2018年08月20日

ギリヤーク、アマガーサキ!

大駱駝艦に入ってすぐに大須大道町人祭の金粉ショウがあったけれど、私的な用事で行くことができなかった。

大須の金粉ショウは登竜門的な修行の場で、毎年新人が派遣される伝統だったのだが。

お客さんから直接お金を頂くというのが金粉・大道芸の醍醐味で、頑張ればその分お金という評価としてかえってくるのでやり甲斐は半端ない。

大勢の観客の真ん前でツンイチで踊り、その場で投げ銭を頂く。まさに裸一貫の勝負で踊りがまずければ一銭ももらえない。

スリリングなやりとりの現場で、新人にとってはたいへん貴重な鍛錬の場。

大須から帰ってきた村松卓矢や大友透が興奮気味に思い出話しをするのを羨ましく聞いた。初っ端に行けなかったからかそこから大須の大道芸とは縁がなかった。

「金粉に行くと変な癖がついてしまうからな。」と自分を慰めていた。けど悔しかったんだな。

初めて大須に行ったのは、結構経ってからだった。1997年10月、麿さんのソロ公演『トナリは何をする人ぞ』の神戸公演の帰りだった。

その時にギリヤーク尼崎さんを初めて目撃した。

気の狂ったお婆さんが踊り狂って走り回って水をかぶって。おそらくあの時に大道芸の真髄を観たのだと思う。

中国雑技団のような神技ではなく、パントマイムのエレガンスでもない、からだひとつを投げ出しその身を観客に晒し人間のエネルギーとパワーと狂気を放出する。

はじめてギリヤークさんが大須に登場した時、パフォーマンスが終わって、投げ銭を入れてもらうために置いていた竹筒が一杯になり、どんどん溢れて山になって数えたら100万あった。という伝説が伝わる。

金額は大袈裟だと思うが、決して嘘ではないと思える圧倒的に凄まじいパフォーマンスであった。

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2017年10月9日、新宿のパフォーマンスには、1000人の観衆が集まったとか。ギリヤークさん、87歳!
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2018年08月21日

Kyoto in

京都に入りました。中華そばみみおの2階で、お世話になっています。

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事務所のような倉庫のような隠れ家です。素敵。

主人の佐藤訪米が、ずーっと何だか仕込みをしてはります。何日も仕込みをして一杯のラーメンにすべてを懸ける。

そうして、味にうるさい役者・奥村勲氏が絶賛する中華そばが出来上がる。

何日も稽古して一瞬のパフォーマンスにすべてを懸ける、わたくしたちと似てるなあと思います。

お互いにたいへんな商売を選びましたな。まあ好きで選んだのだから仕方ないか。

しかしラーメン屋と違い、舞踏は商売としてまだまだ認めてもらえていませんが。

朝早く目が醒めたので、竜安寺に行って拝観。“吾唯足知”と口を中心に彫り込んである有名な蹲があるお寺。蹲が思いのほか小さくてあっけなかった。

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蹲の英語の説明。わかりやすい。

夜の稽古までまだまだ時間があるので、大好きな大徳寺へと足を伸ばす。とっても爽やかで気持ちがいい。

大徳寺に一歩足を踏み入れると“ちん”とした空気に身が引き締まる。

ここ大徳寺は千利休の切腹の理由になった逸話の残る禅寺で、利休、古田織部、石田三成や名だたる武将が参禅したところ。

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清水寺とかは海外からの観光客でごった返してひどい有り様だが、ここ大徳寺は外国の方は少なく、いてもとってもマナーのいい人ばかり。マナーが悪いと和尚に怒鳴られるが。

その時によって拝観できるお寺が違うけれど今日は大仙院へ。

千利休の首を加茂の河原から持ち帰った和尚がいたお寺だそう。庭を観ていると何故かジーンとする。

大徳寺門前でお店を構えていられる、漆芸修復師の清川廣樹氏と知り合う。

金継ぎについてから、漆について、そして金箔をつかったパフォーマンスについて話す。いい出会いであった。

そういえば、大仙院でお抹茶を頂いたのだけど、太閤秀吉も同じお茶を喫んで良いことが三度起こったとかで、覚悟するようにと書いてあった。清川さんとの出会いはその一つかもしれない。
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2018年08月22日

遊び

いま、京都吉田東通りの中華そば“みみお”の2階に居候中ですが、今日はお店が営業ということで階下から出汁のめちゃめちゃええ香りが漂って来よります。

「たまらんち会長!」しかし本番前のからだにラーメンは禁物。日曜日まで我慢、辛抱です。とほほ。

さて今回、お祭りに呼ばれて京都を訪れていますが、わたくしたちは言ってみればお祭りのプロフェッショナルです。

”お祭り”とは、言わば”遊び”ですね。言い換えれば遊びのプロフェッショナルです。遊んでお金を頂くのですからいい商売だとお思いでしょうが、これがたいへんです。

お祭りは、ほとんどがボランティアで成り立っています。少ない予算でやりくりしているので、わたくしたちのような芸者風情に渡すギャラなどあるわけがなく。

そこで通りがかりの紳士、淑女にお金を恵んで頂くという風になるわけですね。これを投げ銭と申します。

早い話が乞食ですね。しかしただでお金を恵んでもらえるはずはなく、そこで“芸”の登場です。今回は金粉ショウです。

「レディース&ジェントルマン。おとっつぁん、おっかさん。そして子どもたちよ。

舞踏家集団デュ社と申します。

以降お見知り置きを。

さて今回、ご覧いただくのは金粉ショウでございます。

俗に、皮膚呼吸が出来なくなるという大変に危険な芸でございますが、

俗に、皮膚呼吸が出来なくなるという“たいへんに危険”な芸でございますが

見事最後まで踊り切りました際には、盛大なる拍手と

盛大なる投げ銭を

お気持ちで結構でございます。お気持ちで結構でございますので折りたたんで

どうぞ、よろしくお願い申し上げます!!」

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仕込みをする頑固親父の背中。「皆さま、京都吉田東通り夜市へのお越しをスタッフ、出演者一同心よりお待ちしております。実行委員・中華そば”みみお”店主、佐藤訪米。」
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2018年08月23日

8月ジャーナリズム

8月だけ戦争を回顧する報道が集中することを“8月ジャーナリズム”と言うそうです。(8月23日毎日新聞・余録)

決して悪いことではないと思います。風化させてはいけないことですから。

『ブログ?』も戦争の話しをもう少ししましょう。

“子は鎹”なんてえことを申しますが、ほんとうにそうだと思います。その鎹を失った悲しみはどうすればいいのだろう。

先日の関西の地震でブロック塀の下敷きになり、たった一人だけ亡くなった女の子。そのお母さん、お父さんの悲しみはどうすればいいのだろう。

Oh, Mr. President, listen to me

前略 大統領さま

1945年8月6日 約14万人と言われる死者のうち、犠牲になった子どもは何人いたのでしょう?

1945年8月9日 約7万人と言われる死者のうち、犠牲になった子どもは何人いたのでしょう?

「わたくしは、いかなる理由、原因、理屈、言い訳、論理、主張があったとしても大量殺戮兵器・原子力爆弾の無差別、無警告の実戦投下は違法であり、間違っていたと言い続けます。」

Oh, Mr. President, why are you so mean?

いま、広島の若者には原爆アレルギーともいうべき拒否反応が多いそうです。資料館もリニューアルという名の改悪を行なっている。

「観覧後の心情に配慮した空間を整備します。」(8月23日毎日新聞・余録)だって。

そうして本当のことは伝わらずに忘れられ風化して行き、また同じことが繰り返される。

けれど、それが人間という醜い生きものの宿命か。

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報道写真家 ジョー・オダネル撮影「焼き場に立つ少年」(1945年長崎の爆心地にて)
眠るように亡くなっている妹を背負い立つ少年。順番を待っているのかな。
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2018年08月24日

学園祭ノリ

高校や大学の学園祭的雰囲気というのは嫌いではないですが、いい大人がそれを引きずってやるのはあまり好きではないです。

内容を伴わない、ただ”だらしないだけ”なものというのは、時とともに淘汰されて消え去っていくのだと思います。

やはりここでも遊びが出て来ますが、先日南禅寺へ行ってはじめて拝観しましたが、究極の遊びの極致。

果てしなく自由な雰囲気の中に”しん”と激烈に厳しい部分があり無駄が一切ない。

遊びとはすなわち無駄ですが、この両極端の引っ張りあいがあってこそ永遠に歴史に残っていくのだと思います。

京大吉田寮がいよいよ取り壊されるとかという噂を聞きますが、永遠に終わらない学園祭的で自由な雰囲気は素晴らしいと思います。

けれどゴミが散らかっていたり物が散乱していては、蔑視されても仕方がないかな。と思ったり。

今回、お世話になる吉田東通り夜市も過渡期にあるようで、学園祭的ノリが通用しなくなって来ているようです。

あまりにも統制されて理路整然としたものはお役所的でつまらないのですが、陳腐で安っぽくなってしまうのは勿体ないと思います。

手作りの良さは残しつつ、それをしっかりと支える確かな部分も必要。そのためには参加する個人個人が決して甘えることなく自覚を持って挑まなければならないのだと感じます。

過渡期の今回にわたくしが参加するのも何かの縁。若者に「うわーい、こんなにだらしなくていいんだ〜。」と感じさせるのも先輩の役目なら「うわ、きびしくてこわっ!」と思わせるのも先生の使命だと、頑張ります。

路傍のお地蔵様の裏の顔は不動明王だったりします。どこまでも優しい面と、てっていてきに怖ろしい面がないと嘘になってしまうのだ。そう思います。

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見事な本尊、釈迦如来が安置されている南禅寺法堂の天井から睨みをきかす今尾景年画伯畢生の大作、幡龍。
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2018年08月25日

からみ

「酒は飲んでも飲まれるな。」なんてえことを申しますが、本当にそう思います。

飲んで気持ちよくなるのは良いと思うけれど、飲まれてしまって人に迷惑をかけるのだけはいけません。

かくいうわたくしも酒での反省は数知れずですが。。

一番厄介なのが呑んで絡む人間。

説教や忠告、大きなお世話で自分の考えを他人に押し付け、そういう自分に酔ってしまいまわりが見えなくなる。

それを、誰も注意しないとそれで良いと思ってしまう迷惑なだけの人になってしまう。

まわりも嫌な気分になるし、結果その人自身も損をしているのだと思います。

売られた喧嘩は買うわたくしで自分から売ることはあまりないですが、酔って人に絡んでいてそれが明らかに弱いものいじめだったりすると我慢なりません。

今日は、いよいよお祭り当日です。

お酒を飲む行為とは神に近づく為のものです。お酒自体に神聖なパワーやエネルギーが秘められているのです。昔はお酒を作るのは女性の役目でした。刀自ですね。巫女さんのような存在だったのかな。

卑しくて醜いわたくしたちが一時、崇高に輝きたいがために、連日浴びるようにお酒を飲み浮世離れしようとして行く。

そして儚いその身を神に捧げる。お祭りとはそんな日なのだと思います。

飲んだら笑え

酔ったら踊れ

話しは明日だ。

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今回、絶大なるお力をお借りする吉田神社。その境内に奉納された夥しいお酒たち。無事終えて、美味い酒を飲むぞー!
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2018年08月26日

金粉2

はじめて大須大道町人祭へ行った時。

ギリヤークさんのパフォーマンスを観ながら、実行委員長をやられたこともある原智彦さんに解説を交えながら色々と教えてもらうという贅沢な時間を過ごした。

中でも大道芸における“寄せ・掴み・見せ・脅し・落とし”の話しはなるほどなあ。というものでたいへん勉強になり10年近く作品を創るときの指針になった。

正確に覚えていないのでここでは記しませんが、大須へ行く機会があったら原さんに直接聞いてください。

原さんは麿さんと親友で、自身でもスーパー一座というグループを主宰していました。

村松卓矢が客演したことがあり結構影響を受けていた模様で、度々スーパー一座での話しをしていた。

わたくしがダンサーとして大須に参加したのは、その後だいぶん経ってからでした。

抜けるような空の下、360度から観られて踊るという経験は特別なもので、投げ銭を頂く経験もまた格別なものだった。

1,000円稼ぐことの大変さを思い知り、これだけ頑張って100円かあ。と落胆し。

若い人、舞踏家に限らずモダンダンサー、コンテンポラリーダンサーなんかも体験してみるといいと思います。

責任者としてグループを率いて行った時に、原さんから大須大道町人祭をはじめるに当たって目玉をふたつ作ろうと、ギリヤークさんと大駱駝艦に出演をお願いしたという話しを聞いた。

そのふたつは見事にお祭りの目玉になり、今日に至っている。

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スーパー一座で村松君がやった餓鬼阿弥。こんにゃく座でわたくしも振り付けたことがあります。
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2018年08月27日

身の丈

吉田東通り夜市2018、終わりました。

事故もなく無事に、、と言いたいところですが、パフォーマンス終了後に全身の筋肉硬直でまったく動けなくなり、救急車で病院に搬送されました。

点滴を打ってもらい、ようやく小康を得て真夜中に帰り、うとうと。

熱中症と脱水と筋肉疲労でした。今回泊まっていたのは、ラーメン屋の二階です。

サンルームで冷房がなくて日中50度近くになってたと思うのだけど、そこに滞在していた疲労の蓄積と本番中に水分を補給しなかったのが原因か。

ゲストハウスに泊まればよかったのだが交通費と宿泊費は、出ないということだったから経費削減。仕方がない。

来年8月は、ドイツのフェスティバル参加と、帰国してすぐに鉄割本番が決まっています。

夜市参加は出来ないですが、もう少しよく考えてやらないといけないと思います。

そうしないとまた、わたくしのように無理を強いられる人間が出てしまうと思います。

お祭りを盛り上げたいという気持ちはよくわかりますが、身の丈を知ってこれ以上は手を広げずにやることが大事かもしれません。

わたくし自身もその条件でなし崩し的に引き受けてしまったことを、猛省しています。

そして矢張りエネルギーとパワーを発散させてカラダを酷使する金粉ショウというのは、若い人のやるもの。

51歳のお爺さんがやるのは無理があるのだと、病院のベッドで死にそうになりのたうち回りながら心から痛感しました。

もう若くなのだ向雲太郎よ。それこそ身の丈を知れですね。

今回、わたくし人生最後の金粉を目撃した人たちは貴重なものを観ましたね。と言いたいところですが、今年の11月にもう一件入っているのです。。

大丈夫か俺。

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病院から戻って特別に泊めてもらったみみお横のゲストハウス“入ル”。町家を改造しためちゃめちゃ素敵なところです。

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入り口からゲストルームを望む。そろそろ予約が取れない人気のお宿になりつつあるようです。
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2018年08月28日

霊と戦争

「戦争だけはいやなもんだから、あれさえなけりゃ、あとは世の中、何がどうなったって、どうってことないやなんて、ほざいてます。」小沢昭一『背中まるめて』

戦争といえば麿さんのお父さんは、戦艦の艦長で偉い方だったとかでみごとに戦死なさってます。

わたくしの父方の祖父も一兵卒で戦争に参加、こちらは逃げ回って帰って来たとか。

1997年10月、麿赤兒ソロ『トナリは何をする人ぞ』の神戸公演。

立派に戦って戦死した艦長の息子である麿さんと、逃げ回って帰国した一兵卒の孫のわたくし。

境遇がまったく違うし立場がまったく違うのに、同じ舞台に立つというのがなんだか申し訳ないような、恥ずかしいような気持ちになったのを覚えています。

『トナリは何をする人ぞ』というのは、わたくしたちがさまざまな人の霊を座布団や椅子にのせて連れてくると麿赤兒が、その霊と踊るという作品。

連れてくるのは土方巽とかA・アルトー、D・マッカーサーとかいう歴史上の人物。

わたくしが誰を連れてくるのかという話になった時に、無名の小市民である祖父“M”の霊を連れて来たらいいのでは。ということになり。

本番最終日だったか。

舞台上には麿さんとわたくししかいないのに、霊をのせた座布団を足に結んでいる紐を「つんつん」と誰かがずーっと引っ張っていた。

麿赤兒は目の前で踊っている。

後ろの座布団から何かが確かに紐を引っ張っている。

舞台上には二人しかいない。

振り返って確認したいがうごいてはいけない演出。

麿さんに本番後、その話しをしたら「そういうことを感じられるのはいいことだ。」と言っていたと思う。村松卓矢は「そういうのはだいたい下級霊だ。」とか馬鹿にしていたけれど。

そういえば、わたくしの祖父・向井守は兵庫県伊丹アイホールのご近所の『白雪』をつくっている小西酒造の番頭さんだった。

戦争から帰って来てからも小西酒造に復帰して元気に働いていたけれど、わたくしが生まれたときは既に亡くなっていたので実際に会ったことはない。

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白雪のキャッチフレーズ。いまはキャッチフレーズは違うみたい。
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2018年08月29日

才能の違い

鄭義信さんが監督した映画『焼肉ドラゴン』を拝見しました。

舞台が昭和40年代の伊丹で、まさにわたくしが幼少期を過ごしていたところなので勝手に親近感。

轟音を響かせながら飛行機が真上を飛んでいくのが懐かしかった。

いい映画やいい舞台を観ると頑張ろうという気になるが、あまりにも素晴らしいと同じ(というと烏滸がましいが。こんな字を書くのだな)表現者として生きているのが嫌になる。

数々の賞を受賞している選ばれた才能ある人、鄭義信さん。かたや人間国宝でかたや無名の舞踏家。

こんにゃく座にも作・演出されていて、下手に近いところにいらっしゃるのがまた辛く感じる。比較なんてしなければいいのだけどほぼ同業者なので・・・

いい作品をつくりたい。

心の底からそう思う一方で、年齢や金銭的な制作のことも含めて創作の大変さを考えると、もう出来ないかも。と気が遠くなったり。

しかし宇野翔平君いい役もらってました。

それ以上にキム・サンホという韓国の役者さん、力が抜けてて良かったなあ。

いい役者さんと一緒に仕事をしてどんどん良くなっていく。相乗効果だな。

ラストのシーンを1日かけて撮ったのだけれど、スタッフになんだかしっくりと来ない雰囲気が漂っていて。

次の日に監督の鄭さんが撮り直したいと皆んなに告げたら、主演の真木よう子さんが真っ先に握手して来たとか。

好きだの嫌いだの上手いだの下手だのと色々と偉そうに言われる人気商売だから大変だけど、人として素晴らしい方なんだ。と思いましたよ。

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戌井昭人と宇野翔平の素敵なツーショット。撮影者は誰なのかな。
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2018年08月30日

普通って?

名前は知らないし覚える気もないけれど女性の政治家が、生産性がないと言ったとかで世界的な波紋を呼んでいますが、片寄った人としか付き合って来なかったのだろう。

友達に1人でもそういう人がいれば、その人を傷つけるようなことは決して言えなかったと思う。

セツの時にも1人いたけれど、わたくしががっつりと付き合ったのは大駱駝艦の後輩・松田篤史君です。

色んなことを教えてもらって、エロんなことを学びました。面白いぞー。

まっちゃんは子どもの頃から自覚して、そのために中学からその道で有名な某学園に行ったりと特別に剛の者です。

いっぽう川口隆夫さんなんかは、大学の時は女性と付き合ったり色々と悩んでいたみたいです。

ダムタイプというレクチャーやパフォーマンス、作品として広く世に知らしめたカッコいいチームもいますが、メジャーな先駆者といえば美輪明宏さんですね。

美輪さんが有無を言わせず唯一無二に成功しているから、後進は活躍しやすいということはあると思います。

自分と少しでも違うと許容できない人間という小心者。

国が違うから差別する。肌の色が違うから差別して。性が違うから差別して。セクシュアリティが違うから差別する。

だいたいがマイノリティな弱いものいじめ。

ルーツという黒人映画に涙したあとに、KKKの集会に平気で参加する矛盾に満ちた存在。

それが人間だから差別はなくならないし解りあうなど所詮は無理かもしれないけれど、せめて自分と違う存在を認める。ことぐらい出来ればなあ。

とやかく言わない。人は人。

政治家という模範を作らねばならない人たちが、こんな有様なのだから何もかもが無理に思えて来ます。

そもそもこの国のリーダーが差別主義者なのだから仕方がないのか。

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まっちゃんと当時のパートナーさとちゃんのツーショット。いまも家族のように同居している。
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2018年08月31日

うんざりぴょん

[序]
ちちをかえせ  ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ  わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
峠三吉『原爆詩集』より

今日は8月最後の日。もう1日だけ戦争の話を。

去年は夭折の詩人、峠三吉さんの生誕100年だった。

上記の詩は『原爆詩集』の序で峠は、そのあとに続く詩への入り口として、より多くの人を招き入れたくてこの詩を書いたのだという。

しかしこの序の部分だけが有名になり、一人歩きして平和記念公園の中にも詩碑がある。

筆舌に尽くせないというが、言葉をいくら尽くして惨劇を描こうとしても一編の詩の前では過剰にうつってしまうのかもしれない。

名匠・今村昌平監督が井伏鱒二の名作『黒い雨』を映画化してたけれど、忠実にリアルに作ろうとすればするほどグロテスクでホラー映画のようになってしまい観ていられなかった。所詮つくりもの。

2014年に『ふたつの太陽』という被曝死した曽祖父を主人公にした作品を創るにあたり、参考にと観たのだけれどこの方向へは絶対に向かってはならないと思った。

また、あの日の惨劇を説明をするという方向へも向かってはならないと自分を戒めた。

何が起こったのか?を知りたいのならば、広島平和記念資料館へ行けば良いのだから。

自分にしかできないアプローチで自分にしかできない物語を描き出す。最終的に腑に落ちたのはそこでした。

前にも記しましたが、「いま広島では若い人の間で原爆アレルギーともいえる拒否反応が強い。」と広島市文化財団の方が言っていました。

しかし一方東京では、1945年8月6日に何が起こったのか知らない人がほとんどです。

かくいうわたくしも、作品を創るために取材をするまではほとんど何も知らなかった。

知らぬが仏。“見ざる言わざる聞かざる”という日光東照宮の有名な彫刻がありますが、子どもには余計なことを見せるな言うな聞かせるなという徳川家康の教えらしいです。

2017年吉祥寺シアターの小学生ワークショップの期間中に8月6日が入っていた。

その日、ほんの少し原爆の話しをしたらアメリカから帰国したての女の子が「もー、なんでそんな話しするのー!」と心の底からうんざりしていた。。

悲しい話は、もうやめたい。

posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 10:24| ブログ?