2020年08月05日

いつもの朝

1945年8月6日、7時半頃。

木谷真一は毎朝の日課である、護国神社へのお参りをすませた。

今日はお手伝いのひとが2人来てくれる。そろそろ残務整理も終わり、すっかりと片付いてきていた。

一週間後には、淡路島へと旅立ち家族に会えるのだ。広島を離れるのは寂しいが、家族に会えるのはやはり嬉しい。

少し気分が明るくなった真一は、始業時間の9時まで散歩をすることにした。手に入るものなどないに等しいが、淡路にはないものをお土産にしてやろう。何がいいだろうか。

孫の陽子が好きなみかんの缶詰めが手に入ればなあ。そんなことを考えながら相生橋の上へと入った。

相生橋は本川と元安川をまたいでかかる、まるで猿股のような橋である。

「アメリカならあ、さしずめ“ T ”じゃ。T-backじゃ」戦争がはじまるまで、外国語大学で英語を専攻していた真一は、そう思いひとりほくそ笑んだ。

「まあ、ええか」

戦争で一切の財産も何もかも失いつつある。しかし、人生もこの川のようなもの。流れていって海へとかえり、終わる。それでいいのかもしれない。流れにただ身を任せれば・・・

ゆっくりと雄大にうねっていく元安川の流れを、橋の上から欄干に手をつき飽きるともなく惚れ惚れと見ていた。

ここ広島は水の都である。太田川は、よこがわの北側で六つの支流に別れる。

満々と水をたたえ休むことなく流れつづける六つの川。ぼんやりと川面を見ていたが、蝉の声で「はっ」と我にかえる。

「もう8時か」

そろそろ店に帰って用意をはじめるか。懐中時計で時間を確認するとそう考えた。お洒落好きな真一は呉服屋にもかかわらず、普段は洋装で通していた。

中洲から木橋を渡り、広島県産業奨励館を右に見ながら歩きつづける。

幟町のおせんていまで来たときだった。盛大に鳴く蝉の声に混ざって、かすかに飛行機の飛ぶ音が聞こえた気がした。

雲ひとつない夏の空を見上げる。

三機のB29が飛んでいるのが目に入った。爆撃にしては結構、高度が高かった。「偵察か」呟いたときだった。

「あっ、何か落とした!」そばにいた子どもたちが口々に叫んだ。

キラリと光るものが落ちてくるのが見える。

「パラシュートか?」真一はそんなふうに思った。

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「とにかくお洒落さんだったのよ」次女の直子さんはそう回想する。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 14:57| ブログ?