2020年01月16日

多様さと迷惑と

何故、多様であることは良いこととされているのか?

多様であることが、人間の本来の姿であるから?

均一で揃っているとか、一様であるほうが社会にとって便利であるかもしれない。

しかしそれは歪められ矯正されてしまった、誰かにとって有利な嘘の人間の姿なのだと思います。

多様性に向き合い多様なことを認めることは、人間本来の姿を考えるきっかけになるのだと思います。

自分の中に根強く残る思い込みを破壊するつもりで相対するのです。

たとえば何かをやらなければならないという常識を捨て、何かをやらせなければならないという常識を捨てる。

あらゆる常識から、芸術は自由でなければならない。

非常識で目的のない遊びのなかにこそ、人生を豊かにしてくれる大いなる大切なものがある。

無為に無垢に只在るという、舞踏家にとっての究極の目標を地でいく子どもたち。

社会で生活出来ないほど個性的でも良いのだとアーティストの理想を見せて頂き、お手本を見せてくれる子どもたち。

先生には怒られ注意される子どもたち。

個性的な彼ら彼女らが生きていくにはあまりにもたいへんな現代社会であり、このことを考えると暗い気持ちになってしまう・・・

子どもたちと日々一緒に居るとコミュニケーションの方法は言葉だけではないのだ。と心の底から思う。

ふと見せる表情が、ふとあった目が。すべてを語っていたりする。

そしてパフォーマンスの方法も千差万別なのだと実感。

文字通り言葉にして歌うのではなくて、こころの中で歌っていたり、からだの中で目には見えないダンスを踊っていたりする。

出来る出来ないではないし間違えてもいい、こけたっていい。目に見える結果ではない。

はみ出ようが何処かに行ってしまおうが、それで良い。

そこのところは何でもありの舞踏の得意技、この世界でやってはいけない事など本当はほとんどないのだから。

仏教では不殺生、不偸盗、不邪婬の先ずは三戒です。三つ目でもう既に危ういな。

そういえば、この三つは大概の国の宗教で禁じられているが、迷惑をかけないという戒めは日本にしかないとか。

「迷惑をかけるな」というのは、同調圧力の根源的な出発点にもなっているような気がする。はみ出すことを許さない日本人特有の精神。

目立ったり人と違うことを極端に嫌う民族、日本人。

迷惑か・・・迷惑をかけるななんていう戒めは糞食らえだ。人に迷惑をまったくかけずに生きていくなんて無理な話。

インドでは「あなたは人に迷惑をかけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい。」と教えるそうです。

「人に迷惑をかけずに生きろ」なんて教える日本と、どちらが豊かで生きやすいだろうか。

「迷惑かけてありがとう」だ。

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迷惑防止条例なんていう日本特有のへんな条例もあったな。Photo by Google.
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 07:20| ブログ?