2019年05月08日

svāhā

だいぶん前になりますが、忘れものをしました。

「忘れるようなものは、いらねえものなんだ!!」という台湾公演の時に吐き出された師匠の名言がありますが、そうかもしれねえ。

悔やんでももうどうしようもない。惜しむな、いさぎよく手放せ。

お経の中に出てくる“ソワカ”というのは、始末という意味だと湯山から教わりました。

もう一度、振り返って自分のしたことを見つめる。忘れものはないか。心残りはないか。後片づけはきちんとしたか。綺麗に掃除したか・・・

焦ってたのか。心が逸ってたんだな。慌ててた部分もあったか。

“物”は、最終的に持つべき人のもとへと行くとか。

いままで忘れものは数限りなくあります。服、帽子、メガネ、小道具etc...。手に持っているものというのは、忘れやすいです。

財布は一回も忘れたことも無くしたこともありません。これはちょっと自慢。

酔っ払っての忘れものが多いので「今日は酔っ払うぞー。」という時は手ぶらでむかいます。

それでも眼鏡をなくすのだから困ったものです。何万もするような特注のメガネに限ってなくします。あーあ。

韓国公演のときに休憩中に煙草を吸ってて、稽古がはじまったのでジッポライターと煙草を置いたままにした。

「これ盗まれるかな。」と小さく思ったけれどそのままにしておいたら、ジッポーがなくなってた。あの時は物と縁が切れたのがわかった。

とにかく、ものが多すぎるのです。だから無くしたり、忘れたりする。ほんとうに必要なものは何なのか?

まあ最後の最期は「からだがあればいいんだよ。」で、なにもいらねえのですが。

身につけたものは、手離してはじめて血となり肉となる。

知識も物も、手離すことによって本物になる。

そうして何もかも忘れて最期は「人間、本来無一物。」裸で生まれてきて裸でなくなるのです。

それでいいのです。

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Photo by Masami Mori.
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 06:17| ブログ?