2018年09月03日

小沢さん

わたくしが大駱駝艦に入った頃のプロデューサーは小沢康夫さんでした。

らくだのはじめてのネクタイ組といわれて制作募集で入ってきたとか。麿さんに厳しく仕込まれて毎日泣かされてたとか。

噂はいろいろ聞いたけれど、わたくしが入った時は押しも押されぬ大プロデューサーで。

新参者のわたくしを結構可愛がってくれて、いろんな抜擢も小沢さんがしてくれていたんだろうな。スペースゼロ公演の時は雑誌の取材を受ける役目を仰せつかったり。

無尽塾のチラシのデザインも小沢さんがやれと言ったのだと思う。

新入りが色々やるのを快く思わない麿さんを説得してくれていたのかもしれない。

新入りとプロデューサーだったけれど実は歳がそんなに変わらなくて。すぐに兄貴分的な存在になり、いろんなことを教えて貰った。狸穴くんも小沢さんの薫陶を猛烈に受けてた。

当時、まだまだ知るひとぞ知る存在だった麿さんを大メジャーにしようと様々なアプローチで日々、仕掛けていた。

大駱駝艦のプロデューサーをやめてから、浜井弘治さんのマネージャー的存在になって。数年経って浜井さんと袂を別つ瞬間に何故かわたくしも同席してて。

引き止める浜井さんに対して「浜井さん、悪いけど闘いだよ」と小沢さんがきっぱりと突き放していたのが忘れられない。

浜井さんのプロデュースを辞めてからプリコグという制作会社を立ち上げて。そのあとプリコグを人に任せて現代美術のプロデュースをしていた。

いまは島根だか鳥取に住んでいると神戸dBの横堀さんから聞いた。都会好きの小沢さんが?!意外。

さて1996年、小沢さんにとっては大駱駝艦での最後のプロデュース作品、天賦典式新作『死者ノ書'96』の稽古が始まろうとしていた。

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小沢さんの浜井弘治事務所への転職案内。
posted by Mukai Kumotaro at 07:29| 日記