2019年04月01日

4月1日

今日で『ブログ?』は、やめます。

さて、一昨日は城崎国際アートセンターで打ち合わせでした。レジデンスの下見も兼ねていたので、一泊させてもらいました。

急に行ったのに対応してくれて吉田君、ありがとう。

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左、プログラムディレクター:吉田雄一郎さん。真ん中、館長兼広報・マーケティングディレクター:田口幹也さん。はじめて会った気がしなかった。

城崎、最高だったなあ。新長田、パツクアロに続きまた住みたい町ができました。

ここ城崎温泉は、志賀直哉の小説に出てくる観光名所です。1925年(大正14年)の北但馬地震で町は全焼したのだそうです。

そのあと、当時流行りはじめていたコンクリートの建物ではなく、「昔ながらの木造にこだわり三階までの建物にしよう。」と町ぐるみで決めたそうです。

だから町並みに統一感があって、風情があるのか。

一軒一軒の旅館の集まりと分けて考えるのではなくて、城崎温泉というひとつの大きな旅館なのだ。と考えて町をブランド化したとか。素晴らしい。

夜に歩いたのですが、着物を着た若い男女が仲よさそうに歩いていて限りなくロマンチックでした。

下駄の音が「カランコロン」と至るところから聞こえ、とんでもなく雰囲気を盛り上げます。温泉街の雰囲気を否応なく盛り上げます。

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照明がインスタ映えします。照明デザイナーでも入っているのか?

そんな温泉街の、いちばん果てに城崎国際アートセンターはあります。もともとは会議場だったとか。

むかし、温泉といえばおじさんが遊びに行くところ。芸者さんを呼んだりして飲んだくれて。

女房への言い訳として遊びではなくて会議をしに行く。という名目をつくるために会議場をつくったのだとか。

しかし、そんな理由でつくった施設がうまくまわるわけがなく、すぐに立ちいかなくなって城崎が押し付けられるかっこうになり。

この巨大な施設をどうつかうか?10年ぐらいは放ったらかしで、でも維持費はどんどんかさんで。

「そうだ、アートセンターにしよう。」

豊岡市の市長さんが飛行機に乗っているときに思いついた。市長のあたまが柔らかいんだな。

そうして平田オリザさんやJCDNの佐東範一さんに相談したそうです。

それにしても豊岡市の観光ポスターとかいちいち洒落ていてセンスがいい。いいデザイナーが入ってる。

ここに11月は、11日間います。合宿は大好きなのでいまから楽しみです。

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今日で『ブログ?』をやめるというのは冗談ですが、エイプリルフールに新元号発表って何かの冗談のつもりか?
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2019年04月02日

きのさき2

8月ドイツは、招聘なので気が楽ですが、11月城崎のレジデンス制作は自主企画なのでお金がかかるしたいへんだぞ。

チケット収入がないのでなんとかしなければなりません。11日間の滞在なので二人分の人件費と滞在の食費などをどう捻出するのか。

兵庫県の助成金に頼ろうとずーっと申請書を書いていましたが、すべて揃えて提出する直前に

対象とならない事業、@行政機関等から支援を受ける事業(会場使用料等の減免を含む)

という文言を見つけて。「むむ?」となり。

11月は、レジデンスアーティストということで滞在費や会場使用量が減免どころか無料なのです。

プログラムディレクターの吉田雄一郎さんに相談してみたら「たしかに、今回の事業は対象にはならないかもしれません。」と言われて。

念のために、兵庫県の担当の方にも電話してみましたがやはりダメでした。とほほ。

重大な文言を提出ぎりぎりに発見するなんて。。

デュ社副代表、湯山大一郎に連絡したら「他の助成金を探しましょう。」と励まされて。クラウドファウンディングも視野に入れるか。

しかしクラウドファウンディングとかいうと格好がいいけれど、実質は知り合いにお金を恵んでもらうという企画。

そんでリターンというお返しの品物を送るのがめちゃめちゃたいへんです。

まずは、内容を決めてそれに準じてサイトをつくって品物を用意してパッキングして郵送する。

『ぴちがい裁判』の時は、それも俺がすべて一人でやっていました。

そんなことよりも大切なのは、作品の中身なのですが。

だいぶん前から、金粉ショウで日銭を稼ごうと思っていて吉田さんに言ったら乗り気になってくれて。

駅に近いほうの神社の境内でやったらどうかとアイデアをもらい、観光客を相手にしてこれは稼げるかもしれない。

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城崎温泉の中心部にある四所神社。神社ほど金粉ショウの似合う場所はないのです。

あと二人ぐらい出演者を呼ぶのも可能かも。女性がいたほうがいい。誰か。。まだいいか。

神社での金粉ショウは大丈夫だけれども、肝心のアートセンターのレクチャーパフォーマンスになんとかして人を連れてこなければ。

入口を易しくしておいて、ほんものの舞踏の深奥を垣間見せる。とかいって金粉ショウも真髄は披露しているのだけど。

舞踏の手法をあれこれとつかいながら、内容的には「人間の根源的な何か?」を問う、今までの世界観を提示したい。

小さな世界と大きな世界の引っ張りあいを大切にしつつ、挑戦しよう 実験しよう。

そして、評判が良くてまた呼びたいと思えるレジデンスになるように頑張ります!!

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KIACの壁のサイン。學ちゃんの横に危口のサインが。
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2019年04月03日

いまは、淡路島五色町都志に帰ってきています。

まだまだ寒くて風が冷たい。しかし庭の桜が咲いていました。

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玄関に活けてみた。ソメイヨシノってのは寿命が短く60年ぐらいで、戦後に植えられたのはいまどんどん枯れてるとか。

都志公演ですが、5月はちょっと無理そうなので6月にします。末でいいか。

準備期間は長いほうがいい。一階の廊下の天井画がいちばん時間がかかる。一階のふすまの直しは今回の滞在でできるかもしれない。

とか思ってたけどてこずっている。

昨日は、押入れの奥を片付けていたら五女、恒子姉さんの書の掛け軸がたくさん出てきた。表装が虫喰いでだめになっているのでこれらの書をふすまに貼り込みます。

あと祖父が集めていた色紙の水墨画もたくさん出てきたのでそれも貼り込もう。

二階の襖の改修はまだまだかかりそうですが、扉に写真を貼る作業は進んでいます。

写真が大量にあるのですが仕舞い込んであって誰も見ないのでそれらを扉に貼ったり、掛け軸に貼って掛けたりします。

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“南無大師遍照金剛”の掛け軸もでてきたので仏壇前に飾った。どこかのお坊さんが書いたものだな。

玄関にかざる日覆い暖簾を注文しました。夏場は猛烈な朝日で気温がぐんぐんあがるのでその対策です。

家の中から観るようにするので、座布団を東京から持ってきました。

観るのに邪魔なつつじを切ってあともう一本のなんだろうか、わからない木も切って。

庭に基礎をつくってその上に舞台をつくるのは今回は無理か。ゆくゆくは、そうしたい。散歩していたら近所に材木屋さんがあったのでそこで部材は調達です。

ここに死ぬまでいるのだからだんだんとやっていきます。しかし今日明日死ぬかもしれないのに、そんな悠長なことを言ってていいのか?

小林旭は夜に寝ることを「死ぬ」といって、毎日死んでたらしい。そんで朝、目が覚めたらまた生まれかわる。

今日一日をいつ死んでもいいと生きることができるか。明日のことを考えずにいまを生きる。

とか考えながら、歯がとんでもなく腫れていて顔がいま宍戸錠です。

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お隣の和菓子屋さん『住吉堂本舗』さんが大通りに洒落た新店舗を本日、OPEN。「おめでとうございます。」
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2019年04月04日

ローカルなはなしで恐縮です

昨日は、お隣の“住吉堂本舗”の新店舗OPENの日でした。

いままではお隣だったけれど、だいぶん遠い存在になってしまいました。バスが走る大通りのいちばん良いところ。

停留所の前だから、電車で例えれば駅前です。

木谷家が建っていて住吉堂さんの旧店舗があったこの辺りは、むかしは都志銀座といって商店街があって賑わっていました。

篠山モータースという自転車屋さんがあって、ほかにもお店がたくさんあったような。

だいぶん前にそこに道路を通すことになって、篠山さんやそのほかの家も立ち退きになっていなくなってしまった。

そのあと人が亡くなったりしてどんどん過疎化がすすみ、住吉堂さんと木谷家とあともう一軒だけになってしまった。

時代の流れだから仕方ないです。仕方ないのか?道をつくると便利になるが、その弊害も多い。

明石大橋ができて淡路島が、四国へのたんなる通り道になってしまったように。若者がどんどん、本州へと出ていき易くなって減っているように。

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豊岡市のポスター。センスがいいのだ。

とにかく人が減っている。城崎も人手不足とかで豊岡市の取り組みで、若者をなんとか帰って来させようとしていました。

町に魅力がないから都会へと出て行きたくなる。若者がいなくなってますます活気がなくなって寂れていく。

そんななか新しいお店が開店するというのは嬉しいニュース。なんだか都志ぜんたいが、うきうきと浮かれているような雰囲気。

しかしわたくしは歯が痛くて頰が腫れているので、家で養生しています。

お祝いで白塗りでもして踊ろうかと思ってたのですが、なんせ頰が宍戸錠なもんで。

とか思って家にいたら、お隣の旦那さんが庭で畑仕事をしていた。

町全体が浮かれて新店舗のほうへと注目が集まる中、家でその喧騒に一人背を向けて畑仕事をする先代。

早くして跡を継いであたらしいお店を大通りに出して「頑張るぞ。」と順風満帆の息子と、「そんなことは知らん。」と家でひとり黙々と畑仕事をする父。

二階の東側の部屋からちょうどどちらの姿も見えるので、人間模様の陰と陽のコントラストを垣間見た気がしました。

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その場所に魅力があれば、出て行こうとも思わないし帰りたいと思うのだ。
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2019年04月05日

歯あ

歯が痛くて腫れています。

ずーっと痛かった右上ではなくて、左上です。右上は噛んで「ゴリッ。」となるのが怖くておそるおそる噛みます。

左上は噛むと痛いので、どこで噛もうか。食事するのがたいへんで、ものを口に入れるのが億劫です。

動物で歯がダメになるのは命取り、そろそろ寿命なのかと弱気になったり。

からだが元気でないと、こころも弱ってきます。

5年ぐらい前なのか。

最初にいま通っている日本では数少ない三鷹の歯周病専門医“船越歯科医院へいったら「手遅れです。」といわれて。

いままで田無の名医といわれてる沼澤歯科医院へ通って治療してたのにと、びっくり仰天。どういうことだ?10年以上通ってたのに。

「普段の治療では届かないところの歯周病ポケットを、何とかしないとこれから何度も腫れます。」

念入りに時間をかけて撮影したレントゲン写真を見ながら、船越医院長に予言されて。

「歯茎を切開して掃除してまた閉じる。という手術をしないといけません。」と説明をされたけれど、痛いのが嫌だし怖いのでずーっと逃げてます。

そしたら最近、予言通りになって腫れては治り腫れては治りの繰り返し。

さて抗生物質を飲めば治るのはわかっているので、薬をもらおうと近所の歯医者にいきました。

都志に一軒しかない歯医者です。真新しい住居の一軒家があって、その隣に一軒家の医院が。儲かってるなこりゃ。

意外とさびれた感じの玄関を入るとおばさんが一人いました。受付したら、ちょうど往診へいく前とかでよかった。

中へ入るとだだっ広くてちょっとびっくり。すると薄暗い奥のほうから先生があらわれます。いまどき珍しいアイパーです。

「ちょっと拝見。」と見られてレントゲンを撮ります。扉が開きっぱなしなので大丈夫か?と心配になった。

証明写真ぐらいの小さな写真を見せられて「黒いところが歯周病のポケットです。」いうて三鷹で何回も聞いた説明を受けてたら、

「だいぶん膿がたまってるので切って出しましょう。」いわれて衝撃を受ける。「心の準備が。。」しかし逃げも隠れもできません。

観念して諦めます。もうこうなるとまな板の上の鯉です。「どうにでもしてくれ。」と諦めます。

あれよあれよという間に準備が進んで「少しチクっとします。」膿をぐいぐい出されます。

痛かったけれど、たくさん出たみたいで歯医者さんがちょっと喜んでたのが可笑しかった。

「薬出しときますんで。」いわれてお決まりの「お酒が大好きなので飲んでも。。」質問したら「今日は控えたほうがいいですね。」といわれてがっかり。

一昨日抜いたばっかりなのに。ノンアルコールで頑張るか。

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自撮りおっさん。東京に戻ったら船越へいきます。
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2019年04月06日

思い込みを制する

去年は“対話”ということを大切にして、いろいろなところでワークショップをやり強い手応えを感じました。

対話することの面白さは、勇気をもってやってみないとわからない。まずはこちら側から話しを聞く。聞く耳を持って対する。

そうして対話することによって、はじめて自分とは違う他者の考えや思いを知ることができます。

まずは、自分とは違う他人の多様性を認めることからはじめていくことが肝要。

今年度ですが“分けない”ということを考えながらやっていこうと思っています。

わたしとあなたとを分けない。ここがまずは出発点。ここを分けるとあとは分断続きになってしまうので、ひとつとして考える。

分断は、いま世界中で大流行していますが困ったなあ。自分さえ良ければいいなんて、幼児でももう少しは思いやりがあるぞ。

人類には分断本能というのがあって、どうしても分けようとするこころが働くようです。敵と自分というふうに分けないと生きていけない時代が大昔にあった。

しかしこの現代。天敵が唯一いなくて食物連鎖から外れて百獣の王になったいま、敵を探すのはやめようではありませんか。

国と国とで分けない。ひとつの“地球”という考え方をしよう。

ひとつの宇宙でもいいけれど。この広い大宇宙の中のちっぽけな芥子粒みたいな地球の中でいがみあってバカみたい。

国内と海外とを分けない。船で旅をしていた頃ならいざ知らず、飛行機で旅をするいま海の外という考え方は古いです。

いまだに外人とか外国人なんていうひとがいるけれど遅れてるなあ。と思う。ではなんて呼ぶのか。

それを皆んなで考える。言葉が通じないひとたちではどうか。これも差別的か。言葉が通じるとか通じないとかではないコミュニケーションの方法があったりするので。

日本人である。ということがそんなに重要か?そもそも日本人なんてのはもともと存在しない。

日本列島に古くから住んでいた縄文人を大陸や半島からきた渡来人が、騙して奪って北海道と沖縄に追いやって弥生人とかいって住んだのがはじまり。

アメリカ大陸やメキシコ半島や南米、オーストラリアやカナダと同じ。先住民を追いやって独立国家とやらを勝手につくってわたしとあなたとを分断してしまう。

ハイブリッドな存在の大坂なおみさんが大活躍する現代、なに人?とかいう考え方は時代遅れ。

べつに、なに人でも構わないではないか。

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お父さんはハイチ出身のアメリカ国籍、お母さんは北海道の方だとか。本人は大阪出身でアメリカに住んでて、二重国籍か。国籍ってのは、ほんとうに厄介。
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2019年04月07日

分断の続き

大駱駝艦のスローガンのひとつに“滅私奉公・公私混同”というのがあります。

俺のひとつ前の世代の人たちがよくつかっていた。いまはどうかわからないけれど。

自分というものをなくし働く。そのかわりに、色々なものやことを我がもののようにこき使う。ここにも分けない。という考え方がある。

先日、伺った城崎温泉も一軒一軒の旅館として分けて考えるのではなくて、大きなひとつの旅館というふうに考えて成功していた。

分断が世界的に大流行しているけれど、ほんとうに世界を良くするためにはまったく逆の考え方をしなければいけないのだと思う。

障害があるとかないとかで分けない。

オリンピックとパラリンピックなんて分けなくていい。目が見えない人も耳が聞こえない人も片足がない人も、差別せずに一緒に遊べばいいのに。

誰だってどこかしら、からだは傷んでいたりするもの。こころもどこかしら病んでたりするもの。

健常者なんていう人間はいないのだと気付く。

自分と障害者という考え方をやめる。二つに分けることの限界に思い至ろう。障害者でも健常者でもない人のほうが実は圧倒的に多いのです。

だいたい障害者ということばが好きではないです。こうやって仕方なく記したりしますが口にはしない。

何に対して差し障りがあるというのか?害とはなんなのか?誰に対しての害なのか?

では何と呼ぶのか?それを皆んなで考えよう。

横尾忠則さんが“ハンデ”のあるひとと呼んでいたけどいいと思った。女房は「ハンデがあるって嫌じゃない。」と言いますが。

そのむかし『無敵のハンディキャップ』っていう映画があった。DOGLEGSのドキュメンタリー。観たいと思っているけれどまだ観ていない。

しかしハンディキャップってのは、不利とか不利益なんていう意味があるのか。あんまりよくない。

そんな女房は「個性がある人々でいいんじゃない。」と言います。これは結構いいと思います。

なんでもかんでも個性として見れれば、この世界も平和になるかもしれない。

「あんた、めっちゃ個性強いなあ。」

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分けないのだから、別に名付けなくてもよいのか。photo by DOGLEGS
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2019年04月08日

伝統

昨日は、春のお祭りでした。

都志のお祭りなのか。都志の中にも万歳とか大日とか大宮、本村というように地名があって、その界隈ごとに“だんじり”があるようです。

そのそれぞれのだんじりが八幡神社に集結するとか。面白そう。

こちらお祭りは大好きなので、朝から太鼓の音を聞いて血湧き肉踊ります。

舞台人は言ってみれば、お祭りのプロなのです。しかしまだまだよそ者なので出しゃばらないように気をつけて控えめにします。

昼前にだんじりが続々と出てきてのんびりと、八幡さまを目指します。

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住吉堂の前でちょっと休憩するだんじり。このあと集合写真の撮影係になって活躍しました。

途中、お祝い事がある家の前で唄をうたってだんじりを曳き回して暴れさせます。

新店舗をOPENした住吉堂さんのまえでも、ほんむらのだんじりなのかお祝いに暴れていた。

そのあと八幡さまへといくと既にだんじりが集まってきていて一台一台、神前で唄をうたいます。曳き回したり持ち上げたりして格好がよかった。

何トンもあるだんじりを持ち上げてる。

ここで皆さんお昼ご飯を食べるようなので、こちらも一度家に帰って昼飯を食べます。昨日の夜に作ったカレーです。お祭りなのでビールを頂きます。

お酒を飲む行為は神さまに近づく為なので、お祭りのときは本来は浴びるように飲みます。

こちら部外者なので浴びませんが、神社でふらふらのおじいさんがいて羨ましかった。あれは朝から日本酒をいってるな。

午後、こんどは海沿いの住吉神社へとすべてのだんじりが移動してきます。太鼓を叩きながらのんびりと行列で歩いてくる姿は壮観です。

そう、だんじりの見えないところで子どもが太鼓を叩いているのです。

そんななか、一台のだんじりが大音響で演歌を流していて格好悪かった。

他人に自分の好きな曲を聞かせる若者みたいな押し付けがましさがあったし、子どもが一生懸命太鼓を叩いているのにそれをかき消すようなデリカシーのないことは恥ずかしい。

その演歌を大音量で流しているのは、どうやら陽に焼けたパンチパーマの漁師のおじさんのようだった。住吉神社でも偉いのか威張っていた。

ここ五色町都志は、漁師町なので皆さんけっこう柄が悪いです。

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続々と集まってくるだんじり。

住吉神社も海上安全のための神社です。ここで航海安全、大漁祈願をしてお祭りは終わりです。

昔はこのあと舟だんじりというのが海へと入って、より一層の祈願を行うのですが人手不足とかで最近はやらないみたいです。

子どもの頃に見たことがあって、べろべろの男達が舟だんじりを担いで海へと入っていく姿は、勇壮で限りなく格好が良くて子ども心に興奮したのを覚えている。

「僕もいつかあれをやってみたい。」と思ったかどうかは定かではないけれど、永遠に失われてしまっていく伝統。残念です。

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ふなだんじり。船の形をしていて下にだんじりが入って曳き回す。海に入るときはこのまま担ぎます。なんとか復活できないかな。
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2019年04月09日

お祭り続き

さて都志、お祭りの続きです。

興奮冷めやらぬ感じで「よかったなあ。」と家に帰ったら、しばらくして唄声と太鼓の音が聞こえてきました。

見にいってみると、一軒の家の前でだんじりがまだ練り唄っていた。


ここ木谷家のある“ほんむら地区”のだんじりだとかで、何かお祝い事があったのか。それとも名残を惜しんでいたのか。

けっこう若い人が多くてちょっと安心。ひとしきり唄ったらのんびりゆっくりと帰っていって終了。

その後も、玄関の明かりを点けっぱなしにしたりしてお祭り気分を引きずります。

そうしたら辺りが暗くなった八時ぐらいに、また唄声と太鼓の音が聞こえて来たので急いで駆けつけた。

こんどは男達が20人ぐらい円になって、さっきの家の前で唄をうたっています。

暗がりの中をよーく見てみると、一人の男の子が大人に肩車をされていた。

唄を一人ずつ唄いながら肩車を代わっていく。たぶん今日だんじりの中で太鼓を叩いていた子を称えていたのだな。陰の功労者。

見ていて「あー、あの子は都志を出ていかない。」という気がした。出て行っても必ず戻ってくる。

今日一日酔っ払いのおじさんたちに、ながながと付き合わされて。

臭いしうるさいし暑いし、しんどいし他の子は遊んでるのに「なんで僕だけ?」と思ってただろうけど。

あれだけの大勢の大人たちに祝福されて称えられてサービスをされたら、成功体験となって彼の人格形成に多大な影響を与えるだろうと思った。

暗闇の中、円になって唄をうたい手を叩く男達と肩車を次々としてもらってる男の子の姿は幻想的で素敵だった。

そこで生まれ育ちそこに根差して生きてきて、これからも死ぬまで生きていくという気概と誇りと不思議な安心感を感じた。

そんな気張りすぎず朗々と唄い上げる楽しそうな男たちの姿を見ていると、根無し草のいままでの自分の人生を振り返ってしまいます。

自分が持っていないコミュニティーの強いつながりを感じて「いいなあ。」と心の底から思って感動しました。

来年はなんとか、仲間に入れてもらってだんじりを曳き回したい。そう心に誓ったのでした。

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立派なだんじり。むかしは、もっと台数があって賑やかだったとか。過疎化に伴い燃やしたりして捨ててしまったとか。燃やすとき皆んな泣いただろうな。
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2019年04月10日

所為

一昨日、湯山大一郎と電話で打ち合わせをしました。

こちら淡路はまだ馴染んでいませんが、京都のほうでは色々な出会いがあって色んな話しが進んでいるようです。いいね。

さすがは若者。というほど若くないか。しかしまだ40歳にはなっていない。たぶん。

このあいだのお祭りの時に「俺があと10歳若くて40代だったら、どんどん中に入って突っ込んでいけたのに。」と思った。

“たられば”は、まったく何の意味もないし下らないのですが。

いろいろな経験をして苦労もして分別もついてしまい、あまり無茶がやれなくなってきている。しかし大人しくはならないように気をつけます。

ここ最近、対象外とか採択外とか場所が取れなかったりとか仕事がなくなったりとか落ち込むことばかりです。試練の時か。

しかしどれもこれも自分の実力や、やってきたこととはまったく関係ないので「落ち込むな。」と自分を励まします。

仕事は自分の手で創り出すもの。巣の中の子どものように、口を開けて待っていたっていつまでたってもやってきません。

企画をひとつ立ち上げるのに準備期間は2年は必要。赤字にならないように仕事として成立するように、計画してやらないとなりません。

わかっているのだけど、いますぐにやりたいという逸った気持ちもある。年齢が年齢だから焦っているのだな。

何かの所為にしない。

お金のせい、人のせい、お酒のせい、そして年齢のせいにしない。それは、言い訳だから。「はい。」

先日、十川英二さんと話しているときに「人生100年の時代やで。」と言われました。娘にも同じようなことを言われた。

50歳のいまで、これだけからだにガタがきているのにあと50年も生きると考えたらたいへん。「ゾッ」とします。

だいたい人間のからだってのは、50年ぐらいで壊れるように出来ているのだと思います。

犬や猫の寿命は10年ぐらいか。ソメイヨシノの寿命が60年から70年、ゾウガメは200年だと。クジラも200年だって。

ちなみに、ワニってのは寿命がないらしいです。病気で亡くなる。それも寿命か。

かたちあるものは、いつかは壊れて消えていく「これは定めよ。」

もちろん、健康でなんの心配もなく100歳まで生きられるのなら、そんなに素敵なことはないのですが。あり得ない。

人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか

ひとつひとつ、できることをやっていこう。

それが、あの遥か遠いビッグジャイアンツに登るための、唯一の方法なのです。

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最近は、ヘリで上までいって「はい登頂。」いうてる人が多いみたいですがそれは反則。でも自分がそれでよければいいのか。
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2019年04月11日

慈悲

引き続き仏教の勉強と勤行をしています。知れば知るほど、やればやるほど興味深いです。

『池上彰と考える、仏教って何ですか?』を読了、つぎに五木寛之さんと梅原猛さんの対談『仏の発見』を読了。

釈迦の生きていた頃は、お経はありませんでした。説法のみです。

釈迦の死後、教えを広く伝道するために経典が生まれました。

ブッダの死後、500年経ってはじめて文字になった。「大切なことは文字にせずに口で伝えること。」というインドの古い教えがあったからだとか。

それまでは「俺はこういうふうに聞いた。」と口伝だった。500年後に弟子が集まったらしいけれど、五百人いたんだって。まるで五百羅漢。

文字にすることで、誰でもが知ることができるようにマニュアル化されたんですね。

『般若心経』は仏の智慧の真髄だけを抜き出したものです。

仏が弟子の一人、シャリシに語りかけるかたちで書かれています。

最初の25文字で真髄を語ります。

アインシュタインが数式にしたとかいう“色即是空 空即是色”。ここで般若心経の答えを述べている。そのあとはずーっと、その説明です。

「色すなわちこれ空なり、空すなわちこれ色なり。」師匠、麿赤兒は“からだ”とまわりの“空間”とで説明する。

人は自分のからだが実体でまわりが空気、空っぽだと思っている。

それを疑って「実はからだのほうが空っぽでまわりの空間に実体がある。」と考えかたを入れ変えてみる。

まわりがうごくから自分がうごかされる。自分でうごくのではなくてうごかして頂く。自分をなくすともいえるのか。

無関係ではなく、つながっているこの宇宙ということ。ひとつになる意識と空間。

般若心経は、三蔵法師がパーリ語から漢字に音訳、いわゆる当て字をした。”パンニャパラミタ”を”般若波羅蜜多”としたり。

巷にいろんな解説が出回っていますが最後の部分は、本当は訳してはいけない。

「ぎゃていぎゃていはらぎゃてい はらそうぎゃていぼうぢそわか。」

仏になるための真言。「神はあるもの、仏はなるもの。」by 鎌田東二

チベットは、インドから直接仏教が入ったので釈迦の教えに近いらしいです。

日本には、中国で独自の展開をして大きくなった仏教が伝わってきています。

そこには、中国にもともとあった儒教と道教の考え方も色濃く入っているのでしょう。漢字という意味も入り込んで。

そして仏教は、日本へと伝来して独自の進化を遂げて完成するのです。

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木谷家仏壇。真言密教の仏壇なので、曼荼羅世界をかたちづくっています。センター奥に大日如来、左に不動明王、右に弘法大師空海。その前に並ぶ仏たち。都志の家で数少ない、ほんとうに価値のあるもの。
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2019年04月12日

くるま2

さあ今日は移動です。バス移動なので7時間かかります。

一路、東京を目指します。運転手さんよろしくお願いします。居眠り運転とかしないでね。

しかし、居眠り運転ってのは恐ろしい。

眠ったら死ぬのに寝てしまうのだものなあ。軽い自殺。軽くないか周りを巻き添えにして。

少しでも眠くなったら休憩しなければならないのだけど、高速を走ってるとなかなか難しい。休憩所もなかったりして。

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インドのタクシー。

インドにいった時に、タクシーに乗りました。

最初にシートベルトをしようとしたら「ノープロブレム。」と、とめられて「まあインドだし。」とシートベルトをせずに発車。

猛烈なスピードでめちゃくちゃ荒い運転で、クラクションを鳴らしまくって目的地のレストランへと到着。なぜかおっさんもカレーを食っててまあいいか。

おっさんの食事代も払ってちょっと休憩して帰ります。

帰りも猛スピードで走ってて食後なのと昼下がりの生ぬるい空気とで眠たくなってきて、うとうとしかけてたら肩をとんとんと叩かれて。

ふとおっさんのほうを見たら、もの凄い眠そうな半分しか開いてない目で「シートベルト、プリーズ。」と言われて。

シートベルトを慌ててしめてラジオの音をフルボリュームにして、ブロークン・イングリッシュでおっさんに話しかけまくりました。

あれは生きた心地がしなかった。

18歳か19歳かに免許をとって、はじめて運転しました。

深夜、雨の日でビデオを借りにいこうと父親の車に勝手に乗って。

エンジンをかけて車庫からバックで出そうとしたら、うしろに人がいた。けれど気付いてなかった。

エンジン音がしたので父親が起きてきて、うしろに人がいるのにバックしようとしてるから家から大声で叫んでたらしい。

しかし窓が閉まってたので聞こえなくて、そのままバック発進したら車庫の壁に「バリバリボリガリッ」いうてぶつかってストップ。

親父は上から見てて「ほっ。」俺は下で「うわー。」いうておりて車を確認して。

ノロノロと辺りを一周して帰ってきて、たぶん親父にこっぴどく怒られて。

そのあと何度か運転したけれど向いてない。と運転するのはやめました。

あのまま運転してたら、とっくに死んでたかも。

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カルマンギアってのも格好がいい。運転しませんが。
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2019年04月13日

空と無

舞踏家としては、より根源に近づきたいのでまだ大駱駝艦にいた頃にインドへ行きました。

神さまが三億いるのだとか。釈迦もいまでは、その中のひとつ。インドへ行くとそこかしこに宗教を感じて、それがなぜか懐かしくて。

「人間には、宗教が必要不可欠なのだ。」と強く感じました。

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photo by frogma.

科学雑誌『Newton』最新刊の特集が“無”についてです。すこし立ち読みしたのですが、ほんとうに何もない究極の無が存在するらしい。

宇宙は、その完全なる無の状態から始まるようです。何億年、何兆年たって色々あってまた無にかえる。それの繰り返しだとか。

仏が般若心経で説く“色即是空 空即是色”は三蔵法師が漢字で当て字をしたものなので本来は、空ではなかったのではないか。

無は空をも含むようなので釈迦がインドで説いたのは“色即是無 無即是色”だったのではないかと思ったり。

2,000年以上前に、インドの木の下でこの宇宙の始まりと終わりとその成り立ちの神秘について思い至った人がいたという驚異。

兄弟子、村松卓矢曰く「いまの物理や科学は、2,000年以上前にインドの木の下でガリガリのおじいさんが言ったことを数式で証明しようとしている。」

そして最終的に釈迦が言った「“無記”わからない。」ということが数式で立証され、本当のことは何もわからない。ということがわかってきている。

ダライ・ラマも世界中を旅して科学者ばかりと会って話しています。そう仏教はとても論理的で科学的なのです。ユダヤ教やキリスト教のように論理の飛躍がない。

海が割れたり、死者が蘇ったりという超常現象を認めない。必ず、原因があって結果がある。という考え方をする。

それはさておき、宗教はすべてがほぼ同じことを言っているのだと思います。登り方が違うだけで頂上は同じ。または下り方が違うだけで行き着くところは同じだったり。

そしてそれを利用する人間にこそ罪がある。

なんでもいいしどれでもいいけれど宗教というのは、やはり人間にとって必要なのだと感じます。

テレビを消して線香を焚くだけでもこころの平穏が訪れる。

いま日本は、無宗教になってしまっています。明治政府による廃仏毀釈、続くアメリカによる、国家神道の解体。

仏教ではまず『殺すべからず。』です。ちなみにイスラム教の本家・ユダヤ教では、十戒の五番目が『殺してはならない。』です。

仏教では、それほど人間の本性を“殺人”というそこに見ている。

毎日毎日、日本では人殺し世界では大量殺人だのテロだのの痛ましいニュースで溢れている。

いま日本では、いや世界中でも仏教が見直されるべき時なのだと思います。

仏の慈悲でものごとを見るのです。

大きなこころで。

そんでこの世は夢まぼろし、何もかも無にもどって「はい、おしまい。」

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子どもの頃に父親が定期購読してて読んでいた。イラストが豊富で面白いのです。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 07:47| ブログ?

2019年04月14日

文章について

ブログというのは、日記というより人に読まれるということもあってエッセイに近いのではないか。と最近、思っています。

エッセイは調べたところとにかく気楽に書くものらしく、この『ブログ?』もとにかく気楽に記しています。

けれど、文章の言い回しや“てにをは”は気をつけるようにしています。

漢字が多すぎると固くなりすぎるので、これも気をつけます。

こどもの表記は“子ども”で統一しています。これはお世話になったことのある“芸術家と子どもたち”の名前に準じています。

動くと記すときは“動”という漢字がしっくりとこないのであまり使いません。うごく。

からだは、色々な書き方がありますが“身体”だと運動的すぎるし、“カラダ”ではなんだかスポーツ飲料の宣伝みたい。“体"はなんだか拍子抜けしてもの足りない。

面倒なのでひらがな表記にしています。からだをうごかす。

この辺は商売柄こだわります。麿さんは、からだより“肉体”と呼ぶほうを好みますが。

最近、カテゴリーというので分けようとして最初から見直しています。

文章のおかしなところや誤字脱字などをついでに直しています。追加したり。

あまりにも長いと句読点を入れて、でも入れすぎるとうるさいので気をつけます。

この句読点は井上ひさしさんの『私家版日本語文法』によると、結構いい加減で規範のようなものはないようです。

書き手に委ねられている。

ところで、カギ括弧の中の文章の最後に丸。をつけるかつけないか?『ブログ?』をはじめた頃に考えて、しかし曖昧にしていた。

調べてみたら新聞や小説や日本のあらゆる文章が、カギ括弧の中の文章には丸をつけていません。

たぶん新聞社が規範を作っているのだろう。けれども舞踏家としては右に倣えはまっぴら御免だし、疑うということが信条なので気にしません。

自分で文章を記すときに丸をつけないと、しっくりとこない時があったり。擬音のときはつけないけれど、会話とかこころの声であったりするとつけたくなる。

なのでいまでも、ずーっとそうしています。

そんなある日、ふと芥川龍之介はどうしているのだろう?と調べて見ました。

なんと芥川は、カギ括弧の中の文章に丸をつけていました。

こころのなかで小さく「やった。」とガッツポーズ。だって芥川賞の本家というか本人というかその芥川龍之介が・・・

まあ、別にどっちでもいいか。

「世界を分けないように気をつけよう。」とか、言うてて文章をカテゴリーで分けようとする矛盾。

カテゴリーで分けるのはやめにしました。ひとつのほうがいい。

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いま調べたら宮沢賢治もカギ括弧の文の最後に丸を入れていた。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 06:09| ブログ?

2019年04月15日

お祝い

昨日は、娘の誕生日でした。

夜中だったのか。わたくしは病院で出産に立ち会いました。

立ち会ったけれど、この世に出てくる瞬間は反対側にいて見ることができなかった。少し残念。回り込むのは憚れるような切迫した雰囲気があった。

産まれ出てきて持ち上げられたのは、紫色の物体でした。

産道を無呼吸で通って出てくるので酸欠状態なのです。子宮にいるときはどういう風に呼吸しているのだろう。

羊水の中にいるということは、えら呼吸か?へその緒から酸素が送られてくるのだろうか。

いま調べたら、胎盤から直接に心臓と脳に酸素が送られてくるそう。肺はまだ使ってないのだとか。

肺は、水がひたひたに染み込んだスポンジみたいな状態。

陣痛のストレスで肺呼吸の準備に入る。狭い産道を通ることで肺から水分が出ていく。

そんで産まれた瞬間に「けほけほ。」いうて水を吐き出して息を吸う。そうしたら紫色だった顔が一気に真っ赤になる。これは実際に見ましたが、劇的だった。

『阿吽』の“阿”は吐く息で“吽”は吸う息。

密教の真言で宇宙のはじまりと万物の根源をあらわす阿。宇宙が最終的に具現する智徳と到達する涅槃をあらわす吽。

人間も最初は息を吐くのだな。吐いて吸って泣いてはじまる。

最期は息を引きとるというけれど吸って終わる。臨終には立ち会ったことはありませんが。

2004年4月14日1:28「けほけほ。」と「おみゃーおみゃー。」鳴き声をあげて無事に誕生。

下の階で待つ、女房のお父さんとお母さんに報告にいったのを覚えている。一緒に家に帰って乾杯をしたのか、それは覚えていない。

女房に聞いたところによると、産まれてからすぐ3時間おきに母乳を与えてたとか。

助産婦さんが赤ん坊を連れてくるのだけど「そんなにすぐに母乳なんか出るか?」と思ってたら、すぐに乳が張りだしてかちかちになってめっちゃ痛くなったとか。

人間のからだってのは、ほんとうに不思議だなあ。

だいたい人類の何億年もかけておこなった進化を、胎児は十月十日でやってしまうのだものな。これまた不思議。

そんで着床に至るまでも凄まじいドラマがある。

「人が生まれる確率は、400兆分の1」by Mel Robbins.

年末ジャンボに当たる確率は2,000万分の1とか。つまり赤ん坊として生まれてくる確率は、年末ジャンボで1等に当たるよりも200億倍難しい。

この世に生まれたというだけでたいへんなことなのです。そして、何もしなくてもそのままで既にとんでもない作品なのです。

そんな奇跡に感謝した日なのでした。

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毛がふさふさで生まれてくる子もいるとか。その個人差も面白い。photo by Kenji Kidani.
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 14:16| ブログ?

2019年04月16日

何故かうまくいく?

最近、本は増やしたくないので買いません。

だいたい立ち読みで済ませて、小説など本気で読みたいときは図書館で借ります。よっぽど特殊な本でなければだいたい手に入ります。

買うと安心して読まないということもあるのです。立ち読みは時間が限られているので一期一会。真剣勝負です。

外表紙の能書きや宣伝を読むと、だいたい何が書いてあるのかわかる。興味が湧けば手にとって目次を見ます。

この手に取るときに気をつけないといけないのは、背表紙を折らないこと。背表紙が折れてしまうと売りものにならなくなります。

もし折ってしまったらもちろん書います。たまに手に取るとすでに折り目がついていたりして「立読み道の風上にも置けぬ。」と憤ります。

さーっと目を通して、面白そうな項目があれば読みます。

なければ、あとがきで結論を読む。コンビニなんかに置いてある内容が少ないHow to本や自己啓発本ならこれで充分。

立ち読みは、結構長くします。足腰の許す限り読む。座るのは反則です。子どもの頃は座り込んで漫画などを読んでいましたが。

いまは、週間プレイボーイのオール巨人師匠の連載と戌井君の週刊ポストの連載、NUMBERの連載“2000年の桜庭和志”を読んでいます。

昨日もコンビニで立ち読みをしました。『なぜかうまくいく人のすごい無意識』というタイトルにひかれて本を手にとった。

デザインもいちばん素敵だった。いいデザイナーをお金をかけて雇っているのだな。一流のデザイナーはとてもギャラが高いです。

無意識を愛すというか認めるというか友だちになる。そうすると人生が変わる?とかそんな内容?なのか。

「目標を達成するには、現実の解釈を変えるのが最短ルート。」現実の解釈?どういうことだろう。

著者は、梯谷幸司さん。カリスマ・メンタルコーチだって。100万円のセミナーが募集と同時に満席とか。怪しすぎるな。

この本はすべてに目を通したが、いまいち要点というか言いたいことが謎だった。

色んなエピソードや体験談が紹介されているけれど、そのどれもが無意識とどう関係しているのかがよくわからなかった。

ひとつひとつのエピソードは、面白いし興味深かいのだけど・・・

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第一線でバリバリ現役の巨人師匠のお話しは、いちいち説得力があって面白くて芸のためになります。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 09:52| ブログ?

2019年04月17日

うさんくさい

この世には、“絶対的自我”と“限定的自我”ってのがあるそうです。

絶対的自我とは「たとえ健康でなくても、いろんなことがうまくいかなくても、生まれたことがそれだけで奇跡なのだから、このままで価値があるのだ。」という考えかた。

舞踏的な考えかたです。

いっぽう限定的自我は「障がいのある自分や、いろんなことがうまくいかないのは、すべて自分のせいだ。」という考えかた。

いまは、これが世界に満ち溢れている。日本人の好きな自己責任というやつです。

お金をコントロールできていると思う。税金もなにもかも、すべては自分のためと喜んで支払う。

「世界を変えているのは自分なのだ。」ぐらいのつもりで税金を喜んで支払う。

そうすると「ひとつ成功を成し遂げた。」と無意識は受けとり自分は変わっていく。身の回りも変わっていくとか。

アトピーの原因はその人のこころの中に潜む。そこを改善すると治ったとか。

人はイメージを食べている。「豚肉を食べると気分が悪くなるんです。」その人のトラウマへと迫る。そうすると原因がわかるとか。

自己啓発本の続きでした。

なんなんだろうこの胡散臭さは?セミナーの値段が100万もするのも異常だけど。

一時期、白虎社がこの方向へといって成功してたけど、インチキはいつかはダメになる。近道や反則はだめ。それは格好が悪いです。

自己啓発本は、数限りなくあって巷に溢れている。この現代、皆んなお金が欲しいし幸せになりたいので流行っています。

すべてがインチキというわけではないだろうが、何処かに胡散臭さが漂うのは、その本質をあらわしているのだと思ったりします。

自己啓発は、霊感商法や新興宗教と似ている。本当は、よくわからないことだから騙されやすい。

そしてつまるところ目的は、どれもお金だったりするのです。

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無意識は、若い頃にフロイトやユングに学びました。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 11:45| ブログ?

2019年04月18日

しかたない?

先日、朝日新聞で虎屋社長・黒川光博さんのインタビュー記事を読みました。

いろいろと興味深い話が沢山ありました。新社屋を時代に先鞭をつけるように低層にした話とか。

その新しい店舗では、車椅子の方が商品を並べる台の下まで入れるように数センチまでこだわったのだそうです。

そこで黒川さんが“障がい者”という書きかたをされていて「なるほど。」と思いました。

障害ではなくて障がい。害と書かない。もしかして最近はそう書くのか。これからは、わたくしも記しかたを準じたいと思います。

世界はどんどん更新されていっている。そしてどんどん良くなっている。これは事実なのだそうです。

人類には“ネガティブ本能”というのがあって「世界はどんどん悪くなっているのだ。」と思いたいのです。

そして悪いニュースのほうが刺激的だし、圧倒的に目につきやすいのでますますそう思い込んでしまう。

悪いことと同じぐらいに良いことも起こっている。しかし良いことというのは、ニュースになりにくい。

世界中でインフラが整備され現在、発展途上国というのはなくなってきています。でも皆んな知らない。

社会が悪くなって虐待が増えたのではなく、世界が良くなって監視の目がいき届き虐待がニュースになるようになっただけなのです。

しかしこの虐待というのは、困った。親になってはいけない人がなってしまっている。けれど仕方ない状況もあったり。

だいぶん前に、自分の子どものことが大っ嫌いな母親のお話をテレビで観たのですが地獄でした。

見るのも嫌で一緒になんていたくない。けれど生まれてもの心がついてからも24時間、ずーっと一緒にいなければいけない。

息子のやることなすことすべて気に入らない。息の音も許せないというやつです。存在が許せない。でも二人きり。

相性なんでしょうが、これは恐ろしい。旦那は仕事で忙しいのでまったく相手にしてくれない。

悩んでノイローゼになって、しかしそのかたは虐待や子殺しには行かなかったようでよかった。

虎屋の息子に生まれる。相性が最悪の親のもとに生まれる。

子どもは親を選べないとよく言いますが、同じように親も子どもを選べないのです。

運命と言ってしまったらそれまでだけど。

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黒川光博さん。1943年生まれ。虎屋17代目当主。経営理念は“おいしい和菓子を喜んで召し上がっていただく”ただその一点にすべてを捧げる。ちなみにデュ社の経営理念は“常に疑う”です。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 06:16| ブログ?

2019年04月19日

無面目

中国に、天地開闢の頃から山の頂上で冥想をしている目も耳も口もない“混沌”という神さまがいました。

「見ない 聞かない 喋らない」という日光の三猿みたいに、思索を続けていた。

宇宙の秘密や天地の仕組みについて、知らないことはないという噂。

仙人の一人が混沌と話しがしたくて、戯れに目鼻口を顔に描いた。天地のはじまりやこの宇宙の成り立ちについて質問して、さて顔を消そうとしたら消えなくなっていた。

これをきっかけに外界のことに興味をもってしまい、神は山を降りていく。

「たいへんだ天地開闢以来、うごいたことのなかった混沌がどこかへといってしまうぞ。」驚いた仙人は心配してあとをつけていく。

しかし、神しか通れない道を通って混沌は消えてしまう。

混沌は、山を下りる途中に人間にもらってまずはものを口に入れる。「なんなんだこのからだに感じる刺激は。」そして死体をみて魂魄が飛び散った状態をはじめて知る。

彼は疲れというものを知らなかった。休息や食事や眠りも知らずにただ思索を続けながら歩き続けた。そして長安の都へと至る。

「なんなんだこの場所は?どれもこれも不純でちっぽけな魂と気がメチャメチャに入り混じって蠢いている。」

そしてはじめての腹をしめつけるような感覚に襲われる。空腹である。立ち寄った店で飯を食う。酒も飲んで。

「不思議な感覚だ。わたしの思索がかき乱されてしまう。」お金を持っていないので袋叩きにされる。けれど痛みを感じない。なんせ神なので。

捕まって牢屋に入れられて、そこから波乱万丈の人としての人生がはじまる。仙人が描いた顔のモデルが将軍の顔だったのだ。

将軍と入れ替わった混沌は、そこからどんどんと政治的に利用されたりしながら出世していく。

まわりの人々にだんだんと影響されて卑俗になっていく神。暴力を覚えてその虜になったり。

「他人は平気で殺すのに、自分はその死を恐れおののく。人間というのはなんと矛盾しているのだ。」そうして愛を知り欲にまみれていく。

だんだんと自分が誰だったのか忘れてしまい完全に自分を見失い、怯えを知り酒に溺れ人を殺して不老不死であるはずの神が最後は、死んでしまう。

by 諸星大二郎著『無面目』

さて大都会、東京へ戻っています。

ほんとうにもう神さまでさえも、新宿歌舞伎町なんていった日には人間に堕してしまいそう。

その魅力は暴力的で一瞬で巻き込まれて、渾沌としてまさに自分を見失いそうです。

立ち止まってうしろを振り返る暇もありませんから。

どんどんどんどん流されていき、巻き込まれていく自分。

怖いでえ。

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copyright Daijiro Moroboshi.
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 05:21| ブログ?

2019年04月20日

満月

まもなく、この『ブログ?』をはじめて1年たちます。

最初の読者は、女房だけでした。最初に「面白いな。」と言ってくれたのも女房でした。

そのうち奥村勲氏に「読んでますよ。」と言われて。

だんだん色んな人に「読んでるよー。」意外なところで「実は、読んでます。」意外な人から「そんな風に言ったかしら。」注意されたりして直したり。母親が読んでるのに驚いたり。いちばん遠くはメキシコか。

いまは、毎日だいたい100人の方が読んでくれています。のべで500人ぐらいなのか。有名人のブログとかだったら50,000人とか平気で見てるんだろうな。

しかしこちらは『ブログ?』ですから土俵が違う。そして大切なのは、“数”ではなくて“質”なのです。

この一年のあいだ、疑うという舞踏の魂そのままに嘘のないように心懸けました。

「どんなときでも自分のこころに正直に生きる。」by Shuzo Matsuoka.

自分に嘘をつかないというのは、この世界で生きているとなかなか難しいことです。

自分に嘘をつくことのないように生き続けてきた結果のいまです。どんどん社会のレールから外れていって、舞踏家なんていうこの世にない商売を選んで生きている。

勉強は嫌だからしなかった。学校は嫌いだから行かなかった。決まった時間に会社に行くのは嫌だから選ばなかった。

自己責任の世の中なので仕事がないのは自分のせい。日本国の敷いたレールに乗って、日本国の役に立つ人間になれなかった自分のせいなのです。

結果、貧乏です。けれどボロは着てても心は錦、舞踏家は喰わねど高ようじです。

負けそうになります。もっと需要があって稼げる商売に鞍替えするか。毎日そう思います。

でも「幸せならいいのか。」そんな風にも思ったりする、今日この頃です。

毎朝、世界平和のために祈ります。本当です。戦争になったら嫌なので祈ります。みんなのために祈ります。ついでに自分のためにも祈ります。

昨日は満月でした。

ついでに「お金がはいって来ますように。」と祈っておきます。

お金は幾らあっても困らない。幾らでも使うことができる。お金は死ぬまで追いかけてきます。死んでからも戒名だのなんだので必要です。

噂では、三途の川を渡るときにも必要だとか。

「お金と友達になれ。」とか「お金を愛せ。」だとか色んなことを色んな人が言います。

だいたい成功してお金を持っている人が偉そうに本に書きます。でもこの世の中、運だったりするのは事実なのです。縁もあって。

本当か?本当にそうなのか?

何のためにお金は必要なのか?

やっぱり幸せだったら良いのか?

「いま幸せか?」自問自答の毎日です。

幸せかどうか決めるのは、自分自身なのですが。

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昨日は残念ながら曇りだった。一昨日の月はだいぶん赤かった。ストロベリームーンと言うのだそうです。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 06:32| ブログ?