2021年01月16日

炎のひと、はんどうかずとし

週刊文春、文芸春秋の編集長、専務取締役などを歴任された作家の半藤一利さんが亡くなられました。

中学生のときに東京大空襲を経験。

落ちてくる焼夷弾、いわゆるナパーム爆弾は土砂降りの大雨なんてものではないほどに激しかったという。ぜリー状のガソリンでできたナパーム弾は爆発すると、木や紙でできた日本家屋に飛び散りなにをしても消えなかった。

向島に住んでいた半藤さんは、炎と煙に追われて逃げまどい川に落ち溺れかけたが船に助けられて九死に一生をえる。

救われた船上から対岸のひとびとが、火だるまになり燃え上がって死んでいくのを目撃した。死体の浮く川の水を飲み吐きながら、無数に折り重なる炭俵のような焼死体のなかを逃げた。

この体験が半藤さんの人生をかえた。

なぜこんなことが起きたのか?無謀な戦争に突きすすみ多くの犠牲を生んだ戦争とはなんだったのか?探求する原動力となった。

文芸春秋の駆け出し記者だったころ、坂口安吾の原稿取りの役目をまかせられた。安吾に「歴史書にはうそも書かれている。」といわれ、史料をつきあわせて推理して合理性を探さねばならないのだと教えられた。

それを機に安吾に弟子入りをして“歴史探偵”を名乗る。

じぶんの空襲体験は口にしなかった半藤さんだが、ある元軍人を取材して明白なうそをつかれてみずから記すようになったそうです。

そこで見えてきたのは多くの焼死体を見ても感情をうしない、それを口にしたくなかったじぶんのこころだった。人間性をうばう戦争の恐怖と、口にしたくないことが闇へと葬られる体験継承のむずかしさにも気づいた。

それからは、現代史の裏側にひそむ真実を探り出す探偵の本領を発揮し、生涯をかけて歴史の掘り起こしをつづける。

戦争継続か降伏かで大日本帝国政府が揺れうごいていた1945年8月14日から、玉音放送で戦争のおわりが国民に知らされた15日までの24時間を関係者への綿密な聞き取りと取材で克明に描いた『日本のいちばん長い日』を1965年に刊行。

文芸春秋の社内に勉強会を立ち上げて、クーデター未遂など終戦の秘密にせまった。著名な評論家だった大宅壮一編として出版されたが、実際の執筆は半藤さんだった。

へえ、知らなかった。

作品には戦争をはじめた政治家や軍人への怒りと、戦争の悲惨さを伝えたいという気持ちが込められているそうです。

いまでもあのレベルを超える作品はないと評される、唯一無二のノンフィクションはベストセラーとなった・・・

恥かしながら読んでいないので読みます。

handou.jpg
温厚な人柄でひろくしたわれた半藤一利さん。驚異的な執筆量で晩年まで作品を出しつづけた。享年90歳、合掌。

参照・引用:2021年1月14日 毎日新聞 | 2021年1月14日 朝日新聞
posted by Mukai Kumotaro & Duex Shrine at 06:48| ブログ?