2018年06月01日

ドアーズ

1994年9月に若衆公演が終わり、10月の舞踊家・小池幸子先生の公演チラシにメンバーとして名前が入っているので、大駱駝艦に入ると心を決めたんだな。

中野新橋事務所の1階で透と話してて「麿さん、いま居るから入るって言って来なよ。」とか言われたような気がする。

「チャンスだよ。」「はやく。」とか色々言われて。

透に励まされたり挑発されたりしながら「よしっ。」と決心し、2階の麿さんの部屋へと上がって行ったのを覚えている。

いまは、まず研修生になって一年間修業してから入艦するという手続きが必要。あの頃はゆるいというか大らかだった。

本人に確かな意志があれば入ることができた。来るもの拒まず、去るもの追わず。

実際は入るより去るほうがたいへんで、俺は去るのに20年近くかかった。

くの字に折れ曲がっている古くて狭い階段をギシギシ上がって、突き当たりにあるふすまの外から声をかけた。

麿さんから返事があって「お話しがあるんですが。」と言って。

「入れ。」と言われふすまを開けて部屋に入ったら、公演で使った甲冑が飾ってあって矢野真さんのシルクスクリーンが飾ってあったり怖じ気づく雰囲気があったが格好良いいとも思った。

麿さん的には、中野新橋も板橋も仮住まいの心持だったようだがその当時はそんなこととは露知らず。

頭を下げて「大駱駝艦に入りたいのですが。」声を震わせながら切り出したら「いま男は要らねえ。」と断られた。

ここで引き下がったら男が廃ると食い下がった。結構話したように思うけど覚えてない。

快諾ではなくて「まあ、仕方ねえな。」てな感じだったと思う。

後年、入ってもすぐ辞めるとかいう話しを麿さんとしてる時に、その時のことを言ったら「まあ、そういう良い例もあるな」とか上手いこと言ってた。

麿さんから許しを得て、ギシギシと1階に戻ってほっとして、透と祝杯をあげて。

「よおーし、やるぞー!!」

27歳という遅いスタートだけど、新しいドアを開いて未知なる世界が広がっていく。

こうして大駱駝艦での日々が始まるのだった。
kumo_rakuda_syoki.jpg
入って最初に撮ったアーティスト写真。何のために撮ったのかとかまったくわかってなかった。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 10:39| ブログ?