったセットで作られています。

でかいスタジオは前衛的で宗教的なお芝居の教会のセットと舞台美術で出来ています。

一回り小さいスタジオがもうひとつと劇場の隣の作業場と、国立劇場の衣裳の保管場所だというあらゆる衣裳がズラーっと並んだ壮大な衣裳倉庫、移動式のステージトラックが2台にスクールバスが2台あります。

レジデンス施設も充実してて1人部屋が10室に2人部屋が10室、家族で泊まれるような部屋が何室かあるようです。

緑にあふれていて、朝ライムを収穫してそのまま朝食に使います。イチジクやマカダミアナッツなんかもなってます。ので頂きます。

羨ましいですが、文化予算が削られて大変なようです。それは、どこでも同じか。文化芸術なんてのは無用なものと考えられて隅に追いやられてしまう。人が生きていく上で本当に大切なことは何なのか。

ボスのマエストロ・チャマコのオフィスは大統領の元執務室でこれまた羨ましい。一階が食堂になっていてそこで朝9時に朝食を食べて16時にランチというかディナーというかを頂きます。

そんなCEDRAMに今日から、川口隆夫さんと井上裕二 a.k.a Dillが合流、月曜日の本番を目指します。

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元大統領の執務室でいまは、マエストロ・チャマコのオフィス。
posted by Mukai Kumotaro at 17:36| 日記

2018年10月31日

言葉について

日本語ってなんだろう?だいぶん前にテレビで日本語について考える番組を見た。いまの若い人が方言を喋らなくなっているという内容だった。恥ずかしいのだな。

いわゆるテレビの中で使われている言葉”標準語”を喋りたい。そういう気持ちなんだろう。俺は東京に来てからしばらくは関西弁を喋っていた。

高円寺の風呂屋で殴り合いになったのも原因は言葉だった。関西弁を馬鹿にされたのだと思う。

子どもの頃、淡路島に行くと東京からいとこの浩幸くんというのが来るのだけど、東京弁との戦いで影響されて喋ってしまうと気持ち悪くて恥ずかしかったのを覚えている。

テレビの影響で標準語を喋る人たちを”モノリンガル”というのだそうです。だいたい30代まで。

俺のようにどちらも喋れるのが”バイリンガル”。30代から60代。いっぽうで方言しか喋れらない人たち、70代から上の世代がいる。

いま、子どもたちとおじいさんおばあさんが話せないらしい。言葉が通じないから、コミュニケーションを取れない。そこで潜在話者と呼ばれる、間の俺たちの世代がとても大切な役目を担うのだそうです。

でもまあ、関西弁ぐらいなら問題ないけれど、山形弁だとまったくわからなかったりするらしい。ましてや他国語だったらお手上げ降参状態。

そうするとコネクター、通訳的役割が必要になって来るのだな。シズとかジゲンが相手によって、パッと言語を切り替えるのが見てると頼もしくてかっこいい。どんなに知的なことを考えていたって、相手に伝えることができなければ仕方がない。

外に出す方法がない。幼児レベルでしか言葉を発することができない。ということは要するに知能が幼児レベルだということとイコールだと思う。誰にも通じない思い。考え。

コミュニケーションってなんだろう。言葉によるコミュニケーションが全てではない。けれど大切な手段のひとつであることは確か。シティで迷子になったときはもうダメかと思ったもの。

知ってる言葉が「ありがとう。」だけ。道を聞くことも、ここが何処かも訪ねることができない。『母を訪ねて3000里』の主人公マルコになった気分だった。「あー、このまま中南米で道に迷って、最後には南米の方まで流されてさまよって。」

めちゃめちゃに歩いてたら偶然もとの劇場に戻ってきて、安堵したけど危なかった。まあ万が一、日本に帰れなくなったら大道芸で食べて行くのです。

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骸骨とバカボンのパパ。「これでいいのだ。」
posted by Mukai Kumotaro at 11:18| 日記

2018年10月30日

子ども

エスパルと咲ちゃんには、子どもが3人います。毎日午後から稽古に参加しますが、まあ賑やかです。しかし子どもを見てると自分にあんな頃があったなんて信じられない気持ちになります。

嫌なことは嫌。と言うことを全く聞かない。心が自由なんだな。一時もじっとしていない。けれどその方が自然なんだろうな。人の目や教育や躾によって規定されてしまっている身体のうごき。

そんなこと関係なく自分の動きたいように生きる。そうすると怒られる。でも全く気にしない。決して懲りない。なんていうことを次男のジゲンを見てると思う。常にうごき続けてじっとしていない魂。

子どもというのは本当に遊びの天才です。常に遊んでる。木があったら登って、棒があったら持って振り回して、斜めの板があったらとりあえず乗ってみる。花があったら両方の鼻の穴に突っ込んでみる。これはミヤビですが。

あの遊びへの欲望と探求の心を大人になると忘れてしまう。からだのすべてを使って遊び倒すのではなくて、小手先の小さな遊びで満足するようになってしまう。残念です。

お姉ちゃんのシズちゃんは、そんな大人への階段をすでに登り始めている。美人さんなのでエスパル心配だろうな。

末っ子のミヤビはまだまだ赤ちゃんなところが残ってます。そういえば、咲ちゃんも3人兄妹の末っ子で、ミヤビの気持ちが良くわかるらしいです。放っておくと何処までも行ってしまう。

突然「ブルファナキソの人と結婚するから。」と言い出すなんてことが想像される。でも咲ちゃん的には「どうぞどうぞ。」な気持ちでいるらしいです。いいね。

ジゲンがそのまま大人になるとエスパルになる。ミヤビがそのまま大人になると咲子になる。そんなことが見てると想像できるので面白いです。

子どもを産めよ増やせよ。身勝手にそんな風に思います。しかしパツクアロというおおらかな田舎だから、子どもが3人いても平気なのかもしれない。日本で、とくに東京だったら3人なんてたいへんで無理なのかも。

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土方さんの前のエスパルとミヤビ。
posted by Mukai Kumotaro at 17:54| 日記

2018年10月29日

神楽から

今日から神楽舞に入ります。その前に今までの復習をしようということになり。やってみると意外と忘れているものです。

その日の調子や雰囲気によっても変化してくるので微調整します。目の前に見えるものを面白くする。ただそれだけ。

では、足りないこともあるけれど最終的にお客さんがどう感じるかは、本番になってみないとわからないこともあるので、適当にしましょう。

蛍光灯と無音でまあまあ面白かったら、照明と音楽が入ったら相当面白いと考えていいと思います。稽古場でどこまで創っておくのか。創りすぎると重たくなってガチガチのつまらないものになっている。なんてこともありがち。塩梅ですね。

ただ蛍光灯の方が面白かった。なんてことも起こるから不思議。明かりはまわりの雑多なものごとを隠して見えなくしてくれるので有り難いですが、観せるポイントを照明家がわかっていなかったら台無しになってしまいます。

今回、CEDRAMのテクニカルスタッフ・ジージョにたいへんにお世話になっています。ジージョの本職は照明でしてなんとメキシコで3本指に入る、有名な照明デザイナーです。前回のメキシコツアーの時は照明をデザインしてもらいました。

そして、CEDRAMとメキシコシティの公演ではジージョの兄貴分で同じく照明家のバレンティンが明かりを担当してくれるということでとっても心強い。

ジージョは俳優のようないい男ですが、兄貴分のバレンティンがこれまた渋さの不破さんを小綺麗にした感じのナイスミドルでして、女性にもモテモテだとか。

そういえば、CEDRAMのボス、マエストロ・チャマコも素敵なおじさまで女性にめちゃめちゃモテるそうです。腹違いの子どもが3人いて、いまは咲ちゃんと同い年の女性とお付き合いしているそうです。

それはさておき、メキシコで3本指に入る照明デザイナーにお世話になって、本番はその兄貴分に照明デザインとオペレーションをしてもらう。ということは3本の指の2本にお世話になっているということなのか。

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右:ジージョ、左:バレンティン。
posted by Mukai Kumotaro at 19:05| 日記

2018年10月28日

懸案

昨日は、初演でうまく行ってなかったシーンの創りなおしでした。こういう手直しは下手をするとドツボにはまって手こずって、時間ばかり食うということがあるので気を引き締めて稽古に向かいます。

けど真面目は禁物、ふにゃふにゃ頭のこだわりゼロで向かいます。思い込みや決めつけも要りません。幸い遊び大好きなメンツなので、心配していたようなことは起こらずに面白くかたちになって行きます。良かった。

先へ進もうかとも考えるけれど予定よりも進んでいるので、このシーンをかためます。何回も通すと、よりいい感じになって稽古を終了。ひと安心。

ルルおばさんの美味しいランチを食べて「サブロッソ。」細い麺の入ったトマトスープと鶏肉と温野菜の盛り合わせでした。ライムとチリを入れてさらに美味しくします。

ここメキシコには400種類のチリがあるらしく、家庭ではだいたい10種類ぐらいを使い分けるらしいです。

そのあとエスパルと床にはる舞台美術を引き取りに郵便局へ。そして今回は骸骨が4体になるので街へ出て骸骨探し。死者のお祭りが近いので街には骸骨が溢れているとかで、いいのを探します。

そういえば、ここパツクアロは死者の日の中心的な場所らしくメキシコ中から人が集まってくるとか。昨日の夜も一晩中大騒ぎをしていました。うるさかったなあ、夜12:00に花火て。

さて街には適当な骸骨がなかったので自分たちでつくることにします。なるべくつくれるものは自分たちでつくるのが大駱駝艦魂です。

夕方から雨が降りはじめ夜通しシトシトと降り続けます。天気がスッキリしないと気分もスッキリしないもの。こんな日は、お酒も飲まずに読書をしながら眠りましょう。また明日。

と思ったけど眠れなさそうなので、ビールとパツクアロの地テキーラ”メスカル”を頂きながら作品のことを考えます。

今回、骸骨を四人にしようかと考えていたけど一人の方がいいと気づく。人数が増えると派手にはなるけれど力が分散してしまう。一人の方がやっていることがわかりやすく集中してみれる。

こういう気づきは時間が経たないと出てこなかったりするので恐ろしい。そのまま本番をやってしまったりして取り返しがつかないことになったりするのだ。

CEDRAMの猫”ピンチ”と咲ちゃん。
posted by Mukai Kumotaro at 09:57| 日記

2018年10月27日

あいのうた

昨日も稽古は、朝10時からはじまって快調に進みましていい感じ。16時に終わってランチです。

こちらメキシコはだいたい16時ぐらいに遅めのランチを盛大に食べてそれからシエスタしてまた仕事して、夜は軽めに食べて終わりらしいです。

CEDRAMの食堂でドーニャ・ルルおばさんお手製のランチを食べます。これがほんとうに美味しいのです。優しい味でホッとします。ルルおばさんの本職は女優でありまして市民演劇の指導者でもあります。『ふたつの太陽』のナレーションもお願いします。

ランチを食べ終わって、みんなで街へ出て伝統音楽のライブへ。少し文化レベルが高い感じのカフェにて音楽を聴きます。

しかし、ミュージシャンが遅れているとかでしばしお姉さんのスピーチ。なんだか早口で喋りまくってます。言葉がまったくわからないのでまるでお経を聞いているよう。

きっかけよく席を立ち店の中をぶらぶら物色。そうこうしているとミュージシャン到着。小太りの4人組でコントラバスとギターが2人、1人は手ぶらです。

超絶演奏が始まると手ぶらのおじさんが歌い始めました。おそらくラブソングを歌い上げます。4人は一曲歌い終わるごとに店から出されたテキーラを飲んで、特にボーカルのおじさんは立ってるのもやっとの、ほぼ泥酔状態。

しかし一度歌い始めると、風態や顔からは想像できないファルセットボイスな声を絞り出します。

恋い焦がれる彼女の家の中庭で、2階の彼女の部屋にめがけて伴奏を従えてラブソングを熱唱している。そんなイメージです。

めちゃめちゃノリのいい曲なのだけど4人が全く乗っていないのがまた素敵で格好いい。乗りというのは極力抑えたほうが格好いいもので、内側でノリノリになる。乗りを内燃させるともいいます。踊りでもそれは同じだと思います。

メインボーカルのおじさんの弁髪が印象的でした。泥酔状態でお客の前に出なければいけない理由。いやそもそも理由なんてないのか。でもおじさんの唯一のアイデンティティをそこから感じるのでした。

サボテンのどぶろくとかいうのを飲んでほろ酔いで帰りました。それではまた明日マニアーナ。

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CEDRAMに飾られれるという、どでかいポスターを発見。こちらはいちいちスケールが大きい。
posted by Mukai Kumotaro at 19:42| 日記

2018年10月26日

稽古開始

CEDRAMにて稽古が始まりました。劇場に隣接するスタジオにて先ずは舞踏の基本から。そのあとオープニングを稽古。

今回、参加してくれるシェラとイラセマはメキシコで著名なダンサーだそうです。2人ともプロなのでさくさくと進みます。

予定のシーンよりも先へと進んで、「よしっ。」てな感じで。やはり再演というのは初演とは比べ物にならないぐらいに楽です。初演に労力と時間とお金をかけた結果です。

再演でそれを回収していく。報われていく苦労。てな感想はまだ早い。成功してこそ報われる。必ず成功するように全力を尽くします。頑張れ、俺。

さて、今回まずは俺の言葉を湯山が英語に、それをエスパルがスペイン語に通訳して。ということがインタビューの時にあったのですが、まさにリアル鉄割の演目みたいでなんなんだろう。この感じは?不思議です。

カナダでは英語圏とフランス語圏に完全に分かれているらしく、植民した人たちの母国語がいま使われている。ということですね。

「国なんてなくなれば平和になるのに。。言葉も同じだったらいいのになー。」みたいなことをぼやいたら、隆夫さんが「いや、雲太郎くんそれは違うわよ。言葉は分かれてるからいいのよ。」的なことを言われてその時は「うーん。」と思ったのでますが今回、その意味を噛み締めています。

ちなみに隆夫さんは、3ヶ国語を喋ります。日本語、英語、スペイン語。

言葉というのは不思議で面白いものです。エスパルと咲ちゃんの息子、じげんが、隣で日本語を喋ってくると、誰にもわからない秘密の暗号を喋り合っているみたいな密やかな楽しみがあるのです。発見。

その人のわかる言葉で喋ることが出来る。コミュニケーションが取れる。素敵なことなのです。

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今回、新しく加わる骸骨“カタリーナ”。『アホとロマン』で創り上げエスパルと育てたピースが大切な役目を負います。
posted by Mukai Kumotaro at 23:21| 日記