2019年07月07日

肉体と物語と試みと

四作目は男だけでやろうと決めた。

兄弟子、村松卓矢は文化庁の在外研修員としてアメリカへと行ってて不在。心の中で小さくガッツポーズをした。

これで村松に気を使わずに男だけでやれる。

一年というのは壺中天に於いては、新作を創るには十分な期間なのだと思う。

一般的には、企画・制作の準備期間としては足りないが場所は壺中天があるので大丈夫、制作体制も整っていて本当に恵まれているのです。

しかしそれに気付くのは独立してからですが。

タイトルは『舞踏虎ノ穴』と11月頃に決まった。だいたい本番の半年ぐらい前に決まれば上出来。宣伝にも余裕をもてる。

「タイトルが決まれば八割できたようなもの。」という言葉があるぐらいでそれぐらいにタイトルに引っ張られるので重要だし慎重になる。

しかしいいタイトルは「ぽんっ」と何の気なしに決まったりする。既にそこにある題名。

逆に難航したものは作品制作に入ってもぐずぐずと内容が固まらなかったりする。

虎ノ穴はその点、早い段階で決まって内容もそれに即して最終的にうまくハマった。

創りながらどういうことなのか?どういう世界観なのか?と突っ込んでいった。

企画段階でのアイデア、安宅や勧進帳よりも虎ノ穴という場所にフォーカスを絞ったのが功を奏した。

日々行われている舞踏の虎ノ穴での稽古風景を活写する。大駱駝艦“壺中天”という稽古場で、もしかしたら毎日行われているのかもしれない架空の激しいようなヘンテコな稽古風景。

ありそうでなさそうという絶妙な塩梅で創っていった。

それまでの壺中三部作とはまったく違う世界観に振れたのが良かった。「ガラッ」と変えるにはまったく違う切り口が必要です。

前年の新国立劇場での『2001年壺中の旅』の再演の時に師匠が「わしの作品もそうだが良くも悪くも物語に寄り過ぎているところがある。」と言っていた。

その言葉を踏まえた上で脱物語を標榜したところもあった。物語よりも肉体により重心を置く。

物語色が強いと肉体が物語に従事してしまうことがあるのです。

徹頭徹尾、からだに重きを置く。そんな一つの挑戦であり試みでもあった。それで果たして作品が創れるのか。それまでとは全然違うので勿論不安もありつつ・・・

毎度のことだが毎日、壺中天に泊まり込んで舞台美術を作ったりしてた。稽古場が既に現場であり本番の場であるというのは贅沢なことです。

寝ても覚めても作品のことだけを考えられる。

独立してから稽古場問題はずーっとつきまとっていました。公共の施設は何人以上とか何時間までとか色々と制約が多くて稽古にならない。

大声を出してはいけないとか演劇の方たちはもっと大変です。東京には公共劇場はもう要らないから公共の稽古場を作って欲しいのです。

容れものばかり作って、肝心の中身を創る場所がないのだものなあ。なんとかしないと。

さて、オープニングは20分間の群舞を試行錯誤しながら創りました。

『海印の馬』の中の“安産祈願”に憧れたものなら一度はやってみたい長回しの男の群舞に挑戦。

そのあと洋行帰りの田村一行という先輩と若林淳という伝説のダンスマスターが登場するシンプルな構成。

そのあとに戯作者としての向雲太郎が登場して終わる。ソロが一つというのも初めてだったのか。だいたい中盤にソロをやって締めにもう一つ踊るのだが。

今回も築山建一郎に音楽を依頼してほとんどを建一郎の曲で行った。それもまた一つの試みだったのか。

そうしてこの作品は、白塗りをしないという麿赤兒演出も加わってスマッシュヒットとなるのだった。

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音響だった我妻恵美子さんが稽古中に書いた虎ノ穴のイメージイラスト。スタッフは稽古中は暇なのです。
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posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 08:04| ブログ?