2019年12月08日

何故、山に登るのか

最近また、夢枕獏さんの書いた『神々の山嶺』を読んでいました。

小説で二度、谷口ジローさんの書いた漫画で一回読んでいるけれど三度、読みはじめてしまった。

口当たりのいい、読みやすいエンターテイメントは息抜きに持ってこいなのです。

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こちら漫画版『神々の山嶺』Photo by amazon.

「そこにそれがあるから。」の言葉で有名な登山家、マロリーが持っていたとされるカメラを一人の男が偶然見つけるところから話ははじまる。

“カトマンドゥの裏街でカメラマン・深町誠は古いコダックを手に入れる。

そのカメラはジョージ・マロリーがエベレスト初登頂に成功したかどうか、という登攀史上最大のミステリーを解く可能性を秘めていた。

カメラの過去を追って、深町はその男と邂逅する。羽生丈二。伝説の孤高ソロクライマー、羽生がカトマンドゥで目指すものは?”〜上巻背表紙解説より。

エベレスト登山史永遠の謎「マロリーは頂上を踏んだのか?」その謎の真相に迫る、カメラとフィルムの存在を軸に最初の物語は進んでいく。

“その男、羽生丈二、伝説の単独登攀者にして、死なせたパートナーへの罪悪感に苦しむ男。羽生が目指しているのは、前人未到のエベレスト南西壁冬季無酸素単独登頂だった。

生物の存在をさえ許さぬ8000メートルを越える高所での吐息も凍る登攀が開始される。

人はなぜ山に揫るのか?永遠のテーマにいま答えが提示される”〜下巻背表紙解説より。

読んでいると羽生丈二という男がなぜか土方さんに思えてくる。傍若無人でいつも真剣で命懸けな男。挑むように何かに取り憑かれたように生きている。

獣臭をまとっているというのも似ているような気がする。土方さんは輪郭が濃いというか醤油味というより豚骨っぽいもんな。

何故、山にゆくのか?

何故、山に登るのか?

それには結局、答えはない。

それは、何故人は生きるのかという問いと同じであるから。

もしそれに答えられる人間がいるとするならば、何故人は生きるのかという問いに答えられる人間である。

舞踏とは何か?との問いに答えがないのと同じなんだな。永遠なる問いかけ。

小説の一節を読みながらふと“知識ではなく、経験からレクチャーをすることが重要”だと気づく。メモする。

では、経験からレクチャーをするとはどういうことなのか?自分がやってきたことの経験を披露する。経験から言葉を生み出す・・・考えよう。

高山病で見る幻覚の描写が面白い。提灯を持った女たちが列をなして歩いていく。テントの中に顔という顔があらわれて話しかけてくる。

高所で危険なのは、肉体的ではなく精神的に変調をきたした時らしい。訳がわからなくなってとんでもないことをしてしまって命を落とす。

ラスト、深町は単独無酸素でエベレストの頂上に立つ。この地上で最も高い場所、エベレスト頂上8848メートル。

読了。

人は頂を踏んでも踏んでも終われない。人生が死ぬまで終わらないように頂は単なる通過点でしかないからだ。

心の中に住む獣のようなものが、また騒ぎ出す。

なぜ登り続けるのか?

それがそこにあるから。

そして人生は続くから。

永遠なる過程、永遠なる通過点、Life in progress.

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調べたら映画化もされてた。阿部寛と岡田准一か・・・。イメージとしては三船敏郎とショーケンだな。映画の方は相当に出来が悪かったみたいで酷評が凄まじい。でも言うは易し、創るのは大変。Photo by Google.
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 06:35| ブログ?