2020年07月12日

過剰なおそれ

東京で3日つづけて感染者が200人を超えたとマスメディアが騒いでいます。

けれども、検査を受けるひとが増えたから自動的に感染者数が増えたということで、不安に思わなくてもいいのです。

過剰に騒がずにこのまま、ワクチンができるまでコロナとともに生きていければいいなあ・・・

専門家だかなんだかが、パネルをかかげながら「会食でマスクを外すの危険」と怖い顔をしていたけれど、マスクを外すのが危険なのではない。万が一に感染して重症化して、亡くなるかもしれないのが危険なのです。

感染者数が重要なのではなく、万が一に感染して重症化して亡くなるひとの数が重要なのではないのか。

感染者数は増えているけれど、重症者数は減っている。そして6月4日から東京では亡くなったひとは出ていないのです。

そろそろ感染者数を全面に出すのではなくて、死者数を発表するようにしてもらいたいものです。

ニュースってそういうものだと思います。

マスコミが検査を「増やせ増やせ」と騒いだ。そうして検査が増えて、感染者が増えたら今度は「増えた増えた」と騒ぐ。とくにワイドショー・・・なにがやりたいねん。

ひとの不幸を商売にして、それで生きている人たちがいる。ひとの不幸はたんなる話しのネタである。そうしてそれを喜んで観る人々がたくさんいる。ひとの不幸は蜜の味。

7月9日、兵庫県知事が「諸悪の根源は東京」と失言。

「感染するのが悪いことだ」という考えかたをやめなければならない。その考えかたが差別や誹謗中傷を生み出すのです。

「自分だけよければいい」という考えかたをやめなければならない。ひとはひとりだけでは、生きてはいけないのです。

ゼロリスクを追うのをやめなければならない。

接触感染のリスクが叫ばれ『手で触れる』ことへの恐怖が広まっているけれど、ウイルスは感染者の体外にでて寄生する細胞がなくなるとすこし時間がたてば活性をうしなうそうです。

ウィルスは細菌よりも接触感染のリスクがずっと低い。なんでもかんでもアルコール消毒する必要なんてないのです。

リスクのゼロを追い求めれば『念のため』と対策もどんどん過剰になる。その結果、身うごきができなくなり、じぶんたちの首をじぶんたちで締めることになってしまう。

たとえ東京にいたとしても感染者が多く出ているのは限られた特定の場所です。市中感染があったとしても人口1千数百万人に比べれば、ほんのわずか。ウィルスに出会うことなんてほぼない。

実態とあわない感染症対策がつづいているのです。

まずは過剰に怖れることをやめたいものです。

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『無題 2020.7.11』

参照:2020年7月11日 朝日新聞 『専門家は確率を語れ』国立病院機構仙台医療センターウィルスセンター長、西村秀一、インタビュー
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 11:52| ブログ?