2020年04月01日

おかねの祭典

東京オリンピックの1年延期が決定しました。

今回の五輪は、もめごとが続きまったく上手くことが運んでいない印象をうけます。

東京電力福島第一原発の汚染水について「アンダーコントロール、管理下にある」そう安倍さんが胸を張って獲得したオリンピック。

だが実際は汚染水問題は管理下にあるどころか、まったく解決できていない。

まずは出発点に嘘、偽りがあったのだな。

「被災地を元気に、ニッポンを元気に」

復興五輪なんていうスローガンも欺瞞に満ちていて、実際はオリンピック会場の建設によって労働力や資材がどんどん東京へ流れてしまい東北の復興工事は遅れ続けている。

新国立競技場の設計問題。

国際的なコンクールで決定した案を覆すという、前代未聞の巨大スタジアム設計の白紙撤回。

ゴタゴタゴタゴタやった挙句に、ザハさんからクマさんへと設計者が変わりました。この白紙撤回の騒動でなんと69億円が消えた。なにをやってるんだろうなあ。
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建築家、田根剛による新国立競技場案「古墳というピラミッドのような鎮魂の場を作ることが、21世紀の世界に対するメッセージになるのではないか」いいねえ、岡本太郎だったらこれを選んだでしょう。image courtesy of DGT.

五輪選出にかかわる賄賂問題の発覚。

1票10万ドルで20票が集められ、成功報酬は約2億3千万円だって・・・新聞でも連日報じられていたけれど、スッキリとしないうちにいつの間にかうやむやなまま闇に葬られようとしている。

オリンピックの公式エンブレムの盗用問題。

佐野研二郎氏のデザインした公式エンブレムが、ベルギーの劇場のロゴに酷似していて訴えられた。

佐野氏はもちろん否定し舛添も気にしないとか言ってたけれど、他にも盗用や無断使用が発覚。結局、組織委員会はエンブレム使用の中止を決めた。

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真似、模倣というのは創作の基本ではあるけれど・・・

さらに東京の海が汚いからとセーリングの会場が神奈川へと変更、東京の夏が暑いからとマラソンと競歩の会場が札幌へと変更・・・

そうして今回のウィルスによる史上はじめての会期延期。

中止はいままでに何回もあったけれど、五輪憲章を改正してまでの特例延期。延期するよりも中止にした方が経済的な損失は少ないという意見は、完全に無視されている。

東北の復興は遅々として進まず、福島第一原発の汚染水の問題はまったく解決していない。

都市型のコンパクトな五輪を目指しコスト削減を声高らかに提言していたのに、コストは異常なほどにどんどん膨らみ続けている。

国の威信をかけたオリンピックか・・・「もっと速く、もっと高く、もっと頑張れ、もっと!!」

「速くなくたっていい、遅くてもいいではないか。高くなくたっていい、低くてもいいではないか、頑張らなくてもいいじゃないか。」

そういい続けてきた舞踏とは、正反対の価値をもつ五輪なので自分はやらなくていいと思っています。

思っていますが、ここまで騒がれると気になってこの大騒動を興味深く拝見しているのです。

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誘致時の予算7000億円。とんでもない額ですがそれがなんと3兆円を超えるかもしれないだって・・・3兆円・・・か、かねかねかね、金じゃー。

参照:産経ニュース 2016年8月27日 AERA 2019年1月15日  神奈川新聞 2015年04月11日 読売新聞 2019年11月1日 共同通信社 2019年11月18日  朝日新聞 2020年3月28日 週刊新潮 2020年2月20日 Wikipedia  Google
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2020年04月02日

さ ま ざ ま な は ざ ま

この騒ぎでソーシャル・ディスタンスというのが流行しているとか。


人と人との距離を大きくとることで、世界中で流行ってきているそうです。アメリカでは180センチ離れることを勧めている。


いいことだと思います。


都会では人と人との距離が近すぎるのです。満員電車なんて酷かったものな。人間も動物なのだとしたら、あんなもの耐えられるわけがない。

もし、あのなかにゴリラがいたらたいへんだぞ。大騒ぎになってそこらじゅうで交尾をはじめたりして。でもそれが自然なこと、人間は理性で抑えるけれど、そちらのほうがゴリラからすれば異常です。


人には気持ちのいい距離間というものがあるのです。知らない人だったら5メートル以上は離れたいか。それより近寄ってきたら何か自分に用事があるな。


舞踏では“あいだ”をとても大切にします。物理的なあいだと時間的なあいだのどちらも大事にします。


物理的なあいだの場合は、ワークショップなどでは実際に満員電車ぐらい近くによったり可能な限り離れたりして、このからだのまわりの感覚を体感してもらいます。


丁寧にやると人間の気のようなものが感じられて面白いです。


“圏”といいますが、からだのまわりのどれぐらいの範囲でうごいているのかというエクセサイズもします。空間把握の妙味ですね。


この空間のつかいかたで魅力的なダンサーか、そうではないかが決まるかもしれません。


からだのまわりのオーラのつかいかた。


観客とのあいだをつかった押し引きということもあります。ここにはこころの押し引きということも入ってきます。観客に向かって大きな声で叫びつづければ、観ている方はどんどん気持ちが引いていきます。

逆に舞台側がどんどん引いて、自分の中へと埋没して小さくなっていけばいくほど観客は前のめりになって惹きつけられます。

この塩梅のセンスもいいダンサーであるかどうかの条件であるかもしれない。


いっぽう、時間の“あいだ”というのもある。


舞踏ではこの時間のあいだを引き伸ばしてつかいます。日常のスピードであっけなく過ぎてしまうのではなく、ましてやオリンピックのように速さを良しとするのではなくゆっくりとうごく。


のんびりと生きれば生きるほどその時間は豊かになる。


丁寧に生きるとも言えるかもしれない。ゆっくりといまが二度とない、かけがえのない瞬間なのだとその時間を楽しみ尽くすのです。


「はやくはやくもっと速く」という価値観の正反対といってもいいでしょう。


オリンピックに象徴されるいまの大多数の価値とは正反対の価値観をもつ舞踏。


いまのまま速度を上げて一気に人生を突き進むのか、ゆっくりとスピードを落として人生を楽しむのか。いつまでもレッドオーシャンで押し合いへし合いしながら生きるのか、ブルーオーシャンであいだをあけてゆったりと生きるのか。




どっちがいいか・・・

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世界のブランドがロゴのあいだをあけているのでデュ社もやってみた。行間もあけてみた。そんでタイトルも離してみた。
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2020年04月03日

凸凹2020

昨日、4月2日は世界自閉症啓発デーでした。

2007年の国連総会で決議されて、全世界でさまざまな取り組みがおこなわれているとか。

自閉症・・・発達障害のひとつで、先天的に脳のどこかが発達の標準から外れている。

最近仕事で発達障害といわれる方々と触れ合う機会があるけれど、ひとことであらわしてひとくくりにしてしまうのは無理があると感じるほど皆さん、個性的で魅力的です。

ひとりひとりに多様な性格があって、その内面は常識でははかり知れない。

いつもニコニコしているひと、真剣な表情で押し黙っているひと、面白い動作を続けるひと、まったく違うイメージの世界にいるようなひと、深い思考の世界に遊んでいるようなひと、etc...etc...

自閉症は脳の機能の問題なので、早い段階での療育支援と出会うことで可能性は広がっていくのだそうです。

自閉症のかたは他人の表情が読めなかったりコミュニケーションの取り方がひとと違っていたり、興味のあることが限られていてひとつのことに極端に強いこだわりを持ったりする。

ことばを適切につかうことが苦手で、感じたままに話したり行動してしまうことがある。だから仲間にいじめられたり先生に問題視されたりする。

少子化で学級は減っているけれど、逆に特別支援学級は増えている。それぞれのコミュニケーションのやり方がある、ひとくくりにできない凸凹な子どもたちの性格や個性にあわせて教育をおこなっていく、素敵な特別支援学級。

ひとつの教室に閉じ込めて同じことをやらせる。

そんな理不尽で全体主義的な教育方法に無理があるのです。子どもを面白くなくしてしまういままでの日本の教育、個性を殺す教育方法。画一化して均一化して流れ作業で社会の労働力をつくりだす。

管理する側からしたらすべて揃っていて個性なんてないほうがだんぜん便利、人間も動物も野菜もすべて揃っていて病気にもならずにお国の役に立ってくれればいいだけ。

そんな為政者たちの思惑がうまくいかなくなっている。

自閉症は正式には、自閉スペクトラム症というのだそうです。スペクトラムとは連続体という意味で境目がないということ。どんな人間にも大なり小なり、その萌芽があるのです。

じぶんは中学ぐらいから学校がまったく面白くなくなって、いくのが嫌で嫌で結局はいかなくなってしまった。

はぐれてしまったこの身を最終的にすくってくれたのは、舞踏なのでした。

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多様性の限界に挑戦し、コミュニケーションが取れなそうであればあるほど良しとする舞踏。村松卓矢、演出振付『穴』より。Photo by Junichi Matsuda.

参照:2020年3月31日 東京新聞 “HEART&DESIGN FOR ALL” / コミックモーニング掲載、こどものこころ診療所『リエゾン』/ 2020年4月3日 朝日新聞
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2020年04月04日

猿は猿を殺す

植松被告に対する死刑が確定しました。

ひとはなぜ、ひとを殺すのか・・・

仏教では不殺生といってまず殺すことを禁じます。

これはひとに限らずに生きもの全般のことをいっています。

徹底した仏教徒は動物を口にしません。精進料理は生きものを殺さない料理です。ジャイナ教では空気中の生きものを殺さないようにマスクをする。無駄な殺生をしない。無駄にいのちを奪わない。

ただこれには「では草木にいのちはないのか?」というツッコミも入れられる。

クジラを食べるなと主張する人たちがいる。理由はクジラには知性があるとか知能があって人に近いからとか主張する。

では牛はどうなのか?馬は?鹿は?犬は?猫は?勝手な人間の線引きというもの。

考えだすとキリがない、いのちの重さと軽さということ。

考えだすとキリがないのだけれど、人を殺してはいけないというのは万国共通の倫理観。しかし各宗教がそのことを禁じるのは人を殺すというのが、実は人間の本性であるから。

放っておくと人を殺してしまう生きものなので宗教で禁じ、法律で禁じる。道徳で戒めて、教育で叩き込む。

それでも人殺しはあとを絶たない。連日ニュースでやっているし毎日、世界中で殺し合いをしている。

なくならない人を殺すという行為。

なぜ、ひとはひとを殺すのか?

理由は、怒りや憎しみがいちばん多いのか・・・戦争も喧嘩の延長にある。自衛というのもあるか。

死刑はどうなのか?いのちをいのちで償わせるという考え方だけれど、19人ものいのちを奪って自分ひとりのいのちで償うことなど到底できるわけがない。

安易に死刑にしてしまわずに19人の痛みと苦しみと、その家族の痛みと苦しみを生涯にわたって考え感じて生き続けさせなければならないと思ったりします。悔い改めよ。か・・・

では、差別して殺すというのはどうか?

これも人類は太古からおこなってきました。違う種族だからと殺し、違う村だからと殺し、国が違うから殺し、考えかたが違うからと殺しあってきた。

そのひとつの究極がホロコースト。民族というくくりでその民族の絶滅根絶、撲滅を目論んだ。

ナチスドイツはユダヤ人以外にもロマ人、ポーランド人、セルビア人、ロシア人、スラブ人、身体障がい者、精神障がい者、同性愛者、黒人、共産主義者、無政府主義者、反ナチ運動家、etc...etc...

ありとあらゆる差別と選別と線引きをして、最大推定で約1100万人を殺戮したという。

殺す理由の次にくるのが何人殺したかという数の問題か。

これはもう奪ったいのちが多ければ多いほど罪は重いでしょう。ひとりひとりに人生があり、親兄弟がいて子どもがいて孫がいて友達がいる。猫もいたかもしれない。

そして永遠につながっていったかもしれなかった、未来のいのちをも奪ってしまう。

ひとがひとを殺すということ。

梅原猛さんは「人間とは殺す生きものだ」というけれど・・・

人類永遠の問題です。

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「猿は猿を殺さない」は映画『猿の惑星』の言葉だが、最近の研究でじつは「猿も猿を殺す」とわかってきた。
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2020年04月05日

大きな拡がり

どうやら東京で感染が拡がりはじめたようです。

いろんなテレビニュースや新聞で得た情報によると要するに、いまではないのだな。

重要なのは、いまから二週間後にどうなっているか?

「自分は発症をしていないだけで感染している」という気持ちで過ごさないと症状が出るのが二週間後だったりするので、気づいた時には感染を拡げてしまっているのです。

これからは外出時にマスクを着用します。家に一枚布マスクがあるのでそれを着けよう。マスクは感染を拡げることの防止には効果がある。

クルーズ船の感染者を引き受けた病院のニュースを観たけれど、たいへんな労力でした。

まるで宇宙かエベレストにいるかのような重装備と手間の数々・・・

まずは手の消毒。手袋をしてウィルスは目からも感染するので、かならずゴーグルもして全身防護服を着て作業が終わるたびに、この防護服の外側に触れないように注意して脱ぎ一回で廃棄する。

N95という非常に機密性の高いマスクをして、空気漏れがないかチェック。作業が終わったらマスクの外側には触らずに外してかならず一回で捨てる。

注意して手袋をはずして最後に手を入念に消毒する。

この作業を感染者と接触するたびにやるということか。

一週間皆んなでそういったことを研修して準備してそこまで徹底的にやって、はじめて従事した医師などの二次感染が防げたそうです。「もう一度やるかと言われたらそう簡単に手はあげられない」と院長の女性は話していた。

いま医療関係者の二次感染が増えているのは、そこまで徹底的にやらずに急場しのぎになっているからだな。

ちなみに医療関係者が使用するN95という機密性の高いマスクは、とても苦しくて普段の生活で使うなど無理らしいです。そんなマスクをつけて作業をしなければならないのか・・・

いま修羅場になっているニューヨークでは、三週間前はいまほどではなかったとか。

「どこか遠いところのお話しだった」と日々、戦場のように命の選別がおこなわれているニューヨークの病院に勤務する日本人のかたが言っていた。

もはや対岸の火事ではないのだな。これからどんどん増えてくる二週間前の感染者たち。

4月末に都志へ移動するつもりだったが、移動の自粛という意味もあるけれど東京という都市が今後どうなるのか?見届けたいという気持ちになってきています。

ニューヨークのような状態になるのか、どうなるのか・・・あと二、三週間もすればはっきりとしてくるか。

いますでに緊迫した状態になりつつある、医療関係者は「はやければはやいほどいい」と口を揃えるけれど、安倍さんから緊急事態宣言はいつまでたっても発令されない。

どうも自分のパフォーマンスの切り札だと思っている節があるようです。“伝家の宝刀”とか言ってたようだし。

国民の命のことではなく、自分のパフォーマンスのことを考えるリーダー・・・

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コロナビールが生産停止だと聞いて名前のせいかと心配したけれど違ってた。最近はテレビでも“コロナ”とだけ言ってたりするものな。「コロナの影響で・・・」
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2020年04月06日

バッタの脅威、マスク戦争

昨日は買いもののときにマスクを着用。

スーパーへといったら相変わらずインスタントラーメンは売り切れていた。パスタもなくなっていて、納豆も売り切れていた。免疫力を高めようという考えだな。

そうして今度は小麦粉が売り切れていた。

バッタの被害で小麦粉がなくなるという情報がながれたのかな。うちはグルテンオフを心がけているので買えなくてもいいか。

バッタが大発生してその被害がアフリカから中東、そして中国やインドまで迫っているらしい。畑の作物を食べ尽くし世界的な食糧危機が懸念されている。

国連の食糧農業機関は、1平方キロメートルに集まるサイズの比較的小さな群でも約4,000万匹がいて、1日に食べ尽くす食糧は人間35,000人分に匹敵すると試算している。

アフリカではすでに深刻な食糧不足が進んでいて、しかもこのウィルス騒ぎで各国からの支援がなくなり危機的状況にある。

バッタが大量発生している理由は地球温暖化による気候変動。旧約聖書の出エジプト記には、古代エジプトで病気の蔓延とバッタの大発生といった災禍が相次いだという記述があるとか。

神の怒りに触れたか・・・

いや、アジア的な考え方でいえば神とは八百万、森羅万象の自然のこと。自然の怒りに触れたと考えたほうがいいな。おごり高ぶった人類への大自然からの鉄槌。

スーパーからの帰りにまわりに誰もいないので、臭いし苦しいのでマスクを外しました。

そうしてよく考えてみたら別にせきをしてるわけではないし買いもので一度も誰とも会話しなかったし、馬鹿馬鹿しいのでこれからはするのをやめようかと思った。

たんなるポーズで意味のない行為

アメリカの疾病対策センターはいままで「健康なひとはマスクは必要ない」と強調してきた。

二週間ものあいだ無症状だという新型ウィルスの特性からマスクをすることは自分への感染を止めなくても、他人に拡げることを防ぐためには有用だという結論になったようです。

そんなアメリカとヨーロッパでマスクの横取り合戦が起きている。

タイのバンコクからドイツへと運ばれる予定だった医療用マスク20万枚がアメリカに奪われた。ドイツはもちろん抗議している。

中国からフランスに向かう予定だったマスクも、空港でアメリカに横取りされてしまったらしい。アメリカは否定。

いっぽうスウェーデンの医療機器メーカーからイタリア、スペインへと発送したマスク400万枚を中継地点のフランスが没収。メーカーが外交ルートで働きかけた結果、フランス政府は半分だけ発送を認めて残りは没収。

トランプ大統領はマスクの着用は「任意のガイドラインだ」と発言。「してもしなくてもいい。私はしないことを選ぶ。自分がしていることは想像できない」と述べた。

たしかにトランプさんがマスクをしているのを想像したらちょっと笑える。

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トランプさんがマスクをするのは時間の問題だけど、どんなマスクをするのか。安倍さんと同じ布マスク・・・んなわけないか。

参照:2020年2月5日 毎日新聞 2020年4月5日 朝日新聞
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2020年04月07日

Just an idea

こんないまだからこそ、しっかりと自分を見つめて考える時だな。

湯山から長文のメッセージが届きました。

先日のこの『ブログ?』の“さまざまなはざま”を読んで、いまのこの状況にて思ったこと感じたことだった。

湯山「今日の『ブログ?』を拝読して思うとろころがありまして。」

むかい「ほおほお・・・」

湯山「5月の作品ですが“社会的距離・ソーシャル・ディスタンス”はピカイチのテーマになるかと思います。

人がコロナと対話していくには、一重に人間同士が距離を取ることからしかはじまらないと、お上は言っています。

われわれ舞台人にとって、人を集めるなというのは余りに酷な現状だと痛感する日々を過ごしています。

個人的なことを想えば、フットボールをやってる頃から、バーテンだろうが大道具だろうが、大駱駝艦の踊り手だろうが、僕のここ30年は「空間に人が集まることの面白さだけで支えられてきたんだなぁ」と感じています。

それだけに、この2ヶ月で飛んだ仕事以上に「今、何が起こっているのか・・・」ということに、えも言われぬ感情が沸き起こってきました。

逆に言えば、この際において、われわれ舞台人は“距離感”のプロフェッショナルなんじゃないかと思う次第です。

今日の向さんのブログを拝読して、そんな一つの光明を見た気がしました。

そんなに距離を取れとお上がいい、それに追随する人達が「距離」を大合唱するのであれば、それを何とか逆手にとった作品を作れないかなと考えています。

例えば、6フィート“180センチ”。欧米の各政府は、人と常にこの距離を保てと宣言しています。

そこで失われるのはご存知の通りハグとかキスとか、彼らにとって何百年も大切にしてきた行為です。

彼らが現状に対して、今まで培ってきた距離感を否定しているって結構、オモロイって思ったわけです。

今まで、何千、何万フィートを求めて、果ては月まで行ったと威張ってきた彼らがです。

1月に京都でやったワークショップで、1コマだけ“距離感”だけでやった回がありました。

何をやったかというと、向さんがブログで記していたのと似てるかも知れませんが、ペアを組んで鼻先一ミリまで近づいてから、お互いにゆっくり後退していく・・・

“不快”が“安心”に変わり“不安”に変わるという距離感を遊んでみました。

あくまで凡例なので、どうなるかは判りませんが、今のこのご時世だからこそ“距離感”に対して観客は敏感になっているのは確かだと思います。

なんとかそれを逆手にとった、5〜10分くらいを二人で、もしかしたら観客の配置も含めて作れないかと思った次第です。

“Just an idea”ですが、思いついて忘れないうちにお伝えしておこうかと思い連絡しております。

長々とすみませんでした!」

むかい「ええでええで、ええアイデアやで。いまはまだ二人でキスをするぐらいしか思いつかんけど・・・客の観る位置というのも遊べそう。

観客も庭に点在するとかな。」

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「湯山も引き続き、このアイデアを深めていったらええな。」Photo: schloss bröllin e.V. / Peter van Heesen.
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2020年04月08日

ルネッサンス

安倍さんの非常事態宣言発令をうけて、娘の高校の入学式が延期になりました。

朝6時からから夜2時まで毎日毎日、必死で勉強してこころの底から入りたいと願っていた高校へと見事合格して、いよいよ入学と思ったらこの事態。

まあでもそんなこともある。そうしてなんとかなるでしょう、大丈夫。

この機会に本をたくさん読んで自分の内側を磨くのもいい。こんな時にしか考えられないこと、たとえば将来にどんなことをやりたいかを考えるのもいいかもしれない。

それは自分も同じ。仕事がすべてキャンセルになっているけれど、このぐらい仕事がないのはいままでにもよくあったこと。

さらに都志へも帰れないような状況ですが、じっくりと自分を見つめていろんなことを考えるいい機会です。

高く飛ぶためには、低くしゃがめ。

これからどう生きていくのか?明確に具体的にイメージしなければ。

ほかの仕事を探すとかの逃げではなく何かで一発当てようとかの反則でもなく、自分を見つめてさらに舞踏へと突っ込んでいく。

思考の翼をどんどん広げ、考えて考えて考え続けた先にかならず未来はひらける。

もっといい加減に、もっと適当に、どうでもいいなんでもいいと放り投げて、これでいいのだと開き直って、柔らかくふにゃふにゃに常識を超えていく。

何でもありの舞踏の魂そのままにこりず、こだわらず自分のやりたいことを考えていけばいいか。

舞踏の可能性を信じ、新たないまのその先へと進むのだ。

ペストの大流行は中世を終わらせルネッサンスを呼び起こしたといわれる。ニュートンは外出できないなか瞑想にふけっていて、閃いて万有引力の法則を思いついた。

俯瞰して見れば、世界が大きな変革期を迎えているのかもしれない。

政治、経済、産業、医療、教育、文化、芸術、etc...etc...いま、ありとあらゆることが現代のルネッサンスの時なのだ。

政治は常識では、はかりしれない事態を乗り越える政策を打ち出す力をつけ

経済は株価が上がれば良いというマネーゲーム的な考え方ではなく、実体経済をどう盛り上げるかのアイデアを試行錯誤し

産業は自国ファーストとかいうことではなく、いまのような非常時に他国に頼らずに自国で自給自足できるように体勢を整え

医療は今回のことの反省を踏まえて、あらゆる事態を想定して体勢をつくりなおし

教育はこのような状態のなかで、どう子どもたちに最高の学びを届けられるのかを考え

文化は新しい飛躍のための思考を繰り返し、芸術は自分を見つめ新しい夢を見続ける

“自粛”がけっして“萎縮”になってしまわないように・・・

糸井重里さんが言うように “考えること、学ぶこと、夢を持つこと” は、禁じられないのです。

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ルネッサンスはラテン語で再生を意味するらしい。
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2020年04月09日

イノチファースト?

緊急事態宣言が発令されて東京では混乱が起こっています。

スーパーでは相変わらず買い占めや買いだめが横行している。思いやりのかけらもない行為なので慎みましょう、ましょう。

実質的には外出自粛が強化された感じで、各会社でのオフィスの閉鎖もすすんでいるようです。

よくお世話になっている折り込み会社のNEXTさんも会社を閉めて折り込みの業務を停止すると連絡があった。公演がないのだものな。

戌井君、奥村君が卒業した文学座も4月、5月の公演の中止を発表。「全公演を中止するのは前代未聞。これ以上つづくと、どこも厳しい。」と企画事業部の白田さんがいうようにたいへんな状態になってきています。

映画館も休館が続々と決定している。素敵な映画館ユーロスペースも休館になった。「このままでは数ヶ月で経営が成り立たなくなる。閉館を検討する同業者もいる。」支配人はそう言い、今後はクラウドファンディングも実施するとか。

歌舞伎も宝塚も落語も漫才もコントもすべての舞台が中止になっている。音楽業界は真っ先に打撃をうけていた。

テレビもピンチのようです。密閉空間を避けろといわれたらスタジオでは撮影できないし、人と会話するななんていわれたらほぼなにもできない。

夜に出歩くなといわれているから東京中の飲み屋がピンチ。フィットネスなんかも休業、飲食店は開いているけれどそもそも人がいない。

補償すると国も都もいっているけれど、国の補償申請は、10枚以上もの書類を詳細に書かされてとても難しいらしい。しかも補償金が支払われるのはだいぶんあとだとか。

給料や家賃、諸経費などは待ったなしなのです。国としては払いたくないからわざと難しくして遅くしてるのではないかと疑いたくなる。

学校も休校がつづいている。とうとう学童も閉鎖になったとか。

ここまでやる必要があるのかと思うけれど、アメリカやイタリアやスペインの状況を遠くながめるとああいう風になる可能性もあるのかと観念するしかない。

観念するけれど、どこか腑に落ちない気持ちもある。なったらなったで仕方ないのではないか・・・

「ひとりひとりのいのちを守るため」とお題目のように口にする。確かにいのちは大事だし大切だしそんなこと当たり前のことだけれど、あまりにもそのせいで大騒ぎしすぎのような気がする。

医療崩壊を怖れると口を揃えるけれど、文化崩壊も教育崩壊も経済の崩壊も同じぐらい怖ろしいのではないのか・・・

人は死ぬもの。

原因はさまざまでありそれがいつくるかは誰にもわからない。明日来るかもしれないし、いま来るかもしれない。10年後かもしれないがわからない。

だからこそ、いまを大切にして生きる。

自分から死へと近づいたり死ぬとわかっていることをするのは愚かだが、死を必要以上に怖れるのはよくないのだと思います。

いのちを守るための自粛だけれど、そのために生きていくことが出来ない人が出てくるのならば本末転倒なのです。

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昨日は今年最大のスーパームーン、月は人間たちの大騒ぎなど関係なく大きく光り輝いていた。

参照:2020年4月8日 朝日新聞 2020年4月8日 毎日新聞
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2020年04月10日

はなまつり

4月8日は仏教の日でした。

なぜ仏教の日なのかと思ったら、お釈迦さまの誕生日なのだな。

キリストの生まれた日は大々的にイベント化しているけれど、お釈迦さまが生まれた日はお寺で祝うだけです。せっかくだから商業と結びつけて盛り上げられたら・・・不謹慎だと怒られるのか。

精進料理を食べる日にするとかどうかな。それだったら信者も怒らないかも。動物性のものを口にしない日が一年に一回ぐらいあってもいいかもしれません。

さて釈迦は紀元前566年〜486年頃、今から約2600年前にルンビニー、いまのネパールで生まれました。

1896年に考古学者のフューラーが、アショーカ王が建てた石柱を発見。その碑文には、ここが釈迦生誕の地であることが記されていたのです。

アショーカ王は釈迦の死後、約100年あとにインド亜大陸をほぼ統一した大王だから確かだな。

生まれてすぐに東西南北に七歩ずつ歩いて、右手で天を、左手で大地を指さして「天上天下唯我独尊」と言ったとか。

そんなわけはないけれど伝説だからいいのです。なぜ七歩かというと六道すなわち地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天上界、この六つの地獄からさらに一歩踏み出すということだそうです。

「人間に生まれた目的は、この六道から出て真の幸福になることである」

天上天下唯我独尊は、おれが一番だぜという意味ではなく“我”というのは、わたしたちということで「ただわたしたち人間にのみ成し得る、たったひとつの尊い目的がある」との教え。

わたしたち人間のいのちに差別はなく、皆、平等に尊いということ。

説教くさい感じになってきましたが、もともと釈迦族の王子さまだったその子どもは、成人して29歳で出家してさまざまな修行をして6年後、煩悩を断ち切り覚醒し悟りをえて仏陀になった。

それから45年の長きにわたってインド中を歩き回って、人々に教えを説いてまわる。

最後はクシナガラの沙羅双樹の樹の下で涅槃のポーズで入滅。享年80歳。

死因は毒キノコ、マジックマッシュルームを食べたことと伝わるから、最後は素敵な幻覚を見ながら亡くなったのかな。

その後、インドでは仏教はヒンズー教に吸収されたが中国に伝わり日本へと渡った。さまざまな分派が進んでさまざまな宗派があらわれたけれど、つまるところの教義はやはりお釈迦さまの教えです。

真言宗徒であるじぶんは毎朝、真言を唱えています。真言には仏の真理が記されています。

仏教はもともと世界平和や人々の健康などを願うものではないですが、そんな気持ちも込めつつ祈ります。

いまはたいへんな時ですが、べつに戦争が起こっているわけではなし。

そうやって考えると平和ではあるのだな。と思ったりするのです。

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「この世のすべては空である。」by Syaka.
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2020年04月11日

filter&echo

“フィルターバブル”というものがあるそうです。

検索エンジンやSNSなどが過去の閲覧データなどをもとにその人の趣味嗜好にあう記事や情報ばかりを選び、自分の見たくない情報は入ってこない現象。

その結果、自分の見たい記事や広告だけがまるで魔法のようにあらわれる。さらに似た考えのユーザーを表示したりするのでつながっていって擬似的なコミュニティーができあがる。

そこから起こるのが“エコーチェンバー”とよばれるもの。

似たかんがえのもの同士が共感しあううちに、意見や思想がより過激で極端にかたよってしまい特定の方向に先鋭化して、多様なかんがえかたを受けいれられなくなる現象。

いまネット世界で繁殖していて社会を分断させる“真犯人”ともくされている。

ネトウヨなんていうのが代表的で、SNSの友だち内での「いいね」というのがその象徴なのか。

実家の両親は政治に対して違うかんがえと思想を持っていて常にお互いで批判をしあう。はたで見ているとヒヤヒヤするが、よくかんがえてみるとあれは正しい民主主義の姿であるのだなあ。と思う。

もしも二人が同じ主義主張をもっていて「いいねいいね」と褒めあい、違うかんがえかたのひとたちを口汚く批判している姿を想像すると気持ち悪くてゾッとする。

右もあれば左もあって、その両翼がないと上手く飛ぶことは出来ないのです。

右だけだと戦中の大日本帝国のように、最後はゼロ戦で戦艦に突っ込むようなことになって滅ぼされてしまう。

左だけでも旧ソビエトのように独裁者が富を独り占めにして、お互いを見張らせて逆らうものは粛清したりするような怖ろしい国家が出来上がってしまう。

中国や北朝鮮はいまだに独裁国家が続いているけれど無理があるので、いつかは崩壊するのでしょう。

そうしてもちろんそのあいだ、中道や中庸と呼ばれる人々もいてこその社会なのです。

検索の自動配信アルゴリズムはその人の関心のありそうな情報ばかりを選んでくるので、冷静な視線が必要で要注意です。

知らないあいだに、どんどん片寄ってくるかんがえかた。

これは創作者の端くれとしても気をつけなくてはいけない。ありとあらゆる世界のことを知って体験していくのが大切だと思います。

Googleで検索して出てくるような情報ではないものを集める。という都築響一さんの言葉にうなずくように、大駱駝艦にいる頃は検索して出てきたらタイトルにするのをやめていた。

鉄割アルバトロスケット主宰で芥川賞候補作家、戌井昭人氏なんてあらゆることを経験してて、吉原の朝の景色なんてのも知っていたりするので感心する。

世界中を旅しているから色んな体験の逸話や様々な失敗談にもこと欠かない。小説執筆時や鉄割の演目創作時に生きてくるそういう経験の数々。

広い視野でものを見て感じていきたい。

そうして違う意見や考え方にも触れて時には対話し耳を傾けたりしたいものです。

と、外へと出られない状況のネットの中で考えてみました。

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こちらタバコの“エコー” 安いので懐がさびしい時によく吸っていた。ちなみにタバコのフィルターはプラスチックでバラバラになって海へとながれる。

参照:2020年2月28日 毎日新聞『論点』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 09:31| ブログ?

2020年04月12日

新しく聞く、春

春の新聞週間がはじまっています。

4月6日から今日12日までです。ここのところ、コロナ一色の新聞紙面・・・

この『ブログ?』を記すようになってから新聞を毎日、読むようになりました。新聞を読まないと気持ち悪いというか損をしたような気持ちになったりします。

自分の好きな情報ばかりが出てくるし選んでしまうネットの情報とちがって新聞の情報は、まったく知らない世界のものもあったりするので、へえと驚きがあって興味が尽きません。

そうして、さすがはことばのプロたちが寄ってたかってつくるもの、とてもおもしろいです。ジーンと感動させられることもしばしば。

読み捨ててしまうには惜しいような気合いの入った記事や名文が毎日毎日、のっているので切り取ってファイルしています。

今後『ブログ?』に記すときの参考にしようという魂胆もあったりします。

一度ブログ?に記したものは、これからも追いかけていこうという気持ちもあります。そんな記事の数々も見つけては切り取って収集。

なるべく偏りがないようにしたいので、ひとつの新聞だけ読むということは避けています。しかし何誌も読むというのは欲張りなのでやらないように自制。

情報は多ければ多いほどいいものに巡り合えるかといえば、そんなこともないのです。

情報との出会いは一期一会、一瞬の立ち読みで貴重な情報に出会うこともあるし素敵なことばに出会うこともある。

よく読むのは朝日新聞で、そのつぎは毎日新聞です。

朝日は公平な立場はとりつつ、反政権的な見方で論調が少し過激なときがあります。毎日はもちろん公平で論調は比較的穏やか、でもたまにもの足りなかったりする。

反政権的な姿勢をつらぬく東京新聞もたまに読みます。

より公平を期したいときは政権よりの読売新聞や、もっと偏っている産経新聞も読みます。しかし芸術家として舞踏家として反体制派でありたいと思うので、御用新聞はすすんでは読まないです。

でもたまに読むと「へえ、この人は政権寄りなのか」とか発見があったりします。そうして当たり前だけれど「真剣につくっているのだな」と感心したりして偏見を反省。

新聞は白塗りを塗るときや金粉を塗るときの養生としても役に立ってくれるので、捨てずに置いておきます。

そんな古い新聞をたまに読んだりすると「あの頃はこんな騒ぎになるとは思わなかったなあ」とタイムスリップしたような気持ちになったりして面白いです。

紙に印刷された活字を読むという行為はいまや時代遅れ、新聞も売れなくなっているとか。

しかし新聞というメディアは当分はなくならないでしょう。

時代から遅れれば遅れるほどよしとするようなところも舞踏にはあるので、これからも新聞を読んでいこうと思うのでした。

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サイズがでかすぎるのが難点。開くと両手いっぱいになってしまう、半分のサイズにしたらどうかなとずーっと思っている。時代に合わせて変化していくことも大切。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 10:13| ブログ?

2020年04月13日

花も実もある絵空事

志村けんさんが亡くなって、志村ロスともいうような現象が起こっています。

亡くなったら急に持ち上げ出すのは世の常ですが、色んな雑誌や新聞記事を読んであらためて志村さんの人柄を知りました。

とにかく優しい方だったようです。繊細で気遣いが凄まじい。

笑いに執念を燃やして何時間も会議で黙って考えていたとかいうのを知ると「へえ」と驚くが、自分に置き換えると「まあ、当たり前か」と思った。

30歳ぐらいの頃に笑いに行き詰まって、ガス自殺をしようとして失敗したという逸話も週刊誌にのっていた。

ドリフターズでは荒井注さんが好きだったので、替わりに入った志村さんのことをあんまり好きになれなかった。加藤茶さんも好きだったので、志村さんが活躍しはじめてからドリフは観なくなってしまった。

なぜ好きになれなかったのかこの機会に考えてみましたが、笑いながら舞台に立っているのが子どもごころに嫌だったのだな。

回顧番組でお猿さんのパン君との絡みを観たけど、お猿さんってのは本当におもしろい。動物や子どもを使うのはずるいけど、舞踏家としてはずるいと思われるような存在にならないといけないとあらためて思ったのでした。

4月3日、C・W・ニコルさんが亡くなられました。

小説は読んだことがないので、この機会に読んでみよう。環境保護活動の先駆者ともいうべき方で、日本人よりも日本の自然を愛していらっしゃった。

戌井君がラジオのニコルさんの番組を愛聴してたみたいで、鉄割の舞台で一度流していた。言い回しが独特で素敵に面白かった。

「きのうも きょうも あすも 旅」

4月10日、大林宣彦さんが亡くなられました。

テレビのコマーシャル制作から映画へと移っての第一作目『HOUSE』は映画制作のシステムを変える斬新なつくりかたをしたとか。それまでの縦割りの閉鎖的な映画界の常識を破ったのだな。

それ以来、自分のことは映画監督とは呼ばず映像作家と言い続けていたそうです。

尾道3部作はすべては観ていないのでこの機会に観てみよう。兄弟子の村松卓矢が好きで作品創りのときによく話しを出してきていた。

最後まで映画制作への情熱は衰えず、亡くなる前にクランクアップした遺作が上映される予定だったが延期になってしまった。騒ぎが収まったら観にいこう・・・いつ収まるのか。

そうして舞踏家集団デュ社副代表、湯山大一郎のお父さま、湯山哲守さんが亡くなられました。

昨日、4月12日の17時43分でした。

けっこう前から癌と闘ってらっしゃったようで、だいぶん弱ってきているとは聞いてたのですが・・・

じぶんは2年前の京都での金粉ショウのときにお会いして挨拶できたので良かった。

パリ在住の娘さん、湯山のお姉さんのことをこの騒ぎで最後まで気にかけていらっしゃったが、お姉さんはなんとか帰国して臨終に間に合いその3時間後に亡くなられたとか。安心したのかな。

騒ぎが収まったらお別れ会を開くそうです。

合掌。

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亡くなった人は「もうこの世にいない」のではない。わたしたちは「ふり返ればいつでも彼らがいる世界」に生きているのだ。by Genichiro Takahashi.
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 12:39| ブログ?

2020年04月14日

夢じゃない

風呂から出たら兄貴が冷蔵庫から袋を取り出してなにか言っている。

食べたのを非難していて父親も怒っている。

もろみが入っていてスイカも入っているのに食べるわけがない。と憤慨する。反論しようとするけれどうまく喋れない。大声で怒鳴ったら「そんなわけないやろ」とじっさいに口にしていて目が覚めた。

アウトドアショップとカフェが一緒になったしゃれたお店に湯山とあと2人がいる。店内は総ガラス張りでかっこがいい。

タテ長の店内をとおってトイレへいくと、そこも総ガラス張りで外から丸見えで歩いている人たちが見える。トイレから戻ったらもう1人がチャイを出してくれる。美味いなあ。

なぜか覚えておこうと思う。

村松君や菊池君たちと稽古場にいる。

みんなはいつの間にかどこかへいってしまい1人で取り残されて淋しい。仕方なしに女性陣の手伝いをする。金物のでかい道具を机の上に置いたら傷がついてしまった。

小沢さんがやってきてその元気さに励まされる。

タラちゃんや大駱駝艦の面々が稽古場で飲んでいる。

戸をあけて隣へいくと稽古場で子どもたちが出しものの練習をしていた。カラフルな衣裳をつけてクルクルと器用に廻っている。揃っていて面白い。

部屋で横になっている。隣にボクシングの井上尚弥選手がいて話しをしている。ほかの選手の噂話しを聞く。

宝塚の祖母の家にいる。皆んなで座って話しをしてる。

自分が何かノートを見ながら喋ったら祖母が傷ついたようで、気まずい雰囲気になる。言い訳しようとノートを見たらどこを読んだかわからなくなって探すけれどわからない。

他のノートかと思い必死で探すけれど見つからない。仕方がないので祖母に謝ろうと部屋へと戻る。

奥村君の家で遊んでいる。だだっ広いリビングがあって、トイレへいったら奥にベッドルームがあって変わったつくり。

半野外のようなベンチのある休憩所にいたら、トルコ人が同じマンションに住んでいるようで遊びにくる。パーティーでもやっているのか、入れ替わり立ち替わりやってきて話しかけてくる。

皆さん気さくで明るい。

天狗のいる高い足場にいる。

天狗の面のかけらをお土産にしようと片手に持っているので高所なのに危なかっしい。一度落ちかけてヒヤッとする。危ないのでその天狗の面のかけらは捨ててしまう。天狗たちは軽々と移動している。

都志の祖母の家にいる。古いトイレへと入ったら照子さんと祖母が外を歩いていくのが窓から見えた。トイレは汲み取り式で、ちいさなウジ虫がぴょんぴょん飛び跳ねている。

かまわずに用を足したらズボンにカマキリやでかい幼虫がくっついて、払うけれどなかなか取れない。

鍵を閉めてうんこをしようとしたら目が覚めた。

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最近は目が覚めると、この現実が夢ではなかったことに茫然とする。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 13:58| ブログ?

2020年04月15日

奇跡の人類

昨日は、娘の誕生日でした。

16歳になりました。あと4年で一緒にお酒が飲めるのか・・・あっという間だな。

生まれたのは夜中、じぶんは病院で出産に立ち会いました。

立ち会ったけれど、この世に出てくる瞬間は反対側にいて見ることができなかった。少し残念。回り込むのは憚れるような切迫した雰囲気があった。

産まれ出てきて持ち上げられたのは、紫色の物体でした。

産道を無呼吸で通って出てくるので酸欠状態なのです。子宮にいるときはどういう風に呼吸しているのだろう。

羊水の中にいるということは、えら呼吸か?へその緒から酸素が送られてくるのだろうか。

調べたら、胎盤から直接に心臓と脳に酸素が送られてくるそうです。肺はまだ使っていないのだとか。

肺は、水がひたひたに染み込んだスポンジみたいな状態・・・

陣痛のストレスで赤ん坊は肺呼吸の準備に入る。狭い産道を通ることで肺から水分が出ていく。

そして産まれた瞬間に水を吐き出して息を吸う。そうしたら紫色だった顔が一気に真っ赤になる。これは実際に見ましたが、劇的だった。

『阿吽』の“阿”は吐く息で“吽”は吸う息。

密教の真言で宇宙のはじまりと万物の根源をあらわす阿。宇宙が最終的に具現する智徳と到達する涅槃をあらわす吽。

人間も最初は息を吐くのだな。吐いて吸って泣いてはじまる。

最期は息を引きとるというけれど吸って終わる。ほんとうかな・・・

2004年4月14日1:28「けほけほ」と「おみゃーおみゃー」子猫みたいな鳴き声をあげて無事に誕生。

下の階で待つ、妻のお父さんとお母さんに報告にいったのを覚えている。なんだかふわふわとして足が地についていないような不思議な感じだった。

妻に聞いたところによると、産まれてからすぐ3時間おきに母乳を与えてたとか。

助産婦さんが赤ん坊を連れてくるのだけど「そんなにすぐ母乳なんか出るか?」と思ってたら、すぐに乳が張りだしてかちかちになってめっちゃ痛くなったとか。

人間のからだってのは、ほんとうに不思議。

だいたい人類の何億年もかけておこなった進化を、胎児は十月十日でやってしまう。これまた不思議です。

さらに着床に至るまでも凄まじいドラマがある。

人がひととして生まれてくる確率はほぼ奇跡、400兆分の1とか年末ジャンボで1等に当たるよりも200億倍難しいとかいろいろと言われています。

箱の中に壊れた時計をいれて振ったらもとに戻っている確率・・・

この世に生まれたというだけでたいへんなことなのです。そんで何もしなくてもそのままで既にとんでもない作品なのです。そう舞踏では言います。

そんな奇跡に遭遇した日なのでした。

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こんな時ですが、いやこんな時だからこそできる限りでお祝いをした。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 09:24| ブログ?

2020年04月16日

フィクションのようなノンフィクションのような

ドアをあけて町へとでた。

大きくひとつ深呼吸、きょうも空気が美味しい。空気を思う存分吸えるというのは素晴らしいことである。

自転車にのり、ゆっくりと漕ぎ出す。春の陽気は桜の並木とともに気持ちをウキウキとさせてくれる。叫び出したくなるような爽快な気分だ。

町がキラキラと輝いてみえる。すれ違う人たちもウキウキとスキップしているように歩いている。さてどこへいこうか・・・

こんな日は公園へいくのがいいか。

道の両側にならぶ店にたまに入りながら公園へと向かう。CDショップでグレイトフルデッドのライブ盤を購入、サイケデリックな本屋でタロットカードを購入する。

店の前ではストリートミュージシャンが演奏をしているのでしばし聞き入る。UFO型のスティールパンの音が心地いい。投げ銭を入れて公園へと向かう。

なだらかな坂の頂上に公園はある。公園脇のスペースに自転車を止めて右側の門から公園へと入っていく。公園へ入ると1人の黒人が立っていてご用はないかと聞いてくる。

なにかいいものはあるかと尋ねると「こんなのはどうだい」と素晴らしく輝いている卵を渡してくれる。「魔法の卵だ。」

振ると信じられないようないい音色を奏でてくれて、夢みごこちになったので購入する。

その卵をもって公園をぶらぶらと歩いていると、太鼓を叩いている若者が二人いたのでベンチに座って演奏を聴く。卵を耳元でたまに振って目をつぶる。

素敵なセッションを続ける、黒人と白人のふたりは知り合いではないようだった。

遠ざかっていく演奏を聴きながら公園のなかを散歩する。公園をあてもなくブラブラしているとそろそろ午後か。

そのまま歩いてゆるやかな坂をおりて左側の門から今度は出ようとする。みんなに引き止められるがうしろ髪を引かれながら公園を出る。

公園を抜けたところにある川のほとりをのんびりと歩いていって、トンネルを抜けた先にあるゲストハウスにチェックイン、泊まることにする。

ひげ面の親父に案内されて部屋をめぐる。

石づくりのゲストハウス内はひんやりとしていて涼しい。窓がたくさんあるので内部は意外に明るかった。半地下のような部屋が安かったのでそこに泊まることにする。

鉄格子のはまった窓からは隣の家の子どもたちが太陽のなかで遊ぶ姿が見えていた。

部屋の壁にはインドの神さま、ガネーシャのポスターが一枚貼ってあってこちらを見下ろしていた。トイレは外から鍵をしめるようになっていて、その意味をよく考えていたら恐ろしくなった。

ひまなので部屋をでて石づくりの階段を上がっていくとゲストハウスの屋上はカフェになっていて、高い山が見えた。

山を眺めながらミントティーを一杯。そのあと外へとでて川べりでぼんやりしていたらおじさんがやってきてクッキーを買わないかと言う。

一袋買ってゲストハウスへと戻る。

ゲストハウスに戻ったら屋上でライブをやっていて、幻想的なシタールの音が春の夜の闇に吸い込まれていった。

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4月1日に嘘を記そうとしたけれど、むずかしくてそのままになっていたものを、フィクションのようなノンフィクションのような文章にしてみた。今年はエイプリルフールも自粛だった。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 11:22| ブログ?

2020年04月17日

免疫ってなんだろう

免疫は、細菌やウイルスから、からだを守ってくれている防御システム。

人のからだはウイルスなど、からだの成分と異なるものが侵入してくると、リンパ球や抗体の働きでこれを排除する。

異物を排除したあともからだはその異物を記憶していて、ふたたび同じものが入ってくるとすぐこれを排除する働きがでてくる。

このために多くの感染症は一度かかると二度同じ病気にかからなくなったり、かかっても二度目は軽くてすむようになる。

「わたしは、一度おたふくかぜにかかっているから大丈夫。」「ぼくは、今年はインフルエンザにかかって治ったからかからない。」というやつだな。

いっぽうワクチンは、抗体をつくるために必要な成分のみを、ウイルスからとりだしてつくられたもの。毒をもって毒を制する。

ワクチンを接種することでからだが反応する“免疫反応”によって抗体がつくられる。

ワクチン接種を受けることによっても、より早くより強く抗体がウイルスを攻撃できる態勢がつくられるため、ウイルスの増殖をより強く抑えられる。

ただ、ワクチンを開発することができるのはウイルスが発生してから。そして最低でも6ヶ月かかるのだそうです。

「ワクチンがつくられるか、人口の60%から70%が感染して集団免疫を獲得するまでこの流行は収まらないかもしれない。」

拡がるだけ拡がるか、ワクチンが開発されるか。終息するにはどちらかしかない。

どうやらそんな意見が多勢をしめてきているようなので、どういうことなのか調べてみました。

世界中で78件のワクチン研究開発プロジェクトが進行中で、その中の5件は臨床研究の段階に入っているそうです。けれどもどんなにうまくいってもあと1年はかかるとか。

jonson&jonsonが新型ウィルスのワクチン開発に成功しそうだとニュースでやっていたけれど、はやくて来年だと言っていた。

実用化されるまでに臨床実験を繰り返して、さらに副作用という怖ろしさもある。あんまりワクチンに期待はできないのか。

風邪の原因になる従来のウィルスは暖かくなると減っていくという。同じように新型も減っていくといいなあ・・・

そう思っていたら専門家が「このウィルスは暖かくなっても完全になくならない可能性が高く、ながい闘いになる。」と言っていて、がっくり。

常夏の国、シンガポールなどでも感染が増えているそうです。

今回の5月6日までの非常事態宣言によって、あと6週間で終息にむかうとか誰かが言っていたけれど、残念ながらその気配はまったく感じられない。

冗談ではなく、この状態が今年いっぱい続くことを本気で覚悟しなければならないようです。

明けない夜はない。そして夜明け前がいちばん暗い・・・

まだまだもっと暗くなるぞ、覚悟。

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免疫細胞の代表“マクロファージ” 「とにかく手洗いが重要だファージ」

参照・引用:福井県感染症情報 / インフルエンザNAV / 2020年4月1日 4月2日 4月10日 4月14日 朝日新聞 / 東京医科歯科大学HP / 2020年4月6日 読売新聞 / 2020年4月9日 4月12日 毎日新聞 / 中外製薬HP / 高山義浩、本田美和子対談「新型インフルエンザについて教えてください」ほぼ日刊イトイ新聞 / 2020年4月17日『今日のダーリン』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 11:33| ブログ?

2020年04月18日

くるまよりひとでしょ

痛ましい大津の事故からもうすぐ1年、池袋暴走事故からも1年・・・

子どもが危険にさらされている散歩コースなどが東京23区だけで、1万6249カ所もあったのだとか。

国はスクールゾーンと同様の保育園施設の周辺でのキッズゾーンの設置を促しているけれど、7割近い自治体が言い訳をして検討さえしていない。

そうして運転マナーは相変わらずのようで、強引な右折もなくならない。

あおり運転の罰則は強化されたみたいですが、まだまだなくなっていない。「急いでいる時は車には乗らない方がいいです。」そう東洋が言っていた。

東京では人間よりも車が最優先です。

「車を運転しているときに横断歩道を渡ろうとしているひとがいますが、停車するべきか・・・」交通ルールでは「停車する」が正解。

しかし東京にいて横断歩道で車が止まるなんて、まずありえない。

たまに止まってくれたりしたら挨拶してから、珍しいので「どんなかただろう」と顔が見たくなります。

これは地域によって違うみたいで、長野県では横断歩道にひとがいたら止まるのが常識で停車する運転手が68.6%。100年かけておこなっている教育の賜物だそうです。子どもの頃からそういう教育をしている。

東京で停車する運転手は5.8%で1割以下。

東京では子どもたちに「車の往来がなくなるのを待ってから横断歩道を渡りましょう」と教える。

そんな教育を受けていたら大人になって車を運転するときに、ひとがいたら向こうが止まるべきと思うのは当たり前です。

大人たちがつくり出してしまった車優先の社会。

ヨーロッパでも違っていて、運転中に横断歩道では歩行者を優先する傾向が強かったのはフランス、スウェーデン、ドイツ・・・

ドイツのハノーバー市の中心部には、車が入り込めない人間優先区域がつくられているとか。そこでは皆んなが安心して買い物や散歩を楽しむ。

1990年代に車社会化が一気に進んだ。

郊外にアメリカ型の巨大モールができ皆んなが車でそこへと大挙して行くようになり、地元の商店街は閉店が相次ぎとうとうシャッター街になってしまった。

歩いて買い物に行ける店はどんどんなくなり、高齢化社会化したいまはそのつけが回ってきている。いま帰りたくても帰れない、淡路島の洲本も都志も同じ状態です。

車優先は高度経済成長時代だったからこそで、低成長で人口が減少しているいまは違ってきている。速く早くと先を急いだ時代が終わりを告げて、ゆっくりと人間を最優先する時代の幕開け。

車優先の社会を見直す大きな転換期にきているのです。人間優先の社会とはひとが安心して歩くことができる社会・・・あまりにも車優先が当たり前になって想像できない。

けれども子どもは人類の未来。流通のスピードよりも掛けがえがない最優先で守るべきいのち。

それだけは確かです。

そう自転車をこよなく愛する舞踏家は思うのでした。

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くるまか・・・スピードが速すぎるのだ。そして馬力が強すぎる。目指すは、もっと遅く、もっと弱く。

参照:2020年2月11日 朝日新聞 2020年2月12日 毎日新聞
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 10:39| ブログ?

2020年04月19日

いのちをまもる交通社会に

2019年4月19日、午後2時ごろ。

千葉県の会社で働いていた松永拓也さんの携帯電話に着信があった。それは見知らぬ番号だった。

不審に思いながら電話にでると相手は警察だと名乗った。

「落ち着いて聞いてください・・・奥さんと娘さんが事故にあいました。」電話のあいては、いま喋っていることが大したことではないとでもいうようにいやに冷静だった。

妻の真菜さん(当時31歳)と娘の莉子ちゃん(当時3歳)とは昼休みにテレビ電話で話したばかりだった。ふたりは自宅から池袋の公園へと遊びにいっていた。

いつも真菜さんのそばを離れようとせず、母親のじゃまをする莉子ちゃんの愛らしい姿が目に焼き付いていた。

「命はあるんですか、生きてるんですか!」松永さんは必死でたずねたが電話の相手は「危ない状態です。とにかく来てください」と詳しいことをいわず、ただ繰り返すばかりだった。

ただならぬ雰囲気を心配した上司につきそわれて会社を出て駅で電車を待った。

電車に飛び乗りスマホをひらくとネットニュースの見出しが目に飛び込んできた。

“池袋にて車が暴走。12人が重軽傷”  “親子とみられる女性と女児が心肺停止”

ひざがガクガクとふるえて背筋に汗が吹き出てきた。立っていられずにその場に座り込んでしまった。

「嘘だろう・・・いやいやそんなわけはない、ひと違いだ」

スマホを閉じると、なんどもなんども首を振りながら目をかたくつぶって祈りつづけた。「どうか無事であってくれ・・・」

病院へいくとふたりとも亡くなったと告げられた。

即死であったという。夢ではなかった。その場に崩れ落ちると号泣した・・・

落ち着いてから松永さんは、妻と子どもが安置されている病院の一室へと向かった。そしてベッドの上に寝かされているふたりと対面した。

傷だらけの真菜さんと、顔に布をかぶせられた莉子ちゃんが横になっていた。

莉子ちゃんの顔にかぶせられた布を取ろうとすると「見ないほうがいいです」と看護師に止められた。

真菜さんと出会ったのは2013年の6月、沖縄。一目惚れだった。

2016年1月11日、莉子ちゃんが誕生。幸せの絶頂のなかでの突然の暗転だった。

事故のあと1ヶ月ほど休職した松永さんは何をしていいかわからずに、気がついたら事故現場近くの公園のベンチに何時間も座っていた。「死んだほうがましだ」

生きる目的を失ったのだ。ふたりはすべてだった。いつも3人だった。

この先何をして生きていけばいいのか。この先何をすべきなのだろう、どうやって生きていけばいいのだろう・・・

事故を起こした運転手を恨み憎み、考えは堂々巡りを続けた。

しかし憎しみは被告を思うことに時間をつかっている。そんなことよりふたりへの愛と感謝でこころを満たしたいとの考えに至ったという。

松永さんは2020年4月16日に実名を公表し、ふたりの死をむだにはしたくないとの思いから「誰にもこんな思いをさせたくない」と事故防止のための活動をつづけておられます。

今日で事故から1年、合掌。

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松永さんは写真と動画も公開されている。事故の半年ほど前に撮影された写真。「みんながいつもの自然な笑顔で、1番好きな写真」

参照・引用:2020年3月15日 毎日新聞『ストーリー』取材:山本有紀 / 2020年4月16日 朝日新聞デジタル
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 07:51| ブログ?

2020年04月20日

遺言?

まもなくこの『ブログ?』をはじめて2年になります。

2018年4月22日、51歳の誕生日に「50歳は新しいことをはじめるのにいいとき」という糸井重里さんの言葉に触発されて開始。

毎日続けるのは日課のようでもあり修行のようでもあり、愉しみでもあったりする。

最初の頃は文章は短かったです。だんだん楽しくなってきて長くなってきたけれど、だいたい1,000文字ぐらいに落ち着きました。

タイトルは『ブログ?』で、なりわいにしようとずーっと悪戦苦闘している舞踏というものの魂そのままに疑問符が入っています。

“舞踏?”であり“命ファースト?”であり“ブログ?”です。

「ブログというのは人に見せることを前提としているので、日記というよりはエッセイに近いのではないか?」とかとか日々考えています

最近までは文章と写真をメインにして記していました。

文章は生活していて思ったこと考えたことをメインにしつつ、新聞に取材したことも記したりします。その他、気になったことや皆んなに知らせたいなと思ったことなども記載。

東京都現代美術館での皆川明さんの展覧会へといってそのイラストの数々にこころをうごかされて以来、イラストをもっと入れていこうと思い実行しています。

もともと子どもの頃から絵は大好きだったが、小学5年の時に先生に酷評されて嫌いになってしまった。

けれども高校を卒業するあたりから自分にはなにが向いているかと考えた時に、やはり美術かと思いそちらのほうへと進んだのだった。

その後、いまはなきセツモードセミナーへといったりして本気で絵のプロを目指したりしていた。

結局、26歳のときに大駱駝艦に出会って絵はきっぱりとあきらめて、すべてを捨てて舞踏への道に進んだのでした。

けれども舞踏の精神は「なんでもあり、これでいいのだ」こだわらず決めつけず、ブログでも絵でもなんでも面白そうなことはやってみればいいのです。

2019年、フェイスブックから脱会しインスタグラムもやめツイッターもやめたいま、ネット上での活動はこのブログにしぼっています。

だいたい毎日100人弱のかたが訪れてくれています。ありがたいことです。

人との接触を自粛せざるをえない、こんな時期でもネットでの発信は続けられる・・・

続けられるけれど、いつやめてもいいとも思っています。この状態が年内まで続くというので年内は中止しようかと思ったり、こんな時だからこそ続けるかと思ったり日々揺れうごいています。

舞台はかたちが残らないけれど、ブログはネットというものが存在する限りはのこる。

そういう意味ではこの『ブログ?』が死んだら、自分の遺作というか遺言のようになるかもしれないと思ったりするのでした。

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2年か・・・それがどうした・・・べつに。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 11:25| ブログ?

2020年04月21日

ブログ?

文章を書くのは、子どもの頃から得意です。作文はよく先生に褒められていました。

日記は、1990年ぐらいから書いています。約30年。

若い頃にデザイナーをやっていたのでセンスには自信があります。大駱駝艦でもデザインをばんばんやっていたので、PhotoshopとIllustratorも駆使できます。

この『ブログ?』の写真は、すべてPhotoshopで加工しています。コントラストを強くして彩度を上げたりしています。

色あせた話題や事柄のときは、多少の悪意をこめてコントラストを下げて彩度を落としたりもします。

最近アップしているイラストもコントラストを上げて彩度を上げたり、色をつけたり加工をしています。

ウェブサイトの立ち上げは、妻にやってもらいました。Webの仕事をしているので心強くて頼もしいです。

最初の立ち上げはやってもらいましたが、いまは自分自身でやっています。HTMLのソースを直したりします。

ウェブというのはHTMLという下記のような構文でできているのです。

<div><span style="font-size: 11pt;">文字を大きくしたり小さくしたりもソースコードでやります。</span></div>

でこんなことができる不思議でもあんまりやりすぎるとです

こういうのも塩梅なのだと思います。

ソースがわかるのは、大駱駝艦時代にウェブサイトをつくっていたからです。勝手に立ち上げて毎日しこしことやっていました。むかし取った杵柄。

この『ブログ?』には広告を入れていません。他人のブログを見ると広告がうるさく感じられます。

それが嫌なので、一切広告が入らないように気をつけています。スポンサーをつけないので、じぶんでお金を払ってつくっています。けれどたいした額ではない。

フェイスブックと連動して“いいね”ボタンとか“コメント”とかもやっていたけれど、なんだかうまくいかないので一切やめたらスッキリ。

いま発表の場は、この『ブログ?』ひとつ。

文章と絵と写真とソースとで構成されるウェブログという“媒体・メディア”。

この世界にはさまざまなメディアがあります。

新聞 本 ラジオ テレビ 映画、そしてインターネット・・・

もちろん肉体というメディアもあります。

肉体をつかっての表現は、たいへんです。たいへんだけれど全存在をかけて他者とかかわる芸術なので、面白さはとてつもない。けれども仕事がなかったり食べることが難しかったりする。

そうして、いまのこんな非常事態のさいには真っ先に影響を受けてしまう。

運や縁もあるのだろうけれど、いまのこの現状のなか『ブログ?』がじぶんのベストメディアなのかと思ったりするのでした。

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鉛筆で絵を描いて、それをスキャンして・・・

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フォトショップで彩色、微調整して完成。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 10:20| ブログ?

2020年04月22日

Happy birthday to me

今日で『ブログ?』は2周年です。

生まれたのは1967年4月22日で53歳になりました。何時に生まれたかはわかりません。

「ありがとうございます。感謝しています。ごめんなさい、許してください、I love you.」

 “50歳は新しいことをはじめるのにいい”ということで、2年前にこの『ブログ?』を開始、文章と絵と写真で毎日更新を続けています。

いまはほんとうに世界中がたいへんな激動の時です。

ブログも中止するのかやめるのかこんな時だからこそ続けるのか、日々揺れうごいています。

先がぜんぜん見えずに、とうとう夏のイベントも中止が決まりはじめています。8月12日から15日の阿波踊りの全日程の中止が発表されました。

今年の1月あたまに高野山でおこなわれる5月のイベントが中止だと知って「そんなことがあるか」と思っていたけれどまったく大げさではなかったものな。

8月の鉄割アルバトロスケット公演も中止か。都志での合宿もこのままでは中止だな。

やはりこのどうしようもない状態が年内、続くのか・・・

「はぁ」不要などといわれ、日々ため息をつき絶望感に目の前が真っ暗になりそうになります。この世界に必要ないといわれる存在のつらさを身に沁みて感じています。

けれど、けっして負けない、けっして止めない、けっして諦めない・・・

いや、舞踏の精神からいえば、負けてもいい、止めてもいい、諦めてもいい。けれども、そこからはじまる何かが必ずやあるのです。

「もう駄目だ・・・いや、まだ駄目があるじゃないか」

世間の常識からもっと離れて、遅くてもいいし弱くてもいいじゃないか。役に立たなくてもいいし何もしなくてもいいし要らなくてもいいじゃないか。

まだ頑張ろうとしている。もっと放り投げてもっと適当にもっといい加減に「どうでもいい、なんでもいい、これでいいのだ」

「どうせ不要ですよ。それがなにか?」と開き直れ。

そして笑いのこともお忘れなく。どんなどん底のなかからでも笑い続けろ。

牙を毎日ぴんぴんに研ぎ澄まし、こころを磨き込み柔らかく自由に魂を遊ばせ続けて、新しい作品を生み出すために日々、思考の翼をひろげます。

からだも鍛えて研ぎ澄まし、必要としてくれる人々の前でいつでもおどり出せるように準備を粛々と進めていきたいと・・・最近、じょじょに腹が出てきていますが、思います。

そうして「なぜ踊るのか?踊りとはなにか?」と問い続けながら「ほんとうか?ほんとうにそうなのか?」とこの世界のことも疑いの眼差しで見つめ続けます。

今後とも、 向雲太郎、湯山大一郎、中島加奈子、舞踏家集団“デュ社”を、そしてこの『ブログ?』を何卒よろしくお願い致します。

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今日の日めくりカレンダー。
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2020年04月23日

あなた

53歳の1日目です。頑張って頑張らないのだ。

さて来月にも10万円支給が開始されるらしいけれど、結局はあとで税金として取り返されるのだな。

要するに無利子で国が10万円を貸しているようなものなのか。国に無利子で借金をしている。いや余計に搾り取られる可能性もあるから利子は支払うのか。

そんでもって子どもたちは、夏休みがなくなることがほぼ決定のようです。

不憫だな。けれどそうやって考えると、さきに夏休みがきたと思ってぞんぶんにこころとからだを遊ばせればいい・・・

残念ながら、ぞんぶんには遊べない。友達とも大っぴらに遊べないし一緒にどこへもいけないし、児童館も図書館も閉まってるしなあ。

インターネットゲームなら友達と遊べるのか。

中学1年の甥っ子が友達とのゲームにはまっているけれど、彼にとっていまはもう最高の状態だろうな。学校も休みだし一日中、インターネットゲームで友達と遊べる。

もともと勉強なんて好きではないし、課題はでているだろうけれど適当にサボってゲームに熱中。

母親は怒るけれどぬかに釘、のれんに腕押しぶたの耳に念仏、聞く耳をまったくもってなくて完全に無視。

母親は激怒して対抗策としてインターネットを切ったりするけれど、パスワードをハッカー並の知恵で突破してゲーム続行。

母親はあきれてあきらめる・・・

まあ、ほんとうに夏休みが来てると思って多めに見てやりましょう。

うちの娘は学校からの課題をこなしつつ計画を立てて机に向かっています。そうして受験時代のテレビ視聴の自粛と読書の自粛を取り戻すように、ぞんぶんにテレビを観て読書にふけっています。

彼女の読み終わった本をつぎは自分が読みます。

『あなたが消えた夜に』を読了。

通り魔殺人のミステリーで、人間の不幸がこれでもかと描かれる。幼児虐待に性的虐待、近親相姦に裏切りに放火、洗脳、猟奇殺人、ありとあらゆる人間の狂気が連綿とつづく。

愛と憎しみと絶望のドロドロが連続殺人へとつながっていく。

そんなかなしい人間の姿をあなたは見ているのか。

あなたに助けを求め続けたのに、あなたはなぜ何もしないのか。あなたはよそ見をしているのか。この何千年とよそ見をし続けているのか。あなたはなぜ答えないのか・・・

読んでいる途中にこれを娘が読んだのかと心配になった。R-15にしたほうがいいのではないのかと思ったけれど、もう15歳は過ぎているな。

人間の性という偉大だけれど、厄介でもあるもの。あらゆる事件の根底に潜む性的なもの。

自分は早熟で子どもの頃から性に目覚めて悩み続けた。何も知らないしわからない頃から罪悪感に苦しんでいた。いまは面白おかしく笑い話しにしています。

小説は最後に小さな希望が灯されて終わったのでほっとした。

それにしても作者の中村文則さん、凄まじい才能です。グイグイと引き込まれて最後まで読み切ってしまった。脱帽。

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神をつくりだしたのもまた、人間なのか。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 09:25| ブログ?

2020年04月24日

デュシャドットインフォ

昨日は新月でした。

新月は新しいことをはじめるのにいいときというので、新しくドメインを取得して舞踏家集団デュ社のホームページをつくりはじめました。

ドメインとはホームページの住所ですね、アドレス。いままでのアドレスは“duexshrine.com”、新しいアドレスは“dyusha.info”です。

あたらしいホームページはまだ制作中なので、完成するまではふたつのアドレスで並行してやっていきます。

『ブログ?』とおなじで最初の立ち上げと基礎づくりは、妻にやってもらいました。ありがたいことです。

ホームページ制作は専門職なので外注したらけっこう高額なお金をとられます。

しかも更新をするのにいちいち連絡をとって情報を揃えてメールで送って、できたものをチェックして気になるところはまた連絡して直してもらって、それを情報を更新するたびにやらなければならない・・・

そのすべての作業に高額料金が発生する。それが仕事というものですが、予算がないに等しいのでじぶんでやるのです。これからあとは自らで更新して充実させていきます。

ホームページはグループのいわば顔のようなもの。お客さんにとっては窓口でもある。活動の内容を知らせるのにも役立つ。

われわれのように営業がいるわけではないグループにとっては唯一の世界との接点で生命線みたいなもの、非常にたいせつなのです。

いままでのホームページはスマホに対応していなかったので、スマホで閲覧すると文字が小さくなって見ずらかった。他のホームページをスマホでみて文字が小さいと読む気をなくしてしまうものな。

それをスマホ対応にして改善。

三本線をタッチするとメニューが出てくる“ハンバーガーメニュー”というのもやりたかったけれど、妻に聞いたらけっこう難しいらしくてずーっと難航していた。

いままでのアドレスではできなかったのが、新しいアドレスではそれが可能になりました。

そうしてこのたびホームページに導入することに成功。

これからページをどんどんつくって追加して分厚く奥深くしていきます。いままでなかった英語のページも追加して未来の海外での仕事にもつなげていくぞ。

いままでやった仕事の詳細、内容がしるされたアーカイブページもつくって、じょじょにページを増やしていこう。写真もできるかぎりアップしていきます。

メンバー紹介のページとスタッフの紹介ページ、ワークショップのページもつくって・・・動画もアップしよう。

それらすべてを英語ページでも展開。

『ブログ?』もゆくゆくは新しいホームページに移行して続けていきたいと思っています。軌道にのったら英語ページで湯山がブログをしるすといいな。

いますぐにお金になるわけではないけれど今後のための大事な作業。

トンネルを抜けた先へとつながっていく重要な仕事なのです。

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スマホ対応画面。右上がハンバーガーメニュー。たしかにハンバーガーに見えなくもない。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 11:26| ブログ?

2020年04月25日

白と黒の門

『羊と鋼の森』を読了。

新月は新しいことをはじめるのにいいとき。と、この『ブログ?』で小説をしるしはじめようかとか考えていたけれど読んでいるうちにやめようと思った。

いや、やめるとかではなくてやりたくなったらやればいい。

やればいいのだけど、それで表現をしているつもりになるのは考えものだとも思った。自分のほんぶんはやはり踊り。そのことに全力をそそいだほうが未来につながるのだ。

羊と鋼の森の主人公は、自分の目指す道が迷い込んだら帰れなくなると聞かされていた森なのではないかと思う。

それを読んで考える。

迷い込んだら出られなくなる舞踏の門の中へと足を踏み込んで26年、手探りで暗闇を突きすすんできた。

20代は無我夢中ででも楽しくて楽しくて、30代は鼻高々ででも途中でその鼻をへし折られて、40代はすこし速度を落として余裕もでてきて。

さて50代はどうなるか。前半は前途多難で雲行きは怪しいけれどなんとかなるでしょう。

「明るく静かに澄んで懐かしいような文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」

ピアノの調律師を目指す主人公に「どんな音を目指しているのですか」とたずねられた師匠が答えた。

小説家、原民喜の言葉で「こんな文体に憧れる」と書いていてしびれたのだと言い、自分の理想とする音をそのままあらわしてくれていると感じたと師匠は語る。

主人公は得心し自分もそういう音を目指そうとはっきりと自覚する。“文体”を“踊り”にかえてもそのまま理想の踊りになるのだと読んでいて思った。

次はそんな踊りができるように心がけよう。

物語りのなかでプロのピアニストを目指すという少女に母親が「ピアノで食べていける人なんてほんのひと握りの人だけよ」と言う。

「ピアノで食べていこうなんて思ってない。ピアノを食べて生きていくんだよ」と少女は答える。

その言葉を読んで考える。

舞踏で食べていこうと思っている。けれど舞踏を食べて生きていくと考えたらどうか。

いや舞踏で食べさせていただくだな。そうして舞踏に食べられながら生きていく。どんどんどんどん食べられてそしたらどうなるのか。

自分が舞踏そのものみたいになってしまうのか・・・面白い。

書いたのは宮下奈都さん。上智大学文学部卒業で、デビューは遅くて37歳のとき。

表現のしかたがいちいち素敵で、読んでいると言葉がほとばしるように湧き出てきている感じがして感心した。

人物の描写や関係を描いたり主人公のこころの揺れを書きあらわすのも素晴らしくうまくて、なんども感動した。

才能とはものすごく好きだっていう気持ちなのではないか。どんなことがあっても離れられない執念、闘志とか。そういうものと似てる何か。

そんなふうに主人公に先輩が言うが、それはたぶん宮下さんの小説家としての想いなのだろうな。

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門のなかには白だけじゃなくて金も銀も緑もあった。Photo by Junichiro Matsuda.
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2020年04月26日

ごみの日

4月22日はアースデイだったんですね。地球の日か。

地球にとっては、大きなお世話だけど・・・

毎日新聞にプラスチックごみについての本の書評がのっていました。

プラスチックというのは、ほんとうにさまざまなものに使われている。

家でもどんどんプラごみって溜まってくるものな。捨てても捨ててもつぎつぎ溜まってくる。

軽さや腐りにくさ、何より用途に合わせて安く大量生産が可能であることから、それまで紙や木や繊維、ガラスや陶器などを素材に用いていたものがプラスチックに置き換えられていった。

そんな奇跡のような物質だったプラスチックが、世界で大問題になってきている。

海に流れ込んでいるプラスチックは毎年910万トン、91億グラム・・・2050年までには海での魚の数よりも、プラスチックごみの数のほうが多くなってしまうのだとか。まじか。

それらは長年のうちに砕けて5ミリ以下の“マイクロプラスチック”となってプランクトンや魚の体内へ、その魚は人間の体内へ。

それでは魚を食べなければいいかというと、海中で細かく砕けたプラスチックは雨によって内陸の山に降り飲み水にも含まれるようになっているという。

わたしたちは毎週、クレジットカード1枚ぶんに相当する5グラムのプラスチックを飲んだり食べたりしている・・・

その恩恵をうけているので仕方がないけれど、子どもたちのためになんとかしなければ。

ハワイとアメリカのあいだには日本の4倍の面積の海域にわたって、ごみが流されて集まる“太平洋ゴミベルト”があってそこのごみを集めて分析したら書かれている文字の3割が日本語だったという。

日本は世界で2番目にプラスチックを廃棄している国として責任を感じなければならない。ちなみに1位はアメリカ・・・日本政府が本気でこの問題に取り組むことはトランプ政権のあいだはないか。

分別されたプラスチックの多くは再利用されずに燃やされるという。日本では57%のプラスチックがリサイクルという名目で燃やされているのだとか。排出されるCO2、そして環境破壊。

今回のコロナウィルスも環境破壊が原因です。開発によって人間と野生動物の接触が多くなり未知のウィルスとの遭遇も多くなっている。

日本はいままで中国にプラスチックもふくめてごみを輸出・・・要するに金にものをいわせて押し付けていました。2018年に中国が輸入禁止にしてから、今度は東南アジアの各国に押し付けていた。

その各国も自国のごみで手一杯で続々とごみの輸入をやめてしまった。

日本国内でなんとかするしかないごみの問題・・・

毎日毎日生きていると出てきてしまうごみ、ごみ。ごみを生み出さないと生きていけない人間。

逃れることのできない宿命のようなものか。

人類をごみのように無価値でむだな存在と考えたりする舞踏家からでした。

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マイクロプラスチックが腸内に蓄積した魚の稚魚。Photo by oona lonnstedt, BBC News.

参照・引用:2018/9/13 Yahoo! ニュース / 2018年9月2日 朝日新聞 / 2020年3月29日 毎日新聞 “今週の本棚”『脱プラスチックへの挑戦』持続可能な地球と世界ビジネスへの潮流 堅逹京子、NHK BS1スペシャル取材班著 / Wikipedia
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2020年04月27日

夢だけど夢じゃなかった

イベントかワークショップか。

裸になっている。

昼になったのでみんなで外へと出る。みんなはどこかへ食べにいったが、自分は懐が寂しいので銀行へといこう。

伊勢丹の下にたしかあったはず。自転車に乗りでかい交差点を渡って歩道橋の下に自転車を止めて降りたら、しまったツンいち裸のままで恥ずかしい。しかも財布を忘れたか・・・

カゴに入れたズボンのポケットに入ってて良かった。財布をもって銀行へいこうと思ったら、三人組の警官がやってきて「おいおいおい」と捕まってしまう。

「これから昼めしなんです」というけれど「俺らもな」と相手にされない。

少し歩いたら階段を上がっていって銀色の鉄のドアを開けて中に入れられる。中には警官が沢山いてみんな昼ご飯を食べている・・・恥ずかしい。

「座れ」と言われて恐縮しながら人をかき分けてソファーに座る。

右側に婦警さんがいて「えー、まさか」とか言ってるので「いやいや、はいてますよ」と下半身を見せるけど反応がなくて「あれっ?そういうことではない?」

財布から名刺を出そうとするけどちょうどなかった。右側にも警官が座ってくる。財布を調べたり誰かに電話をしてる。左側の警官がのしかかってきて重たいなあ。と思ってたら目が覚めた。

夢で良かった。

高いすべり台の上にいる。上には四角い穴があいていて、なかは温泉になってて皆んなでくつろいでいる。

エスパルがやってきて何かいっていて上がってきて温泉に驚いていた。

エスパル元気かな・・・

メキシコではウィルスはどうなのだろう。戌井君がまだそこまで拡がっていなくてここまで自粛、鎖国ムードではない頃にペルーへといっていた。

街中で中国人だと思われたのか、戌井君たちをみて若ものが口をかくしていたと連載に書いていたな。日本で感染者がいない県がなくなりつつあるように、感染者がいない国もなくなりつつあるのか・・・

すべり台からうしろ向きでおりていくと、野外の稽古場のような劇場のようなところで稽古をしている。

男性ダンサーが変わったかたちをした赤い車をひもで引っ張りながら歩くシーン。

ダンスマスターは兄弟子の村松卓矢で「それぞれ違うかたちの車をひこう」といってそうなる。

自分の車は丸くて村松君のは角ばっていた。となりの芝生は青く見えるじゃないけれど、村松君のほうがかっこよく見えるけれど嫉妬だな。

稽古をしていて誰かがマスターに文句をいったけれど村松はとりあわず、いっこうに平気で流石だなあと思った。

村松君は強いんだよな。

自分が村松をぬいてダンスマスターに抜擢されたことがあった。けれどもパブリックシアターの稽古場でのランスルーのときに失敗して降ろされた。

マスターを降ろされたことはショックで悔しかったけれど、ほっとした気持ちもあった。プレッシャーに耐えられなかったのか・・・弱かったんだな。

でも弱さも甘さも持ち味、あれはあれでよかったといまは思うのでした。

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左より村松卓矢、塩谷智司、松田篤史。塩谷がプラスチックごみ洗浄のバイトをやっていたけれど、凄まじく臭いと言っていた。
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2020年04月28日

まなぶ権利

「つまらない!」

とつぜん娘が勉強をやめていいだしました。

そうだよな。ひとりで勉強をするだけなんてつまらない。

高校からでた課題をまじめにやっているけれど“まなぶ”ということは、そんなことだけではない。

いっしょに話したり遊んだり喧嘩したりご飯を食べたり部活動をしたりして泣いたり笑ったりしながら、同じ空気を吸ってともにまなんでいく。

いっしょに考えていっしょに悩んだりして触れあいながら成長をしていく。どんどん失われていくそんな大切なまなびの日々・・・

安倍首相から全国一律での休校要請が宣言されて、すでに2ヶ月もたちました。

課題をだしたり各学校が試行錯誤をしながら独自に対策をとっていますが、まったく十分ではないでしょう。オンラインもはじまりつつあるけれど地域、家庭で格差がある。

おたおたしてねえでさっさと国で対策をとらねえと、憲法26条で守られている“子どもたちが教育を受ける権利”がそこなわれ続けています。

文部科学省は言いわけして「学校の再開は自治体の判断にまかせる」だって。ひどいなあ。休校要請は全国一律で出したのだから再開要請も全国一律で検討しましょう。

そんななかこれを機に欧米諸国とおなじように9月始業にするようにもとめる声が全国の高校生や保護者、自治体のトップからも拡がりはじめました。

このままではどんどん不平等が生まれてしまう。

全国一律、9月始業にすればウィルスの影響が大きいところと小さいところでの格差も解消される。

「学校ですごすかけがえのない時間が、少しずつ少しずつ短くなっていくのはとても不安。全員が9月から平等に教育を受けられるようにしてほしい」

「Spling Once Again 〜日本すべての学校の入学時期を4月から9月へ!〜」と掲げ、友人と賛同を呼びかけている大阪市の高校3年の女子生徒はそう話す。

世界では9月始業が主流。

もともと日本でも明治の頃は9月始業だった。夏目漱石の『三四郎』に描かれている。戦時中に徴兵をしやすいように変わったとか。

この機会に、いやこんなときだからこそ柔軟に考えて4月始業にこだわらずにいこうではありませんか。

9月始業だと世界と足並みが揃うので、留学をしやすくなるし留学後の日本での復学もスムーズになる。

このままだと修学旅行も文化祭も体育祭もすべてなくなるが、9月始業ならばイベントもおこなえるかもしれない。

9月始業ならば、今後は入試の時期にかならずおこるインフルエンザの脅威や雪の降る地方は天候にも悩まされずにすむ。

ピンチはチャンスだ。

これを千載一遇のチャンスだと考えて、日本教育のルネッサンスのときにしようではありませんか。

これからどうなっていくのか。・・・まだまだ見通しは不明瞭。

だからこそ、ビシッとここらでもう一度、思い切って宣言して子どもたちを安心させてください。

よろしくお願いします。

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まなぶ権利をみずから放棄していた高校生の向雲太郎。

参照・引用:2020年4月26日 毎日新聞 2020年4月24日、28日、29日 朝日新聞 
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 12:29| ブログ?

2020年04月29日

強く、やさしくだ

まるで先の見えないながいながいトンネルに入ったような状態。

しかも速度は遅く進んでいるのかいないのかまったくわからない。先が見えない不安とこれからどうなっていくんだろうという怖ろしさでいっぱい。

押しつぶされそうで出るのはため息ばかり・・・「はあ」

最近の世の中のスローガンは「ちからをあわせて頑張ろう」

こんな時だからこそ、ひとつになって頑張ろう。

でもほんとうか、ほんとうにそうか。いままでだってひとりだった。これからだってひとりで生きていかざるをえない。そんなひともいるかもしれない。

いまだに密集した朝の通勤ラッシュで仕事へ向かうひとがいる。密閉空間で働かざるをえないひともいるし、人と密接に関わって働かざるをえないひともいる。

テレワークやステイホームなんて関係なく働いているというひとが大勢いるし、そんなことができない職種のひとも大勢いてありとあらゆる労働環境のひとがいる。そもそもホームのないひともいる。

家にいようと皆んなが声をあわせて大合唱するとき、その一致団結の輪に入れないひとも大勢いるのです。

そのことに思い至れるかどうか。そのことを知っているかどうかが常に問われると思います。

やっぱり想像力なんだな。

星野源の動画に合わせてうたを歌ったり踊ったりそれをSNSにアップしていいねいいね、ソファで愛犬を抱いたりお茶を飲んだりしてられればいいけれど、そんな人たちはほんのひと握りなのです。

「自己満足だね」娘が切り捨てていた。

ひとつになるって嫌な言葉だな。

そこから外れたひとのことは入ってなさそうだし。そもそもひとつにならなくても、それぞれが生きていける世界のほうがいい。そんなふうに音楽家の大友良英さんはいう。

こういう災害時には余裕がないので、気をつけないと多様性への思いやりがどんどん失われていく。

こぼれ落とされていく弱い立場のひとたち。

多くの意見やうごきが正しいとは限らないのだ。

いろいろあっていいんだよ。同調しなくたっていいんだよ。頑張らなくていいんだよ。

淋しくたっていいんだよ。ひとはもっと孤独を愛さなければならない。ひとはひとりで生まれてひとりで死ぬ。そう見極めてガタガタいわずに強さを身につけよう。

非常時にこそひとの本性はあらわれる。たいへんな時にこそ、そのひとの本質が試される。いまこそ自分が試されているとき。誰かのせいではない。人のことを気にするな。

自分に集中しよう。自分を見つめよう。

多くの意見に流されず、自分のあたまで考えて自分のからだで感じて生きていきたい。

そうして大切なのは思いやりと想像力、色んなひとの立場に立って考えたい。

強く、やさしく。

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雲太郎さんのいうとおりに自分を見つめてみた。そんで気に要らないので後日なおしてみた。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 12:39| ブログ?

2020年04月30日

ズルッとした感じ

昨日、戌井君からひさしぶりにラインにメッセージが届きました。

親しい友達から連絡があるというのは嬉しいものです。最近、親友たちがどうしているのか。気になって連絡しようとしつつしていないのでやはりしようと思った。

買いものの途中だったので帰ってから確認。飲み過ぎていないかと気づかってくれていて感謝。

そのあとに「ブログの絵、自分で描いてんの?凄い良いですね。リンゴとか、新聞グチャってなってんのとか最高。」と感想を送ってくれてありがとう。

けれども戌井君がこの『ブログ?』を読んでいるとは思わなかったので、びっくりしつつ恥ずかしくなった。

芥川賞候補になんども名前があがっている、ことばのプロに読まれるなんて恐縮です。

ブログというものは会員制のSNSとはちがって、広く一般へと公開されるもの。

どんなひとが読んでいるかわからない。麿さんが読んでいるかもしれないし糸井重里さんが読んでいるかもしれない。もしかしたら安倍首相が読んでいるかもしれない・・・それはないか。

そうやって想像したら気が抜けません。気が抜けないけれどあまり気にせずにやっていたりします。そうすると今回みたいに「そうかあ」と驚くことになります。

「米朝みたいなのとか、他のも素晴らしい。」とそのあとつづけて書いてくれていて「米朝描いたっけ・・・」と思うけれど戌井君の感想は独特だからな。そうして勘違いが多いので面白いのです。

性格がせっかちなんだな。江戸っ子気質で気が早いので早とちりがよくある。けれども彼の場合は誤解も理解なんだな。とよく感じるのです。

返信したら「いやあ、素晴らしいですよ。じゃんじゃん描いて見せてください。」と書いてくれていて「ありがとう、了解です。」

このブログをどうするか・・・やめるかつづけるか中断するか毎日考えつづけています。

そんななか戌井君からメッセージが届くのはたぶん偶然ではないのでしょう。おかげで絵を中心にしてつづけていくのも良いかもしれない。と気づいた。

そうして、1,000文字とか毎日つづけるとかそんなこだわりも要らないのだな。と思ったりもするのでした。

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昨日の絵が気に要らなかったので「良い」と言ってくれていた“ズルッとした感じ”にしてみた・・・ちょっと気持ちわるかったのをさらになおしてみた。やっと自由になれた。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 11:03| ブログ?