2020年04月01日

おかねの祭典

東京オリンピックの1年延期が決定しました。

今回の五輪は、もめごとが続きまったく上手くことが運んでいない印象をうけます。

東京電力福島第一原発の汚染水について「アンダーコントロール、管理下にある」そう安倍さんが胸を張って獲得したオリンピック。

だが実際は汚染水問題は管理下にあるどころか、まったく解決できていない。

まずは出発点に嘘、偽りがあったのだな。

「被災地を元気に、ニッポンを元気に」

復興五輪なんていうスローガンも欺瞞に満ちていて、実際はオリンピック会場の建設によって労働力や資材がどんどん東京へ流れてしまい東北の復興工事は遅れ続けている。

新国立競技場の設計問題。

国際的なコンクールで決定した案を覆すという、前代未聞の巨大スタジアム設計の白紙撤回。

ゴタゴタゴタゴタやった挙句に、ザハさんからクマさんへと設計者が変わりました。この白紙撤回の騒動でなんと69億円が消えた。なにをやってるんだろうなあ。
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建築家、田根剛による新国立競技場案「古墳というピラミッドのような鎮魂の場を作ることが、21世紀の世界に対するメッセージになるのではないか」いいねえ、岡本太郎だったらこれを選んだでしょう。image courtesy of DGT.

五輪選出にかかわる賄賂問題の発覚。

1票10万ドルで20票が集められ、成功報酬は約2億3千万円だって・・・新聞でも連日報じられていたけれど、スッキリとしないうちにいつの間にかうやむやなまま闇に葬られようとしている。

オリンピックの公式エンブレムの盗用問題。

佐野研二郎氏のデザインした公式エンブレムが、ベルギーの劇場のロゴに酷似していて訴えられた。

佐野氏はもちろん否定し舛添も気にしないとか言ってたけれど、他にも盗用や無断使用が発覚。結局、組織委員会はエンブレム使用の中止を決めた。

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真似、模倣というのは創作の基本ではあるけれど・・・

さらに東京の海が汚いからとセーリングの会場が神奈川へと変更、東京の夏が暑いからとマラソンと競歩の会場が札幌へと変更・・・

そうして今回のウィルスによる史上はじめての会期延期。

中止はいままでに何回もあったけれど、五輪憲章を改正してまでの特例延期。延期するよりも中止にした方が経済的な損失は少ないという意見は、完全に無視されている。

東北の復興は遅々として進まず、福島第一原発の汚染水の問題はまったく解決していない。

都市型のコンパクトな五輪を目指しコスト削減を声高らかに提言していたのに、コストは異常なほどにどんどん膨らみ続けている。

国の威信をかけたオリンピックか・・・「もっと速く、もっと高く、もっと頑張れ、もっと!!」

「速くなくたっていい、遅くてもいいではないか。高くなくたっていい、低くてもいいではないか、頑張らなくてもいいじゃないか。」

そういい続けてきた舞踏とは、正反対の価値をもつ五輪なので自分はやらなくていいと思っています。

思っていますが、ここまで騒がれると気になってこの大騒動を興味深く拝見しているのです。

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誘致時の予算7000億円。とんでもない額ですがそれがなんと3兆円を超えるかもしれないだって・・・3兆円・・・か、かねかねかね、金じゃー。

参照:産経ニュース 2016年8月27日 AERA 2019年1月15日  神奈川新聞 2015年04月11日 読売新聞 2019年11月1日 共同通信社 2019年11月18日  朝日新聞 2020年3月28日 週刊新潮 2020年2月20日 Wikipedia  Google
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2020年04月02日

さ ま ざ ま な は ざ ま

この騒ぎでソーシャル・ディスタンスというのが流行しているとか。


人と人との距離を大きくとることで、世界中で流行ってきているそうです。アメリカでは180センチ離れることを勧めている。


いいことだと思います。


都会では人と人との距離が近すぎるのです。満員電車なんて酷かったものな。人間も動物なのだとしたら、あんなもの耐えられるわけがない。

もし、あのなかにゴリラがいたらたいへんだぞ。大騒ぎになってそこらじゅうで交尾をはじめたりして。でもそれが自然なこと、人間は理性で抑えるけれど、そちらのほうがゴリラからすれば異常です。


人には気持ちのいい距離間というものがあるのです。知らない人だったら5メートル以上は離れたいか。それより近寄ってきたら何か自分に用事があるな。


舞踏では“あいだ”をとても大切にします。物理的なあいだと時間的なあいだのどちらも大事にします。


物理的なあいだの場合は、ワークショップなどでは実際に満員電車ぐらい近くによったり可能な限り離れたりして、このからだのまわりの感覚を体感してもらいます。


丁寧にやると人間の気のようなものが感じられて面白いです。


“圏”といいますが、からだのまわりのどれぐらいの範囲でうごいているのかというエクセサイズもします。空間把握の妙味ですね。


この空間のつかいかたで魅力的なダンサーか、そうではないかが決まるかもしれません。


からだのまわりのオーラのつかいかた。


観客とのあいだをつかった押し引きということもあります。ここにはこころの押し引きということも入ってきます。観客に向かって大きな声で叫び続ければ、観ている方はどんどん気持ちが引いていきます。

逆に舞台側がどんどん引いて、自分の中へと埋没して小さくなっていけばいくほど観客は前のめりになって惹きつけられます。

この塩梅のセンスもいいダンサーであるかどうかの条件であるかもしれない。


いっぽう、時間の“あいだ”というのもある。


舞踏ではこの時間のあいだを引き伸ばしてつかいます。日常のスピードであっけなく過ぎてしまうのではなく、ましてやオリンピックのように速さを良しとするのではなくゆっくりとうごく。


のんびりと生きれば生きるほどその時間は豊かになる。


丁寧に生きるとも言えるかもしれない。ゆっくりといまが二度とない、かけがえのない瞬間なのだとその時間を楽しみ尽くすのです。


「はやくはやくもっと速く」という価値観の正反対といってもいいでしょう。


オリンピックに象徴されるいまの大多数の価値とは正反対の価値観をもつ舞踏。


いまのまま速度を上げて一気に人生を突き進むのか、ゆっくりとスピードを落として人生を楽しむのか。いつまでもレッドオーシャンで押し合いへし合いしながら生きるのか、ブルーオーシャンであいだをあけてゆったりと生きるのか。




どっちがいいか・・・

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世界のブランドがロゴのあいだをあけているのでデュ社もやってみた。行間もあけてみた。そんでタイトルも離してみた。
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2020年04月03日

凸凹

昨日、4月2日は世界自閉症啓発デーでした。

2007年の国連総会で決議されて、全世界でさまざまな取り組みがおこなわれているとか。

自閉症か・・・発達障害のひとつで、先天的に脳のどこかが発達の標準から外れている。

最近仕事で発達障害といわれる方々と触れ合う機会があるけれど、ひとことであらわしてひとくくりにしてしまうのは無理があると感じるほど皆さん、個性的で魅力的です。

ひとりひとりに多様な性格があって、その内面は常識でははかり知れない。

いつもニコニコしている人、真剣な表情で押し黙っている人、面白い動作を続ける人、まったく違うイメージの世界にいるような人、気が弱そうに控えめな人、深い思考の世界に遊んでいるような人、etc...etc...

自閉症は脳の機能の問題なので、早い段階での療育支援と出会うことで可能性は広がっていくのだそうです。

感覚が敏感だったり記憶力が抜群だったりするので、そういう才能を伸ばしていくのもいいでしょう。

自閉症のひとは他人の表情が読めなかったりコミュニケーションの取り方がひとと違っていたり、興味のあることが限られていてひとつのことに極端に強いこだわりを持ったりする。

言葉を適切につかうことが苦手で、感じたままに話したり行動してしまうことがある。だから仲間にいじめられたり先生に問題視されたりする。

少子化で学級は減っているけれど、特別支援学級は増えているとか。自閉症といわれる子どもたちもそこには多いのでしょう。

それぞれのコミュニケーションのやり方がある、ひとくくりにできない凸凹な子どもたちの性格や個性にあわせて教育をおこなっていく、特別支援学級という存在。

ひとつの部屋に閉じ込めて同じことをやらせる。そんな理不尽で全体主義的な教育方法に無理があるのです。

子どもを面白くなくしてしまういままでの日本の教育・・・個性を殺す教育方法か。機械をつくってるのではないぞ、コンニャロめ。

近代化のながれの中、さまざまなジャンルで取り入れられたオートメーションという方法が教育界にも影響しているのだな。画一化して均一化して流れ作業で社会の労働力をつくりだす。

管理する側からしたらすべて揃っていて個性なんてないほうがだんぜん便利。人間も動物も野菜もすべて揃っていて病気にもならずに社会の役に立ってくれればいいだけ。

そんな為政者たちの思惑がうまくいかなくなっている。

自閉症は正式には、自閉スペクトラム症というのだそうです。スペクトラムとは連続体という意味で境目がないということ。どんな人間にも大なり小なり、そのかけらがあるのです。

自分は中学ぐらいから学校がまったく面白くなくて、いくのが嫌で嫌で結局はいかなくなってしまった。

はやばやと社会のルールや決まりごとについていけずに、はぐれてしまった自分を最終的にすくってくれたのは舞踏なのでした。

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多様性の限界に挑戦し、コミュニケーションが取れなそうであればあるほど良しとする舞踏。村松卓矢、演出振付『穴』より。Photo by Junichi Matsuda.

参照:2020年3月31日 東京新聞 “HEART&DESIGN FOR ALL” / コミックモーニング掲載、こどものこころ診療所『リエゾン』/ 2020年4月3日 朝日新聞
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2020年04月04日

猿は猿を殺さない

植松被告に対する死刑が確定しました。

ひとはなぜ、ひとを殺すのか・・・

仏教では不殺生といってまず殺すことを禁じます。

これはひとに限らずに生きもの全般のことをいっています。

徹底した仏教徒は動物を口にしません。精進料理は生きものを殺さない料理です。ジャイナ教では空気中の生きものを殺さないようにマスクをする。無駄な殺生をしない。無駄にいのちを奪わない。

ただこれには「では草木にいのちはないのか?」というツッコミも入れられる。

クジラを食べるなと主張する人たちがいる。理由はクジラには知性があるとか知能があって人に近いからとか主張する。

では牛はどうなのか?馬は?鹿は?犬は?猫は?勝手な人間の線引きというもの。

考えだすとキリがない、いのちの重さと軽さということ。

考えだすとキリがないのだけれど、人を殺してはいけないというのは万国共通の倫理観。しかし各宗教がそのことを禁じるのは人を殺すというのが、実は人間の本性であるから。

放っておくと人を殺してしまう生きものなので宗教で禁じ、法律で禁じる。道徳で戒めて、教育で叩き込む。

それでも人殺しはあとを絶たない。連日ニュースでやっているし毎日、世界中で殺し合いをしている。

なくならない人を殺すという行為。

なぜ、ひとはひとを殺すのか?

理由は、怒りや憎しみがいちばん多いのか・・・戦争も喧嘩の延長にある。自衛というのもあるか。

死刑はどうなのか?いのちをいのちで償わせるという考え方だけれど、19人ものいのちを奪って自分ひとりのいのちで償うことなど到底できるわけがない。

安易に死刑にしてしまわずに19人の痛みと苦しみと、その家族の痛みと苦しみを生涯にわたって考え感じて生き続けさせなければならないと思ったりします。悔い改めよ。か・・・

では、差別して殺すというのはどうか?

これも人類は太古からおこなってきました。違う種族だからと殺し、違う村だからと殺し、国が違うから殺し、考えかたが違うからと殺しあってきた。

そのひとつの究極がホロコースト。民族というくくりでその民族の絶滅根絶、撲滅を目論んだ。

ナチスドイツはユダヤ人以外にもロマ人、ポーランド人、セルビア人、ロシア人、スラブ人、身体障がい者、精神障がい者、同性愛者、黒人、共産主義者、無政府主義者、反ナチ運動家、etc...etc...

ありとあらゆる差別と選別と線引きをして、最大推定で約1100万人を殺戮したという。

殺す理由の次にくるのが何人殺したかという数の問題か。

これはもう奪ったいのちが多ければ多いほど罪は重いでしょう。ひとりひとりに人生があり、親兄弟がいて子どもがいて孫がいて友達がいる。猫もいたかもしれない。

そして永遠につながっていったかもしれなかった、未来のいのちをも奪ってしまう。

ひとがひとを殺すということ。

梅原猛さんは「人間とは殺す生きものだ」というけれど・・・

人類永遠の問題です。

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「猿は猿を殺さない」は映画『猿の惑星』の言葉だが、最近の研究でじつは「猿も猿を殺す」とわかってきた。
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2020年04月05日

大きな拡がり

どうやら東京で感染が拡がりはじめたようです。

いろんなテレビニュースや新聞で得た情報によると要するに、いまではないのだな。

重要なのは、いまから二週間後にどうなっているか?

「自分は発症をしていないだけで感染している」という気持ちで過ごさないと症状が出るのが二週間後だったりするので、気づいた時には感染を拡げてしまっているのです。

これからは外出時にマスクを着用します。家に一枚布マスクがあるのでそれを着けよう。マスクは感染を拡げることの防止には効果がある。

クルーズ船の感染者を引き受けた病院のニュースを観たけれど、たいへんな労力でした。

まるで宇宙かエベレストにいるかのような重装備と手間の数々・・・

まずは手の消毒。手袋をしてウィルスは目からも感染するので、かならずゴーグルもして全身防護服を着て作業が終わるたびに、この防護服の外側に触れないように注意して脱ぎ一回で廃棄する。

N95という非常に機密性の高いマスクをして、空気漏れがないかチェック。作業が終わったらマスクの外側には触らずに外してかならず一回で捨てる。

注意して手袋をはずして最後に手を入念に消毒する。

この作業を感染者と接触するたびにやるということか。

一週間皆んなでそういったことを研修して準備してそこまで徹底的にやって、はじめて従事した医師などの二次感染が防げたそうです。「もう一度やるかと言われたらそう簡単に手はあげられない」と院長の女性は話していた。

いま医療関係者の二次感染が増えているのは、そこまで徹底的にやらずに急場しのぎになっているからだな。

ちなみに医療関係者が使用するN95という機密性の高いマスクは、とても苦しくて普段の生活で使うなど無理らしいです。そんなマスクをつけて作業をしなければならないのか・・・

いま修羅場になっているニューヨークでは、三週間前はいまほどではなかったとか。

「どこか遠いところのお話しだった」と日々、戦場のように命の選別がおこなわれているニューヨークの病院に勤務する日本人のかたが言っていた。

もはや対岸の火事ではないのだな。これからどんどん増えてくる二週間前の感染者たち。

4月末に都志へ移動するつもりだったが、移動の自粛という意味もあるけれど東京という都市が今後どうなるのか?見届けたいという気持ちになってきています。

ニューヨークのような状態になるのか、どうなるのか・・・あと二、三週間もすればはっきりとしてくるか。

いますでに緊迫した状態になりつつある、医療関係者は「はやければはやいほどいい」と口を揃えるけれど、安倍さんから緊急事態宣言はいつまでたっても発令されない。

どうも自分のパフォーマンスの切り札だと思っている節があるようです。“伝家の宝刀”とか言ってたようだし。

国民の命のことではなく、自分のパフォーマンスのことを考えるリーダー・・・

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コロナビールが生産停止だと聞いて名前のせいかと心配したけれど違ってた。最近はテレビでも“コロナ”とだけ言ってたりするものな。「コロナの影響で・・・」
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2020年04月06日

バッタの脅威、マスク戦争

昨日は買いもののときにマスクを着用。

スーパーへといったら相変わらずインスタントラーメンは売り切れていた。パスタもなくなっていて、納豆も売り切れていた。免疫力を高めようという考えだな。

そうして今度は小麦粉が売り切れていた。

バッタの被害で小麦粉がなくなるという情報がながれたのかな。うちはグルテンオフを心がけているので買えなくてもいいか。

バッタが大発生してその被害がアフリカから中東、そして中国やインドまで迫っているらしい。畑の作物を食べ尽くし世界的な食糧危機が懸念されている。

国連の食糧農業機関は、1平方キロメートルに集まるサイズの比較的小さな群でも約4,000万匹がいて、1日に食べ尽くす食糧は人間35,000人分に匹敵すると試算している。

アフリカではすでに深刻な食糧不足が進んでいて、しかもこのウィルス騒ぎで各国からの支援がなくなり危機的状況にある。

バッタが大量発生している理由は地球温暖化による気候変動。旧約聖書の出エジプト記には、古代エジプトで病気の蔓延とバッタの大発生といった災禍が相次いだという記述があるとか。

神の怒りに触れたか・・・

いや、アジア的な考え方でいえば神とは八百万、森羅万象の自然のこと。自然の怒りに触れたと考えたほうがいいな。おごり高ぶった人類への大自然からの鉄槌。

スーパーからの帰りにまわりに誰もいないので、臭いし苦しいのでマスクを外しました。

そうしてよく考えてみたら別にせきをしてるわけではないし買いもので一度も誰とも会話しなかったし、馬鹿馬鹿しいのでこれからはするのをやめようかと思った。

たんなるポーズで意味のない行為

アメリカの疾病対策センターはいままで「健康なひとはマスクは必要ない」と強調してきた。

二週間ものあいだ無症状だという新型ウィルスの特性からマスクをすることは自分への感染を止めなくても、他人に拡げることを防ぐためには有用だという結論になったようです。

そんなアメリカとヨーロッパでマスクの横取り合戦が起きている。

タイのバンコクからドイツへと運ばれる予定だった医療用マスク20万枚がアメリカに奪われた。ドイツはもちろん抗議している。

中国からフランスに向かう予定だったマスクも、空港でアメリカに横取りされてしまったらしい。アメリカは否定。

いっぽうスウェーデンの医療機器メーカーからイタリア、スペインへと発送したマスク400万枚を中継地点のフランスが没収。メーカーが外交ルートで働きかけた結果、フランス政府は半分だけ発送を認めて残りは没収。

トランプ大統領はマスクの着用は「任意のガイドラインだ」と発言。「してもしなくてもいい。私はしないことを選ぶ。自分がしていることは想像できない」と述べた。

たしかにトランプさんがマスクをしているのを想像したらちょっと笑える。

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トランプさんがマスクをするのは時間の問題だけど、どんなマスクをするのか。安倍さんと同じ布マスク・・・んなわけないか。

参照:2020年2月5日 毎日新聞 2020年4月5日 朝日新聞
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2020年04月07日

Just an idea

こんないまだからこそ、しっかりと自分を見つめて考える時だな。

湯山から長文のメッセージが届きました。

先日のこの『ブログ?』の“さまざまなはざま”を読んで、いまのこの状況にて思ったこと感じたことだった。

湯山「今日の『ブログ?』を拝読して思うとろころがありまして。」

むかい「ほおほお・・・」

湯山「5月の作品ですが“社会的距離・ソーシャル・ディスタンス”はピカイチのテーマになるかと思います。

人がコロナと対話していくには、一重に人間同士が距離を取ることからしかはじまらないと、お上は言っています。

われわれ舞台人にとって、人を集めるなというのは余りに酷な現状だと痛感する日々を過ごしています。

個人的なことを想えば、フットボールをやってる頃から、バーテンだろうが大道具だろうが、大駱駝艦の踊り手だろうが、僕のここ30年は「空間に人が集まることの面白さだけで支えられてきたんだなぁ」と感じています。

それだけに、この2ヶ月で飛んだ仕事以上に「今、何が起こっているのか・・・」ということに、えも言われぬ感情が沸き起こってきました。

逆に言えば、この際において、われわれ舞台人は“距離感”のプロフェッショナルなんじゃないかと思う次第です。

今日の向さんのブログを拝読して、そんな一つの光明を見た気がしました。

そんなに距離を取れとお上がいい、それに追随する人達が「距離」を大合唱するのであれば、それを何とか逆手にとった作品を作れないかなと考えています。

例えば、6フィート“180センチ”。欧米の各政府は、人と常にこの距離を保てと宣言しています。

そこで失われるのはご存知の通りハグとかキスとか、彼らにとって何百年も大切にしてきた行為です。

彼らが現状に対して、今まで培ってきた距離感を否定しているって結構、オモロイって思ったわけです。

今まで、何千、何万フィートを求めて、果ては月まで行ったと威張ってきた彼らがです。

1月に京都でやったワークショップで、1コマだけ“距離感”だけでやった回がありました。

何をやったかというと、向さんがブログで記していたのと似てるかも知れませんが、ペアを組んで鼻先一ミリまで近づいてから、お互いにゆっくり後退していく・・・

“不快”が“安心”に変わり“不安”に変わるという距離感を遊んでみました。

あくまで凡例なので、どうなるかは判りませんが、今のこのご時世だからこそ“距離感”に対して観客は敏感になっているのは確かだと思います。

なんとかそれを逆手にとった、5〜10分くらいを二人で、もしかしたら観客の配置も含めて作れないかと思った次第です。

“Just an idea”ですが、思いついて忘れないうちにお伝えしておこうかと思い連絡しております。

長々とすみませんでした!」

むかい「ええでええで、ええアイデアやで。いまはまだ二人でキスをするぐらいしか思いつかんけど・・・客の観る位置というのも遊べそう。

観客も庭に点在するとかな。」

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「湯山も引き続き、このアイデアを深めていったらええな。」Photo: schloss bröllin e.V. / Peter van Heesen.
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2020年04月08日

ルネッサンス

安倍さんの非常事態宣言発令をうけて、娘の高校の入学式が延期になりました。

朝6時からから夜2時まで毎日毎日、必死で勉強してこころの底から入りたいと願っていた高校へと見事合格して、いよいよ入学と思ったらこの事態。

まあでもそんなこともある。そうしてなんとかなるでしょう、大丈夫。

この機会に本をたくさん読んで自分の内側を磨くのもいい。こんな時にしか考えられないこと、たとえば将来にどんなことをやりたいかを考えるのもいいかもしれない。

それは自分も同じ。仕事がすべてキャンセルになっているけれど、このぐらい仕事がないのはいままでにもよくあったこと。

さらに都志へも帰れないような状況ですが、じっくりと自分を見つめていろんなことを考えるいい機会です。

高く飛ぶためには、低くしゃがめ。

これからどう生きていくのか?明確に具体的にイメージしなければ。

ほかの仕事を探すとかの逃げではなく何かで一発当てようとかの反則でもなく、自分を見つめてさらに舞踏へと突っ込んでいく。

思考の翼をどんどん広げ、考えて考えて考え続けた先にかならず未来はひらける。

もっといい加減に、もっと適当に、どうでもいいなんでもいいと放り投げて、これでいいのだと開き直って、柔らかくふにゃふにゃに常識を超えていく。

何でもありの舞踏の魂そのままにこりず、こだわらず自分のやりたいことを考えていけばいいか。

舞踏の可能性を信じ、新たないまのその先へと進むのだ。

ペストの大流行は中世を終わらせルネッサンスを呼び起こしたといわれる。ニュートンは外出できないなか瞑想にふけっていて、閃いて万有引力の法則を思いついた。

俯瞰して見れば、世界が大きな変革期を迎えているのかもしれない。

政治、経済、産業、医療、教育、文化、芸術、etc...etc...いま、ありとあらゆることが現代のルネッサンスの時なのだ。

政治は常識では、はかりしれない事態を乗り越える政策を打ち出す力をつけ

経済は株価が上がれば良いというマネーゲーム的な考え方ではなく、実体経済をどう盛り上げるかのアイデアを試行錯誤し

産業は自国ファーストとかいうことではなく、いまのような非常時に他国に頼らずに自国で自給自足できるように体勢を整え

医療は今回のことの反省を踏まえて、あらゆる事態を想定して体勢をつくりなおし

教育はこのような状態のなかで、どう子どもたちに最高の学びを届けられるのかを考え

文化は新しい飛躍のための思考を繰り返し、芸術は自分を見つめ新しい夢を見続ける

“自粛”がけっして“萎縮”になってしまわないように・・・

糸井重里さんが言うように “考えること、学ぶこと、夢を持つこと” は、禁じられないのです。

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ルネッサンスはラテン語で再生を意味するらしい。
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2020年04月09日

命ファースト?

緊急事態宣言が発令されて東京では混乱が起こっています。

スーパーでは相変わらず買い占めや買いだめが横行している。思いやりのかけらもない行為なので慎みましょう、ましょう。

実質的には外出自粛が強化された感じで、各会社でのオフィスの閉鎖も進んでいるようです。

よくお世話になっている折り込み会社のNEXTさんも会社を閉めて折り込みの業務を停止すると連絡があった。公演がないのだものな。

戌井君、奥村君が卒業した文学座も4月、5月の公演の中止を発表。「全公演を中止するのは前代未聞。これ以上続くと、どこも厳しい。」と企画事業部の白田さんが言うようにたいへんな状態になってきています。

映画館も休館が続々と決定している。素敵な映画館ユーロスペースも休館になった。「このままでは数ヶ月で経営が成り立たなくなる。閉館を検討する同業者もいる。」支配人はそう言い、今後はクラウドファンディングも実施するとか。

歌舞伎も宝塚も落語も漫才もコントもすべての舞台が中止になっている。音楽界は真っ先に打撃をうけていた。

テレビもピンチのようです。密閉空間を避けろと言われたらスタジオでは撮影できないし、人と会話するななんて言われたらほぼなにもできない。

夜に出歩くなと言われているから東京中の飲み屋がピンチ。フィットネスなんかも休業、飲食店は開いているけれどそもそも人がいない。

補償すると国も都も言っているけれど、国の補償申請は、10枚以上もの書類を詳細に書かされてとても難しいらしい。しかも補償金が支払われるのはだいぶんあとだとか。

給料や家賃、諸経費などは待ったなしなのです。国としては払いたくないからわざと難しくして遅くしてるのではないかと疑いたくなる。

学校も休校が続いている。とうとう学童も閉鎖になったとか。

ここまでやる必要があるのかと思うけれど、アメリカやイタリアやスペインの状況を遠くながめるとああいう風になる可能性もあるのかと観念するしかない。

観念するけれど、どこか腑に落ちない気持ちもある。なったらなったで仕方ないのではないか・・・

「ひとりひとりの命を守るため」とお題目のように口にする。確かに命は大事だし大切だしそんなこと当たり前のことだけれど、あまりにもそのせいで大騒ぎしすぎのような気がする。

医療崩壊を怖れると口を揃えるけれど、文化崩壊も教育崩壊も経済の崩壊も同じぐらい怖ろしいのではないのか・・・

人は死ぬもの。

原因はさまざまでありそれがいつくるかは誰にもわからない。明日来るかもしれないし、いま来るかもしれない。10年後かもしれないがわからない。

だからこそ、いまを大切にして生きる。

自分から死へと近づいたり死ぬとわかっていることをするのは愚かだが、死を必要以上に怖れるのはよくないのだと思います。

命を守るための自粛だけれど、そのために生きていくことが出来ない人が出てくるのならば本末転倒なのです。

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昨日は今年最大のスーパームーン、月は人間たちの大騒ぎなど関係なく大きく光り輝いていた。

参照:2020年4月8日 朝日新聞 2020年4月8日 毎日新聞
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2020年04月10日

はなまつり

4月8日は仏教の日でした。

なぜ仏教の日なのかと思ったら、お釈迦さまの誕生日なのだな。

キリストの生まれた日は大々的にイベント化しているけれど、お釈迦さまが生まれた日はお寺で祝うだけです。せっかくだから商業と結びつけて盛り上げられたら・・・不謹慎だと怒られるのか。

精進料理を食べる日にするとかどうかな。それだったら信者も怒らないかも。動物性のものを口にしない日が一年に一回ぐらいあってもいいかもしれません。

さて釈迦は紀元前566年〜486年頃、今から約2600年前にルンビニー、いまのネパールで生まれました。

1896年に考古学者のフューラーは、アショーカ王が建てた石柱を発見。その碑文には、ここが釈迦生誕の地であることが記されていたのです。

アショーカ王は釈迦の死後、約100年あとにインド亜大陸をほぼ統一した大王だから確かだな。

生まれてすぐに東西南北に七歩ずつ歩いて、右手で天を、左手で大地を指さして「天上天下唯我独尊」と言ったとか。

そんなわけはないけれど伝説だからいいのです。なぜ七歩かというと六道すなわち地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天上界、この六つの地獄からさらに一歩踏み出すということだそうです。

「人間に生まれた目的は、この六道から出て真の幸福になることである」

天上天下唯我独尊は、おれが一番だぜという意味ではなく“我”というのは、わたしたちということで「ただわたしたち人間にのみ成し得る、たったひとつの尊い目的がある」との教え。

わたしたち人間の命に差別はなく、皆、平等に尊いということ。

説教くさい感じになってきましたが、もともと釈迦族の王子さまだったその子どもは、成人して29歳で出家してさまざまな修行をして6年後、煩悩を断ち切り覚醒し悟りをえて仏陀になった。

それから45年の長きにわたってインド中を歩き回って、人々に教えを説いてまわる。

最後はクシナガラの沙羅双樹の樹の下で涅槃のポーズで入滅。享年80歳。

死因は毒キノコ、マジックマッシュルームを食べたことと伝わるから、最後は素敵な幻覚を見ながら亡くなったのかな。

その後、インドでは仏教はヒンズー教に吸収されたが中国に伝わり日本へと渡った。さまざまな分派が進んでさまざまな宗派があらわれたけれど、つまるところの教義はやはりお釈迦さまの教えです。

真言宗徒である自分は毎朝、真言を唱えています。真言には仏の真理が記されています。

仏教はもともと世界平和や人々の健康などを願うものではないですが、そんな気持ちも込めつつ祈ります。

いまはたいへんな時ですが、べつに戦争が起こっているわけではなし。

そうやって考えると平和ではあるのだな。と思ったりするのです。

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「この世のすべては空である。」by Syaka.
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2020年04月11日

filter&echo

“フィルターバブル”というものがあるそうです。

検索エンジンやSNSなどが過去の閲覧データなどをもとにその人の趣味嗜好にあう記事や情報ばかりを選び、自分の見たくない情報は入ってこない現象。

その結果、自分の見たい記事や広告だけがまるで魔法のようにあらわれる。さらに似た考えのユーザーを表示したりするのでつながっていって擬似的なコミュニティーができあがる。

そこから起こるのが“エコーチェンバー”とよばれるもの。

似たかんがえのもの同士が共感しあううちに、意見や思想がより過激で極端にかたよってしまい特定の方向に先鋭化して、多様なかんがえかたを受けいれられなくなる現象。

いまネット世界で繁殖していて社会を分断させる“真犯人”ともくされている。

ネトウヨなんていうのが代表的で、SNSの友だち内での「いいね」というのがその象徴なのか。

実家の両親は政治に対して違うかんがえと思想を持っていて常にお互いで批判をしあう。はたで見ているとヒヤヒヤするが、よくかんがえてみるとあれは正しい民主主義の姿であるのだなあ。と思う。

もしも二人が同じ主義主張をもっていて「いいねいいね」と褒めあい、違うかんがえかたのひとたちを口汚く批判している姿を想像すると気持ち悪くてゾッとする。

右もあれば左もあって、その両翼がないと上手く飛ぶことは出来ないのです。

右だけだと戦中の大日本帝国のように、最後はゼロ戦で戦艦に突っ込むようなことになって滅ぼされてしまう。

左だけでも旧ソビエトのように独裁者が富を独り占めにして、お互いを見張らせて逆らうものは粛清したりするような怖ろしい国家が出来上がってしまう。

中国や北朝鮮はいまだに独裁国家が続いているけれど無理があるので、いつかは崩壊するのでしょう。

そうしてもちろんそのあいだ、中道や中庸と呼ばれる人々もいてこその社会なのです。

検索の自動配信アルゴリズムはその人の関心のありそうな情報ばかりを選んでくるので、冷静な視線が必要で要注意です。

知らないあいだに、どんどん片寄ってくるかんがえかた。

これは創作者の端くれとしても気をつけなくてはいけない。ありとあらゆる世界のことを知って体験していくのが大切だと思います。

Googleで検索して出てくるような情報ではないものを集める。という都築響一さんの言葉にうなずくように、大駱駝艦にいる頃は検索して出てきたらタイトルにするのをやめていた。

鉄割アルバトロスケット主宰で芥川賞候補作家、戌井昭人氏なんてあらゆることを経験してて、吉原の朝の景色なんてのも知っていたりするので感心する。

世界中を旅しているから色んな体験の逸話や様々な失敗談にもこと欠かない。小説執筆時や鉄割の演目創作時に生きてくるそういう経験の数々。

広い視野でものを見て感じていきたい。

そうして違う意見や考え方にも触れて時には対話し耳を傾けたりしたいものです。

と、外へと出られない状況のネットの中で考えてみました。

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こちらタバコの“エコー” 安いので懐がさびしい時によく吸っていた。ちなみにタバコのフィルターはプラスチックでバラバラになって海へとながれる。

参照:2020年2月28日 毎日新聞『論点』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 09:31| ブログ?

2020年04月12日

新しく聞く

春の新聞週間がはじまっています。

4月6日から今日12日までです。ここのところ、コロナ一色の新聞紙面・・・

この『ブログ?』を記すようになってから新聞を毎日、読むようになりました。新聞を読まないと気持ち悪いというか損をしたような気持ちになったりします。

自分の好きな情報ばかりが出てくるし選んでしまうネットの情報と違って新聞の情報は、まったく知らない世界のものもあったりするので、へえと驚きがあって興味が尽きません。

そうして、さすがは言葉のプロたちが寄ってたかってつくるもの、とても面白いです。ジーンと感動させられることもしばしば。

読み捨ててしまうには惜しいような気合いの入った記事や名文が毎日毎日、のっているので切り取ってファイルしています。

今後『ブログ?』に記すときの参考にしようという魂胆もあったりします。

一度ブログ?に記したものは、これからも追いかけていこうという気持ちもあります。そんな記事の数々も見つけては切り取って収集。

なるべく偏りがないようにしたいので、ひとつの新聞だけ読むということは避けています。しかし何誌も読むというのは欲張りなのでやらないように自制。

情報は多ければ多いほどいいものに巡り合えるかといえば、そんなこともないのです。

情報との出会いは一期一会、一瞬の立ち読みで貴重な情報に出会うこともあるし素敵な言葉に出会うこともある。

よく読むのは朝日新聞で、そのつぎは毎日新聞です。

朝日は公平な立場はとりつつ、反政権的な見方で論調が少し過激なときがあります。毎日はもちろん公平で論調は比較的穏やか、でもたまにもの足りなかったりする。

反政権的な姿勢をつらぬく東京新聞もたまに読みます。

より公平を期したいときは政権よりの読売新聞や、もっと偏っている産経新聞も読みます。しかし芸術家として舞踏家として反体制派でありたいと思うので、御用新聞はすすんでは読まないです。

でもたまに読むと「へえ、この人は政権寄りなのか」とか発見があったりします。そうして当たり前だけれど「真剣につくっているのだな」と感心したりして偏見を反省。

新聞は白塗りを塗るときや金粉を塗るときの養生としても役に立ってくれるので、捨てずに置いておきます。

そんな古い新聞をたまに読んだりすると「あの頃はこんな騒ぎになるとは思わなかったなあ」とタイムスリップしたような気持ちになったりして面白いです。

紙に印刷された活字を読むという行為はいまや時代遅れ、新聞も売れなくなっているとか。

しかし新聞というメディアは当分はなくならないでしょう。

時代から遅れれば遅れるほどよしとするようなところも舞踏にはあるので、これからも新聞を読んでいこうと思うのでした。

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サイズがでかすぎるのが難点。開くと両手いっぱいになってしまう、半分のサイズにしたらどうかなとずーっと思っている。時代に合わせて変化していくことも大切。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 10:13| ブログ?

2020年04月13日

花も実もある絵空事

志村けんさんが亡くなって、志村ロスともいうような現象が起こっています。

亡くなったら急に持ち上げ出すのは世の常ですが、色んな雑誌や新聞記事を読んであらためて志村さんの人柄を知りました。

とにかく優しい方だったようです。繊細で気遣いが凄まじい。

笑いに執念を燃やして何時間も会議で黙って考えていたとかいうのを知ると「へえ」と驚くが、自分に置き換えると「まあ、当たり前か」と思った。

30歳ぐらいの頃に笑いに行き詰まってガス自殺をしようとして失敗したという話しも週刊誌にのっていた。

ドリフターズでは荒井注さんが好きだったので、替わりに入った志村さんのことをあんまり好きになれなかった。加藤茶さんも好きだったので、志村さんが活躍しはじめてからドリフは観なくなってしまった。

なぜ好きになれなかったのかこの機会に考えてみると、笑いながら舞台に立っているのが子どもごころに嫌だったのだな。

回顧番組でお猿さんのパン君との絡みを観たけど、お猿さんってのは本当に面白い。動物や子どもを使うのはずるいけど、舞踏家としてはずるいと思われるような存在にならないといけないとあらためて思ったのでした。

4月3日、C・W・ニコルさんが亡くなられました。

小説は読んだことがないな。この機会に読んでみよう。環境保護活動の先駆者ともいうべき方で、日本人よりも日本の自然を愛していらっしゃった。

戌井君がラジオのニコルさんの番組を愛聴してたみたいで、鉄割の舞台で一度流していた。言い回しが独特で素敵に面白かった。

「きのうもきょうも あすも 旅」

4月10日、大林宣彦さんが亡くなられました。

テレビのコマーシャル制作から映画へと移っての第一作目『HOUSE』は映画制作のシステムを変える斬新なつくりかたをしたとか。それまでの縦割りの閉鎖的な映画界の常識を破ったのだな。

それ以来、自分のことは映画監督とは呼ばず映像作家と言い続けていたそうです。

尾道3部作はすべては観ていないのでこの機会に観てみるか。兄弟子の村松卓矢が好きで作品創りのときによく話しを出してきていた。

最後まで映画制作への情熱は衰えず、亡くなる前にクランクアップした遺作が上映される予定だったが延期になってしまった。騒ぎが収まったら観にいこう・・・いつ収まるのか。

そうして舞踏家集団デュ社副代表、湯山大一郎のお父さま、湯山哲守さんが亡くなられました。

昨日、4月12日の17時43分でした。

けっこう前から癌と闘ってらっしゃったようで、だいぶん弱ってきているとは聞いてたのですが・・・

自分は2年前の京都での金粉ショウのときにお会いして挨拶できたので良かった。

パリ在住の娘さん、湯山のお姉さんのことをこの騒ぎで最後まで気にかけていらっしゃったが、お姉さんはなんとか帰国して臨終に間に合いその3時間後に亡くなられたとか。安心したのかな。

騒ぎが収まったらお別れ会を開くそうです。

合掌。

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亡くなった人は「もうこの世にいない」のではない。わたしたちは「ふり返ればいつでも彼らがいる世界」に生きているのだ。by Genichiro Takahashi.
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 12:39| ブログ?

2020年04月14日

夢じゃない

風呂から出たら兄貴が冷蔵庫から袋を取り出してなにか言っている。

食べたのを非難していて父親も怒っている。

もろみが入っていてスイカも入っているのに食べるわけがない。と憤慨する。反論しようとするけれどうまく喋れない。大声で怒鳴ったら「そんなわけないやろ」とじっさいに口にしていて目が覚めた。

アウトドアショップとカフェが一緒になったしゃれたお店に湯山とあと2人がいる。店内は総ガラス張りでかっこがいい。

タテ長の店内をとおってトイレへいくと、そこも総ガラス張りで外から丸見えで歩いている人たちが見える。トイレから戻ったらもう1人がチャイを出してくれる。美味いなあ。

なぜか覚えておこうと思う。

村松君や菊池君たちと稽古場にいる。

みんなはいつの間にかどこかへいってしまい1人で取り残されて淋しい。仕方なしに女性陣の手伝いをする。金物のでかい道具を机の上に置いたら傷がついてしまった。

小沢さんがやってきてその元気さに励まされる。

タラちゃんや大駱駝艦の面々が稽古場で飲んでいる。

戸をあけて隣へいくと稽古場で子どもたちが出しものの練習をしていた。カラフルな衣裳をつけてクルクルと器用に廻っている。揃っていて面白い。

部屋で横になっている。隣にボクシングの井上尚弥選手がいて話しをしている。ほかの選手の噂話しを聞く。

宝塚の祖母の家にいる。皆んなで座って話しをしてる。

自分が何かノートを見ながら喋ったら祖母が傷ついたようで、気まずい雰囲気になる。言い訳しようとノートを見たらどこを読んだかわからなくなって探すけれどわからない。

他のノートかと思い必死で探すけれど見つからない。仕方がないので祖母に謝ろうと部屋へと戻る。

奥村君の家で遊んでいる。だだっ広いリビングがあって、トイレへいったら奥にベッドルームがあって変わったつくり。

半野外のようなベンチのある休憩所にいたら、トルコ人が同じマンションに住んでいるようで遊びにくる。パーティーでもやっているのか、入れ替わり立ち替わりやってきて話しかけてくる。

皆さん気さくで明るい。

天狗のいる高い足場にいる。

天狗の面のかけらをお土産にしようと片手に持っているので高所なのに危なかっしい。一度落ちかけてヒヤッとする。危ないのでその天狗の面のかけらは捨ててしまう。天狗たちは軽々と移動している。

都志の祖母の家にいる。古いトイレへと入ったら照子さんと祖母が外を歩いていくのが窓から見えた。トイレは汲み取り式で、ちいさなウジ虫がぴょんぴょん飛び跳ねている。

かまわずに用を足したらズボンにカマキリやでかい幼虫がくっついて、払うけれどなかなか取れない。

鍵を閉めてうんこをしようとしたら目が覚めた。

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最近は目が覚めると、この現実が夢ではなかったことに茫然とする。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 13:58| ブログ?

2020年04月15日

人類の奇跡

昨日は、娘の誕生日でした。

16歳になりました。あと4年で一緒にお酒が飲めるのか・・・あっという間だな。

生まれたのは夜中、自分は病院で出産に立ち会いました。

立ち会ったけれど、この世に出てくる瞬間は反対側にいて見ることができなかった。少し残念。回り込むのは憚れるような切迫した雰囲気があった。

産まれ出てきて持ち上げられたのは、紫色の物体でした。

産道を無呼吸で通って出てくるので酸欠状態なのです。子宮にいるときはどういう風に呼吸しているのだろう。

羊水の中にいるということは、えら呼吸か?へその緒から酸素が送られてくるのだろうか。

調べたら、胎盤から直接に心臓と脳に酸素が送られてくるそうです。肺はまだ使っていないのだとか。

肺は、水がひたひたに染み込んだスポンジみたいな状態・・・

陣痛のストレスで赤ん坊は肺呼吸の準備に入る。狭い産道を通ることで肺から水分が出ていく。

そして産まれた瞬間に水を吐き出して息を吸う。そうしたら紫色だった顔が一気に真っ赤になる。これは実際に見ましたが、劇的だった。

『阿吽』の“阿”は吐く息で“吽”は吸う息。

密教の真言で宇宙のはじまりと万物の根源をあらわす阿。宇宙が最終的に具現する智徳と到達する涅槃をあらわす吽。

人間も最初は息を吐くのだな。吐いて吸って泣いてはじまる。

最期は息を引きとるというけれど吸って終わる。ほんとうかな・・・

2004年4月14日1:28「けほけほ」と「おみゃーおみゃー」子猫みたいな鳴き声をあげて無事に誕生。

下の階で待つ、ワイフのお父さんとお母さんに報告にいったのを覚えている。なんだかふわふわとして足が地についていないような不思議な感じだった。

ワイフに聞いたところによると、産まれてからすぐ3時間おきに母乳を与えてたとか。

助産婦さんが赤ん坊を連れてくるのだけど「そんなにすぐ母乳なんか出るか?」と思ってたら、すぐに乳が張りだしてかちかちになってめっちゃ痛くなったとか。

人間のからだってのは、ほんとうに不思議。

だいたい人類の何億年もかけておこなった進化を、胎児は十月十日でやってしまうのだものな。これまた不思議です。

さらに着床に至るまでも凄まじいドラマがある。

人が人として生まれてくる確率はほぼ奇跡、400兆分の1とか年末ジャンボで1等に当たるよりも200億倍難しいとかいろいろと言われています。

箱の中に壊れた時計をいれて振ったらもとに戻っている確率・・・

この世に生まれたというだけでたいへんなことなのです。そんで何もしなくてもそのままで既にとんでもない作品なのです。そう舞踏では言います。

そんな奇跡に遭遇した日なのでした。

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こんな時ですが、いやこんな時だからこそできる限りでお祝いをした。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 09:24| ブログ?

2020年04月16日

フィクションのようなノンフィクションのような

ドアをあけて町へとでた。

大きくひとつ深呼吸、きょうも空気が美味しい。空気を思う存分吸えるというのは素晴らしいことである。

自転車にのり、ゆっくりと漕ぎ出す。春の陽気は桜の並木とともに気持ちをウキウキとさせてくれる。叫び出したくなるような爽快な気分だ。

町がキラキラと輝いてみえる。すれ違う人たちもウキウキとスキップしているように歩いている。さてどこへいこうか・・・

こんな日は公園へいくのがいいか。

道の両側にならぶ店にたまに入りながら公園へと向かう。CDショップでグレイトフルデッドのライブ盤を購入、サイケデリックな本屋でタロットカードを購入する。

店の前ではストリートミュージシャンが演奏をしているのでしばし聞き入る。UFO型のスティールパンの音が心地いい。投げ銭を入れて公園へと向かう。

なだらかな坂の頂上に公園はある。公園脇のスペースに自転車を止めて右側の門から公園へと入っていく。公園へ入ると1人の黒人が立っていてご用はないかと聞いてくる。

なにかいいものはあるかと尋ねると「こんなのはどうだい」と素晴らしく輝いている卵を渡してくれる。「魔法の卵だ。」

振ると信じられないようないい音色を奏でてくれて、夢みごこちになったので購入する。

その卵をもって公園をぶらぶらと歩いていると、太鼓を叩いている若者が二人いたのでベンチに座って演奏を聴く。卵を耳元でたまに振って目をつぶる。

素敵なセッションを続ける、黒人と白人のふたりは知り合いではないようだった。

遠ざかっていく演奏を聴きながら公園のなかを散歩する。公園をあてもなくブラブラしているとそろそろ午後か。

そのまま歩いてゆるやかな坂をおりて左側の門から今度は出ようとする。みんなに引き止められるがうしろ髪を引かれながら公園を出る。

公園を抜けたところにある川のほとりをのんびりと歩いていって、トンネルを抜けた先にあるゲストハウスにチェックイン、泊まることにする。

ひげ面の親父に案内されて部屋をめぐる。

石づくりのゲストハウス内はひんやりとしていて涼しい。窓がたくさんあるので内部は意外に明るかった。半地下のような部屋が安かったのでそこに泊まることにする。

鉄格子のはまった窓からは隣の家の子どもたちが太陽のなかで遊ぶ姿が見えていた。

部屋の壁にはインドの神さま、ガネーシャのポスターが一枚貼ってあってこちらを見下ろしていた。トイレは外から鍵をしめるようになっていて、その意味をよく考えていたら恐ろしくなった。

ひまなので部屋をでて石づくりの階段を上がっていくとゲストハウスの屋上はカフェになっていて、高い山が見えた。

山を眺めながらミントティーを一杯。そのあと外へとでて川べりでぼんやりしていたらおじさんがやってきてクッキーを買わないかと言う。

一袋買ってゲストハウスへと戻る。

ゲストハウスに戻ったら屋上でライブをやっていて、幻想的なシタールの音が春の夜の闇に吸い込まれていった。

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4月1日に嘘を記そうとしたけれど、むずかしくてそのままになっていたものを、フィクションのようなノンフィクションのような文章にしてみた。今年はエイプリルフールも自粛だった。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 11:22| ブログ?

2020年04月17日

免疫ってなんだろう

免疫は、細菌やウイルスから、からだを守ってくれている防御システム。

人のからだはウイルスなど、からだの成分と異なるものが侵入してくると、リンパ球や抗体の働きでこれを排除する。

異物を排除したあともからだはその異物を記憶していて、ふたたび同じものが入ってくるとすぐこれを排除する働きがでてくる。

このために多くの感染症は一度かかると二度同じ病気にかからなくなったり、かかっても二度目は軽くてすむようになる。

「わたしは、一度おたふくかぜにかかっているから大丈夫。」「ぼくは、今年はインフルエンザにかかって治ったからかからない。」というやつだな。

いっぽうワクチンは、抗体をつくるために必要な成分のみを、ウイルスからとりだしてつくられたもの。毒をもって毒を制する。

ワクチンを接種することでからだが反応する“免疫反応”によって抗体がつくられる。

ワクチン接種を受けることによっても、より早くより強く抗体がウイルスを攻撃できる態勢がつくられるため、ウイルスの増殖をより強く抑えられる。

ただ、ワクチンを開発することができるのはウイルスが発生してから。そして最低でも6ヶ月かかるのだそうです。

「ワクチンがつくられるか、人口の60%から70%が感染して集団免疫を獲得するまでこの流行は収まらないかもしれない。」

拡がるだけ拡がるか、ワクチンが開発されるか。終息するにはどちらかしかない。

どうやらそんな意見が多勢をしめてきているようなので、どういうことなのか調べてみました。

世界中で78件のワクチン研究開発プロジェクトが進行中で、その中の5件は臨床研究の段階に入っているそうです。けれどもどんなにうまくいってもあと1年はかかるとか。

jonson&jonsonが新型ウィルスのワクチン開発に成功しそうだとニュースでやっていたけれど、はやくて来年だと言っていた。

実用化されるまでに臨床実験を繰り返して、さらに副作用という怖ろしさもある。あんまりワクチンに期待はできないのか。

風邪の原因になる従来のウィルスは暖かくなると減っていくという。同じように新型も減っていくといいなあ・・・

そう思っていたら専門家が「このウィルスは暖かくなっても完全になくならない可能性が高く、ながい闘いになる。」と言っていて、がっくり。

常夏の国、シンガポールなどでも感染が増えているそうです。

今回の5月6日までの非常事態宣言によって、あと6週間で終息にむかうとか誰かが言っていたけれど、残念ながらその気配はまったく感じられない。

冗談ではなく、この状態が今年いっぱい続くことを本気で覚悟しなければならないようです。

明けない夜はない。そして夜明け前がいちばん暗い・・・

まだまだもっと暗くなるぞ、覚悟。

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免疫細胞の代表“マクロファージ” 「とにかく手洗いが重要だファージ」

参照・引用:福井県感染症情報 / インフルエンザNAV / 2020年4月1日 4月2日 4月10日 4月14日 朝日新聞 / 東京医科歯科大学HP / 2020年4月6日 読売新聞 / 2020年4月9日 4月12日 毎日新聞 / 中外製薬HP / 高山義浩、本田美和子対談「新型インフルエンザについて教えてください」ほぼ日刊イトイ新聞 / 2020年4月17日『今日のダーリン』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 11:33| ブログ?

2020年04月18日

車より人でしょ

痛ましい大津の事故からもうすぐ1年、池袋暴走事故からも1年・・・

子どもが危険にさらされている散歩コースなどが東京23区だけで、1万6249カ所もあったのだとか。

国はスクールゾーンと同様の保育園施設の周辺でのキッズゾーンの設置を促しているけれど、7割近い自治体が言い訳をして検討さえしていない。

そうして運転マナーは相変わらずのようで、強引な右折もなくならない。

あおり運転の罰則は強化されたみたいですが、まだまだなくなっていない。「急いでいる時は車には乗らない方がいいです。」そう東洋が言っていた。

東京では人よりも車が最優先です。

車を運転しているときに横断歩道を渡ろうとしている人がいますが、停車するべきか・・・交通ルールでは「停車する」が正解。

しかし東京にいて横断歩道で車が止まるなんて、まずありえない。

たまに止まってくれたりしたら挨拶してから、珍しいので「どんな人だろう」と顔が見たくなります。

これは地域によって違うみたいで、長野県では横断歩道に人がいたら止まるのが常識で停車する人が68.6%。100年かけておこなっている教育の賜物だそうです。子どもの頃からそういう教育をしている。

東京で停車する人は5.8%で1割以下。

東京では子どもたちに「車の往来がなくなるのを待ってから横断歩道を渡りましょう」と教える。

そんな教育を受けていたら大人になって車を運転するときに、人がいたら向こうが止まるべきと思うのは当たり前です。

大人たちがつくり出してしまった車優先の社会。

ヨーロッパでも違っていて、運転中に横断歩道では歩行者を優先する傾向が強かったのはフランス、スウェーデン、ドイツ・・・

ドイツのハノーバー市の中心部には、車が入り込めない人間優先区域がつくられているとか。そこでは皆んなが安心して買い物や散歩を楽しむ。

1990年代に車社会化が一気に進んだ。

郊外にアメリカ型の巨大モールができ皆んなが車でそこへと大挙して行くようになり、地元の商店街は閉店が相次ぎとうとうシャッター街になってしまった。

歩いて買い物に行ける店はどんどんなくなり、高齢化社会化したいまはそのつけが回ってきている。いま帰りたくても帰れない、淡路島の洲本も都志も同じ状態です。

車優先は高度経済成長時代だったからこそで、低成長で人口が減少しているいまは違ってきているのだな。速く早くと先を急いだ時代が終わりを告げて、ゆっくりと人間を最優先する時代の幕開け。

車優先の社会を見直す大きな転換期にきているのです。人優先の社会とは人が安心して歩くことができる社会か・・・あまりにも車優先が当たり前になって想像できない。

けれども子どもは人類の未来。流通のスピードよりも掛けがえがない最優先で守るべきいのち。

それだけは確かです。

そう自転車をこよなく愛する舞踏家は思うのでした。

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くるまか・・・スピードが速すぎるのだ。そして馬力が強すぎる。目指すは、もっと遅く、もっと弱くだな。

参照:2020年2月11日 朝日新聞 2020年2月12日 毎日新聞
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 10:39| ブログ?

2020年04月19日

命を守る交通社会に

2019年4月19日、午後2時ごろ。

千葉県の会社で働いていた松永拓也さんの携帯電話に着信があった。それは見知らぬ番号だった。

不審に思いながら電話にでると相手は警察だと名乗った。

「落ち着いて聞いてください・・・奥さんと娘さんが事故にあいました。」電話のあいては、いま喋っていることが大したことではないとでもいうようにいやに冷静だった。

妻の真菜さん(当時31歳)と娘の莉子ちゃん(当時3歳)とは昼休みにテレビ電話で話したばかりだった。2人は自宅から池袋の公園へと遊びにいっていた。

いつも真菜さんのそばを離れようとせず、母親のじゃまをする莉子ちゃんの愛らしい姿が目に焼き付いていた。

「命はあるんですか、生きてるんですか!」松永さんは必死でたずねたが電話の相手は「危ない状態です。とにかく来てください」と詳しいことを言わず、ただ繰り返すばかりだった。

ただならぬ雰囲気を心配した上司につきそわれて会社を出て駅で電車を待った。

電車に飛び乗りスマホをひらくとネットニュースの見出しが目に飛び込んできた。

“池袋にて車が暴走。12人が重軽傷”  “親子とみられる女性と女児が心肺停止”

ひざがガクガクとふるえて背筋に汗が吹き出てきた。立っていられずにその場に座り込んでしまった。

「嘘だろう・・・いやいやそんなわけはない、人違いだ」

スマホを閉じると、なんどもなんども首を振りながら目をかたくつぶって祈り続けた。「どうか無事であってくれ・・・」

病院へいくと二人とも亡くなったと告げられた。

即死であったという。夢ではなかった。その場に崩れ落ちると号泣した・・・

落ち着いてから松永さんは、妻と子どもが安置されている病院の一室へと向かった。そしてベッドの上に寝かされている二人と対面した。

傷だらけの真菜さんと、顔に布をかぶせられた莉子ちゃんが横になっていた。

莉子ちゃんの顔にかぶせられた布を取ろうとすると「見ないほうがいいです」と看護師に止められた。

真菜さんと出会ったのは2013年の6月、沖縄。一目惚れだった。

2016年1月11日、莉子ちゃんが誕生。幸せの絶頂のなかでの突然の暗転だった。

事故のあと1ヶ月ほど休職した松永さんは何をしていいかわからずに、気がついたら事故現場近くの公園のベンチに何時間も座っていた。「死んだ方がましだ」

生きる目的を失ったのだ。ふたりはすべてだった。いつも3人だった。

この先何をして生きていけばいいのか。この先何をすべきなのだろう、どうやって生きていけばいいのだろう・・・

事故を起こした運転手を恨み憎み、考えは堂々巡りを続けた。

しかし憎しみは被告を思うことに時間をつかっている。そんなことより二人への愛と感謝でこころを満たしたいとの考えに至ったという。

松永さんは2020年4月16日に実名を公表し、二人の死をむだにはしたくないとの思いから「誰にもこんな思いをさせたくない」と事故防止のための活動を続けておられます。

今日で事故から1年、合掌。

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松永さんは写真と動画も公開されている。事故の半年ほど前に撮影された写真。「みんながいつもの自然な笑顔で、1番好きな写真」

参照・引用:2020年3月15日 毎日新聞『ストーリー』取材:山本有紀 / 2020年4月16日 朝日新聞デジタル
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 07:51| ブログ?

2020年04月20日

遺言?

まもなくこの『ブログ?』をはじめて2年になります。

2018年4月22日、51歳の誕生日に「50歳は新しいことをはじめるのにいいとき」という糸井重里さんの言葉に触発されて開始。

毎日続けるのは日課のようでもあり修行のようでもあり、愉しみでもあったりする。

最初の頃は文章は短かったです。だんだん楽しくなってきて長くなってきたけれど、だいたい1,000文字ぐらいに落ち着きました。

タイトルは『ブログ?』で、なりわいにしようとずーっと悪戦苦闘している舞踏というものの魂そのままに疑問符が入っています。

“舞踏?”であり“命ファースト?”であり“ブログ?”です。

「ブログというのは人に見せることを前提としているので、日記というよりはエッセイに近いのではないか?」とかとか日々考えています

最近までは文章と写真をメインにして記していました。

文章は生活していて思ったこと考えたことをメインにしつつ、新聞に取材したことも記したりします。その他、気になったことや皆んなに知らせたいなと思ったことなども記載。

東京都現代美術館での皆川明さんの展覧会へといってそのイラストの数々にこころをうごかされて以来、イラストをもっと入れていこうと思い実行しています。

もともと子どもの頃から絵は大好きだったが、小学5年の時に先生に酷評されて嫌いになってしまった。

けれども高校を卒業するあたりから自分にはなにが向いているかと考えた時に、やはり美術かと思いそちらのほうへと進んだのだった。

その後、いまはなきセツモードセミナーへといったりして本気で絵のプロを目指したりしていた。

結局、26歳のときに大駱駝艦に出会って絵はきっぱりとあきらめて、すべてを捨てて舞踏への道に進んだのでした。

けれども舞踏の精神は「なんでもあり、これでいいのだ」こだわらず決めつけず、ブログでも絵でもなんでも面白そうなことはやってみればいいのです。

2019年、フェイスブックから脱会しインスタグラムもやめツイッターもやめたいま、ネット上での活動はこのブログにしぼっています。

だいたい毎日100人弱のかたが訪れてくれています。ありがたいことです。

人との接触を自粛せざるをえない、こんな時期でもネットでの発信は続けられる・・・

続けられるけれど、いつやめてもいいとも思っています。この状態が年内まで続くというので年内は中止しようかと思ったり、こんな時だからこそ続けるかと思ったり日々揺れうごいています。

舞台はかたちが残らないけれど、ブログはネットというものが存在する限りはのこる。

そういう意味ではこの『ブログ?』が死んだら、自分の遺作というか遺言のようになるかもしれないと思ったりするのでした。

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2年か・・・それがどうした・・・べつに。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 11:25| ブログ?