2018年05月17日

それからどうしたパート2

夢破れて山河あり。漂えど、沈まず。しかし船はすすむ。

それからどうした。

ただバイトを続けて。絵もなんとなく書き続けてたのか。

適当に遊んで。女の子と付き合ったりして。酒を飲んで酔っ払って。そういえばこの頃、風呂屋で刺青者と些細なことで喧嘩になって、風呂屋の裏の駐車場でファイトしてKOされた。

そうこうしているうちに、土方巽の名前を知った。のかな。

セツ時代にウィリアム・バロウズを知り、そこからビートへ行って、ジャン・ジュネを読んだりして、SWITCHが愛読書で。

マンガでは、狩撫麻礼先生の『ボーダー』を愛読してた。バイト終わりに独りで高円寺のアパートでボブ・マーリーを聴きながらワインを一本空けて泣いたりしてたな。

弱っとるなおれ。そうして次回作の『天使派リョウ』のなかに土方さんが出て来たんだな。

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土方さんの写真集のカタログ。やっぱり本物は格好いいなあ。

「なんなんだこれは?」

でもその時は、少しひっかかったくらいで。

また退屈な日々が流れて。

縁があって当時、板橋にあった大駱駝艦の稽古場の公演を観に行った。いま考えると導かれてたのだと思う。けどその時も「ふーん。こういうのもあるんだ。」てな感じで。

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『若衆』公演の半券。

またバイトの日々に戻って。何やってんだろうなおれ。と毎日考えてた。と思う。進退極まった感じ。完全に行き詰まってた。

1ヶ月後の或る時。一枚のチラシが出て来た。

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運命のワークショップチラシ。

それは、大駱駝艦のワークショップのチラシだった。

完全に行き詰まってにっちもさっちも行かない現状を打破するには、何かしら思い切った踏み込みが必要不可欠だった。

大駱駝艦の事務所に電話をした。

「3月18日においでください。」とかなんとか言われたのだと思う。覚えてないけど。

1994年3月18日、板橋駅に降り立ってそのまま稽古場へ向かう勇気がなくて、まずは途中の中華料理屋に立ち寄ってラーメンを食べた。

のかな。何を食べたか忘れた。もう辺りは暗かったと思う。迷いながらも行き着いて。稽古場がさらに真っ暗な路地の奥にあって恐ろしかった。

ドアを開けるまでしばらく躊躇したと思う。いまだったら引き返せる。そんなことを考えながら。
それでも、勇気を振り絞って恐る恐るドアを開けたのだった。

それは、新しい宇宙へと広がる扉。

そうしてわたくしは、とうとう舞踏の門の中へと足を踏み入れたのだった。
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絵で食うのだ

セツに入った頃からイラストではなくて、今でいうファインアートの道に突き進んだ。絵で売れる、絵で食べる。

そんなこと本気で考えていたとは。甘いな、20代のおれ。

一生書き続けて、とうとう売れずに耳を切って死んでしまう。ってな世界で。

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当時住んでいた高円寺の西川荘にて。

昼はバイトして帰って来て絵を描く。毎日毎日、ひたすらその繰り返しだった。

当時はアメリカでバスキアが活躍してた頃で、グラフティに憧れて制作してた。

絵に点数をつけるような世界から遠く離れて、自由にもっと自由にともがき続けた。そしてそれで食べるのだ。それしか考えてなかった。

大昔から綿々と続くパトロネージュのこととか、「食べさせて頂く」という乞食の覚悟と穀潰しの自覚を悟る大切さ。

なんてのを本で読む知識として頭で分かってるだけで、今のように身に沁みては解ってなかった。

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画材ってのは高いのでたいへんだった。

そんな生活を二、三年続けた。頑張ったけどあかんかったなあ。煮詰まってた。でも限界までは行ったのか。。

いやいや、いまだに続けてる友達のことを考えるとケツを割ったんだな。逃げた。麿さんの名言に「逃げろ!」というのがあるけれど、それも運命か。

逃げ続けた人類がいま生き延びて繁栄してるということも、、いや言い訳だな。

いまならわかる。実力の世界ではあるのだけど、運と縁も必要なのだと。

そして一生やり続けることの重要さ、続けられる幸運と、何がなんでもという執念を燃やし続けられるかどうかの勝負であって、倒れても倒れても起き上がりまた前へすすむ。

その生き様に人は胸を打たれるのだと。


どこかの生命保険会社だったか。審査委員長が池田満寿夫さんの公募展に作品を出して、グランプリではなかったけれど賞をもらった。

当時池田満寿夫は絵の値段ではわからないけれど、トップを走ってた。というわたくしの印象。本当のところは知らなかったけど。

新宿の高層ビルの最上階で授賞式があるというので行った。

エレベーターに乗って、最上階についてドアが開いた時、真っ正面に池田満寿夫さんが座ってた。

その姿が、なんというか。他人のことをとやかくいうのは良くない。のですが。。当時の感想です。

みすぼらしくて、なんだか冴えなくて。ごめんなさい。がっかりしてしまった。いや強烈なショックをうけたのを覚えてる。

「これが日本のファインアート界のトップの姿かあ。。。」

いまだったらわかります。別に格好とかそんなものは全く関係ないと。でも夢を食べて生きてる青二才にはわからなかった。

わたくしはエレベーターの“閉まる”のボタンを静かに押して新宿の雑踏を通り、そのまま高円寺のアパートへ帰ったのだった。

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誰の撮影か。能天気なおれ。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 11:17| ブログ?