2019年05月21日

雑記

思いがわかってしまう程度では、もてなしとは言わぬ。作為は徹底的に隠すが花。気付かれる程度の作為は下らない。

「あなたは創ったものにて何をなさろうとしておりますか?それがわからずば・・・創造する意味などなく・・・人々の心を打つことはないでしょう・・・

己を見つめ直しなされ・・・見つめて・・・削いで・・・最後に残ったものこそ・・・真の創造の扉を開きましょう。」by Rikyu Sen. from Hyouge Mono vol.8

いまのままでは、自然にスタンディングオベーションをさせることなど到底難しい。

このまま、師の二番煎じを続けたところで未来はないのだ。俺にしかできぬ踊り、俺にしか創れぬ作品?

二番煎じではなく・・・真似でもなく・・・何にも似ていない・・・誰にも似ていない・・・唯一無二のもの?

舞踏家が戯作をするというジャンル越境を売りものにしてしまったダサい己れ。その時点で既に・・・捉われていた?

しかし、そこに感じ入った者もいたのです。決めつけるな。

手懸りは必ずあるはず。それを見つけて更に先へと足を踏み出し進むのです。

己れという人間が、確かに生きていたという何かを得るために。

いっぽうで、からだを投げ出し続けるというやりかたもある。

研ぎ澄ませ続ける 肉体を 発酵させ続ける 魂を

何でもありだけなら全肯定であるわけで、全て良しとして何も悩む必要などない。

その全肯定は、全否定の裏返しであり諦めから来るものです。

このどうしようもない世界に対する開き直りなのであり、このいま現在における己れの受け入れてもらえなさへの開き直りなのです。

まったく売れない己れの境遇を反主流として、色鮮やかに浮き立たせる。

いま売れているもののすべて逆をいく。

遊び、遊び。すべて何もかも遊びです。難しく考えるな。

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Photo by Masami Mori.
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 07:41| ブログ?