2020年01月18日

こころの傷を癒す

昨日は、阪神淡路大震災から25年目の日でした。

四半世紀がたったのか、早いものです・・・

1995年1月17日午前5時46分、観測史上最大震度7の巨大地震が阪神淡路を襲った。

あの日は、大駱駝艦天賦典式『雨月』大阪公演の稽古だった。

家にテレビがなかったので、稽古場へいって地震の発生を知った。テレビを観てその被害の大きさに驚いて川西へと電話したけれど多分、つながらなかった。

その後も、東京にいたので被害の状況は新聞やテレビで垣間見るだけだった。

どんどん増える死者の数を単なる数字としてショッキングに扱うマスコミに、腹をたてていたのを覚えている。

6434人の一人一人に家族があって家庭があって恋人がいて友人がいて人生があったのです。さまざまな別れの数々・・・

その中でも子どもとの別れほど辛いものはない。

毎日新聞の社会面にのっていた高井ちずさんは、当時一歳半だった将君を失った。

山口県から西宮市への帰省中に地震が起こった。

実家は全壊し、将君は倒れてきたタンスの下敷きになってしまった。運ばれた病院で必死で心臓マッサージを続けたが、将君のからだはどんどん冷たくなっていった・・・

息子を助けてやれなかった自分を責め「飛び降りたら死ねるかな。」と思いつめる毎日。

ある時、生き残った長女が「しょうくんと私、地震でどっちが死んだらよかった?」と聞いてきた。

娘を悲しい気持ちにさせていた自分に気づき、それ以来ちずさんは、なるべく笑顔を見せて生きていこうとこころに決めたという。

朝日新聞の一面にのっていた森本由美さんは、当時一歳一ヶ月だった武史君を失った。

神戸市灘区の由美さんの家は二階部分が崩落、一階の部屋にいた由美さんは奇跡的に隙間にからだがはさまり助かった。

助け出された彼女は「息子は?息子は大丈夫ですか?」と何度も周りに確認するが、皆んな黙ったままだった・・・

運び出された武史君に外傷はなかったとか。

病院やその後に運ばれた遺体安置所では、武史君のきれいな顔を見て「可愛い赤ちゃんやねえ」と皆んなが声をかけてくれたという。

誰かを亡くして自分が生き残るという災害や戦争で起こる悲劇。

井上ひさしさんの名作『父と暮らして』は広島の原爆で助けられなかった、父親や同級生にすまないと己れを責めながら生きる娘さんのお話でした。

「なぜ、自分だけが生き残ってしまったのか・・・」

井上さんは、自問自答する娘に亡くなった父の亡霊という存在を与えて、対話し励まし時に激怒しながらこころを慰め癒していく。

「自分を許してあげなさい。そうして亡くなった人の分も幸せになれ。」

父親はそう叱咤激励する。

“だが、人々が直面しているのはつねに「過去をひきずったいま」なのである” by 安克昌

由美さんは離婚や「死にたい」という危機を乗り越えて立ち直り、柔らかな表情で笑えるようになっている。

武史君が生きてれば26歳か・・・お母ちゃんはいま、笑顔でおるで。

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大駱駝艦の弟弟子、松田篤史も被災。轟音と悲鳴で目が覚めたら天井が目の前にあったとか。そんな松っちゃんが処女作品を発表します。「乞うご期待!」Photo by Dairakudakan.com

参照:毎日新聞 2020年1月17日 朝日新聞 2020年1月17日
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 11:02| ブログ?