中曽根首相が亡くなりました。101歳やて、長生き。
昨日は、朝起きて勤行をしてから原稿の締め切りだったので朝イチで書きはじめます。
締め切りギリギリにならないと書く気になれなかった。「締め切りのある人生は短い」ということばもありますが、時間に追われるというのは嫌なものです。
いっぽう、この『ブログ?』は誰に頼まれたものでもなく自主的にやっています。この自主性というものの違いか。
「子どもの心に扉があるとすれば、その取っては内側にしかついていない」と精神科医、宮口幸治さんが本に書いていましたが、どうやって自分でやらせるかは指導する親や先生の手腕にかかっている。
自分自身の場合は、どうやってやる気を出すか。やっぱりギリギリにならないとやる気は出ないのか。
そして、同じ1200文字でもいつでも直せるWebと取り返しのきかない印刷物では、責任感が違うのです。
これでいいか?と何度も見直します。このブログのようなものは数回しか見直しをしませんが、昨日は50回は読み直したか。音読もしてみます。
読み直して書き直し、推敲を重ねてさらにコンビニへいって印刷をして客観的に見直します。毎日新聞を買って、そのままスーパーへいって食材を買います。
帰って原稿をチェック。ひっかかるところを考え直して書き直します。これでいいかとメールに添付、送信。
そんでいま、もう一度気になったので見直して、冒頭と締めの部分を推敲。「これでいいか。未練はないか?」再送。
午後、お隣の梅木旅館さんにお土産を渡しにいきます。ついでに庭になっているレモンと作品集も持参。旦那さんはいなくて奥さましかいなかった。立ち話しをしてたら今日の作業は休みで手伝ってくれた人たちで、お疲れさま会をやるので料理を仕込み中だということ。
「へえそうですか、それでは」と失礼しますが、何か差し入れをしようと思いつく。お造りがいいか。その足で魚屋『ゆだに』へいきお造りを四人前注文。
帰っていく途中に北川君とお子さんが散歩してて手を振る。よちよち歩きの坊主が可愛く手を振ってくれる。ええなあ。この都志の未来は君の両肩にかかっているのだ。
庭で昨日刈ったプルーンの木をばらばらにしてたら「きだにさん」と声がしたので振り返ると、北川君がお礼を言いに来てくれていた。
「レモンありがとうございます」「いえいえそんな。いよいよですね」「まだまだこれから旅館申請してなんとか12月半ばには開業します」とか話してたら、今日は20人ぐらい集まってお疲れさま会をやるとのこと。
なんと、四人前ではぜんぜん足らん。けどまあ仕方ない。あっ、そろそろ1000文字を超えてしまった。
終わります。