2020年09月06日

戦後の混乱、戦争の爪あと

いつのまにか9月になっています。

2日は世界的な終戦記念日でした。

大日本帝国が負けを認めて東京湾の戦艦ミズーリ号で降伏文書に署名をした日。

この署名によって正式に第二次世界大戦が終わった。

ナチスドイツが1939年9月1日にポーランドに侵攻し、はじまった第二次世界大戦。ちょうど6年間つづいたのか。

ヒトラーが自殺して1945年5月に連合国軍に敗北、解体されナチスドイツ帝国は滅亡。

そのあとも孤軍奮闘しつづける大日本帝国。

沖縄を奪われ広島に原爆を落とされ、長崎に原爆を落とされ1945年8月14日に昭和天皇がようやく負けを認め大日本帝国は消滅。

しかし8月15日の天皇による玉音放送のあとも、本土決戦を叫ぶ若い将校たちの反乱がつづく。

大陸では関東軍が武装解除命令を拒んだことで中国共産党軍は関東軍に攻撃を仕掛け、8月15日から11月末まで戦闘がつづいた。

北からはソビエト軍が攻め込み日本兵を捕虜にしつづけ、8月23日から約57万5,000人が過酷なシベリアでの労働に従事させられた。

極寒のシベリアで約5万5,000人が亡くなり、約1万5,000人が行方不明になる。

抑留は最長で11年間、つづいたそうです。

南方の島々では命令系統がなくなり取り残された兵士たちは必死で生き延びる。捕虜になった兵士は軍事裁判で裁かれた。それらは公式なものもあったが、報復という名のリンチや虐殺もあった。

最後の処刑がおこなわれたのは1951年6月、ニューギニアのマヌス島。最後の戦争服役者が釈放されたのは終戦から13年後の1958年12月だった。

日本兵の過酷な逃亡生活も発生した。そのなかでも横井さんと小野田さんが有名です。

「恥ずかしながら生きて帰って参りました」

とのことばを残した横井さんは、1944年からグアム島に派遣され、以来28年間、終戦をしらないままジャングルに潜伏。1972年2月、島民に発見され、57歳で日本に帰還した。

横井さんには2人の戦友がいたが、発見される8年前に亡くなっていた。

小野田さんは、1944年12月からフィリピン・ルバング島に派遣され、任務解除の命令を受けられないまま戦闘状態をつづけた。

1974年3月、作戦任務解除令を受け、51歳で日本に帰還した。終戦から30年の月日がたっていました。

シベリアや南方の島々の遺骨の問題や原爆訴訟など、そのあともいろいろとつづく戦争の後遺症。

衝撃が大きければ大きいほど傷は深くのこり、いつまでも癒えることがない。

75年たっても引きずりつづけるのは、傷の深さを物語っているのでしょう。

ことしも死者を思う夏が終わろうとしている。

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『ふたつの太陽』

参照:2020年8月23日 毎日新聞 | Wikipedia
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 11:02| ブログ?