2020年01月05日

気を合わせる

今日、神社へお参りにいっても思ったけれど「東京は、ほんとうに人が多い。」

「なんなんだこのメチャメチャに入り混じった気の狂いは・・・」諸星大二郎さんの作品の中で、人に化けて街へ降りてきた神さまがそんなふうに呟いていたけれどまさにそんな感じ。

人が多いと距離感が難しい。ぶつかったりぶつかられたり。

人のテリトリーというかオーラというか、舞踏では“圏”といいますが気持ちの良い距離感は結構、範囲が広いです。

その自分の圏の中に知らない他人が入ってくるとストレスを感じます。近ければ近いほど嫌悪感が強まる。

これが好きな人だったら、距離感が縮まれば縮まるほど嬉しくなるのですが・・・

満員電車で至近距離にハゲのオッサンなんか来た日には殴りたくなります。「近寄るな。離れろ。」でも「ドンドン」と近寄ってきます。

たぶんそういう時は息を止めてるのと同じで、からだも閉じてしまっているのだと思います。消えてなくなるオーラ。

気功の世界では、まだ親密ではないもの同士が向かい合ってはいけないという教えがあるとか。

気と気でうごきあう人という生きもの。

では気とはどこにあるのか・・・普段は丹田にあるのか。気が上がって胸にきている状態を「アガる」という。

丹田は“田”というぐらいでけっこう大きくて少し漠然としている。合気道の極意には、臍下丹田の一点を感じるというのがある。

「達人にしか到達し得ない究極の一点を感じたい。」と若い頃から鍛錬しているけれど、もう一息なんだな。

丹田に気を込める。気を下げる。

小野寺修二さんのワークショップへいったら女性ばかりだったので、もう一人の男性とペアになった。

床に三角座りをして、お互いの手首を持って引っ張り合いながら立つというエクササイズをやった。これはワークショップでよくやるのですが、気を合わせて立たないといけないので面白いのです。

結構な年配の相手のおじいさんと手を組みます。そして重心をうしろへともっていって立ち上がる。

「むむ、なんだろう・・・この重い感じは。」

巨大な何かを引っ張っているような感覚。どんどん持っていかれるので全力で頑張ります。重心を下げても下げても引っ張られる全身。

「ぶるぶる」ふるえ、頑張って立ち上がります。「はあはあ」いいながら、おじいさんを見たら息ひとつ乱れていない。

だいぶん驚いて「もう一度やりましょう。」

何度やっても、やっぱり引っ張られて「ぎりぎり」でなんとかかんとか立つ、てな感じ。

向こうは平然としている。

背は同じぐらいだけれど、体重は向こうのほうが少し重いぐらいなのか。けれどあまり差はないのに。

「この人、ただのおじいさんではないな。」と不思議な気分で、次のうごきへと入っていったのでした。

終わったあとに声をかけてくれた女性と話していたら、そのおじいさんが能楽家で人間国宝の津村禮次郎さんだと教えられた。

「道理であんなに重心がどっしりとしていたのか。」と納得。そんで稽古をつけて頂いたと思うと、ほんとうに嬉しかったのでした。

人間国宝とお手合わせした瞬間。

「気を下げなさい。もっともっともっと・・・」

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能楽家、津村禮次郎。普段はジーンズをはいてハンチングをかぶり、とってもお洒落です。ピアニスト遠藤征志オフィシャルホームページより。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 07:32| ブログ?