2020年08月08日

8月6日、夜のこと

舞踏家集団『デュ社』の夏季舞踏合宿は中止にしました。

舞踏合宿は海外からの参加者がとても多いけれど、まだ海外からの入国が大幅に制限されている。

そして共同生活による感染のリスクもあるので、いまはまだ合宿というもの自体がなかなかにむずかしい。なによりもじぶんの移動が厳しく制限されているし、残念だけどしかがない。

大駱駝艦の特別体験舞踏合宿も、今年は中止か。そう思って調べてみたらなんと開催されたようです。底力のちがいか、環境のちがいか・・・

古巣、らくだかんの合宿には1994年から2012年まで18年間、従事しました。

合宿は朝の授業と昼の授業と夜の授業がありまして、夜は大駱駝艦主宰、麿赤兒の特別講義。

麿さんがいろいろと喋って、そのあと合宿生がじっさいに踊るのです。

あれはいつの合宿だったのか忘れてしまったけれど、合宿生を踊らせながら「あつい、あつい・・・」「いたい、いたい・・・」「くるしい、くるしい・・・」と麿さんがことばで誘導しはじめた。

電気を消して暗い中、師匠が擬音で色々と描写するのがすごく怖かったのを覚えている。

あとで考えたらその日は8月6日だった。らくだの合宿は8月の第1週におこなわれるので、8月6日が入るのです。

「そうか8時15分とかいって朝に追悼するからそれで終わりという気になってしまうが、8月6日の夜ってのもあるのだ」という当たり前のことに、そのときに思い至ったのでした。

電気はもちろんないから真っ暗な中で被爆者たちは、自分がどうなっているかもわからない。

まわりからは「あつい・・・いたい・・・くるしい・・・」という呻き声しか聞こえてこない。想像しただけで恐ろしいし、不安だったろうなあ。

蝉も鳩も雀もこおろぎも生けるものすべてが死に絶えているから完全なる静寂。あっ、蝿は凄まじく大量発生していたのか。放射能の影響か巨大化していたとか。

夜、山のほうへ避難していく被爆者の行列が通っていくとき、道沿いの家の門戸は固く閉ざされていたという。関わりあいになりたくないという残酷な心理・・・

麿赤兒講義のあとの野外稽古で、照明に無数の虫が集まってきていて皆んなビックリしていた。冗談ではなく、14万匹はいたかもしれない。

そしてその夜、宿舎の玄関の自動ドアが、誰も通っていないのに開いたり閉まったり一晩中していた。

ちょうどお盆だったし、霊が遊びに来ていたのかもしれません。

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国立広島原爆死没者追悼平和祈念館にて。
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 09:11| ブログ?