2020年07月06日

失われていく語り部

夏が近づいてくるとともに、戦争の話題が増えてきます。

今年で戦後75年。

75年がたって、当時の体験者の方々の高齢化が進むなか若い世代に戦争の事実をどう伝えていくのか。

日本全国で課題となっています。

沖縄県内の高校教諭らでつくる沖縄歴史教育研究会が、県内の高校2年生を対象に5年ごとにアンケートをおこなっている。

今年おこなったアンケートでは、沖縄戦を学ぶことについて「とても大切」と答えたのが68%で「大切」の27.5%とあわせると95.5%をしめて過去最高となった。

いっぽうで「家族や親族で沖縄戦について話してくれる人はいますか?」との問いに2010年が40.5%だったのに対して、今年は30.3%に減っていた。いないと答えた人は52.2%にのぼった。

目をおおうようなむごたらしい惨劇を極めた戦争の体験を、語ってくれる身近なひとが急激に少なくなっている実態が明らかになっています。


「沖縄人は皆、スパイだ」

沖縄県宜野湾市の大城勇一さんは11歳だった、75年前に日本兵から吐き捨てるように言われたことばが忘れられないという。

「捕虜にいくときはうしろから手榴弾を投げて殺してやるから覚えておれ」日本兵はつづけてそう言った。

狭い島で軍人と民間人が入り混じっておこなわれた沖縄戦では、多くの住民が日本軍からスパイの疑いをかけられて犠牲者も多数でた。方言によってことばが通じにくいということも、原因としてあったようです。

那覇市天久の壕でのこと・・・

大城政英さんが、壕の入り口の1つを開けると「誰だ!」と中から日本兵の声がした。

「避難民です」と言うと「何、避難民か。うごいたら撃つぞ」とおどされて、出てきた日本兵たちが大城さんを上半身裸にして電話線でうしろ手に縛った。

日本兵は「貴様、スパイだな」と繰りかえすばかりで「違う」と何度言っても信じてもらえなかった。

どうにもできずにいると、3日前に別の壕で会話をした日本兵がいて「この人のことは私が保証する」と口添えしてくれて、ようやく解放されたという。

その直後、大城さんは同じようにスパイの疑いをかけられた沖縄の青年が日本兵に連れられ壕から出ていくのを見た。

10メートルも行かないうちに銃声がし、振り向くと青年は撃たれて倒れ、死んでいたという。

「前も後ろも敵だったが、途中からは日本兵の方が怖かった。戦争になったら人間が人間じゃなくなる。」

そう大城さんは語るのでした。

skul_lapan.jpg
『The Rising Sun Flag and Skull』

参照・引用:2020年6月23日 毎日新聞 | NHK戦争証言アーカイブス『沖縄戦の絵』「スパイ容疑をかけられた私」NHK 沖縄放送局
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 11:22| ブログ?