2020年02月01日

虚構だらけの世の中で

ディープフェイクというのが世界中に拡がりつつあるとか。

人工知能技術の最先端『ディープラーニング』と『フェイク』を組み合わせた造語。ディープラーニングのソフトをつかって偽の動画をつくって拡散させる。

代表的なのはポルノ動画に有名俳優やミュージシャンの顔を合成したものだとか。

マレーシアではそんな本物そっくりな動画が内政を揺るがせた。

アフリカのガボンでは、ディープフェイクが原因で軍のクーデターが起きた。

もちろん今回のアメリカでもトランプ陣営が活用。かどうかは謎だけど、民主党のペロシ下院議員の動画再生スピードを落として呂律が回らない話し方に加工した動画が拡散した。

トランプがツイッターで紹介して「酔っ払い」のコメントがついたとか。

ひどいなあ・・・悪いイメージは一度ついてしまうと払拭できなくなってしまう。

自分のことしか考えていなくて人を貶めて喜ぶような人が国のリーダーで、ほんとうに幸せになれるのか。正気とは思えない。

Googleはディープフェイクの政治広告などへの使用を禁止。さすがは知性のかたまり軍団、良識がある。

新型コロナウイルスでもデマが蔓延し続けている。それこそウィルスのようにインターネットの網の目を媒介として悪意に満ちた嘘が拡がり続ける。

デマの量は問題の重要さと状況の曖昧さとをかけ合わせたものだという。

江戸時代に日本でコレラが流行した時には、外国人が井戸に毒を入れたのが原因というデマが流れた。

その裏にはそれを政治に利用しようとする輩の悪巧みがあったとか。

東日本大震災のあとに美しい海が見えなくなるほどの高さの防潮堤が国によってどんどん作られているが、同意しないと漁業支援や高台への移転のためのサポートが受けられなくなるというデマが流れた。

流したのは工事を進めたい人たちだろう。

関東大震災の時には「朝鮮人が放火・爆弾所持・井戸への毒物投入などの不逞行為をしている」という喧伝が流れて罪もない多数の朝鮮人や中国人のかたが虐殺された。

政府による資料によって記録が残されている。

けれど、いま調べたらこの事実を右派の夫妻が本を出して否定していて、それを信じてインターネットでデマを拡散する人たちがいるのだとか。

もうこうなってくると訳がわからない。

もともとテレビをはじめとする二次元の移ろいやすい情報なんて信用ができないが、インターネットの中は完全に何が本当で何が嘘なのかまったくわからない状態。

溢れかえる情報に左右されることなく情報の数々を取捨選択しつつ、自分の眼で見て、耳で聞いて、その言葉がほんとうに信用に値するものなのか?

自分の頭でしっかりと考えて、自らで判断して生きていきたいものです。

この世は夢まぼろし・・・

本当のことなんて何もないつくられた嘘だらけの世の中だけど、やっぱりそこには良い嘘と悪い嘘があるのだと思います。

表現者の端くれ舞踏家としては常に、人を夢心地にする良い嘘をついていきたい。

笑える嘘も大歓迎。by Deepfakes Web.

参照:『毎日新聞』2020年1月29日 『海は見えるか』真山仁著 幻冬社文庫 『朝鮮人・中国人虐殺事件の真相究明と謝罪を』日弁連人権擁護委員会 『なぜ朝鮮人虐殺の記憶を否定したがるのか 虐殺否定論者の戦略』加藤直樹(ノンフィクション作家)
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2020年02月02日

疑う

昨日は2月11日の稽古でした。

イベントの主催で大野一雄舞踏研究所代表の溝端俊夫さんと、溝端さんのもとで働いている呉宮百合香さんが稽古に付き合ってくれました。

アンケートをもとにパフォーマンスをつくっていくというのが、面白くなりそうにない。

アンケートが海外の方が多いからか観念的というかイメージ先行というか、神秘的な言葉が多くてそこからどう踊りを創ればいいのかまったくわからない状態。

いまこうして記していたら面白くなりそうな方法を思いついたけれど、それは紋切り型の舞踏というものを扱うことになるので時間をかけた作品にしないと難しそう。

何をしていいのか完全にわからない白紙状態です。

そんな時、毎日新聞発行の『月間なるほドリ』に“思い込みをなくして選択肢を増やそう”という特集があったので興味深く読みます。

前提をなくしてゼロにして考える『ゼロベース思考』というものです。

やはり大切なのは“疑う”という行為。

「そもそもそれって必要なのか?」目の前の選択肢を疑う。他に何か可能性がないか、別の選択肢を選べるように視野を広げる。

思い込みや決めつけ、当たり前だと思っていることがないか一度、立ち止まって考えてみることが肝要だとか。

実際にゼロべース思考をつかって自分のいまの思い込みを掘り下げてみます。

問題:今日は森下スタジオにて稽古で溝端さんが来てくれるけれど、何をやればいいのかまったくわからない。

せっかく溝端さんが遠いところまでわざわざ来てくれるのに、やることが決まっていないなんて申し訳なくて心配だなあ。

ゼロベース思考:稽古でやることが決まっていないなんてよくあること。そもそも稽古は何かをやらなければならない時ではない。何をやるか考える時間。

何をやるか溝端さんと一緒に考えて、その流れでからだもうごかしていけばいい。

ということで、溝端さんと呉宮さんといろいろとディスカッションしながら稽古を進めていきます。

いろんな面白い話題や意見、雑談や興味深い舞踏についての話しが続きます。

そして定員60名なのですが、すでに定員に達していてキャンセル待ちになっているとか。「へえ、そうですか」

そうして半分はアンケートに答えた舞踏の実践者らしい。うるさがたの先輩や大御所もいる気配「まじですか」

そんでもってもう半分の中には舞踏評論家や舞踊批評家も沢山いるみたい・・・そんな人ばかりの所で、何をやればいいというのか。

溝端さんに「なぜ自分だったのですか?」と尋ねたら「やっぱり“舞踏?”でしょうね」と即答されてなるほど。

大駱駝艦から独立して5年、一貫して『疑う』ということをコンセプトにして活動を続けています。

前衛という時代のアンチとして誕生した舞台芸術、舞踏の宿命のような、大切な魂のような“疑う”という行為。

「了解しました」と合点。

気楽な気持ちでいたけれど、久しぶりに気合が入ります。受けて立って目にものを言わせましょう。

マイナーなところでいまだに蠢いている、この偉大で面白い舞台芸術をメジャーにしてやろうではないですか。

燃えてきたぞ。

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「ぶとうって何それ?美味しいの?」アンタッチャブルに果敢に挑戦して観客に靴を投げ込まれた問題作『舞踏?』2013年12月 於:渋谷スペースエッジ Photo by bozzo.
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2020年02月03日

森下で森下に出会う

森下スタジオに久しぶりに行きました。

森下にはセゾン文化財団から助成金を頂いている時に、毎日のように通っていました。

セゾンフェローは年間を通して優先的にスタジオを借りられるので、3年間使い倒さしてもらった。

森下スタジオには、大小さまざまな四種類のスタジオがあります。

いちばん小さなSスタジオは日当たりが良くて明るくて、好きなスタジオで『ふたつの太陽』の時にはまずはここで稽古をした。

ワークショップもSスタジオでは何回もやっています。小さいと言っても一般的なスタジオからしたらでかいです。

中ぐらいのAスタジオとBスタジオはブラックボックスで、真面目な雰囲気でなかなか手強い空間です。

ふたつの太陽の時はだんだん空間を大きくしていって、中盤はBスタジオで稽古。

Bスタジオでは傑作『ワークインプログレス』もやったな。ワークショップも結構やっています。

Cスタジオは一番大きな体育館ぐらいある稽古場で、ここでは『遊機体』を公開。

森下スタジオの改装後一発目のパフォーマンスだったので、杮落としのつもりで張り切って盛大にやった。

ふたつの太陽の本番前の実寸稽古はCスタジオでやりました。有り難かったなあ・・・日本にはもう劇場は要らないから稽古場が欲しいのです。

さて、最寄りの地下鉄都営新宿線の森下駅からスタジオへと向かいます。

Cスタジオで束芋さんとダンサー、森下真樹とでやる作品『錆からでた実』の稽古をしていて、真樹ちゃんと妹の芋芋さんがいたのでお話しします。

この作品は再演を重ねていて、今回はアメリカを回るとか。羨ましい。

制作で入っている三浦あさ子さんを紹介されます。dBで働いているとかで、たぶんお会いしたことがあるはず。

束芋さんもスタジオから出て来てご挨拶。

現代美術作家の束芋さんとは、鉄割で何度かお会いしたことがあるのです。しっかりとお話ししたのは、今回がはじめてかもしれない。

『ぴちがい裁判』は観に来てくれたのか。「そういえば舞台美術をお願いしたいと思っています。」と思わず口にしてしまい立ち話で言うことではなかったと反省。

企画を立てて予算を用意して、あらためてきちんとお願いします。

20時半から通し稽古があるので「もしよかったら」と真樹ちゃんに誘われて「了解です」

こちら16時から稽古なので、多分行けるでしょう。

受付に伊藤キムさんの公演のチラシがあった。土方巽が書いた『病める舞姫』をもとにして舞台をやるようです。

この病める舞姫は多くの創作者を虜にしていて、自分も山崎広太さんに誘われて短編を創りました。

土方さんが韜晦の限りを尽くした文章でイメージに満ち溢れているので、一行だけでも踊りが創れそうなのです。

稽古が終わって、Cスタジオのランスルーに駆けつけます。

タダで観せてもらうのが申し訳ないような、ほぼ本番に近い通し稽古でした。

初演の時とはまったく違っていて、終わってから束芋さんと話したら「裏返った」と言っていた。

裏返ったか・・・束芋さんの世界にも通じる独特の表現なのでした。

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絵を描く束芋さん。せっかく描いた絵を舞台監督の河内君が消していくのが可笑しかった。Photo by bozzo.
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2020年02月04日

福は内

昨日は節分でした。

古巣、大駱駝艦では毎年稽古場で豆まきをしていた。

鬼役になるのは楽しくて、だいたい村松がその役を取ってしまうので自分は密かに残念に思っていた。

舞踏家としてヤラレ役は絶好のポジション。

「犬の静脈に嫉妬する」という土方巽の言葉があります。

これは、大道で子どもたちにいじめられる野良犬に向けて書かれた言葉。

得をしているのはストレス発散にいじめている子どもたちではなく、無残にやられている犬のほうなのだという土方さん特有の視点。その犬の静脈に嫉妬する・・・変態だな。

さて鬼とは何か?

その本質は「人間という概念のちょうど反対にあるもの」だと民俗学者の小松和彦さんは言う。人間の反対か・・・人ならざるもの鬼。

能で鬼といえば人の内側の怨念をあらわしたもの。源氏物語で恋敵、夕顔を嫉妬で呪い殺す葵の上が代表的だが般若は凄まじい表情をしている。

鬼やらいは平安時代から続く行事です。

平安の世には鬼が至るところにいたと話はたくさん残るので、当時の人にとっては切実なものだったのかもしれない。

闇に人ならざるもの“鬼”が住まう都、平安京。

古来から日本人は外国人を鬼扱いした。

昔話の桃太郎の鬼退治を、無人島に流れ着いた外国人を殺すためのお話と考えると残酷だな。鬼にも妻や子どもがいたかもしれない。

自作の『ふたつの太陽』で8時15分で止まった時計の裏側に赤鬼の面がついているアイデアを思いついたが、あれは我ながら秀逸だった。

8時15分で時計を止めたアメリカ人と対峙する・・・誰にもわからなかっただろうけれど。次の再演ではもう少しわかりやすくしよう。

鬼はアジア的な存在です。中国では鬼は死んだ人の魂で形がないとか。いまの日本の鬼のイメージは仏教から来ているのだな。

西洋では悪魔になるのか。鬼と悪魔ではだいぶん違うのは、宗教的な違いからくるものなのです。

鬼は現代にも沢山います。

鬼教官や鬼弁護士、仕事の鬼なんてのもいるのか。鬼嫁ってのは嫌だなあ。嫌だけど、旦那が妻のことを「鬼」と呼んでいると想像するとちょっと微笑ましい。

いまや形容詞として定着した鬼。鬼ヤバイとか鬼カワイイなんてのは若者のあいだで飛び交っている。

完成した『舞踏という何か』の校正を拝見しましたが「鬼凄い」出来上がりでした。

今年は舞踏がアツくなるかもしれないぞ・・・

鬼楽しみ。

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いま娘が「鬼のように」勉強しています。写真は京都の能面師、寺井一佑による能面『平方般若』Photo by Nohmask.jp

参照:朝日新聞『天声人語』2020年2月3日
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2020年02月05日

子どものことだけ考える

子どもたちと遊んできました。

まずはからだを自由に好きにうごかそう。円になって音楽をかけて踊ります。一人ずつ中に入ってその人の真似をする。

皆んなそれぞれ楽しそうに踊っていました。

前回、ソロを踊れなかった子どももこれなら踊れるぞ。ジャンプしたりしゃがんだり、ゆっくりとうごいたり。

人数が多いのでヘトヘトに疲れた。

次はチームに分かれて踊りをつくろう。皆んな嫌嫌な感じでどうした?前回はハッスルしていたのに・・・ノロノロとチームに分かれて練習します。

今日は体育館で空間が広いので、各チームで好きに自由におどりをつくります。

一人休んでいるチームが二人になってしまい、意見が分かれたのか一人が拗ねたようになってしまっているので助けに入ります。

手がかりを求めていろいろ聞きますが、取りつく島のない感じ。

なんとか糸口をつかんで軌道にのせたら、あとは何だかノリノリになっていったので任せます。

いちばん人数の多い男の子だけのチームが、バラバラで走り回る状態になっているのでアシストに入ります。

けれどその状態がおさまらない。

一人の女性の先生が「走り回るのはいいけれど、静かに踊っている子のうごきを大切にしたい」と言っていてそうなんだよなあ。なんとかそうなるようにしよう。

「チームに分かれているとどうしても内向きになるので、他のチームの踊りも見合う方がいい」と意見がでたので、まだそこまでいっていないチームがあるけれどとにかくやってみます。

休憩後に円になって目標を確認。

「目標は笑顔になれるおどりです。誰かがリーダーというのではなくて、全員がリーダーだと思って仲良くやりましょう。」

男の子のチームの順番を決めて交通整理をします。一人の男の子が静かに踊るのでそれを真似る。

しかし真似をするというのはわかりやすくなるけれど画一化してしまうというか、同じことをしないといけないみたいな雰囲気になってしまうと舞踏家としては反省。

同じことなんてしなくていい。揃っているとかどうでもいいのです。

とにかく1組ずつ踊りを発表します。

それぞれ工夫を凝らして面白かった。問題の大人数の男の子のチームに入って一緒にやるけれど、やっぱり走り回って客観的に見たらどうだったか・・・

けれども観せるためにやっているわけではないのに、そんな風に考えてしまっていて反省。途中でもいいし、まとめようとか格好とか気にせずにやれればいい。

それぞれのチームがやり終わって、まだ時間があるので全員で輪になって深呼吸をして寝転びます。

ゆったりとからだを横たえて、ゆっくりとクールダウンして終了。

「ありがとうございました」

次回は先へ進むというよりは一度、立ち止まってやることをよく考え直そう。

真似をするというのをやめて、即興的な流れでやってみるとか・・・

なんとか、子どもたちが生き生きと出来る瞬間がつくれるように考えます。

子どもと一緒に遊び呆けてると先生になんだかなあ。と思われてしまう。子どもたちを楽しく遊ばせつつ、先生たちも納得させる・・・

いや、やはり子どものことだけを考えればいい。

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気楽にやれ・・・そうか、男子チームは一人一人と踊ればいいな。photo: schloss bröllin e.V. / Peter van Heesen
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2020年02月06日

人の前で面白く

人の前で面白く在りたい。

では“人の前で何かやる”とはどういうことなのか?

舞台芸術の大前提・・・

「ヨガは人に見せるものではありません」ホットヨガへ体験にいった時に聞いて、舞踏とヨガは決定的に違うのだと思った。

若い頃にヒッピーのおじさんが砂浜で見せるともなく見られるともなく踊っているのが、とても格好悪く感じたのをいまだに覚えている。

自慰行為を見せられている感じで気持ちが悪かったなあ。あれは家の中で独りでこっそりとやるべき踊りだった。

人と人とのつながりのあいだで生まれるコミュニケーション。

そこに観る見られるという関係が生まれる。観られるものと見るものという立場の違いも生まれる。

だから劇場に行った時に舞台側から見られると緊張する。安全な守られた空間から一方的に観ているという立場が危うくなる瞬間。

では人の前で何かやるときに、面白く在りたい。楽しませたいと考えるのは何故か?

「何かやりまーす」と言って何もやらなかったらどうか。先ずは気まずい。「にっ」て笑ってごまかすか。しかし実は何もしなくても人間ってのは結構、見ていられるのです。

普段、人を「ジロジロ」観る機会なんてそうそうないので、自分が思っている以上に時間はもつ。

この時にからだが白かったりしたら、より長く観ていられる。

素のからだに意味も入ってくるのだな。「なんで白いのだろう?」

けれども、ルックスが面白ければ面白いほど長く見ていられるかというとそうでもなくすぐに飽きてしまったりする。

この点で言うと「何だかよくわからない。」というほうが気は惹かれる。

暗くてよく見えなくて「何だろう」と前のめりに観ていたのが、明るくなってはっきりしてくると「なーんだ」ということはよくある。

大川興業主催の『暗闇演劇』というのがあって、1時間完全暗転で声だけでお芝居が続いていく。

ラジオを聞いてるような感じでイメージをとても掻き立てるのだが、ラストに明るくなって舞台が見えてしまうのが残念だった。

人の前で何かやる。という大前提があってその上で人の前で面白く在るためには?という問いかけがくる。

では面白いとはどういうことか?

これは、千差万別で10人いれば10人分の価値観があるので難しい問題です。面白いと思う人が多ければ多いほど自分は嬉しいけれど、そうでもない人もいる。

「やりたいことが万人に受け入れられなくてもいい」と思う人。前衛的なものに多い。

舞踏の初期は前衛だった。エンターテイメント性がなかったのだな。

土方巽の『肉体の反乱』は「演出的にはそんなに面白くなかった。」と学生時代に観たという室伏さんがインタビューで語っていた。

『四季のための二十七晩』あたりで演出的になってくるのか。

大野一雄さんは最初からエンターテイメントを志向していたような気がする。見られるということを結構、意識していたようにも感じる。

ただ感性的に時代の最先端を走り過ぎていて、土方さんに“劇薬のダンサー”と呼ばれるほどだった。

1950年代に白塗りで女装だもんな・・・当時は当然、受け入れられなかっただろう。

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「こぼれるほどの叙情をもってシミーズ一枚で踊る男」土方巽が高校生の時に東京で偶然に舞台を観て衝撃を受けた大野一雄。70歳を超えて逆輸入されてやっと日本で認められた。Photo By Marco Tambara.
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2020年02月07日

赤坂で打ち合わせ

『舞踏という何か』刊行イベントの打ち合わせに行ってきました。

場所はアーカイブ構想が場所を間借りしている赤坂ビル。くたびれた外観からは想像がつかない洒落た内部になっていて、昔は有名な方の住まいだったとか。

いまは建築家のかたが事務所として使っている。

時間ちょうどに二階の事務所へいったら、溝端さんは電話中で別の部屋では男たちが賑やかに打ち合わせ中。

このあいだ会ったばかりの河内君と、なんだか見たことのある顔があったので「おう」と気楽に挨拶したけれど人違いで失礼。

「どうもはじめまして松岡です」いうて挨拶されて初めて会ったのにごめんなさい。

山海塾の舞踏手でアーカイブ構想の理事をやっている松岡大君でした。

どうやら別のイベントの打ち合わせをしているようでした。男たちがワイワイやっている感じが嬉しいというか羨ましいというかワクワクする感じで、仲間に入りたいけれど関係ないのでうろうろします。

TokyoTokyoFestivalのイヴェントの打ち合わせで、呂師さんというかたが舞台監督で河内君はアシスタントだった。しばらくしたらそちらの打ち合わせが終わったので着席します。

松岡君とあらためてご挨拶。

「お名前はよく拝見してます」山海塾のメンバーなのは、先日の森下打ち合わせではじめて知った。

スタッフ一同、集まってきて打ち合わせ開始。

河内君は帰ったけれどなぜか呂師さんは残っていた。こちらの舞監でもあるのかと思ったら違っていてたんなる興味で残っているようでした。

溝端さんとは忌憚なく話せる関係のようで、遠慮なくこういう場にもいれるよう。この呂師さんが打ち合わせ中に常に客観的な立ち位置で茶茶を入れるのが良かった。

2月11日はいないようなので、自分がパフォーマンス担当というか遊び担当のようなものなのであの立ち位置にいよう。

トリックスターのような存在。

トリックスターはいたずら好きで常に醒めた目で世の中を斜めにみて行動し、時に重要な役割を務めたりする。日本でいえば狂言回しのような存在。

自分ははじめてお会いしたけれど舞踏の世界に長く関わっているようで、懐かしい匂いのする方だった。

イベントの内容的には、刊行された本の紹介と報告。ゲストを招いてのシンポジウム。ディスカッションというかクロストークというかのQ&A。その合間に雲太郎のパフォーマンス。

まずはどういう順番がいいか話し合います。

先日の森下の打ち合わせではパフォーマンスが最初という話だったけれどそれも、もう一度皆んなで再考。

本の中身を実際に見たら、予想以上に充実しているので最初に本の紹介と報告をしっかりとやったほうがいいのではないのかとなった。

スライドを使うというのでスクリーンに白塗りの雲太郎がいる。というアイデアが出たので了解です。平面との関わりはライブペインティングで経験を積んでいるので、いろいろと遊ぼう。

そのあとシンポジウムに入って、自分はその中の話しでうごけそうだったらからだをどんどん使っていく。

そのあとも議論が続いたけれど面白かった。

「いつも議論になるんです」溝端さんが言っていたけれど、それを許容する代表の人柄故だろうな。

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大野一雄舞踏研究所代表、溝端俊夫さん。打ち合わせしてて気付いたけれど声がとっても良いのです。Photo by Google.
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2020年02月08日

風邪の神さま

久しぶりに熱が出ました。

朝起きたらだるくて熱っぽくてしんどくて、死ぬかもしれないと弱気になります。

鉄割新年会で飲み過ぎてから体調が悪かったけれど、騙しだまし過ごしていた。背中が痛くて原因は飲みすぎなので、1日酒を抜いたりしてたけれどそれぐらいでは足りなかったな。

数日前に泥酔して口を開けていびきを「がーがー」かいて寝てたみたいで、朝起きたら尋常じゃないほどに喉が痛かった。

そこから咳が出はじめて目の奥が腫れぼったいので、もしかしたら熱があるのかと思っていた。

そして熱が出る前の日に「風呂に入ったら風邪をひくかな」と思ったけれど「ひいてもいいや」とわざと風呂に入ったのでした。

37度5分しかないけれど、もしかしたら新型コロナウィルスかもしれない。

念のために病院へいって検査しよう。感染していたらどうしよう・・・考えただけでも怖ろしい。濃厚接触した人、全員に連絡がいくのか。申し訳ない。

申し訳ないけれど、こういうのは本当に不可抗力だから仕方ない。

自分だって誰かにうつされたわけだし、誰のせいというのでもないはず。ないはずだけれど娘が受験なので責任を感じる。

近所の病院へといきます。空いていたのでよかった。

まずはインフルエンザ検査をします。はじめてだったけれど、あんなに鼻の奥まで入れるのだな。びっくりした。あれは子どもだったら泣くな。

「きだにさんどうぞ」とアナウンスがあったので診察室に入ります。筒井康隆みたいなおじいさん。

「お酒を飲み過ぎて背中が痛くて体調が悪かったのですが、一昨日ぐらいに喉が痛くなって」病状を説明したら喉が痛いというところに反応します。

カルテに何か書き込んでいる。

「昨日ぐらいから咳が出はじめて鼻水が出てきて、今日朝起きたら熱が出てました。」

咳と鼻水と熱に反応して何か書き込んでいる。脈拍と喉を見て胸の音を聴くという、まるでお医者さんごっこのような診察で終わり。

「では薬を出すので」普段薬を飲まないので漢方にしたいといったら、明らかにテンションが下がって「薬と漢方の併用もあるのでね」こちらが一方的に喋っただけで、まったく問診されずに終了。

薬局へ行ったら漢方と喉と咳と熱の薬を処方されて、どうせ飲まないのになと思う。無駄になる薬。

もらった葛根湯を飲んで、第一大根湯というものをつくって飲んで布団をかぶって寝たら大量の汗をかいて熱が下がって元気になる。

まだ咳は残っているけれど、だいぶんよくなってきました。

熱も咳も鼻水もからだの自然な自浄作用なのです。

それを科学的な薬で抑え込んでしまうと、からだの折角の自分で整えるチカラも抑え込んでしまうことになる。

しかし、インフルエンザではなかったので良かった・・・

せっかく稽古場を借りてたけれど今日は休もう。

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「風邪は自然の健康法である。風邪は治すべきものではない、経過するものである。」名著『風邪の効用』著:野口晴哉 Photo by Amazon.
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2020年02月09日

大丈夫だよ、大丈夫じゃない

明日は日比谷入り。

夜に通し稽古をするらしい。さあどうなるか、心配だなあ。

変なことを考えずに簡単に踊ってアピールすれば良かったのか・・・時間をもらって踊って終わり。次の仕事にもつながったかもしれない。

でもそういうことを許さない自分がいる。

書籍の刊行イベントで踊る。では「踊るとはどういうことか?」とまずは問いかける自分がいる。

「そんなんでいいと思うのか?」問いかけてくる自分もいる。「難しい方へ、わからない方へと向かった方が面白いではないのか。」そう考える自分もいる。

そういう自分を誤魔化せないので、いつもたいへんな目に逢うのですが。でもまあ仕方がない。

観ててもそのほうが、実はスリリングだったりするのです。

ギリギリまで面白くしようとする、骨の髄まで染み込んだ壺中天精神であり、嘘をつけない根っからの舞踏家魂。

真面目は禁物、クソ真面目なんてクソ食らえ。

ということで何をやるのか、まだ曖昧にしかわかりません。もしかしたら何もやれずに終わるかもしれない・・・それはないか。

人生最大のピンチかもしれない。だがピンチはチャンスだという言葉もある。想像もつかないような面白い展開になるかもしれないぞ。

本当か、本当にそんなことになるのか。

ゼロベース思考で考えてみよう。

問題:明後日、本番だけど何をやるか曖昧にしか決まっていない。心配だなあ。

ゼロベース思考:何かをやらなければいけないという思い込みを疑う。踊らなければならないという思い込みを疑う。踊りの中に踊りはないのだ。

「はい」

「いかんいかん」すぐに真面目に考えてしまう。もっと適当にいい加減に考える。それが舞踏の持ち味だったりするのです。

「ぷっ」て笑わせるようなことが出来るといいな。ふざけるこころが肝要だな。

何とでもなる。勇気をもって暗闇に倒れ込め。そうすれば思ってもみなかったドアが開くかもしれない。

とにかく明日の夜の通し稽古をワークインプログレスだと考えて、いろいろと試してみよう。

まずは白塗りをする。そしてスクリーンに入る。ここは見ながら考えよう。そのあとだな・・・土方さんの言葉を喋って歌をうたって「お母さん」と、バタンと倒れて・・・

問題はパフォーマンスのそのあとか。どうなっていくのかまったく想像がつかないのは。

舞踏のいっぽうの大きな柱、即興ということを大切にしてその瞬間の雰囲気や流れを感じつつ当意即妙で柔軟に自由にいこう。

そうして「これでいいのだ」という舞踏の真髄のようなものが感じられるところまで至れればいいなあ。

「いいなあ」とか言ってるようではいかん。

「至るのだ」

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難しく考えるな。左:江戸川萬時。Photo by bozzo.
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2020年02月10日

平和のシンボル

戦争遺跡が全国各地で老朽化を迎えて存亡の危機に瀕しています。

広島市に4棟残る被曝建物『旧陸軍被服支廠』について、広島県が2棟を解体する方針を示したとか。

震度6以上で倒壊する恐れがあるというのが理由だというが、地震で倒壊したらそれはそれで仕方ないのだから壊さなくてもいいのではないか。

いまだって近くに人は寄れないのだろうし、安全なところからだけ観れるようにすればいいではないですか。

県が実施したパブリックコメントでは、6割の人が県の方針に反対しているとか。それなのに何故、戦争の悲劇を伝える建物をわざわざ破壊しようとするのか?

立地が良いから県は商業施設か何かつくりたいのではないのか?

長崎の爆心地にあった浦上天主堂は、アメリカの策略によって反対を無視して取り壊されてしまった。

当初、天主堂遺構の保存に前向きであった当時の長崎市長の田川務がアメリカへと渡って帰って来たら、保存に否定的な態度へと一変していた。

アメリカでいったい何があったのか?

キリスト教国、アメリカは自分たちが落とした原爆でキリスト教会が全壊したという証拠を是が非でも残したくなかったというのが通説です。

「人類の責務において我等はこの被害のあとを詳細に記録せねばならぬのだ」by 國友 鼎(元長崎医科大名誉教授、元長崎市議会議員)

広島の原爆ドームは、原爆の威力の恐ろしさをまざまざと観る人に静かにしかし迫力をもって物語ってくる。

21年間という長く激しい存廃議論の末、1966年に保存が決まった。もしも取り壊されていたら広島で一番のあの平和のシンボルは、二度と観ることが出来なかったのです。

ポーランドのアウシュビッツ絶滅収容所はそのまま完全な姿で残されている。

広島でいえばいまは平和公園になっているあの空間がまるごと当時の姿で残されているようなもので、圧倒的な迫力でいまを生きる我々を迎え入れます。

そして、紛れもない歴史の真実を重く伝えてきます。

いま広島は清潔で美しい原爆資料館の中に、記憶を閉じ込めてしまっている。

凄惨な写真や悲惨な遺品の数々が語りかけてくるけれども、資料館から一歩外へと出ると平和な公園の雰囲気によって一瞬でいま見た“ものこと、事実”が消え去ってしまうのは現実。

それでも強烈な蝋人形の記憶は人々のこころに残っていたりしたけれど、その蝋人形はグロテスクすぎるとの理由で現在は撤去されてしまった。

実際はあんなどころの騒ぎではなかったはずなのに・・・

真実の戦争の惨禍を伝えようとしているのに、見る人の気持ちを忖度していったい真実など伝えられるものなのか?

壊すのはいつでも出来る。

そうして一度、壊してしまったら二度と元には戻らない。記憶も一緒に永遠の彼方へと消え去ってしまうかもしれない。

戦後75年を迎えて戦争を知る人たちが次々と亡くなられています。

子どもたちへ平和な未来を残すためにも、戦争のかたちある記憶としてなんとかして保存して行きたいものです。

原爆によって曽祖父を亡くした者として、こころから願います。

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原爆の凄まじい威力を伝えるいまはなき浦上天主堂・・・なぜ取り壊してしまったのだろう・・・残念。Photo by Wikipedia.

参照:毎日新聞『社説』2020年2月3日
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2020年02月11日

人類終末

世界終末時計が20秒進みました。

世界終末時計は人類の運命を24時間の時計に見立ててあらわしたもので、アインシュタインらの提唱でつくられた。

科学者たちが「核を創り出してしまった」という罪悪感から創設したものだな。

夜の0時になると人類は終わりで、いまは23時58分40秒。あと20秒で人類は自滅するのか。

いまの子どもたちにとっては「さあこれから」という時に「地球はあと20秒で終わりです」・・・そんなことを言われたら希望がない。

設定された時は朝だったのか?

調べたら1947年に創設されたときには、すでに23時53分だって。おかしいやろそれは。

自分が生まれた1967年は23時43分だった。

そんなに時計を進めておいて、自分たちはさっさとこの世界からいなくなって「あとはよろしく」みたいな科学者の能天気さを感じる。

やっぱり朝からはじめるべきでしょう。

造り出してしまったのは仕方ないとして「人類の未来のあとは任せた」とその瞬間が一番早い時なのだと、次世代へは時計はリセットして手渡さなければならない。

危機感を感じさせたいという作為はわかるけれど、爆発寸前の時限爆弾を手渡すみたいな無責任な行為はかたちだけだとしてもいけません。

そうしてそんなものがあるとは、当事者の政治家や軍人たちが知らないのだものな。科学者の自己満足だと言われても仕方がない。

いま世界で核戦争の危機が差し迫っているのは、カシミールだそうです。

原因は植民地支配の後遺症と宗教的な対立。

核保有国インドは“報復”としてのみ核兵器を使用することを宣言している。しかしインドではヒンドゥーナショナリズムが盛り上がっていて、今後どうなるかわからない。

一方の核保有イスラム国家、パキスタンが先行して核兵器を使用する可能性が高まってきている。

AFPによるとインド議会が武装勢力に襲撃され、大半の議員が殺害された。

インド政府は報復として、インドとパキスタンが領有権を争うカシミールに戦車部隊を投入。

パキスタン政府はインド軍を核兵器で攻撃した。

これが引き金となり戦闘は激化し、全面核戦争に発展。膨大な量の放射能と黒煙が上空に放たれた・・・

これは、米科学誌『サイエンス・アドバンシズ』に掲載された2025年に起こる最悪のシナリオ。

研究では、1億2500万人が直ちに死亡し、最終氷期以来の最低気温を記録し、地球は新たな寒冷期に入り・・・いかんいかん、悪いことを考えるとその通りになる。

100万年前には巨大隕石が地球に激突して、その土煙が原因で大氷河期に入り生物の75%が絶滅した。

いまコミックモーニングで『望郷太郎』という、地球が大氷河期に入って人類が死滅して原始時代に戻るという漫画が連載されています。

漫画そのままの世界が、すぐそこにやってきているのかもしれない。

子どもたちの輝かしい未来のためになんとかならないものか・・・

無力な、いち舞踏家には何にも出来ないな。

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空気がなくても、餌がなくても、水がなくても、摂氏150度以上またはマイナス150度以下の温度でも、生き延びることができるクマムシ。次はクマムシの世界か。Photo by Google.

参照:NHK 2020年1月18日 AFPBB News 2019年10月3日 朝日新聞『科学の扉』2020年2月3日
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2020年02月12日

イベント前日

『舞踏という何か』刊行記念イベント終了しました。

会自体は盛況で良かった。自分自身のパフォーマンスは・・・

前の日に会場入りしたらスライドの中で踊るというのが出来ないことを知ってピンチ、茫然としながら頭を抱えます。

どうしよう。

まずは机を片付けます。だいぶん空間が広くなる。正面で何かやるというのがつまらないけれど、どうかな。

まだどうすればいいのかイメージがまったくわかない。

溝端代表が「あんまのような」と口にしたので「ぱっ」とイメージが湧いて「なるほどそれならば」と舞台を会場の真ん中へと移動します。

客席が舞台を取り囲むように配置すると「さあ何かやれ」と迫って来るような空間に一転、面白そうなことがいまにも起きそうな場になってくる。

そういえば養生がわりにチラシを貼ると言っていたので並べていきます。

オブジェのようになってだいぶんいい感じ。

石山星亜良さんが「もっとランダムにして、はみ出したりして」と美的センスを発揮します。

こういう時は人が多いと色んな意見が出てくるので、興味深いのです。一人だと「うんうん」唸って同じところを堂々巡りしたりする。

だいぶん何をやればいいのかわかってきたので、松岡君と合わせてみます。TEDを意識してるという彼の報告と絡めそうなので試してみます。

色々と遊べそうな予感がして「にんまり」してしまう。

元大駱駝艦と現山海塾だからな。いまにも面白くなりそうだけど二回試してみて、あんまりやると報告という本来の意図とはズレてくるので自重します。

こういうことは時間をかけてつくらないと、悪ふざけで終わったりする危険な行為なのです。

いろいろと遊べそうな気がするけれど、伊藤キムさんの『病める舞姫』とかぶりそうな予感もするので文字と戯れるのは止めておこうと考える。

森下スタジオでやった自身の『病める舞姫』の短編では言葉と戯れることを存分にやった。あの時はリハは良かったけれど、本番で音楽の井上祐二とズレてしまって不完全燃焼で終わり惜しかったな。

もう一度つくりなおして長編にするか・・・

やはりキムさんとかぶりそうだな。意外と考えることは似ていたりするし、題材が同じだから発想も似てくるのです。

溝端さんが大崎の事務所から黒パンチを取って来てくれて戻って来たので、早速貼り込みます。これで白塗りをしても心配せずにうごけるぞ。

白塗りをして、それが付かないように気にしながら踊るということほど窮屈なことはないのです。

まな板の上の鯉ではありませんが、まな板の上に『舞踏という何か』が置かれてそれを来場者が取り囲むような空間。

「ある意味これについて語る会なので丁度いいと思います。」と溝端さんが言っていて確かに。更に、その上に肉体があってそれがどうパフォーマンスをするか。

代表に一度、通して観せて前日リハーサルは22時に終了。

本番の日は終わったらその場で散会だということで、中華料理屋で軽く打ち上げ。

「明日、よろしくお願いします。」

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大野一雄舞踏研究所の優秀なスタッフの皆さま。左から呉宮百合香さん、本田舞さん、溝端代表。
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2020年02月13日

イベントはじまり

さあ、『舞踏という何か』刊行記念イベント当日です。

新橋のビジネスホテルで、ギリギリまで土方さんの喋りの練習をします。

土方さんの踊りのトレース作業はしたことがあるのですが、今回は喋りのトレース作業に挑戦です。

これは手強かった。

結局10日間ぐらいしか稽古をしなかったけれど本番では初っ端で舌がもつれてしまい、2回目に再度トライしたらラストで一箇所しくじってしまって残念。

稽古ではスラスラと出てくるけれど、観客に見つめられると平静な状態ではなくなってしまうのです。話芸のプロってのはたいへんなものです。

新橋のホテルから会場の日比谷図書文化館までは歩いて20分ぐらい。

そのあいだも喋り続けます。何人かに不審がられます。独り言だけでも不審だけど、喋っていることが完全にぴちがいなので仕方がない。

警官が何人かいたので、その近くを通るあいだは黙ります。本番前に捕まったらたいへんです。

途中のドラッグストアでカフェインを買います。普段はまったくカフェインを摂りませんが、頭をパッキリさせたいので購入します。

そういえば土方さんはヒロポンをやっていたと何かで読んだな。もちろん合法だった頃ですが、頭がパキパキな状態で1日に難解な本を何冊も読んでたとか。

もの凄いスピードで読むのだろうな。「わかる、わかる、わかるぞ、次!」

会場に着いたら皆さん揃っていて「おはようございます」

今日はドレスコードがあるとかで、皆さんスーツでキメてらっしゃいます。それぞれが自分の仕事をこなします。自分も最終調整しつついろいろと準備します。

ゲストの方も集まって来て、しかしこちらは異常な精神状態なので挨拶とかは失礼してごめんなさい。

「あっ」という間に開場時間。

だんだん人が来場して来ます。白々とした会議室の明かりなので、誰が来てるとか一目瞭然でやりにくいことこの上ないが仕方がない。

楽屋もないので白塗り開始時間まで会場の椅子に座って集中します。皆んな見て見ぬ振りですが、吉岡由美子さんだけが元気に手を振ってくれて可笑しかった。

開始15分前、舞台にあがって白塗り開始。

女の子が一人いて興味津々で見ています。白塗りを塗ってるのって見ててなかなか面白いのです。だんだん変身していくような感覚か。

大駱駝艦から独立してからは、ただ無自覚に白塗りをするということには疑問を呈する態度をとってきているので、今日も顔は塗りません。

顔を塗るか塗らないかは大きな違いでギリギリまで悩みますが、やはり安易に全身を白くしてしまうのは違うだろう。

顔も真っ白にしてしまったほうが格好が良いのは、誰でもわかるけれどやはり疑うというこころは大切です。

松岡君が報告をしているあいだは静かに横たわります。

たまに本の精として気にします。報告がどんどん進んで起き上がるきっかけだった、松岡君が台に座るというのがなかったのでどうしようか考えます。

そのまま報告が終了。

あらら、まあ仕方がないとゆっくりと起き上がります。よくある舞踏のはじまり方になってしまって申し訳ない気分でうごきます。

しかし丁寧に慎重にからだをうごかします。ソロの極意は「丁寧にやれ」です。

おっと1300文字にもなってた。続きは明日。

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ドイツでお世話になった舞踏家の吉岡由美子さん。相変わらず元気だった。Photo: schloss bröllin e.V. / Peter van Heesen
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2020年02月14日

イベントおわり

イベントの続きです。

ソロリ、ソロリと丁寧に起き上がります。セオリー通りに何回か繰り返してさあ起き上がるぞと思うけれど起き上がれない。

ツンのゴムが尾てい骨にめり込んで凄まじい痛さです。

我慢しきれなくなって「痛っ」と声に出します。こういう時は素直な感情に従ったほうがいいのです。ちょっと反則気味に座って「さあ、どうしようか」

視線に苛まれ、視線にうごかされます。

アンケートの言葉を手がかりに踊ります。手で持とうとして「おっと、いけない」手で持つというのは文化的な所作。本の精としては、安易にはやってはいけません。

覗き込むように言葉を読みます。

「帰るところのない子どものよう」か・・・そのイメージで踊ります。これは本来なら10分ぐらいはかけて踊れるけれど、今日は時間が限られているので十全にやるというところまではいけなかった。

でもいま考えると時間なんて気にせずに、やりきったほうが絶対に面白かったな。反省。

また文字を覗き込みます。

「白塗りで震えたりしながらゆっくりと動くやつ」か・・・その言葉から踊ります。これも十全にやったほうがいいぞ。けれどもうまく震えられない。腕が鈍ったか。

こういう踊りは10分ぐらいかけてやりきると感動にまで至れるけれど、そこまでは行けなかった。反省。

「はあ」と力尽きて座り込みます。呼吸をゆっくりと整えて。

さあ、いよいよ土方さんの喋りのトレース。どうなるか。思い切って飛び込め。息を吐いて、大きく吸って・・・

「たっしょ、私もたべしっしpwかsづほうあ」舌がもつれて失敗。頭を叩いて自分を叱りつつ、気合いを入れます。

間合いをとって・・・

「たっしょ、わたしも食べるしあんたも食べればいいんじゃないの、一人でむしって食べるわきんじゃないんじゃないの。

あなたがわたしのからだの中に座ればわたしが立ち上がるし、わたしが立ち上がればあなたが座るでしょ、するとわたしが座ればあなたが座るということだけの関係じゃないでしょ。

わたし屋根から転げ落ちた時に口にガラス咥えてたのよ、それっきりたっ・・・たそれだけの理由でねえ。」

順調に喋り進みます。

最後のほうで一箇所しくじった気がするけれど、無我夢中だったのでどこで間違えたか忘れたな。まあまあの出来という感じだったか。

そのあとは四つん這いのけものにいって、室伏さんのコピーをして「むかい、舞踏忘れろ」

頭を舞台に打ちつけます。「あれ、あんまり痛くないぞ」と打ち続けます。本当に痛くなるまでやって終了。

パフォーマンスはチョイ見せデモンストレーションという感じだったか・・・

「ぷっ」と吹かせる瞬間はあったので良しとするか。

しかし当初の目標の爆笑まではいけなかった。でもまあ、お笑いではないのだしいいか。けれども、笑わせたら共犯になったということは確かにあるのです。

踊る機会がめっきりと減って来ています。

トークゲストの中野テルプシコール小屋主、秦さんが仰っていた「キラキラした踊り」がないという言葉には責任を感じる。

キラキラした踊りを創りたいなあ。

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『病める舞姫』@森下スタジオ。京都造形大学の学生が病める舞姫をもとにつくった衣裳を借りて踊った。撮影:尾野慎太郎 提供:ボディ・アーツ・ラボラトリー
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2020年02月15日

イベントおわりの続き

キラキラした踊りを創りたい。

けれども東京芸術劇場の立石和浩さんがいっていたように、ダンス公演というもの自体が減ってきていてあっても観客が入らないというのも現状。

自主公演を打ってもお客さんが入らないから、赤字になって次々と借金を背負うことになってしまうという負の連鎖。

立石さんの話しを聞いていたら、そんな自分のことを省みて絶望的な気分になって考え込んでしまった。

圧倒的な牽引力のあるカリスマがいなくて、力が分散してしまっている。

土方巽、澁澤龍彦、三島由紀夫、etc...etc...

自分も含めて、個性の粒が小さいのだろうな。世代的なこともあるのか。

立石さん、お話しが上手で立て板に水ってな感じだった。もともとはセゾングループにいたとか。

新入社員でパルコに配属されて働いているある日、堤清二さんに呼ばれて車に一緒に乗って何処へいくのかと思っていたらプランBというアングラ小劇場だった。

そこで土方巽振付の白桃房の公演を観たらしい。文化的レベルが高い頃の逸話だな。

現代日本では唯一の本物のパトロネージュ、セゾン文化財団。

古くは足利家、遠く海外ではメディチ家など数々の芸術家のパトロンはあるけれど、真のパトロネージュというのは中々に難しいのです。

曰く「金は出すけど口は出さない」というやつです。いまは「口は出すし金は引っ込める」というのが横行していますが、困ったものです。

文化の水準が総じて低いのです。

立石さんの話しで一番記憶に残った言葉は「パルコ劇場には自動ドアがなかった」です。

自分でドアを開いて、その世界へと入るということの重要性を知っている人たちが創った劇場。

自分の手で自分の意思でドアを開いて、その世界へと入らせるという遊びごころを持つ人たちが創った空間。

いいなあ。

まあしかし、勝手にドアが開いて気付いたらその世界へと入っていたというのも今風ではあるな。

質疑応答のあいだもパフォーマンスの続きと、白塗りのからだを晒し続ける。いつでも踊れるように気を抜かずに3時間、存在し続けた。

一人の青年が「なんだかローカルなことを大切にされているみたいですね。」と嫌味っぽく言い出したので身構えます。

確かに内輪感は半端ない感じで話しは進んでいたかもしれない。

自分も昔話や思い出話ではない話しをとか思っていたけれど、許して微笑んでいるようなところがあったと気を引き締めます。

「日本的な身体とかよく言いますが、正直よくわからないので教えてください。」と聞かれて考えます。

と溝端代表に「むかいさん」と名指しされて了解です。真摯に答えてあげます。

ここで実際にからだをつかえば良かったとあとで反省。しゃがむということからしゃがんで歩くという西洋人には難しい行為を実演すればよかったな。

けれどもあとの祭り。

心配された質疑応答での混乱もなくて無事にイベントは終了。

「ほっ」と一息。ホテルへ戻って白塗りを落として部屋で一人、乾杯。

「お疲れさまでした」

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秦さんと立石さんの話しを聞くむかい君。Photo by bozzo.
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2020年02月16日

勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし

イベント中に野村監督が亡くなられました。

84歳か・・・京都生まれだったんだな。

根っからの愛妻家でどう見ても悪妻の沙知代さんをこころの底から愛していたようです。

沙知代さんを亡くしてからメッキリ老けたとか。

奥さまが帰ってきてぽいぽい脱ぐ服を、あとから付いていって片付けてたらしい。偉いなあ。いや、愛ゆえに出来ることなのか。

「自分には野球しかない」そう断言していた。なかなか断言できるものではない。

もの凄い形相で怒ったとかいう逸話を知ると、執念のようなものを感じて師匠の麿赤兒を彷彿とする。

パリーグの南海ホークスで活躍し続けた。

600本塁打という大記録を達成した日は観客が7000人。いっぽうの巨人戦は5万人近く入っていた。

「悔しい思いもしたが、花の中にだってヒマワリもあれば、人目につかない所でひっそりと咲く月見草もある」

己を知る悟性だな。自分を冷静に見つめるというのはなかなか出来ることではないです。

観客が多い少ないというのは、やる気にも直結する。

土方さんも大野さんも、客が多くないと燃えなかったみたい。客が少ない方が燃えるなんていう、奥村勲みたいな役者さんもいますが。

家が貧乏だったので、バットを買えず一升瓶に水を入れて素振りしていた。

無名の高校生の時はデータを調べて正捕手の年齢の高い南海ホークスを狙ってテストを受けて、入団に成功。この頃からデータを分析するような性格だったのだな。

初打席は三球三振。

何度もクビになりそうになりながら、頭を使う野球でメキメキと頭角をあらわす。努力と工夫と研究も凄まじい。けれど当たり前か、プロだものな。

そこからの記録は数え上げたらキリがない。ワンシーズン、52本塁打は落合も並んでいるけれどいまだに破られていない。

キリがないのだけど選手時代の記憶を持つ人が圧倒的に少ないのだとか。それはやはりマイナーなパリーグで選手を続けたから。

自分も覚えているのはもう監督を兼務してて、選手としてはイマイチな印象の野村さんです。

勝つためにあらゆる手を尽くす。知略を巡らし作戦を練る。選手時代からそれは変わらないようです。

引退するきっかけは自分が試合に出たいために、味方の選手に「打つな」と思った時だとインタビューで語っていた。

監督になってからは名言が多数ある。

苦労をしているから人間洞察が途轍もない。ID野球と言うぐらいで頭のキレも抜群。常に論理的に考えているから説得力がズバ抜けている。

言葉にいちいち深いものを感じる。

「人や集団をうごかすものは言葉しかない。ほかに何があるんですか」が口癖か・・・これはどうなんだろう・・・自分が率先してうごくというのもある。あとは情熱なんてのもあるかもしれない。

人生という二文字から四つの人の生きる道を説いています。

「人として生まれる 人として生きる 人を生かす 人を生む」

自分も人を生かすところまでは行っているけれど、人を生み出すのはまだまだだな。

もっともっと素晴らしい舞踏家を生み出さないと、自分自身にも未来はない。

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1961年、日本シリーズ前の練習で長嶋茂雄と談笑する野村克也。合掌。Illustration by Kumotaro Mukai.

参照:2020年2月12日 毎日新聞 Wikipedia.
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2020年02月17日

mina perhonen

ミナ ペルホネン展覧会『つづく』

とっても感性が刺激を受けた・・・その真面目なものづくりの魂にふかい感銘を受けました。

教えてくれた工藤千愛子さんに感謝です。

「せめて100年つづくブランド」と1995年に皆川明さんがたった一人ではじめたファッションブランド。

だから今回の展覧会のタイトルも“つづく”なのだな。

いまやファッションだけにとどまらずに、東京都現代美術館で大展覧会をやるほどのブランドに成長。

品のいい女性がたくさん観に来ていた。一人、とんでもなくお洒落な男性もいた。ありゃあ、ファッション業界人だな。格好をつけてるとかではなくてセンスが滲み出ていた。

上野などの博物館や美術館へ大挙してくるおじいさん、おばあさんたちとは観客層が一線を画していた。

質感と手触りを大事にして、こころを込めて大切につくられたものたちが美術館の空間に所狭しと並んでいた。

アイデアスケッチの数々が可愛くて何点か模写をした。

北欧的なデザインが素敵だと思ったら、輸入家具を扱う祖父母の影響もあり皆川さんが北欧のいろいろなものから刺激を受けているようです。

ミナ ペルホネンは、流行のスピードが速いファッション業界においてまったく時代の流行とは関係なく、良いものを素材から手づくりで生み出す姿勢を貫いている。

テレビコマーシャルとかとはまったく無縁な知る人ぞ知るブランド。

ユニクロとは対極をなすブランドだな。対極なのだけどおそらくイメージの部分、理想的にはユニクロが目指しているところなのだろう。

だけど大量消費を即す巨大チェーン態勢と、大量消費に完全に背を向けるものづくりの態度の違いは決定的。

メールを送るのではなくて、顧客に手紙を出すというのに感心した。そういうひとつひとつのローテクなことを大切にするこころが違いを生み出す。

一生着ることの出来る服、一生使うことの出来るものを生み出し続ける努力が共感を呼ぶ。

使い捨ての時代のまったく逆を進み、使い捨ての時代が終わりつつあるいまは、その活動は最先端。

糸井重里さんを筆頭に感覚の鋭敏な人たちを惹きつけてやまないミナ ペルホネン。

パリでおこなっているファッションショーの模様を映像で観たら、演劇的でとってもセンスがよくてワクワクした。

マームとジプシーが衣裳を依頼していた。

そういう時代の最先端を纏いたいという気分はとてもよくわかる。ひと昔前なら山海塾がイッセー三宅に衣裳を依頼してたような気分。

向雲太郎がもっと有名で活躍していて、自分が制作だったらやはり衣裳を纏わせたいと思っただろう。よくわかる。痛いほどわかるけれど、俺は俺です。

皆川さん、1967年生まれで同い年だった・・・

自分も己れの好きな世界をこのまま突き進んでいこう。自分を信じて、それしかない。いまはまだ報われないけれど。

その先にあるのは何なのかはわからないけれど。

「頑張るぞ」

肚の底から力が湧いてきて自分に誓ったのでした。

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展覧会を観ていて、この『ブログ?』に写真だけではなくてどんどん絵も入れていこうと思った。模写に彩色。Illustration by Kumotaro Mukai.
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2020年02月18日

テルプシにて撮影

鷹野隆大映像作品『Red & Green』の撮影が中野テルプシコールにておこなわれました。

テルプシコールは舞踏の聖地のような劇場。

独立して一発目のソロ『アホとロマンの皮袋』をやった場所で、久しぶりに訪れたらやっぱり趣深い、いい空間で懐かしかった。

鷹野さんの作品は、ほぼ真っ暗な中でたまにフラッシュが焚かれてからだの影が白い壁面に残るというもの。そして、その影と踊るのを撮影する。

撮影で山海塾の蝉丸さんとはじめてお会いした。

噂はたくさん聞いていたけれど、第一印象は普通のおじいさん。しかし踊りはじめたら本物のオーラを発してた。美しく気品溢れる踊り。

蝉丸さんは撮影2日目だというので、リードしてもらいながらセッションした。自分の中にはないうごきだったので興味深く導いてもらった。

大駱駝艦の塾だったところからはじまって、独立して室伏さんのあとを追って皆んなで渡欧。

路上でパフォーマンスしているのをスカウトされパリ市立劇場で毎年新作を発表するところまで行くという、若者にとっては夢のようなサクセスストーリーを実現。

パリでの高田さんの落下事故を乗り越えて、天児さんとともに世界の山海塾へとのし上がった。

フロントマンの天児さんを陰に日向に支えながら、右腕として「ずーっ」と牽引し続けている。

飲みにいくのを楽しみにしてたけれど「明日の朝に富山で積み込みなんです。」とのことで残念。

蝉丸さんの住む富山に倉庫があってトラックに舞台美術を積み込んで、そのまま北九州へ移動だとか。

北九州芸術劇場にて『ひびき』の再演。ひびきは1998年の作品か。

先日、松岡君と話したら仕事が減ってきていると口にしていた。

いまはたいへんな時だから辞められないとも言ってたな。最後までやるとも宣言していた。山海塾の最後か・・・

撮影の合間に小屋主の秦さんがいたので立ち話し。「このあいだのイベント、健在だったわね」といわれて恐縮。

「そういえば、大森が良かったと言ってたわよ」ともいわれて耳を疑う。秦さんの旦那さまは大森政秀さんといいまして舞踏の草創期から活躍されている舞踏家なのです。

「良かった、硬派でいいオドリだった。 垂直に上に伸びていって一気にバタンと倒れるところなんかは憎い! 意表を突いた。

至近距離に室伏鴻がいて、遠くに田村哲郎がちらり。

頭を床にガンガンやって室伏チックなんだけれど「イテッ」というところは向かな・・・

自分勝手にのめり込んで行かずに、その孤独が良い按配でまわりに広がっていく。 己が持つ孤独が周辺に広がって行く・・・」by Masahide Ohmori.

大森さん、ありがとうございます。

ドイツでも田村哲郎さんに似てるといわれたな。

たむてつさんは大駱駝艦の大先輩で若くして亡くなられていますが、ユーモラスな踊りをする舞踏家で自分は若い頃から好きなのです。

褒められるのは嬉しいもの。

気持ちよく足取り軽く、撮影を終えて帰ったのでした。

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蝉丸さん。63歳だったかな、とてもそうは見えない肉体だった。
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2020年02月19日

もっと自由に

子どもたちとのワークショップが終わりました。

残念なような寂しいような「ホッ」としたような複雑な心境です。

不安なのは毎回だった。

どうなるのかまったく想像を超えてくるので、頭が真っ白になることも毎回。

そのまま子どもたちと遊んでいればいいのだけれど「それでいいのか?」という大人の視線を感じるのでそうもいかなかった。

「なんとかしなければ・・・」

そこをどう受け止めるか。の度量が子どもたちと遊ぶときには必要になってくる。どこまで遊ばせるのか。どこまでも一緒に遊びたい。自分も遊ぶ。率先して遊べ。皆んなで遊ぼう。

何かをやらなければならない。何かしらの成果のようなものが必要だとかいうこころは、子どもにとってはまったく必要のない大人の都合。

けれど、大人の世界ではそういうことが求められる。

呼んでくれた岡田先生が率先して遊ぶようになって嬉しかったけれど、他の先生とは意思疎通をしていないし目標を共有していなかったのが惜しかったな。

次回からの課題です。

教師も全員が理想とする目標を共有していれば、もっと気を使わずに伸び伸びとさせることも出来たし自分も楽だったかもしれない。

昨日はまずは一人で踊って、ペアでからだをつかってお話しをする。そしてチームに分かれて踊りをつくって発表して、最後に皆んなでからだをつかってお話しする。

という流れにしようと思っていたけれど、行きの車中で東洋に「最初に皆んなでからだうごかしたりしますか?」と聞かれて「そうだよなあ。そのほうがいいか」と思う。

最初は皆んなでからだをうごかして、最後は皆んなでからだをつかって対話をしよう。

今回は音楽家の熊坂路得子さんが入ってくれたので、何をやっても良い感じになって有り難かった。

ルツコさんのアコーディオンの音色が子どもたちの踊りを包んでくれて、とてもとても素敵な瞬間に満ち溢れた。

最後に全員でからだで対話するというのをやりたかったが、時間切れになってしまって残念。

けれども予定は未定、計画通りになんかならないのが子どもとの時間の魅力。

休憩のあと全員が好き勝手に遊んでいるのが良かった。大人も子どもも皆んな好きなことをしていて、昨日で一番いい瞬間だったように思う。

「これでは休み時間と同じだな。」と思って止めようとするけれど「まるで休み時間のように自由に遊んでいて、それを止めてまでやるようなことなどあるのか?」と自問自答する。

意味のないことをするのが舞踏。

先日の2回目のテルプシコールの撮影でも感じたけれど、舞踏家というのはほんとうに役立たず。人間のクズのような存在です。

でもそれでいい。

もっと役立たずにもっと適当にもっといい加減に、どうでもいい何でもいい「これでいいのだ」とこころを遊ばせて、からだを遊ばせて魂を遊ばせるのです。

そうして意味から永遠に逃れ続ける。

率先して社会にとってまったく役に立たない存在になる。それでこそ逆に社会での存在意義が出てくる。

そんな風に思うのです。

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ルツさんのアコーディオンで何の変哲もない体育館がパリの街角のようになっていた。
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2020年02月20日

エコー

子どもたちとのワークショップ、振り返っては「楽しかったなあ」と余韻に浸っております。

5回、1日2時間・・・2時間というのがやってみると手強かった。

毎回、振り回されて終わるとへとへとに疲れ果てて抜け殻みたくなっていました。

しかし、喉もと過ぎれば熱さ忘れる。

前回に拗ね気味になって、二人で長く対話したリョウスケが休んでいて残念だった。けれども同じチームのユウダイとチセアはそんなことはまったく関係なく楽しそうに踊っていた。

ユウダイとチセアは普段は踊りの才能を発揮する場所がないらしいので張り切っていた。

常に元気だったハルノ、カイト、シンゴのチームも楽しそうに遊んでいた。3人ともアイデアマンだから最後のさいごまで創意と工夫がとまらなかった。

静かな抑えた踊りをするタイガが休んでいて、二人で踊るのを楽しみにしていたので残念だった。けれども大人は一緒に踊らないほうが子どもがよく見えていいと今回、あらためて実感した。

ソラと踊っている東洋を見ても思った。大人のほうが目立ってはいけない。

ソウジロウとリコトとカノンとナナのチームも先生が一緒に踊っていたけれど、子どもたちだけにしたほうが良かったな。心配だから一緒にやりたくなる気持ちは痛いほどよくわかります。

けれどもそこは「ぐっ」と我慢して、信じてあげるほうが子どものためになるのです。揃っていなくたっていいし間違えたっていいし、どうなっても良いのです。

そして、それが面白いのだ。

そんな風に感じてカズマ、ハルマ、フク、トモキ、ソウタ、センショウ、リュウスケのチームと一緒に踊ろうと思っていたけれど、やめました。

子どもたちだけで踊るほうがだんぜん美しいのです。

石神井の学校でワークショップをやった時は、先生たちとのミーティングを重ねてだんだんと子どもから離れるようにしてもらった。

「子どもたちだけでやるなんて無理だ」という意見も最初は出たが、最後は勇気をもって離れてくれた。「手放すのは怖かったけれど、離れて観ていたら感動した。」と理解も得られた。

次回はそういうヘルプの先生たちとのミーティングもやろう。

女の子は「発表がある」とお洒落をしてきていたと、終わったあとに芸術家と子どもたちの舩元さんから聞いて「へえ」と思った。気づかなかったので反省。

全体的に振り返ると2回目の新聞をつかった日がクライマックスだったと感じる。責任者なんていない完全に自由な空間。観ているひとなんていない時間。

一瞬一瞬が二度とない掛けがえのないときだった。

帰りに「もう会うことはないかもしれない。」と彼ら彼女らの姿を見ながら思う。

けれどもそんなおっさんの感傷とは無縁に、子どもたちの日常は続いていくのでした。

「どうぞ、元気で幸せになってください。」

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子どもたちと踊るときに使おうかと思っていた扇子。結局は使わなかった。「岡田先生お疲れさまでした。ルツさんありがとう。」
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