2020年01月17日

めちゃめちゃに遊ぶ

子どもたちと遊んできました。

昨日は最初から迷いがあったな。

朝から不安感が拭えずに、帰って来てからも反省しきりだった。

まずは挨拶、もう一度名前を覚えるためにひとりひとり確認したけれど、まだ覚えきれていない。

次に舞踏の舞うをふたたび、皆んなでやる。舞ってる子と舞ってない子といろいろ。言葉で何か言おうとするけれど、次に踏むへと進む。

前回はもっと盛り上がったけれど、なぞってしまったか・・・反省。

東洋が率先して続けてくれて「ありがとう」

それを見ながらどうするかと考えていたら、楽しそうに踏み舞っている子どもに「くもたろうさん、なんにもやってないじゃん」と言われてしまう。

そのあとは、からだを揺らして十全にほぐす。

子どもたちは良い感じ。先生も揺らしてあげる。子どもの意識を変えるには、先生の意識も柔らかく自由にならなければならない。

座って手足顔で「グーチョキパー」をやるけれど、前回あんなに盛り上がったのにそれほどでもない感じで、これもなぞってしまったか。

隣の子とじゃんけんしつつ、勝ったらどうするかがないから、イマイチ続かないのだと思う。これからの課題だな。「あっち向いてほい」を全身でやるとか。

一人の先生が全身をつかってのじゃんけんへ発展させてて「ナイス」

そんなことも思いつかないとはと反省。

休憩して、そのあと操る操られるへいくか、新聞でからだをうごかすへいくか迷う。

どうなるかわからないが具体的な“物”があるほうがわかりやすい気がして新聞を選ぶ。

まずは東洋と見本を見せて「やりたい人」と言ったら何人かが手を挙げて、そこからの展開が凄まじかった。

いろんなところでいろんなドラマが生まれて展開していく。新聞でうごかすというのもありつつ、新聞というもので遊び尽くした感じ。

自分も「何かをやらなければならない」という常識と闘いつつ「何かをやらせなければならない」という気持ちも捨てていく。

新聞がビリビリに引き裂かれていくのを見て完全に諦めることにする。

まだまだ自分の中に残っていた「こうさせよう」とか「なんとかしよう」という責任者としての気持ちを、すべて手放して率先して遊び呆ける。

完全な自由空間の誕生。

子どもそれぞれが新聞というものと勝手に自由に遊んでいたな。こちらもそんな子どもたち一人一人とじっくりと遊んだ。

ほぼまんべんなく遊べたような気がする。新聞もほぼ粉々になっていた。

時間が来たので指笛で合図。

子どもたちに「どうするの?」と聞かれて「どうしよう?」と尋ねたら「片付けよう!」と言われて「はい」

でも、ただ片付けるのではつまらないので、ブルドーザーになって遊びながら片付けました。

子どもというのはいつでも遊びの天才。

大人の思惑なんて遥かに越えて、楽しく遊んでくれるのです。

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まさに身を粉にして大活躍してくれた新聞たち。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 06:27| ブログ?