2018年08月03日

8月6日朝1

私は、残務整理のため広島に一人残っていた。その日は早朝に空襲警報が鳴ったが、空襲があるわけでなく。

「またか。」布団の中でそう呟いた。最近誤報が多い。敗け続きで軍部も混乱しているのだろう。

目が覚めてしまい、しばらく布団の中で輾転としたが、もう夢の中へと戻ることはできなかった。

仕方なく起きると、灯火規制の黒幕を開ける。外は薄日が差しているがまだ太陽は照りつけていない。朝曇りのカンパチというが、今日はそうなりそうだ。

トイレに行き用を足して顔を洗う。誰もいない家はガランとして急に老け込んでしまったようだった。台所へ行き簡単に朝ごはんを作る。昨日の夜にお手伝いさんが作ってくれた残り物をそのまま食べた。

「男の一人暮らしは、何かと不便でいけんのう。」そう思いながら、寝室へ戻りシャツとズボンに着替え蝶ネクタイをつけステッキを持つと、日課である護国神社へのお参りに出かけた。

道中、やはり雲間から太陽があらわれはじめた。蝉はまだ鳴いていないし、それほどは暑くない。人もまばらである。

お参りを終え、護国神社を7時半に出た。始業の9時までにはまだ間があった。今日はお手伝いの人が二人来てくれる。そろそろ残務整理も終わりすっかりと片付いて来ていた。

一週間後には、私も淡路島へと旅立ち家族に会えるのだ。そう考えると自然に足取りも軽くなるのだった。

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曽祖父、真一は呉服屋にも関わらず普段は背広で通したとか。「とにかくお洒落さんだったのよ」by 次女・直子
posted by Mukai Kumotaro at 08:16| 日記

木谷家

今年も、わたくしの曽祖父・木谷真一の命日が近付いてきた。戸籍上は祖父である。

木谷家は呉服屋を営んでいた。木谷家四代・ 木谷實平が大成功。淡路・津志本店と大阪、北海道、広島に店を出していた。

広島では市内の大手町付近にて、木谷真一が『丸さ呉服店』を任されていた。商売は戦争が始まるまで順調で、結構手広くやっていたと聞く。

当時の広島は静かな城下町で川が豊かに流れる、本当に住み心地の良い町だった。東京や大阪が大空襲を受けるなか、何故か広島だけは大した空襲はなかった。

長女・正子の婿・真裕が軍港のある広島は危ないから早く淡路へ来るように。という手紙を淡路島に住む高校生の甥から受けとり、躊躇を感じながらも移住を決断。

真一の妻文子と正子、長男三郎、次男俊夫、次女の直子は、真裕の生まれ故郷である淡路島洲本へと残務整理のため残る真一を残し、1945年3月下旬に引っ越していた。

家族の出発のとき、長いあいだ親しくつきあった人たちが大勢、お別れを惜しんで広島駅まで見送ってくれたが、その人たちは皆んな8月6日に亡くなった。
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木谷家 1935年頃 市内の写真館にて 後列左より正子、真一、三郎。前列左より直子、文子、俊夫。次女・直子さんだけが、まだご存命である。
posted by Mukai Kumotaro at 07:25| 日記