2018年07月21日

狸2

狸2です。

狸穴善五郎は、何番目かは忘れたがダンサー・笠井叡さんの息子さんと同級生で、稽古場で遊んでいてオイリュトミーの祭壇を壊したことがあるとか。でも怒られなかったと言ってた。

狂気は人間なら誰でも持っているのだけど、エキンという男の影響で発狂してからそれが度々出るようになって。

ものごとを深く考えて何かを企む性質があって、無尽塾も壺中天での公演もまみちゃんが言い出しっぺで。

常に大駱駝艦のことを考えていて愛が深いのだけどその分、まわりと噛み合わず空回りすることも多かったり。

或る日、麿さんから芸能プロダクション『キャメルアーツ』のマネージャーに任命されて。

そこから一方で大駱駝艦の舞台にも立つプレイングマネージャーになったのだが、違う世界に入ってひとり孤立していったのかもしれない。

最後のほうは舞台に立たなくなってマネージャー業に専念していたので、その頃のことはわたくしも詳しく知らなかったりする。

大駱駝艦をやめて宝石商になっていると噂を聞いたけれど、いまは何処の空の下にいるのだろう。

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狸穴善五郎の演出作品に出演。麿さんに「むかいは今回、男を上げたな」とはじめて褒められた。
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鉄割というのは、明治から大正にかけて活躍した鉄割熊蔵という芸人の名前から取られています。

熊蔵さんは、アメリカにも呼ばれて行ったりしてます。

ほんとうは“てつわり”ではなくて”かねわり”で。+アルバトロス、アホウドリです。

ビーチ・ボーイズのリーダーでブライアン・ウィルソンという天才ミュージシャンがおりまして、ビートルズも影響を受けてたりします。

彼の曲で“Albatoros”という大名曲がありますが、まさに鉄割のテーマソングみたいなで限りなくのんびりと空をとんでる感じ。

そんで今回のお題は“無”。。ちょっと違うか。今回の“題”は無し。“non title”。

ちょっと前に観たインドネシアのドキュメンタリー映画、『Act Killing』のラストのクレジットで"anonymous"が羅列されてるのが怖かった。

名前がバレると政府に殺されるから、協力者の名前は「不明」。無とはちょっと違うか。

それはさて置き。鉄割熊蔵とアホウドリとロケットで『鉄割アルバトロスケット』です。

今日から、千歳烏山のお稽古場所で練習が始まります。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

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鉄割の看板俳優・奥村勲。奥村君が初めて演技したのは小学生の時でバスの中で…その話しはまた今度。
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2018年07月22日

はじまった

鉄割、練習始まりました。

だいたい初日は、まだあまり台本が出来ていなくて「じゃあ、今日はもう終わりますか」とすぐになったりする。

けれど、昨日は結構台本が上がってて、鉄割にしてはいつもの練習より遅くまでやって。

戌井君の試したいことに限りがなくて。ノリにノッてるなあ。

あやかって人生の波に乗りたいところです。

昔は、台本を書いている途中に誰かに邪魔をされると「パソコンでそいつの頭をかち割ってやろうかと思う」と言っていた。

いまは小説を書くためにネタを集めているのでそれを鉄割にも流用してて、だから最近は台本の上がりが早いのだと聞いたことがある。

本人からではなかったように思うけれど。

今回は、伝説の創設メンバーで裸俳優・山内たかちゃんに加えて、デュ社の湯山大一郎が出ます。

そしてデュ社の『ぴちがい裁判』にも出演してくれたコメディエンヌ、野嵜好美さんも出演します。

田口トモロウさんの憧れ、アングラ界の重鎮俳優・飯田孝男さんが、

「鉄割はコントの羅列なんです」と評するように独特で唯一無二の暗転手法が今回も炸裂します。

乞うご期待!!

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右、野嵜好美 左、飯田孝男 『ぴちがい裁判』より photo by bozzo
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2018年07月23日

ビッグカンパニー2

1995年7月
及川君と菊池君のサルヴァニラという同世代の才能たちと付き合うようになり舞台にも出るようになり。

そういう流行の最先端というような格好よさを馬鹿にする、村松卓矢のような存在も一方にいて。

ダンスマスター若林淳のように自分の踊りにしか興味がないという人もいて。

中野新橋の事務所に居候してて、新宿スペースゼロ公演のときは毎日新宿ゴールデン街から劇場入りしてた星野建一郎(この時は星野葉二と名乗っていた)がいて。

彼は、ゴールデン街に戻って朝まで飲んでまた劇場に入ってというような生き方をしていた。

そしてわたくしと同期でやはり事務所に居候しながら、ゼロの時は麿さんの運転手を務めていた大友透がいて。その時の芸名は、えぼし床蔵だった。

麿さんの映画やテレビや舞台の現場にも運転手として付いて行って、面白い体験を沢山していて羨ましかった。

その当時は番頭になっていた狸穴善五郎もいて。

もうひとり無類の遊び人で、独特の交友関係と世界を持っていた徳久欣がいて。

そのうえ女性のメンバーが8人もいて。いま現在もビッグカンパニーだけど、当時も20人近くのダンサーを抱えていた。主宰の麿さんの器と魅力だな。

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音楽家で哲学家、東顔回さんの伊豆の別荘にお邪魔して。書斎にて文豪風のポーズをとる村松卓矢。
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ご奉仕

ボランティア精神は大切だと思いますが、わたくしボランティアは一回しかしたことがありません。

お金と時間に余裕がないととても出来ないことです。

被災地ではもう自衛隊とか引き払って行政に委ねられたんだな。そうすると何もかもお金が必要になってきて。

人が動くと対価を払わなくてはならない。当たり前。そこで無償のご奉仕が求められてくる。しかしこれは行政の人の善意への甘えだと思います。

お金がすべてではないけれど、大切なもので。対価・ギャラを支払うのはその人の心意気であったりする。

相手のことをどう思っているのか。言葉とか計れないものではなくリスクをしっかりと負っている。その証でもある。

こちらも、その計らいを意気に感じたり。

友達だからと安く踊ったりするのを師匠はとても怒りましたが、自分の芸というものを安売りするなという教えでした。

明日は我が身と言いますが、天災はいつ自分の身に降りかかるかわからない。

だから被災地だろうがそうではなかろうが、気にしつつ心配しつつも自分に与えられた場所で、一生懸命生きればいいのだといつも感じます。

自分のことで精一杯。それでいいのだとも思います。

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"Banksia Books" ふにゃけた表紙からは想像もつかない、大声で言ったら消されてしまう“おカネの本当の話”が書かれています。
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2018年07月24日

死んでいるのか

1995.8/27(sun)
15:00 キム稽古
恥ずかしがる。質問に恥ずかしい。自分が恥ずかしい。立ち尽くす彫刻。
「死んでいるのか。生きているのか」丸谷才一の著作より

8/28(mon) 
朝バイト 16:00〜お化け屋敷

8/29(tue)
朝バイト休む 17:00キム稽古
ゆっくりと登場。回る彫刻から混乱する肉体へ。

9/1(fri)
朝バイト 17:00〜キム
うごく彫刻から〜質問を聞く死体。

9/2(sat) 
溺れかかった自分を救ってくれた救急隊員の顔に唾を吐くチェリー・ノーズ・ギオ「てめえなんてクズだ。喰うために働きやがっって」

9/3(sun)
なんと退屈だろう 立ち止まり決着をつけるのは 磨かれずにさびつき 使われて光り輝かず

9/10(sun)
「キムはどこでやるの?東京芸術劇場?ダサいね。ダサそうじゃん」by 岡啓輔

9/13(wed) 無尽塾
「らくだの女に教わることなんてねえ」by 菊池七変化

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Shichihenge Kikuchi ⒸMiro Ito
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2018年07月25日

Dead and alive

1995年9月15日
伊藤キムさん新作の本番が、岡啓輔氏にダサいと評された東京芸術劇場で行われた。

ちなみに岡君は元々は建築家だけど和栗由紀夫さんの下で舞踏をやっていて、その当時は岡画郎というのを高円寺でやっていた。

拙さや未完成を良しとして、いい加減で適当を標榜する反主流・高円寺文化の発信者でボスキャラ的存在だった。

その頃、わたくしはまだ高円寺に住んでいたので岡画郎には勿論、ちょくちょく出入りしていたけれどもう一発馴染めないところがあって距離を取っていた。

言ってることとやってることは、良くわかるのだけどノリが違うというか。

それはさておき、キムさんの新作のタイトルは『生きたまま死んでいるヒトは 死んだまま生きているのか

本番いい出来で、成功裡に終わり。

観た人からも絶賛されて、若手の登竜門・バニョレ振付フェスティバルのヨコハマでの国内選考会を経てフランスの本線へと日本代表で出場するのだった。

このあとキムさんを、スターにしようというまわりの動きも相まってどんどん転がって行って、あれよあれよという間に売れていくのだった。

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フランス本戦で。全裸で終始股間を隠して踊る。
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2018年07月26日

草鞋

1995.10/12(thu)19:00
木さん宅でキムさんと話す。

次回、伊藤キム+輝く未来の新作に出るのかどうか?という話し合いだったと思う。確か大駱駝艦の活動と被っていてスケジュール的に掛け持ちが難しくなってきたんだな。

いま手元にある仮チラシに名前が入っているから、わたくしの知らないあいだに勝手に入れられた名前が、どこかで問題になったのかもしれない。

最終的にどちらを選ぶのか。という話しになった。

大駱駝艦か伊藤キムか。そう簡単に割り切れることではない。数時間、話したと思う。

しかし「最初に草鞋を脱いだのはらくだなので。」とわたくしが結論を出して終わりになった。

「そうか雲はらくだを選ぶんだ。」そうキムさんが言ったのをよく覚えている。

狸穴君なんかは「結論を出すのではなくどちらとも、うまく付き合えばいいのに。」とか言っていたけれど、自分が出した答えに一点の後悔はなかった。

キムさんはそのあと「あれよあれよ」という間に売れっ子になって行くが、わたくしも大駱駝艦での一層の活躍を開始するのだった。

バニョレのドイツ公演まで出演するという話しになって。不思議だけどキムさんとはそのあと20年間近く、一度も会うことはなかった。

再び出会ったのは2012年9月、わたくしが大駱駝艦から独立してまことクラヴに客演した時の稽古場のトイレだった。

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伊藤キムさん 写真:木伸俊 キムさんは子供の頃に片目を失って。それがまた特別な雰囲気を醸し出していた。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 22:17| ブログ?

2018年07月27日

本1

初めて読んだ本は何だったんだろう。

覚えているのは、小学校2年の時に読んだ『巌窟王』。復讐劇にワクワクと胸躍らせて一気に読み終えた。

そこから決して熱心ではない読書遍歴が始まった。

小学、中学の時は少年少女文庫の江戸川乱歩やコナン・ドイル、ジュール・ベルヌ。

しかしもっぱら小説よりも漫画。『トイレット博士』に『がきデカ』『マカロニほうれん荘』etc...

高校からは、学校をサボって毎日の映画遍歴が始まって本をほとんど読まなくなった。

東京に出て来てからは、ちくま文庫の古典や名作を熱心に一通り読んで。何故だろうか。知識欲に目覚めたのか。

セツモードセミナーで先輩が絵のタイトルにしていて『裸のランチ』を知って。そこからウィリアム・バロウズにはまって。

ビートを知って、ギンズバーグも読むようになって、さかのぼってジュネも読んで。同じ同性愛者で犯罪者でもバロウズの方がDRYな感じが好みだった。

そこから澁澤さんを知って舞踏へと入って行く。

らくだに入ってからは、知性が必要不可欠だと暇があると本を読んで濫読がはじまる。

村松卓矢というライバルの読書家がいたこともあるけれど、全ては作品づくりの為でもあるのだった。

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いま読んでいるのは、イギリス湖水地方の羊飼いのお話。遠い異国の牧歌的な時代と現代の羊飼いの現実に思いを馳せる。
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2018年07月28日

ハレ

被災地の方々には、申し訳ないですが台風がやってくると子どもの頃から心がどこかウキウキします。

気分が高揚してくる。非常事態だからかな。もの凄い風の音がして家がミシミシいって。命の危険を感じる。みたいな。

空襲警報発令!なんてのもどこかしらお祭り的な感じがあったのじゃないか。と想像したり。

どこか“ハレ”な感じがして。でもそれが毎日だと慣れっこで“ケ”になって。

1945年8月6日も広島では空襲警報が鳴ったが誰も逃げなかったというし。しかし逃げ場なんてなかったのか。

風よ吹け 何もかも吹き飛ばせ こんな理不尽で嘘だらけで差別に満ち溢れたクソみたいな世界を吹き飛ばせ 革命だ 革命だ

毎日毎日、アウシュビッツの囚人みたいに満員電車に詰め込まれて。かたやベンツの後ろで偉そうに踏ん反り返っている奴がいる。

自己責任という言い方が流行っているようだけど、単に運が良かっただけだから。

ただその家に産まれたというだけだから。そいつらが自分に都合よく世の中をうごかしている。よく皆んな我慢してると思う。自分自身も。

誰か革命を起こさないかな。そこまでの不満はないのか。

どうしようもない世の中で少しだけ“ハレ”な、お祭り気分になれる台風上陸。

昔は台風が来ると、雨戸を閉めて板まで打ち付けたりして用心したものだけど今はそんなことしないな。

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しかし岡山、広島、中国地方の人たちは気が気ではない。
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2018年07月29日

高校野球

そろそろ夏の高校野球全国大会が始まりますね。100回目か。

子どもの頃は、高校野球を観ていると高校球児と自分を比べて申し訳ない気分になったものです。

汗をダラダラ流しながら頑張っている球児と、部屋でダラダラしながらテレビを観ている自分を比べて罪悪感を感じて。

運動神経抜群でダントツに足が早かったスーパーマンのような小学校の時の同級生が、中学から名門・報徳学園へ野球をやりに行ったがレギュラーにはなれなかった。

当時は、まだサッカーブームの前でスポーツといえば野球で。日本中のスーパーマンが野球をやっていた。その中からまた選抜されてプロになるのだからとんでもない世界。ほんの一握りの選ばれた人間。活躍できる時期も短いし。

小学校の時に中日ドラゴンズにいたという先生がいたけれどゴリラみたいだった。

わたくしが高校の時は、PL学園全盛期で清原・桑田が大活躍していた。「PL、PL、PL、PL」毎日ほんとうにうるさかった。校歌を覚えてしまっているぐらい。

そういえば、敗けた学校が校歌を歌うようにすればいいと永六輔さんがずっと提唱していた。

そうすると出場した学校の全ての校歌が歌われるのです。そして最後に優勝した高校が校歌を歌う。感動するぞー。

学校のクラブ活動の延長で、勝つことだけが目的ではないのだから。とってもいいアイデアだと思います。

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野球は子どもの頃からやってたけど、あんまり上手くなかった。
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2018年07月30日

タマビ

1995.11/3 多摩美学園祭

トンチンカンを肯定し、ムニャムニャを肯定する。

村松君に誘われて多摩美の学園祭に出演。村松卓矢、初演出振付。

村松君と事務所に麿さんに挨拶に行ったら怒られたのを覚えてる。何故怒られたのか?忘れてしまった。

振付も演出もあらゆること、ほとんどが麿さんの真似で。でも全然違ってて面白かったなあ。

ここで村松君との迷作デュオ“剣道”が生まれた。村松君との長い相方的コンビが始まった。

ホウキとハタキで闘って最後は村松君にぶん回されて、股間のソーセージにケチャップをぶっかけて喰いちぎって終わり。

若林淳が借りてきたウェディングドレスにケチャップが付いて大変だった。

スモーク代わりに消火器を客席に放射してお客さんが呼吸ができなくなったり、首まで土に埋まったゴキブリコンビナートのメンバーの周りをバイクで走り回ったり。

素人が火吹きをやったり、ドラゴン花火を口にくわえて肺を火傷して死にそうになったり。危ないことをやってた。

終わってから白塗りを流しで洗ってたら、そこは染色科の神聖な場所で滅茶苦茶、怒られた。

この時、ゴキコンの皆んなが終わったら食べようと楽しみに用意してた、ビニール袋に入った焼肉の肉が行方不明に。

結局、若が間違って持って帰ってきてて。

その頃若林が、カバンがわりにビニール袋を持って生活してたんだな。そのおかげでゴキコン主宰の斎藤さんが激怒して絶交気味になってしまった。

しかし、村松君らしい適当でいい加減で滅茶滅茶な感じで楽しかった。

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多摩美のラスト。火まで使ってやりたい放題。村松君の眉毛が黒いのは黒ガム。
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2018年07月31日

語源

『鯖を読む』というのは江戸時代に生まれた言葉で“腐りやすい魚だから”だそうです。

幕府への献上品だった鯖。すぐ駄目になるから早く数えないといけない。結構数え間違いがあったとか。 by チコちゃん。あっ、でも諸説あるらしいです。

『初心忘るべからず』というのは世阿弥の言葉。

始めた頃の初々しい美しい心を忘れないで。みたいに使われているけれど、本当は真逆で。

初めてのあの恥ずかしく下手くそで、見ていられない格好の悪い姿を決して忘れるな。という世阿弥の戒めです。

『出世する』というのは世に出る。という風にいまは使われているけれど、本来は世から出る。という仏教用語。まるで逆の意味です。

出家。インドでは歳をとると家を出て、山奥に隠棲するという風習があったとか。

そういえば、昔の大駱駝艦は皆んなで共同生活をしていた。出家ですね。

土方さんのところも「社会的な戸籍を捨てて、舞踏の戸籍に入る」という言い方をして共同生活をしていた。同じ釜の飯を食って同じ舞台を踏む。運命共同体。

『カラダがあればいいんだよ』というのは、兄弟子・村松卓矢の口癖でした。

夏の合宿で何か忘れ物がないか。と聞かれたら「カラダがあればいいんだよ。」と答えてて。元々は師・麿赤兒の言葉です。カラダがあれば何とかなる。という一つの教え。

地位がなくても 名誉がなくても お金がなくても カラダがあればいいんだよ。。その境地にはまだ行けない。

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インドの聖者たち。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 11:14| ブログ?