2019年01月20日

Butoh?

舞踏は、1959年に日本で生まれた舞台芸術です。

何故、1959年かというと三島由紀夫のタイトルを拝借した、土方巽振付の『禁色』が発表された年で、舞踏評論の大家:合田成男先生がこの年を舞踏元年とする。と仰ったからです。

この伝説の作品に出ていた舞踏家の大野慶人さん。その慶人さんから今年の11月に城崎国際アートセンターでおこなう『舞踏?レクチャーパフォーマンス』の推薦状を頂きました。

ちょっと自慢になりますが、全文を記載させてもらいます。

推薦状

向雲太郎君の「舞踏?レクチャーパフォーマンス」を城崎国際アートセンターのアーティスト・イン・レジデンスプログラムに推薦します。

「舞踏?レクチャーパフォーマンス」は、当研究所が主催する大野一雄フェスティバル2015での滞在制作によって創作が開始され、翌年、NPO法人ダンスアーカイヴ構想が主催し、当研究所が協力するDance Archive Project 2016で初演されました。

「舞踏」は、日本の60年代に生まれ、今日世界中に広がりました。

しかし、私達は「舞踏とは何か」という問いになかなか答えることができません。

向君は、自身の体験を持ってこの問題に向き合い、その分析をパフォーマンスとして提示する一方、レクチャーによって、「舞踏」の歴史や技法を解説します。

本作品は、大駱駝艦の中心ダンサーを長く務めた向君が、あえて「舞踏」に疑問を投げかけ、「レクチャー」(言葉)と「パフォーマンス」(身体)という二様のメディアを自在に行き来する斬新な形式によって行う意欲作です。

この作品の対象は、そのテーマに於いて、舞踏を知らない、新たな観客層に向けられています。

従って、舞踏にあまりなじみのない、城崎の人々との交流は必ずや良い刺激と大きな実りをもたらすものになると思われます。

なぜなら、向君の意図するのは啓蒙行為ではなく、双方向の交流を通した「舞踏の革新」にあるからです。

21世紀の舞踏の可能性が、城崎の新たな観客の視線と共に探求されるのです。

「舞踏」は日本発信の文化として、世界の共通言語となりつつあり、城崎滞在で生まれる向作品もまた、世界に発信されるものとなることでしょう。

またそれは、今後関西に拠点を移して活動を企画する、向君とデュ社にとってのあらたな飛躍の契機となるに違いありません。

このたび城崎での滞在制作が実現し、作品がさらなる成長を遂げることを願っています。

大野一雄舞踏研究所
大野慶人

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現在80歳だけど舞台上でパンツ一丁で踊ってる。俺は果たして80歳の時にパンいちで踊れるのか。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 18:35| ブログ?