2020年05月10日

ある日のメモ

ひげに手袋をぶら下げて、男がひとり座っている。

前には弓と矢がある。男はゆったりとゆっくりと、その弓を取り上げ、ゆっくりとゆったりと矢をつがえて、きりきりと引き絞り、ちからいっぱい矢を放つ。

全宇宙にエコーする、クラリオンが鳴り響く。

交叉時間・クロスホエン。

ものがたりは肉体のためにあり、肉体と踊りによってこころの景色がつくり出され、生まれて、拡がる。その心象風景が観るもののさまざまなイマジンをかき立てる。

そのことによって、観客は劇場の空間にまぼろしを観る。

最初の半句、一言一句、ことばの断片、絵、写真、映像、風景、見るもの、触るものすべてから立ち上がる幻視、イメージを捕まえて、採集し、拡げて、膨らませ、突っ込んで、育てつづけていこう。

我々は何処から来たのか?

胎児は母親のお腹の中で、人類の壮大なる進化の歴史を十月十日で経験するとかなんとか、人間はどうやって生まれるのか?ということはわかっているが、ではなぜ産まれて来るのか?ということになると、誰にもわからない。

我々とは何か?

人間存在の謎に無限の想像力で迫りたいとか思いつつ、そんなことどうでもいいか。

我々は何処へ行くのか?

どこでもいいじゃん。そんなことわからない。

死という誰もが逃れ得ない、絶対平等の真実か・・・古いですね、もっと普遍的な主題をもとに作品をつくったほうがいいかな。

わからなさにつけ込んで狂った貴族が出鱈目なお祭りをつくり出すとか、どうかな。

邪念を捨て 自意識と遊び 狂気と遊び 自我と遊び 厳しすぎず 甘すぎず 媚びすぎず 懲りすぎず 簡単に アカルク トキニシズカ二 トキニウルサク コムズカシクナク ハレヤカニ イコウ

我らだけが彼岸へと到るのではない。彼らもまた彼岸へと連れ去り、あらゆる一切の衆生をも昇天させて終わる。

最も暗い夜の、輝ける闇。

人は生の手触り、生の質感というようなもの、生きているという手触りに、生きているのだということを感じられる体感に、知らず知らずに引きつけられる。

それは決してバーチャルな二次元のものではなく、汗や匂いや熱気をともなう全方位の劇場的なもの。

それはそこにしかないもの、そこへいかないと感じられないもの。よいものを創りたいという思いと、よいものを観たいという思いが、がっちりとスクラムを組む。

ふむふむ、いいね。

その目的を達成するために、こころに信念の種を植えつける。

その種に水をやりつづけ、栄養を与えつづけていきたい。

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『ある日の絵』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 12:01| ブログ?