2020年01月08日

あらためまして、プロフィールのような

舞踏というものをなりわいとして、生かして頂いております。

1994年に舞踏カンパニー大駱駝艦に入団。

舞踏家、麿赤兒に弟子入りし修業。

それから約20年間、すべてのラクダカンの本公演へ出演し2001年からは、自身の振付・演出作品の発表を開始。

10作品を創作して、国内6都市、国外6都市でも公演。

2001年に創った処女作『2001年壺中の旅』がさまざまな要因がかさなり、ビギナーズラック的に大ヒット。

師匠も唸るほどの出来栄えで再演をかさね、2006年には、第37回舞踊批評家協会賞・新人賞を受賞。

残念ながら賞金はなし。盾と副賞の七宝焼きの絵をもらって、いまは中身を他の絵にかえて都志に飾ってあります。

舞踊批評家協会賞は大駱駝艦が何度も受賞していて、2016年に笠井叡さんが受賞を辞退して有名になった。

いま調べてみたけれど、確かに受賞理由の言いあらわし方が酷かった。多少の揶揄も感じる。

笠井さんも書いていたけれど、馬鹿にしているようにも感じた。許すことが出来なかったのはわかるような気がします。

自分はもらった時に「そんなに権威のある賞ではないし、賞金もないのか・・・」と思ったが、後にセゾン文化財団に助成申請する時に役立ったので「ありがとうございます。」

いっぽう麿さんは賞金があろうがなかろうが、権威があろうがなかろうが「もらえるものは何でももらっちまえ。」ってな考え方です。

2012年7月に大駱駝艦から独立、ソロ活動を開始。

12月、ソロ公演『アホとロマンの皮袋』を発表。白塗りとの訣別の気持ちを込めてオープニングで塗り、エンディングで白塗りを落として終わった作品。

「やっと雲太郎という名前の意味がわかった」by 山田うん

「ここまで面白いとは思わなかった」by 遠田誠

「この人はこれからどんどん有名になる人だから」by 大須賀勇

「あなたの頭のかたちは観ていて飽きないわね」by 秦宣子

評判はとても良かったけれど、再演の機会がなく今日まで来ています。どこでも再演いたします。

2013年からセゾン文化財団のシニアフェローを頂きはじめた。これは嬉しかったなあ・・・日本で年間に数人しかもらえない助成金。

普通は伝手があったり、独立してからの仕事の目処をつけて辞めるのだろうけれど、そういうことが嫌だったので徒手空拳のまま独立。あるのは不安だけだった。

この独立してからフェローをもらっていた3年間は夢のような充実した毎日でした。だいぶん舞い上がっていた。

2014年に自身の曽祖父が被爆死したヒロシマの原爆を扱った渾身の作品『ふたつの太陽』にて舞踏家集団『デュ社』を旗揚げ。

2015年、セゾンフェローシップ終了。

華々しく活躍しているつもりだったけれど、セゾンのお陰の活躍で助成金がなくなった途端に借金まみれになっていた。

どんどん規模を縮小して、それでも足らずに2016年におこなった『ぴちがい裁判』ではいろいろと失敗をしてしまった。

とほほ。

名称未設定 1.jpg
舞踊批評家協会賞・新人賞授賞式にて。湯山若いな。2006.4.15 @ NHK青山荘 Photo by Toshimi Furusawa.
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 16:57| ブログ?