2020年05月21日

ゆめ散る

夏の全国高校野球が中止になりました。

感染のリスクとかいうのは気をつければなんとでもなると思うけどなあ。

しかし、まったく練習できないのだから仕方がないのか。夏休みもなくなるというし、どうしようもないのか。

甲子園だけを夢みて朝から晩まで汗と涙をながしながら練習してきた結果がこれか・・・

インターハイも中止、合唱の甲子園であるNHKコンクールも中止です。いままで応援してきた親たちもがっくり。

残念、無念。悔しいだろうなあ。腹がたつなあ。あたまにくる。

なんでこんなことになってしまったのだろうか・・・

やはりどう考えても大騒ぎをしすぎです。

インフルエンザの例年の感染者総数は、推定1000万人、死者数は去年、3000人以上です。 いま、現在の新型肺炎の感染者総数は、1万6457人、死者数は、784人なのです。

メディアはよくスペイン風邪を引き合いに出すけど、スペイン風邪での日本の感染者数は2380万人、死者は約38万8000人にのぼったとされる。

ことの重大さは数ではないのは当たりまえですが、騒ぎすぎたのだろうなあ。

感染を異常に恐れすぎている。

いつのまにか絶対に感染してはいけない感染させてはいけないみたいな雰囲気になってしまって、身うごきがとれなくなっている。感染しないさせないというのが、新しい道徳や正義のようになってしまっている。

その原因は騒ぎすぎたマスコミやメディアにあると思います。

つぶやいたり、SNSで情報を流してこの状況をつくり出してしまったすべての人の責任でもある。

じぶんもふくめた、すべての大人の責任。

そうして自らのパフォーマンスのためにそんな権限もないのに、全国一斉での休校要請を出してしまった安倍首相の責任。

本来ならば各自治体の教育委員会が判断して出さなけれならないのに、首相がそんなことをしたらじっしつ命令になってしまうのはあたりまえのこと。そうしていまの教育現場の大混乱です。

自らのパフォーマンスのために日本ではできないロックダウンなんてことを口にする知事がいるから、世論に押されて緊急事態宣言なんてものが出てしまった。

じぶんもそんな世の中の雰囲気にのまれて、緊急事態宣言が出るのがいいことだなんて思ってしまった。

大混乱する日本。すべて中止になってしまうイベントのかずかず。

じぶんでじぶんの首を絞めてしまった。

そうしていつでも、どんなときでも犠牲になるのは子どもたちです。

高知の名門、明徳義塾の監督さんが言っていたように「苦しいときにこそ自分は試されるのだぞ。まだまだはじまったばかり。みんなこれからだぞ、これから。」

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『さいごの夏』

参照:2020年3月7日 毎日新聞 / 2020年4月24日、5月8日、5月21日 朝日新聞 / 厚生労働省HP
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2020年05月22日

おおらかにいきたい

感染を過度に怖れるのではなくおおらかに生きていきたい。

インフルエンザとおなじように、うまくつきあっていくしかないのでしょう。

感染に気をつけつつ日常をとりもどしていきたいものです。

ひとは死ぬときは死ぬのです。いまこの瞬間に大地震がおこって死ぬかもしれない。今日買いものにいく途中に車にはねられて亡くなるかもしれない。

晩ごはんを食べていて誤えん性肺炎で亡くなるかもしれない。むせて窒息死するかもしれない。もちがのどにつまって亡くなるかもしれない。脳溢血でバタッと逝ってしまうかもしれない。

マスクをつけて走っていて呼吸困難になるかもしれない。

人生一寸さきは闇、どうなるかわからない。だからこそ、このいまをたいせつに生きていけるようにしたいです。

店でマスクが売られるようになってきました。昨日はビバホームでみかけてダイソーにも売っていました。

こちらお手製の布マスクがあるし、じぶんより必要とするひとがいるでしょうから購入は控えました。

テレビのニュースでやっていましたが、これからの暑い夏用にひんやりした素材のマスクとか和紙でできたマスクや保冷剤の入れられるマスクとか、皆さんいろいろと考えてどんどん進化しています・・・

夏もマスク着用がマナーになるのか。参ったなあ。まあしかしこのウィルスの特徴は感染していても無症状というところ。飛沫感染を防ぐためにはしかたがないのか。

やるべきことはやりつつ、気をつけつつ人生を楽しんでいきましょう。

いっぽう、あべのマスクは446億円もかけて布マスク1住所あたり2枚配られる予定だったけれど、不良品が続出。

回収されていまスタッフが昼夜を問わずに検品しているとか。その検品作業に8億円かかるのだって・・・

そんななか菅官房長官が記者会見で「布マスクの配布により需要が抑制された結果、店頭の品薄状況が徐々に改善された。」と説明したとか。マジか?

記者にその根拠を問われると「東京などに届きはじめてから、店頭でマスクが売られはじめたんじゃないんでしょうか。非常に効果があると思う。」と自画自賛。

あべのマスクは18日時点、13都道府県で約1450万枚しか配られていないという。配布の予定は1億3000万枚。

まだ1割強しか配布できてないのに、店頭にマスクが戻ってきているのです。

逆に恥ずかしがれよ。

厚顔無恥で嘘を嘘で塗り固めてきた、まったく頼りないこの政権・・・いまだに33%のひとが支持しているのが信じられないのです。

権力とは無縁の舞踏家は、したから見あげながらそう思うのでした。

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『アベガマスク』

参照・引用:2020年4月26日 毎日新聞 2020年5月21日 朝日新聞
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2020年05月23日

どこが

腹が出てきました。

全体的にからだがひとまわり大きくなったようにも感じます。

先日、奥村君にもらったぴったりしたポロシャツをきてみたらぴちぴちでびっくり。

まったく贅沢はしていないのだけれど、ついてくる贅肉・・・贅沢な悩みだな、アフリカの子どもたちに申し訳ない。

コメやパンやメンをめったに食べないようにして糖質をオフ、食べる量を少なくしてカロリーをオフ、キャベツを刻んで玉ねぎをスライスしてサラダを中心にしていても腹が出てくる。

思いついたときには稽古しているけれど、ぜんぜん足りていないのだろうなあ。

節制しても節制してもオーバーしてくるカロリー・・・

これは、もうもとに戻らないかもしれない。

とか気にしてたら「ありのままとか言うてるのにぜんぜん違うやんけ。」とワイフに突っ込まれました。

「どこが天賦典式やねん。」

たしかに・・・生まれたことがもうすでに才能であり、そのままで作品である。とかいつも言っているのにじぶんをつくろうとするこころがある。

理想と現実か。

「ひと前であるがままであれ」と「ひと前にこのからだで、いやそれ恥ずかしいでしょう。」恥ずかしいと思うきもちは大切らしいのでまあいいのか。

「恥ずかしさのないものは下品なだけである。」

土方さんとか室伏さんの真似をしようとする精神がよくないのだな。神話を追いかけるな、伝説に憧れるな。

腹がでているとか頭がはげているという見てくれをかっこ悪いとか恥ずかしいとかおもう気持ちこそが、かっこ悪くて恥ずかしいのだとさとれ。

はい。

かつらをかぶるとか衣裳をきて腹をかくすとかではなくて、逆にさらして武器に変えていくのだ。

はい。

いつあるかわからない舞台のことなんて考えずに、体型なんて気にせずに思い切って好きなものを食べてしまえ。

はい?

うごけるでぶをめざせ。かっこいいでぶになろう。

舞踏界のニューデブブトー登場・・・

まあしかし言い訳にはせずに、やれるだけのことはやろう。

そんでだめだったら開きなおろう。

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『きゃべつ』
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2020年05月24日

来年か

鉄割アルバトロスケット、ザ・スズナリ公演『うぬん』正式に中止となりました。

8月12日から16日までの予定でした。

ゴールデンウィーク後に座長の戌井昭人と演出の牛島みさをが、スズナリのスタッフの方たちと話して最終決定。

残念だけどしかたがないな。

スズナリは天井が高いので密閉空間ではないけれど、鉄割はひとを密集させて座らせるからなあ。

本拠地は下町根津の宮永会館ですが、なかなか借りれなかったりキャパの問題で出張しています。

むかしは幕があいたら客席がガラガラでお客さんが寝転がって観ているなんてこともあったけれど、いまはスズナリがパンパンになるほどの人気です。

そうして戌井君のことばのかずかずが観客を爆笑につぐ爆笑をさせる。小松政夫さん言うところのコントのギャグがこれでもかと連発されるのです。あんなにくだらないことをよく思いつく。

ほんとうにたいした才能です。

けれどもどれだけ笑ってもマスクをしていれば飛沫感染のおそれはないから、そこは問題ではないな。

観客は喋るわけではないのでいいけれど、役者が密接に会話する。テレビでマスクをして舞台をやるようになるとか言っていたけれど、冗談ではない。マスクをして公演をするぐらいならば、やめたほうがいいのです・・・

鉄割のめんめんとはじめて出会ったのは、1998年の風煉ダンス公演『悪漢』の顔合わせのときでした。

なんだか暗い雰囲気の若ものたちと同じ席になって「なんなんだろうこの人たちは」と思っていた。ひとり大声で喋っている男がいて完全にリーダーだと思っていたら、それはフロントマンの渡部真一だった。

じぶんが30歳でみんなはまだ20代だったのか。

その後、だんだん親しくなって風煉ダンスの横浜での公演中に抜け出して一緒にお酒をのんだり、夜通し映画の話しをしたりして仲良くなった。

鉄割とらくだかんの何人かでシーンのアイデアをかんがえて座長の笠原さんにやってみせたら、あきれられてボツにされたこともあったな。

中央大学であったイベントを観にいったらきゅうに舞台に引き出された。いまでもあのなんでもありというかノリのいい姿勢は変わっていないから素敵です。

ある日、戌井君から電話がかかってきて一緒にやるようになって、それが1999年だったのか。

それから約20年、いろんなことがあったけれど、どんなに売れようが人気がでようが年をとろうがやっていることは変わらない・・・素晴らしいなあ。

いつまでたっても阿呆なことをやりつづける。

ヨボヨボのおじいさんになってもふざけて、いい加減に適当に馬鹿をやりつづけたい。

そんなことを考えながら来年をたのしみに待つのです。

あー、みんなに会いたいなあ・・・

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『ロケットとアホウドリ』
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2020年05月25日

9月にはじめる

9月始業案がもめつづけています。

いいアイデアだと思うけどなあ・・・みんな、なんだかむずかしく考えてしまっている。

文部科学省は5年かけて9月始業に移行するとか、わけのわからないことを言いだしているものな。

そうではなくていま。

いまのこの状況をなんとかしようというアイデアだったのに。

ウィルスの感染が多いところと少ないところの、教育のすすみぐあいの格差をなくすためのアイデア。

この4月から学校がはじまっているような、はじまってないような状態がつづいているから、今年の9月始業で仕切りなおしたらいいのではないか。

待機児童が大量に出ると心配している人たちがいるけれどそうではなくて、いまほぼ待機みたいになっている子どもたちのことを考えたアイデア。

「ただでさえ入試のことでゴタゴタしているのにもうこれ以上わずらわせないで欲しい」という高校生の投書があったけれど、そうではないのになあ。

今年の9月始業にするということは、ゴタゴタしている文部科学省の試験の準備期間が来年の9月まで伸びるということ。高校3年生は今年の9月からはじまって、来年の9月が大学入試になるということです。

残念だった夏の全国高校野球も来年の夏にやり直せたかもしれない。いまの高校3年生は来年の8月が卒業ですからね。

受験と重なるからもう少し早めたほうがいいか。そうすれば熱中症の心配もなくなる。7月にすればいいのか。

娘は結局、高校にまだ1回しかいっていません。

入学式もおこなっていないようないまの状態だから、今年の9月に式をもう一度やり直しても良いかもしれない。

失われたようなこの4月からの約2ヶ月を、そしてまだまだどうなるかわからない、これから失われるかもしれない時間を取り戻そうというアイデアだった。

もちろんいますぐにウイルスが終息すればこのままでいいのです。

就職がむずかしくなるという人がいたけれど、就職活動もままならないという話しも聞くし、就職時期が来年の4月から9月になったら皆さん嬉しいのではないのかな。

日本全体で「いっせいのせい」で今年の9月からもう一度はじめる。

全国一斉での休校宣言みたいに安倍さんが9月始業宣言を出したらいいんじゃないのか。「え、全国一斉での今年9月の始業を宣言します。」

無理か・・・だいたいからして感染者ゼロの岩手県なんかは、ずーっと今までどおりに授業してるのだものな。

「いまごろなにいってんだべ。」

そうしてどんどん広がる授業の進みぐあいの格差か・・・

進んでいるところはちょっと立ち止まって待ってあげる。そんな感じなのか。それぐらいの思いやりがあっても良いのではないのかと思います。

誰かが言っていたように4月にも9月にもこだわらずにやるのもいいでしょう。

いずれにしても、子どものことだけを考えてあげたい。

1人の娘をもつ父親としてそう思うのでした。

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『おっさんと子どもたち』
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2020年05月26日

from Michiyasu Furutani

美術手帖のサイトで「芸術支援は最優先事項」というメルケル首相の演説を読みました。

ドイツはこの騒動の初期に芸術家への支援策をうちだしていました。

しかし言葉ではなんとでもいえる。じっさいにはどうなのか?

去年8月のドイツ合宿でお世話になりまくったベルリン在住のアーティスト、古谷充康にメールして聞いてみました。

「こちらベルリンも基本的にはイベントはすべて吹っ飛びました。」

8月31日まで500人以上の観衆が集まるイベントは開催できない。それ以下でも、主催者が客の情報をすべて保存して、行政から要請があったら提出しないといけないので、小さいイベントもやっていないそうです。

日本とおなじくイベントは全部オンラインに移行しようと試みている。しかし円滑な移行は現時点ではなかなか難しそう。

チェコ人のアーティストと共同で作品をつくっているそうで、古谷はライブストリーミングをしないという条件で参加する。

逆に映像に頼らないというのは斬新。いまだからこそ、こんなときだからこそライブ配信せずにテレワークなんてしない。あえてつながりを切ることでつながる。

そうだよな、江戸時代なんて遠くの人とは滅多に会えない。その会えないという気持ちが大切なのだと思う。 そこからいまの状況を逆手にとった、なにか新しいものが生まれてくるのかもしれない。

古谷のまわりでは、いまは自分の研究時期にあてるという人が多い。 だからこそ、ロックダウンがはじまった際に、フリーのアーティストに対して助成金が出たのは大きい助けになったそうです。

むずかしい手続き一切なし、所要時間15分の申請をオンラインでしたら5000ユーロ、日本円でだいたい60万円ぐらいが36時間で支給されたのだって。素晴らしい。

「非常に驚きました。そして猛烈に感動しました。」

この状況でひとに猛烈に感動をあたえられる国家か。

今年のGDPはドイツでは7%?下がるという予測が出ていて、しかし来年は6%アップだそうです。2022年にはもとの社会状態に持ち直すんじゃないかと言われている。

政治でいうと、メルケル首相の所属する与党の支持率が上がった。メルケルさんのコロナに対する姿勢が評価されているのだな。

ベルリンの文化対策は、今後どうやっていくか、市と各芸術団体が折衝している。それに応じた署名がメールで回ってきたり、シンポジウムがオンライン上で開催されているのだそうです。

「僕たちは一人一人異なる人間、いや存在だ。それは認める。しかし僕たち一人一人は脆弱で果敢ない存在だ。問題があるいま、一緒に乗り越えよう。そんな空気が感じられます。

メルケル首相もメッセージを発しています。

“Solidarität=連帯”

知識を共有する。相互扶助する。 ポストコロナは確実に訪れます。良い時代にするため何が出来るかいまから考えていきます。」

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『Michiyasu Furutani』

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2020年05月27日

いましめ

毎朝、起きたら口が臭いのでまずは歯を磨きます。

そのあとは、花のみずをかえロウソクに火をともし線香に火をつけて真言を唱えます。

真言は別名、マントラともいいますがオーム真理教のためにすっかりうさん臭い呼び名になってしまいました。

マントラはサンスクリット語で、中国に渡ったときに真言と訳されたそうです。

お釈迦さまはマントラをつかうことに積極的ではなかったらしいが、中国へと仏教が伝わってからだんだんと広まったようです。

いちばん有名な真言は般若心経の“ギャーテイギャーテイ ハラギャーテイ ハラソウギャーテイ ボウジソワカ”です。

真言とは、仏さまのことばだそうです。

本来ならば真言のあいまに十善戒というお経も唱えます。しかし高尚でじぶんの身をかえりみると、はずかしくなるので滅多には唱えません。

おもにからだのおこないとことばのおこないとこころのおこないを戒めるお経です。

まずは『不殺生』

これは人間だけではなく、いきものを殺してはいけないという戒めです。第1ばんめに殺してはいけないがくるのは、仏教がそこにひとの本性を見ているからです。

つぎが『不偸盗』

ものを盗んではいけない。これもひとがどうぶつである以上、むずかしいことなので2ばんめに禁じています。猿なんてへいきでものを盗んでいく。

ひとごろしはしたことはありませんが、ものを盗んだことはあります。たしか幼稚園に入るまえだったか・・・どうしても欲しいものがあってそれを盗んだのでした。

もちろんそのときは盗むということばも知らなかったけれど、母親に激烈に怒られたことを覚えています。たぶんなぜ怒られているのかもわからなかった。それがいけないことだと覚えた瞬間だな。罪へのめざめ。

3ばんめが『不邪婬』

男女のまじわりについての戒めです。このへんになってくるとだんだんむずかしくなってきます。いつでも清廉潔白であれればいいのですが、ひとは生ぐさいところも魅力であったりします。

ドラマを生むのは、いつもそういうひとの生ぐさいぶぶんなのです。

つぎは『不妄語』

嘘をつかない。うそにはいい嘘もありますが、うそにうそをかさねるということもありますので気をつけましょう。

『不綺語』無意味なことをいわない。

『不悪口』汚いことばをつかわない。

悪口にかげ口に汚いことば。

みんなこころに闇を抱えているのですが、そのじぶんの闇とどう付き合うか。じぶんの悪意を他者へとむけずにどう向きあうか・・・

と、まじめな感じで終えようと思っていたら“不悪口”の「発音と意味がミスマッチだ」というサイトがあって、なるほどと思った。

これ“ふあっく”と読みますが、カタカナにすると“フアック”となり欧米では怒られることばになってしまいます。

たしかに。

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『大日如来』

参照・引用:真言宗智山派 総本山智積院 Web | FUNDO
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2020年05月28日

新型コロナウィルスの感染拡大により

娘が2回めの登校をしました。

じっしつ、今日が入学式みたいなものか。

けれども分散登校というやつで、まだクラスの全員と会えないそうです。

西東京市の小中学校でも分散登校がはじまったのかな。ようやく日々の生活がそろりそろりと戻りはじめている感じなのか。

そうして9月入学案は見送られました。学校が再開しているのだから必要ないことだものな。

大日本帝国が徴兵をしやすいように、それまでの9月入学から4月へとかえてしまった始業時期。戦争もとっくに終わっているいま、その始業時期をもとにもどす千載一遇のチャンスを逃してしまった。

ガタガタ言わずにパッとズラしちまえばよかったのに。まるで手品のように気づいたら9月入学にかわっていた。

公園の遊具もつかえるようになったようです。

近所のタコ公園の巨大なタコのすべり台も立ち入り禁止の黄色いテープがはずされていた。黄色いテープでぐるぐる巻きにされたすがたは、巨大なタコが捕らえられているようでした。

解放されたタコ。

「従来の感染症は多くの犠牲を出すことで、望むと望まざるとに関わらず社会に変化をうながしたが、新型コロナウィルスは被害それ自体よりも『感染が広がっている』という情報自体が政治経済や日常生活に大きな影響を与えている。」

ほんとうに長崎大学熱帯医学研究所教授の山本太郎さんが言うようになっていました。

加熱する情報にあおられて「あれよあれよ」というまに社会の状況が変化していった。いろんなひとが警鐘をならして危機を訴えていたけれど結局、ニューヨークのような医療崩壊というのはおこったのか?

よくわからない。

いままで途上国では新型コロナウイルス以上の威力をもつ病原菌が多く流行してきたが、世界はそれほど真剣に対策に取り組んでこなかった。

エイズ、結核、マラリアの世界三大感染症というたった三つの病気で1日約7000人、年間約300万人が亡くなっているのです。患者はマラリアだけでも年に2億人以上。

国内でのインフルエンザの例年の感染者総数は、推定1,000万人、死者数は去年、3,000人以上です。

いま、現在の新型肺炎の感染者総数は、1万7,362人、死者数は、883人なのです。

メディアはスペイン風邪をよく引き合いに出したけれど、スペイン風邪での日本の感染者数は2,380万人、死者は約38万8,000人にのぼったとされる。

ことの重大さは数ではないのは当たりまえですが、大騒ぎしすぎました。

「鎖国並みの対策がほんとうに必要でほんとうに有効だったのか?

その効果をきちんと分析し社会的な損失と経済的な損失とを比較して評価し検討しないといけない。」by 世界エイズ・結核・マラリア対策基金局長、國井修

國井さんの言うように、これからいろんなことを反省を踏まえながら検証していかないといけないのでしょうね。

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『公園のタコ』

参照・引用:2月19日 読売新聞 / 2020年3月7日、5月28日 毎日新聞 / 2020年3月17日、3月25日、4月24日、5月8日、5月21日、5月28日 朝日新聞 / 厚生労働省HP
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2020年05月29日

舞踏のこと

舞踏というものをなりわいにしようと奮闘してきました。

「ぶとうってなんだろう?」

日本で生まれたコンテンポラリーダンス? 時代の先端を走りセンセーショナルで前衛的だった舞踊? まだまだ一部のひとしか知らないアンダーグラウンドな舞台芸術?

伝説の大舞踏家、大野一雄が世界へと広めたButoh。

麿赤兒主宰の大駱駝艦は毎年のように海外に招聘され、フランスでは山海塾主宰の天児牛大に勲章があたえられ、カルロッタ池田や室伏鴻がたねをまいたメキシコやブラジルでは、若いアーティストが舞踏にこそ未来があるといわんばかりである。

「それはなぜか? 」

“上へ上へ、もっと高く”という古代から連綿とつづく人間の上昇志向。それを追いもとめつづけた結果、人類が月へといっていたとき。

舞踏は逆に、がに股で低く地を這うようにうごいていた。舞踏は時代のアンチとして生まれたのでした。

“はやい”ということが絶対的に良いとされていた時代に、逆に“ゆっくりとうごく”ことを良しとした舞踏。

それは結果ではなくそこへむかう過程こそを大切にしようとするこころであり、いまこの瞬間をうごく。そして「このかけがえのない一瞬を味わいつくそう」という考えなのだと思います。

人類が光を追いもとめ、明るく明るくもっとあかるくと世界を照らしつづけようとしているとき、創始者である土方巽はじぶんのやっていることを“暗黒舞踏”と名乗っていました。

それから約60年たって、光をつくるための究極のシステム“原子力”が破綻してしまった。

消費者である人間を増やすことにしか未来を見出せない現在の消費社会は、人間が死なないように死なないようにと叡智を結集し工夫する。

しかし死は自然の摂理である。

生が光ならば、死は闇である。光あるところには、暗黒がある。

死と闇はけっして忌み嫌うものではなく、逆に大切にして敬うべきものなのだと思います。

一部の人たちは、世界が限界を迎え、人類は宇宙へ向かうのではなく大地へと帰り、早く速くと先を競いあうのではなく、ゆっくりとスローテンポでその人生を愉しんだほうがいいと気づきはじめている。

そうして光ばかりではなく闇を、暗黒の中に灯るひとつの小さな灯火を大切にするべきだと・・・

時代が舞踏に追いつきはじめている。

世界がやっと舞踏の思想に歩調をあわせてきているのかもしれない。

と、舞踏のことについてひさしぶりに記してみました。

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『舞って踏む』
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2020年05月30日

芸術は不要か

舞踏は必要ではないか?

必要ではないとは誰も言っていない。こういう非常事態だから、生きていくのにほんとうに必要なことだけに絞ろうと言っている。

芸術は生きていくために、ほんとうに必要なことではないのか?

いまは・・・芸術は贅沢品なのだそうです。

芸術は贅沢なこと。こころの贅沢のためのもの・・・いまは非常時だからみんなで我慢してこころ貧しく生きるしかない。そういうこと・・・

それではそれをなりわいにしていた芸術家たちにとって、それは生きるためにほんとうに必要なことではなかったといえるのか?

あるプロの音楽家が休職して家賃が払えなくなったので、役所に住宅確保給付金の申請にいったら「他の仕事を探せばいいでしょう。」と断られたとか。ひどいなあ。

政府の休業要請に協力してプロの仕事を休止しているにもかかわらずです。真っ先に自粛を強要されたのは文化イベントのかずかずでした。

日本では芸術・文化への補償があとのほうになります。

その国が芸術・文化をどうおもっているかがこういう非常事態によくわかる。

日本では文化庁長官が「文化芸術の灯を消してはならない」とあたりまえのコメントを出しただけで、なんの具体的な支援策も示さないので「ポエムだ」と失望の声があふれた。

ヨーロッパでは・・・「では、では」言ってると最近は“ではのかみ”とネットでかげ口を言われるようなので気をつけるようにしていますが、やはり国での違いは顕著です。

先日ベルリン在住のアーティスト、古谷の話しを記しましたが、ドイツは芸術への補償が手あつい。

「文化は時代が好調なときにだけ許される贅沢品ではない。それを欠く生活がいかに味気ないかを、わたしたちはいま、目のあたりにしている。」モニカ・グリュッタース、ドイツ文化メディア担当相

ドイツはナチス時代の全体主義への反省から、芸術をとおしてじぶんと違うものの見方に接し、想像力をめぐらすことで平和や民主主義が築かれるという考えかたが根付いているそうです。

芸術をとおして想像力を養う・・・SNSで他者を追いつめて死においやるひとに決定的に欠けていることかもしれません。

フランス政府は芸術分野で働くひとへの救済策を発表。ある劇団員は1日約6,000円の手当を来年の夏まで受け取れることになったとか。

文化的レベルか・・・

芸術・文化というひとにとって必要不可欠なもの。

ひとのこころを豊かにするもの。

ただ生きているだけでは余ってしまうなにかを発散させるもの。または、ただ生きているだけでは足りなくなってくるものを埋めてくれるもの。

うたったり、おどったり、お芝居したり、冗談を言ったり、ひとを笑わせたりという大切ないとなみのかずかずを、はやくひとが許せる状況に戻ってくれることをせつに願います。

とか思っていたら劇場と映画館が再開されるようです。

ひとまず良かった。

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"Untitled2"

参照・引用:2020年3月27日、4月15日、5月27日 朝日新聞 / 2020年4月24日 東京新聞
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2020年05月31日

パロディーについて

特派員協会が東京オリンピックのエンブレムをパロディーにしたと抗議されました。

あれをみて不快に思うひとはいるのか・・・

組織委員会のだれかが許さなかったのだな。べつに尻の穴の小さいことをいわずに笑ってすませればいいのです。

日本ではパロディーという文化があんまりないのが原因か。風刺をゆるさない民族とかんがえるといやだな。寛容さにかけるクソ真面目な大衆性。

フランスの著作権法にはパロディーを認める規定があって、アメリカにも公正な使用なら許可をうけずに認められる規定があるとか。

風刺というのは知的行為だから、一部のひとの遊びみたいなものなのかな。朝日新聞には風刺画がまいにちのっているけれど、読売新聞にはのっていない。反権力的な行為でもあるのだな。

パロディーの上手なひとはじぶんの身の回りには・・・まずは兄弟子、村松卓矢か。

じぶん以外はほとんど馬鹿だという考えかたのひとなので、馬鹿にしている部分のほうが多い。そのことが観ているひとに伝わるようで、踊りや作品を好きではない人も少なくない。女性に多いのか。そのぶん男には人気があったりするのですが。

いちばん多用している人は、鉄割アルバトロスケット主宰で作家の戌井昭人です。

鉄割はけっこうパロディーが多いです。愛があるときもないときもあるけれど、笑いにもっていくから許されているところはあるのでしょう。

ゆらゆら帝国のパロディーの演目を観たゆらゆらのファンのワイフは怒ってはいなかったけれど、なかばあきれていました。「かんぜんに馬鹿にしてるやろ」とはいってたか。

馬鹿舞伎も「あれ歌舞伎のひとが観たら怒るんちゃう」とかいっていた。けれどあの演目は芸能のはじまりのようなところがあるので、亡くなられた中村勘三郎さんなんかが観たら大喜びしてたと思うけどなあ。

じぶんでいうと、そんなつもりはなかったのにパロディーにして馬鹿にしていると誤解されて、たいへんにもめたことが二度あります。

一度目は『ジャーオデッセイV』という作品を創ったときで、本公演の振付を悪気なくパロディーにするつもりもなく一瞬、取り入れたら師匠の逆鱗に触れてあやうく息の根をとめられかけた。

いろんなことが重なったとは思うけれど、一瞬のボタンのかけ違いで98%ひっくり返ってしまった。

二度目は『舞踏?プレゼンテーションショウ』というソロ公演をやったとき。けっきょく誤解はとけたけれど、その作品が再演されることはなかった。

どちらも苦い思い出です。

表現の自由ということでいうとなんでもありなのですが、観るひとを不快にしかさせないものというのは作品的に失敗しているのでしょう。

けれども風刺精神というのはいつの世のどんなときでも必要です。

忘れないようにしたい。

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『エンブレム』
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