2018年05月25日

ワークショップあらし?

鶴山さん以外は、皆んな歳が下だった。

だけどわたくしの方が歳上だという先輩後輩のねじれ現象が起こって、でも一つ二つの年齢の違いだからすぐに皆んなと仲良くなった。

セツモードセミナーは女性が多かったので、男が多いらくだかんは馴染みやすかった。

ところが、だんだん馴染んで踊るということにも興味を持ち始めたときに、らくだかんが京都の去年閉館したアトリエ劇研、当時は無門館という名前だった劇場に公演に行ってしまった。

せっかく面白くなって来てるのに置いてけ堀。また単調で灰色のアルバイト生活だけになってしまった。

そんな時、伊藤キムさんというダンサーがワークショップをやると知って、駆けつけた。

キムさんはドイツで活動してたけど最近日本に戻って来たらしい。

「僕が日本でやる最初のワークショップです。」キムさんがそう言ったのを覚えてる。その時に来ていたのが、遠田誠鎌倉道彦だった。

キムさんは大駱駝艦の初期メンバー・古川あんずさんのグループで踊りをはじめた。

だからかダンスと名乗っているけど、基本的にはらくだかんメソッドというか舞踏と似た匂いを感じて取っつきやすかった。

しかしからだのうごかし方が違うというか、スピードが違うというか、やっぱり舞踏よりダンスに近かった。激しくうごくのが好きでジャンプするのが好きだった。

片目を子どもの時に失っていることも関係してるのだと思うけれど、自分の範囲を更新する、自分の限界を超えるということに貪欲だった。

ハンデを乗り越える努力をするような厳しさがあった。それが面白かった。

だいたいわたくしは自分開発というかそういうことが好きなんだな。自己実現。すぐに仲良くなって家に遊びに行ったりしてた。

キムさんのワークショップにも毎回通い始め、まだまだ物足りなくて色んなワークショップに顔を出してた。

先日、惜しくも亡くなられてしまった和栗由紀夫さんのワークショップ、ここにもやっぱり誠と鎌倉がいた。とかアスベスト館とか。他にも行ってたような気がするが忘れてしまった。

アスベスト館で土方さんの奥さん、故・元藤Y子さんに「ワークショップ荒らしみたいなものです。」と自己紹介して叱られたのを覚えている。

それ以来、らくだかんとキムさんのワークショップ以外は行くのをやめた。

そうこうしている間にらくだかんが京都から帰ってきて。

鶴山さんが主宰する“若衆”の新作公演に出ないかと誘われて。

ふたつ返事で了解して。

さあいよいよデビューです。

この時、わたくしは27歳になっていた。デビューが遅いです。遠回りをしたんだな。でもその遠回りは決して無駄ではなくて。

人生というのは“誕生”という始まりがあって“死”という終わりがあって、その始まりと終わりの間をどう生きるか?なのだと思う。

回り道して寄り道していかに余計なことをするか?豊かに楽しく遊ぶかが大切。

良くとるとそうだが、だいたい皆んな十九、二十歳で舞踏をはじめて二六、七ぐらいでこれで食うのは無理だなとやめる。

だけど、わたくしはもう引き返せない年齢から始めたものだから、いまに至っているというところもある。

それはさておき。

デビューだ!

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大友透と。透はこの頃、中野新橋の事務所に居候していた。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 05:53| ブログ?