2020年05月01日

するどうするどう

この状態が年内つづくというので『ブログ?』をどうするかずーっと思案しています。

やめてしまうのは簡単、休むのも容易、でもそれでは面白くないか・・・

小説のようなフィクションをしるしつづけるアイデアがあるけれど、その場合はあとから読む人はどんどん遡っていくわけだから連載ではなく読み切りのほうがいいのだな。

そして創作となってくると才能やセンスの話しになってくる。

先日、娘の国語の教科書に芥川龍之介の『羅生門』がのっていたので、久しぶりに読んだら自分の駄文との違いに愕然となって嫌になってしまった。

歴史上の文豪と比べるのがまったく間違っているのだけれど、いちおう同じことばという土俵の上なので考え込んでしまった。

伝説の大横綱とアマチュア相撲幕下付け出しへなちょこ見習い以下だから話しにならくて当然なのだけれど、なんだかなあ。と思った。

だがしかし、相手はすでに亡くなっている。こちらはまだ生きている。これからほんの1ミリづつでも文豪との差をつめていけるかもしれないとも思ったり。

小説を本気で記すとなると、まいにち気軽につづけるというわけにはいかなくなってくるぞ。

いまもじつは気軽にはつづけてはいません。いちおう人前にさらすわけだから、なんども読み直して推敲をしている。

アイデアというかタネというかいくつか平行して数日前から準備して、明日はこれにするかと前の日にだいたい完成させてその日は絵を描くことについやしたりしています・・・

お金になるわけでもないのになにをやっているのだろう。

ずーっと考えていてたまにやっている、この2年間の『ブログ?』をチョイスしてコピーアンドペーストしていくというアイデアを本気で実行するか。

徐々に洗練されていくというか研ぎ澄まされていくというか、1年間のベストアルバムのようになっていくような感じ。ゆらゆらといつまでも完成しない作品のようなもの。

たまに過去のブログを読みなおすと「いいね」と思うものもあるのです。

戌井君のいうように絵を中心にしてつづけていこうとも思ったり・・・

深く考えず、そのすべてをやればいいのか。1,000文字とか毎日つづけるとかにもこだわらず。

ブログというのは日記というよりもエッセーに近い。そしてエッセーは思考実験という意味もあるらしいのでどうなるか実験だ。1年後にどうなってるか。

この世界もどうなっているか。

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『窓辺にねこがいる風景』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 11:39| ブログ?

2020年05月02日

こんなつもりではなかった

この東京にのこっている理由だった最後の仕事が延期になりました。

けれども都志に帰ることはできない。

心配だなあ。

庭の木や雑草がどうなっているのか。梅雨までに一度手入れをしないとたいへんなことになる。お隣さんのところへと枝が飛び出ていたら悪いなあ。

反対側のいじわるばあさんの敷地へと飛び出そうな枝は切っておいたので良かった。不幸中の幸い。

そして家の中がどうなっているのか心配。古いプレハブなので換気をしないとすぐにカビが生えてしまうのです。

春服も夏服も都志にあるな。春用のスニーカーも置いてきてしまった。どうしようか・・・どうしうようもないか。

さて8月13日から16日までの下北沢ザ・スズナリでの鉄割アルバトロスケット『うぬん』の公演中止がほぼほぼ、決まりました。

こちらは延期ではなく中止。残念だなあ・・・楽しみにしてたのに。つまらないなあ、なんとかならないかなあ。

都志での合宿も中止にするしかないのか。無念だが、このままではひとを集めることができないのでどうしようもない。

そんななかイタリアで活動する舞踏家、竹ノ内淳志さんがオンラインでワークショップをやるそうです。

そのメールを見ていろいろと想像していたらちょっと面白そうなので、自分もやろうかと妻に話したらオンラインはだいたい無料でやるとのことで断念。

東京都が映像を募集していて採択されたら10万円をもらえるので、そちらに応募しよう。映像制作に参加したアーティスト、スタッフの全員が10万円をもらえるそうなので、湯山と加奈子とも一緒にやろう。

東京と京都とアイルランドのコークで撮影した映像を編集する。

まずはコークの家で加奈子が日常の生活をしているところからだんだんおどりになって、そこから京都へクロスフェードして京都の湯山から東京の雲太郎へとおどり尻取りてな感じでつないでいく。

ラストは編集にて3人でおどっているようにしてとかいろいろイメージをふくらませてたけど、考えてみたら拠点は都志へと移したのだった・・・がっかり。拠点が東京か住んでいるのが都内でないとだめなのです。

まったく戻れないのですっかり忘れてた。個人で申請するしかないか。

2次元の映像では3次元の臨場感や雰囲気、じっさいの肉体のエネルギーやパワー、迫力がまったく伝わらない。からだの面白さは半減、いやそれ以下だな。

舞台は、ほんものをその場で観なければほとんどなにも伝わらないのです。

そして映像は編集でなんとでもなる。ディープフェイクとかいってそっくりのまったく別ものをつくるなんてことも可能・・・

とか、つべこべいわずにデュ社でも映像の編集をしてどんどん発信していこう。

素材はたくさんあるので、この機会にじぶんでやります。

ホームページ作成もやって、いつか来るこの先の未来へ向けて頑張って頑張らずに参ろう。

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『がっかりしている自画像』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 13:01| ブログ?

2020年05月03日

東京事務所にて

東京でのしごとのときは自宅の一室を間借りしたデュ社東京事務所で寝起きしています。

そうです。都志へと本拠地はうつしたけれど拠点は東京に残っているのでした。

よかった、グループでの助成申請ができるのだ。

東京と京都と大阪、長野。コークとメキシコシティーとミシガン、ベルリン、あとは・・・

10人まで可能なので日本中、世界中に散らばっているデュ社の仲間と映像をつくろう。

先日、後輩の小田直哉から「オンライン飲み会しませんか」と誘われたので昨日、実行しました。

直哉の奥さまのコムさんがオンラインにてしごとをされているので、そのシステムをお借りした。スカイプよりも評判のいい“ZOOM”というやつです。

デュ社東京事務所に机をセッティング、戌井君がいうところの“コクピット”をつくっていそいそと準備します。

タコのカルパッチョとチクワにキューリをつめてと。

いつもは発泡酒ですが今日は豪勢にビールで乾杯。直哉の処女作をつまみに飲みました。

いい作品になるといいな。

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『オンライン中の・・・誰?』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 10:34| ブログ?

2020年05月04日

夢のような

鉄割の公演。

どこだろうギャラリーのようなところ。

演目中にとつぜん壁の半立体の人形の眼から、ナミダが手品みたいに観客に降りそそぐ。

まるでミラーボールの光のつぶつぶのように規則正しくきらきらと弧をえがいて降ってくる。しかもそれは水ではない。なんなんだろう・・・樹脂のようなクリスタルのような。

「すげえなあ」とおもわず笑ってしまう。ほかのみんなも笑っている。

ほかにもたくさん面白い夢をみたけれど、残念ながら忘れてしまった。起きてすぐに書きとめないと夢はすぐに忘れてしまう。

だれか録音するという人がいたな・・・戌井君だったか・・・

彼はふだんも寝るときに演目を考えるといっていた。直哉はこのあいだアイデアを考えるのが嫌だとかいってた。天才と凡才のちがいか。

自分は創作のときは四六時中、作品のことを考えます。考えるのが趣味みたいなところもあります。いちばんのめり込むときは、それこそ夢にみます。その夢のアイデアに助けられたこともあった。

自分よりも麿さんのほうが考えるのは大好きで、創っている人間いじょうにふかく考え込んでくれたりして申し訳ない気持ちになったものだった。

そういえば麿さんの趣味は「人生」

そんな師匠があるとき「むかいが5000万円あてる夢をみた」といっていた。まさ夢にならないかな。5000万あったら都志の家を改築して稽古場兼劇場をつくって・・・

夢ってなんなんだろう。

起きているときにあったことを脳が処理する過程で出る、かけらのようなものだったか・・・若いころに夢の本をいろいろと読んで勉強したのに忘れてしまった。

夢を映像化できる機械があったら面白いのにな。

そういう意味では映画はまさに夢を映像化する世界なのか。醒めてみる夢、映画。夢のようであればあるほど良しとされる。

夢はつながりがめちゃくちゃだったりするので、映画もつながりとか気にせずにめちゃめちゃに編集したほうが面白いのにといつも思います。

舞台は夢を映像化するというよりも現実化してしまう世界だな。

360度の全方位で感じる醒めてみる夢のような舞台世界は、映画よりも強烈な体験を与えることができるのだと思います。

魔法のような舞踏というものに出会い、足を踏み入れると戻れなくなる門のなかをすすみ続けているいま。もっともっと夢のような舞台作品を創りたいと思う毎日です。

いっぽう手探りでトンネルのなかをすすみ続けているようないまのこの現実の世界・・・

夢や映画や舞台をはるかに凌駕してしまうほどのへんてこな非常が続いている。

「もういいから、はやくエンディングをむかえて欲しい」

こころの底からそう思います。ほんとうに。

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『夢でみた絵』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 12:31| ブログ?

2020年05月05日

新しいマナー

最近、手づくり布マスクをしているひとが多くなっていていいなあ。と思います。

手づくりのマスクに比べて既成のマスクは安っぽいというか無機質すぎるというか、こころが込もっていないというかなんなんだろうあの違いは。

あんなに違うものか・・・

最近の手づくりマスクは、ひとつのファッションレベルまで高まっている気がする。あれだったらしてもいいと思ったり。

いまはいろんなお店でお洒落な手づくりマスクが売られているようです。

ある休みの日に妻が手づくりマスクをつくりはじめたのでじぶんも制作してみました。奥村君にもらったけれどもう着ないTシャツとミナペルホネンの展覧会で買った布で手づくり。

なかなかいい出来で満足、またつくろう。

先日は銀行に用事があったので、その布マスクをして町へ。パチンコ屋は休業しないと怒られるけれど、銀行は休業しなくていいのだな。

遊びは許されない世の中か・・・

町へと出たらマスク率、ほぼ100%。

たまにマスクをしていないひとがいるとギョッとして無防備に感じる。マスクをしていないことよりも顔をさらしているのが、自信があるように見えるから不思議。

こうなってくるとマスクをしてないというのは、銭湯で股間を隠さないのとおなじ感じだな。剥き出しで見せびらかされているように思ったりして。してないのは男性が多いからか。

女性のマスク姿は目だけがみえるので、ミステリアスでちょっとセクシーに感じたりします。

娘はマスクをするのはマナーだと厳しいけれど、あと1年この状態がつづいたらこれからはマスク着用が常識の世の中になったりするかもしれない。

濃厚接触をするときにだけはずす。相手のマスクをはずす瞬間にむしょうに興奮をしたりして・・・

馬鹿なことをいっている場合ではなくて、耳の聞こえないかたがくちびるのうごきをみてする読唇ができなくて新たな障害が生まれているとか。

そんななかインドネシアの聴覚障がいの夫婦が口の部分だけが透明なマスクを開発したらしい。

日本でも透明マスクをつくるうごきがある。

どんなときも障害を乗り越えようとする試行錯誤がたいせつなのです。

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『手づくりマスクをした自画像』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 15:41| ブログ?

2020年05月06日

こどものぜんそくとごえんせいはいえん

昨日は5月5日、子どもの日でした。

明治時代、関西地方の大阪か兵庫でつくられた鯉のぼりを模写してみました。

真鯉の背に金太郎をのせたものは関西で盛んにつくられてきたそうです。

男の子のすこやかなる成長を願う端午の節句か・・・あんまり記憶にないなあ。おそらく兄貴は盛大に祝ってもらっていたのだろう。二番目は兄貴とセットになるし、いろいろと手抜きになるのです。

そのぶん気楽に生きてきましたが・・・

兵庫県の西宮市で生まれ、子ども時代は伊丹市で過ごしました。伊丹はあの頃、公害がひどかったのか小児喘息をわずらっていた。

夜、せきが止まらなくて息ができなくて死にそうな思いをしていたので、肺炎の息苦しさはわかります。

息ができないというのは怖ろしい。

怖ろしいのだけど、ヒステリックに怖がるのはやはり間違っていると思います。死ぬときは死ぬのです。

先日、俳優の志賀廣太郎さんが亡くなった原因の誤えん性肺炎も含めた肺炎での死者数は年間で10万人以上だそうです。

ガンでも亡くなるし、脳溢血で明日亡くなるかもしれない。交通事故に遭うかもしれないし、つぎの瞬間に大地震で死んでしまうかもしれない。

だからこそいまを悔いなく生きようとするのだと思います。

「命ファースト、命を守ろう」というけれど、死を怖れすぎ自粛しすぎて自殺するひとがでてくるのでは本末転倒。

ここまでヒステリックにならずに、もう少し大らかにやれたらいいのになあ。と思います。

誤えん性肺炎は肺に食べものや飲みものが入ってしまって肺炎になる病いのことで、志賀さんとおなじ職業だけでいっても、日下武史さん、根津甚八さん、山城新伍さん、中村勘三郎さんなんかも誤えん性肺炎で亡くなったそうです。

さいきん自分もしょっちゅうむせますが、年齢とともにそんなことが起こるのはしかたのないことなのでしょう。

さて幼稚園のときに伊丹から川西へと引っ越して喘息はうそのように終息してたすかった。

新型肺炎もまるで夢のように終息してみんなをたすけてくれないかしら。

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『金太郎をのせた鯉のぼり』

参照:2020年03月14日 Japan Medical Journal Web / 2018年12月1日 日経電子版
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 13:19| ブログ?

2020年05月07日

をどりたい

『羊と鋼の森』をもういちど読んでしまった。

そんでまた感動していろいろと刺激をうけました。

2度目は1度目には気づかなかった言葉や文章があらわれてきたりします。

「100の川を見るのと1つの川を100回見るのは同じ」そんなことばがインディアンのことわざにあると読んだことがあるけれど、得られることや気づくことは同じだという意味か。

じぶんは次々とあたらしいものを見ることも好きだけれど、同じものを見ることも好きかもしれない。

おなじ曲をなんども聞いたり、おなじ漫画を何度も読むのも好きです。

小説をふたたび読んで、ことばのちからの数々に触発されて「おどりたいなあ」と思った。素敵なことばの数々がこころに沁みて「ソロをゆっくりとていねいにおどりたい」と思った。

シアタートラムとかパブリックシアターなんていうゼイタクな空間で孤独にソロをおどりたい。

ひとのこころを惹きつける、ちからのある踊りをつくりたい。

観るものと踊るものの、こころをわくわくうきうきと躍らせるような音楽で群舞をやりたい。

観るひとに元気をあたえるようなおどり、観おわって興奮してそのまま帰るのがいやで飲みながら誰かと話したくなるようなそんな踊り。

いつか来るその時のためにいまは、こころを研ぎ澄まそう。こころを研げば、おどりも研ぎ澄まされてくる。

しずかにしずかにそのときを待とう・・・

意表をついた幕あき、颯爽とした登場、うごきの可笑しさで、苦しいほどに笑わせ、愉快な足どりと、怪演で魅了する。

目の離せないソロをおどり、存分にあそぶ。

ていねいに丁寧にうごき、どうでもいいと何もかもを放り投げて、愚行、蛮行はあたりまえ。日常の裏側の世界、深層心理の世界の身振り手振りでおどり、非日常の狂気をもってして観るものの日常を殺してあげる。

格好の悪いかっこ良さを、滑稽でぶざまだが愛しい人間のすがたを描く。人間はここまで自由でいいんだとみせる。

エロティックな官能に酔いしれさせ、肉体がイメージを喚起してやまない。活き活きとおどる人間のエネルギー、パワーで感激させる。

スリリングなミュージシャンの演奏が場を盛りあげ、ハッと驚く演出の意外性でびっくりさせ、夢のようなつながりで構成し、ラストの大団円によって人間の悲哀というものが実感として胸にせまってくる。

そんな舞台を!

全身全霊で祈り、生贄になり、身をさらして、ただひたすらに、ひたむきにおどる。

それが観るものに勇気と元気をあたえ、胸を打ち感動をあたえる。

そう信じて。

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Photo by Masami Mori.
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 10:46| ブログ?

2020年05月08日

ことばとおと

いまの1日の情報量は、江戸時代の1年分に相当するという話しを新聞で読みました。

現代人が目にする情報の1日分が、365日に引き伸ばされるようなイメージかな。

いまの人々が1時間に得る情報を江戸で暮らす人々は20日間で得るという感じか。約1ヶ月弱・・・ちょ〜、のんびりしてたのだろうなあ〜、ゆるやかにおおらかに流れていく日常。

テレビもないしラジオもないし新聞もないし、ましてやインターネットなんてのもない。

情報を得るのは、せいぜいかわら版ぐらいのものなのか。あとは井戸ばた会議だな。

のんびりしてたけれどそのぶん、情報のひとつひとつの価値が高くて貴重。情報のちからが非常に強い。

情報が少ないということはことばも少ないということだから、ひとことひとことにちからがあったのだな。

いまの時代は情報を遮断しても遮断しても入ってきて目についてしまう。じぶんはSNSをすべてやめてしまったけれどテレビがあるし新聞もあるし、Googleで検索するとすぐに情報が目に飛び込んでくる。

その莫大な量の情報が消費されるスピードもとてつもなく早い。垂れ流されていく情報と、ことばのかずかず。

いまテレビを観ていると無理につづけている感じがします。この機会にちょっとやすめばいいのにと思うぐらいに早朝から深夜まで途切れなくやすみなく時間をうめつづけている。

そうしなければならないという強迫観念みたいなものなのか。

ピアノを調律するときはまず“ラ”の音をあわせて、その音を基準にしてほかの音を合わせるという話を本で読みました。

そのラの音は440ヘルツなのだそうです。

ヘルツとは1秒間に空気が振動する回数のことで、数値が高いほど音も高くなる。

いまは442ヘルツを基準にすることもあるし、現代のオーケストラで基準の音になるオーボエのラの音は444ヘルツになってきているらしい。

モーツァルト時代のヨーロッパではその基準のラの音が422ヘルツだったとか。モーツァルトが作曲をしていたころから比べると半音近く高くなっている。

高くなるということは音が明るくなるということでもある。そうなっていくのは、時代がもとめることでもあるのでしょう。

明るい音をもとめたくなる時代か。

おなじようにスピードやテンポも時代とともに、どんどん速くなっている。

情報が溢れているけれどこころは貧しくて、音楽は高く速くなるけれど暗く満たされない・・・

舞踏はことばをほとんどつかいません。

そうしてゆっくりと速度をおとすことを良しとします。

舞踏の思想そのままにできるかぎりことばを厳選しつつ、この一瞬を大切にしていけるといいなと思います。


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世界共通で赤ん坊の泣き声は440ヘルツらしい。

参照:2020年4月21日 毎日新聞 / 宮下奈都著『羊と鋼の森』
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2020年05月09日

出口あり

企業の倒産やお店の閉店がぞくぞくと増えてきています。

吉祥寺井之頭公園入り口にあった芙蓉亭という伝統あるレストランも閉店、山形の素敵な立ち飲み屋さんも閉店してしまったそうです。

家賃が払えないのだものな。融資もはじまっているようですが、再開の目処がたたないのだから返す目処もたたないので申請ができない。

シングルマザーで子どもが3歳で職場をクビになったけれど、ハローワークにいけないというひとがテレビで取り上げられていた。

そんなひとがたくさんいるのだろうな。

食べられなくなって、自殺。このままだとコロナウィルスでの死者数よりもそちらのほうが多くなるかもしれないです。

いっぽう保育の現場も介護の現場も医療の現場も、あいかわらず危機的な状況がつづいているようです。

減収、虐待、派遣切り、内定取り消し、失業、コロナうつ、etc...etc...テレビも新聞もくらいニュースばかり。

クソー、コロナウィルスのやつめ。・・・けれどもウィルスを恨むのは違うのだろうなあ。

もともとは人類が巻き起こした環境破壊が原因です。自然を破壊して開発することによって野生動物と人間との接触が増えてしまった。その接触によって未知のウィルスが人間へと感染している。

中国武漢の研究所がはじまりだともいわれているけれど、それも人間のしわざ。人類といういうものが存在するがゆえのウィルスの大流行、原因は自分たちにあるのです。

自分たちで自分たちの首をしめてしまっている愚かな人類。

鉄割も夏の都志合宿も年内のあらゆる仕事がなくなりつつあるいま、そうして来年までこのみうごきのとれない状態が続くかもしれないと言われるいま。

この事態が収まって欲しいとこころの底から願います。

「ごめんなさい」

地球を汚して壊しつづけ同じ過ちをなんどもなんども繰り返す、愚かすぎる人類という生きものをどうかお許しください・・・

そんなふうに思う日々ですが、なんとなく、なんとなく長かったトンネルのさきに光がちらちらと見えかくれしているような感じがしてきています。

ほんのかすかに。

まだまだ気はまったく抜けませんが、武漢では終息したし韓国や台湾、そしてニューヨーク、ドイツ、ニュージーランドもピークを越えたようです。

かならずや終わりはやってくる。明けない夜はない。

そうしてまた繰り返される愚行のかずかずか・・・

いかんいかん、悪いことを考えるとそのとおりになる不思議。世界はどんどん良くなっている。

トンネルを抜けたさきの未来も、なにかしらいい方向へと向かうのでしょう。

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『無題1』

参照:2020年4月23日 5月9日 朝日新聞
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2020年05月10日

ある日のメモ

ひげに手袋をぶら下げて、男がひとり座っている。

前には弓と矢がある。男はゆったりとゆっくりと、その弓を取り上げ、ゆっくりとゆったりと矢をつがえて、きりきりと引き絞り、ちからいっぱい矢を放つ。

全宇宙にエコーする、クラリオンが鳴り響く。

交叉時間・クロスホエン。

ものがたりは肉体のためにあり、肉体と踊りによってこころの景色がつくり出され、生まれて、拡がる。その心象風景が観るもののさまざまなイマジンをかき立てる。

そのことによって、観客は劇場の空間にまぼろしを観る。

最初の半句、一言一句、ことばの断片、絵、写真、映像、風景、見るもの、触るものすべてから立ち上がる幻視、イメージを捕まえて、採集し、拡げて、膨らませ、突っ込んで、育てつづけていこう。

我々は何処から来たのか?

胎児は母親のお腹の中で、人類の壮大なる進化の歴史を十月十日で経験するとかなんとか、人間はどうやって生まれるのか?ということはわかっているが、ではなぜ産まれて来るのか?ということになると、誰にもわからない。

我々とは何か?

人間存在の謎に無限の想像力で迫りたいとか思いつつ、そんなことどうでもいいか。

我々は何処へ行くのか?

どこでもいいじゃん。そんなことわからない。

死という誰もが逃れ得ない、絶対平等の真実か・・・古いですね、もっと普遍的な主題をもとに作品をつくったほうがいいかな。

わからなさにつけ込んで狂った貴族が出鱈目なお祭りをつくり出すとか、どうかな。

邪念を捨て 自意識と遊び 狂気と遊び 自我と遊び 厳しすぎず 甘すぎず 媚びすぎず 懲りすぎず 簡単に アカルク トキニシズカ二 トキニウルサク コムズカシクナク ハレヤカニ イコウ

我らだけが彼岸へと到るのではない。彼らもまた彼岸へと連れ去り、あらゆる一切の衆生をも昇天させて終わる。

最も暗い夜の、輝ける闇。

人は生の手触り、生の質感というようなもの、生きているという手触りに、生きているのだということを感じられる体感に、知らず知らずに引きつけられる。

それは決してバーチャルな二次元のものではなく、汗や匂いや熱気をともなう全方位の劇場的なもの。

それはそこにしかないもの、そこへいかないと感じられないもの。よいものを創りたいという思いと、よいものを観たいという思いが、がっちりとスクラムを組む。

ふむふむ、いいね。

その目的を達成するために、こころに信念の種を植えつける。

その種に水をやりつづけ、栄養を与えつづけていきたい。

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『ある日の絵』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 12:01| ブログ?

2020年05月11日

いつもありがとう

前略、おふくろ様

昨日は母の日でした。

ありがとうの気持ちを込めて妻に、にぎり寿司をつくりました。

じぶんと妻は、おからにぎり寿司です。娘とおなじカロリーを摂取してたら、からだがたいへんなことになってしまうのです。

オフしてもオフしてもオーバーしてしまうカロリー。

豪勢に刺身を買いたいところだけれども、そんな状況ではないじぶんをかえりみてこころですまないと手をあわせる。

スーパーで刺身の切り落としを購入。あとはタイのあらがあったのであら汁をつくりました。

タイのあらは安いけれど、美味しい身が豊富にくっついているのでお得。お得ですが下ごしらえがけっこう面倒なので安いのです。

まずは、水であらって血や汚れをおとします。そんでお湯を沸かして湯通ししてからうろこをとります。

都志ではじめてタイのあら汁をつくったときは、うろこをとると知らなくて出来上がって「さあ飲もう」としてそのうろこの多さに驚愕した。透明だからタイのアブラと見分けがつかないし、のどに貼りつくしあれはびっくりしたなあ。

もうこりごりなのでしっかりとうろこを落として、しょうがとねぎと煮込んで味噌を入れてできあがり。美味しかったです。

さて、母親を看取ってはじめて一人前だという話しをどこかで聞いたことがあるような、ないような。

最近、おふくろ様は足が弱くなってきて歩くことがままならなくなって心配していますが、こころとあたまはしっかりとしているのでひと安心しております。

子どもの頃から母親の言うことはまったく聞かなかった。聞こうとも思わなかった。なんとも思っていなかったなあ。親不孝ばかりしてきた人生。

20歳のときに家出して5年ぐらい連絡をしなかった。

子どものことを思って口うるさくなってしまうのだと、じぶんが親になってはじめてわかります。わかりますがじぶんはほとんどなにも言いません。

妻にまかせています。ふたりで口うるさいとよくないですからね。

結婚してから彼女のおかげで、だんだんと親孝行ができるようになってきてよかった。

感染させてはいけないので、様子を見にいくことができませんが、体調はいかがでしょうか。

散歩はしているかな。マスクはありますか?布マスクをつくって送ろうかと思っています。

それでは。

草草

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『モナリザにらくがき』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 10:19| ブログ?

2020年05月12日

もこにゃん

猫を飼っているのである。

なまえはもこにゃん。

正確には吾輩が飼っているのではなくて、妻と娘が飼っているのである。

もこにゃんは保護猫である。なのでひだりの耳がさくらの花びらのようにちょきんと切ってある。

いちばんなついているのは娘、二番目が妻で吾輩は番外といったところであろうか。

近よると逃げるのである。

保護した保健センターの捕獲員が男だったのでしょう。追い詰められて乱暴に捕らえられたときの恐怖と衝撃がこころに残ってしまって、男性に対して警戒心が強いのかしら。

いつも大好きな娘が勉強しているつくえの上に寄りそって寝そべっている。

いつも娘のあとをついてまわっている。トイレへいったらそのあとをついていくのである。

娘は近づくだけでグルグルいってうらやましい。吾輩が触るときはそうとうに油断しているときで、けっこう長い時間をかけて丹念になぜないとグルグルいわない。

たまに寝込みをおそって抱っこをする。そんなときはとても癒されるのである。

愛玩動物か・・・ほわほわでもこもこで、あったかくてなんなんだろうあのいきものは・・・

猫ってのは、ほんとうに気まぐれである。さっきまでそこにいたのに、いまはちがうところにいる。昨日まで毎日あそこで寝てたのに、今日からはちがう場所で寝る。

自由闊達、融通無礙である。そして好奇心がとてもつよい。家中を鼻をふんふんいわせてパトロールしている。好奇心がとてもつよいが、とても怖がりである。

いつもびくびくしている。

そのわりにはふてぶてしく腹をみせて、まるでおっさんみたいに寝転んでいたりもする。

たまに観察していると間のとりかたが絶妙で感心するのである。きゅうに止まったり、トリッキーにうごいたりゆっくりうごいたりする。いつまででも観ていられるので見習うのである。

猫のごはんはエサというと怒られる。こうなってくるとペットとかではないのだな。家族の一員のような感じか。

ドラえもんが押入れを寝床にしていたように、押入れは大好きである。大好きなのはいいけれど、布団が毛だらけになっていたりするので困りもの。

じつは娘は猫アレルギーなのである。

そんなもこにゃんですが、いつも窓辺で外をみています。

出ることの叶わない外の世界。憧れなのか諦めなのか、窓のむこうをずーっとみながらたまに深いため息をついたりする。

食べる心配もなく気楽でいいなあ。とか思ったりするけれど、自由が限られているのはさぞや辛いのだろうな。

いつか外で遊ばせてやりたいのである。

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『ねむるもこにゃん』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 12:37| ブログ?

2020年05月13日

ナイチンゲールデー

昨日、5月12日はフローレンス・ナイチンゲールの誕生日でした。

1965年に彼女の功績をたたえて看護の日にさだめられたそうです。

誕生したのはいまからちょうど200年前の1820年、イギリスの裕福な両親のもと。2年にわたる新婚旅行中だったんだって。2年間の新婚旅行・・・

想像を絶するお金持ちだったんだな。その旅の途中、イタリアのフィレンツェで生まれたから英語読みのフローレンスと名付けられた。

そんなめぐまれた境遇にあまんじることなくフローレンスは、看護のみちをこころざして両親に猛反対される。当時は看護婦の地位が低くてお金持ちがやるような仕事ではなかった。

看護婦か・・・たいへんな職業です。いまは看護師というのか。

献身的にひとをささえる仕事。

重労働で肉体を酷使するし夜勤もあるし精神的にもきついのだけど、医師にくらべるととんでもなく給料が安くて報われない職業、そんなイメージです。

クリミア戦争へ看護チームを率いて派遣されると病院で女性差別をうけます。「おんなは引っ込んでろ」というやつだな。そこで、できることからはじめていく。

まずは不衛生きわまりなかったトイレの掃除からはじめる。

むかしは水洗なんてなかったからたいへんだぞ。水洗ではないトイレの匂いは凄まじいものな。アンモニア臭に人糞の匂いか、想像しただけで胸くそわるくなります。

そして病室のなかも空気を入れ換え掃除をしていく。傷ついた兵士のからだを拭き、包帯の交換などをおこなう。だんだんと清潔になっていく病院。

認められていく看護チーム。

フローレンスたちの活躍によって病院での死亡率は42.0%から2.2%へと劇的に減った。戦場の傷ではなく不衛生から起こる感染症でいのちを落とす兵士が多いことを見抜いたんだな。

彼女はとにかく目立つのが嫌いだったようで、戦地から帰国するときも大活躍したフローレンスを待ちうける記者たちの目をごまかすために偽名で入国したとか。

帰国してからも活躍する。戦地で経験して感じた看護の重要性と権限の必要性をうったえるために、レポートにまとめて提出。

そのさいに子どもの頃に得意だった数学の才能を発揮して、数値データをわかりやすくグラフにしたそうです。

そのレポートは女王陛下も見たとか。

その後、看護学校をつくったりして看護と介護という、金持ちが慈善活動としておこなっていたものを専門職にまで高めた。

1910年に90歳で永眠。

いまこうしているあいだにもウィルス最前線で活躍されている、ナイチンゲールの魂を受けついだ看護師のかたがた。

身を呈して献身的に患者に寄り添う看護師たちか・・・

じぶんには到底できないまね。

あたまが下がります。

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『白衣の天使』

参照:2020年5月1日 毎日新聞 / 2020年5月12日 Yahoo! news / 2020年05月12日 tenki.jp / バーバラ・ハーメリンク著、西田 晃訳『ナイチンゲール伝―近代看護の創始者 』
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2020年05月14日

込め込め

音楽を聴いていると踊りたくなる

でもいまは我慢

出すのではなく込めるとき

悔しさを込めていく

むなしさを込めていく

怒りを込めていく

踊りたい気持ちを込めていく

どうしようもない、いろんな気持ちを込めていくとき

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"Untitled3"
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2020年05月15日

腑に落ちない

なにが不要でなにが必要なのか。

パチンコは不要であるそうです。ほんとうか?

誰かと喋るわけではないし黙って玉を打つだけなのにな。消毒をきっちりとやれば、やってもいいんじゃないのか・・・

クレームを入れるひとがいるのだな。遊びを許せないひとたちがいる。

銀行の営業は必要である。でもほんとうか?

ATMがあいてればたいていの用事は済ませられるんじゃないのか。窓口があいている必要ってほんとうにあるのか?各種手続きなんてネットでできるのではないか。

ホームセンターは営業をつづけている。

けれども生きるためにほんとうに必要なものなんてホームセンターにはないんじゃないのか。東京都は休業要請をしようとしたけれど、政府がまったをかけたとか。

大人の事情か・・・

そうしてなんと市民グラウンドが使えなくなっていました。

あんなに広いのに感染するか?

感染の可能性というよりも、ひとが集まるのが嫌なひとがいるのだな。クレームを入れるひとがいる。ひとりのクレーマーにみんなが合わせなくてはならない時代か。

やな渡世だねえ。

公園も閉鎖しているところがあるとか。クレームを入れるひとがいるのだな。

小金井公園は閉鎖はされていないけれど、遊具が使えなくなっている。感染リスクがあるのか?立入禁止の黄色いテープでぐるぐる巻きにされた無残な遊具を見て、クレームを入れたひとは気が済んだかな。

電車の中のほうが感染リスクはぜんぜん高いだろう。電車はゆるして公園の遊具はゆるさない。腑に落ちない。理屈はわかるけれど腹が立ってくる。

そんななか閉鎖されているグラウンドで、テニスの練習をしている男の子とラクロスの練習をしている女の子がいた。誰かが告げ口してやめさせられるのか。

グラウンドのちがう場所で若者二人がバスケットボールでもやったあとなのか、上半身はだかで座って話していて青春だなあ。と思った。彼らも自粛警察に見つかったら注意されるのか。

感染のリスクはないと思う。けれども言うことを聞かせたいひとたちがいる。

彼ら彼女たちは寛容さに欠けるひとたちのクレームによって決められてしまったルールを、たしかに破っているかもしれない。

けれど、なんの罪もおかしていないと思います。

おじさんは陰ながら応援してるぞ。

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『紫蘭が咲いた』
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2020年05月16日

いろいろなはなし

昨日は湯山大一郎とオンラインミーティング。

今回もzoomにお世話になりました。

湯山は先日亡くなられた、お父さまの遺品整理をはじめたそうです。

学者であり研究者であったお父さまの莫大な論文やレポートや記事、資料のかずかずは、学術的に価値があるので専門家に見てもらわないと湯山では手にあまるようです。

もともと専門としていた物理学のことはもちろん、あと3つのことを生涯かけて追いかけて研究をされていた。

根っからの研究者だったのだな。

そうして最近、お母さまと話す機会が増えたようです。お母さまは日本史の先生をやられていて、いまも教えてらっしゃる。

日本史はここ5年ぐらいでガラリと変わっているらしく、いままでの間違いをどんどんただす方向へと向かっている。

昨日聞いたのは、今回のウイルス騒動でもよく出てくる“鎖国”ということばがいまの教科書にはのっていないという話し。

徳川幕府は海外と取引する港を4か所に絞るという政策をしただけで、鎖国するとはひとことも言っていなかった。

江戸の末期に鎖国ということばが少し出てきただけ。

それがいつのまにか江戸時代はずーっと鎖国令が出ていたというふうに歴史上なってしまって、教科書にもそう書かれるようになったのだって。

さて、昨日聞いたあやしい話しは新型コロナウイルスが中国の武漢ウイルス研究所から発生したというもので、しかもそれがわざとではないか。というのです。

もしそれがほんとうならば、アメリカは中国との戦争で細菌兵器によって被害を受けているという図式になるのか。

一国だけとんでもない数字になっているものな。今回の新型コロナウィルスはアメリカへ向けた中国のウイルス攻撃だった・・・

アメリカの感染者数が異常に多い理由は保険の問題が原因です。

日本のように保険が国民に行きとどいていない。それをなんとかしようとオバマさんが頑張っていたのにトランプが台なしにしてしまった。そこにコロナパニックです。

トランプさんはちかい将来に失脚するのだろうな。けれども娘のいうように「強烈なインパクトはのこした」

何年かたったら「いたいた」と話題になるのか。

あとは映像について話しました。

志村けんさんを亡くなる前よりも亡くなってからのほうがよく目にしていると言っていて、確かに。テレビでしょっちゅう観る。けれど、実際には一回も会ったことない。

「じぶんのなかでは志村さんは亡くなってないんです。」

映像の魔術だな。

いかに儲けるかとかいう考えよりも宣伝だと考えて、いままでの作品の動画を配信する。

そういう活動のほうがいいのだとも話していて気づきました。

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『シラン』
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2020年05月17日

流血

昨日は手を二箇所切ってしまった。

もこにゃんにいなばの「外はふっくら中はとろとろ」というとっても美味そうな“ちゅるビー”というのをあげようとしたら、プラスチックの包装紙で指をすっぱり。

カミソリ並みのキレ味で気づいたら切れていた。

じぶんがやくざだったらタダではすまないぞ。すぐに電話して「指切れてもうたやんけ。どうしてくれるんじゃ、あー!」

じぶんはやくざではないので絆創膏をはって終わり。もこにゃん、よろこんで食べていました。

つぎは食べおわったシーチキンの缶を捨てるためになかをティッシュで拭いていたら指をざっくり。所帯じみてしょぼい理由でごめんなさい。

これはけっこう深く切れてしまい血が吹き出てきた。ティッシュでおさえて手をうえにあげて止血します。妻に絆創膏をはってもらって「ありがとう」

二か所とも右側だったのでキツネでもついているのかと思いたいところですが、たんに利き腕だから。

そうして男は女性とはちがってめったに血を流すことがないので、たまに流血するのはいいことなのです。女性は1ヶ月にいっかい流血して、血をあたらしく入れ換えているので長生きできるのです・・・

ほんとうかどうかは、わかりません。

そのむかし旗揚げのころの大駱駝艦の打ち上げでは、かならず流血さわぎがあった。

男たちは室伏鴻の影響をうけて、本番2週間ぐらいまえから断食に入ります。

ほとんどなにも喰わずに本番をむかえるので、舞台上の男たちはみんな眼がギラギラしていたそうです。それがまたしびれるほどかっこが良かったと、元パブリックシアターのかじやさんが言っていた。

そうして本番がおわると打ち上げですが、なんせ2週間ほとんどなんにも食べていないので一気にとんでもなく酔っ払います。血気盛んな若い男たちのこと、酔っ払ってくると売りことばに買いことば。

「いま、なんて言った?」

「おめえのおどりがつまらねえって言ったんだよ」

「なんだと」

ビール瓶持ってガツーンといっぱつ、血がブシュウッ・・・

火元はいつも山田一平さんです。当時のステージネームはビショップ山田、ビショップさんは酒乱だったようで、血をみないと気が済まなかった。

最後はいつも麿さんが、そのうえをいく大騒ぎをおこして事態をおさめていたようです。

たいへんだわ。

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『血のような』
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2020年05月18日

わら、わらい、わらう、わらえ、わらおう

毎日、毎日くらいニュースばかり。

自粛警察に強制自粛に誹謗中傷に罵詈雑言。

人間は弱いものいじめが好きだからなあ。

こんなときにいちばん大切なのは笑いです。なんでもかんでも笑いとばすのです。

じぶんの人生は、笑いに何度もすくわれてきました。それだけにいつも笑いは大切にしています。

どんなときにもアホなことを考えて、馬鹿なことをやりたいと思っています。

いつもニヤリとさせてくれる、戌井君の週刊ポストの連載見開き反対ページに小松政夫さんのインタビューがのっていた。シリアスな芝居よりもコメディでのお芝居のほうがぜんぜんむずかしいと話されていました。

その精神は師匠である植木等さんから学んだとか。「芝居で涙なんか流しちゃダメだ。涙を流すマネをするんだ。鼻水がダラダラでて、セリフが言えるか。」

小松さんは師匠に浄瑠璃も観なさい。と言われたとか。

無表情な人形が観客を感動させるのはなぜか?まじめになるのは簡単だけど、笑わせるとなると途端にむずかしくなる。か・・・

そうなんだよなあ。楽なほうへいかない。まじめは禁物、クソまじめなんてクソだ。

広島の原爆で亡くなった曽祖父をモデルにしたデュ社の旗揚げ公演『ふたつの太陽』のときはシリアスにならないようにまじめにならないようにと終始、気をつけて制作した。

けれども結局、シリアスに押されてしまった。悲劇的な題材に飲みこまれてしまったのだな。

核をテーマにして制作した第3回公演『ぴちがい裁判』のときは喜劇にしようと頑張ったけれど、むずかしかった。こちらは無謀ともいえる劇作への挑戦もあったのでそこも原因ではあったな。

悲劇から喜劇へと向かおうとするこころが大事なのだと思います。

みんなが深刻でなかなか喜劇になっていかない、いまの状況。みんながシリアスで遊びや笑いを許さないようないまの状態。

かんたんなまじめのほうへと向かわないようにしたいなあ。安易な真剣へと向かわないに気をつけたい。正義を振りかざして勧善懲悪のつまらないドラマにならないように願いたい。

まあいいじゃないかと笑いたい。どうしようもないねと笑いたい。

こんなときこそ。こんなときだからこそ。

踏んだり蹴ったりするのではなく、踏まれて蹴られていたい。悪口をいうよりも、悪口をいわれていたい。指をさすよりも、指をさされていたい。笑うより笑われていたい。

そうしてすべてをうけ流し、真にうけないようにしたい。

つよく、したたかに。

小松さんは、いい歳をした大人が白髪を振り乱して必死に電線音頭をおどるのがいいのだともおっしゃっていました。

どんなときでも全力でコメディーにかえていきたい。

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『わらおう』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 12:46| ブログ?

2020年05月19日

えー!?

5月15日、金曜日から東京都の芸術文化活動支援事業の登録がはじまりました。

5月31日までです。

まずは個人登録をします。そして動画の企画を応募する。その企画が審査で採択されたら動画を作成するというながれです。

うっかり忘れていて昨日起きてそういえばと思い、朝イチで登録しようとサイトをみたら・・・

令和2年5月15日、重要なおしらせ

「予定数を大きく超えるお申し込みをいただきましたので、個人登録の受付は18時をもっていったん終了いたしました。ご了承ください。 」

という文字が目に飛び込んできて愕然とします。

「えー!?

募集人数が4000人程度となっていたので油断していた。そうだよな東京都内のアーティストなんて4000人ではきかないし、考えてみたらユーチューバーなんてのも出せる。

ダンサーはもちろん、ミュージシャンに役者さんにお笑いに落語家やマジシャンなんてのも出せるか。いま身うごきができなくてなんにもできないひとたちが、10万円をもらおうと応募するのだものな。

いまみたら対象が、“パフォーマンス(ダンス、音楽演奏、朗読、合唱、寸劇、作品の一部等)。美術などのライブ制作。自身が関わった作品についての紹介、解説。プロフェッショナルとしての専門分野についてのトーク。

アニメーションやドキュメンタリー等の短編映像。新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止に伴い、中止・延期となった活動に関わるもの(ゲネプロなどの一部映像等)で未発表のもの。”

となっていて、そんなの4000人でおさまるわけがないと思った。

ショックが大きすぎてしばらく呆然としました。・・・呑気すぎた。

麿さんだったら激怒しただろうな。「むかい!!いい加減にしろ!おめえはいっつもぼーっとしやがって。だいたい甘いんだよ、必死さが足りねえ!」1時間は説教だな。

さいきんスケジュールがガラ空きなので、スケジュール帳を見なくなっていたのです。すぐに予定を忘れるので、1日1回は見る習慣をつけていたのですが。とか言い訳してもあとのまつり。

いろいろと考えて思い出しては落ち込んでため息をついていたら「まあ、応募するなということだったんじゃない。」と娘になぐさめられた。

まあな。

師匠の名言に「忘れるようなものは要らねえものなんだ。」というのがありますが、たしかにそうなのかもしれないと考えてじぶんをなぐさめたりします。

あー、湯山と加奈子に申しわけない。

ほかの人にはまだ声をかけていなかったのが不幸中の幸いだな。

「今後については今回の反響を踏まえ、改めて検討いたします。」とあったので追加募集に期待です。

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『わらえないとき』
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2020年05月20日

#抗議します

この『ブログ?』では、政治的な発言をあまりしないように気をつけています。

いっかいの芸者ごときが政治を語るのを、いましめているこころもあります。

師匠の麿赤兒が政治的にアナーキーであり、その「右でも左でもどっちでもいいじゃないか、原発あってもなくてもどっちでもいいじゃないか」という姿勢を見習っているというのもあります。

政治的なジョンレノンよりも、それに否定的なフランクザッパのほうが好きということもあります。

記者「なぜ、ビートルズみたいに平和や反戦の歌をうたわないんですか?」

ザッパ「いまおれはデンタルフロスの歌をうたったんだが、お前の歯は綺麗になったか?」

なので最近の検察庁法改正のことについても、ずいぶん前から知っていましたが「よくわからないなあ、なにをやってるんだろうなあ、どうなるのかいな。」と思いつつ、ここへ記すのは控えていました。

けっきょく政権は、なにがやりたかったのかというと、今年1月31日に閣議決定された黒川弘務検事長の定年延長という違法行為を、あと追いで合法化したかったのだとか。

検察トップである検事総長に政権が操りやすい、じぶんたちに都合のいい人物を起用するために法律を変えようとしているのではないか?との疑いも日本中からもたれていました。

「内閣の恣意的な人事が、今後おこなわれるといった懸念は当たらない」

安倍首相がわかりにくいことばで否定していたけれどこれまでの言動ややってきたことで、まったく信用できないのは火をみるよりあきらか。

政治権力から独立性を強くもとめられる検察官。その理由はときには政界に切り込み、総理大臣をも捜査し取り調べる必要が出てくるから。

いっぽう黒川検事長とはどんなひとなのか・・・

政権べったりで、菅官房長官の大のお気に入り。

小渕優子さんの政治資金規制法違反問題、松島みどりさんの選挙違反問題、甘利明さんのUR口利き問題、下村博文さんの加計学園パーティー券問題。

そうして佐川さんらによる森友学園公文書改ざん問題、これらすべてを不起訴にしたのが黒川さんだと言われている・・・

そんななか政府が今国会での法案の成立を断念、見送った。見送りということは、まだあきらめてはいないということだな。

抗議のツイートが急拡大とニュースになったのが5月10日ぐらい。10日たらずで民主主義が勝利した感じです。政府はいつものように民意ではないと押し切ろうとしていたけれど無理でした。

日本にいる人間のほとんどが不要不急の自粛ということを政府の要請にしたがって協力をしている真っ只中に、日本のリーダーが不要不急の法案を通すというのはまず許されないでしょう。

いま安倍政権は、支持率が33%まで落ちている。

おごれる平家はひさしからずです。

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『おこっている』

参照・引用:2020年5月12日、14日、16日、19日 朝日新聞 / 2020年5月17日、18日 読売新聞 / 2020年5月17日 毎日新聞
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2020年05月21日

ゆめ散る

夏の全国高校野球が中止になりました。

感染のリスクとかいうのは気をつければなんとでもなると思うけどなあ。

しかし、まったく練習できないのだから仕方がないのか。夏休みもなくなるというし、どうしようもないのか。

甲子園だけを夢みて朝から晩まで汗と涙をながしながら練習してきた結果がこれか・・・

インターハイも中止、合唱の甲子園であるNHKコンクールも中止です。いままで応援してきた親たちもがっくり。

残念、無念。悔しいだろうなあ。腹がたつなあ。あたまにくる。

なんでこんなことになってしまったのだろうか・・・

やはりどう考えても大騒ぎをしすぎです。

インフルエンザの例年の感染者総数は、推定1000万人、死者数は去年、3000人以上です。 いま、現在の新型肺炎の感染者総数は、1万6457人、死者数は、784人なのです。

メディアはよくスペイン風邪を引き合いに出すけど、スペイン風邪での日本の感染者数は2380万人、死者は約38万8000人にのぼったとされる。

ことの重大さは数ではないのは当たりまえですが、騒ぎすぎたのだろうなあ。

感染を異常に恐れすぎている。

いつのまにか絶対に感染してはいけない感染させてはいけないみたいな雰囲気になってしまって、身うごきがとれなくなっている。感染しないさせないというのが、新しい道徳や正義のようになってしまっている。

その原因は騒ぎすぎたマスコミやメディアにあると思います。

つぶやいたり、SNSで情報を流してこの状況をつくり出してしまったすべての人の責任でもある。

じぶんもふくめた、すべての大人の責任。

そうして自らのパフォーマンスのためにそんな権限もないのに、全国一斉での休校要請を出してしまった安倍首相の責任。

本来ならば各自治体の教育委員会が判断して出さなけれならないのに、首相がそんなことをしたらじっしつ命令になってしまうのはあたりまえのこと。そうしていまの教育現場の大混乱です。

自らのパフォーマンスのために日本ではできないロックダウンなんてことを口にする知事がいるから、世論に押されて緊急事態宣言なんてものが出てしまった。

じぶんもそんな世の中の雰囲気にのまれて、緊急事態宣言が出るのがいいことだなんて思ってしまった。

大混乱する日本。すべて中止になってしまうイベントのかずかず。

じぶんでじぶんの首を絞めてしまった。

そうしていつでも、どんなときでも犠牲になるのは子どもたちです。

高知の名門、明徳義塾の監督さんが言っていたように「苦しいときにこそ自分は試されるのだぞ。まだまだはじまったばかり。みんなこれからだぞ、これから。」

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『さいごの夏』

参照:2020年3月7日 毎日新聞 / 2020年4月24日、5月8日、5月21日 朝日新聞 / 厚生労働省HP
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2020年05月22日

おおらかにいきたい

感染を過度に怖れるのではなくおおらかに生きていきたい。

インフルエンザとおなじように、うまくつきあっていくしかないのでしょう。

感染に気をつけつつ日常をとりもどしていきたいものです。

ひとは死ぬときは死ぬのです。いまこの瞬間に大地震がおこって死ぬかもしれない。今日買いものにいく途中に車にはねられて亡くなるかもしれない。

晩ごはんを食べていて誤えん性肺炎で亡くなるかもしれない。むせて窒息死するかもしれない。もちがのどにつまって亡くなるかもしれない。脳溢血でバタッと逝ってしまうかもしれない。

マスクをつけて走っていて呼吸困難になるかもしれない。

人生一寸さきは闇、どうなるかわからない。だからこそ、このいまをたいせつに生きていけるようにしたいです。

店でマスクが売られるようになってきました。昨日はビバホームでみかけてダイソーにも売っていました。

こちらお手製の布マスクがあるし、じぶんより必要とするひとがいるでしょうから購入は控えました。

テレビのニュースでやっていましたが、これからの暑い夏用にひんやりした素材のマスクとか和紙でできたマスクや保冷剤の入れられるマスクとか、皆さんいろいろと考えてどんどん進化しています・・・

夏もマスク着用がマナーになるのか。参ったなあ。まあしかしこのウィルスの特徴は感染していても無症状というところ。飛沫感染を防ぐためにはしかたがないのか。

やるべきことはやりつつ、気をつけつつ人生を楽しんでいきましょう。

いっぽう、あべのマスクは446億円もかけて布マスク1住所あたり2枚配られる予定だったけれど、不良品が続出。

回収されていまスタッフが昼夜を問わずに検品しているとか。その検品作業に8億円かかるのだって・・・

そんななか菅官房長官が記者会見で「布マスクの配布により需要が抑制された結果、店頭の品薄状況が徐々に改善された。」と説明したとか。マジか?

記者にその根拠を問われると「東京などに届きはじめてから、店頭でマスクが売られはじめたんじゃないんでしょうか。非常に効果があると思う。」と自画自賛。

あべのマスクは18日時点、13都道府県で約1450万枚しか配られていないという。配布の予定は1億3000万枚。

まだ1割強しか配布できてないのに、店頭にマスクが戻ってきているのです。

逆に恥ずかしがれよ。

厚顔無恥で嘘を嘘で塗り固めてきた、まったく頼りないこの政権・・・いまだに33%のひとが支持しているのが信じられないのです。

権力とは無縁の舞踏家は、したから見あげながらそう思うのでした。

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『アベガマスク』

参照・引用:2020年4月26日 毎日新聞 2020年5月21日 朝日新聞
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2020年05月23日

どこが

腹が出てきました。

全体的にからだがひとまわり大きくなったようにも感じます。

先日、奥村君にもらったぴったりしたポロシャツをきてみたらぴちぴちでびっくり。

まったく贅沢はしていないのだけれど、ついてくる贅肉・・・贅沢な悩みだな、アフリカの子どもたちに申し訳ない。

コメやパンやメンをめったに食べないようにして糖質をオフ、食べる量を少なくしてカロリーをオフ、キャベツを刻んで玉ねぎをスライスしてサラダを中心にしていても腹が出てくる。

思いついたときには稽古しているけれど、ぜんぜん足りていないのだろうなあ。

節制しても節制してもオーバーしてくるカロリー・・・

これは、もうもとに戻らないかもしれない。

とか気にしてたら「ありのままとか言うてるのにぜんぜん違うやんけ。」と妻に突っ込まれました。

「どこが天賦典式やねん。」

たしかに・・・生まれたことがもうすでに才能であり、そのままで作品である。とかいつも言っているのにじぶんをつくろうとするこころがある。

理想と現実か。

「ひと前であるがままであれ」と「ひと前にこのからだで、いやそれ恥ずかしいでしょう。」恥ずかしいと思うきもちは大切らしいのでまあいいのか。

「恥ずかしさのないものは下品なだけである。」

土方さんとか室伏さんの真似をしようとする精神がよくないのだな。神話を追いかけるな、伝説に憧れるな。

腹がでているとか頭がはげているという見てくれをかっこ悪いとか恥ずかしいとかおもう気持ちこそが、かっこ悪くて恥ずかしいのだとさとれ。

はい。

かつらをかぶるとか衣裳をきて腹をかくすとかではなくて、逆にさらして武器に変えていくのだ。

はい。

いつあるかわからない舞台のことなんて考えずに、体型なんて気にせずに思い切って好きなものを食べてしまえ。

はい?

うごけるでぶをめざせ。かっこいいでぶになろう。

舞踏界のニューデブブトー登場・・・

まあしかし言い訳にはせずに、やれるだけのことはやろう。

そんでだめだったら開きなおろう。

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『きゃべつ』
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2020年05月24日

来年か

鉄割アルバトロスケット、ザ・スズナリ公演『うぬん』正式に中止となりました。

8月12日から16日までの予定でした。

ゴールデンウィーク後に座長の戌井昭人と演出の牛島みさをが、スズナリのスタッフの方たちと話して最終決定。

残念だけどしかたがないな。

スズナリは天井が高いので密閉空間ではないけれど、鉄割はひとを密集させて座らせるからなあ。

本拠地は下町根津の宮永会館ですが、なかなか借りれなかったりキャパの問題で出張しています。

むかしは幕があいたら客席がガラガラでお客さんが寝転がって観ているなんてこともあったけれど、いまはスズナリがパンパンになるほどの人気です。

そうして戌井君のことばのかずかずが観客を爆笑につぐ爆笑をさせる。小松政夫さん言うところのコントのギャグがこれでもかと連発されるのです。あんなにくだらないことをよく思いつく。

ほんとうにたいした才能です。

けれどもどれだけ笑ってもマスクをしていれば飛沫感染のおそれはないから、そこは問題ではないな。

観客は喋るわけではないのでいいけれど、役者が密接に会話する。テレビでマスクをして舞台をやるようになるとか言っていたけれど、冗談ではない。マスクをして公演をするぐらいならば、やめたほうがいいのです・・・

鉄割のめんめんとはじめて出会ったのは、1998年の風煉ダンス公演『悪漢』の顔合わせのときでした。

なんだか暗い雰囲気の若ものたちと同じ席になって「なんなんだろうこの人たちは」と思っていた。ひとり大声で喋っている男がいて完全にリーダーだと思っていたら、それはフロントマンの渡部真一だった。

じぶんが30歳でみんなはまだ20代だったのか。

その後、だんだん親しくなって風煉ダンスの横浜での公演中に抜け出して一緒にお酒をのんだり、夜通し映画の話しをしたりして仲良くなった。

鉄割とらくだかんの何人かでシーンのアイデアをかんがえて座長の笠原さんにやってみせたら、あきれられてボツにされたこともあったな。

中央大学であったイベントを観にいったらきゅうに舞台に引き出された。いまでもあのなんでもありというかノリのいい姿勢は変わっていないから素敵です。

ある日、戌井君から電話がかかってきて一緒にやるようになって、それが1999年だったのか。

それから約20年、いろんなことがあったけれど、どんなに売れようが人気がでようが年をとろうがやっていることは変わらない・・・素晴らしいなあ。

いつまでたっても阿呆なことをやりつづける。

ヨボヨボのおじいさんになってもふざけて、いい加減に適当に馬鹿をやりつづけたい。

そんなことを考えながら来年をたのしみに待つのです。

あー、みんなに会いたいなあ・・・

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『ロケットとアホウドリ』
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2020年05月25日

9月にはじめる

9月始業案がもめつづけています。

いいアイデアだと思うけどなあ・・・みんな、なんだかむずかしく考えてしまっている。

文部科学省は5年かけて9月始業に移行するとか、わけのわからないことを言いだしているものな。

そうではなくていま。

いまのこの状況をなんとかしようというアイデアだったのに。

ウィルスの感染が多いところと少ないところの、教育のすすみぐあいの格差をなくすためのアイデア。

この4月から学校がはじまっているような、はじまってないような状態がつづいているから、今年の9月始業で仕切りなおしたらいいのではないか。

待機児童が大量に出ると心配している人たちがいるけれどそうではなくて、いまほぼ待機みたいになっている子どもたちのことを考えたアイデア。

「ただでさえ入試のことでゴタゴタしているのにもうこれ以上わずらわせないで欲しい」という高校生の投書があったけれど、そうではないのになあ。

今年の9月始業にするということは、ゴタゴタしている文部科学省の試験の準備期間が来年の9月まで伸びるということ。高校3年生は今年の9月からはじまって、来年の9月が大学入試になるということです。

残念だった夏の全国高校野球も来年の夏にやり直せたかもしれない。いまの高校3年生は来年の8月が卒業ですからね。

受験と重なるからもう少し早めたほうがいいか。そうすれば熱中症の心配もなくなる。7月にすればいいのか。

娘は結局、高校にまだ1回しかいっていません。

入学式もおこなっていないようないまの状態だから、今年の9月に式をもう一度やり直しても良いかもしれない。

失われたようなこの4月からの約2ヶ月を、そしてまだまだどうなるかわからない、これから失われるかもしれない時間を取り戻そうというアイデアだった。

もちろんいますぐにウイルスが終息すればこのままでいいのです。

就職がむずかしくなるという人がいたけれど、就職活動もままならないという話しも聞くし、就職時期が来年の4月から9月になったら皆さん嬉しいのではないのかな。

日本全体で「いっせいのせい」で今年の9月からもう一度はじめる。

全国一斉での休校宣言みたいに安倍さんが9月始業宣言を出したらいいんじゃないのか。「え、全国一斉での今年9月の始業を宣言します。」

無理か・・・だいたいからして感染者ゼロの岩手県なんかは、ずーっと今までどおりに授業してるのだものな。

「いまごろなにいってんだべ。」

そうしてどんどん広がる授業の進みぐあいの格差か・・・

進んでいるところはちょっと立ち止まって待ってあげる。そんな感じなのか。それぐらいの思いやりがあっても良いのではないのかと思います。

誰かが言っていたように4月にも9月にもこだわらずにやるのもいいでしょう。

いずれにしても、子どものことだけを考えてあげたい。

1人の娘をもつ父親としてそう思うのでした。

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『おっさんと子どもたち』
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2020年05月26日

from Michiyasu Furutani

美術手帖のサイトで「芸術支援は最優先事項」というメルケル首相の演説を読みました。

ドイツはこの騒動の初期に芸術家への支援策をうちだしていました。

しかし言葉ではなんとでもいえる。じっさいにはどうなのか?

去年8月のドイツ合宿でお世話になりまくったベルリン在住のアーティスト、古谷充康にメールして聞いてみました。

「こちらベルリンも基本的にはイベントはすべて吹っ飛びました。」

8月31日まで500人以上の観衆が集まるイベントは開催できない。それ以下でも、主催者が客の情報をすべて保存して、行政から要請があったら提出しないといけないので、小さいイベントもやっていないそうです。

日本とおなじくイベントは全部オンラインに移行しようと試みている。しかし円滑な移行は現時点ではなかなか難しそう。

チェコ人のアーティストと共同で作品をつくっているそうで、古谷はライブストリーミングをしないという条件で参加する。

逆に映像に頼らないというのは斬新。いまだからこそ、こんなときだからこそライブ配信せずにテレワークなんてしない。あえてつながりを切ることでつながる。

そうだよな、江戸時代なんて遠くの人とは滅多に会えない。その会えないという気持ちが大切なのだと思う。 そこからいまの状況を逆手にとった、なにか新しいものが生まれてくるのかもしれない。

古谷のまわりでは、いまは自分の研究時期にあてるという人が多い。 だからこそ、ロックダウンがはじまった際に、フリーのアーティストに対して助成金が出たのは大きい助けになったそうです。

むずかしい手続き一切なし、所要時間15分の申請をオンラインでしたら5000ユーロ、日本円でだいたい60万円ぐらいが36時間で支給されたのだって。素晴らしい。

「非常に驚きました。そして猛烈に感動しました。」

この状況でひとに猛烈に感動をあたえられる国家か。

今年のGDPはドイツでは7%?下がるという予測が出ていて、しかし来年は6%アップだそうです。2022年にはもとの社会状態に持ち直すんじゃないかと言われている。

政治でいうと、メルケル首相の所属する与党の支持率が上がった。メルケルさんのコロナに対する姿勢が評価されているのだな。

ベルリンの文化対策は、今後どうやっていくか、市と各芸術団体が折衝している。それに応じた署名がメールで回ってきたり、シンポジウムがオンライン上で開催されているのだそうです。

「僕たちは一人一人異なる人間、いや存在だ。それは認める。しかし僕たち一人一人は脆弱で果敢ない存在だ。問題があるいま、一緒に乗り越えよう。そんな空気が感じられます。

メルケル首相もメッセージを発しています。

“Solidarität=連帯”

知識を共有する。相互扶助する。 ポストコロナは確実に訪れます。良い時代にするため何が出来るかいまから考えていきます。」

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『Michiyasu Furutani』

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2020年05月27日

いましめ

毎朝、起きたら口が臭いのでまずは歯を磨きます。

そのあとは、花のみずをかえロウソクに火をともし線香に火をつけて真言を唱えます。

真言は別名、マントラともいいますがオーム真理教のためにすっかりうさん臭い呼び名になってしまいました。

マントラはサンスクリット語で、中国に渡ったときに真言と訳されたそうです。

お釈迦さまはマントラをつかうことに積極的ではなかったらしいが、中国へと仏教が伝わってからだんだんと広まったようです。

いちばん有名な真言は般若心経の“ギャーテイギャーテイ ハラギャーテイ ハラソウギャーテイ ボウジソワカ”です。

真言とは、仏さまのことばだそうです。

本来ならば真言のあいまに十善戒というお経も唱えます。しかし高尚でじぶんの身をかえりみると、はずかしくなるので滅多には唱えません。

おもにからだのおこないとことばのおこないとこころのおこないを戒めるお経です。

まずは『不殺生』

これは人間だけではなく、いきものを殺してはいけないという戒めです。第1ばんめに殺してはいけないがくるのは、仏教がそこにひとの本性を見ているからです。

つぎが『不偸盗』

ものを盗んではいけない。これもひとがどうぶつである以上、むずかしいことなので2ばんめに禁じています。猿なんてへいきでものを盗んでいく。

ひとごろしはしたことはありませんが、ものを盗んだことはあります。たしか幼稚園に入るまえだったか・・・どうしても欲しいものがあってそれを盗んだのでした。

もちろんそのときは盗むということばも知らなかったけれど、母親に激烈に怒られたことを覚えています。たぶんなぜ怒られているのかもわからなかった。それがいけないことだと覚えた瞬間だな。罪へのめざめ。

3ばんめが『不邪婬』

男女のまじわりについての戒めです。このへんになってくるとだんだんむずかしくなってきます。いつでも清廉潔白であれればいいのですが、ひとは生ぐさいところも魅力であったりします。

ドラマを生むのは、いつもそういうひとの生ぐさいぶぶんなのです。

つぎは『不妄語』

嘘をつかない。うそにはいい嘘もありますが、うそにうそをかさねるということもありますので気をつけましょう。

『不綺語』無意味なことをいわない。

『不悪口』汚いことばをつかわない。

悪口にかげ口に汚いことば。

みんなこころに闇を抱えているのですが、そのじぶんの闇とどう付き合うか。じぶんの悪意を他者へとむけずにどう向きあうか・・・

と、まじめな感じで終えようと思っていたら“不悪口”の「発音と意味がミスマッチだ」というサイトがあって、なるほどと思った。

これ“ふあっく”と読みますが、カタカナにすると“フアック”となり欧米では怒られることばになってしまいます。

たしかに。

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『大日如来』

参照・引用:真言宗智山派 総本山智積院 Web | FUNDO
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2020年05月28日

新型コロナウィルスの感染拡大により

娘が2回めの登校をしました。

じっしつ、今日が入学式みたいなものか。

けれども分散登校というやつで、まだクラスの全員と会えないそうです。

西東京市の小中学校でも分散登校がはじまったのかな。ようやく日々の生活がそろりそろりと戻りはじめている感じなのか。

そうして9月入学案は見送られました。学校が再開しているのだから必要ないことだものな。

大日本帝国が徴兵をしやすいように、それまでの9月入学から4月へとかえてしまった始業時期。戦争もとっくに終わっているいま、その始業時期をもとにもどす千載一遇のチャンスを逃してしまった。

ガタガタ言わずにパッとズラしちまえばよかったのに。まるで手品のように気づいたら9月入学にかわっていた。

公園の遊具もつかえるようになったようです。

近所のタコ公園の巨大なタコのすべり台も立ち入り禁止の黄色いテープがはずされていた。黄色いテープでぐるぐる巻きにされたすがたは、巨大なタコが捕らえられているようでした。

解放されたタコ。

「従来の感染症は多くの犠牲を出すことで、望むと望まざるとに関わらず社会に変化をうながしたが、新型コロナウィルスは被害それ自体よりも『感染が広がっている』という情報自体が政治経済や日常生活に大きな影響を与えている。」

ほんとうに長崎大学熱帯医学研究所教授の山本太郎さんが言うようになっていました。

加熱する情報にあおられて「あれよあれよ」というまに社会の状況が変化していった。いろんなひとが警鐘をならして危機を訴えていたけれど結局、ニューヨークのような医療崩壊というのはおこったのか?

よくわからない。

いままで途上国では新型コロナウイルス以上の威力をもつ病原菌が多く流行してきたが、世界はそれほど真剣に対策に取り組んでこなかった。

エイズ、結核、マラリアの世界三大感染症というたった三つの病気で1日約7000人、年間約300万人が亡くなっているのです。患者はマラリアだけでも年に2億人以上。

国内でのインフルエンザの例年の感染者総数は、推定1,000万人、死者数は去年、3,000人以上です。

いま、現在の新型肺炎の感染者総数は、1万7,362人、死者数は、883人なのです。

メディアはスペイン風邪をよく引き合いに出したけれど、スペイン風邪での日本の感染者数は2,380万人、死者は約38万8,000人にのぼったとされる。

ことの重大さは数ではないのは当たりまえですが、大騒ぎしすぎました。

「鎖国並みの対策がほんとうに必要でほんとうに有効だったのか?

その効果をきちんと分析し社会的な損失と経済的な損失とを比較して評価し検討しないといけない。」by 世界エイズ・結核・マラリア対策基金局長、國井修

國井さんの言うように、これからいろんなことを反省を踏まえながら検証していかないといけないのでしょうね。

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『公園のタコ』

参照・引用:2月19日 読売新聞 / 2020年3月7日、5月28日 毎日新聞 / 2020年3月17日、3月25日、4月24日、5月8日、5月21日、5月28日 朝日新聞 / 厚生労働省HP
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2020年05月29日

舞踏のこと

舞踏というものをなりわいにしようと奮闘してきました。

「ぶとうってなんだろう?」

日本で生まれたコンテンポラリーダンス? 時代の先端を走りセンセーショナルで前衛的だった舞踊? まだまだ一部のひとしか知らないアンダーグラウンドな舞台芸術?

伝説の大舞踏家、大野一雄が世界へと広めたButoh。

麿赤兒主宰の大駱駝艦は毎年のように海外に招聘され、フランスでは山海塾主宰の天児牛大に勲章があたえられ、カルロッタ池田や室伏鴻がたねをまいたメキシコやブラジルでは、若いアーティストが舞踏にこそ未来があるといわんばかりである。

「それはなぜか? 」

“上へ上へ、もっと高く”という古代から連綿とつづく人間の上昇志向。それを追いもとめつづけた結果、人類が月へといっていたとき。

舞踏は逆に、がに股で低く地を這うようにうごいていた。舞踏は時代のアンチとして生まれたのでした。

“はやい”ということが絶対的に良いとされていた時代に、逆に“ゆっくりとうごく”ことを良しとした舞踏。

それは結果ではなくそこへむかう過程こそを大切にしようとするこころであり、いまこの瞬間をうごく。そして「このかけがえのない一瞬を味わいつくそう」という考えなのだと思います。

人類が光を追いもとめ、明るく明るくもっとあかるくと世界を照らしつづけようとしているとき、創始者である土方巽はじぶんのやっていることを“暗黒舞踏”と名乗っていました。

それから約60年たって、光をつくるための究極のシステム“原子力”が破綻してしまった。

消費者である人間を増やすことにしか未来を見出せない現在の消費社会は、人間が死なないように死なないようにと叡智を結集し工夫する。

しかし死は自然の摂理である。

生が光ならば、死は闇である。光あるところには、暗黒がある。

死と闇はけっして忌み嫌うものではなく、逆に大切にして敬うべきものなのだと思います。

一部の人たちは、世界が限界を迎え、人類は宇宙へ向かうのではなく大地へと帰り、早く速くと先を競いあうのではなく、ゆっくりとスローテンポでその人生を愉しんだほうがいいと気づきはじめている。

そうして光ばかりではなく闇を、暗黒の中に灯るひとつの小さな灯火を大切にするべきだと・・・

時代が舞踏に追いつきはじめている。

世界がやっと舞踏の思想に歩調をあわせてきているのかもしれない。

と、舞踏のことについてひさしぶりに記してみました。

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『舞って踏む』
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2020年05月30日

芸術は不要か

舞踏は必要ではないか?

必要ではないとは誰も言っていない。こういう非常事態だから、生きていくのにほんとうに必要なことだけに絞ろうと言っている。

芸術は生きていくために、ほんとうに必要なことではないのか?

いまは・・・芸術は贅沢品なのだそうです。

芸術は贅沢なこと。こころの贅沢のためのもの・・・いまは非常時だからみんなで我慢してこころ貧しく生きるしかない。そういうこと・・・

それではそれをなりわいにしていた芸術家たちにとって、それは生きるためにほんとうに必要なことではなかったといえるのか?

あるプロの音楽家が休職して家賃が払えなくなったので、役所に住宅確保給付金の申請にいったら「他の仕事を探せばいいでしょう。」と断られたとか。ひどいなあ。

政府の休業要請に協力してプロの仕事を休止しているにもかかわらずです。真っ先に自粛を強要されたのは文化イベントのかずかずでした。

日本では芸術・文化への補償があとのほうになります。

その国が芸術・文化をどうおもっているかがこういう非常事態によくわかる。

日本では文化庁長官が「文化芸術の灯を消してはならない」とあたりまえのコメントを出しただけで、なんの具体的な支援策も示さないので「ポエムだ」と失望の声があふれた。

ヨーロッパでは・・・「では、では」言ってると最近は“ではのかみ”とネットでかげ口を言われるようなので気をつけるようにしていますが、やはり国での違いは顕著です。

先日ベルリン在住のアーティスト、古谷の話しを記しましたが、ドイツは芸術への補償が手あつい。

「文化は時代が好調なときにだけ許される贅沢品ではない。それを欠く生活がいかに味気ないかを、わたしたちはいま、目のあたりにしている。」モニカ・グリュッタース、ドイツ文化メディア担当相

ドイツはナチス時代の全体主義への反省から、芸術をとおしてじぶんと違うものの見方に接し、想像力をめぐらすことで平和や民主主義が築かれるという考えかたが根付いているそうです。

芸術をとおして想像力を養う・・・SNSで他者を追いつめて死においやるひとに決定的に欠けていることかもしれません。

フランス政府は芸術分野で働くひとへの救済策を発表。ある劇団員は1日約6,000円の手当を来年の夏まで受け取れることになったとか。

文化的レベルか・・・

芸術・文化というひとにとって必要不可欠なもの。

ひとのこころを豊かにするもの。

ただ生きているだけでは余ってしまうなにかを発散させるもの。または、ただ生きているだけでは足りなくなってくるものを埋めてくれるもの。

うたったり、おどったり、お芝居したり、冗談を言ったり、ひとを笑わせたりという大切ないとなみのかずかずを、はやくひとが許せる状況に戻ってくれることをせつに願います。

とか思っていたら劇場と映画館が再開されるようです。

ひとまず良かった。

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"Untitled2"

参照・引用:2020年3月27日、4月15日、5月27日 朝日新聞 / 2020年4月24日 東京新聞
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 08:54| ブログ?

2020年05月31日

パロディーについて

特派員協会が東京オリンピックのエンブレムをパロディーにしたと抗議されました。

あれをみて不快に思うひとはいるのか・・・

組織委員会のだれかが許さなかったのか。べつに尻の穴の小さいことをいわずに笑ってすませればいいのです。

日本ではパロディーという文化があんまりないのが原因。風刺をゆるさない民族とかんがえるといやだな。寛容さにかけるクソ真面目な大衆性。

フランスの著作権法にはパロディーを認める規定があって、アメリカにも公正な使用なら許可をうけずに認められる規定があるとか。

風刺というのは知的行為だから、一部のひとの遊びみたいなもの。朝日新聞には風刺画がまいにちのっているけれど、読売新聞にはのっていない。反権力的な行為でもあるのです。

パロディーの上手なひとはじぶんの身の回りには・・・まずは兄弟子、村松卓矢。

じぶん以外はほとんど馬鹿だという考えかたのひとなので、馬鹿にしている部分のほうが多い。そのことが観ているひとに伝わるようで、踊りや作品を好きではないひとも少なくない。女性に多いのか。そのぶん男には人気があったりするのですが。

いちばん多用しているひとは、鉄割アルバトロスケット主宰で作家の戌井昭人氏です。

鉄割はけっこうパロディーが多いです。愛があるときもないときもあるけれど、笑いにもっていくから許されているところはあるのでしょう。

ゆらゆら帝国のパロディーの演目を観たゆらゆらのファンの妻は怒ってはいなかったけれど、なかばあきれていました。「かんぜんに馬鹿にしてるやろ」とはいってたか。

馬鹿舞伎も「あれ歌舞伎のひとが観たら怒るんちゃう」とかいっていた。けれどあの演目は芸能のはじまりのようなところがあるので、亡くなられた中村勘三郎さんなんかが観たら大喜びしてたと思うけどなあ。

じぶんでいうと、そんなつもりはなかったのにパロディーにして馬鹿にしていると誤解されて、たいへんにもめたことが二度あります。

一度目は『ジャーオデッセイV』という作品を創ったときで、本公演の振付を悪気なくパロディーにするつもりもなく一瞬、取り入れたら師匠の逆鱗に触れてあやうく息の根をとめられかけた。

いろんなことが重なったとは思うけれど、一瞬のボタンのかけ違いで98%ひっくり返ってしまった。

二度目は『舞踏?プレゼンテーションショウ』というソロ公演をやったとき。けっきょく誤解はとけたけれど、その作品が再演されることはなかった。

どちらも苦い思い出です。

表現の自由ということでいうとなんでもありなのですが、観るひとを不快にしかさせないものというのは作品的に失敗しているのでしょう。

けれども風刺精神というのはいつの世のどんなときでも必要です。

忘れないようにしたい。

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『エンブレム』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 09:24| ブログ?