2018年05月14日

それからどうした

たしか茅ヶ崎のチョコレート工場で働き始めて1ヶ月ぐらいで、セツモードセミナーの抽選結果が出たのだと思います。

でもそこからグズグズと居座ってたのは、居心地が良かったというのもあるけれど、チョコレート工場の女の子と付き合い始めたというのもありました。

「これではいかん。」と再びアルバイトニュースを買って、今度は東京のデザイン事務所に応募した。

大阪のデザイン事務所、オフィスジョークの田井中さんに「二度とデザインはやりません。」いうて宣言して上京したのに。なにをやっとんねん20代のおれ。

事務所の近くの高円寺にアパートを借りて。彼女とは遠距離恋愛を続けてたけど、この頃に沖縄へ行くとわたくしが言い出したので「こいつはダメだ。」と見切りをつけられた。

江ノ電のドアが閉まって永遠のお別れ。

そういえばデートのあと雨の中、帰れなくなって。

駅のベンチに傘をさしてひとり座って、うとうとしてたら“にゅーっ”と手が伸びて来て足首をつかまれた。

女性の手だったのを鮮明に覚えてる。

沖縄へは、喜納昌吉さんのライブのお手伝いに行った。そうかそれを知ったのは高円寺の沖縄居酒屋“抱瓶"でだな。

いまは二階建てになり沖縄にも店を出して大繁盛店です。

わたくしが通いはじめた頃の抱瓶は、当時高校生の光太郎と同じく高校生のポンゲの二人がやってる、店の半分電気が消えてて客はわたくしだけという店だった。

いまや光太郎は、沖縄店の店長でポンゲは、高円寺店の店長です。

住み始めた西川荘の通り道にあってほぼ毎日通ってた。

dachibin_mama.jpg
抱瓶創業者、故・高橋淳子さんの自伝が好評発売中。朝ドラでやったら面白いと思う。

抱瓶で喜納昌吉がライブのスタッフを募集してるというのを知って、彼女と別れて沖縄に行った。迷走してるな。おれ。

東京からフェリーに乗って行って、船の中でいろんな興味深い人と出会った。

沖縄には1週間ぐらいいたのか。喜納昌吉さんは伝説の不良で話すと面白かったが“愛と平和”を歌うカリスマの下で、弱いものいじめをするスタッフに幻滅。

東京に帰って来て再び高円寺のデザイン事務所で働き始めた。のかな。記憶が前後してるな。沖縄に行ってから高円寺で働き始めたのか。それだとつながらんな・・・まあええか。

高円寺のデザイン事務所は社長がめちゃめちゃ嫌なひとで、いまでいうパワハラ男だった。

何かというと高圧的に対してくるので何回も喧嘩した。けど意地でやめなかった。

ジョークで鍛えられたデザインの腕前が良かったから、だんだんと認められて何も言われなくなった。

どれぐらいいたのか。「これではいかん何をやってるんだ。」と、ふたたび奮起してセツに申し込んだと思う。しかし2回目も抽選に外れ。そのあとも高円寺で働いたな。

半年待ってもう一度申し込んで。するとなんと3回目は抽選ではなくて自動的に入れるシステムだった。3回も申し込んでくる意気込みを買うのか。

とにかく晴れてセツモードセミナーに入学できたのだった〜٩( ᐛ )و
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 10:13| ブログ?