2019年05月15日

Jujutsu

いまスポーツ雑誌"NUMBER"で総合格闘家、桜庭和志の連載をやっています。

都志には、NUMBERが売っていないので続きが気になるなあ。いまは、桜庭がブラジルの柔術一家のホイス・グレイシーと闘っているのか。

連載[16]、柔術がブラジルへと渡り"Jyujyutu"として広まって行くところから読み始めました。

Jujutsuは護身術です。マーシャルアーツや空手と同じです。まずは逃げる、そして追い詰められる。仕方なしに闘う。

そこからも守りを徹底しておこなう。持久戦です。むかしは時間制限なんてないので、負けないようにしつつ相手の油断を待ちます。

負け=死だから、まさに死にもの狂いです。明治維新前は、試合ではなく“死合”と呼ばれ命を賭けた果たし合いだった。

さて、ブラジルに柔術を伝えたのは誰だろう。前田光世、通称“コンデ・コマ”ではないのだな。木村政彦でもないのか。

「木村のまえに木村なし。木村のあとに木村なし。」といわれるおそらく史上最強の柔術家、木村政彦。

だいぶん前にノンフィクション『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』を読んだけど面白かったなあ。

15年間無敗。柔術と呼ばれる寝技中心の戦いでも無敵、立ち技中心の講道館流柔道でも無敵。グレイシー柔術のパイオニア、エリオ・グレイシーも木村に敗れています。

この本を読んだら、いまのいわゆる柔道が茶道や剣道と同じようにふにゃけたものになってしまっているのがわかる。

師匠の牛島辰熊との稽古の様子が凄まじい。

高校生になってその才能を認められて牛島に弟子入りするが、寝技で何度も気絶させられる。

「木村、強くなれ。」泣きながら牛島は、絞め技で木村を失神させるのだった。

「鬼の木村」の称号は、師匠牛島から受け継がれたもので、牛島は木村の事を晩年まで気に掛けていた。

“昭和の巌流島”と呼ばれた木村と力道山との戦いでは、木村が敗れると真っ先にリングに駆け上がり、また、会場を去る木村に寄り添う牛島の映像が残されている。

妻や娘に「なぜあの時リングに上がったのですか」と聞かれ、「木村の骨を拾えるのは俺しかいない」と目を潤ませながら語った。
〜『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか』

個人的には、ブラジルで木村が窓の外にとまってる鳩を素手でつかまえて食べる逸話が好きです。

力道山のだまし討ちにあって無念のうちに亡くなった。という印象だけど、読んでいると愛嬌があるというか能天気というか、あんまり悲壮感がないのがいいのです。

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いま調べたら、幻の原稿などがまとめられた本が出てるようです。>>木村政彦外伝
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 08:07| ブログ?