2019年06月21日

そして遊びも

人はもっと自分を見つめるべきです。

ずーっと見つめ続ける。

仏教の五代目で禅のパイオニア、達磨は八年間洞窟の中に引き篭もり自分を見つめ続けた。

これは、とても危険なことで頭がおかしくなったり気が狂ったりします。達磨はやりすぎですが、たまに引き篭もるのは良いことです。

人はもっと孤独になるべきなのです。

もっと他人と距離をとる。人と人との間を保つ。都会は人と人との距離が物理的にも精神的にも近すぎるのです。

離れれば離れるほどお互いがよく見える。画一的ではなく個々として生きられる。

そして余裕ができて人に優しくできる。

もっと外へ外へ。人類がエチオピアから東へ東へと逃げていったように。人がいない方に人がいない方に避難する。

何故なら一番怖いのは人だから。

人を殺すのが人なら、車を運転して暴走するのも人だから。戦争を起こすのも人なら、原子爆弾やアウシュビッツをつくったのも人だから。

危険なものから怖いものから、安全な方へ安心できる方へと避難していく。

もしも、天国のような安住の地を見つけたらそこに根をはる。

車なんて要らない。自転車で行ける範囲だけで生きる。足を使って出来るだけ歩き仕事をする。

仕事は、もちろん農業で自給自足を目指して足るを知る。

お祭りの時は、歌って踊って酔っ払って。

そして自分に集中する。人のことなんてどうでもいい。今ここ、この瞬間に集中する。

自分の命を耕すように土を耕す。種を蒔いて命を頂く。たまに動物の命も頂いて。

家族を大切にしつつ友達も大切にしつつ、厳しくて怖いまるで不動明王のような心と慈悲に満ち溢れた大日如来の心を持つ。

そうこうしてたら病を得て、皆んなに囲まれて往生して静かに無に還っていく・・・

今日は、川西から都志へと移動です。

そんな人生を送れるように、頑張って頑張らないぞ。

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引き篭もりの達人、達磨大師。月岡芳年『月百姿 破窓月』1887年。photo by Google.
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2019年06月22日

回想といま

先日、兄弟子・村松卓矢と壺中天の終演後に久しぶりに飲んだら「だって、俺はお金なんて欲しくない。」と何度も言ってて面白かった。

稀代の天邪鬼だからお金の話をする俺への反発。

もしこちらが「この世はお金ではない。」なんて言おうものなら、集中放火を浴びます。

「たって、この世はお金でしょう。」

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人相悪いわあ。copyright Camel Arts Co.

最近は“カチャーシャ”というブラジルのお酒を飲んでると言ってた。

後輩に取らせに行って持ってきたらほとんどなくて、まっちゃんに「これ全部、村松さん一人で飲んだんですよ。」言うて突っ込まれてるのがおかしかった。

「今日はこれじゃないな。」と焼酎に切り替えてた。何かが違ったのか。

昔から、お酒は飲まないのだけどすごく強くて一度、ウイスキーをストレートでぐいぐい飲んで一晩で一瓶開けてたことがあった。

でも酔っ払わずに理路整然と会話をしてたのが驚きだった。いつも醒めていて、決して酔うことのない精神。

今回は昔のようにワイワイ騒いで飲むという感じではなくて、人数も少なくもう一発盛り上がらずに重い空気が稽古場に漂っていた。

いまの大駱駝艦の空気なのだろうな。しかしこの約50年の歴史でそんなことは、何度もあってその度に切り抜けて来たグループだから心配ご無用。

そういえば、今年の11月に世田谷パブリックシアターにて新作を発表するとか。去年、新国立劇場にて新作を発表したばかりなのにびっくり。

そして羨ましい。いや、麿さん大丈夫か?とか思うけれど、師匠ぐらいの巨匠になると別にそんなことは大したことではないのか。

昔、壺中天の公演の時にこんがらかったシーンで「ちょちょいのちょい」と一瞬で面白くしていた。

「子どもの靴紐がほどけて結んでやるぐらいのことなんじゃない。」と村松が言っててなるほどな。と思ったことがあった。

伝説の豊玉伽藍で1年間、毎月新作を創るという大変なことをやったことがあって師匠自身も「あの時の創作的な蓄えがいまも役立っている。」的なことを口にしてたことがあった。

そんなものなのか。その域にはまだまだ至れないし、新作もなかなか創れないこの身の上だけれど機会をじっと待つのだ。

そうして、4週間ぶりに淡路島五色町都志に帰って来ました。

しかし、そこまで庭の雑草が伸びてなくて「ほっ」と一安心。

今回の滞在は2週間なのでどう作業を進めるか。来週、湯山が来るというけれど関係なく廊下の天井画に取り掛かるか。

庭の雑草をなんとかしなければ。しかし蜂が怖い。

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“村松卓矢”で検索したら出て来た。忘年会でビートルズをやったのか。左から松田篤史、田村一行、村松、塩谷智司。photo by Google.
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2019年06月23日

淡路舞踏社

大駱駝艦のデザインをはじめた頃。

格好がいいからとロゴを使っていたのだけど、麿さんにある日「天賦典式とは、本公演のことをいうんだけどな。」と窘められた。

そのへんは、よくわかっていなかった。けれどあの頃いたメンバーで、そのことを分かっていたのは何人いただろう。

本公演のタイトルが大駱駝艦『天賦典式』であって、”ぶとう”ではなく”てんぷてんしき”なのだと。

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『大駱駝艦 天賦典式 ロゴTシャツ』モデル:松田篤史 デザイン:木村秀治郎 photo by Google.

「この世に生まれいったことこそを大いなる才能とする。」という理念のもと「うごくな。何もするな、そのままでいいのだ。」と肉体を板の上に放り投げ出すところからはじまる。

そしてそれらの者たちのお祭り。典式だから少し儀式めいている。

初期は、一作品ごとに番号がついていた。YとかZとか。いまは60作品目ぐらいなのか。ものすごい数だけど、もうすぐ50周年だもんな。

現在、舞踏家集団デュ社のレパートリーは、6作品。大駱駝艦時代の作品も合わせると19作品あります。今年11月につくるのを入れれば20作品。

2001年『2001年壺中の旅』

2002年『ダラーの宇宙』

2005年『The Jar Odyssey V』

2006年『舞踏虎ノ穴』

2007年『をどろベイビー!』

2008年『MANNA』ソロ作品、共同制作:エリック・サントス@ミシガン

2009年『遊機体』共演:画家・鉄秀、音楽家・築山建一郎

2011年『底抜けマンダラ』

2011年 舞踏レクチャーパフォーマンス『生一本』共演:音楽家・築山建一郎

2012年『アホとロマンの皮袋』ソロ作品

2012年『大正解』振付・演出:湯山大一郎

2013年『ワークインプログレス』

2013年『舞踏?』ソロ作品

2014年 『ふたつの太陽』

2014年 『Encounter with another world』@メキシコ

2015年『春の祭典』

2016年『舞踏?プレゼンテーション・ショウ』ソロ作品

2016年『改題ぴちがい裁判』

2019年『舞踏?レクチャーパフォーマンス』

さて、そんな全20作品を淡路島の五色町都志のデュ社本拠地で一挙上演しようと目論んでいます。

「麿さんは自分の弟子たちに、通してはじめて完成する作品を創らせようとしてるのではないかと思ってるんです。」とある時、湯山が言うてました。

まだ完結しないモノガタリ。か、面白い。

乞うご期待。

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photo by Masami Mori.
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2019年06月24日

壺の中の旅のはじまり

『2001年壺中の旅』は構想10年、あの頃の自分のできることそれまでに考えていたアイデアのすべてをぶち込んだ作品でした。

タイトルは安易で、2001年に壺の中を旅する物語。

もちろん大好きなスタンリーキューブリックの『2001年宇宙の旅』にかけた。

それまでも、後輩の石川正虎と共同で作品を創ったり『千秒の孤独』と題して20分のソロ作品を創ったりしていたけれど丸々一つの作品を責任を持って創るのは初めてだった。

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『漂遊戯族』チラシ。今は亡きジャズミュージシャン古澤良治郎さんが音楽。舞台上で焼きそばを投げ合ったり好き勝手やって楽しかった作品。

大駱駝艦稽古場『壺中天』で新しく始めるシリーズの開幕作品でもあり、張り切りまくって臨んだ作品だった。

狸穴善五郎と村松卓矢という兄弟子二人に出てもらうという贅沢な座組みで。まずは村松君が決まったのか。

電話で弟弟子・田村一行に出演交渉をした。

話してる時に「僕は男全員を使って作品を創りたいんです。」とか一行が言ってて、感じ入って壺中の旅も舞台監督の石川正虎と若林淳以外男が全員出る作品となった。

初めて創る作品なのにそんなに手を広げて大丈夫か?いまなら心配になるが、あの頃はやる気が横溢してたので関係がなかった。

稽古に入る前から構成はだいたい決まっていた。しかしそんなものは叩き台にすぎない。

面白くするのは現場である稽古場で、面白くなければ面白くなるまで考えて稽古をした。

兄弟子の村松卓矢ができた群舞にいちいちケチをつけるのでその度に創りなおした。たぶんその度に面白くなっていったのだと思う。

まだ新人だった松田篤史がリップシンクをするというアイデアは、結構前から決まっていた。確かドラッグクイーンのショーを観に行って思いついたのか。

途中の群舞はやりたいアイデアがあってそこにどうつなげるか?という演繹法で創ったのが功を奏した。

素股の群舞をやりたい。素股のアイデアは、海印の馬の麿さんのソロから頂いた。

素股になるためには、ちんこが無くならなくてはならない。どうするか?

三途の川で奪衣婆に服を剥ぎ取られるが服も着ていなけりゃあ、六文銭も持っていない男たち。

そいつらが最後の金目のものというか大切な“ちんこ”を替わりに切り落として、三途の川を渡してもらう。というのではどうか?

そのちんこを秤にかけて罪の重さを測って通してもらったりして。

馬鹿みたいな話だが大の大人が大真面目に考えて実行した。このシーンがまさか中盤のクライマックスになるとは思ってもみなかった。

人生、何が起こるかわからない。

アイデアは思いついて考えるのは簡単だけど、実行して実現させるのが大変。そしてさらにそれを面白くするのが肝要。

大変でしんどいのだけど、それこそが醍醐味だったりするのです。

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振り付け、麿赤兒ともいうべき卓袱台のソロ。再演を重ねるたびに麿さんに稽古をつけてもらいどんどん強度が増して行くのだった。photo by Junichi Matsuda.
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2019年06月25日

壺の中の旅のつづき

紙吹雪を大量に降らせるアイデアがあって、村松が冗談で「クライマックスは惜しまずに最初にあったほうがいいでしょ。」と言うのを真に受けてオープニングに持って来た。

新しく始まるシリーズのオープニングで暗転して明転したら大量の紙吹雪が降っている。

悪くない。これは強烈でオープニングが終わると拍手が起こるようになった。

それはいいけれど大量の紙吹雪をどうするか?片付けるしかない。その転換も見せてしまおう。

大音量のノイズの中、転換が行われるアイデアはゴキブリコンビナートを観に行った時に頂いて温めていた。

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チラシ候補案。兄弟子・村松卓矢にだいぶん気を使ってる。illustration by Kumotaro Mukai.

村松君のシーンで「線香を大量に咥えたい。」言うててこの人は一体何を言ってるのだろう?と思っていたが初七日の線香だと気付くまでには何年もかかった。

死者たちは、線香の煙の陰に隠れて鬼たちに見つからないようにあの世を旅するのです。

毎日毎日、稽古場に泊まって夜遅くまで稽古をした。

一人で壺中天に残りウンウン唸ってあらゆることを考え尽くした。狸穴君のやりたいという赤玉づくりにも付き合って。

この辺りのことは無我夢中であまり覚えていない。

真剣勝負である師匠・麿赤兒に初めて観せる総見の日。出来ていようが出来ていまいがとにかく最後まで通す。

「これでお客さんに観てもらおうと思います。」師匠に観せて審判を仰ぐ。

実際に紙吹雪も作って紙吹雪を片付ける時に投射するスライドとか色々と本番並みに仕込んで、ものすごい緊張したけれど企んでいたことが面白いように決まって気持ちが良かった。

舞台監督の石川正虎曰く「初めはそんなに面白いか?と思った。」作品は麿さんの賞賛という予想外の反応を得てとうの本人たちも驚く結果となった。

面白いとか面白くないとかいうことを超越して麿さんの心に響いたようで観終わった後に「驚いた。」とかいうようなことを麿さんが言ってたと思う。

一番驚いてたのは自分だった。自分自身がわかっていないことも沢山、師匠には届いたようだった。

壺中の旅の一番の理解者の誕生であり、超強力な後ろ盾を得た瞬間だった。

総見の後の稽古でちんこ切りのシーンで秤を使うことになったり、麿さんも色々と面白がってくれてアイデアを幾つか頂いた。

こうして師匠も共犯になってくれるのが、壺中天の唯一無二で素晴らしいところなのです。

多分、本番初日にジャパンソサエティーの塩谷陽子さんが来ていてニューヨーク公演が決まったのだと思う。

ニューヨークを皮切りに“壺中の旅”の快進撃が始まるのだった。

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『2001年壺中の旅』初演チラシ。design by Hidejiro Kimura.
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2019年06月26日

壺の中の旅のつづきのつづき

“師、麿赤兒『毛皮のマリー』全国ツアー中”

新しいシリーズでは、麿さんのことを作品の中でどう位置付けるかもそれぞれが考えてチラシに提示することになった。

それまでは“伏魔殿”と記載されてたけど、あまりいい意味ではないというので麿さんが嫌っていた。

俺にとって麿赤兒とはどういう存在か?こういう時はあまり考えすぎずにシンプルなそのままがいい。しかし“師”という言葉がなぜ出てきたかは覚えていない。

それまでは「師匠。」と麿さんのことを呼ぶ者はいなかったかもしれない。結構画期的だった。大友透なんかは麿さんのことを友達だと言ってた。

だからかギャラを貰うようになったのが気に要らないとも言ってた。「お金をもらった瞬間に主従関係ができてしまうんだよ。」

壺中の旅の初演は、チラシにも書いてあるように師匠はいなかった。

サブタイトルの“麿のゐぬまに”があんまりいい意味ではないと責められたのを覚えている。

「儂のいない間に何か悪いことでもやるつもりか?」

実際は、大したことはできなくて師匠に内緒で村松卓矢がフルチンになって踊るぐらいだった。

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村松のシーン『暴走機関車』photo by Junichi Matsuda.

そう、本番初日は“ツン”を履いていたけれど終わった後の飲み会で「村松らしくない。」とか「ツンなんて要らない。」という話になって二日目からはフルチンで踊るようになった。

今もそうだけど、本番が開けてからも「あーでもない。こーでもない。」と話してどんどん面白くしようという気概に満ち溢れていた。

村松君のフルチンは、これ以降定番化して結構長くそのままだった。

ある時、若林淳が替わりに村松君の役をやることになってフルチンではなくなった。

ちんこにも人格があって村松君のは邪気がないのだけど、若だと途端にクレームが出た。許せないちんこなのだな、不思議。

何日目かに市川海老蔵君と中村勘太郎君が観に来てくれたりして、大いに盛り上がって終了。

新しいシリーズのオープニング役をド派手に決めて鼻高々、サンフランシスコで麿さんにその鼻をへし折られるまで意気がりまくってた。

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オープニング『ファンタジーの終わりから始まる』photo by Junichi Matsuda.

初演の打ち上げの時に村松が「なんでこんなに評判がいいのかわからない。皆んな騙されてるのではないか。」と挨拶してて「確かになあ。」と思ってた。

村松という天才的なアイデアマンがいて狸穴善五郎という稀代の変人がいて、村松のシーンは村松が狸穴のシーンは狸穴のアイデアで創られた作品だった。

さらに田村一行というしっかりとしたダンスマスターがいて、松田篤史という魅力的なターレントがいてこその壺中の旅。

それらをまとめあげたのは自分だが、一人で創ったわけではないということは重々承知していた。

しかし、どうしても作・演出・振付にスポットが当たってしまう。

ヤキモチと言ってしまうと身も蓋もないけれどこれ以降、嫉妬に苦しめられることになるのだった。

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エンディング『家族の肖像2』photo by Junichi Matsuda.
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2019年06月27日

当時のノートより

2000.11
『ファンタジーの終わりから始まる』4人一列→礼→アンコール 父出てくる 卓袱台蹴りとばす〜転換、パカパカ

5人メシ喰ってる 嘘に嘘を重ねて徹底的な嘘の世界を創り上げてゆく

12/5
日本の食卓「ザ・パワークライストコンパウンジュ。」

死体の海を男が馬で通りかかる 4秒戻ります BGMは要らない TV暗転〜スライド

12/31
パリは〜スッとやめて消える〜松ちゃん残る で何をやる ケセラセラ 口パク パリは燃えているか〜

扇風機 桜吹雪 奪衣婆 エバ エデンの東 ノドへ

2001.1/10
食卓→夢、誰の夢 ファンタジーの終わりとは?エレベーター下着売り場 合図無視して歩き始める 行進 近づいてくる〜加古

街〜宿 山ちゃんフラメンコ「温泉行こう。」オレ 一行「温泉かあ。」でしたとさ めでたしめでたし

僕は彼女にチェリーをあげた でも種なしだった チキンもあげた でも骨なしだった

2001.1/29 
『2001年壺中の旅』

3/10 
“素股”理由と入り方●物忘れ〜ちいさい振りの合わせ●仕草〜身振り(振付けるのではなく、決め事“イメージだけ”決める)→ゆえに物語から来る

3/28
卓袱台?卓袱台背負う 卓袱台と闘う 卓袱台と踊る オープニング→ソロ→尻叩き

驚愕の嚝野 驚愕とは啓発である 驚愕するとは啓発される事である

3/27
群舞、チンコ切られる 取られる

ホワイトノイズ全ての音 聖ペテロの門 審判 ドア 馬鹿が足りん 壺中天は場所か空間か

混沌の中の秩序、何かひとつ 逆回転、盛り上がりから〜最初へ

“夢”筋道は要らない アプラクサス蛇のとぐろ

がっこう砂浜皆で走る 壺中に天がある 天が壺中である 円周 “生あるままに”

迷いの窓 モノリスは四角?西洋、丸い?東洋 こだわるな。

枚数をこなせ 良くなるかもしれないという甘い予測的観測はない これだという確信のみ

五匹の猫 ソロ 小野篁 サラブライトマン 狸ネオン

2001.4/20
ウォー 宇宙見えた感じ、ほっぺ レゲエ(村松)麿のゐぬまに

「おかえりなさい。」暗転

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2009年クリスマスにキャストを二組に分けて行われた。10年に及ぶ再演の中で最低の出来の回があり残念無念。しかし取り返しがつかない。design by Hidejiro Kinmura.
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2019年06月28日

壺中の旅公演データ

“現代の平和な家庭に地獄へ通じる穴があった。家族とはぐれてしまった男は、あとを追いかける地獄巡りの旅へ出た。”

"Wildly imaginative!-The New York Times, 2002

"Scantily Clothed With Humorous Intent, Butoh Returns!!"-The New York Times, 2003

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東京初演 ”向雲太郎、麿のゐぬまに”
2001.5/11(fri)12(sat)13(sun)
於:大駱駝艦 壺中天

ニューヨーク公演
2002.7/16(tue)於:Japan Society

サンフランシスコ公演
2003.6/27(fri)28(sat)
於:Yerba Buena Center for the Arts

大阪公演
2003.9/18(thu)
於:Art theater dB

大阪再演
2004.10/30(sat)31(sun)
於:Art theater dB

東京再演
2005.12/24(sat)25(sun)
新国立劇場・小劇場

韓国公演
2006.10/20(fri)
於:韓国国立劇場小ホール

岡山公演
2007.7/6(fri)
於:岡山県天神山文化プラザ

新潟公演
2007.7/18(wed)19(thu)
於:りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館

パリ公演
2007.10/4(thu)5(fri)6(sat)
於:パリ日本文化会館

博多公演
2008.9/11(thu)12(fri) 於:イムズ

愛知公演
2008.9/25(thu)26(fri)
於:愛知県芸術劇場小ホール

壺中天再演
2009.12/16(wed)〜23(wed)
於:大駱駝艦 壺中天

スペイン公演
2011.11/5・6 於:バルセロナ
2011.11/9〜11 於:マドリード

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作・演出・振鋳:向雲太郎

鋳態
向雲太郎(壺中天初演・NY・SF・大阪・大阪再演・新国立・韓国・岡山・新潟・PARIS・博多・愛知・壺中天09・スペイン)

村松卓矢(壺中天初演・NY・SF・大阪・大阪再演・新国立・韓国・岡山・新潟・PARIS・博多・愛知・壺中天09・スペイン)

田村一行(壺中天初演・NY・SF・大阪・大阪再演・新国立・岡山・新潟・PARIS・博多・愛知・壺中天09・スペイン)

田村賢二(壺中天初演・NY・SF・大阪・大阪再演)

松田篤史(壺中天初演・NY・SF・大阪・大阪再演・新国立・韓国・岡山・新潟・PARIS・博多・愛知・壺中天09・スペイン)

捩子ぴじん(壺中天初演・NY・SF・大阪・大阪再演)

魄(壺中天初演・NY・SF)

塩谷智司(NY・SF・大阪・大阪再演・新国立・岡山・新潟・PARIS・博多・愛知・壺中天・スペイン)

奥山ばらば(NY・SF・大阪・大阪再演・新国立・岡山・新潟・PARIS・博多・愛知・壺中天09・スペイン)

長谷川明弘(NY)

渡邉達也(SF・大阪・大阪再演・新国立・韓国・岡山・新潟・PARIS・博多・愛知・壺中天09)

湯山大一郎(大阪・新国立・韓国・岡山・新潟・PARIS・博多・愛知・壺中天09・スペイン)

若羽幸平(新国立・韓国・岡山・新潟・PARIS・博多・愛知・壺中天09・スペイン)

仲林勝司(新国立・韓国・岡山・新潟・PARIS・博多・愛知)

橋本まつり、市本雅上、小田直哉、小林優太、ジュリア・ベッシー(以上、壺中天09)

若林淳、石川正虎、小林裕子、今井敦子(以上、韓国)

狸穴善五郎(壺中天初演)

特別出演:麿赤兒(スペイン)

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スタッフ
舞台監督:石川正虎(壺中天初演)中原和彦(NY・SF・大阪・岡山・新潟・PARIS・博多・スペイン)鈴木康朗(新国立・韓国)田中翼(愛知)塩谷智司(壺中天09)湯山大一郎(壺中天09)

照明:柿嵜清和(壺中天初演・NY・SF・大阪・新国立)森規幸(韓国・岡山・新潟・PARIS・博多・愛知・スペイン)しもだめぐみ(韓国・岡山・新潟・PARIS)小沢葉月(博多・愛知・スペイン)谷口哲平(壺中天09)高桑晶子(壺中天09)藤本梓(壺中天09)

音響:我妻恵美子(壺中天初演・壺中天09)花井ミワ(NY)石井浩美(大阪)関克郎(SF・新国立・韓国・岡山・新潟・PARIS・博多・愛知・スペイン)

写真協力:松田純一
制作:山本良

プロデュース:新船洋子

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監修・総監督:麿赤兒

協力:潟Gコーコーポレーション21、滑J成洋紙店、カネボウコスミリオン梶A潟Aイネット、DANCE BOX、Damda!

強力:辻桜子、進藤文枝、渡辺亜哉、小澤隆太郎、長谷川明弘、茂木令子、飯田研紀、樋口恭子、北村誠、鉄割アルバトロスケット、間中涼帆、MDラフィー、大石篤志、須田知尋、伊藤明日香、大原汐里、松尾有紀、西原英里、中村絢、ロビン・ワセルマン、藤井健仁、大鯨艦、and more...

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to be continued.
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2019年06月29日

さて

関西もやっと梅雨入りしたようです。

観測史上もっとも遅いのだとか。困っている方々は大勢いると思いますが、おかげ様で爽やかすぎる6月を過ごさせてもらっています。

晴れの日は、砂浜で稽古してついでに泳ぎます。

今年の夏はドイツツアーと鉄割スズナリ公演で、淡路島五色町都志に1日もいないのでその分も泳ぎためです。

しかし爽やかだった天気から一転、バケツをひっくり返したような雨になったり。

風も強くて台風が来てるのか。極端だけど自然のやることだから仕方がない。神の領域です。

そして仕事が来ました。嬉しい。

まつもと市民芸術館の演劇工場からの依頼です。前回のワークショップが非常に手応えがあったので良かった。

自分のやっていることで人から必要とされるのは本当に嬉しいのです。他の誰でもなく取り替えの効かない、自分にしかできない仕事で呼んで貰う。

前回、推薦してくれた山田うんちゃんに感謝です。

「ありがとう。」

うんちゃんとは、お兄さんがセツモードセミナーの同Q生だった関係で結構、古くから付き合いがあります。

「妹がダンスをやってるんだよね。」とお兄さんの山田君が言ってたけれどまさかこれほどの大物になるとは。

世田谷パブリックシアターでソロだもんな。あの大空間で一人で踊るなんて、考えただけで興奮する。俺だったらどうするか・・・依頼は来ませんが。

松本の演劇工場の講師の四人のうちの一人で、串田和美さんと加藤直さんの大御所ともう一人の木内宏昌さんは知らないけれど売れっ子なのだろうな。

錚々たるメンバーに囲まれて大したものです。

世界中を駆け巡って若者を食べさせて。いま日本のダンスチームの中でも大所帯です。売れてるレパートリーが沢山あるのだ。

野方に立派なスタジオを持っていて素晴らしい。自分の場所を持っているというのはそれだけで最高です。

羨ましいがこちらはこちらで頑張って頑張らないのだ。

しかしワークショップというのは、相変わらずドキドキワクワクします。

いかにワークショップ生を能動的にさせるか。受動的で一方通行のワークショップほどつまらないものはありません。

何かが教えてもらえる。という姿勢から、自分が行動しないと何も得られない。という姿勢にどうシフトさせるか。

お菓子会社“シャトレーゼ”の社長さんがインタビューで「教わるのは好きではない。」と言っててそうだよなあ。と思ったり。

やはり教えて貰うよりも自分で気付くほうが強いのです。萩本の欽ちゃんも「聞いちゃだめ。」と言ってますが。

そんで今日は、副代表・湯山大一郎が都志に来て打ち合わせです。

なんとか都志で公演をやって食べていけるようにという壮大なる計画の作戦会議です。

大駱駝艦時代の作品も上演していくことにしたので、レパートリーの幅は広がりました。それらをどう赤字にならないように上演するか。

まだまだこれからです。

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第65回芸術選奨文部科学大臣新人賞に選出、ダンサー山田うん。Googleで検索したらかっこいい記事がたくさん出て来た。売れてるし精力的。photo by Google.
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2019年06月30日

二作目

さて処女作で師匠も唸ってびっくりするような傑作をビギナーズラック的に創ってしまってさあ大変。

2002年、翌年にはもう新作を創りはじめた。

「向なんか嵩にかかってどんどんやればいい。」麿さんのそんな言葉にも後押しされてやる気になった。

二作目は皆んなの期待もあるしプレッシャーもあったと思うけれど、そんなに心配はしていなかった。

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『ダラーの宇宙』公演チラシ。design by Hidejiro Kimura.

座組は前回と同様、出られる男全員。

もう少し考えて工夫をすればよかった。油断したのか。いや、まさかそこまで苦心するとは思ってもみなかった。

アイデアはそれなりにあって、壺中の旅の続編という位置づけで考え始めた。

稽古始めの前にはそこそこ構成やシーンが出来ていたけれどいきなり難航した。

とにかく兄弟子・村松卓矢がまったくやる気がなくてやる気がないだけならまだいいけれど、足を引っ張ってやろうという気が満々で彼もそれを隠そうともしなかった。

嫌がられせだな。稽古中もずーっと喋っていてこちらを見ながら隣のやつに耳打ちしたりして中学生か。でもこれは嫌だったなあ。

自信満々でそんなことは気にせずにやれればいいのだけど、創作中というのはそこまで自信がなかったりする。

先輩だし注意するのも憚られたりして言えなかった。言わなかったのか。村松君のことは好きだったし、けれどそんな甘いことを言っててはダメだったのだが。

弱かった。一作目の負い目もあった。「じゃあ一人でつくってみなよ。」そんな声も聞こえて来たりして。

時間だけが過ぎていって毎日毎日、村松のシーンで止まってしまって「手が痛い。」と稽古もしなかったり。気ばかり焦るけれど進まない。

若手にも悪影響が出てやる気のある奴がいないような状態になってしまって、制作的に進行が完全にストップしてた。

しかし誰のせいでもなくて自分の力不足だった。

演出と振付不在のような状態になってしまって、村松が勝手に振付を始めたりしてめちゃめちゃだった。でもそれを許してしまう雰囲気も出来てしまっていた。

途中、テレビの取材が来たけどまったく余裕がなくて相手ができなかった。

ダメだなあ、30歳の俺。まだまだよのう。

毎日稽古場に行くのが苦痛だった。でも頑張って行ってた。当たり前だけど。

なんとかかんとか這々の体で、麿総見にたどり着いたけれど不本意だった。

期待された二作目は、前作を踏襲したり苦肉の策に満ちていたけどまあまあの出来で終わった。

ニューヨーク公演の時に麿さんの部屋に用事があって行ったら「この作品はこれで、なかなかよく出来ていて面白いのだけど・・・」そんな風に言われた。

「前作は超えなかったな。」

とは言われなかったけど、それは事実で皆んなそう思ってただろう。

さあ、それから約10年に及ぶ、あまりにも出来過ぎた処女作との闘いが本格的に始まるのでした。

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エンディングシーン。今、思い返してみたらそれなりに面白い作品だった。都志での再演が楽しみ。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 07:26| ブログ?