2020年07月03日

ひとが生きるためにほんとうに必要なしごと

『ケア階級』ということばがあるそうです。

人類学者のデヴィッド・グレーバーが何年もまえからつかっていることばで、医療、教育、介護、保育など直接的に他者をケアする仕事をしている人々のことを指す。

バスの運転手やゴミ収集作業員などもここにふくまれている。現代の労働者階級の多くがケア階級ということなのです。

自粛のなかでも現場で働きつづけたひとびと。

テレワークなんてできない、ひとが生きるために必要な仕事のかずかず。仕事そのものが人のためになり、働くという行為そのものに価値がある。

いっぽうケア階級と対峙する概念として、グレーバーは“ブルシットジョブ〜どうでもいい仕事”ということばを唱えています。

この言葉をタイトルにしたエッセーが発表されたあとにイギリスで「じぶんの仕事は世の中に意義のある貢献をしているかどうか」と世論調査をした。「まったくしていない」と37%のひとが回答し「どちらかわからない」と13%が回答した。

「間違いなく貢献している」と答えたのは50%にすぎなかったとか。

意味のない会議に出るために書類を作成し、なくてもいい書類作成のための資料をあつめて整理することに忙しくなる。そんな多くの人たちが働くことに意義を見出せずにいる。

ホワイトカラーと呼ばれるオフィスではたらく管理、事務部門ではたらく人々の多くが「自分の仕事は世の中にどう役立っているのかわからない」と密かに思っているのです。

だれの役に立っているのかわからないような仕事。

ウィルス騒動の最中に「いのちか経済か」という問いが新聞によくのっていたけれど、それも現代の経済が大量のブルシットジョブ、ほんとうには必要ない仕事をつくり出すことによって成り立っていたからだそうです。

そうして実際には何もしていない人のほうが、具体的に役立つことをしている人よりも、はるかに給料が高いという現実がある。

ほんとうに馬鹿馬鹿しいよな。

仕事が社会に貢献している割合と、もらっている報酬が、吊り合っていないのです。

とか記しながら「ではお前の仕事はどうなんだ?」と自問自答すると、そもそも仕事にもなっていないので問題外なのか。

けれども舞踏は役に立つとかという範疇から外れればはずれるほど良しとしているようなところがあるので、ケア階級にもブルシットジョブにも入らないのかもしれない。

じぶんのやっている仕事は、世の中に貢献している仕事でもどうでもいい仕事でもない。

では社会的な意義はあるか?

誰かを感動させたり笑わせたりできるのだから、確かにある。

そう信じたいな・・・信じる 信じれば 信じるとき 信じよう。

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『模写2 2020.7.1』

参照:2020年6月11日 朝日新聞
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 09:16| ブログ?