2019年09月12日

何もやらなくていいのだ

昨日は“芸術家と子どもたち”さんとの新しい現場での、仕事はじめでした。

ワークショップをおこなう特別支援学級の授業の見学と打ち合わせでした。見学したのは、絵を描く授業だったので皆んな楽しそうだったなあ。

芸術家と子どもたちさんからは、いままでに2度仕事を頂いています。

1度目は幼稚園でのワークショップ。

園長先生がファンだったので仕事を頂いて「ありがとうございました。」

年少組と年長組でやりましたが自由すぎる子どもたちに翻弄されながらも、こちらのほうが教えられることもしばしば。

2度目は石神井の特別支援学校の文化祭での発表会と、それへ向けてのワークショップでした。こちらは3ヶ月通っての発表会だったので思い出深いです。

最初に見学に行った時にどうしても先生が手を出してフォローしてしまうのが要らないなあ。と感じていました。

先生たちは、心配だからと手助けしてしまうのですが、ほんとうにそのフォローは必要なのか?手を出さない方が子どもにとって本当は為になるのではないか?

そんな風に見学しながら思ったのを覚えています。

発表会では先生たちが勇気を出して手を出さずに我慢してくれて、子どもたちだけの美しい瞬間を創り出すことに成功しました。

これは難しいところで施設でもそうですが、結局は管理の責任問題になってしまうのです。

「では、怪我をしたときに誰が責任を負うのか?」

責任を負うのが嫌な場合はとにかく怪我のないように、事故の起こらないようにとそのことが第一優先順位になってしまう。

親や親族の存在も大きいのだと思います。何かあった時に学校や施設の責任にしたがる“モンスター”がいるのです。

少数のモンスターのせいで世の中が変わってしまう。一人のモンスタークレーマーに一億人が合わせなければいけない時代

そんな馬鹿な話しはないのですが、現実にはそういう風に世界が変わっていってしまうことが多い。箸袋に“つまようじが入っています”といちいち注意書きを入れなければいけなくなる。

いま老人の介護施設でも問題になっているようですが、事故や怪我をされるのが面倒だからと拘束具をつかって動けなくするのです。

責任を負うのが嫌だからと、拘束具でベッドに縛り付けて動けなくする。

そんな歪んだ事なかれ主義が日本中のあらゆる場所に蔓延してきているのです。

嫌な世の中だなあ。

それはさておき、今回呼んでくれた岡田先生はそんな日本の現状とはまったく逆でこちらが少し保守的だったかな。と反省するような前向きな先生でした。

「規律やルールに縛り付けられがちな子どもたちをのびのびと自由にさせてあげたい。」そして「なにかをやらなければいけない。ということを疑いたい。」

そんな気持ちで今回、自分を呼んでくれたようです。

「お任せください。」規律やルールを問題にするのは得意技、舞踏家はそのために存在していると言っても過言ではないのです。

どうやったら、子どもたちを自由にのびのびとさせることができるのか?

いやどうやったら?とか、何かをやらなければならない。という自分の思い込みも勇気をもって疑うのです。

何もやらなくていいのだ。そのままで自然が創作した大いなる作品であるのだから。

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Photo by Manaho Kaneko. @Ws of Hikarino Oka.
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 11:48| ブログ?