2020年06月13日

国家破綻とか

この状態があと1年つづいたらどうなっていたのか?

国というものが破綻してなくなっていたりして。

とか思っていたら、このままだと国家はまちがいなく破綻するという話しを新聞で読みました。

けれども国家の破綻というのは国がなくなることとはちがうのか。

国がなくなるとどうなるのか想像してみて、調べてみたけれどほんとうのところはよくわからない。

1番むずかしいのはお金のあれこれのようです。しかしこれは持っている人たちの話で、そもそも持っていなかったひとには関係ないかもしれない・・・そんなことないか。

税金やそこから派生するいろんな保険や社会保障のかずかずがなくなる。

国家が崩壊してしまったような状態だった終戦直後のように、お金というものが意味をもたず米や野菜だけが価値をもつのか。そうやって考えると自給自足というのはどんなときでも強いのだな。

1番厄介なのは公共事業がなくなることかな。終戦直後ってのはどうなってたのだろう。

毎日出るゴミをどうするのか?誰の土地でもないところを誰が整備するのか・・・

その地域の人たちで話し合ってやればいいのか。治安の維持はだれがやるのか。都会には悪いやつがいるからな。

教育は江戸時代の寺子屋のようになって、ヨコ割りではなくタテ割りでやはり地域ごとでやるとか。

国がもしなくなっても、公共事業というものは残せばいいのか。みんなでお金をだしあってやる事業。けれどもその場合お金をどこが発行するのか?各自治体で発行するのか。

外交はだれがやるのか?

結局はちからのあるものがあらわれて統治することになってしまうのか・・・また同じことの繰り返し。

集合体が小さくなっていくのはいいことだと思います。

いま国ではなくて各自治体の長が活躍しています。集合体が小さいからいろんな対応のスピードが速いのだな。もしも国ではなく自治体レベルで考えるときもやはりそれぞれの格差をなくすために、ひとを分散させないといけない。

こんかいの騒動は、ひとが密集しすぎていたことへの戒めともとれます。大都会の欠点をあらわにしたウィルスたち。

もっともっと距離をたもって生きていく。こんなに密集して暮らすのではなく距離をとって生きる。

こんかいリモートワークやテレワークなんていうことができたひとたちは、会社へいくことも都会に暮らすこととも必要ないのだと気づいたのではないでしょうか。

この機会にいきすぎた一極集中をすこしでも是正できるといいです。そのことはひとが減り財政難に苦しむ地方と日本という国のためにもなるのだと思います。

都会のペースとはちがってゆっくりとすすむ田舎のじかんと、ゆたかな自然とうつくしい景色といい空気のなかでのびのびと子育てをする。

そんな贅沢なことが可能になるのかもしれない。

淡路島へと帰れないいま、都会にていろんなことを妄想するのでした。

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家から自転車で5分の淡路島、五色町都志の海。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 13:30| ブログ?