2018年05月21日

ふりーだんす?

1994年3月18日 大駱駝艦ワークショップの講師は安田理英さんだった。

最初は野口体操をやったと思う。覚えてないけど。

野口体操というのは、20代の麿さんが、故・野口三千三先生から教えてもらって雷に打たれるほど衝撃を受けた体操です。そこからラクダカンにも導入されて代々ずーっと受け継がれてる。

これは余談ですが後年、わたくしが人に教えるようになってだんだんと、野口体操と名乗るのは良くないのではないか。と感じ始め。

野口体操とチラシに明記すると、野口体操目当ての方が来る。しかも野口三千三先生に直接指導を受けたなんていう方々が。そうすると「あれは野口体操ではない。」となる。

わたくしもWS生に直接言われた。直接言われるぶんには良いけど、外でも言われる。まあ別にそんなこと気にしなければ良いのだけど。

確かにわたくしは野口先生に直接指導を受けたわけではないし。もちろん自分なりに勉強はしてた。『原始生命体としての人間ー野口体操の理論』を読んだり。ちなみにこの本、野口先生の人類に対する独特の でも腑におちる話しが濃密につまってて眼からうろこなとっても面白い本です。いまだにバイブル。おすすめ。

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弟弟子、田村一行に秘蔵の映像を観せてもらったり。でもいまいち野口体操と名乗る自身が出ない。

じゃあこれは何なんだ?俺らがやっている代々ラクダに受け継がれてきたこの体操は? 考えて。

ある日、誰かが「これって大駱駝艦の体操なんじゃない。」うん。そうだ。“大駱駝艦体操” だ。

しかし当時のわたくしはそんなこと全く考えず。野口体操もわからず。舞踏も知らず。

まったく覚えてないけれど1時間以上は見様見真似でやったと思う。体操を。無我夢中で。それから休憩になって。話せる人などいないので借りてきた猫みたいになってたと思う。

そして。休憩が終わると安田さんが言いました。「じゃあ、フリーダンスやろっか。」

ふりーだんす?この人は何を言い出したのだろう?あれ、なんか一人ずつ踊りはじめたで。まずは安田さんか。面白美しく踊ってはるわ。やばい。このままだと順番がまわって来るということか。俺に。うん? この男の人の踊りは面白いな。舌を出してくねくねタコみたいに。見てて飽きひんぞ。やばい。終わってもーた。次は女性か。小さくて妖怪みたい。次は男か。金髪でヒゲ生やしてマユ毛剃って怖いなこのおじさん。50歳ぐらいか。うわっ。終わった。。
やばい。次俺やん。。。

「じゃあ、次は、えーっと。むかいさん?」

こんなことなら来るのをやめるべきだった。人前で踊る?!そんな恥ずかしいことするぐらいなら死んだ方がましだ〜
(((;꒪ꈊ꒪;)))とまで考えたかどうか覚えてないけど。

稽古場の真ん中まで出て。いま思うと俺以外ラクダカンのメンバーだった。その人たちが皆んな観てるわけです。まあ面白い見世物ですよ。生まれてはじめて人前でおどる人を観るなんて。

いまでこそ授業にダンスがあって、テレビでそんな番組があったりして、みんな踊りに触れる機会も多いけど。

ワークショップに来る前に見た大野一雄さんの写真を思い出して、ポーズを取ったの覚えてる。でも一枚の写真だからワンポーズで終わって。時間にして5秒ぐらいか。やばい。これでは終われない。素人ながらそれはわかった。みんな結構長くやってはったから。困った。これは困った。なにをしていいかまったくわからないよー。がくがくぶるぶる((((;゚;Д;゚;))))

あーあ。
しばらくなにもせずにただ立ってた。と思う。無音ですよ。無音。。

あかん。もうあかん。耐えられない〜!いうて。

そんで?

そんで。。

トイレに逃げ込んだんです。
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2018年05月22日

それからどうしたパート3

24年前、板橋にあった大駱駝艦の稽古場。いまは劇団がスタジオとして使って、サルバニラが真っ白にした空間はいまもそのまま残っている。

わたくしがトイレに逃げ込んだ時はまだ真っ黒で。トイレはいまも同じ入って右手の隅にある。

そのトイレへ、わたくしはゆっくりとじわじわ寄って行きドアを開けて入った。

のか、ささっと逃げ込んだのか。覚えてない。

ただトイレの中でどうしようかあれこれ必死で考えてた。背筋が寒い。胃が痛い。プレッシャーとストレスで寿命がどんどん短くなってた。と思うよ。マジで。

嘘のないリアルでスリリングな瞬間ほど観ていて面白い見世物はない。

その先に何が起こるかまったく予想がつかない、ライブ “生”な瞬間。

だから、皆んなサッカーや野球やサーカスに夢中になるんだ。筋書きのない物語が生まれる瞬間を期待して。

わたくしたちは、そういうメジャーな見世物に負けないために、危なくスリリングな瞬間を偶然に頼るのではなく“わざ”と創りだそうとする。

でもやっぱりそこには作為が見え隠れする。上手くやろうとしない。

でもわざと下手にやるのも違う。人生即興なんだけど即興ばかりだと比例して、はずれも多くなる。

「この世にないものを描きたい。しかしまるっきりでたらめじゃつまらない。」昨日見に行った、親友・水野健一郎の個展で水野がメモしていた言葉。

あっ、そういえばこの個展、漫画なのか? アニメなのか? イラストなのか? アートなのか?

物語りがないような在るような 夢のような現実のような ノンフィクションのようなフィクションのような なんなんだ一体これは?!

正気とぴちがいのはざまで遊んでる スーパーおススメ個展!!(全部観るのには、結構時間がかかる。)

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Deux Shrine’s launching Performance“Two suns” Animation:Kenichiro Mizuno
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それからどうしたパート3の追記

いま、2019年の4月4日ですが、カテゴリーというのを増やして最初から分けていっています。

読み直して点を入れたりとか直しています。

そんでちょいと長ったので二つに分けました。下記、約一年前の『ブログ?』です。こんなことが出来るのもWebligの特徴。

ゆらゆらといつまでも定着しないで変化し続ける。そうしていつか一気に「パンッ」と消えて終わり。

ある時、鉄割の打ち上げで戌井くんが弟に本気で怒ってたことがあったけど、それも理由は似たようなことだったと思う。

絶妙な塩梅というか、どちらにも倒れないバランスというか、研ぎ澄まされたセンスというか。

言葉にできないはざまの感覚なんだよなー。

閑話休題。なんの閑話休題かよくわからないけれど自伝みたいなものの続きだな。

あの時、大駱駝艦の板橋稽古場にいた人は、いいものを観たと思う。30年近く生きてきた男の嘘のないスリリングな姿。

初心忘るべからずと言います。

汚れていなくて “清い” あの恥じらいがあって “初々しい” 心を決して忘れるな。そんな風にいまは使われる。

しかし本来の意味は正反対で、初めてのふるえるほど “かっこ悪い” あの未熟で “恥ずかしい” 心を決して忘れるな。という世阿弥、風姿花伝での戒め。

いまの自分が舞踏を続けているのは、あの瞬間があったからだ。そう言い切れる。かな。いま思い出しても自分自身は恥ずかしいけれど。

この恥ずかしいという気持ちはとても大切で、恥ずかしさのない表現は下品なだけになってしまう。

兄弟子、村松卓矢とよくこのことについて話したけど、ただフルちんになればいいのではなくて“心のパンツを脱ぐ”ことこそが肝要で、魂のストリップを観せて欲しい。のだと。

トイレの中にどれぐらいいたのか。こういう時は長くいればいるほど出てきにくくなるもの。けっこう早く決心したと思う。そのへんは開き直りがはやかった。

そしてトイレに入った以上は用を足したというサインというか証拠というか。が必要だと閃いたのだと思う。そのへんはセンスがあった。

トイレットペーパーを外にも聞こえるようにカラカラ鳴らしてから、水洗を流した。つまり本当に用を足してたと。

えー、言い訳です。はい。

言い換えるとあくまでリアルさにこだわった。本当で。嘘ではないです。ただ「トイレ行ってました。」と。

苦しいなあ。

ゆっくりと出て行った。妙に爽やかだった。少し微笑んでしまってた。麿さん的に表現するとにやにやしてた。ゆっくりと稽古場のセンターにもどって、さっと礼をした。拍手。

「面白かったよ。」ワークショップが終わったあとに、タコみたいに踊ってた男性が話しかけてきた。いまは高知でキューリの栽培をしている大友透だった。

彼とはこのあと親友になって毎日いろんなことを教わるのだが、それはまた今度。
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その頃は、まだ髪の毛があったのだ。ついでにソースも直しました。HTMLというソース(構文)で挟むかたちでWebsightはで出来ているのです。むかし取った杵柄。
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2018年05月23日

さてさてそれから

人前で踊るというくそ恥ずかしい体験をしたわたくしはそれからどうしたか。

3月22日、4日後にまた板橋の稽古場へ行ったんだな。

ワークショップは7時からだが行ったら誰もいなくて電気が消えてて。しばらく待ってたら、稽古場の奥の暗闇からセキをしながら男の人があらわれた。

「俺の時は7:30からというコトで。」そういうと、また闇の中に消えて行った。

その人は鶴山欣也と名乗った。前の日飲みすぎたとか。「俺から酒をとったら何が残る。」そう言って笑ってた。

参加者は俺を含めて3人だった。しかし鶴山さんは、まったく頓着していない風で可笑しかった。


ワークショップがはじまるとそれまでくたびれてボロボロな感じだったのが、イキイキとテンポよくどんどん進んでいく。

わたくしも1回目は無我夢中だったけどちょいと余裕が出てきて。

〜途中で大友登場。雨が降っていると鶴山さんに告げる。皆んなで明日の公演の道具をワゴン車の荷台に積み上げる。しばし休憩〜

昔の日記を見ながら書いているのだが、絵を描くという孤独な作業を続けていた自分にとって、皆んなでバタバタしてるこういう感じがとっても気持ちがよくて新鮮で。

やることなすこと全て面白かった。からだがまったく思うようにうごかないのがもどかしくて。

それがまた深みにはまっていく原因だった。からだというものに目覚めたんだな。からだという小さな無限の大宇宙に。

さいごにフリーダンスをまたやったと書いてある。

〜鶴山さんの巧みな選曲によって、ついつい気持ちよく踊ってしまう。だが鶴山さんのいう見せる踊りと自分のための踊りの差は大きい。とにかく続けること〜

だいぶん、はまってきとるな。

日常的にはあいかわらずのバイト生活。西武運輸で朝から晩まで働いて残業もやって。

3月25日 〜工藤治子 野口体操 胃の中を小魚が8の字に泳ぐ 徐々に大きく からだ全体 手足 前屈 側屈 パッション

3月29日 〜安田理英 野口体操 かっこをつけない 意識を集中させる 円になり順々に先頭の人の真似をする 同じく円になり座る

スローモーションですれ違う フリーダンスですれ違う 声あり
何をしてもいいということ。しかし踊っているという目に見えない一線は意識しなければならない。〜

この日、宿命のライバルであり戦友である村松卓矢がワークショップにあらわれた。

面白い笑えるおどりというものを知り意識しはじめるのだった。

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板橋の稽古場で。菊池七変化と村松卓矢と。

だんだんとその気になってきた、わたくしは頭を丸め、眉毛も剃ってますます深みへと踏み込んで行くのだった。

(追記:ちなみに3月18日、初日のワークショップ講師は山田歩さんでした。)

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たぶん唐組へ折込に来た花園神社で山田歩と。撮影は旦那さんの加藤さんかな。
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2018年05月24日

からだ?

大駱駝艦のワークショップに通いはじめて。まだこの頃は踊りというよりも、からだをうごかすことが興味深かった。

明らかにうごいていないことがわかる。そのうごかないからだが、自分のもののようで自分のものではないような。なんなんだこれは?やることなすこと何でも楽しくて。

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photo by Nobutoshi Takagi

そのうち、たぶん鶴山さんだと思うけどイベントに出ないかと声をかけてもらって。ふたつ返事でオッケーして。

それが伝説の東京電力主催『1万人コンサート』。

原子力マネーを湯水のごとく使って毎年行われていたイベントで出演者5,000人、観客5,000人(全員抽選で招待。)というとんでもない企画で考えたのは、なかにし礼さん。

最初は国技館で次に場所を武道館に移し行なわれた。出演が市川團十郎、市川海老蔵、中村勘太郎、中村獅童。演目が変わって里見浩太朗さんになり。

そこにらくだかんも毎年、数十人で出演していた。らくだの男は数十人はいないのでアルバイトが駆り出される。そのうちの一人ですね。

ちなみに山下陽光も出て、打ち上げで坊主にされて眉毛も剃られてぷんぷんでらくだと絶交みたいになってしまった。陽光、ごめん!

いまだに仲が良くて、このあいだ舞台に呼んでくれて共演したコンテンポラリーダンサー柳本MASAともこのイベントで知り合っって意気投合した。ヨーロッパから帰って来たばかりだんたんだな。

いままで会ったことがなかった奴らも含めて、大駱駝艦の男性メンバー全員と顔を合わせた。

鶴山欣也、蹄ギガ、狸穴善五郎、若林淳、星野建一郎、菊池七変化、村松卓矢、徳久欣、大友透。
不良ばかり。

そして、このイベントの稽古ではじめて、不良の中の不良・麿赤兒と出会うのだ。

麿赤兒(まろあかじ、舞踏家、俳優)
状況劇場の旗揚げメンバーでアングラ界の大スター。

状況に出演しながら舞踏家・土方巽に師事。状況劇場から独立してビショップ山田、室伏鴻、天児牛大、大須賀勇らと1972年に大駱駝艦を旗揚げ。

役者としても鈴木清順、タランティーノ、北野武監督の映画で活躍し、、

なんていまでこそ何も見ずに紹介できるけれど。

実はその時、わたくし麿さんのことを知らなかった。

失礼な態度をとってたと思う。「はじめまして、むかいくもたろうと申します。」

いまならきちんと挨拶できるのだが、青二才の馬鹿者はまだまだ苦労が足らず世間知らずで生意気で。

麿さんには、らくだに入ってから目の玉が飛び出るほどこっぴどく怒られるのだが、この時はまだ「なんで眉毛剃ってんだ?あう?」と少し窘められるぐらいで。

この時は単なるバイトだから麿さんも遠慮してたんだろうなあ。

この初対面での「なんで眉毛剃ってんだ?」は、いまだに覚えてて “なんで?” と疑問に思って考えるといういまの活動の原点でもあるのだと思う。

林英哲さんの太鼓、麿さんの振付でらくだのメンバーが選抜で踊る群舞があって、これがめちゃめちゃ格好良かった。

俺もいつかあの群舞を踊りたい!このイベントでますます奥深くへと踏み込んでいく決意を固めていくのだった。
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2018年05月25日

ワークショップあらし?

鶴山さん以外は、皆んな歳が下だった。

だけどわたくしの方が歳上だという先輩後輩のねじれ現象が起こって、でも一つ二つの年齢の違いだからすぐに皆んなと仲良くなった。

セツモードセミナーは女性が多かったので、男が多いらくだかんは馴染みやすかった。

ところが、だんだん馴染んで踊るということにも興味を持ち始めたときに、らくだかんが京都の去年閉館したアトリエ劇研、当時は無門館という名前だった劇場に公演に行ってしまった。

せっかく面白くなって来てるのに置いてけ堀。また単調で灰色のアルバイト生活だけになってしまった。

そんな時、伊藤キムさんというダンサーがワークショップをやると知って、駆けつけた。

キムさんはドイツで活動してたけど最近日本に戻って来たらしい。

「僕が日本でやる最初のワークショップです。」キムさんがそう言ったのを覚えてる。その時に来ていたのが、遠田誠鎌倉道彦だった。

キムさんは大駱駝艦の初期メンバー・古川あんずさんのグループで踊りをはじめた。

だからかダンスと名乗っているけど、基本的にはらくだかんメソッドというか舞踏と似た匂いを感じて取っつきやすかった。

しかしからだのうごかし方が違うというか、スピードが違うというか、やっぱり舞踏よりダンスに近かった。激しくうごくのが好きでジャンプするのが好きだった。

片目を子どもの時に失っていることも関係してるのだと思うけれど、自分の範囲を更新する、自分の限界を超えるということに貪欲だった。

ハンデを乗り越える努力をするような厳しさがあった。それが面白かった。

だいたいわたくしは自分開発というかそういうことが好きなんだな。自己実現。すぐに仲良くなって家に遊びに行ったりしてた。

キムさんのワークショップにも毎回通い始め、まだまだ物足りなくて色んなワークショップに顔を出してた。

先日、惜しくも亡くなられてしまった和栗由紀夫さんのワークショップ、ここにもやっぱり誠と鎌倉がいた。とかアスベスト館とか。他にも行ってたような気がするが忘れてしまった。

アスベスト館で土方さんの奥さん、故・元藤Y子さんに「ワークショップ荒らしみたいなものです。」と自己紹介して叱られたのを覚えている。

それ以来、らくだかんとキムさんのワークショップ以外は行くのをやめた。

そうこうしている間にらくだかんが京都から帰ってきて。

鶴山さんが主宰する“若衆”の新作公演に出ないかと誘われて。

ふたつ返事で了解して。

さあいよいよデビューです。

この時、わたくしは27歳になっていた。デビューが遅いです。遠回りをしたんだな。でもその遠回りは決して無駄ではなくて。

人生というのは“誕生”という始まりがあって“死”という終わりがあって、その始まりと終わりの間をどう生きるか?なのだと思う。

回り道して寄り道していかに余計なことをするか?豊かに楽しく遊ぶかが大切。

良くとるとそうだが、だいたい皆んな十九、二十歳で舞踏をはじめて二六、七ぐらいでこれで食うのは無理だなとやめる。

だけど、わたくしはもう引き返せない年齢から始めたものだから、いまに至っているというところもある。

それはさておき。

デビューだ!

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大友透と。透はこの頃、中野新橋の事務所に居候していた。
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2018年05月26日

村松卓矢

鶴山さんから声をかけられて“若衆”の稽古に参加しはじめ。

途中で大駱駝艦の夏合宿があって若衆の稽古もするとかで、わたくしもメンバーではないけれど連れて行かれた。

その頃は長野県白馬村ではなくて、伊豆の天心会道場という剣道場で。

合宿生の指導は女性と鶴山さんにまかせて男たちは毎日、一日中海に漁に出かけて楽しそうに魚や貝を採って来てた。

合宿生と同じ扱いのわたくしは、漁にいけず皆んなが羨ましくて。

長野のように宿舎と稽古場が別ではなくて、道場に布団を敷いて雑魚寝してた。夜、魚をつまみにお酒を飲むのが楽しかった。

酔いつぶれて寝て起こされて男性メンバーは漁へ。

合宿生は海まで走って、体操して海で泳いで。帰って来て昼ごはん食べて、午後稽古して、晩御飯食べて、夜は麿さんの稽古だったか。発表会もなくて気楽な合宿だった。

この合宿で天才・村松卓矢と仲良くなった。一見、シニカルでクールで取っ付きにくいようで実はヒューモアを愛する不思議な人。

後輩の小柳弐魄が村松君を“慇懃無礼”と評してたが言い得て妙だと思う。男三人兄弟の長男で相手の優位に立つのが得意だった。

わたくしも最初は番頭みたいなポジションで付き合って、村松作品に参加してだんだんとなくてはならないパートナーになって。

自分も作品を創るようになってライバルに変化していく。関係が育っていったんだな。

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若き日の村松卓矢。

村松君のお母さんは、教師で独特の子どもの育て方をするひと。

ある時、弁当が白米だけで村松少年が当然文句を言うと、

「あのね卓矢、この弁当を学校に持って行って昼にクラスメートに”みなさーん見てください、僕の弁当ご飯しかありませーん!”と大きな声で言ってごらん。」

「そしたらみんなが同情しておかずをくれるでしょう。そうするとあなたのお弁当は、クラスで一番豪華になること間違いなしです。」

乞食芸人を育てる英才教育だな。

そういえばヨーロッパでは子どもに募金を必ずさせる。人に断られることを体験させて、断られることに耐える力を身につけさせるらしい。

それはさておき。この合宿で村松とよりいっそう仲良くなるのです。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 07:14| ブログ?

伊豆の合宿

さてさて。それはさておき、大駱駝艦艦長・麿赤兒は仕事の都合で合宿あと入りだった。

まだ麿さんが来てない夜。

狸穴善五郎と蹄ギガ、当時は及川が喧嘩をはじめて。

狸穴が身長180pぐらいあって及川君が193pとかだったかな、巨体の二人が取っ組み合って道場中を怒鳴りあいながら転げ回るからめちゃめちゃ迫力があった。

当時、及川ナンバー2・狸穴ナンバー3という時代で狸穴が及川に「テメーは、稽古にも出ず海に行って好き勝手何をやってんだ!!」と怒って。

「俺はいっつもらくだのことを考えてんだよ!!」と及川も応酬して。

「ちょっとあんた達、何時だと思ってんのよ。」と最後は女性幹部に怒られて終了。

わたくしは、集団のことで喧嘩する人たちを見るのが初めての体験だったので新鮮で興奮したのを覚えてる。

あと入りだった麿さんが来て、合宿生が順番に自己紹介をして、わたくしも自己紹介をしたら麿さんが「なんであいつがいるんだ?」と怒ってて。

鶴山さん、麿さんに話し通してなかったんだ〜。お願いしますよ〜。急に肩身が狭くなった。

そのせいかどうかわからないけど、合宿後半でじんましんが全身に出て。狸穴君が病院へ連れていってくれた。

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いまは宝石商になっていると噂の狸穴善五郎。ちなみに名前は芸名で麿さんが付けた。いい名前。

病院へ行く途中、車中で狸穴君とこのあいだの喧嘩のことや大駱駝艦のいろんな話しをして。この時らくだに勧誘された。

それまでも大友透や星野建一郎に「らくだ入りなよ〜。」と勧誘はされてたけど気持ちはハッキリしなかった。

しかし、この合宿で及川と狸穴の喧嘩を見て大駱駝艦という集団のことを意識するようになり、だんだんと入りたいと思うようになるのだった。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 08:27| ブログ?

2018年05月27日

中野新橋

合宿でらくだのメンバーとますます親交を深めたわたくしは、中野新橋の事務所にも出入りするようになった。

当時、稽古場は板橋にあったが事務所は中野新橋にあって車で30分ぐらいかかって結構不便だった。

後年、麿さんも「あの頃は、面倒臭かったなあ。。」と振り返ってつぶやいてるのを聞いたことがある。

事務所の一階の居間には真っ先に仲良くなった同期の大友透と先輩の星野建一郎が居候しててよく夜、一緒にお酒を飲んだ。

いろんな話しをしたなあ。星野の名言に「沈黙がうるさい。」というのがあるのだけど、頭でっかちで理屈っぽいあの頃の俺に腹を立ててたんだろうな。

透の名言には「むかいさん、遊びだよ遊び。」というのがある。

これは『海印の馬』という大駱駝艦の不朽の大名作のダンスマスターを任された時に、気負って真面目に稽古をしようとするわたくしに向けて放った言葉で。

「はっ」と我に帰るように心に響いた。いまだに座右の銘のように大切にしている。

「クソ真面目なんてクソ。」は、尊敬するマルセル・デュシャンの言葉。

「真面目は禁物。」は横尾忠則さんの言葉だが同じように心を遊ばせるための気構え、創作の極意を述べているのだと思う。

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「何もかも蹴り飛ばせ!!」by 大友透

ちなみに透の口癖に「適当だよ、適当!」というのもあって人生適当に生きろという透の人生哲学が込められてるんだな。

大袈裟ではなくて、いまの世界に必要な考え方だと思う。適当で好い加減に生きろ人生。

そういえば透の奥さんの美波里ちゃんは大駱駝艦の元ダンサーで。

京都の曼殊院にてらくだが『盤船伽藍』というどでかい野外劇場1ヶ月公演をやってるのを、観に行ってる。

楽屋のテントから垣間見えるらくだのメンバーたちの死んだ魚のような目を見て「かっこいい〜!!」としびれて入団したという面白い女性で、透とはいいコンビ。

それはさておき。

帰るのが面倒くさくなると事務所に泊まり、2階に住んでいる麿さんと朝飯を食べるのが緊張するんだけどいい経験だった。

一階の隣が事務所になってて、いまは大森南朋の事務所にいる南場さんも出勤して来て一緒に朝飯を食べて。

テレビがついてて誰も一言も喋らないのだけど、たまに麿さんが昔のことなんかを話すのが興味深くて。

色んな面白い話しを聞いたなあ。思い出したら『ブログ?』に書こう。

そうそう、若衆公演だな。

合宿から帰ってきて稽古が進んで。

始めてからまだ一年も経ってないのに、見様見真似でよくやってたな。良く稽古してたと思う。歳は下なんだけども先輩という奴らに囲まれて。

負けられないという思いもあって。遅れを挽回したいと死に物狂いで稽古してたな。貪欲だったと思う。

作品が出来て行くという過程ももの凄く面白かった。

いままでの絵画という2次元の世界と違って立体的に立ち現れてくる3次元の世界。しかもそこに時間というもうひとつの次元も加わって。

全方位で体感する醒めて観る夢、“舞台”。究極の表現方法を我得たり!!

あの頃のわたくしは、まだそこまで気付いてなかったけど。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 06:30| ブログ?

2018年05月28日

ほっとよが?

勉強のため、吉祥寺にあるホットヨガ体験にいってきた。

早めに出たのに紅梅堂で季節の和菓子を買ったり、鉄割の看板俳優・奥村勲君に七味と鳴門みかんを届けたり、素敵な骨董屋で金継ぎされた格好いい器を見たり吉ブラしてたら、ギリギリになってしまい。

遅刻したら入れてもらえなくて帰されるとかで、スタッフも大慌てでごめんなさい。念書を書き、着替えてスタジオに入ったらほとんど女性で四、五十人いて仰天した。

前情報で聞いてたイメージでは、四、五人でそのうち男性が一人だった。「やばっ、女性専用車でしたか?」てな感じで。しかも若い女性が多くておっさん恐縮。

そういえば奥村君が「50歳は、おじさんではなくておじいさん。」と言ってたな。

もう座れないのに無理やり入れてもらうみたいな感じで割り込ましてもらい。

慌ててたので、水を半分更衣室に忘れたのを思い出し。観察しようと眼鏡をかけてきたけど役に立たないことに気づき。「あーコンタクトをはめてくればよかった〜」とか思うけどまあいいか。

合掌してはじまった。発祥がインドだからスピリチュアル性が強い。ビギナーズヨガなのでゆっくりと優しく進み。

1ポーズごとに休んで水を飲む。けど人のペースに合わせてからだを動かすのがかったるいというか、面倒臭いというか。

教えを乞うときは、何もかも忘れて受け容れねばならないことはわかっているのだけどよくないな。とか思いながらついていく。

だんだんと難しいポーズになって、熱いから汗がだらだら出て。もう二度と嫌だ。とか思いながら。

しかしホットヨガってよく考えたな。単なるヨガだとアスレチックなイメージが強いけど、汗をかいてデトックスする。という付加価値と謳い文句が女性にアピールするんだな。

流行る理由がわかりました。アイデアだなあ。考えたのはアメリカ人か。

ヨガは自分で本を読んで勉強して20年ぐらい毎日やっている。いい師に出会えるかどうかが大事だと聞くけど師匠は麿さんだけでいいので習ったことはない。

麿さんが「ヨガなんて、インド人が暇をもてあまして、こんなポーズ出来るぞ!俺はこんなポーズだ!とか言ってへんなポーズを競い合ったのが始まりだろ。」と言ってた。

日本では、国家試験の資格とかあるわけでもなく、各流派で免状を出してマスタークラスになっていって教えるとか。ブームだから指導者が量産され未熟なインストラクターが世に出て怪我をする人があとをたたないとか。

今回は、ビギナーズヨガだったので難しいポーズはやらなかったけれど「あーこれは無理するとアキレス腱切れるかもな。」てな姿勢もあった。最初に念書を書かせるので怪我しても問題にはならないのだろう。

からだとこころをからっぽにして、呼吸に意識を向ける。からだの内側に意識を向ける。

旅のようにからだをうごかしてまた戻ってきて終わり。流れ的にはわたくしがやっているワークショップとほぼ同じだった。

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メキシコでのワークショップ風景。

最初にインストラクターが「ヨガは人に見せるためにやるのではありません。自分のためにやるのです。」と言ってた。

舞踏は人に見せることが前提となってくるので、そこがまるっきり違うんだ。と思った。

実は今回、ホットブトウというのを目論んで勉強しに行った。施設や準備のことを考えると気が遠くなる。

あとお金のためとはいえ毎日、あんな熱いところで教えることを考えるとゾッとする。出来るかどうかは好きかどうかでもあると思うので、わたくしには無理だと思った。

帰りはすっきり爽やか、たっぷり汗もかいてビールが美味かった。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 09:22| ブログ?

2018年05月29日

やんしゅう?

若衆と書いて“やんしゅう”と読ませる。パソコンで変換しても出てこないから“わかしゅう”と打ち込んで変換する。面倒臭い。

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若衆チラシ

若衆の主宰は鶴山欣也さん。大駱駝艦に入る前は宮城聡さんに師事してお芝居をやっていた。

らくだかんに入る人はだいたい4パターンぐらいに分かれていて、鶴山さんのようにお芝居をやっていた人。古川杏さん、若林淳、湯山大一郎なんかはこのパターン。

そもそも麿さんがそうだから、結構多いと思う。

女性は、踊りをやっていた人が多い。子どもの時からバレエをやっていた。というやつだな。

踊りが上手な人が多くて、だいたい麿さんに一目置かれる。皆さん、大駱駝艦の華です。

あとは美術系。村松卓矢とわたくしがこれです。いま一番多いかもしれない。

そして、踊りも芝居も美術もあまり関係ない人。流れ流れて辿り着く。

星野建一郎は、テレビで林英哲さんが太鼓叩いてたら、上から麿さんが落ちてきて。びっくりして感動して「この人の弟子になりたい!」と入った。とか言ってた。

透は「そんなの適当だよ。」

だいたいブラブラしてて縁があって入ってくるんだな。

鶴山さんは、当時大駱駝艦の番頭を自認してた。麿さんは認めてない。ところもあったようだけど。

そう若衆の稽古が進むにつれて、メンバーの人間関係もよく見えるようになってきて。

鶴山さんは一人浮いてる感じで、いま考えるともう大駱駝艦をやめる寸前だった。あんまり誰もいうことを聞かない。

星野は鶴山さんのことが嫌いだとかで出てなかった。及川君も出てなかった。

本番前に麿さんが、作品のチェックをする日があって、みるみる面白くなって行くのが驚きだった。

だいたい主宰の踊りというのは一番あと回しの状態で麿さんに見せることが多いので、そこが一番のツッコミポイントになるのだ。

鶴山さんもソロを一番稽古した。

どういう存在なのか?そこから紐解いてでは、どういうふうに存在すればいいのか?と考えて。

何をするのか?を考えて。最終的にブランコに乗ってた。

作品タイトルは『しゃみ』だったけど、鶴山さんが“しゃみ”という芸者だ。という設定になって。

袖から「しゃみ!」「しゃみ!」言われて狂って行く、てな演出だったかな。そういうのも麿さんが考えてた。

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雲太郎デビュー、若衆公演『しゃみ』前からむかい、村松、若林、狸穴善五郎。

なんとか、ソロもできて板橋から荷物を積み込んで、タイニーアリスで仕込み、本番をやって。

そういえば当時、らくだかんの車がエルフだったかな、板橋から新宿に行くあいだにドアが外れて。そのままドアがない状態で走ってたのが、地獄の黙示録のヘリみたいでかっこよかった。

若衆の公演が終わって。でもまだ大駱駝艦には入らないんだな。
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2018年05月30日

なまえ?

あっ、申し遅れました。わたくし、姓は向(むかい) 名は雲太郎(くもたろう)、人呼んで雲やんと申します。芸名です。

先日の『ブログ?』でも書いたけど、家を出るにあたって親からつけてもらった名前は、捨てようとその当時は、雅号として名乗りはじめました。

お爺さんになってからも似合うように、イメージしてつけました。

本名は、木谷研治(きだに けんじ)で、旧姓は向井研治です。ややこしくてすんません。

母の兄弟が女ばかりの五人姉妹で、名前を継ぐものがいない。と長女の次男であるわたくしに白羽の矢が立ち。

母方の姓を継ぐために祖母の養子になった。なので戸籍上は“実の母が姉”で。これ“実の姉が母”だと近親相関の疑い。

名前というのは陰陽師的には、この世で一番短い呪文。名は体をあらわすではないけれど名付けるとそう成って行くところがある。

師匠の名前は麿 赤兒(まろ あかじ)

「麿は赤児じゃ。」

舞踏では赤ん坊の存在を先生とするところがあり。舞台上に赤ん坊をごろりと寝かせ、照明を当てればいい見世物になる。歌舞伎の荒事は赤ん坊の真似をしてる。

麿さんの言葉に「この世に生まれ入ったことこそを、大いなる才能とする。」というのがある。

土方さんには「何もしなくていい、もう既に神が演出をしてるのだから。」というのがある。

どちらも、同じことを言っている。

しかしこの何もしない、ありの儘。というのが難しい。

ちなみになまえの敬称のつけ方は、その人との関係とその人をどう思っているのか?が関係ある。呼び捨てにするのはその人への親しみが込もっている。

しかし呼び捨てにするのには勇気がいる。そのタイミングもいままで君付で読んでたのに急に呼び捨てにするのは恥ずかしいし。

そういえばわたくし、子どもの頃から“むーさん”とさん付けで呼ばれてました。

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鉄割アルバトロスケット、渡部真一。20年近く渡部君と呼んでたけど、去年ある瞬間から“わたべ”に。「やっと、呼び捨てにしてくれましたね。」と喜んでた。

そういえば酔うと喧嘩をしかけてくる大駱駝艦の弟弟子・石川正虎が、ある時からわたくしのことを“雲太郎”と呼び捨てにしはじめた。

しかし徹底的に無視して許さなかった。許せなかったのか。

まあ正虎も親しみを込めてたんだろうけど、いくら親しみを込められても後輩に呼び捨てにされるのは嫌だった。プライドだな。

あっ、昨日鉄割の山内から電話があって、名前の話をしたので『ブログ?』でもしてみました。
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2018年05月31日

約束の空

ここが踏ん張りどころ。辞めるのは簡単、続けるのは困難。

問題なのは辞めてからどうするのか?当てがないのだから、いまはここに踏みとどまってバイトではなく、絵の方で頑張るしかない。

目先の欲に惑わされるな。焦って結果を出そうとするな。

夏の日の夜 僕は犬になっていた
まぼろしの傷口を嘗める犬になっていた
何の疑いも知らず 夜の闇に紛れ
胸打ち鳴らしながら
ふるえる足で何かをかき集める

そんなトキトキした感じを
紛失してしまって
そのイメージと恐怖感だけが
ふいに立ち上がって 覚醒しはじめた

逃亡を計るために
窓を開け放ち
必死で飛び出してみたが
気づいてみると
ゾッとするほどあたたかい眠りの中で
漂流物になっていた

風は凪いでいる
漂えど沈まず
されど浮びあがらず

諦めて 目醒めようとしたが
それはすでに
現実の日常で

眼玉だけが白い雲に乗って
約束の空の中へと消えていった

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絵を続けるべきか?はたまた大駱駝艦に入るべきか?決断を迫られていた。
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