2019年04月21日

媒体

文章を書くのは、子どもの頃から得意です。作文はよく先生に褒められていました。

日記は、1990年ぐらいから書いています。約30年。

若い頃にデザイナーをやっていたのでセンスには、自信があります。大駱駝艦でデザインを泣きながらやっていたので、PhotoshopとかIllustratorも駆使できます。

この『ブログ?』の写真は、すべてPhotoshopで加工しています。コントラストを強くして彩度を上げています。

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ウェブサイトの立ち上げは、女房にやってもらいました。Webの仕事をしているので心強くて頼もしいです。

最初の立ち上げはやってもらいましたが、いまは自分自身でやっています。HTMLのソースを直したり。

ウェブというのはHTMLという構文でできているのです。

文字を大きくしたり小さくしたりもソースコードでやります。

でこんなことができる不思議。でもあんまりやりすぎるとうるさいです

こういうのも、センスなのだと思います。

ソースをいじれるのは、らくだかん時代にウェブサイトをつくっていたからです。勝手に立ち上げて毎日しこしことやっていました。むかし取った杵柄。

この『ブログ?』には広告を入れていません。これはちょっと自慢です。他人のブログを見るとガチャガチャと広告がうるさい。

それが嫌なので、一切広告が入らないように気をつけています。スポンサーをつけないので、自分でお金を払ってつくっています。

いま発表の場は、この『ブログ?』ひとつ。

文章と写真とソースとで構成されるブログという“媒体・メディア”。この世界にはさまざまなメディアがあります。

新聞 本 ラジオ テレビ 映画、そしてインターネット。もちろん肉体というメディアもあります。

肉体をつかっての表現は、たいへんです。

依頼がないとできない。そんなことないのか。しかしリスクが大きい。

運や縁もあるのだろうけれど、今のところこの『ブログ?』がわたくしの、ベストメディアなのかと思ったりしています。

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田無で女房と娘が飼っている猫。名前は“もこ”です。俺にはなかなかなつきません。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 08:32| ブログ?

2019年04月22日

一周年

1967年4月22日(土)

「おぎゃーおぎゃー」とこの世に生をうけました。

うまれてすぐは、まだ人ではない精霊のような存在です。世界が分かれていなくて、ぼんやりとしたひとつの状態の中にいます。

とにかく泣きたくなったら泣く。そうすると色々なことをしてもらえます。泣いたら、おっぱいが近づいてくる。

泣いたら、拭いたり綺麗にしてもらえる。泣くと、抱っこしてくれたり。

あとは寝るだけ。朝から晩までただ寝るだけ。寝れば寝るほど、だんだん成長していく。

毎日、別人になっていく。母乳からお粥に移行する頃には、意識もはっきりしてきて。

ひとつだった世界がふたつに分かれはじめる。自分と世界、自分と母親。そうして言葉を獲得する。「まーまー。」

毎日、劇的に成長していく。

肉を口にすると猛烈に排便が臭くなる。もうこの頃には、いろんな言葉を覚えて。寝返りをうってハイハイしたりして。

四つん這いから、立ち上がろうとして何度もこけて。でも立ちたい。なぜだろう?大人の真似をしようとしてるのか。

「はじめて立ち上がれたぞ。」親が喜んでくれる。そこからもよちよち歩きで、何度もこけて何度も泣いて。その度に成長をしていく。

じょじょに当たり前に歩けるようになって、言葉を覚えて世界が細分化されていく。複雑になってくる世界と関係。家の外の世界を知り行動範囲がだんだん広がって。

学校に通うようになって友達ができて、遊んだり喧嘩したり悩んだり傷ついたり傷つけたり。

あっという間に成人、20歳。パートナーがあらわれて、また違う家族や仲間や生活ができてきて色々あって。

30歳は無我夢中で馬車馬の如く働いて働いて、40歳はちょっと余裕で自信もついて免許皆伝、独立する。

50代、からだのあちこちが痛み出して、しかし心は経年良化、歳をとるごとに元気になっていくのです。「50歳は、新しいことを始めるのにいい時期。」by Shigesato Itoi.

糸井さんの助言にしたがって『ブログ?』なるものを始める。1年間続けてそれからどうした。

60歳ぐらいから売れはじめて、70歳でやっと知名度が上がってきて。80歳で引っ張りだこで大忙し。しかし舞台でこけて怪我して入院。

からだが衰えてきて、じょじょに歩けなくなり寝たきりになって意識もぼんやりしてくる。いろいろと複雑に分かれていた世界がひとつになってくる。

ぼやけた頭で「いま幸せか?」自問自答する。

「幸せかどうか決めるのは自分。か。」

走馬灯のようにいろんなことがあたまの中を駆け巡って、だんだん夢なのか現実なのかわからなくなってくる。

「あー、面白い人生やったなあ。」そう思いながら息をひとつ吸って・・・

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『ブログ?』一周年です。そんで52歳です。何時に生まれたかはわかりません。予定より早かったらしいです。
photo by Yuji Mukai.
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2019年04月23日

52歳+1日

強かで誠実で優しいが厳しく、活き活きとする。

楽天的でユーモアとヒューモアをもち、肉体的にも強くどっしりとする。

精神的にも強く、ゆったりとして持久力と集中力をつける。

朗らかで愛嬌があり情熱と関心を持ち、知識欲と探究心と好奇心に富む。

もっと冒険をしてもっと色々な経験をして、もっと未知の扉を開いていこう。

修羅場をくぐり抜け生き抜いて、生きるということを愉しんで楽しんで、外側にアンテナを張りつつ内側を磨き込む。

勇気をつねに育て前へ進み攻めるこころを持ち続け、器を育てて人間を大きくしていく。

そこそこの記憶力ともの凄い直感力をもち、遊びごこころが充満し想像力に満ち溢れ続けるように努力する。

不良の魂を常に自覚する。

自らの価値観を信じて、自然体で人間臭く在りの儘でいる。

ステップは軽く、腰は時に軽く時にどっしりとしている。

遊び遊び、この世のすべては遊び。そう心得る。

人とは親しんで、だが安売りはしない。これぞと見極めた友人は決して離さない。

喧嘩には巻き込まれないように用心する。だが一旦巻き込まれたら、相手が用心するまでとことんやる。

財布が許すかぎり着るものにはお金をかける。服装は人柄をあらわすものだから。

何よりも肝心なのは、己に誠実であること。そうすれば夜が昼に続くように、誰に対しても誠実にならざるをえない。

あたまを常に働かせ、新しい考えを取り入れ決して耄碌なんてしない。

ものごとのいちばん良いところを常に楽しみ、これから良くなるところを最初に発見する。

そしてすべてを疑うことで新しいことが見つかる。常に疑う。本当にこれでいいのか?本当か?

もっと自由に、もっと面白くになるように頑張って、頑張らないのです。

52歳の1日目です。

今後ともどうぞ、よろしくお願いいたします。

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photo by bozzo.
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2019年04月24日

雑記

先日、湯山大一郎と電話打ち合わせをしました。

8月ドイツの件です。今回、8人講師が呼ばれていて2人1組で作品を創るとか。了解。

到着したら1人づつ、10分間のデモンストレーションをやる。音源など必要なら用意してください。10分なら無音で充分。

その他、もろもろ確認をしてあとは雑談。俺と湯山は“へうげもの”です。茶の湯の愛好家です。

千利休が最期に用いた茶杓の銘を“泪”といいます。その泪を譲り受けた高弟の古田織部が、入れる筒を制作して常に懐に忍ばせていました。

位牌に見立てていたというのが通説です。武者小路家千家15代家元・千宗屋さんがこの泪を手にする機会があって、持つとめちゃめちゃ細い。

そして限りなく軽い。

利休の茶杓は平均でも2グラムを越えないけれど、1.26グラムしかない。その研ぎ澄まされた無駄がない姿は、刀に近いと感じたそうです。

織部は筒を刀を入れる鞘としてイメージしていたのではないか。そう考えるほうがしっくりときたとか。なるほど。

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「手に持つと櫂先が鋭利な刀のようで、裏を見ると面取りが非常に繊細にしてあって更に削り込んであるのがわかった。」by Sohoku Sen.

曜変天目茶碗というのがありまして、世界に3椀しかない国宝。

それがいま偶然に東京と滋賀と奈良で公開されている。とかとかそんな話題。

そんで時間があったので、国宝を拝見しに静嘉堂美術館へと行ってきました。本物でいるために、本物に触れます。

一昨日は、鉄割の山内と電話打ち合わせをしました。

山内のプロデュースで何かやります。出演は、村上君と俺です。7月か。

山内は人形町に店を構える判子屋の社員です。いまは新元号のせいで大忙し、しかしひとつ70円とかで赤字の仕事だそうです。

いっぽうで、10何億の仕事なんかも取ってきたりする遣り手の営業マンです。数々の修羅場をくぐってきているので、たまに見せる表情が老成してたりします。

彼は、戌井君や演出の牛島みさをさんや渡部真一と同じ、玉川大学文学部芸術学科演劇専攻の出身です。

そのあと文学座に入って演劇界のエリートコースを走るのに、脱線してたけし軍団に近づいたりして紆余曲折して判子屋さんに婿入り。

そんな山内から、いま戌井君がイタリアにいると聞きました。『翼の王国』の仕事です。ANAが用意してくれるホテルなので、一般人が泊まれないようなところに宿泊だそうです。

しかし機内誌に連載しているからビジネスとかなのかと思ったら、飛行機はエコノミーだとか。なかなか厳しい。

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右上の碗を拝見してきました。実物はここまで鮮やかではなくて残念。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 06:42| ブログ?

2019年04月25日

おかん

誰よりも幸せでしたと、嫉妬されるべき人生。by Hikaru Utada.

一昨日は移動でした。バスが取れなかったので豪勢に新幹線です。“ぷらっとこだま”で、飲みものが付いて10,500円。なるべく経費の節約努力をします。

普通車が、ガラガラだったので一列回転させ合計六席を使って王様気分です。前の席に足をのせてシートを限界まで倒してほぼフルフラットです。

そういえば先日は、誕生日だったので『お風呂の王様』へと行きました。これ『王様のお風呂』だと意味が違ってきます。どちらが豪華なのか?

“お風呂の王様”なら、世界で一番広くて豪華なお風呂の中のお風呂という感じか。“王様のお風呂”ならアラブの王様のお風呂とかだからこれも豪華で広そう。ふっ、おんなじか。

昨日は、入院している母親のお見舞いへと行ってきました。転倒をしたとか。聞いたら「ふらっ。」として倒れてしまい骨折。

全身の骨が弱ってきて、ずいぶんと背中が丸くなって身長も低くなってきています。

しかし弱ってきているのは、骨だけで内臓などは大丈夫なようです。

気持ちと心は、まだまだ「ピンピンシャキッ」としています。息子を朝っぱらから大声で叱りつけるなど平気ですから。

いままで母親が何をしていて何をやってるかなど、あまり関心がありませんでした。

今年喜寿を迎えるにあたって、書いた文章を頼まれてまとめています。

とにかく生涯をかけて女性の地位向上のために、尽力をしてきたようです。女性議員を議会に送り出す活動も、ずーっとしていました。

いまだにこの国では男尊女卑がひどいです。この国の模範となるべき閣僚のなかに、女性が1人しかいないのが一目瞭然にそれを象徴しています。

しかもその人は、弱い立場である女性の代表というよりは、宰相に気に入られているひとという印象。

男勝りで強い人ではないと出てこれない。しかも男性に気に入られるとかの条件が必要だったり。これは社会全体でも同じなのか。

そんでそういう人を女性にアピールしそうなポジションに置いて、女性にも気を使ってます「いいでしょ。」と魂胆が見え見え。

まあいいか。母親をふくめて、きちんと女性の地位向上のために努力をされてるかたは沢山いるようですから。

さて母親ですが子どもの頃は、とにかく恐ろしくて“怖い眼鏡のおばはん”でした。

思春期の頃は、心配のかけ通しで近くの県立高校に行けないとわかった時は「研治は死んだ。」言うて泣かせて一週間も寝込ませました。

さんざん心配をかけてるので、いまからやれることはなるべくやろうと思っています。

親孝行のつもりはありません。

「子供っていうのは、3歳までで一生分の親孝行をしてるんだって。」by Takahiro Mori.

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大人になってはじめて気づいたけれど、結構美人。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 07:23| ブログ?

2019年04月26日

この『ブログ?』は、“私”をなるべくなくそうとしています。

最初の頃は“わたくし”が多いです。これは「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。」寅さんの名台詞を真似てのことでした。

最近は“俺”をつかっています。“僕”だとちょっと可愛らしすぎる。大ベストセラー作家、村上春樹さんは、僕をつかわれています。

オール巨人師匠も“僕”です。戌井君は、“わたし”です。普段喋っているときは、俺なのでつかい分けてるのだな。

開高健さんによると、日本の古典といわれる名文は“私”がありませんでした。

“私”という単語をぬいて私を描くのが、わが国固有の文章作法なのです。

古典小説、和歌、俳句、ことごとくそうである不思議。

小説などに私が常用されてくるのは明治以降か。西洋の影響もありながら近代的自我が目覚めて私というものが重要視されてきたからだろう。

開高さんは、自伝的小説『破れた繭』と『夜と陽炎』の連作でまったく私をつかわないという壮大なこころみをされています。

どちらも読んでいますが、その私がないという文体が、なんというかクールでかっこいいのです。

特に『破れた繭』はミシガンで何回も繰り返し読みました。

何度読んでも、まったく読み飽きないから流石です。

何とか自分の中の感情を言いあらわしたいと、考え尽くして厳選された言葉の数々がいちいち気が利いていて光り輝いている。

文章が強度をもっているので何度読んでも味わい深くて、次に読んだ時にまた違う表情を見せてくれて新しい発見がある。

自分がない。というのがまた突き放した雰囲気で、客観的に観ている感じがしてしっくりとくる。べたべたとしていなくて読んでいて気持ちがいい。

だいたい日本語は、喋るときにほぼ“私は”なんてつかわない。自分と他者をあんまり分けない。

英語だとまずは"I"ではじまる。わたしがわたしがと自己主張が強くて押し付けがましい。日本というかアジアはもっと謙虚なんだな。

文化と歴史が根本から違うのだからそれでいいのに、アメリカの真似をするのが大好きだから仕方がないか。

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そんでまた久しぶりに読み始めました。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 04:38| ブログ?

2019年04月27日

印度舞踏社

いま幸せか?

決めるのは、自分自身です。

どんな状況にいても「あー、いま幸せだなあ。」と思うことが出来れば幸せです。

これは、ひとつの真理なのだと思います。

日本には職業選択の自由があるので、よっぽどの事情がない限り仕事は自分で選んでいます。

見ていると「よくこんなたいへんな仕事をやってるな。俺には絶対に無理だ。」なんて仕事も世の中にはあります。

けれども俺には無理なたいへんな仕事をその人は、自分で選んでやっている。

お金のためというのは二の次です。それは言い訳だから。

好きだからやっている。向いてるからやっている。そういう人は幸せだと思います。それしかできないなんていうのはどうか?

世界に視野を広げると、自分のやりたい仕事が出来ている人はほんの一握りなのか。インドだとカーストがあるから生まれた瞬間に職業は決まっている。

インドには、職業選択の自由がない。

それまでになかった職業につけばカーストから出られるとか聞いたことがあるけれど、まずは家出とかするのか。

そして、プログラマーになって才能だけでサバイブしていく。そういう意味だとこの世にまだない仕事を選ぶのはチャンスでもある。

席がたくさん空いている。ブルーオーシャンというやつです。

いっぽうレッドオーシャンはこの世界中にたくさんあります。amazonが中国から撤退するとニュースでやっていた。

amazonでさえも競争に破れる。中国は自由経済ではないから、共産党に締め出されたのか。

ブルーオーシャンの極致でこの世界にまだない仕事、舞踏家。インドで起業したらやろうとする人が殺到するかもしれない。

インド舞踏社。

『印度舞踏社』と漢字のほうがいいか。インドではいろんな方が公演をやったりワークショップをやったりしてるのでツテはあります。

生きていけるならインドでもドイツでも場所はどこでもいい、国なんか越えて地球という規模で考えればいいのです。

狭いところで蠢いて「あーでもないこーでもない。」とやっているよりはよっぽど素敵です。

まあ、でも意識的か無意識的か知らないけれど自分で選んでいる人生。幸せならいいか。

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太鼓持ち、幇間ってのもたいへんな仕事。自分で選んでなおかつ好きで向いていないと、とても出来ない生業。photo by 太鼓持ちあらいさん。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 06:28| ブログ?

2019年04月28日

しるしぞめ

都志に帰ってきています。

十日ほど留守にしただけなのに、庭の雑草が爆発的に伸びていてびっくり。夕方その雑草を刈ったら汗だくになりました。

昨日は、朝から雑草を引っこ抜いたり刈ったりしたら腕がつりました。そんで足もつりそうでなんでや?慌てて水分補給します。

いまからこんな有り様では、先が思いやられます。今年の夏はドイツなので、大徳寺納豆を携帯していかないと。

足がつりそうになったら一粒口に入れます。そうするとあれ不思議、だんだん治まるのです。

去年の夏は、大徳寺納豆に随分と助けられました。

京都大徳寺のお坊さんがつくっている、大豆を発酵させて丸めたものでミネラルが豊富なスーパーフードです。

行く時間がないかもしれないので副代表、湯山に頼むか。門前の金継ぎ屋さん、清川さんに金継ぎしてもらいたいものもあるのでそれも託すか。

友人に頂いた雲形の箸置きと、ボストン空港で買ったぐい呑です。作者は、確か女性の作家さんだった。

気に入った器が割れたり欠けたりしてしまったら、捨ててしまわずに金継ぎして治します。

金継ぎをすると何でもなかった雑器が、この世でたったひとつのものになるのでお薦めです。

そんで北海道は旭川の水野染工場から待ちに待った、日よけ暖簾が届きました。

大安だったので旗揚げの心持ちで玄関に掲げます。これで真夏の猛烈な朝日を多少は凌ぐことができます。

想像していたよりも青いので最初は「うーん。」となりましたが掲げてみたらいい感じで「よし。」気に入りました。

日よけなので日光堅牢度を重視しているとか。ここ都志の家の朝日は想像以上なので、どのくらい色褪せしないのか楽しみ。

明治40年に、富山から染物技術を北海道に伝えようと創業者、初代水野竹治郎が旭川にて開業したのが始まりだって。

“大雪山連峰の麓ならではの澄み切った空気、水、自然が伝統工芸の印染をより開花させる形となり今日まで賞美愛用頂いております。

熟練職人が北の大地と共に、真心込めて創り上げた染物を末永くお楽しみ下さい。”

「了解です。」

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木谷家の家紋“桔梗”を染め抜きました。つくりがとてもしっかりとしていて頼もしいです。見えませんが裏のタグもかっこいい。社長さんの「常に挑戦しろ。」の言葉もかっこいい。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 05:28| ブログ?

2019年04月29日

スピリッツ

千歳烏山の居酒屋、通称“安酒場”がなくなってしまいました。

駅前の再開発のせいだそうです。残念!

この店は、戌井君が探してきたところでして鉄割の練習のあとに通っていました。文字通り安いのです。

そんで、いろんな食べものをサービスしてくれます。頼んでないポテトサラダが出てきたりするので、喜びます。

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場末感漂う素敵な外観。オシャレとか小綺麗とは無縁です。

どの料理も美味しいのでお酒も進みます。まずはビールで乾杯。ここでは瓶ビールを飲みます。注いだリ注がれたりして、手酌が好きな人は放っておいて。

あんまりビールを飲むとお腹がふくれるので、次はレモン酎ハイを頼みます。

だいたい満員なのでがやがやと賑やかです。こちらも自然と大声になります。

このあたりで酔っ払ってきます。今日は、自転車だから酔っ払い運転は禁物。戌井君の秘密のアジトに泊めてもらいます。

さあ、路頭に迷う心配がなくなったところで本格的に呑みはじめます。

日本酒にいくか、はたまた焼酎か。と、南辻君がホッピーを頼むので便乗します。

ホッピーとは、ノンアルコールビールのような飲みものです。通称“外”。それを焼酎で割るのです。焼酎は通称“中”です。中身の中だな。

ここ安酒場のホッピーは中が異常に多いので呑兵衛にとって嬉しいかぎりです。

普通の店だと中と外でセットになっていてだいたい一緒に飲み終わるのですが、ここはホッピーを別に追加しなければいけないぐらいです。

一度、中と外を間違えて気づいたらストレートでぐいぐい飲んでてヘベレケになったことがあります。スピリッツなのでとことんまで雑味が一切ない無味無臭。

スピリッツは飲みやすさにかけてはとびきりです。飲みやすいので飲み過ぎて頭が痛くなったりするのです。

よく焼酎甲類は悪酔いするとか言いますが、飲み過ぎてしまうからです。

そんな安酒場ですが実は『百萬石』という立派な名前があると知ったのは結構経ってからでした。

だいたい安酒場って失礼な呼び方ですね。

片岡東洋先生のファンのママさんや相撲取りの名前で呼ばれてた女の子や、皆さん鉄割も観に来てくれていました。

木曜日が定休日だったので木曜は、飲まずに帰る日で寂しかったな。

しかし、再開発とかって本当に下らない。

オシャレとか小綺麗とか大好きな人向けにタワーマンションとか造って風情のかけらもない。なんだか嘘くさいのだよなあ。つくりものっぽい。

それで儲けてる人がいるから仕方ないのか。

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左が“外”で右が“中”。百萬石の中はこの倍ぐらい入ってました。
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2019年04月30日

四月

もう4月も終わりですね。

大駱駝艦にいる頃は、毎回新作を4月に創っていました。

本番が5月のこともあったけれどだいたい4月頃。なので春は憂鬱な時期だった。

最初に創った作品『2001年壺中の旅』が様々な要素と色々な条件がかさなって、ビギナーズラック的に成功したので続けて作品を発表する機会をもらえた。

もらえたのだけど、二匹目のどじょうは易々とは手に入らず悪戦苦闘しました。まわりの期待もあったりしてプレッシャーもあったりして。

回を重ねるごとにアイデアをつかい果たし、アイデア不足にも苦しんでいた。

イメージしてストックしていて面白いと思ったことを、いざ稽古場で展開してもいまいちだったり。

現場でどんどん面白くしていければいいのだけど、まだそこまでの力がなかった。

いき詰まって、春の街をひとりうろうろしたり公園で苦悩したり。いま振り返ってみると自分でブレーキを踏んでいた。

できないと思い込んでいた。だめだと決めつけていた。面白くないと諦めていた。それはないか。稽古場に戻るときが苦痛だった。

稽古場で朝から晩まで「あーでもないこーでもない。」と試行錯誤を続けるけれど、ぜんぜん進まなくて絶望したりして。

ぎりぎりまで面白くしようと根をつめて、なんとか本番を迎えるけれどやっぱり最初の成功体験は越えられないのだった。

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『2001年壺中の旅』壺中天再演時のちらし。クリスマスにキャストを二つに分けて公演、再演の恐ろしさを思い知る。

2001年から2012年までだから、10年以上はそんな感じだった。

何度もチャレンジしたけれど、結局らくだかんにいるあいだは処女作を超える評価をうける作品は創れなかった。

いや、越えようという意識がもう違ってたのだと思う。そうではなくて、まったく違う世界とアプローチと角度と切り口ではないといけなかったのだ。

しかしそれに気づかなかった。気づけなかった。離れたいまはわかるのだけど。

距離感という不思議なもの。離れれば離れるほど大きくなれる。大木のそばでは、新木が育てないのと同じ。

麿さんという大木の陰から離れたいまこそ、ぜんぜん違う自分にしか創れない作品が生み出せるのです。

春は無我夢中で作品を創っていた時期。なので誕生日を祝ってもらった記憶が20年ぐらいない。

稽古場でサプライズ的にお祝いするというのが、舞台人なら一度は味わう楽しさのはずだけど。それどころではなかったのです。

さて最近、まったく新作を創れないですが機会をじっと待ちます。

低くしゃがめばしゃがむほど、高く飛び上がれる。

そしてアイデアだけは日々集め、そのアイデアの種に水をやり大切にあたため続けるのです。

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二作目『ダラーの宇宙』より。
悪戦苦闘のはじまり。ニューヨーク公演のとき、麿さんに「これはこれで面白いんだけどな。」と言われたのを覚えている。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 06:59| ブログ?