2020年06月29日

沖縄戦の断片

6月23日は沖縄戦の『慰霊の日』でした。

なぜ23日かというと、沖縄南部にいた日本軍トップが自決したのが23日だからとか。

けれどそのあとも、追い詰められた日本兵が住民を殺害するなど惨劇は終戦までつづいたという。

沖縄は太平洋戦争末期に大日本帝国陸軍によって、本土防衛の時間稼ぎの捨て石にされてしまった。

その結果、3ヶ月におよぶ住民をまきこんだ激烈な地上戦がおこなわれ、約9万4000人の非戦闘員の沖縄のかたがたが亡くなった。かき集められた沖縄出身戦闘員も2万8228人が亡くなり県民の4人に1人が犠牲になったといわれる。

一般島民が多数犠牲になった理由は、首里城の地下にあった司令部から多くのひとがいた島の最南端へと日本軍トップが退却していったからだという。

いちばんの激戦地は前田高地。沖縄戦のなかで「ありったけの地獄をひとつに集めた」といわれる凄絶な白兵戦が日本兵とアメリカ兵のあいだでおこなわれた。

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1945年5月、焼け野原と化した那覇市街上空を飛行する米軍観測連絡機。Photo by Wikipedia.

集団自決という悲劇もおこった。

一部のひとたちは「米軍につかまれば男は戦車でひき殺され、女は辱めを受けたうえでひどい殺されかたをする」と日本軍将兵たちから恐怖を植えつけられていた。

「敵が上陸してきたら全員玉砕だ」とも訓示されていた。

読谷村のチビリガマといわれる、自然洞窟の壕へと140人が避難していた。

「ころさない、でてきなさい」とのアメリカ兵の呼びかけに応じることなく、みずから火を放つなどして肉親相互が殺しあい83人が死に至ってしまった。

そのチビリガマから1キロはなれたシムクガマには、約1000人の島民が避難していた。

米兵がやはり投降を呼びかけるけれど「米軍は鬼畜、自決するべき」と声があがる。

その混乱の中、ハワイからの帰国者、比嘉平治さんと比嘉平三さんの2人が「アメリカ人はひとを殺さないよ」と、騒ぐ避難者たちをなだめ説得して、手ぶらで外へとでていった。

英語で米兵と話しをして全員を投降へと導き、1000人の避難民の命が助かった。この2人のおじいさんは、普段はなにかと日本兵にたてつく存在でみんなからは“非国民”と呼ばれていたそうです。

どんなときでも冷静な引いた視線が必要だという教訓です。

最終的に沖縄戦では約19万人が亡くなった。19万?

たいへんな数です。想像もつかない。東京都三鷹市の人口が19万だというので、三鷹の全員が死んだということか。

それもウィルスで亡くなるとかではなくて、殺しあいながら死んでいく。とんでもないことです。

19万人のひとりひとりに両親がいて兄弟がいて妻がいて夫がいて子どもがいた。猫も飼っていたかもしれない。

永遠に失われてしまった19万のいのち。

それでもまだ、大日本帝国は降伏しなかった・・・

ことしも刻一刻と原爆投下の瞬間が近づいてきています。

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伊江島で戦死した直後のピューリッツァー賞受賞の従軍カメラマン、アーニー・パイル。享年44歳。合掌。Photo by Wikipedia.

参照・引用:2020年6月23日 毎日新聞 | 2020年6月23日、24日 朝日新聞 | 沖縄県読谷村総合情報サイト | フォーラム『沖縄戦における「集団自決」と教科書検定』林 博史 | Wikipedia
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 09:57| ブログ?