2019年09月10日

2008年10月-12月

2007年に『をどろベイビー!』を発表した後は、次の年の10月にアメリカミシガンへと渡って約三ヶ月滞在して新作を創作しました。

これはミシガン大学音楽教授、エリック・サントスとの共同制作だったのでだいぶん気が楽だった。

エリックはお母さんがアメリカ人でお父さんがフィリピン人のダブルで、お父さんが音楽家で幼い頃から英才教育を受けた音楽エリートです。

音楽エリートで音楽教授ですが、いっぽうでレゲエロックバンドを友達と結成していたりするロッカーでもあります。口癖は“シット”

見た目がフィリピン人ぽいので、子どもの頃から差別を受けていじめられたりして反骨精神が育まれたのでしょう。

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Erik Santos. photo by Google.

ミシガン州イプシランティ市内にアパートを借りてもらって約三ヶ月暮らしました。

アメリカは若い頃にニューヨークへと行って、『海印の馬』アメリカ11都市ツアーを回ったりしていたので不安はなかった。

あまり心配せずに気軽に暮らし始めたけれど最初、言葉が通じなくて苦労をした。花屋で一輪の花を買うことさえできずに落ち込んだりしてた。

アパートの近所に踏切があって、列車が通るたびに大音響で汽笛を鳴らすのだけどその耳をつんざくような大音響の汽笛に合わせて、大声を出したりして元気を奮い起こして毎日生きていた。

食事は、メキシコ食材店で材料を買って三食自炊していた。10月はミシガンは爽やかで気候がよかったので、昼はサンドイッチをつくって近所の川沿いで食べたりした。

最初の頃は、自炊と創作とワークショップ以外はやることがなかったので、持参した開高健さんの『夜と陽炎』を繰り返し二回読んだ。

生活に慣れてくると、夜晩ご飯を食べに行ったりエリックのライブに行ったりした。

サンクスギビングデイは盛大にお祝いするとかで、エリックの親友のミュージシャンの家に招かれて結構、夜が更けてから大音響で演奏をはじめたのが可笑しかった。

けれど隣の家まで100メートルとか離れているのでそんなことが可能なのだった。

エリックと作品のタイトルをどうするか話し合って“MANNA"と決まった。マンナとは、旧約聖書に出てくる食べ物でエジプト脱出後にイスラエルの民に神が与えたとされる食べ物の名前。

新曲を渡されたり、彼の自宅のスタジオで録音したりしているうちに構成も出来上がってきて創作は着々と進んでいた。

稽古のあとは彼のお手製アドボチキンを頂いて「ご馳走さまでした。」アドボチキンはフィリピンの郷土料理でお酢を大量に使うチキンの煮込み料理です。

さて、はじめての完全ソロ作品。

12月5日6日と二日間公演をしてエリックの教え子が観にきたり、延べで200人以上が来場した。

1時間独りで踊るのはたいへんだったけれどいい経験になった。大学の広いスタジオで一人で踊るのは気持ちが良かった。

着替えも見せたりして、工夫を凝らして60分間フルで観客を魅了することに成功したと思う。

三ヶ月間、エリックと奥さんの透子にお世話になりっぱなしだった。「ありがとう!」日本で再演をしたかったけれど叶わずに今日まで来てしまった。

しかし、この時作品につかった音楽は2011年の新作『底抜けマンダラ』で復活させました。

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奥さんの透子さんに沢山いい写真を撮ってもらったけれどCDRが都志にある。photo by Tohko Shiiki Santos.
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 12:07| ブログ?