2019年09月04日

8月ジャーナリズム?

「原爆を心から神に感謝する。」〜ポール・ファッセル(アメリカ・文化文学史家)

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フランス政府によって1970年7月3日に行われた「リコルヌ」914ktの水素爆弾実験。photo by Google.

科学と技術が突如としてそれまでは想像も出来なかった次元に飛躍していた。

原爆の破壊性があまりにも畏怖すべきものだったので、多くの日本人は始めそれを痛ましい負け戦そのものと同じくほとんど自然災害であるかのようにみなした。

すぐに怒りが霧散した。

原爆が戦争の愚かしさを象徴するようになるにつれ、さきの戦争そのものが日本人の愚かしさと受けとめられるようになった。

「思わず空を見上げたとき、気球のようなものがふわりと落ちてくるのを屋根越しに認めた。

次の瞬間、稲妻のような白い光、或は大量のマグネシウムを一時に燃やしたような閃光を感じ、

体中に強烈な灼熱感を覚えた。同時にもの凄い地響きを聞いた。」

1955年、ネバダ砂漠での実験映像。

アインシュタインが研究に取り組んだのは、純粋に知識そのものを探求する気持ちとそして宇宙創造に対する宗教心にも似た畏敬の念を抱いたからだった。

それにもかかわらずアインシュタインは研究の結果、地球上に創造されたものすべてを絶滅させるような破壊の手段、兵器の開発につながる理論的な発見をしたのだった。

核爆発の際に放出されるエネルギーに関する法則

すなわちE=mc2

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1955年、ネバダ砂漠。photo by Google.

死体の格好は千差万別だが、共通している一点は、うつ伏せの姿が多すぎることである。

ただ一つの例外は、仰向けになって両足を引きつけ膝を立てて、手を斜めに伸ばしている男女であった。

身に一糸もまとわず黒こげの死体となって、一升瓶に二杯ほどもあろうかと思われる脱糞を二人とも尻の下に敷いていた。

右手の堤防下の草むらに無数の死体が転がっていた。川のなかにも、次から次に流れていた。

「たぶん原爆によって世界は良くなったんだ。」〜スミソニアン博物館館長

火焔が街をひと舐めにしたことがわかる。

上半身だけ白骨になったもの、うつ伏せになって膝から下が白骨になったもの、両足だけが白骨になったものなど、千差万別の死体が散乱し、異様な臭気を発していた。

「いまシリアに原爆を二、三発落とせば、戦争は終わると思うが、それについて被曝した君たちはどう思うかね?」

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2013年@シリア。photo by Google.

原爆をある都市に投下する、という決心を他の都市の人間たちがおこなうということは、まさに異常だ。

科学者たちに爆発後の地獄への想像力が欠けていたはずはあるまい。

「キノコ雲といいますが、あれは煙ではないのです。

火柱なんです。

巨大な火柱なんです。何もかもを焼き尽くすおおきなおおきな火柱なのですよ。」

「核廃絶は遅かれ早かれ、必ず達成される。問題はそれが核戦争の後か先かということだけだ。」〜ティルマン・ラフ(核兵器廃絶国際キャンペーン創設者)

ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ

わたしにつながる にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり

くずれぬへいわを へいわをかえせ

1961年10月30日、史上最大の水爆であるソ連のツァーリ・ボンバ核実験映像。威力は広島型原子爆弾の3300倍であった。

引用『ヒロシマ・ノート』大江健三郎 岩波新書、『黒い雨』井伏鱒二 新潮文庫、『千の太陽より明るく』ロベルト・ユンク著 菊盛英夫訳 文藝春秋新社、図録『原爆の絵』広島平和記念資料館編 岩波書店、『ヒロシマを世界に』広島平和記念資料館編、『夏の花』原民喜 集英社文庫、『原爆詩集』峠三吉 平和文庫 日本ブックエース発行、『忘却のしかた記憶のしかた』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 12:55| ブログ?