2019年12月03日

公的助成金について

最近、湯山が頑張って助成金申請をしています。

自分も独立してから必死でやっていたけれど、いつ頃からかやる気がなくなってしまった。

公的な助成金はあるにこしたことはないけれど、創造性とは無縁。

創作活動と助成金申請は相容れない行為なのだと思う。

けれど一銭でも多く出演者にギャラは渡したいし、スタッフにも報酬を十分に渡したいのでそんなことを言ってはいられないのだけれど。

いつか人気が出て売れるまでのつなぎとして若者がもらうのだといい気がするが、自分がいつまでも助成金頼りで活動をしていると「なんだかなあ。」と考え込んでしまう。

だが舞台はお金のかかるもの。そしてかけたお金が映画のように回収し辛い。

経費を回収する為には再演をするしかないが、舞台というのは何度やっても同じように人件費がかかるので永遠に利益の出ない不毛な作業の繰り返しだったりする。

売れてお客さんが来てくれれば、そんな苦労も少しは報われるのだろうけれど。

自主公演をするたびに借金がかさみ嫌になって、最近は自主公演をやろうと思わなくなってしまった。お客が入らないのだものな。

能狂言は国家の力に頼りすぎて、進化しなくなった。

歌舞伎はその点、庶民の人気で支えられその一般大衆の移ろいやすい心理に翻弄されながらも、進化をし続けています。

お客さんの人気、観客収入だけでやっていくという覚悟と底力がそこにはある気がする。

人気獲得のために舞台機構のありとあらゆる可能性を工夫して試行錯誤して、何よりも挑戦するこころを忘れない心意気を感じる。

自分が若い頃は、歌舞伎なんて古臭いものという印象だった。そこに松本幸四郎さんというスターがあらわれ、一般のお芝居にもチャレンジしたりして歌舞伎界をどんどん盛り上げていった。

しばらく前に若くして惜しくも亡くなられた、中村勘三郎さんの舞台も驚きに満ちていたもんなあ。

見習って頑張ろう。

それにしても公的な助成金は変なシステムです。赤字にならないとお金をもらえない。予算を立てる段階から赤字にするために公演を計画する人なんていないだろう。

しかも申請書を書くのが上手な人がお金をもらえるなんておかしな話です。内容なんてどうでもいい。申請書の紙面上で魅力的に書ければお金がもらえる。

要は面白い作品を創れるかどうかが問われるべき。

そして審議委員なんていう人たちがいて、その人たちのお眼鏡にかなったものにしかお金が出なかったりする。

公的な助成金なんてその程度のもの。

社会にとっていいこと、役にたちそうなことにしかお金を出さないのはどこでも同じで、いま大学の研究室などもすぐに効果が出そうな研究にしかお金が下りないとか。

まあいいか。

なんとかして売れるしかない。

人気が出て放って置いても人が来て、スタッフにギャラが支払えて出演者にも報酬が払えるためには面白い作品を創り続けていくしかない。

それしかない。

嫌になんてなっている場合ではない。自主公演をやろう。

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舞踏家集団“デュ社”副代表、湯山大一郎。『舞踏?レクチャーパフォーマンス』試演会より。撮影:igaki photo studio 写真提供:城崎国際アートセンター(豊岡市)
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 06:14| ブログ?