2020年05月31日

パロディーについて

特派員協会が東京オリンピックのエンブレムをパロディーにしたと抗議されました。

あれをみて不快に思うひとはいるのか・・・

組織委員会のだれかが許さなかったのだな。べつに尻の穴の小さいことをいわずに笑ってすませればいいのです。

日本ではパロディーという文化があんまりないのが原因か。風刺をゆるさない民族とかんがえるといやだな。寛容さにかけるクソ真面目な大衆性。

フランスの著作権法にはパロディーを認める規定があって、アメリカにも公正な使用なら許可をうけずに認められる規定があるとか。

風刺というのは知的行為だから、一部のひとの遊びみたいなものなのかな。朝日新聞には風刺画がまいにちのっているけれど、読売新聞にはのっていない。反権力的な行為でもあるのだな。

パロディーの上手なひとはじぶんの身の回りには・・・まずは兄弟子、村松卓矢か。

じぶん以外はほとんど馬鹿だという考えかたのひとなので、馬鹿にしている部分のほうが多い。そのことが観ているひとに伝わるようで、踊りや作品を好きではない人も少なくない。女性に多いのか。そのぶん男には人気があったりするのですが。

いちばん多用している人は、鉄割アルバトロスケット主宰で作家の戌井昭人です。

鉄割はけっこうパロディーが多いです。愛があるときもないときもあるけれど、笑いにもっていくから許されているところはあるのでしょう。

ゆらゆら帝国のパロディーの演目を観たゆらゆらのファンのワイフは怒ってはいなかったけれど、なかばあきれていました。「かんぜんに馬鹿にしてるやろ」とはいってたか。

馬鹿舞伎も「あれ歌舞伎のひとが観たら怒るんちゃう」とかいっていた。けれどあの演目は芸能のはじまりのようなところがあるので、亡くなられた中村勘三郎さんなんかが観たら大喜びしてたと思うけどなあ。

じぶんでいうと、そんなつもりはなかったのにパロディーにして馬鹿にしていると誤解されて、たいへんにもめたことが二度あります。

一度目は『ジャーオデッセイV』という作品を創ったときで、本公演の振付を悪気なくパロディーにするつもりもなく一瞬、取り入れたら師匠の逆鱗に触れてあやうく息の根をとめられかけた。

いろんなことが重なったとは思うけれど、一瞬のボタンのかけ違いで98%ひっくり返ってしまった。

二度目は『舞踏?プレゼンテーションショウ』というソロ公演をやったとき。けっきょく誤解はとけたけれど、その作品が再演されることはなかった。

どちらも苦い思い出です。

表現の自由ということでいうとなんでもありなのですが、観るひとを不快にしかさせないものというのは作品的に失敗しているのでしょう。

けれども風刺精神というのはいつの世のどんなときでも必要です。

忘れないようにしたい。

kokoro.jpg
『エンブレム』
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 09:24| ブログ?