2020年01月09日

合掌

大野慶人さんが亡くなられました。

1959年の舞踏のはじまりといわれる舞台に立っていた人。

その舞台は『禁色』といって20分間、ほとんど真っ暗だったとかニワトリを絞め殺して観客が気絶したとかすでに伝説になっている。

能狂言、歌舞伎だったら当たりまえのように、人間国宝になって然るべき人だった。

慶人さんをはじめて観たのは、川口隆夫さんの『大野一雄について』のときでした。

本編が終わってフィナーレで、客席にいた慶人さんが花束を持って舞台へと上がった。

舞台へ上がる時に平然と二度、三度と花束を舞台に思いっきり叩きつけてから登場して観ていて唖然として、度肝を抜かれた。一瞬でその場を支配する迫力。

本物が登場したと、ひと目でわかった。

紛れもない本物だけが持つ迫力。荒々しいのだけど粗野ではなく、輪郭が濃いというか、いい加減で適当な怖さを感じた。

そのあと、ロビーで乾杯があって残っていたら遠くに慶人さんが見えたので近づいて機を伺って、勇気を出して挨拶し話しかけた。

「何故、花束を舞台に叩きつけたのですか?」「だってそれはあなた、舞台にも礼をしなければいけないでしょう。」ウーロン茶を飲みながら、当たり前のように答えられて「はあ、なるほど」となった。

「お酒ではないのですか」と驚いて尋ねたら「アル中なので飲まないようにしてるんです。」と答えられて言葉がなかった。

大野一雄舞踏研究所の溝端さんに聞いたら「ストレスでしょうね。」と言っていた。

あまりにも偉大な父親をもってしまったプレッシャーだったのか。

自分もまだあんまりわかってない若い頃は、大野一雄のそばにいるスキンヘッドのおじさんってな認識だったもんな。失礼しました。

それから、横浜のBankART studio NYKで一緒になったりして何度か挨拶してお話しする機会を得た。

「わたしはね、土方さんに言葉で振りつけられたから、いまもこうして自由に踊っていられるんですよ。かたちで振りつけられた人たちはね、皆んな踊れなくなっています。」

そんなことを仰っていた。

80歳を超えてパンツ一丁で人前で踊る姿をみて「果たして自分は80の時にあんな風に踊れるだろうか・・・」自問自答したものだった。

あるアフタートークの時に「笠井さんが“舞踏”と言いはじめて、土方さんもいいじゃないか“舞踏”、舞踊は“ぶよぶよ”してる“ぶとう”ってのは固くていいね。と言ってた。」と仰っていた。

「へえ、そうなんだ・・・」とこころにメモメモ。

城崎国際アートセンターのレジデンス応募の際は、慶人さんに推薦状を書いて頂いた。あれは一生ものの宝だな。

舞踏の生まれた瞬間に立ち会っていた奇跡のような、生き字引のような存在。

ほんとうに惜しい方が亡くなりました。

けれど、慶人さんの魂はしっかりと自分の中にも息づいていると思います。

「お疲れさまでした。」

安心して、休んでください。

160828_01.jpg
大野慶人、享年81歳。「こころより、ご冥福をお祈りいたします。」 Pnoto by Masaaki Kimura.
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 11:09| ブログ?