一昨日、湯山大一郎と電話で打ち合わせをしました。
こちら淡路はまだ馴染んでいませんが、京都のほうでは色々な出会いがあって色んな話しが進んでいるようです。いいね。
さすがは若者。というほど若くないか。しかしまだ40歳にはなっていない。たぶん。
このあいだのお祭りの時に「俺があと10歳若くて40代だったら、どんどん中に入って突っ込んでいけたのに。」と思った。
“たられば”は、まったく何の意味もないし下らないのですが。
いろいろな経験をして苦労もして分別もついてしまい、あまり無茶がやれなくなってきている。しかし大人しくはならないように気をつけます。
ここ最近、対象外とか採択外とか場所が取れなかったりとか仕事がなくなったりとか落ち込むことばかりです。試練の時か。
しかしどれもこれも自分の実力や、やってきたこととはまったく関係ないので「落ち込むな。」と自分を励まします。
仕事は自分の手で創り出すもの。巣の中の子どものように、口を開けて待っていたっていつまでたってもやってきません。
企画をひとつ立ち上げるのに準備期間は2年は必要。赤字にならないように仕事として成立するように、計画してやらないとなりません。
わかっているのだけど、いますぐにやりたいという逸った気持ちもある。年齢が年齢だから焦っているのだな。
何かの所為にしない。
お金のせい、人のせい、お酒のせい、そして年齢のせいにしない。それは、言い訳だから。「はい。」
先日、十川英二さんと話しているときに「人生100年の時代やで。」と言われました。娘にも同じようなことを言われた。
50歳のいまで、これだけからだにガタがきているのにあと50年も生きると考えたらたいへん。「ゾッ」とします。
だいたい人間のからだってのは、50年ぐらいで壊れるように出来ているのだと思います。
犬や猫の寿命は10年ぐらいか。ソメイヨシノの寿命が60年から70年、ゾウガメは200年だと。クジラも200年だって。
ちなみに、ワニってのは寿命がないらしいです。病気で亡くなる。それも寿命か。
かたちあるものは、いつかは壊れて消えていく「これは定めよ。」
もちろん、健康でなんの心配もなく100歳まで生きられるのなら、そんなに素敵なことはないのですが。あり得ない。
人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか
ひとつひとつ、できることをやっていこう。
それが、あの遥か遠いビッグジャイアンツに登るための、唯一の方法なのです。
最近は、ヘリで上までいって「はい登頂。」いうてる人が多いみたいですがそれは反則。でも自分がそれでよければいいのか。