2019年06月03日

現代の妖精

先日の『ブログ?』でたこ八郎さんのことを記したので少し調べてみたら面白い人ですね。

元フライ級日本チャンピオン。仙台育英高校出身だからそんなに勉強ができなかったわけではないのか。

記憶にあるのは、パンチドランカーになってからなのでフラフラといつも酔っ払ってるイメージです。「たこれしゅ。」と鶴太郎の物真似そのままの喋りで。

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子どもの頃に泥の投げ合いをしていて、その泥が目に入って失明。そんなことがあるんだ。

すぐに治療すれば治ったけれど、貧乏だったので親に迷惑をかけたくないと黙っていたのだ。泣ける。

しかし片目が見えなくてプロボクサーになれるものなのか?と思ってたら、片目が見えないということを隠してプロテストを受けたのだとか。

片目が見えないのにプロボクサーになろうなんて・・・距離感がつかめないので、圧倒的に不利です。

“笹崎ボクシングジムに入門。左目の障害を隠し、視力表を丸暗記してプロテストに合格、プロボクサーとしてデビューした。

同ジム同期にはファイティング原田がいたが、フライ級の東日本新人王戦の準決勝で原田との同門対決となったため対戦を辞退している。

この辞退に関してたこの没後、原田は「他の人の前で何と言ったかは知らない。しかし自分の前では、ただの一度も恨み言は言わなかった」と語っている。” by Wikipedia.

かっこいいなあ。ファイティング原田さんとは、終生の友だったみたいです。

“1962年、第13代日本フライ級チャンピオンとなった。髪型を河童のように刈り込んだことから『河童の清作』と呼ばれた。

また、ノーガードで相手に打たせて相手が疲れたところでラッシュをかける戦術で、漫画『あしたのジョー』の主人公、矢吹丈のモデルになったとも言われている。

左眼が見えないハンデを相手に悟られないように、相手のパンチをかわさず打たれ続け、さらに挑発的な言葉を相手に投げかけ、相手が打ち疲れ戦意を喪失した後に反撃するファイトスタイルを用いた。

ファイティング原田は「どんなに打たれても倒れず、耳元で『効いてない効いてない』とささやき続けた。対戦相手にとってはそれが本当に怖かった」と語っている。

しかし、受けた頭部へのダメージによりパンチドランカーとなり引退。” by Wikipedia.

対戦成績41戦32勝(10KO)8敗1分。

そのあとタレントに転向したのか。由利徹さんの弟子だったのだな。皆んなに愛されて映画にテレビにとまさに引っ張りだこだった1985年7月、人気絶頂の時に海で溺れ死んだ。

「たこが海で死んだ。何にも悲しいことはない」by Tamori.

享年44歳。座右の銘は「迷惑かけてありがとう。」

Wikipediaを見ていたら、主語がすべて“たこ”で笑ってしまった。

本物の凄みを感じる。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 05:58| ブログ?