2019年07月03日

前提について

今日は新月です。

新月は新しいことを始めるのにいい時、ということで色々と新しいことを始めます。

まずは、ドイツワークショップのカリキュラム作り。

最近は、綿密にカリキュラムを決めることをしませんが、一昔前は緻密に内容を決めてリハーサルまでやってました。

3時間なら3時間、リアルタイムで進行させて内容が行き詰まったら時計も止めてそこで推敲してまた始める。ゲネプロではないけれど一度は通しをやっていた。

そのあとは本番ギリギリまでイメージトレーニングする。最高に楽しく盛り上がるようにイメージをしていく。

そこまでやっても本番はつまるところ即興、臨機応変に対応して面子によっても変化してその瞬間瞬間が最も活き活きとなるように全細胞で全力を尽くす。

というかそこまでやるから、流れや構成を決めてしまって盛り上がりそうなのに終わってしまったり次へと行ってしまったりして勿体無いこともしばしば。

そういう時は反省しきり。

考えていったカリキュラムが「違うなあ。」と思ったら破棄してその場で考える。そこは思い切りよく判断する。

決めていったことにこだわって無理を通すとつまらないし、盛り上がらないのです。逸脱や寄り道上等、時には脱線しまくっても良い。

そういうことも経験なのですが。

一番強烈な経験は、車椅子の全身麻痺の方がきた時のワークショップでした。

考えていたことがすべて通用しなかった。歩けるということを前提にして考えてしまっていた。

立てるということを前提に考えてしまっていた。思慮不足で浅薄な自分に気づかせてくれたほんとうに貴重な体験。

ワークショップでよくやる“半眼”。

目を開けるのでもなく閉じるのでもなくその間、見るのではなく見ないのでもなくその間。

しかし、これもやはり目が見えるという前提でのお話。目が見えない人にとっては半眼もクソもない。

この社会は目が見えて耳が聞こえて立って歩けることを大前提にしていたりする。一歩街へ出ると当たり前のようにそういう世界が広がる。

しかし実はそんな人ばかりではないのに、普段の自分のからだの状況や状態でものごとを考えてしまう。

「障がいがあるというのはハンデではなく前提である。」by Oriza Hirata.

「それがどうした?」とそこから始まるワークショップ。「どうやったら一緒に遊べるだろう。」

ここで重要なのはからだがよくうごくほうが良い。という常識を捨てること。

早く走れるほうが良い、早くうごけるほうが良いというオリンピック的な価値観を捨てること。

もしもゆっくりとしかうごけない人がいたら全員でゆっくりとうごいてみる。早くうごくのが良いという常識を捨てる。

もしも立てない人がいたら全員で立たずに何かをやってみる。立って何かをやるのが当たり前という前提を捨てる。

目が見えない人がいたら、全員が目隠しをしてワークショップをやってみる。何ができるのか?そこからの閃きと創意と工夫とインスピレーションで一緒に遊ぶのです。

その場、その状況でしかできないことをやるのです。思い込みを忘れるのです。常識を疑うのです。

あたまを柔らかく、こころを柔らかくしてこだわりや決めつけを捨てる。

そして前提をなくして考えるという大切なこと。

そのためには、やはり常日頃から前提を疑って本当か?本当か?と疑い続けることが必要なのです。

いまある自分の立場や状況を常に疑う。

本当か?

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疑うことが難しいことほど覆った時に面白い。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 08:33| ブログ?