2018年06月07日

人生即興3

土方さんソロの振付をトレースするというアイデアは、2011年に壺中天で創った『底抜けマンダラ』のときに既にあったのだけどその時はやらなかった。

何故やらなかった?というかやれなかったのか?と考えていたのだけど、やってはいけないことだと思ったんだな。

隆夫さんは「大野一雄という偶像を破壊してやる。」ということを言ってたが、舞踏家ではないから出来たのかもしれない。と言い訳をしてみたり。

“なんでもあり”で、舞台上でやってはいけないことなどない。はずなのに麿さんの気持ちを忖度してたのかもしれない。

いま想像すると麿さんは喜んでくれたんじゃないか。と思うけれど。

まだまだ舞踏の真髄を掴んでなかったんだな。もったいない。

2年後の『舞踏?』で実現させるけど時すでに遅し。2番煎じはダメなんだよなあ。それで食えるのはパイオニアのみ。

ちなみに『舞踏?』で土方さん完全コピーのシーンで靴を投げ込まれたのだけど、投げ込んだのは某先輩。

そういうことはあるだろうと覚悟をしながらやってたのだけど、最終日で心にちょっと油断があった。

前述の小沢さんは「後輩のソロに酔っ払ってきて靴を投げ込むような奴。」と切り捨ててた。

けれど「はっ」として「ぴりり」と気持ちがアップしたのは事実。お陰様でいい最終日になりました。

こういうのを“神の演出”というのだろう。次回から演出に盛り込みます。土方さんの完コピのシーンになったら何処からか靴が投げ込まれる。

そうそう人生即興。わたくしが好きな大野一雄さんの逸話。

中野のテルプシコールという劇場で大野さんがソロをやっている時に「今日は調子が悪いのでこれで終わりにします」と途中で楽屋に引っ込んでしまったことがあったらしい。

ざわざわする客席を尻目に、本当にそれでその日は終わってしまって。

黒田育世ちゃんがそれを聞いて「信じられない。」と怒ってたけど、わかります。

けれどそこにこそ舞踏のもう一つの要素、即興性の真髄があるような気がする。

たとえ本番中でも何が起こるかわかりませんよ。途中でやめてしまうかもしれませんよ。でもそれでいいのだ。なんでもあり。舞台の上でやってはいけないことなどないのだから。

この『ブログ?』の終わりのことを最近考えるのだけど、別に今日最終回にしてもいいのだし。

「どうせ死ぬんだから。」は兄弟子・村松卓矢の口癖だけど、この世は夢まぼろし。どうせつくりごと。

ならば「どうでもいい。」「これでいいのだ。」と諦めて全肯定して開き直って生きるほうがいいに決まっているのだ。

facebook4.jpg
『舞踏?』より。なかなか面白い作品だった。再演したいなあ。photo by bozzo.
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 11:14| ブログ?

人生即興2

人生は即興の如し。

舞踏には土方巽と大野一雄という二人の始祖がいる。

「いのちはかたちに追いすがるもの」という考えのもと一から十まで振り付けて作品を創った土方。

「かたちはいのちに追いすがらなければならない」と言って、即興を得意とした大野。

2013年『舞踏?』という作品で、土方さんの踊りのトレースというかコピーというか、簡単に言うとというか、身も蓋もない言い方をすれば真似をしたことがある。

youtubeで土方さんの10分のソロを見ながら一挙手一投足を真似した。

土方さんの真似、振りのトレースをして思ったのは、確かに10分の踊りなら10分間すべての振り付けが決まっているという感じはした。

けれど、その間合いやタイミングは結構アバウトな感じがした。

131213160721.jpg
『舞踏?』@渋谷Edge photo by bozzo

大駱駝艦の踊りもすべて振り付けが決まっているのだけど、その間合いやタイミングはダンスマスターというリーダーに委ねられている。

流石は土方さんの弟子・麿さん、その辺は踏襲してるのかな。と思ったり。

このトレース作業、川口隆夫さんが2013年『大野一雄について』という作品で初めてやって、ヒット作にして全国各地、世界各国で上演してる。

小沢康夫という大駱駝艦の前プロデューサーが、

「あれは、自分の肉体をメディア(媒体)にして、大野一雄の霊を憑依させてるんだ。」

と評しててなるほどなあ。と納得した。

舞踏が日常的にやっていることを、現代美術的にプレゼンしてるんだな。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 09:19| ブログ?