2020年06月01日

あたらしい習慣

日本がこれだけ感染者数が少ないのは、日頃からマスクをする習慣があったからではないか。

そんな話しもあります。

そうだよな、このウィルスの特徴は感染しても無症状がつづくこと。知らないあいだに感染をひろげてしまっていることがあったかもしれない。

そんなときにマスクをする習慣があったら、もし感染していても飛沫感染は防止していたということ。

マスクをする習慣のあった民族か、かわった民族だな。日本固有の文化とか風習みたいなものなのか。

マスクは依存性があるのでそれも原因だったのか。

最近は、そとにいてもマスクをしている人が多い。

飛沫防止ということでは効果があるのか?「はあはあ、ぜえぜえ」いいながらランナーがマスクなしでそばを通ったら・・・えーい、過剰に怖れるな。

最近はコンビニに入るのにもマスク着用がマナーではなくて、ルールになってきています。

「メガネは 顔の 一部です」というCMソングがあったけど、メガネよりもマスクは存在感がある。顔のほとんどを覆うものだものな。

マスク着用があたらしい習慣となるならば、それがぺらぺらの安っぽい使い捨てのものなのはおかしい。

使い捨てのぺらぺらのTシャツを着ているようなものか。使い捨てのぺらぺらの白い帽子をかぶっているそんな感じか。

原因は、もともと医療的なところから出発しているからだな。けれどもマスクでは今回のウィルスの感染を予防できないことはわかっています。高機能の3次元マスクでもフィルターの大きさは0.0001mm。

いっぽう、コロナウイルスの大きさは直径0.000001mmだって。

高機能マスクフィルターの100分の1の大きさか・・・ほぼざるだな。

予防ではなく、飛沫防止のためにマスクを着用するのならば布マスクで十分です。医療用の安っぽいマスクではなく、洗ってなんどもつかえるオシャレな布マスクのほうがいいに決まっています。

ゴミ削減という意味でも、使い捨てではないほうがいいでしょう。

ヨーロッパではマスクショップなるものが誕生しているそうです。かっこいい、おしゃれな布マスクがカラフルに陳列されて販売されていた。

日本にもできるのは時間の問題だな。

老舗の手ぬぐい屋さん『戸田屋商店』もマスクをつくって販売したら好評を博しているそうです。

じぶんもあたらしく手ぬぐいでマスクを手づくりしました。

そんななか、政府がすすめる布マスクをあらたに5社に発注したことがわかった。契約金額は36億円だそうです。経済がうるおうからいいのか・・・いいのか?

みなさまの大事な血税をじぶんの人気とりのために、ばらまいているだけではないのか?

アベノマスクとか揶揄されて、人気はかえって下がっているのになあ。

と手づくりマスクをしながら思う舞踏家からでした。

追記ーウィルスをふくんだ飛沫の大きさは0.005mmぐらい、高機能の不織布のマスクなら捉えられるそうです。

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『自撮りマスクおっさん』

参照・引用:2020年5月24日 毎日新聞 / 2020年5月30日、6月4日 朝日新聞 / 北里大学Web
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2020年06月02日

マニュアルなし

滅多にだれとも会わないので髪の毛が伸びてきています。

ひさしぶりにスキンヘッドにするかと新聞を洗面所に広げます。

最近は、なぜあたまを剃っているのか疑問に思う。伸ばそうかと思うこともあります。いま伸ばすと白髪のまだらハゲになります。

鉄割的にはそのほうが面白いのではないかと思ったりするが、すでに村上君というカッコいいハゲキャラクターがいるので、とてもかなわないとやっぱり剃るのです。

とか思いながらバリカンで刈っていると、目のまえに独自の老人介護の施設を経営しているひとの記事があったのでついでに読みます。

結局、捨ててしまったのでいつのなに新聞だったかわからないのですが・・・

そのかたは福祉の大学を卒業後に老人ホームに就職。そこで老人介護の現状にショックをうけて退職し、自分で老人介護の施設を立ち上げたとか。

すごい行動力だな。

立ち上げた施設では入居者も出来る限りのことを自分でやると書いてあって「いいなあ」と思った。家事をやったりするのは頭をつかうからボケ防止にもいいのです。

自分でやれることは自分でやるというルールなので、誰が入居者で誰がスタッフなのかわからないような生活環境だとも書いてあった。

その施設にはマニュアルがないのだそうです。

いいですねえ。マニュアルなんて好きではない舞踏家からすると最高です。

人生はいつでも即興、答えなんてないんです。人生においてマニュアルなんて存在しないし、臨機応変にやわらかく生きていかないとなりません。

入居している人は、職員の都合で決められた利便性とか合理性とかで管理なんてされたくないでしょう。

それはどんな施設でも同じかもしれない。

管理する側に都合のいいようにおこなわれる生活のさまざま。

ヒドイところでは、怪我を防止するという目的でベッドに縛りつけたりするという記事を新聞で読んだ。夜、呼び出されないように、うごけなくなるぐらいに強い薬を飲まされたりするとも読んだな。

それもこれも責任を取りたくないという管理する側の都合と、深刻な人出不足からくるのでしょう。

そんな人手不足の対策としても、やれることは自分でやってもらうというのはいいアイデアです。

どんなひとでも1箇所に閉じ込めるのではなくて、地域でいっしょに暮らすというふうにもヨーロッパでは変化してきているといいます。

先進国の風潮に逆行していく日本が、そうなれる日はまだまだ遠そうです。

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『mother6』
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2020年06月03日

F1と固定種

娘が学校の課題をすすめています。

生物の課題で植物の観察をえらびました。

小松菜をタネから育てて固定種とF1という品種で比較、その生育のちがいを観察する。

小松菜のタネというのをはじめて見ましたが、おどろくほど小さかった。けし粒ほどのあんな小さなタネが、大きな小松菜になるのか。自然の神秘です。

F1というのは、1代かぎりの品種でスーパーの野菜はほとんどがF1。育つのをはやく改良していて、固定種の3倍くらいはやい。人間による交配によってつくられるのだって。

雑種のほうが強いという法則を利用している。

近親者同士で結婚をしていると生命力がおとろえてきて貧弱になってくる。対して人種がちがうとか遺伝的に遠い組合せで結婚すると、両親より大きく丈夫な子が生まれる。

家庭から父親や男兄弟を取りのぞき、かわりに外国の男性を送り込んで妻や娘とのあいだに子を持つことが許されない一代限りの人間を毎年、生ませつづけようとするようなことだって。

すげーことを考えるなあ。

寒さにつよく、暑さにつよく、病いにつよく、四季をつうじて安定した大量生産ができる。農家のかたがF1をつかいたくなるのは仕方ないのか。

けれども反面「F1野菜は味がない」という声があるのも事実です。固定種のにんじんなんて味が濃いものなあ。

いっぽう固定種というのは、むかしから栽培されてきた自家採種したタネを蒔いて育てた野菜。良いものを選んで、できたタネを翌年また蒔く。

F1はタネがとれないのでタネを買いつづけるしかない。いまやタネは巨大ビジネス、いま世界のタネの75%を5つの多国籍企業が独占している。

そして多国籍企業の独占のために、世界中の野菜種子がこの100年でなんと94%失われたのだって。

永遠に失われてしまった94%の野菜たち。

これらの多国籍企業の多くは、戦争中は化学兵器を製造し、戦争が終わると化学肥料や農薬を開発してきた企業です。いちばん有名なのが、悪名高いアメリカの旧モンサント社です。

ベトナム戦争のときは枯葉剤をつくっていた。

このモンサント社は、毒性のつよい農薬とその農薬に耐えることのできるタネを開発してセットにして売るという戦略で莫大な利益をあげ・・・やめましょう、調べればしらべるほど嫌な気分になってくるので。

いのちを金儲けのために利用するのはいけません。

「いまや世界中の人々が、子孫を残せなくなった野菜を食べています。それは自然界から見れば不自然なこと。F1の種しか残らなくなってしまってからでは、もうあと戻りできない。」

そう語る、固定種のタネを販売しつづける野口種苗店の野口勲さん。

遺伝子組み換えほどではないけれど、やはり自然に手を加えることではあるのだな。

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ちなみに植物観察の結果は、F1と固定種での生育差はほとんどなし。なんでや。味はどうかな。

参照:Tanet 野口種苗研究所 | 生協パルシステム情報メディア KOKOKARA | ビジネス+IT | 映画『シード〜生命の糧〜』
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2020年06月04日

I'm sorry

先日、高機能の3次元マスクのフィルターの大きさは0.0001mmと記しました。

今日の新聞を見たら、ウィルスをふくんだ飛沫の大きさは0.005mmぐらいと書いてあった。

高機能の不織布のマスクなら捉えられるのですね。

いっぽう、布マスクは生地によって繊維の大きさに違いがあると思うのでいちがいには言えませんが、0.5mmぐらいだったりするそうです。

ふだん、マナーやルールといったかたちだけのなんちゃってで装着するときは、オシャレでかっこいい布マスクでいいと思います。

けれども、ほんとうに具合がわるくてくしゃみや、せきが出るときは布マスクではだめですね。あと病院なんかへいくときも布マスクではこころもとないのか。

お気をつけください。

とか思っていたら布マスクのしたに、ティッシュやキッチンペーパーをはさむと市販のマスクと同じぐらいの効果がでるとか。

真剣なときはお試しあれ。

そうして安倍さんから布マスクが届きました。

届いたマスクを装着してみたらそんなに小さくはなかった。けれど猛烈に臭い。ので洗濯しました。

糸がピヨンととび出ていて縫製があらい。中国や東南アジアのかたがたに「とにかく急いでくれ」と検品もせずにつくらせたようなのでしかたがないですね。

ん、国内で8億円かけて検品しなおしたとか新聞に書いてなかったっけ。まあいいか。いいのか?

装着したすがたをアップしてみようかと自撮りしてみたら、白いマスクのせいかオジイさんにしか見えなくてがっくり。二度とつかわないだろうなあ。

娘が学校で「市販のものがないときは、これをつけなさい」と布マスクを配られたそうなので彼女がつけるかな。

しかしこの布マスクも本気のウィルス対策には効果がないのか・・・

いったい、なんのために配ったのだろう。自分の人気とりのため?いやいや人気はかえって下がっているのだからちがうな。国民の健康を心配して?効果がないのだからこれもちがうのか。

うーん、なんなんだろう。

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『自撮りマスクおっさん2』

参照:2020年6月4日 朝日新聞
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 12:08| ブログ?

2020年06月05日

We are all human

アメリカの人種差別への抗議運動が世界中へと拡がってきています。

差別か・・・

奴隷制度の頃からの問題が、いまだに解消されない。

差別は無知からくるという話しもありますが、相手もじぶんとおなじ人間であるということに思いが至らない想像力の欠如もあるのでしょう。

人種差別に女性差別にマイノリティー差別に障害者差別、etc...etc...

学校でいくら教えつづけてもなくならない差別というもの。いろんな小説で描かれ、いろんなドラマや映画が描き、いけないことなのだといくら訴えてもなくならない。

みんながいくら頑張っても、なかなか抜けない差別の根っこ。

暴動の原因は差別殺人でしたが、いまはそれはひとつのきっかけで国民の不平不満が爆発した感じです。不正がまかりとおるこのよのなかだものなあ。

ふだんならばこういった不満はフェスなどのお祭りで発散するけれど、コロナの影響で自由に発散できないのも原因か。

アメリカのミシガン州に3ヶ月滞在しているとき、親友のエリック・サントスがテレビ番組を観せてくれた。

黒人コメディアン、デイヴ・シャペルの番組で、“KKK”という白人至上主義者のコントをやっていた。有名な白い三角頭巾をかぶったひとたちですね。

そのKKKにひとりの指導者がいて、演説がとってもじょうずで黒人のことをいつも口汚くののしってメンバーや聴衆を非常に熱狂させて大人気だった。

かれは演説のときも白い頭巾をかぶっていて、側近以外は素顔を見たことがない神秘的な存在。

ある日、指導者が演説で興奮しすぎて白い頭巾をむしり取ったら黒人だった。ショックで気絶する聴衆たちのあたまが破裂してつぎつぎと飛び散る。

かれはじつは目が見えなくて、じぶんの肌が黒いと知らなかった。側近は黒人と知りながら、かれのカリスマ性を利用して黒人差別の指導者にしていたのでした。

肌のいろがちがうというたったそれだけのことへの差別。にんげんなんてひと皮むけば、みんな同じなのに。

黒人奴隷のものがたりを描いた大河ドラマ『ルーツ』に感動して涙をながしたあとに、KKKの集会に出かける。

そんな矛盾にみちているのが人間といういきもののすがた。

矛盾を理解しつつ、なんとかしてこの世界をよりよく変えていけたら・・・

人類はまだまだ、多くのことを学ばなければならないのです。

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『The Stars and Stripes and Skull』
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2020年06月06日

はてな

舞踏家集団『デュ社』のコンセプトをひとことで言うと『?』

「ブトウ?」であって「ブログ?」である。

こんなときだから、じぶんたちのコンセプトを思いだしてあらためて指針とするのです。

社会のおおきなうねりに飲み込まれることなく、冷静につねにうたがいのまなざしで世のなかを見つめつづけたい。大切なのは距離感をとること。

漫然と同調圧力にながされていないか。

「ほんとうか?ほんとうにそうか?」

そうしてこの先、必要とされたときにぴかぴかのアイデアと斬新な物語りをひっさげて登場するのです。

斬新なおどりのほうがいいか・・・

矛盾して不公平で不正や嘘ばかりのこの世界。

自粛警察なんていうわけのわからないものたちが、跋扈する世界。

ネットの中では悪意が広まり、差別と憎悪が世界を分断する。

みんなが不安を抱えて、生きる、そして生きるに値しないかもしれない世界。

何が本当かなんてわからない。世界はもうシッチャカメッチャカなのだから・・・

理由なき反抗のニコラスレイの歩きかたを真似しているすがたを鏡にうつして、そのまま鏡の中へと入っていく。

真似して歩いていたら、犬のぬいぐるみが畑で柿の収穫を手伝っていたのでその手伝いをする。

手伝いをしながら、いろんなひとのキャッチフレーズを考えてみる。最後のレフェリー ヴェッカムの剃刀 リグ・ヴェーダよりの使者 サブライムフェニックス 紀伊半島のルサンチマン 北海のイナズマヘッド・・・なかなかいいぞ。

犬のぬいぐるみがやすみ時間に絵を描いてるので聞いてみる「なに描いてんの?」なんでもいいでしょ、目鼻口いらないでしょ。

もっと子どもになろうでしょ。もっと赤子になってもいいでしょ。

なにを描くか?そこにおもきを置かなくてもいいでしょ。

絵を描くという根っこのところの意味はわからないけど、なにかを伝えるとか、記号であるとか、あとづけの説明の部分を捨てていこうとか考えなくていいでしょ。

そうすると絵の絵としての赤裸々な存在感があらわれてくるのだなんてどうでもいいでしょ。

大人になってだれもが失ってしまったかもしれない、あの頃のキラキラが、愉しさが、自由ということすら意識していなかった自由さが?

意味とか、なにを描くとか、うまいとかへたとか、うつくしいとか、みにくいとかかちんかちんとかなんにもないからだっぽなせんとちひろのどれみたとらぴろ

「みじかびの きゃぷりきとればすぎちゃびれ すぎかきすらの タマタマわれた マナマナあーあ」

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『?』
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2020年06月07日

テレワークとか

テレワークの“テレ”とは遠いとか遠距離という意味があるそうです。

テレフォンにテレビジョンにテレワークか・・・遠く離れていてもできる仕事ってなんだろう。

そうやって考えると出来ない職種のほうが多い。

いちばん実施率が低いのはヘルパーなど福祉系の専門職で2.2%だった。けれどもこれは、おそらくパソコンで管理などしているひとも入っているだろうから実質は0%でしょう。

医療系の専門職や保育士も実施率は低い。

からだをつかう職業はテレワークなんてまず出来ない。

米や野菜、くだものを育てる農業に従事している方はテレワークとかわけのわからないカタカナをメディアが口にしているあいだも、からだをつかって労働をしている。

漁業も畜産もおなじだな。

それらの野菜や魚や肉をはこぶ仕事の方は、いまもどこかをトラックで走っている。市場では取引がおこなわれ、スーパーは営業をつづける。

毎日毎日、ゴミを収集してくれているゴミ処理や清掃に関する仕事の方々もテレワークなんて不可能だな。建築業界も同様か。

電気・ガス・水道などのライフラインに従事する人たちも、現場で働く人たちはテレワークなんて無理。林業ってのも無理だな。

鉄鋼炭鉱にあらゆる製造業も人間がからだをつかってやるしかない。でもこのへんになってくると将来は、完全自動化なんてのもありうるのか。

ヘルパーなどの介護の仕事もいまは無理だけど、将来的には遠隔操作のロボットがおこなうなんてことに・・・なったらどうなるのか。へたに人間がやるよりうまくいったりして。

ロボットに八つ当たりして、ロボットになだめられてむなしくなったりして。

警察官もテレワークは無理だけど、SF的な近未来にはロボットがやるようになるのかな。ひとはロボットの管理だけする。

遠くはなれて話す、遠くはなれて指示する。遠くはなれて操作する・・・遠隔作業でいちばんすすんでいるのは軍事か。

いまの爆撃は遠く離れた場所からやるそうです。爆撃を終えたら、すぐ家に帰って家族とくつろぐ。

いちばんテレワーク率が高い職業はウェブクリエイティブ職で64.1%だそうです。それでも6割強なのか。

どこかでかならず人間がその場所へいって作業することが必要になってくるのだな。

舞台は映像も使うけど、やはりひとがやらないと成立しない。そしてライブでしかありえないからテレワークはむずかしいです。

いまはみなさなんネット映像へと移行していっているけれど、それだとテレビや映画とおなじ土俵に立つことになってしまう。

そうではない舞台の存在価値ということで考えれば、いまは映像へとはしることなくじっと耐え忍ぶほうが価値は高まるのかもしれない。

そんなふうに思ったりもします。

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『テレフォン』

参照:2020年5月18日 読売新聞
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2020年06月08日

むずかしい作業

デュ社のホームページをつくっています。

まったく進んでいかない。

ここ2ヶ月ぐらい、おなじところでずーっと足踏みをしている感じ。いっこうに外れない知恵の輪を「かちゃかちゃかちゃかちゃ」やっているような状態。

つまらないから、まったく進まない。

“デュ社舞踏家集団”というのを“舞踏家集団デュ社”とならび変えるのができない。ロゴの大きさを変えたいと思うのだけれどできない。

めちゃめちゃ忙しそうなワイフをたまにつかまえて聞きますが、聞くとすぐにわかって少しまえへ進む。

ブログと同じだとワイフは言うのだけれど、勝手がまったく違う。根本的ななにかが違うのだけれど、そこがわからない。ちょっとした糸口が見つかればいいのだけれど、まったく見つからないので嫌になってしまう。

いまブログを記してて思ったけれど、どこか決定的ななにか・・・スタイルのような部分が合わないのだな。このブログは最初からすいすい進んだものな・・・

やはり仕組みがむずかしすぎるのか。テンプレートという枠組みが決まっていてその中でしかデザインが変えられない。それ以上にデザインを変えようと思うと、凄まじく専門的な技術が必要になってくる。

じぶんのやりたいことは専門的な技術がいるようです。

とかつべこべいわずにやれることからやろう。

まずはつくるページを考えててと。最初はアーカイブページを増やしていこう。デュ社のサイトなので旗揚げ公演の『ふたつの太陽』のページからつくってと。

出演者やスタッフのクレジットとbozzoのかっこいい写真と作品のイメージが伝わる解説をいれて、ダンス批評家木村覺君の素敵な評論もリンクしよう。

つぎは第2回公演『春の祭典』のページを制作して、そのつぎは第3回公演『ぴちがい裁判』のページをつくって、こちらはクラウドファンディングをやったのでその記録ものせよう。

あとは第4回公演『舞踏レクチャーパフォーマンス』のページをつくっておなじようにクレジット写真を入れて、旗上げ前の公演とソロ公演はメンバーページの雲太郎からリンクさせればいいな。

ドイツでの合宿はワークショップページにリンクして、そのほかのワークショップもリンクしよう。

翻訳のできるところはじぶんでやっていきます。むずかしい文章などは湯山におくって、いそがしい作業のあいまに翻訳をしてもらおう。

むずかしいデザイン作業もやっていれば、そのうち慣れてくるでしょう。

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駐輪場のあじさいが咲いた。
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2020年06月09日

文化芸術をクラウドファンディングで救う

2016年、デュ社第三回公演『ぴちがい裁判』のときにお世話になった『モーションギャラリー』の代表、大高健志さんが新聞で紹介されていました。

このコロナウィルス騒動の影響で休業させられているミニシアターを助けたいと『ミニシアター・エイド基金』を仲間の映画監督たちと立ち上げたそうです。

3万人から国内のクラウドファンディングとしては、史上最高額の3億3千万円が集まったとか。やるなあ。

ミニシアターの再開をこころ待ちにするファンのひとたちが、それだけ大勢いるということだな。

モーションギャラリーは文化芸術に特化したクラウドファンディングを展開しているそうです。

お世話になったのにいままで知らなかった。ダンス評論家の乗越たかおさんが、海外のフェスティバルへの渡航費を募っていてそれで知ったのでした。

そう言われてみたら同じころにやっていた人たちも、ダンサーや演劇や映画界の方たちだったか。あのころはそんなものかなと思っていたけれど、なるほど。

モーションギャラリーは、大高さんが大学院で映画製作を学んでいるときに映画業界や同窓生に優れた創作者がいるのに、お金を出す人がいないことに着目して2011年に設立された。

「国際的に認知される才能があるのに、竹やりで戦っている。」

海外ではクラウドファンディングが盛んなことを知り、民間での助成金の仕組みをつくったそうです。

無名の映画監督と俳優らによる自主映画『カメラを止めるな!』の支援金集めもモーションギャラリーが手がけ、興行収入31億円のヒットをとばした。

映画自体は賛否両論ありますが・・・映画なんて賛否両論あってなんぼのもの、ええじゃないか。

今回のコロナウィルスによる休業要請では、本屋やライブハウスや小劇場を支援するクラウドファンディングもつぎつぎに立ち上がっています。

いろんなクラウドファンディング企画を目にするたびに支援したいという気持ちはもちろんありつつ、そんな立場にないな。とじぶんをいましめて申しわけない気持ちになっています。

そうして大高さんのようなかたの活躍を知るたびに偉いなあと尊敬の念を抱きつつ、まったく活躍できないじぶんのいまをかえりみてしまうのでした。

今月から支援をうけた多くのミニシアターが再スタートを切るようです。

素晴らしい。

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『大高健志さん』

参照・引用:2020年6月9日 朝日新聞『ひと』
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2020年06月10日

「僕ら」の「女の子写真」から わたしたちのガーリーフォトへ

友人の写真家、長島有里枝の名言で「男は売れるのが遅ければ遅いほど良い。」というのがあります。

彼女自身は20歳でメジャーデビューしている。

若くして売れた人だからこそ口にできることです。じぶんが言ってもたんなる負け惜しみ。

彼女は2017年に東京都写真美術館で、大がかりな展覧会をやっていました。

パンクロックな人柄そのままのとっても素敵で男前な展覧会で、初期からいまにつながるいろんな写真を観て感動したのでした。

そんな有里枝ちゃんが『「僕ら」の「女の子写真」からわたしたちのガーリーフォトへ』という本を出版しました。

1990年代に若い女性アーティストを中心にうまれた潮流をふりかえり、徹底的に資料をあげながら再検討をおこなう本なのだそうです。

2001年にHIROMIX、蜷川実花とともに女性3人で木村伊兵衛写真賞を受賞したこともあって、若手女性写真家として、ひとくくりにされ不当に扱われてきたのか。

「有里枝ちゃんはほかの女性写真家と違うよ。」と言われていたけれど「わたしも違うけど、みんな違うだろ!と思っていた。」

ロックな有里枝ちゃんらしいな。

社会人になってから入学した大学の卒業論文でもあるので、告発調ではなくて“プチプチをひとつずつつぶすように”男性目線のブームが、いかに誤ったじじつのうえになりたっていたかを確かめていく内容。

たとえば、コンパクトカメラの普及が女性写真家の誕生をあと押ししたと言われてきた。扱いやすいカメラが技術的な稚拙さをカバーして、表現に結びついたという論調。

しかし彼女たちが、そのようなカメラをつかっていたのはごくわずかだった。

彼女たちの登場とカメラ付き携帯の普及を結びつける論調にも「若手登場のピークが1997年、98年であるが、カメラ付き携帯の開発・発売は1999年〜2000年であった。」と反論。

それは若手の女性写真家が“いかに技術をともなっていないか”ということを広めるための、差別評論であった。

“自己中心的”“わがままで自分勝手”“能天気”などといかにも女性を活写しているようなことばが使われたが、それも男性優位による上から目線のマウンティングに過ぎない評論。

他人によって名付けられたじぶんの表現を、どうやってみずからの手に取り戻すか・・・

「いつかまともな評論家が出て、反論してくれると思っていた。だけど『白馬の王子さま』はいないとわかった。これはわたしの問題だ。」

と自らで書いたのがこの本なのです。

「女の子写真」と軽んじられてきた風潮を、アメリカで生まれた『ガーリーフォト』というフェミニズムのことばを肯定的につかい語りなおす行為でもあるとか。

「声をもたない集団について語るひとは、慎重に振る舞わなければならないと思う。」

「これがわたしにとっての“ガーリーフォト”です。」

読みます。

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『Tank Girl』

参照・引用:2020年3月8日 毎日新聞 2020年3月28日 朝日新聞
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2020年06月11日

舞踏やってても知っていること

国会議員とは国民の代理人です。

日々生きることに忙しい、国民の代わりに“税金のつかい道”を決めるプロフェッショナルです。

大工さんや農家のかたや小説家さんや清掃業従事者や医療従事者、俳優や古物商やデザイナーやウェブプログラマーの代わりなのです。

投票で選んだ議員がじぶんたちの税金のつかいみちを、じぶんたちの代わりにじぶんたちのために決めてくれます。

全国民を代表して税金の配分を決めるひと。それが議員さん。だから税金の不正、不明な使用には文句をいう権利があるのです。

勝手に税金を私物化して、じぶんやじぶんのおともだちのために私的に利用していないか?

途中にじぶんたちの息のかかった幽霊会社をはさんで、不公平に20億円の利益をあげていないか?

外注さきに依託費と称して3095億円も丸投げして、選ばれた企業が不当に利益をあげていないか。

いろんな責任を追求されることから逃れるために、10兆円ものお金を使途不明のまま計上しているのではないか?

常に監視をして不正があった場合には、こえを上げて糾弾する権利がどんな有権者にもあります。歌手だからとかいって政治に口をだすなというのは、根本的に間違っているのです。

主権は国民にある。国民が主役である。権力は国民のために行使されなければならない。

これは日本国憲法にさだめられた事実です。だから孫正義さんは国会に入るときにガードマンから「よこの通用口へまわれ」と言われて激怒した。

「議員の通るところを、主役の国民が通ったらダメとはどういうことか!」

そんな議員がこのエピソードのごとく、赤い絨毯の上をえらそうに我がもの顔で・・・あるひとが、とにかく議員の世襲制をやめさせなければならないと言っていた。

日本では、2世3世議員が親と同じ地盤から出ることを許しています。努力をせずとも、出馬して当選できてしまう。

議員さんの子どもとしてちやほやされ育ち子どもの頃から苦労知らずで、食べる心配などしたことがない2世3世さんにわたしたちの気持ちなど到底わかるわけがない。

調べれば、調べるほどいまの日本において、世襲制の弊害が大きいことがわかってきます。

若くて優秀な議員がいないことも、女性が政治の世界でまったく活躍できない大きな原因もここにあるようです。

じぶんたちのことを考えたシステムではなく、国民のことを考えた制度にして欲しいものです。

以上、たかが舞踏家風情からでした。

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世襲の権化、安倍晋三議員。
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2020年06月12日

マスクで打ち合わせ

昨日は、神奈川県にあるオペラシアターこんにゃく座へ。

9月8日〜13日まで六本木俳優座でおこなわれる、源氏物語が題材の新作オペラ『末摘花〜すえつむはな』のスタッフ打ち合わせでした。

じぶんは振り付けでの参加です。

立山ひろみさんの演出作品ではじめて呼んでもらって、そのあと、しままなぶさんの演出作品でも振り付けのお手伝いをしたりと、たびたび通っているのでもうお馴染みの場所です。

川崎は宿河原というところにあって1階に事務所、巨大な倉庫と作業場と2階に衣装小道具倉庫、3階に巨大な第1スタジオと中ぐらいの第2スタジオと広い食堂とキッチンと男女別の広いトイレ、4階に男女更衣室があるという舞台人にとっては憧れの空間なのです。

打ち合わせでは、全スタッフがマスク着用で異様な雰囲気でした。

水を飲むときだけはずしてすぐに着用。席が180センチはなれているからマスクはいらないように思うけれど、飛沫は10分ちかく漂うという話しもあるのですぐにマスクします。

念には念をいれたほうがいいのか・・・こんなときPCR検査というのがすぐにできれば、過剰な対策は必要ないのかな。

マスクをしているので表情が読み取れないのが難点、笑い声が聴こえてもだれが笑っているのかわからなかった。

美術担当の杉山至さんは兵庫県の豊岡からオンライン参加していたけれど、それでじゅうぶんな感じでした。

打ち合わせでは、今回の演出の大石哲史さんからいろんな話しを聞いて、イメージをふくらませます。

そうして制作の方々からは、世間では第2波、第3波なんてことが言われて、こんごどうなるかわからないところはありつつも、絶対にやるのだという意気込みを感じました。

いまのところ通常300席のところ、なんと3席ずつあけて80席弱にして公演するかもしれないそうです。

俳優座のほうの要請だという話しですが、政府か都の指導でもあるのか。80席弱だからそのぶんの費用でいいかというと、それはまた別でこれから交渉するとか。

ただでさえ俳優座は六本木駅前という立地と客席数の少なさで、儲けがべらぼうに少ないのです。

すでに赤字は決定しているみたいだったのでたいへん。

全体ミーティング終了後は有志にて久地駅まえのインドカレー屋さんに場所をうつして、しっかりと感染対策をとりつつ打ち合わせを続行。

カレー屋さんはガラガラで気の毒な感じだった。

帰りは満員電車で、しかたなく密集しながら帰りました。

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安倍さんから届いたマスクをした自画像。安倍さんありがとう。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 14:55| ブログ?

2020年06月13日

国家破綻とか

この状態があと1年つづいたらどうなっていたのか?

国というものが破綻してなくなっていたりして。

とか思っていたら、このままだと国家はまちがいなく破綻するという話しを新聞で読みました。

けれども国家の破綻というのは国がなくなることとはちがうのか。

国がなくなるとどうなるのか想像してみて、調べてみたけれどほんとうのところはよくわからない。

1番むずかしいのはお金のあれこれのようです。しかしこれは持っている人たちの話で、そもそも持っていなかったひとには関係ないかもしれない・・・そんなことないか。

税金やそこから派生するいろんな保険や社会保障のかずかずがなくなる。

国家が崩壊してしまったような状態だった終戦直後のように、お金というものが意味をもたず米や野菜だけが価値をもつのか。そうやって考えると自給自足というのはどんなときでも強いのだな。

1番厄介なのは公共事業がなくなることかな。終戦直後ってのはどうなってたのだろう。

毎日出るゴミをどうするのか?誰の土地でもないところを誰が整備するのか・・・

その地域の人たちで話し合ってやればいいのか。治安の維持はだれがやるのか。都会には悪いやつがいるからな。

教育は江戸時代の寺子屋のようになって、ヨコ割りではなくタテ割りでやはり地域ごとでやるとか。

国がもしなくなっても、公共事業というものは残せばいいのか。みんなでお金をだしあってやる事業。けれどもその場合お金をどこが発行するのか?各自治体で発行するのか。

外交はだれがやるのか?

結局はちからのあるものがあらわれて統治することになってしまうのか・・・また同じことの繰り返し。

集合体が小さくなっていくのはいいことだと思います。

いま国ではなくて各自治体の長が活躍しています。集合体が小さいからいろんな対応のスピードが速いのだな。もしも国ではなく自治体レベルで考えるときもやはりそれぞれの格差をなくすために、ひとを分散させないといけない。

こんかいの騒動は、ひとが密集しすぎていたことへの戒めともとれます。大都会の欠点をあらわにしたウィルスたち。

もっともっと距離をたもって生きていく。こんなに密集して暮らすのではなく距離をとって生きる。

こんかいリモートワークやテレワークなんていうことができたひとたちは、会社へいくことも都会に暮らすこととも必要ないのだと気づいたのではないでしょうか。

この機会にいきすぎた一極集中をすこしでも是正できるといいです。そのことはひとが減り財政難に苦しむ地方と日本という国のためにもなるのだと思います。

都会のペースとはちがってゆっくりとすすむ田舎のじかんと、ゆたかな自然とうつくしい景色といい空気のなかでのびのびと子育てをする。

そんな贅沢なことが可能になるのかもしれない。

淡路島へと帰れないいま、都会にていろんなことを妄想するのでした。

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家から自転車で5分の淡路島、五色町都志の海。
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2020年06月14日

かんなんをともにする

デュ社副代表、湯山大一郎のお母さまから“粗供養”というものが届きました。

4月13日に湯山のお父さま、湯山哲守さんが亡くなられた。

ほんらいならば駆けつけるところですが、移動が制限されていたので自粛し香典のみで失礼しました。

粗供養は、その香典のお礼の品。

申しわけない思いで包装紙をあけると、かわいらしい和菓子でした。「お父さまの好物だったのかな。」とか思いながらさっそく頂いたら甘さがかぎりなく控えめで、とっても上品な味で「美味いなあ、さすがは京都」とうなります。

つづいてお母さまから手紙もとどいてびっくり。

こちらは、ことばでの香典のお礼でした。そして手紙2枚にわたって亡くなられたお父さまへの思いがつづられていて、読んでいて胸がジーンとあつくなった。

お父さまも教養のあるかたでしたが、お母さまもやはり教養があるのだな。と文章を読みながら思った。

届いた手紙によって、お父さまの最期の様子を知りました。

じぶんは、自宅にて人間らしい最期を送ることができるか?読んで考えさせられた。しかしひとが違えば人生が違うのはあたりまえ。じぶんの意思と家族の気持ち、病状や状況やその他いろんなことがあって可能となることなのでしょう。

病魔におかされてからは、持ちまえの楽観性と科学的な視点にささえられながら明るさとユーモアとやさしさがある闘病生活を送られたそうです。

お母さまはそんな旦那さまを「根っからの明るいひと」と思っていたが、最期の日々をともに過ごされてじつは苦痛や不安はけっして誰にも見せず、ひとりで引き受けていたと知った。

それはお父さまのプライドであり、まわりの人への思いやりであった。

急激に病状の悪化した12月8日の直後から、一番上のお姉さんが「お父さんの最期を、仕事の片手間に看取りたくない」と介護休暇をとって献身的にお世話をしてくれたとか。

素晴らしい。

4月9日に「いよいよ僕もご臨終です」と笑顔でみずからを診断。じぶんでそんなことがわかるものなのか・・・ひとというのは不思議です。

4月12日の午後、パリから帰国された二番目のお姉さんの「お父さん、ただいま!」という声にうなずき、ホッとした表情をうかべると同時に呼吸が荒くなった・・・

気力だけで生きておられたのか。

3時間後、長男の大一郎に背中をささえられて起き上がり、眼鏡をかけ、眼を大きく見開き、無言で、ひとりひとりの顔をゆっくりとみつめ、そして息を引き取られたそうです。

享年75歳。

お母さまが数日後、ベッドの下から遺書を発見。その最後にお父さまから、子どもたちへ向けたことばがあった。

「良き友人を作ることそしてその人を尊敬すること。次の格言をかみしめてほしく思います」

『艱難は共にできるが、冨貴は共にできぬ』

こころに刻み、かみしめます。

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『ときわ木』お父さまとお母さまが出会われた京大のまえの銘菓だそうです。
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2020年06月15日

オンラインミーティングVol.2

土曜日に湯山大一郎と2回目のオンラインミーティングをしました。

東京と京都で新幹線なら3時間、バスなら8時間かかりますがオンラインならば、一瞬でまるですぐそこにいるようになります。

江戸時代なら魔法やな。

お母さまから頂いた香典がえしへのお礼のハガキが到着したようです。いまこの騒動で郵便が届くのが遅れている。海外へは送れないのか。

日本は感染者数が落ちついてきているが、中南米やアフリカでは感染爆発がおこっているようです。これは来年のオリンピックも危ういかも・・・

湯山は京都の芸術支援に採択されたそうです、やるやん。やりたいこともあるようで素晴らしい。いろいろとアイデアを聞きました。

そんな舞踏の仕事と並行して、いまもお父さんの遺品の整理をしているが、あんまり進んでいないようです。まるでお父さんのあたまの中がそのままあるような、大量の資料や新聞の切り抜きや本がまだまだカオス状態だとか。

けれどお父さんはどこになにがあるか、ちゃーんと把握していたのだろうな。

amazonとおなじやり方ですね。

整理整頓という無駄で手間のかかることをしないで、でたらめに商品をおいておく。そうして管理把握だけする。

ものというのは放っておくと、自然にバラバラになっていく習性がある。福岡伸一教授のいうところの“動的平衡”です。どんどんバラバラになって、入れ替わってあたらしくなろうとする。

整理整頓という無駄でてまのかかる不自然なことをせずにあるがままに保管をして、管理把握していたお父さんが亡くなってしまったからたいへんなことになっているのだな。

ただ、めちゃめちゃな混沌とした状態で残ってしまった資料のかずかず。

ぼうだいな新聞の切り抜きを、時系列でならべるだけでもたいへんな手間だそうです。想像しただけで気が遠くなる。

けれどもその新聞の切り抜きには、面白い記事がたくさんあるようです。

お父さまの専門分野だった物理、それも原子力にかんするもの、非核運動や軍縮にかんする新聞の切り抜きがいちばん多いのか。

ヒロシマの原爆で親族をうしなったものとして、じぶんが追いかけていることともリンクするので、こんど見せてもらおう。

そんな膨大な知の遺産をのこされたお父さまですが、自宅で最期の日々を送れたのは上のお姉さんが3ヶ月もの介護休暇をとって面倒をみてくれたのと、複数の保険をかけていたのが大きいそうです。

話しを聞いて、そろそろじぶんもよく考えて用意をしておかねばと思いました。

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『梅画賛』模写 2020.6.15
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2020年06月16日

子どものまなびと甲子園

娘が学校へ通いはじめたがまだ1日おき。

昨日からやっと6時間授業になったけれど、1クラスをふたつに分けての分散登校がつづいています。単純にみて学びの量は半分なのか。

今後、失われてしまった約45日ぶんのカリキュラムをどうするのか?

9月に伸ばすのは無理でも失われた45日ぶんでも伸ばせばいいのに。5月卒業にするとか。

「教える内容が年々増え、すでに満杯状態。思い切って不要な学習を削り、ゆとりあるカリキュラムにするべきだ」そう神奈川県の小学校の先生は語る。

そんななか休校要請での勉強の遅れを取りもどすために、教科書の約2割を授業外でやらせることを文部科学省が全国の教育委員会に通知した。

羽生田大臣は「けっして家庭に負担をかけるということではない。」と強調しているけれど「お母さんたちが一緒に見てくれる家庭があれば否定しない。」とも述べた。どっちやねん。

保護者からは「また家で?これで義務教育か」「公教育を信頼していたのに裏切られた気持ちだ」と声があがっている。ひどいなあ。

「しわ寄せがまた両親、各家庭へとかかってしまう。」「かえって教育格差を助長する。」と先生たちも懸念している。

フルタイムで働くシングルマザーなんてひとはどうなるのだろう。考えてあげたのかいな。

「身の丈にあわせてがんばって」という考え方は変わっていないのか。

「こんな感じだとあっというまに1年たちそう」と娘がこぼしていたけれど、もうそろそろ夏だものな。

高校3年生なんかは受験にむけた勉強も間に合うのか疑問だし、いろんな行事がなんにもやれないのは悲しすぎる。なんとかしてあげられないか・・・

そんなふうに思っていたらセンバツ高校野球を夏にやるということが決まった。「なんらかのかたちで甲子園の土を踏ませてあげたい」という約束を高野連がまもったそうです。

素晴らしい。せっかく切符を手にしていたのに悔しい思いをした球児たちは、飛び上がって喜んだでしょう。良かったなあ。

無観客で1試合しかやれないけれど、なによりの励みになる。

校歌は勝っても負けても歌わせてあげましょう。

永六輔さんの「勝った学校ではなく、負けた学校が校歌を歌う」というアイデアをこの機会に検討してみてもいいでしょう。

負けた学校が校歌を歌うとどうなるかというと、出場した全高校が校歌を歌うことができる。最後に頂点にたった優勝校が歌うのです。

いまとは比べものにならないぐらいに感動するぞー。

先日立ち消えになった大阪の女子高生発案の9月始業のように、いいアイデアが生かされることはなかなかありません。

大人の事情はどうでもいいので、子どもたちのことだけを考えていろんなことを決めてあげたいものです。

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『Play ball』

参照・引用:2020年6月6日、6月11日 朝日新聞
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2020年06月17日

はじめての海外旅行

国内の移動は今週からOKになるようです。

けれどもまだまだ、海外へいくなんてとんでもない感じなので日記をひもといて思い出にひたります。

はじめて日本の外へと出たのは、1992年12月でした。

セツモードセミナーへと通っていたころ。

ニューヨーク近代美術館でやっていたアンリ・マティスの史上最大で今後2度とあり得ないという大回顧展を観るためにアメリカ、ニューヨークへといったのでした。

世界中にあるマティスの作品をMOMAに大集合させて展示しようという大イベントの噂を日本で入手、行くことを決心したのだな。

12月15日、UA802便にて一路、アメリカへ。

機内で映画を観たり寝たり起きたりしているうちに、夕方4時ごろNew Wark空港へと到着。空港は寒々としていたがまだ明るかった。

入国審査を通りぬけ税関でかばんをひらいて台にのせると、係官が小バカにした顔で“Do you speak english?”と聞いてきた。

おもえばそれが、何年にもわたるアメリカという国との格闘のはじまりだったのだな。

“No"と答えるとあざけりの笑いを浮かべながら“Do you speak japanese?”と嫌味を言ってきたが気にせずやりすごす。

となりの台に目をやると、中国人らしき小さいひとがボストンバッグいっぱいの荷物を係官2人がかりで調べられていて困った顔をしていた。

知り合いへのお土産なのだろうか、いろんな変わったものが次から次へと出てきてちょっと可笑しくてほのぼのとした。

そしていよいよ空港のロビーへ。

そこはまさに映画のワンシーン、見るひと見るひとあたりまえだけど異人さんばかり。いろんな人種のひとがいて「あー、異国にきたのだな」と実感した。

ホテルについてすぐに小銭が必要と聞いていたので、両替所をみつけて見よう見まねで“Some chenge”と1ドル札を差し出すと黒人さんが機械的に両替してくれた。

フリーのパック旅行でいったのだけれど集合してからずいぶん待たされるので、どうしたのかと思っていると一緒のツアーのかたが、かばんを盗まれたとのことだった。

着いていきなりだったのでびっくり。1990年代初頭のニューヨークというのは、まだまだ治安が悪かったのだな。

現地の旅行会社のひとがきて、さきにバスに乗っておくようにと指示。

小型の変わったかたちのバスにのって外をながめると、どこかの航空会社のキャビンアテンダントとパイロットだろうかサンタの帽子をかぶってふざけていた。

「もうすぐクリスマスか。」

ホテルにチェックインしてからまわりをすこしウロウロしたら、路地裏で黒人が数人ドラム缶で焚き火をしていて怖ろしかった。

そのあとは、時差ボケのためホテルで爆睡したのでした。

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『1992年12月のニューヨーク』
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2020年06月18日

ニューヨークをうろうろ

ニューヨーク旅行は、時差ボケで疲れてほとんど計画通りにいかなかった。

16日に到着したらすぐに、ニューヨーク近代美術館へ下見にいくつもりだったけれど時差ボケで爆睡、撃沈した。

17日、8時ごろに機内で知り合った女の子が迎えにきてくれて一緒にMOMAへ。そのあとグッゲンハイム美術館へいき、ホイットニー美術館へもいく予定にしていたけれど疲れがひどくてギブアップ。ホテルの部屋へ帰って爆睡。

MOMAの入場料が40ドル、約5,000円。貧乏旅行だったので毎日びくびくしながら、お金の計算ばかりしていた。

18日はフェリーに乗って自由の女神をみた。デカかったのは覚えている。そのあといまはなきワールドトレードセンターへ。覚えてない。そこからソーホー、イーストビレッジ、グリニッジビレッジをうろうろした。世界の流行の最先端を垣間みて興奮したのでした。

とにかく歩きまわってへとへとになって夕方6時に爆睡してしまう。

0時にいちど起きてまた寝る。けっきょく起きたのは朝4時ごろ。まいにち疲れがひどい。思いきり歩きまわるせいだと思うが、時差ボケも関係あるのかもしれない。

19日、メトロポリタン美術館からMOMAへ。ほんじつのメインイベントは、マティス展の分厚くて重いカタログを何冊も日本へと送る作業である。

セツモードセミナーの友人たちから、カタログを買ってきてくれと頼まれていたのだった。

カタログを何冊ももって郵便局へといって送ろうというのであるが、英語がさっぱり喋れないのにいま考えても無謀だな。はがき1枚送るのとはわけが違った。

まず荷物を送る場所がさっぱりわからないので、重たい荷物をもってだだっ広い郵便局内をうろうろうろうろします。いまのようにスマホでちゃちゃっと調べてなんて時代ではなかった。

2時間ぐらいはさまよって、へとへとに疲れて泣きそうになっていた。誰にも聞けないし聞いてもわからない。

あれはたいへんだったなあ・・・

途方にくれて座り込んでいたらエディー・マーフィーふうの黒人さんがやってきて「へい、ぼーや、どうしたんだい?」てな感じで声をかけてくれた。

たぶん身振り手振りで「この荷物を送りたいんだ」と必死で伝えたのだと思うけど忘れてしまった。

かれに「OK、まかせろこっちだ」とつれられて荷物の配送窓口に連れていってもらって、そのあとも手取り足取り教えてもらったのか?

無事に日本へと荷物を送れたのでした。

あれはほんとうに天のたすけだった。捨てる神あれば拾う神ありです。なんどもなんども“Thank you"と言っただろけれど、ありがたかった。

じぶんのうけた恩はまた他人へと返せばいいのだな。

困っているひとがいたら助けてあげるのです。

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『1992年、MOMAにてスケッチ』
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2020年06月19日

Les Demoiselles d'Avignon

マティス大回顧展の圧倒的な作品点数にも、もちろん感激した。

けれど、それよりなにより『アビィニョンの娘たち』を見たときのしびれるほどの感動は、いまでも忘れられない。

実物は高さが2メートル以上あった。

写真で見たのとはまったく比較にならない迫力に圧倒されて打ちのめされた。唯一無二の強力な野生のようなエネルギーとパワーを発していた。

これをはじめて見たひとは度肝を抜かれただろうなあ・・・


1907年、秋。

画商のアンブロワーズ・ヴォラールは、パブロ・ピカソがアトリエをかまえる『洗濯船』へと向かっていた。

今日の朝、ピカソから興奮した声で新作がやっと描けたと電話があったのだ。

彼は、晩秋のパリ、ルビック通りの坂を汗をかきながら足早にのぼっていた。洗濯船へと着くと逸る気持ちを抑えて、ギシギシとなる暗い階段を上っていく。

ピカソは明るい色調の絵で最近、売れて来つつあったがまだ無名に近かった。だがヴォラールは、ほとばしるようなその才能に惚れ込んでいた。

ドアをノックするとすぐにドアが開いてピカソのギョロ目が出迎えた。相変わらずの眼光の鋭さだが、今日は機嫌がすこぶる良いようだ。

部屋へと招き入れられたヴォラールは、挨拶もそこそこに早速新作の前へと向かった。

真っ白な布がかけられた巨大なキャンバスがそこにはあった。何か言い訳をしようとするピカソを制して彼は言った。

「いいから早く見せてくれ。」

ピカソは意を決したように布を引き下ろした。

「これが新作『アビィニョンの売春宿』だ!」

ヴォラールは息をのみ、絶句した。

いままでに彼が一度も目にしたことのないものがそこに存在していた。

理解不能、完全に狂っている。頭がおかしくなりそうだった。人がねじ曲がり立体的なのかなんなのか。特に右側の娘?なのか?「一体どうなってるんだ!」

理路整然と絵の解説をつづけるピカソの声を聞きながら「彼は狂ってなんかいないのだ。」と思った。

圧倒的な天才をまえにひれ伏したいような感覚を覚えながら足が震えていた。

「私はいま猛烈に感動しているのだ。」やっと自分の気持ちが整理出来てきたヴォラールはそう思った。

少し冷静になってきたヴォラールはこの絵をどう売り出すか。計算もはじめていた。

「これは事件になるぞ。」そんな風にも思いはじめていた。ひょっとしたら絵画の歴史が変わるのかもしれない。

窓の外は枯葉が舞い散りはじめている。

アトリエの中には暖房もなかったが、寒々とした部屋のなかで幾何学的に光り輝くその絵だけが異様な存在感を放っていたのだった。

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『アンブロワーズ・ヴォラール』
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2020年06月20日

The anniversary of Ko Murobushi's death

6月18日は大先輩の舞踏家、室伏鴻の命日だった。

舞踏カンパニー大駱駝艦の創設メンバーで、初期のブレーンであり、らくだかんの基礎をつくった人でもあった。

眉毛を最初に剃ったのも室伏さんか。みんな真似するけれど独立すると生やしはじめる。けれども室伏さんは生涯、眉毛を剃りつづけた。

けっして揺るがない信念であり、世の中にいつも喧嘩を売っているという姿勢があったように思う。その踊りからは、いつも不満を感じどうしようもない怒りを感じた。

室伏さんはもと山伏でもあった。火が大好きで腕に布を巻いて火をつけて踊るのを得意としていた。若林淳がその真似をして腕を火傷してたな。

木の箱の中に入って火をつけて、なかから出てくるなんていう危険なこともしていたらしい。

あるときいつまでたっても室伏さんが出てこないので、みんなで心配していたらふらふらになって出てきた。待機しているあいだに揮発した燃料でラリってしまって、出口がわからなくなってしまったそう。あぶねえなあ。

“伐倒”といううしろにまっすぐに倒れる危険なわざも得意としていた。室伏さんは、かちかちの大理石のうえで伐倒したりする。頭を打って失神なんて数知れず、恐ろしい。

らくだかん発行の新聞『激しい季節』の初代編集長でありことばのひとでもあった。膨大なことばの数々を肉体をとおして舞台上へと投げ出して昇華させていった。

そんな室伏さんの残した本や資料や記録をアーカイブしたカフェが早稲田にあるようです。こんど行ってみよう。>>Shy

大駱駝艦から独立したあとは、日本を飛び出して海外をベースにして活躍しつづけた。なんでもありの舞踏の真髄をもて遊びながら、世の中もじぶんも疑うということをつねに真剣に実践していた。

晩年に何回か教えを請えたのはよかったけれど、ことばというよりはおどりを通じてのほうがわかることが多かった。

最後はブラジルで公演を終えたあと、ドイツへ移動する途中のメキシコの空港で倒れて帰らぬひととなった。

享年、68歳。

知るひとぞ知るで、日本ではまったくといっていいほど評価されていなかったが、世界的には圧倒的に評価されていた。

パリを拠点にする騎馬劇団ジンガロの出演料は、ワンステージ100万だったとか・・・

日本のそとで忙しく活躍していたけれど、その飛行機でのたびかさなる移動のストレスが寿命を縮めたのかもしれない。そう思うと認めようとしなかった日本という国に腹が立ってくる。

けれども「死ぬなんてざまあみろですよ」が口癖だったという室伏さんのこと。

べつに誰のことも恨んではいないのかもしれない。

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"Krypt Blues" photo Laurent Ziegler
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 10:50| ブログ?